よふかしのあじ   作:フェイクライター

74 / 146
第5話 アクシデント
第六十六夜「成り行き」


 古臭い夢を見た。

 今となっては未来へと糧となった過去。

 不幸は幸せになるための対価だ。

 周りの人たちから底気味悪いと言わんばかりの視線を向けられ、オバさんからは殺されかけ、父親からは見捨てられた夢。これは夢であっても偽りではないと吼月ショウ()は知っている。

 周りが僕を恐れた理由は幾多か有る。

 一つの理由は間違いなく不思議な……他人にはない力だ。

 これはどうしようもないものだ。生まれついたものだから付き合っていくしかないと諦めはするけれど、周りの人間はそれで納得するほど出来た存在ではない。

『本当の敵は自分自身』なんて頭の中に腐ったみかんが詰まっている人が口にするセリフを時折耳にする。

 けど本当の敵はやっぱり世界だ。

 周りの人が不理解を貫いて、化け物だと罵りながら無防備なコチラを有形無形の刃で襲いかかってくればどうしようもない。僕も体質を口実に目を焼かれたり、食事を与えられなかったりなど肉体や精神を犯されることを幾度となく受けた。

 金銭や暴力。【暴】とは物理的でも言の刃でも構わない。それがある人なら自分だけで打開できるが、多くの人はそうではないだろう。

 そう考えると自分はまだ強い側の存在だったのだろう。

 紆余曲折あって、いまの僕は小森の街にいる。

 過去は辛いことではあったのだろう。

 今の俺には実感も湧かないし、なんだったら当時の自分も「なぜ?」と疑問に思いながらも自分の体質のせいだと納得していたから恐怖があったのかは覚えがない。

 でも、脳が軋むような感覚に襲われるのはきっと–––––

 

––––鼻腔を撫でる嫋やかな香りに強張った身体がほだされた。

 

 その香りは自分を着飾るための見せ掛けの香りではなく、本能が求めてしまう生物由来の穏やかな真っ白な香気を放っていた。

 いつもより嗅覚が鋭敏になっているのか微かな香量の変化すら察知できてしまう。安らぎの源が薄まればすぐさま補おうと意識がそちらに近づくし、相手から近寄ってくるなら躊躇わず受け入れた。

 できれば、ずっとこのままでいたい。

 

 

 ピロロロ……ピロロロ……

 

 

 現実というのは無常。

 無慈悲に鳴り渡る目覚まし時計の軽薄でデジタルな音で僕は目を覚ました。

 

「うっ……ううっ……」

 

 燦々と煌めく光線が薄く開いた瞼の合間を縫って目を穿つ。どうやらカーテンの隙間から木漏れ日が差しているらしい。

 一度瞑り直して、手庇を作りながら僕は目を開ける。

 

「ん?」

 

 寝覚めれば一面が黒く染まっていた。

 何故だろう。まだ夢の中なのだろうか?と疑問に思って、黒い塗りの視界をよく観察してみれば、それがシャツだということが分かる。僕の鼻先がシャツに擦り付いていて、どうやら心地の良い香気の発生源はここのようだ。

 分かったのはいいのだが、これは誰のものなのだろうか。

 考える必要もなくすぐに心当たりを見つけてた僕は視線を枕元へと動かした。

 

「スゥ……」

 

 匂いの持ち主はハツカだ。ハツカならいい匂いがするのも首を大きく縦に振って納得できる。

 ただ今の彼は寝つきが良いわけではなさそうで、綺麗なピンク色をした唇は固く結ばれていた。

 吸血鬼だから朝の日差しにやられているのだろうか?

 僕はハツカを起こさないようにそっとカーテンへ手を伸ばそうとする。

 

「あれ?」

 

 疑念を口にしたのは腕が動かなかったからだ。左肩から指先まできちんと動くし他の部位もきちんと動くにも関わらず、腕の大きな動作だけができなかった。

 どうやら何が僕の身体に巻き付いているようだ。

 ほんのりと温かいそれに目線を移すと、

 

「ショウくん……」

 

 どうやら僕はハツカに抱きしめられながら眠っていたようだ。

 吸血鬼の力なら動けなくもなるのも道理だ。気の狂った笑い声を上げてしまいたくなる事実に口を開けようとするが声が出てこない。

 

「あはは」

 

 やっとの思いで出てきたのも乾いた声は、まるで何日も飲まず食わずの喉で喋った時のようだ。

 だって、なんでハツカが僕に抱きついているのか全く理解できないのだから!!

