よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第六十一夜「アップルパイ」

 僕は天を仰ぐように目の前に立ち並ぶ共同住宅たち。それは吼月くんや夜守くんが住まう小森団地である。

 乳白色の壁面はひび割れた箇所もあり長年この場所に鎮座してきたことが分かる。もしかしたら僕よりも長生きしているかもしれない。

 

「……今日は何もないな。それじゃあ行こうか」

「うん」

 

 自宅の番号が記されたポストの中身を覗いた吼月くんは肩を下ろしたあと、こちらを一瞥すると背を向けて、近くにある階段へと脚をかける。その後に僕も続く。

 2階、3階、4階–––階段を登り出して数分後、踊り場に出ると、そのすぐそばに吼月くんの自宅がある。

 鍵を解いて玄関の扉が開かれる。

 

「……どうぞ」

「お邪魔します」

 

 吼月くんに促されるまま彼の家にあがる。

 三和土で靴を脱ぎながら玄関を見つめるが、そこに置かれているのはいま吼月くんが履いているスニーカーと同サイズのものがひとつだけ。傘立てにも一本だけ挿さっている。

 なにやら寂しい玄関だったが、下駄箱の中に使っていなかったり親の靴が入っているのだろうか。

 その後、吼月くんに居間へと通された。

 

「へえ……ここが吼月くんの家か」

「別に面白いものなんて何もないよ」

「確かに」

 

 8畳ほどの広さの居間の奥にはフローリングが敷かれたダイニングがある。居間には特になにもなく、ダイニングにはキッチンと冷蔵庫、食事用のテーブルの他には水切り用ラックの中に食器やコップが置かれている。あとテーブルを挟んだキッチンの反対側にテレビが置かれている。

 別の部屋はどうなっているのだろう?–––そう思って、近くにあった襖に手を伸ばす。

 開けて、中身を見てみれば当然暗闇なのだが、窓から差し込む月明かりがベッドを照らしていた。そこは寝室だったのだ。

 蛍光灯から垂れる紐を引っ張って灯りをつける。

 

「……?」

 

 最初に目に入ったのはカレンダー。

 首を振って辺りを見渡す。

 寝室は勉強部屋も役割も兼ねているようで、勉強机には数冊のノートが立てかけられた小さな本棚、隅にはライトスタンドが設置されている。他には姿見なども置かれている。

 シワひとつないベッドは真っ白でまるで病床のように汚れがない。

 寝室というより完全に自室だ。

 

「すごく片付いてるんだね」

「汚すところなんてキッチンぐらいだし」

 

 整理整頓が行き届いていて塵ひとつない綺麗な家だった。

 よく言えばそのような月並みな表現になるのだけれど、一見の僕としてはしっくりと来るものではなかった。違和感を覚えるのは間違いないのだけれども、喉に引っかかる理由が分からない。

 

「てっきり玩具が煩雑にばら撒かれてるのかと思ってたよ」

 

 吼月くんが見ているヒーロー物は結局販促番組でもあるので、自室には数え切れないぐらいの玩具が所狭しと置かれていると想像していた。

 その想像とのギャップもあって違和感を覚えているのかもしれない。

 

「DX系の玩具のことかな。そっちを買う用のお金はあまりないしな……せっかく買うなら大人になってからプレバンのセットを買うよ」

「ねだったりとかしないの?」

「それは無理かな」

 

 頭を振って否定する吼月くんを見て、僕は思い出したように問いかける。

 

「そういえば親は?」

「ふたりとも帰ってこないよ」

「お仕事?」

「オジさんは多分そう。今日も来ない。あとオバさんは死んでる」

「え、あ……そうなんだ」

 

 母親の死をこともなげに言うものだから、意味を理解するのが遅れてしまう。彼が受け止められているのは、物心つく前に亡くなったのか、それともただ乗り越えただけなのか。

 

「ハツカが暗い顔なんてしないでくれよ。俺たちとしては既に終わったことなんだ」

「そっか。キミらしいね」

「おう」

 

