よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第六十二夜「先っぽだけ」

 アップルパイを食べ終えた僕と吼月は、映画を観るためテレビがあるダイニングへと場所を移していた。

 僕は既にテーブルの中に仕舞われた椅子を引き出して座っている。ただ置いてある椅子が一つしかないもんだから、吼月くんは自室にある物をこちらに持ってきている。

 

 なぜ椅子が一つしかないんだ?

 父親が全く帰ってこないから。

 

 これが繋がるのは分かるのだが、それでも一人分しか買ってないのはおかしいだろ。押し入れにもう一個ぐらい入ってたりしないのか。

 

「ファイナル見るの久しぶりです」

「玩具は持ってないのにディスクは持ってるんだね」

「映画だけでも金を落としておきたいし、メイキングも付くから買って損はないので」

 

 ディスクをBDレコーダーに入れて、リモコンをウキウキと操作する吼月くんを尻目に、僕はもう一度、ダイニングと居間を見渡した。

–––……やっぱり見当たらないな。

 母親が亡くなっているならば、当然あるはずの仏壇が置かれていないのだ。仏間も床の間も見当たらなかったので、僕らの目の前にあるガランとした居間に鎮座していても良いはずだ。

 

「あのさ、ショウくん」

「どうかしましたか?」

「僕もキミのお母さんの仏壇に挨拶したいんだけど、どこにあるの?」

「……え?」

 

 当たり障りなく訊ねてみれば、吼月くんはキョトンとして……仏壇の存在をたった今思い出したと言わんばかりの顔をする。

 まるで仏壇の存在を知らないかのような無垢な疑念が彼の中に湧いているようにすら思えた。

 

「あぁ! 仏壇だけど(ウチ)の問題でないんですよ」

「宗教上とか?」

「考え方の相違です。とはいえ仏壇なんて要らないですよ」

「……なんで?」

「だって僕はずっと大切に思っていますから」

 

 おおらかに笑う彼の言葉は違和感がある。

 

 自分の気持ちが分からないと、信じられないから、信頼の証が欲しいと言っていたキミが断言するのか?

 

 それこそ仏壇を置き、毎日手を合わせている方が吼月くんらしい。もし仏壇がなかったとしても写真立ての前に線香を焚くなどやりようは幾らでもある。

 大人の意見に容易く従う彼ではないのだから。

 

「そろそろ始まりますよ! 暗くしますね!」

 

 ここで話は終わりだと言わんばかりに吼月くんは椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がった。

 手を伸ばしてダイニングの照明から垂れる紐を引っ張る。カチっと小さな音と共に僕らを暗闇が包み込んだ。

 明かりとなるのは窓を覆うカーテン。その隙間から差し込む月明かりのみだが、今日は晴天だったのもあり映画を見るには丁度良い光量だった。

 映画が始まり、東映作品特有の高波荒れる海岸に企業ロゴが表示される。

 吼月くんは既に映画の世界に没入している。

 僕もテレビの方へ顔を向けている。けれども向いているだけ。

 見ているのは月明かりに照らされた彼。あどけない微笑を浮かべながら映画を楽しむ彼はどこにでもいる中学生にしか見えない。

 

–––でも、もっと他人とは違うなにかがあるはずなんだ。

 

 明らかにはぐらかされたことで僕の中に渦巻く疑念はより濃く、確かな方向性を持って彼に向けられていることを自覚する。

 そして疑念よりも強い感情、喉の中にまとわりつく気味の悪さを僕は強く感じていた。

 帰ってこない父親。仏壇すら置かれない母親。殆ど空っぽな家。妙に私生活に関する本が多いタブレット。

 

–––もしかして育児放棄(ネグレクト)か?