 ボンッと破裂寸前の爆弾のように顔に熱が一気に溜まる。

 今にも溢れ出そうとする熱の源は動揺と少しばかりの興奮という2種類の火だ。先ほどまで安らぎを与えた香りは一転して心の平穏を奪い去っていく風となって、火の勢いを一際強くする。

 落ち着くためにはここから離れなければならない。

 けれどハツカを起こせば、熱を帯びた心を容易く読み取られ、したり顔を浮かべられるかもしれない。愉快そうに笑うハツカを想像すると敗北感が全身に広がっていく。

 それだけはNO!

 僕の反抗心が断固拒否している!

 しかし、その反抗心すら心の高揚をより鮮明に映すための火種となって冷静な心がどんどん燃えていく。残ったカケラほどの冷静さは一人相撲だと理解することに使われ、それもまた炎を大きくする要因となった。

 早く抜け出さなければ心が保たない。それに学校にも遅刻してしまう。

 

–––さて、どうしたものか?

 

 できるとしたら声をかけたり、より身体を密着させることぐらいだ。

 他にはあとひとつだけ手段はあるが、それはハツカの言葉を信じることでもあり自分の妄想を試すことになる。

 吸血鬼ではない僕には出来ないことだ。

 絶対に。

 考えを改めて、思いついたのは密着することだった。上半身が弓形に曲がって僕の顔がハツカの胸にくっついていたので、体勢を直して全身が擦り付くぐらい近づけば隙間が出来て、彼の腕から抜け出せるかもしれない。

 よし、と意気込んで少しずつ身体をズラしながらハツカに近づく。

 上半身にかかる圧迫感が弱まっていくにつれて脱出の確信が大きくなっていく。これなら上手く抜け出せると安心する。

 身体を動かすこと数分。ハツカを起こさないように動くとなると慎重にならざるえなかったので、時間がかかるのは仕方ない。

 それよりもハツカが全身が重なり合うほど近くにいることの方が問題だった。

 

「こんな優しい顔して寝るんだな」

 

 鼻先に触れるか触れないかの距離にハツカの顔に思わず息を呑んで見惚れてしまった。

 慈愛に満ちたその表情は、普段の冷静さ故のカッコ良さに内包された笑顔や愉快で楽しげに笑うモノとは別物だった。まるで心優しい親が子供を大切にしている時のような顔だ。

 まあ、愛情なんて注がれたことないから僕の妄想でしかないのだけれどね。

 それでも背中を押してもらった時よりも親しみと包容力のある雰囲気で僕を抱くハツカの姿にそう思わざるおえない。映画を見ていた時に彼が口にした言葉を思い出す。

『僕はキミの親になる存在だよ?』

 頭では吸血鬼の親と眷属の関係性を理解してしても、面と向かって告げられると心を締め付けられて取り乱してしまった。

 悪くないかもしれないという安堵と、ハツカの依存する生き方をしてならないという戒めが僕の中に湧いたからだ。それは僕にとって、ペットとして生きるよりも中毒性の高い劇物だという確信があったからだ。

 僕は目を閉じて想像する。

 もし、初めて好きになるヒトが自分の親になるというのはどんな感情なのだろうか。

 望んだ形とは違うが側に居られる幸福感か。

 大切な存在として自分を見てもらえる安心感か。

 いつまでも隣に立つことが出来ない自分への絶望感か。

 或いは傾慕の想いも記憶と共に消えていく喪失感か。

 考えてもやはり答えは出なくて。

 大切な想いが消えていくのは儚いなとしか思いつかなかった。

 ハツカはハツカだ。

 僕の親ではなく、目標(指針)のひとつであると思い返す。

 

「……好きになるには独占欲が必要なんだっけ」

 

 鶯さんの恋愛持論では恋心は【独占欲の発露】らしい。

 独占欲。自分の思いを無理矢理でも突き通そうとするモノだと解釈している。

 もし自分にとって必要だとしたら僕はどうすべきだろうか。

 僕は不思議と頬を撫でた。ハツカにキスされた自分の頬と陽の光に照らされて淡く輝く彼の頬に優しく触れる。

 いくら精神年齢が低い僕とはいえ、キスが本来特別な意味を持つのは理解している。ここ日本ではより特別視された相手への好意の示し方だ。

 けれど、吸血鬼として少なくても3人は落としているハツカにとっては特別ではなく、したいならする行為なのだ。その許容範囲に自分がいること自体、とても嬉しいし好ましいことこの上ない。

