桜の咲く季節で、決めつけられない自分の着たいものを羽織って外にいる。見上げれば、茂る桜色の花弁たちが枝にずっしりとまとわりついて曲線を描かせながら垂れている。そんな桜並木の下を歩きながら桜越しによく映える星空を眺めている。この風景も見納めかもしれない。
少し前まで中学三年だった。
勉強して、神社でお参りもしたし、試験も無事合格。
中学校は卒業式を迎え、後数週間もすれば高校生になる。
やりたいことがあるわけじゃない。
気合が入っているわけでもないし落胆しているわけでもない。自分が少し変われるかも、変わったかもと思えている。
「……女子校かあ」
私は女子だが、男子といた方が気が楽だった。
小学校のときから女子より男子とスポーツや駆けっこをして遊んでいたのもあって、つい最近まで他の女子生徒と話していると内心ギャップを感じていた。
きっと一年前の自分に会って『アンタ、女子校行くよ』と言っても『なに言ってるの?』ぐらいにしか思われないだろう。私だってそう思う。
何故だろうか。
女子っぽくなりたいから、
なんて理由はない。
素直な話、男子っぽい女子っぽいはよく分からない。
時折メイド喫茶のミドリさんって人に連れ込まれてコスプレをさせられることがあるけれど、いまいちピンとこない。可愛らしい服を着ていても、良いんじゃない?ぐらいだ。逆にサラシを巻いてスーツを着せられたりもするがコレもしっくり来ない。
表面的な部分で理解できていないのだ。
この無理解がずっと続くもんだから、周りに倣えばいいだけなのに溝がある様に感じていた。
転機はきっと……一年前の冬だろう。
「あ」
考え事に顎を引かれ、視線を前に据えると公園が見えた。桜が囲う公園の中。その先にいる人影と地上から湧く揺らめく灯り。甘い甘い砂糖の様な香りもやってきた。
灯りと甘味な気配に招かれて中に入ってみると、見知った相手が公園で一番大きな桜の木の下でキャンプ用の椅子に腰を下ろしていた。
「……コウ?」
「あれ、アキラ」
声をかけると、私と同じく桜と空を眺めていた相手は首だけ回して振り返った。
夜守コウ。私にとっての二人の親友、そのうちの一人は奇遇だねと言わんばかりに目を丸くする。その手にはマシュマロを刺した串を持っている。
コウは不登校だった時期もあったが、本人の学力と当時担任だった澤先生の尽力もあって街の偏差値の高い学校に推薦枠で合格した。本人の希望の学費が安いところを満たした。
そんな彼の足元には焚き火が夜の静寂を壊さない細やかな破裂音を鳴らし、その上の網テーブルにはマシュマロを刺した串が四本置かれている。
なにゆえ公園でマシュマロ?
なにゆえキャンプ?
無事卒業の祝杯?