 

 その可能性も大いにあるだろう。

 とはいえ吼月くんは中学生だから身の回りのことは彼自身に任せていることだって考えられる。帰ってこない父親だって仕事が夜勤なだけで、昼間には帰ってきている可能性だってある。吼月くんの事を考えると、父親が吸血鬼で、その実力からホストをやっているなんてこともあるかもしれない。

 この家庭に疑念を抱きはするけれど、吼月くんが他人(ヒト)に怯えるようになる原因があるようにはまだ思えなかった。

 それでも異質なこの家庭に目を張る必要はある–––僕にはその確信が有った。

 確信を抱いたその時、映像がピタリと止まる。

 

「さっきの仏壇の話、考え方の相違はホントですよ」

 

 吼月くんはビデオを止めてこちらに顔を向けた。

 

「僕と違って、オジさんは前に進むために忘れたいらしいので」

「……簡単に忘れられることなの?」

 

 仮にも奥さんだった女のことを易々と忘れられるとは僕には思えない。

 自分の中にあったその人のためだけの椅子に座ることができる他人なんて居ない。忘れたくても忘れられない。僕らみたいに記憶を失っていかない限り、椅子ごと無くすなんてできやしない。

 それが良い記憶でも、悪い記憶でも。

 その記憶の名残である吼月くんだっている。

 けれど吼月くんは首を横に振って否定した。

 

「忘れられるよ。思い入れなんてないですから」

「仲悪かったの?」

「言ったでしょ。無いって」

「でも結婚してキミを産んで」

「形だけね。オジさんに聞いたけど家の都合での結婚らしいから、大した愛もなかったらしいよ」

「……」

 

 二言交わして僕は遂に押し黙ってしまった。

 家の都合での結婚。ドラマなどで時折見る政略結婚が近しいのだろうか。今の時代にもそんなことがあるのか。

 それでも、キミぐらいは愛されているじゃないか––––と浅はかな僕の想像はやはり封殺されることになる。

 

「僕も偶々当たって親に言われただけで、堕した方が正解だったって言われたよ。元々分かってたから何も思わなかったけど」

「本当なの……それ?」

「ボイレコあるけど聞きます?」

「いいです……」

 

 気にする様子もなく語る彼の声色は、こちらが注意していなければ左耳から右耳へすり抜けてしまうほど自然で、まるで言葉を夜風に擬態させたかのようだった。

 心残りなんて感じさせない彼を見ていると、作り話なのではと疑いたくなってしまう。

 だが、この状況でわざわざ自分から嘘を語る必要なんてあるのだろうか。嘘であれば、いずれバレると彼なら悟るはずだ。

 僕がいまやるべき事は話を疑う事でも、この話を追求する事でもない。

 

「そんな家族もいるよね。ニコちゃんも似たようなこと言ってたし」

「ハツカたちと違って、歳食っただけの馬鹿なんていくらでもいますから。あんなのに何かを期待する気も起きないし」

「だろうね。不出来な親と違って僕はキミのこと愛してるからね」

 

 吼月くんが無色の顔を上げて僕を見る。

 この意思に嘘はない。

 親吸血鬼になればどの吸血鬼も基本理解するが、眷属には本人なりの愛情を向ける。セリちゃんやミドリちゃんならば友愛になるだろうし、七草さんだったらそれこそ恋愛になるかもしれない。

 そして……僕は親愛だ。

 

「なに言ってるの?」

 

 月明かりの青白い光が脳が理解せず答えが出せないでいる無表情な彼に色をつける。

 嘘だと疑うよりも前に立っている。本当に親子愛を感じたことがないのだろう。

 

「僕はキミの親になる存在だよ? キミが困ってる人を当たり前に助けるのと同じように、僕だって親として自分の眷属(子供)を愛しているさ」

「いや、待て! ペットとしてだろ!? 親愛じゃなくて愛玩じゃん!」

「ペットとしても可愛がるけど、親としてもキミの面倒を見るさ。それともなにかい? 僕が両立出来ないとでも思っているのかい?」

「両立できるできないじゃなくて、ハツカとはダチに成りたいと思ってるし……」

「僕の眷属になる時点で格付けは決めるのだよ! キミは僕の子供になるのさ!」

「だからなんで眷属になる前提で話してるんだよ!?」

 

 彼が心の中で親への求愛がなく、無色ならそれで構わない。

 その空白に僕色をどんどん重ね塗りして、キミの心の中に夜のような鮮やかな黒を、決して消せない黒を作り出してやる。

 