 吼月くんの口ぶりからして後者なのは間違いない。悲しい顔もしておらず母親の死に対して興味もないのか僕の方に顎先すら向いていない。流石に反応が薄すぎじゃないか。

 それに自分の親を『オジさん』『オバさん』なんて呼んでる事も少し引っかかる。

 しかし、吼月くんとしては追求されたくないことなのは理解できる。深掘るのは今じゃなくてもいい。

 

「つまり……誰にも邪魔されない僕との蜜月のひと時が過ごせるってことだね」

「言い方が卑猥だよ!!」

「別に蜜月ってエッチな言葉じゃないよ? それともなに? これからエッチなことされるとでも思ったの?」

「違ッ……ハツカの言い方が悪いじゃん! いやまぁ、奴隷メイドとかそっちしか思い浮かばないけどさ!」

「うわ……変態……」

「ハツカが言い出したことなのに!?」

 

 意図して話題を逸らしたが想定より食いつきがよく、空気が落ち込まずに済んだ。

 その流れで吼月くんは口をモゴモゴと動かして数秒迷った後、蛇のようにうねる唇を開いた。

 

「それでさハツカ……」

「どうしたの?」

「約束通りにするから、少し待ってて」

「ここで着替えてもいいんだよ?」

「ストリップショーの癖はないよ!!」

「あははは! 冗談だよ。着替えておいで」

「もぉぉ……!!」

 

 吼月くんは恨めしそうな眼を僕に向けたまま寝室から出ていく。

 

「脱衣所で着替えるから入ってくるなよ!」

「それ完全にフリだよね?」

「え……違う!!」

「素で言ってたの……?」

 

 時折感じる口下手さに戸惑いながら僕は彼を待つ。

 口にした通り、僕の目の前で着替えさせても良かっただろう–––そっちの方が罰としていい–––けど、寝室を彼の目が無いうちに色々と見たいのもあった。

 

「部屋の中、物色しててもいい?」

「待って……うん。どうぞ!」

 

 襖の先にあった吼月くんの気配が消えると、僕はスマホのライトをつけてベッドの下を屈み込みながら覗く。

 

「何もない……そんなはずは……」

 

 隠された本のひとつやふたつ有ったら良いなと思いながら覗いたものの、ベッドの下にも汚れひとつない。

 立ち上がって勉強机に向かう。

 天板を支えるように置かれているサイドワゴンの三つの引き出しをそれぞれ引っ張ってみるがどれも鍵がかかっている。サイドワゴンの側面にフックがあった。恐らく鍵をかけておく場所なのだろうが、なにも引っかけられていない。

 引き出しの中身は諦めて、机の上の小さな本棚に目をやる。

 本棚にあるのはノートだけ、

 

「ん?」

 

 ではなく、その陰に隠れて一冊の本を置かれていることに気がついた。ちょうど文庫本と同じサイズのものだが、赤いカバーが付けられていてどういった本なのかは見た目では分からない。

 その本を手にとって、日焼けし色褪せたページを捲る。

 

「日記帳か……ようやく生活感が出てきたな」

 

 また珍しいものを見つけてしまった。

 そう思うと同時にこれは吼月くんを知る大きなヒントになる物だと確信した。

 日記帳はどうやら去年の春頃から書き出されているものだ。

 

「後にするか」

 

 もう少ししたら吼月くんも着替え終えて戻ってくる。

 この日記帳にあまり知られたくない話が載っていたとして、彼に僕が読んでいる所を見られたら明日には破棄されているかもしれない。

 そうなれば彼の傷に触れず大きな情報を得るチャンスがなくなってしまう。初めて見つけた血に頼らない情報源。手放すには惜しい。

 吼月くんが寝付いたあとか学校へ行ったあと、回収するとしよう。

 

「バレませんように……と」

 

 日記帳を元の場所に戻すと、僕は再び部屋を見渡す。

 パソコンも勉強机もあるけれど綺麗すぎて人が住んでいるような雰囲気がしない。まるで長年留守にしている家主を、親族が帰りを待ちながら家を引き払う準備をしているような–––そんな寂しさを覚える。

 母親は死んでいる。父親は滅多に帰ってこない。

 

 一時であれば解放感が生まれることでも、日常的に放置されているとなると……

 