七草さんが飲んでるみたいなちっさい酒はないみたいだけど。
「なにやってるの」
「なにって……花見?」
「侘しいやつ」
「うるさいなあ」
照れ隠しみたいに顔を逸らしてマシュマロを頬張った。四つも一気に食べて胃もたれしないのだろうかと思っていると、コウはポツポツと口からこぼし始めた。
無論、マシュマロではない。
「……ほら、ナズナちゃんいなくなったの去年の冬だったじゃん。別れる前にキャンプはしたんだけど、花見はしてないなあ……って」
けれど同等に甘くて苦い恋話。
絶賛長距離恋愛中の親友は寂しそうな目に星空を映しながら呆けている。以前の弟のような面影はやはりない。
「……」
「なに」
なんか。うん、改めてスッキリした感じがする。
「だから桜を見ながらソロキャン?」
「悪いの」
「……コウって思ったよりロマンチストだよね」
「マヒルくんに似たのかもね」
「恋人と一緒にこの世を去るのはロマンがあるのか、それとも傲慢なのか」
「こっちからすると傲慢以外の何者でもないよねえ」
「お酒、呑みたかったね」
「花見酒だっけ。ニコさんたちがやってたな……」
コウは、『僕らも』と繋ごうとしてやめた。
その先はタラレバでしかないからだ。
こちらがどう不満を持っていたとしても、もう居ない親友には文句は言えない。傲慢でもやり切ったものこそ自由なんだ。
「私も一本もらっていい?」
「いいよ」
コウが串を一本手渡してくれる。
3本に減ったマシュマロ串を見て、マヒルと星見さんと……それと七草さんも揃って食べれたら良かったのに、と思ってしまう。タラレバでも思うくらいの権利は残っている。
網目状の焼き目がついたマシュマロをひとつ口に運ぶ。焼かれた砂糖の香ばしさが口の中に広がったあと、その奥にあるふんわりとした甘さが舌の上で添い寝するみたいに佇んでいる。確かにコレは座り込んで桜を見るにはちょうどいい。
焚き火が薄明りで照らす桜を綺麗だ。
「なんだっけ、桜の花言葉」
「なに、突然」
「いや小学校の頃にマヒルが教えてくれた気がするんだけど」
「……高潔?」
「それは菊じゃなかったっけ」
「菊は長寿と幸福じゃ……」
「……」
「……」
さっとふたりでスマホを取り出して調べ始める。
「花言葉って種類多くない!?」
「多いし、被ってるのもあるよね……」
「色でも違うとかなんだよ! 統一でいいだろ!?」
「そこはほら……印象の違いだし……」
「マヒルくん、よく暗記してたよね」
「ね」
結論として桜の花言葉は《高潔》《精神美》《優美》である。基本的に美しいものを想起するときの言葉らしい。
私にとって身近なものもあった。
《豊かな教育》だ。
春に明確な終わりと新たなスタートを切る子どもにとっては、なるほど、と相槌を打ってしまう。それが大人が想定しているものかは分からないけれど。
「なんか俺の顔についてる?」
「いいや。コウも変わったよね」
「まあ……去年とか色々あったしなあ」
「あったね」
コウが今は遠く離れた想い人、七草ナズナが好きになったと伝えてきた時は胸のなかの何かが軽くなったのを覚えている。
軽さが良いものか悪いものか分からない。
少なくとも今は悪くない。
「七草さんからは連絡ないんだよね」
「……まあ」
「で、探偵さんの家には通い続けてると」
「はい」
「ストーカー」
にやりと笑いながらマシュマロをまた頬張ってから言うと、コウは『はあ!!』と椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「全くもって恥ずかしくない行いですが!? ナズナちゃんが心配で探すことのなにがストーカーなんですかァ!?」
「いきなりめっちゃ吠えるじゃん」
「だいたい俺たちは両思いであって、ストーカーみたいに……」
「分かってるよ」
ぶつぶつと濁流のように絶え間なく続きそうな反論を押し切って肯定する。
「何人も何人も眷属にしてようやく恋を成就させた
「ふむ」
「ずっと追いかけっこできたら、それこそ永遠の愛ってやつなんじゃないの」
コウは矛をおさめると少し考え込んでから、思いついた様子で彼は言った。
「もしかして、数回会いにいってしばらく音沙汰なくしたら向こうから来てくれるのでは」
「……なんでそんなことを」
「こっちの恋心がなくなったって早とちりしてくれるかもだし」