「キミだって分かってるんだろ。眷属になるということは親子の性質を吸血鬼への転生という形で得ることになる。眷属になった当初は恋心を抱いていても、いずれ人間の頃の恋慕は無くなっていく。

 だから、残るのは親子としての繋がり、そして友達やペットという在り方だ」

 

 親離れをして10年後、友達として再開する吸血鬼たちもいる。

 逆に僕のようにずっと周りを囲わせて人間の頃からの関係を持続させる吸血鬼たちもいる。

 

「キミが望めば、僕はキミの親にもダチにもなってあげられるよ。もちろん飼い主としてもね」

 

 吼月くんの言う、ダチになる事は眷属になった後にも出来ることだ。

 それに彼の、人を信頼したいという願いも、吸血鬼(僕ら)になることでより実現しやすくなる。なんせ人を落とすことを生業とする吸血鬼なのだから、生きていけば何故人を信頼できるのかぐらいは容易く見つかる。

 少なくとも人間として生きるよりはそのことに敏感だ。

 じっと見つめ合うと、吼月くんは目を伏せる。

 

「ばーか。そんな甘言で『じゃあ眷属になります』なんて言うわけないですよ」

「なんだ、残念」

 

 次に目を開いた時には、鼻で笑い、いつもの生意気な態度を見せつけるかのようにして肩を落とした。

 こんな理屈で簡単に折れてくれるなら、もうとっくに眷属になる決心もつけただろう。ダチという–––多分、恐怖心を克服した間柄ってことだと思う–––関係が常に対等である必要があるかは、甚だ疑問だけれど。

 

「でもこんな状況なのに、人間のままでいる必要あるの? 倉賀野ちゃんとの記憶が無くなるのも嫌だったりするの?」

「その気になれば会えるだろうけど、やっぱり理世が覚えるのに僕が覚えてないって嫌ですよ。昼間の飯が食べられなくなるっていうのもあるし」

「前から思ってたけど、ランチよりディナーの方が手が込んでて美味しくない?」

「ランチ限定のメニューもあるでしょう。それに–––」

「それに?」

「やらなきゃいけないことが残ってるから」

 

 僕は首を傾げながら聞き返す。

 

「やらないといけないこと? それが終われば僕の眷属になってくれるの?」

「だからならねえって」

 

 吼月くんは少し言いにくそうにして、唇を離したりくっつけたりしてまごつくのを数秒繰り返したのち、ようやく話し始める。

 

「ほら、高台に星を見に行った時に言ったでしょ? 厄介ごとがあるって」

「え、ええっと……ああ、そんな事言ってたね。園田さんとは別件って」

「万が一にもハツカに恋をしたとしても、眷属になる前にそれだけは片付けないといけないから」

 

 人間を辞められない心残りになるもの。

 家族との関係以上に心残りになるもの。

 自分が終わらせないといけないこと。

 眷属になるための禊ぎとしてやること。

 なんで中学生の男子がそんなものを抱えていないといけないんだろうな。

 

「それはキミだけで解決できる事なの?」

「あと一手で詰みまで持っていける。最低でも半年で終われたらいいなと思ってる」

「なら僕が出る幕はないかな」

「うん。逆に出てくると面倒なことになる」

「酷くない?」

「だって神崎のやつ、僕が夜遊びしてるなんて知ったら家の前に張り付くだろうし……」

「神崎って誰だよ」

「園田ニコの会社の案件を担当した弁護士」

「この間の一件の」

 

 この子、ホントよくわからないツテを持ってるな。

 僕の知らない吸血鬼ともいつのまにか協力関係になっているし、必要な相手と手を結べる運とコミュニケーション能力は評価するしかない。コミュ力は……立場を利用したものだから、繰り返して使えないけれど。

 

「オジさんの旧友でさ。僕の親代わりの人だよ。根はいい人だし、弁護士としては間違いなく正しくて善人なんだけど……ちょ、いやだいぶ面倒くさい人でね……仕方ないんだけどさ」

「弁護士ってだけで面倒くさそうだね」

「六法全書を覚えるのに心血を注ぐ変態たちの集まりだからな……あ、これは神崎の後輩が言ってた言葉ね」

「自覚あるのか……」

 