 なるほど、彼が独りにされて悲しいと感じないことにも納得がいく。慣れてしまったのだろう。

 キクちゃんが夕くんの寂しさの穴を埋めるような形で関係を作れたら、吼月くんの内側に深く入り込むのも簡単なのだろうけど、完全に真逆を行っているのが彼だ。

 しかし、そのおかげで彼が自由に夜を行き来できていると思うと、中々善し悪しがつけられない。

 

 一度、親とは顔を合わせてみたかったんだけどな。

 

 自分の意思で吸血鬼になれる子供。

 昔吸血鬼に恋をして血を吸われたとしても、吼月くんのような半端者が生まれるなんて聞いたことがない。

 可能性があるとしたら……七草さんと同様、人間と吸血鬼のハーフという線。それなら僕が称する半吸血鬼なんて存在が生まれても不思議じゃない。

 

「さてさて、どうなることやら」

「……ハツカ? なにかあったのか?」

 

 ひとりごちる僕の声が聞こえたのか、吼月くんが襖越しに尋ねてきた。

 

「何でもないよ。それよりキミは着替え終えたの?」

「……うん。メイド服、着てきたよ」

 

 震えた声が耳朶を打つと、襖が恐る恐る開かられる。

 そこに立っているのはミニスカメイドの吼月くん。可愛さと大人っぽさが交わるメイド服をきた影響で、くりっとした大きな瞳を持つ童顔にサラッと整った黒いショートヘアという幼いメイドとしての可愛さと凛々しさを両立させた容姿がより鮮やかなものに変わる。

 頭にはカチューシャの代わりに猫耳をつけさせた。

 ふむ、やはり吼月くんとメイド服。それぞれの素材が良い。

 

「ど、どう……?」

「今度から僕の世話をする時はそれが制服ね」

「ハツカの前だけなら……良いけど。好感触か……」

 

 ゔぁんぷでは仕事だから割り切っていたが、プライベートで着るとなるとまだ恥ずかしさが捨て切れていない。恥じらい上擦った声はまるで僕に気があるサインにさえ思える。

 しかし、吼月くんは僕の好みが釈然としないようだ。

 

「僕が着させてるのに似合ってないと思ってるの?」

「似合ってないとかじゃなくてさ……」

 

 吼月くんは目を落とすと自身の胸を摩る。

 

「ほら、ハツカだって理世の大きな、そ、その……」

乳房(ちぶさ)?」

「そ、そう、乳房をガン見してたじゃん。……僕もそういう詰め物とかした方がいいのかなって」

 

–––め、雌猫……

 

 まるで僕に女としても見て欲しいと言わんばかりの上目遣い。ほんのりと緊張し強張った赤い顔。

 それは彼に望んだ僕色の表情だった。

 

「ふふふ……あはははーーー!!」

「な、なんだよ……!」

 

 必然的に彼の中に好調の兆しが見えた僕は人間が静まる夜だと言うことを忘れて哄笑をあげる。

 

「だったら、本当に女の子になってみる?」

「……い、嫌」

「嘘でしょ。僕の為に女の子になりたいんだよね」

「うう……んっ……弄らないでよ」

 

 軽く挑発してみれば反発はするが、吼月くんは僕の為に僕色に染まりたいのだ。独り占めも寂しさも感じることが少ない彼が見せる初々しい反応がたまらない。

 倉賀野ちゃんに感謝しよう。

 彼女に対するジェラシーのおかげで僕に対する意識が強まった。

 

「やっぱりハツカは僕に女になって欲しいの?」

 

 吼月くんの問いに僕は首を横に振る。

 

「ショウくんが女の子になるなんて魅力が半減するだけだよ。まず考えてみてよ、ショウくんは僕が本当に女だったら良かったなって思ったりする?」

「ううん。ハツカは男らしさも女らしさもあって良いなって思う」

「僕も同じだよ。ショウくんには男の娘として居て欲しいんだ」

「……そっか」

 

 素っ気ない返事をして俯く吼月くんの口元は緩んでいた。それは本当に小さな微笑みで彼自身、気づいていないだろう。

 そのままミニスカートの両端を持って、綺麗な所作でお辞儀に移る。

 

「それではハツカ様、愚鈍で卑しいメイドである僕をご自由にお使いください」

 