「どっちにもメリットないじゃん」
「いや………ある、だろ………」
碌なことじゃないんだろうな。
「なに」
「寂しがってるナズナちゃんが見れる」
「ごちそうさま」
二本目の串を手に取って、刺さっているマシュマロ全てを一息に喰らって目の前の特上の甘さから逃れる。
言う決心したコウも、やっぱり言うんじゃなかったと、焚き火同様に赤くなった頬を口ごと片手で覆っている。天晴れなほど清々しい赤だった。恥ずかしくても否定したかったのは、生み出すものがないという提言を面と向かって言われたのが気に食わなかったからだろう。
きっと、七草さん本人に言ってやりたいことでもある。
たとえお互いの生死が関わっていたとしても。
「でも本当に探せるの?」
「そこは頑張るから」
「ノープランなのね」
「……でも恋はそれくらい無謀な方がいい」
腹を括った声がした。
彼は桜の木の下に入って、その太いがっしりと折れることがないであろう幹に手を這わせながら言う。
「ナズナちゃんが言ってたんだ。『恋愛なんてギャンブルはまともな奴はやらない』って、だから俺はマトモなんかになるつもりはない」
コウが散る桜の花びらを見つめ、ふたりして黙する。
沈黙の中で思う。
私に未来でやりたいことはない。
きっと今どき明確な夢を持っている子供の方が珍しいのではないだろうか。
「……」
私は手に持った、なんでも刺せてしまいそうな鋭い串の先を見る。
遠い未来のことなんてわからない。
コウたちがどうなるかなんてそれこそ本人達すら分からない。
ひとつだけ分かるのは、今のことだけ。
「ナズナちゃんも桜、見てたらいいな」
「見てるといいね」
コウが沈黙を破るまでには十分時間があった。
寂しそうで、それでも温かい笑顔を見てから私は歩き出す。
「私はそろそろ行くね」
「えっ、まだマシュマロあるけど」
「いいの。ふたりの時間を邪魔するのも悪いし。ほら、串返すわ」
「あ、うん………なんだこのカスは」
コウは肩をすくめながら桜の木に背中を預けた。
「じゃあね」
公園を出ると、風が一陣吹きつけた。
桜が綺麗に散っていく。まるでスポットライトを当てるみたいに、こちらの意思を導く。
瞳が、感情が、風の向くまま進んでいく。
軽くなった足取りはどんどん歩き続ける。
「……なら最後までやり通しなさいよ」
振り返らず、私は祈る。
桜の花言葉はもうひとつ。
☆
そっと手のひらに触れるとザラりとした木の皮の感触。
故郷では今頃、ここよりもはるかに立派な桜が咲いているのだろう。見てみたかった。
ふたりで見ていたかった。
淡い桃色の木の傘の下で、いつかを願う。
いつかはない。
恋は呪いだ。
我々に取って、死を意味する想いであるかぎり、呪いが解けることはない。
「会いたいな……」
もしも、彼が遠い星空の下で同じ思いをこの木に託していたら、理想は叶う気がする。
きっと桜が導いて、
☆
快晴の空は文字通り雲ひとつない。
澱みなく声を彼方に届けてくるそうな青空で、子供達ははしゃぎ倒している。父親母親も引っ張られ、あせくせと子供達とともに公園の中を走り回っている。
それは鬼ごっこの最中のことだった。
「あー、相合傘!」
「タッチ」
「ずるいっ!」
「立ち止まってる楓が悪いんですー」
膨れる娘を宥めながら、見つけた相合い傘とやらに車椅子に乗った母親は目をやった。
桜の木の幹には傘のマークとそこに集うふたりの名前が彫り込まれていた。
「桜の木に相合い傘かあ。古風な子もいたものね」
「このコウってヒトとナズナってヒトが付き合ってるのかな」
「どうだろうね。でも、桜の花言葉は『私を忘れないで』だから……きっと、遠くで思い合ってるんじゃないかしら」
「かわいいー!」
「そうね。桜にしたら未練がましい解釈かもだけど、その方がいいわよね」
桜には生への執着がないと言われている。
それは桜の散り際からくる意味合いだが、それを使うのはヒトだ。ヒトはあっさりとした死に際ではない。突然の死が来たとしても、それを受け入れはしない。
そして人の想いは晴れやかであるほど良い。
「おーい、何してるんだ」
愛してみせようと誓った気怠げな声がした。
そして今宵、愛した声になる。
健やかなる身体で彼への愛を。
きっと、理想は叶う。
願い続けるかぎり、理想は叶う。