 吼月くんは「にゃはは」と猫みたいに目を細めて笑う。猫耳カチューシャをつけたままなのが猫らしさを底上げする。笑う時に頭が揺れると、本当に猫耳が生えているかのようにピコピコと動く。

 

「そんなわけで僕は人間の内にやらなきゃいけないこともあるし、眷属にならない理由もあるのだ!」

 

 彼は笑顔のまま宣言して、テーブルに置いたリモコンを手に取った。

 

「これで憂いなく映画を楽しめるだろ?」

「ありゃ。やっぱり気を遣わせたかな?」

「気を遣わせたのはこっちもだから。おばさんたちのことなんて忘れて映画見よ、僕もハツカと一緒に楽しく観たいし」

「ふふっ、くるしゅうない」

「なんだよその言い方ぁ。それじゃあ始めるぞ」

 

 ポチっと。映画の中の人々が再び動き出す。

 それを僕らは静かに見つめて、時には心を熱くして盛り上がる。

 偶には男同士でヒーロー物を観るというのも悪くないと思いながら–––いまの吼月くんは女の格好だけど–––感情の起伏を月下の元に晒している。

 

 映画を見ている間は驚きの連続だった。

 なんせ僕が見ているは【ビルド】という作品に登場するライダーだけなのだが、この作品にはたくさんのライダーが登場する。

 デザインは……先ほどの顔面に仮面ライダーと描くジオウが居たからまだ納得でき……まあ、出来たけど、それ以外も驚いた。

 喋るバイクが序盤に出てくるので、人工知能でもついているのかと思えば、

『仮面ライダーだよ。人がバイクになるキャラ二代目だ』

 ふたりもバイクになるライダーがいるのかと目を丸くした。

 中盤に進めば、クロスオーバー作品らしく過去作キャラもどんどん出てくるのだけれど一人だけ軽く別世界に移動してるキャラがいて、誰だよ!?って驚けば

『神様だよ。今は地球を離れて別の星をテラフォーミングして暮らしてる』

 仮面ライダーってそんな惑星間の話だったっけと昔に思いを馳せてみたりした。

 そして敵の目的が別次元の地球を衝突させて、双方の地球にいる自分と合体して不老不死になることだと明らかになる。なぜ、そんな超理論に辿り着くのかと訊けば、

『ライダーの世界だからね。未来のアイテムを使えば時を止められるし、平成ライダーの力を19個集めれば古墳が現れる』

 もはやなんでもありだなと僕は一種の境地に達した。

 

「おもしろ……いや疲れ……でもやっぱ面白ろぉ……」

「楽しんでもらえたなら良かった」

「でも凄いジェネレーションギャップを感じたよ」

 

 見終わった頃には僕は情報量の多さに打ち震えて、グデっとテーブルに身体を伏せていた。

 ストーリーが煩雑になっていたわけでもなく、勧善懲悪を主軸とした物なので理解しやすかった。作品自体が異なるので個々のキャラが抱く思想は当然異なるが、それでも向かっている先は一つなのもヒーローものとして良い。

 手が届くなら人を助けると謳う旅人。ダチを作り続けるために世界を守る教師。人間の可能性を信じる住職。誰ひとり見捨てないという神様。患者の笑顔を取り戻すドクター。そして愛と平和の科学者。

 そんな人たちと冤罪をかけられた人間(万丈)が接すれば、精神的に成長するのも理解できる。

 実際関わる人や環境っていうのは本人の精神面に大きく作用するものだし。

 

「ショウくん、ショウくん」

「どうしたんですか?」

「ベッドまで運んで」

 

 ジタバタと手脚を動かして駄々をこねて頼んでみる。

 それを見た吼月くんは目を細めながら言う。

 

「僕のお布団なんですけど」

「一緒に寝ればいいじゃん」

「な……一緒って……ハツカだし問題ないか。二度目だし」

 

 問題ないという割には狼狽えながら、自分の耳朶を指でいじり出す。観るからにもっちりとした耳朶が潰れては膨らむ。それを繰り返すのちに吼月くんは平静を取り戻していく。

 彼には僕はどんな風に見えているのだろうか。

 男装麗人? それとも眉目秀麗な美少年?