 気弱な本心が表に出た自身を卑下する前口上は上擦った声も真似相まって、僕の嗜虐心の奥深くをくすぐった。彼に考えさせた言葉だが、自分では絶対に言いたくないと思っているのが僕の支配欲を満たす。

 なんせ人間としてではなくモノとして見ろと言うのだ。『お申し付けください』ではなく『お使いください』なのだから。

「ああ、使ってあげる」と僕が言えば、吼月くんは嬉しそうな笑みを浮かべる。しかし、その口端は引き攣っている。無理に笑っている証拠だ。

 

「本が読みたいんだけどある?」

「電子書籍であればございますが、構いませんでしょうか?」

「構わないよ」

 

 彼は頷いてからメイド服のポケットから鍵を取り出す。それは勉強机を支えるサイドワゴンの一番上の引き出しの鍵で、カチャリと音を立てて開錠する。やっぱり自分で持っていたのか。

 

「どうぞハツカ様」

「ん」

 

 吼月くんは引き出しからノートパソコンを取り出すと、それを分割してタブレットだけにすると、少し操作をしてからそれを僕に手を渡した。

 タブレットを受け取った僕は吼月くんの趣味を探るように購入履歴の画面をスクロールしていく。

 

「……」

「なにかお気に召すものはございましたか?」

「いや、そうじゃなくてね」

 

 僕が画面に向けていた視線を吼月くんへと移せば、彼は理解できていないのか瞼をパチパチと瞬かせている。

 一度ため息をついてから僕は言う。

 

「いつまでご主人様を立たせておくつもり?」

「え」

「え、じゃないよ。早く椅子が欲しいんだけど」

 

 僕の苛立ちが分かるように棘のある言い方をすれば、彼はすぐさま勉強机の中に納められていた椅子を引き出そうとする。

 それに僕は待ったをかける。

 

「違う。言わなきゃ分からない? キミが椅子なんだよ」

 

 吼月くんが絶句する。

 考えてもみなかったという顔をしているが、いつも久利原の姿を見ているんだから察しはつくだろ。

 

「早くしろ」

「……わかりました」

 

 従順に見えて実は嫌々。そうといった様子で吼月くんは僕の目の前で四つん這いになる。そうでなくてはお仕置きにならないので構わない。

 彼の四つん這いは中々整った姿勢で座り心地は良さそうだ。

 僕は吼月くんの背中にドサっと乱暴に腰を下ろす。人ひとり分の重量が一気にかかり衝撃で彼は体勢を崩しかけるが、なんとか持ち堪える。人間の子供だから仕方がないが、久利原ほどの安定感はない。しかし、僕を落とさないよう必死に支える彼の頑張りは評価してあげよう。

 座り心地は見て感じた通りに悪くない。

 もっとも座りやすい位置を探るように僕は尻を動かしていく。

 

「あ、んんっ……」

 

 僕の尻の感触に悶える吼月くんの姿が姿見に映る。姿見には僕の姿はないから、独りで四つん這いになって喘いでいるというとても滑稽な姿で、これも僕の心をくすぐる。

 

「あのハツカ様ぁ……動くのやめていただけないでしょうか?」

「なんで?」

「その……」

「当ててあげよう。僕の尻が気持ち良くて仕方ないんでしょ」

「……」

 

 恥ずかしそうに唇を噛み締める吼月くんを見て、酒が飲みたくなる。

 

「キミの意思なんて関係ないけどね。椅子が勝手に動かな、喋るな」

「くっ……」

 

 しかし、少し反抗的な態度が見え過ぎだ。

 僕は彼のスカートを捲り、形のいい桃尻を顕にする。突然、冷たい空気に触れる臀部に吼月くんの身体が跳ねる。

 

「なにをやっているのですかハツカ様!?」

「お仕置きに決まってるじゃないか。スパンキングはお仕置きの代表だろ?」

「おし……」

 

 吼月くんの顔に今度は酷い脂汗が流れる。僕が座る背中も少し汗ばんでいて、慄いているようにも思えるし焦っているように見える。

 

「男の尻ですよ!? なにが楽しくて」

「雄以前にペットの尻だよ。ほら、尻を叩いてあげるから合わせて僕の言葉を復唱しろ」

「……はい」

「ちゃんと顔をあげてね」

 