 どちらにせよ、同じベッドで夜を過ごすことに支障はないというけれど、間違いを想像するほどには僕のことを意識しているのが確かだ。

 落ち着きを見せた吼月くんが腕時計に目をやる。

 

「もう4時だし、せめて2時間は寝たいな」

「1日ぐらい休んじゃいなよ」

「ずるずると落ちちゃいそうなのでやりません」

 

 対面に座っていた吼月くんは立ち上がると、テーブルを回り込んで僕の傍へとやってきた。

 

「脚を伸ばしてください」

 

 言われた通りに脚をピンと針金のように伸ばせば、膝裏と肩に手を回して僕を抱きかかえる。彼を椅子にした時とは違って、がっしりと支えられ落ちる気配はまるでない。身体が樹木になっているかのように体幹がしっかりしている。

 そうして、必然的に僕ら夜空を散歩するときとは真逆の立場になる。

 抱えられる側になって分かったが、相手の顔がよく見える。運ぶ側になるとある程度進路などを気にしないといけないから、相手の顔を眺める時間はそう多くない。

 見てみれば、吼月くんは–––男の子にしては–––大きな瞳を隠そうとする瞼を意識して持ち上げている。毎日僕と朝方まで遊んで、すぐに学校に行っているんだから不思議はない。

 器用に襖を開けて僕をベッドまで運ぶ。ベッドに沈み込むようにして降ろされる。ふっくらと柔らかい布団が背中を優しく包み込む感触に晒されて、そのまま小さな寝息を立ててしまいそうだ。

 足元で丸まっている掛け布団を勢いよく広げて被れば、ぬくぬくとした暖かさに全身の力を緩む。

 

「ほら、一緒に寝よ」

 

 身体を窓側に寄せてもう1人分のスペースを作る。シングルサイズのベッドなため僕の家のベッドよりも幅がキツく、一緒に寝るとなるとほぼ密着することになる。鼻と鼻が、互いの額が……なにより唇だって不意に繋がる距離だ。

 吼月くんも当然気づいて、耳朶を触っていた指が頬をつたって鼻に向かう。ピクピクと微かな香りも逃さんとする鼻頭を弄ると、顔を逸らしながら一歩後退(さが)る。

 

「キッチンの椅子で寝るからいいよ。ハツカはベッドを使って」

「さっきは別に良いかって言ったくせに。僕のくっつくのがそんなに照れるんだ。身体の中を僕で満たされるのがそんなに怖い?」

「同じベッドで寝たらハツカの香りを回避なんてできねえだろうが!」

「そんなに犬みたいなことしたかったの? ワンワンって言ってくれたらいつでも胸を貸すのに」

「ワンワンニャーニャー、て! 僕は小動物じゃないぞ!? あと俺は媚びてないからな!」

 

 悪態をつく割には少し潤んだ目と赤くなった鼻が僕を誘う。

 メイド喫茶でも思ったが、半分吸血鬼だからなのか他人に取り入るのが吼月くんは上手い。

 普段は少し陰が–––きっと親以外にも問題は–––あるのに加え落ち着きを見せる彼の元気溌剌な異端な姿。学校の子が見ればギャップ萌えすら感じてしまうかもしれない。

 僕がそんな想像の風に揺られて思考を巡らせていると、吼月くんが話を区切るように咳払いをする。

 

「それに……ハツカ様に少々お伝えしたいことがありまして。あ、窓少し開いてるから閉めて」

「分かった……それじゃ、聞こう」

 

 神妙な面持ちの彼に僕は胡座を組んで対峙する。

 

「鶯さんから訊いたのですが、血の味は初めて吸血されて日から一年過ぎると不味くなるようなんです」

「一年……それって眷属化できる間は美味しいってことだよね」

「察しが早くて助かります」

 

 つまり味の良し悪しは眷属化できるかできないかを味覚で感じるためのものなのか。

 以前夜守くんが探偵さんの血は不味いと言っていた。彼女の血を吸ったのは恐らく七草さんだろう。そうなると七草さんにとっては夜守くんよりも前にいた眷属候補……だった可能性もあるのか。

 

「なので、このままで良いのかなと思いまして」

 

 七草さんと探偵さんの関係に持って行かれていた思考を吼月くんの方へ戻して、僕は首を傾げて「はて?」と思った。

 

「美味しいから良いじゃん。結局は僕の眷属になるわけだし」

「ホント自信がすごいな……」

「それにショウくんは何年も吸血鬼になれてるんでしょ? 普通のルールはキミに適用されないと思うけど」

「僕は認めないんですよ。話の流れが悪くなるから合わせてるだけで」

「キミも頑固だな……」

 

 吸血鬼の臭いだってしたし、気配も–––人間のも混ざっているとはいえ–––吸血鬼のものと考えていい。

 いつものように信じられないのか。はたまた信じたくないのか。それはいま気にすることではない。

 

「つまり、これからは僕に好き放題マーキングされながら吸血されたいと、そう言いたいわけだね」

「……メイド服着たのもハツカ様が喜ぶと思ったからだし、僕はハツカ様専用の血液パックなわけだし。そりゃ味は僕の感情に左右されるとはいえ、シチュエーション次第ではハツカ様も興奮して更に美味しくなりますし」

 

 空腹は最高のスパイス。そんな言葉もあるくらいだし、自分の状態でも美味しく感じられるかどうか変わってくるのは理解できる。

 

「なら、興奮したり楽しくなるように吸血をお互いにひとつずつ考えてみる?」

「僕が言ったこともちゃんとやってくれるんですか?」

「うん。なにか案はあるのかい?」

「行き当たりばったり考えなし」

「ダメじゃん」

 

 吼月くんは良い案はないかと首筋を指でなぞり始める。綺麗で白い柔肌を這う指までもがどこか色っぽく見えて僕の食欲を刺激する。

 そんな僕の視線に気づいたのか吼月くんは指を見て、「あ。そうだ」と溢すと踵を返す。

 勉強机に近寄ると、先ほどノートパソコンを取り出したサイドワゴンの引き出しの中を覗き込む。そしてその中から何かを取り出した。キラリと鋭利な輝きを発するのはカッターナイフ。

 

「え?」

 

 吼月くんはカッターナイフの刃を左の人差し指に添えると刃を引いた。流れ作業のように躊躇いもなく行われた異様な手段に僕は身を引いてしまった。

 仕事を終えたカッターナイフの刃をしまい、勉強机に戻す。

 切り付けられた指からは、ぷくりと極小の風船が膨らむように血が出ている。その指を僕に突き出して、

 

「飲んでください」

 

 彼はそう言い放った。

 10秒ほど思考が凍結する。さらに数十秒、僕は差し出された食事に目をやって、ようやく溶け出した脳を動かしていく。

 指から流れ出す血を飲むのだ。

 どうやってかは簡単だけれど、とても僕の心を乱す行為。飲むためには僕が彼の指を咥えなければいけないのだから。

 吸血は食事とまぐわい。

 つまり吸血鬼にとって血を流す指を舐めることは–––一瞬、彼の股座に目を移す–––その行為に及ぶと考えてもいいものだ。

 ましてや、それをしゃぶるなんてことは……

 

「変態!!」

「え? いきなりなんですか。気持ち悪いな……」

 

 大声を張る僕に慄きながらも吼月くんは指を差し出すのをやめない。彼は血が落ちないように指を傾け、手のひらへと赤い筋を残して血が集まる。溜まっていく血を見て、僕は小さく咽喉を鳴らす。

 

「分かってるの? 僕に咥えさせるってことは口淫になるってことが……」

「そっちを咥えさせられるよりは顎が痛くならないから問題ないですよ。それに僕の血に喉を鳴らしてるじゃないですか」

「……!!」

 

 不味い。これ以上、血を見ていたら本当にしゃぶりたくなってしまう。

 目を逸らそうと意識するが、吸血鬼の本能が許さない。目の前にある美しいほどに澄んだ真っ赤な鮮血は、極上の味だと知っているからだ。

 思い返せば、脳が覚えこんでしまうほどに僕は毎日彼の血を飲んでいた。

 