 使ってくださいと口にした以上、彼は自分の言葉を真っ当する。それは間違いなく吼月くんの良いところだ。

 良いところも落とすために利用しちゃうのが僕なのだけれど。

 僕はそっと吼月くんの綺麗な尻に手を添えて–––引っ叩く。乾いたいい音が鳴る。

 

「吼月ショウは蘿蔔ハツカの従順なペットであり、主人の言葉を疑いません」

「吼月ショウは蘿蔔ハツカの従順なペットであり、主人言葉を疑いません」

「吼月ショウは蘿蔔ハツカの家具でもあり、ハツカ様の許可なく喋ることも動くこともしません」

「吼月ショウは蘿蔔ハツカの家具でもあり、ハツカ様の許可なく喋ることも動くこともしません」

 

 吼月くんは姿見の奥にいる自分に言い聞かせるように僕の言葉を口にする。

 何度か繰り返して、吼月くんは人から物へと変わり果てると僕は手を止めた。正に椅子のように手脚の震えを止め、口を噤む。言葉と疲れを噛み締めているのが鏡を見れば分かった。

 僕の尻が擦り付けられているのだから喘ぎ声を出したくなるのも無理はなかっただろうけど。

 座り直した僕はもう一度タブレットに目を落とす。

 彼が購入している本の殆どは料理や掃除といった私生活に関するものばかり。

 

「2001年宇宙への旅……懐かしっ。映画見に行ったな」

 

 当時の空気感で見るのが一番面白い作品だ。

 他にも小説や図鑑もチラホラあるが、彼が中学生だと知らなければ、誰もが主婦か主夫が買ったものと勘違いするだろう。というかやっぱりエロ本ないな。

 まだ履歴にも先があるので更に見ていくと、実写のスーツが描かれたサムネイルが出てくる。

 

「へえ……ライダーって小説もあったんだ……」

 

 小説なんて読むどころか知ってる子供いるの?–––と言いたくなるが、現にこうして吼月くんは持っているので、それなりにはいるのだろう。

 

「ビルドが無い」

 

 僕が見てる作品……ビルドもあるか探してみるが、全く見当たらない。ライダーだけでも20冊もあるのに何故なんだ。

 検索をかけてみるとどうやらまだ売っていないようだった。

 仕方がないので別のを読むことにした僕は、彼が購入した中でお気に入り登録されている物を選んだ。

 

「ライダー……?」

 

 サムネイルのスーツ。その顔の部分にデカデカと『ライダー』と記された時計を象った仮面の戦士。額には小さく『カメン』とも書かれている。

 ジオウと呼ばれる作品らしい。

 ページを開き、読み始める。

 キャラ紹介・用語解説と続いてようやく本編がスタート。

 しかし数秒後、僕は理解する。

 

–––テレビの内容見ないと分かりにくい奴だ……

 

 最初から『時間という概念の外側にいる私』だったり、『常磐ソウゴは歴史を新たに創造した』など壮大なスケールの物語が語られる。

 それでも決して初見さんお断りというわけでもなく、キチンと小説内で説明がされる––––例えば第一話にあたる“起源の日”と、最終回?にあたる歴史再編後の同日“始まりの日”など–––ため、僕は読み進めることにした。

 一人称視点でこの物語は始まる。

 キャラの名前は【ウォズ】という。元から語部の役割を果たしていたキャラのようだが、登場人物として世界にキチンと影響を与える存在のようだった。あと、結構辛辣なことを本編主人公–––【常磐ソウゴ】に思っていた。

 

「今のベルトってやっぱりうるさいんだな……」

 

–––ギンギンギラギラギャラクシーって……

 

 特徴的な音声に驚きながらも僕は読み耽る。バトル物としても、タイムトラベル物としてもクオリティは良い部類じゃないかと思う。

 タイムトラベル物特有の複数の時間軸が絡む展開を噛み砕きながら読む途中で、吼月くんが疲れから身じろぎしたりするので僕は思わず尻を叩いたりもした。

 赤くなっている彼の尻を見下ろして、ニヤッと意地の悪い笑みを浮かべてしまう。

 バトルに関しては、未来を確定させるノートVS時間逆行を駆使した異能力バトルで楽しめる内容だった。

 敵の正体であったり、ウォズの見つけた答えなど見どころも沢山あった。

 あと、時折吼月くんが口にする「なんか、行ける気がする」というフレーズが最後に出てきた。小説がお気に入りなのも合わせるとジオウ自体彼が好きな作品なのだろう。

 

「面白かった」

 

 読み終えてタブレットの時計を見ると、読み始めた頃から数時間が経過していた。

 吼月くんを見下ろすと顔が真っ赤に染まったまま、微かに腕がぷるぷると震えている。

 僕は彼の脚を優しく数回叩く。すると吼月くんが首だけこちらに向けて振り返る。

 

「ん?」

「いいよ、喋って」

「はぁ……疲れる……」

 

 喋る許可を出すや否や、盛大に疲れを吐き出した。

 

「何を読んでたんですか?」

「ジオウ」

「え、どうして?」

「キミのお気に入りに入ってたから」

 

 瞼をパチクリと動かしながら戸惑った様子の彼に僕は続ける。

 

「この作品、面白いね。キャラもストーリーも面白い。王宮の描写がじっくり書かれてたのは著者の趣味?」

「うん。下○さんは城とかに詳しい人みたいだし」

「あと時間ものへの文句とか思わず吹いちゃったよ」

「……」

 

 思ったことをそのまま口に出す僕に、吼月くんは疑うような、それでいて気を遣うような視線を向けてくる。

 そして一度顔を伏せた後、そのまま僕に訊ねてくる。

 

「ねえ、どうだった? どこが好きだった?」

「さっきも言った通りキャラも話も好きだけど、一番はそうだね……」

 

 頭の中でまとめてから僕は応える。

 

「今の自分に向き合って、真剣に生きることが自分の意義に繋がるって作風かな」

 

 なんというか吸血鬼である僕らにも刺さるテーマだと思った。

 人間だった過去は消えてしまったけどその時本気で恋をしたから吸血鬼になって現在(いま)があり、その現在を楽しく真摯に真剣に生きることで不老不死という果てのない未来でも自分を見失わずに生きれている。

 

「『自分が一体何者で、どこから来て、どんなことがあったから、今の自分なのか? そのことに向き合い続ければ、そのうち未来は向こうからやってくる気がするけどね』」

 

 応えるように吼月くんが呟いた。

 それは小説の中で常磐ソウゴの叔父である順一郎が口にした言葉だった。

 

「うん、僕も好きだよ!」

 

 満面の笑みを鏡越しで浮かべる吼月くん。

 まるで自分の全てを僕に肯定してもらったかのような心地よさをたっぷり含んだ笑顔で、一瞬だけ僕は見惚れてしまう。

 僕に座られている状況でなければもっと良いモノに映ったに違いない。

 

「よくアカペラで言えるね」

「ふふっ! ジオウは僕の起源だからね!」

「それは言い過ぎでしょ。……たく」

 

 四つん這いのまま胸を張る吼月くんの頭を僕は無性に撫でたくなった。

 

「ちょ、待って……!」

「ダメだよー!」

 

 くしゃくしゃと頭を撫でていると、僕は同時に腹をさする。

 

「あとね、ショウくん」

「なんですか?」

「アップルパイが食べたくなった」

 

 別に腹が減っているなんてことはないのだけれども、心を刺激された欲望は止まらない。

 

「あるよ」

 

 彼は満面の笑みのまま返事をした。

 

 

「よいしょ」

 

 僕は彼のベッドに座り直していた。その横にはふたつのアップルパイを乗せた皿を持った吼月くんがいて、内ひとつを僕の前に差し出してきた。

 

「お召し上がりください」

「あ〜〜ん」

 

 口の前に迫ったアップルパイをひと噛み。

 サクサクとしたパイ生地にリンゴのしっとりとした食感が口いっぱいに広がる。咀嚼しながら味わいを楽しんでいると奥からバターの香りが現れて、口の中がより賑やかになる。

 口の中の騒がしさに反比例するように、心は落ち着き、穏やかになる。

 

「それにしても珍しいよね」

「何がですか?」

 

 口の中のアップルパイを飲み込むと僕は吼月くんに話しかける。

 