「メイドがご主人様を見下ろそうとは良い度胸だねぇ……!」

「声が震えてますよ。お可愛いですね、ふふっ」

「この……っ!」

 

 頑張って反抗的な目だけは向ける。

 しかし、鋭くした眼すら今の彼にとっては微笑ましいものようで、愉しそうに更に指を突き出してくる。鼻先に真っ赤な血が添えられて、甘美な香りが鼻にまとわりつく。

 食欲が止められない。

 口の中に涎が溜まって、口の端から漏れ出しそうだ。

 

–––やるっていったのは僕だしね……

 

 あくまで良識の範囲内だろと言いたいが、吸血鬼との擦り合わせだから誤差があるのはどうしようもない。

 それに自分で口にしたことを反故にするのは主人としてダメだ。

 

「仕方ないね」

「ふふふっ。さあ……お舐めてください、ハツカ様」

 

 やっぱりこの子、楽しんでるな。

 僕はジッと彼のことを睨んでから、ようやく舌を出して指先についた血を舐めとる。溜まったいた唾液が指を濡らせば、それが潤滑液の役割を果たして血の流れを速くする。

 溢さぬように僕はすぐさま指を口に含んだ。クリームや果物をふんだんに使ったショートケーキのような甘美な味わいが口の中にじわっと広がる。

 この味は吼月くんの恥ずかしさや愉悦が色濃くが反映されている。

 彼を見上げれば、その頬は赤く染まっている。自分で言い出したことだけど、やってみると想像以上に恥ずかしいと味蕾から伝わってくる。

 

(か、可愛い……)

 

 僕を見下ろす彼の感情が伝わってくる。

 

(女王様なハツカも良いけど子犬みたいな今のハツカも可愛い……! これがギャップ萌えってやつか……!!)

 

 思考とはまた別の、感情だけが言葉を持って身体に流れてくるいつもの感覚。この僕がこんな痴態を晒しているのだから可愛いと思わずにはいられないだろう。

 

–––このぐらいでもう良いだろ

 

 意識して口を離そうとするが、舌がずっと彼の指を纏わりついて離せない。舌から伝わってくる甘美な味わいに口がすっかり虜になっている。

 まるで口にしてはいけない禁断の味を知ってしまったかのようだ。

 ついに僕は理性とは裏腹な行動を取ってしまう。

 口を窄めてドンドン奥まで咥え込み、指をストローにして血を吸い上げる。舌は絶えず彼の指を温め、とろとろに濡らして、血の流れを促進させる。

 

「ハツカ様、いますごくエッチな顔をしていますよ。猫耳をつけたらもっとエッチになりそう」

 

 吼月くんは自分がつけていた猫耳カチューシャを今度は僕の頭につけてる。頭上から微かな圧迫感がやってきて、本当に付けられたんだと理解する。

 その後メイド服のポケットからスマホを取り出す。そのレンズを僕に向ける–––映りを気にして反射的にピースサインをしてしまう–––と、

 

「はいピース」

 

 パシャパシャパシャと連続で撮影した。

 

「ほら」

 

 スマホの画面には猫耳をつけながら、美味しそうに指を口いっぱいに頬張る僕の姿が映っていた。それも無様姿を撮られるのが嬉しいかのように僕は顔の横でピースサインを作っている。

 今ここに僕の黒歴史が爆誕したのであった。

 身体が爆発したくなるほどの羞恥が僕に宿る。それを見た吼月くんの血の味が変化して、甘美だが、まるでタルトのビスケット生地のような香ばしい味わいになる。

 この子もあれか? 人を弄んで楽しむタイプか?

 そういえば山の中でも僕を驚かせて楽しんでたしな。

 

「……そろそろ抜いて(うあうあんんて)

「はい、お粗末さまでした。ハツカ様」

 

 舌ったらずな声で吼月くんに告げると、彼は僕の頭を軽く撫でたあと指を抜いた。

 足りなかった酸素を補給しようと肩で息をしながら彼の指を眼で追えば、口と指が唾液と血でできた橋で繋がっていることに気づく。

 精神的に老成している部分もあるのに、僕はその光景が堪らなく不埒に思えた。

 

「次はハツカ様の番ですが、どうしますか?」

「立ち上がってそのままでいて」

「え? わかりました」

 

 ベッドから立ち上がり、吼月くんの後ろに立つ。

 そしてその背中を思いっきり–––ゴン!