「ライダーにしろ戦隊にしろ、ヒーロー物ってキミぐらいの年頃だと、とっくに卒業してるもんじゃない?」

「そうだね。ウチの学校だと他に見てるのは理世しか知らないな」

「中学生ならそっち見るより○NE PIECEとかの方が多いんじゃない?」

「間違いない」

 

 吼月くんは小さく頷いた。

 

「ただ僕はライダー見始めたのが四年前なので。ジオウが始まる少し前からなんだけど」

「ビルド?」

「そうそう。日曜日の朝だけは自由だったからさ、ある日隠れてテレビをつけてね……まあ色々見てたんだけど、○NE PIECEの方は原作を基にストーリーが何年も続いてるから、前の話を見てなきゃ分からなくてハマらなかったんだよね」

「ああ。確かに一年ごとに作品が変わるライダーとかの方がとっつきやすいか」

「再放送やDVDがあればそっちにハマってたかもね。漫画の方は完結が近いらしいから終わってから読んでみようと思ってるよ」

 

 見ない人の常套文句を聞きつつ、僕はそちらにも手を出していないなと思った。ミドリちゃんなら貸してくれそうな雰囲気はあるので訊いてみようかな。

 

「ジオウって面白いの?」

「僕は大好きだけど、強いて言うなら宇宙への旅と同じかな」

「というと?」

「放送されてた時期が平成の終わりで令和の始まりなんだよ」

「4年前だからちょうどその頃か。当時の雰囲気だからこそ味わい深いタイプの作品?」

「うん。それに映画になると元号を使い倒すから。放送が終わってから知ったけど、天皇が生前退位だからできたところもあるし、ホントに色々偶然が重なってできた作品だよ」

 

 元号を使い倒すってなんだ?と首を傾げる僕に彼が問う。

 

「それにしてもハツカ様がビルドに興味があるなんて知らなかったです。なにかキッカケでも?」

「キミと倉賀野ちゃんが良く言ってるらしいじゃんか。ベストマッチだって」

「……まさか、それで?」

 

 吼月くんは驚きと迷いの混ざった顔で僕を見つめる。

 

「それは嘘? それとも本当? 無理に合わせなくていいんですよ。ハツカ様はそんなことせずとも–––」

「ハッ。僕に気を遣わせるほどキミは偉くないだろう。第一、面白くなかったら話題になんてしないんだよ」

「……確かに」

「でしょ? アップルパイちょうだい」

 

 コクリと彼は考え込むようにして小さく頷くと、アップルパイを差し出してくる。一口頬張って、美味しくいただく。

 

「ひとつお聞きしたいのですが、ハツカ様はどのあたりまでビルドをご視聴なさったのですか?」

「もぐもぐ……っ、ラビタンのトゲトゲ泡あわ版が出てきたところ」

「間違ってないですけど……せめて炭酸とか……」

「それなら普通にスパークリングって言うよ」

「なら初めからそう言いなよ」

 

 僕の喩えにもう少しいい例えなかったのかと訴える吼月くんは、肩をすくめたあと重ねて訊ねてきた。

 

「それで冬映画は見ましたか?」

「いいや。え、映画見ないとその先分からないの? というか冬?」

「万丈の精神面での成長がその映画で描かれるので、見ないよりは見たほうが良いかと」

「……見れる?」

「ありますよ」

 

 首を縦に振る吼月くん見て、僕は愉しくなってきた。

 面白いものをより面白く感じれるのはとても良い。僕を楽しませる素晴らしいことだからだ。

 

「なら一緒に観ようか。準備しよう」

「一緒に……一緒にか。いいんですか? 僕を椅子にとかは」

「好きなものが同じなのにひとりで観るなんて勿体無いことはしないよ」

 

 また、吼月くんは深く俯いて考え込んだ。

 

「どうしたの?」

「いいえ、なんでもありません。僕もハツカ様と一緒に見たいです」

「よろしい」

 

 次に顔を上げた時、彼の顔はまるで新しい発見をした科学者のような嬉々とした表情で僕を見つめる。

 僕はまた頭に手を置いた。

 人間大の猫の鳴き声が部屋の中に溶けていく。

 

 

 とても……とても愛らしい。

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