 

「おっ!?」

「よいしょ」

「ぐえっ!」

 

 突き飛ばしてうつ伏せになるようベッドに沈めれば、その上から覆い被さる。カエルを踏み潰すかのような様だが、不快感はまるでなくそれどこか快感すら湧いてくる。

 

「仕返し? いえば倒れるくらい……」

「突き飛ばすのが大事なんだよ」

 

 顔だけを動かしてこちらに振り向く吼月くん。焦りが滲んだ顔色は仄かに照れも秘めている。

 何故ならば以前僕の家でやったように動きを封じるような手脚、そして重心のかけ方はしていない。抜け出そうと思えばできる状態。

 つまりされるがままされているという事は、彼が僕に負かされたいと思っている証拠。

 

「それに僕だけ恥ずかしい思いをするなんて負けたみたいじゃん?」

「ハツカって意外と負けず嫌いだよね」

「そうだよ。でも僕に押し倒されるの嬉しいでしょ」

「嬉しくなんてないです」

「なら、血に訊こうかな」

 

 吼月くんは返しの言葉を紡がない。

 当たり、だね。

 

「そうだ。チューの件だけどさ」

「なんですかいきなり」

「キミは本気にしてないだろうけど、僕はしても良いと思ってるよ。ほら」

「……な」

 

 ポンッと茹った音が聞こえるように吼月くんの顔が赤くなる。

 それは何故か。振り向く彼の頬にそっと唇を添えたからだ。唇から伝わる吼月くんの体温を数秒味わってから、それを離す。彼の頬が僕の唾液でしっとりと濡れている。

 何が起きたのか理解できなかった彼は石になって固まり続ける。僕が血を眺めていた時間よりも長く固まる彼の頬をつつけば、ようやく現実を直視して動き出す。

 

「な、ななななに何やって!?」

「おねんねの挨拶だよ。良い夢見ようね」

「……。くぅ–––!!」

「にひひっ」

 

 一瞬でも変な想いが頭の中を過ぎったのだろう。

 思考の全てを吹き飛ばしてしまうほどの衝撃的なナニカが走ったのだと、その表情から見てとれた。

 

「そうそう。今日は右の首筋から飲むね」

「……何の意味が?」

「両の首筋に痕をつけておけばキミはおいそれと誰かに首を差し出さないでしょ?」

 

 これで完全にキミの首は僕のものだ。

 そう耳元で囁けば、ぶるんと彼の体が震えた。

 

「それじゃあ頂きます」

「あ、ああ……ぁぁぉぉぉぁああ〜〜!!」

 

 首筋に牙を立てて血を吸い上げる。

 そのまま覆い被さって一緒に寝てしまえるほど、僕は心地よい味わいを堪能した。

 仕込みは万端だ。

 

 

 

 

 そうして、僕らは共にベッドの中に入った。

 吼月くんはぐっすりと眠っている。

 最後の最後に手玉に取られてしまった不甲斐なさにシクシクと枕を濡らしながら、溜まっていた疲労と共にベッドに撃沈してしまった。

「僕は負けてない……負けない……」となんとも情けない寝言も呟いている。

 

「負けてるやつのセリフ……さて」

 

 そんな彼を僕は真剣で張り詰めた意思を宿した瞳で見据える。

 この時を待っていた。

 眠りについて夢の中に旅立ち、精神が無防備になるこの時を。

 

「ベゼルを回して……スイッチを押すだったな」

 

 士季くんは半吸血鬼状態の彼の血を飲んだ時、はっきりと過去を感じることができたと言う。

 ならば、今こそが彼のことを知る絶好の機会。

 日記はまた今度も見れる。

 今は彼の記憶を探る–––!

 

「過去の先っぽだけでも見れたら、大きな手がかりだ」

 

 意を決して口を大きく開き、先ほどつけた吸血痕に重なるよう牙を添えた。

 

 

 

 ドクン。

 

 嫌な鼓動が全身に波紋を広げた。

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