 

––––けどなぁ……なんかムカつくんだよな……

 

 児戯的なもの。それも頬にしたキスではあるが、容易くやられてしまったことの悔しさと多少の腹立たしさがある。

 スヤスヤと僕を腕をかけながら眠るハツカの頬をもう一度見つめる。

 キスマークというのは口紅の痕ではなく内出血が原因で起きるものだという。

 この色白の頬に自分の痕跡を残したらどんな快感が襲ってくるのだろうか。痕をつけられたハツカはどんな顔をするだろうか。

 無論、自前の血液を保たない彼らにしても好意の刻印が残らないのは百も承知。

 それでも口の中に溜まった唾液を飲み下すと、自然と顔が彼の左頬に寄っていく。寄り添ったままだから唇が近付くのは想像よりも口元のそばだった。

 

「………」

 

 やはり子供なんだな。

 肩の力が抜けていく。

 してやろうと欲望に任せても寸前で止まってしまうからだ。

 相手が起きてない時にするなんて卑怯だし、した気になった所で僕が大人になるわけでもハツカを信頼している証拠にもならない。

 取るに足らない理由を並べて僕は納得した。

 気づけば心の中で燃え上がっていた想い下火になり始めており、渦巻いた欲望も微かに波打つ水面へと変わっていた。

 できることなら、ハツカが笑顔でいる時に––––

 そう思って、顔を離すが、

「ンッ……ダメ」と呟いたのが聞こえ、遠ざけたはずのハツカの顔が一瞬で眼前にやってきた。意思と無関係に近づくハツカの口先へと視線が動き、すぐに唇が視界から消えた。

 

「大丈夫だよ、僕がそばにいるからね」

「…………」

 

 僕が抱き寄せられたと気づいたのはハツカが起きた後だった。

 寝起きの瞳は潤んでいて、とても……とても綺麗に思えた。

 

 

 

 

 目覚めた時、眼前に頬を赤らめた可愛い女の子がいた。

 女の子ではない。メイド服を着た男の娘であるショウくんなのだが、昨日着せたまま寝かせたことを思い出す。記憶を覗いた影響で、それ以前にしたことが曖昧になっている。

 そうだとしても、目覚めたら僕好みの顔をした子が–––男の娘でも構わない–––目の前にいるのは眼福以外の何事でもないし、ショウくんが消えていなくてとても安心した。

 全身が密着しているのは僕が彼を腕に抱いて眠ったからに他ならないのだけれど、お互いに息がかかるほど近づいていただろうか。

 いまだに落ちてくる瞼を手で擦る。

 

「おはよう、ショウくん」

「お、おはよ……ハツカ……」

 

 そばにある時計を見れば、6時半を示していた。

 どうりで眠たいわけだ。肌が荒れそうで心配になるが、服も寝間着ではないから別の服に着替えてもう一眠りつこう。

 腕を解くと彼はするりとベッドから抜け出して僕から距離を取った。

 

「どうしたの?」

「学校があるから朝食の支度をするの」

 

 背を向けて突き放すような口調でショウくんは言う。

 衝動的ではあったが、抱きしめて寝るのは彼のパーソナルスペースに深入りしすぎてしまっただろうか。無意識の中の彼はまだ僕に心を開いていなかったので可能性はある。

 

「へえ、メイドさんが作ってくれるんだ」

「ハツカは少し前に血を吸ったろ!? うとうとしちゃうぐらいには捧げたよね!?」

「キミの血が絶品なのが悪い」

 

 また吸いたいと胃袋から手が生えてくるほどに、彼の血は存在を知っているだけで僕の欲求を掻き立ててくる。

 ただ理性は欲望を抑えつけようと、ある出来事が僕の脳に蘇ってくる。

 

「ッ……」

「どうした?」

 

 前触れもなく顔を顰めた僕にショウくんが振り向いた。

 

「大丈夫。日差しを浴びて立ちくらみがしただけだよ」

「気が利かなく悪い。すぐに閉める」

 

 心配になったショウくんはすぐにカーテンへ手を伸ばす。

 隙間からの光ぐらいならば問題じゃないが、日差しがなくなったことで怠さが微かに引いたのは事実だ。

 けれど、本当の原因は彼の過去。

 彼の血のことを考えると、どうしても記憶の断片がチラついてしまう。母親の殺意と父親の虚無感。そして瞳を焼く痛烈な暴力が僕の記憶にも刻み込まれた。

 ショウくんも、彼の血も関係ないのに思い出してしまう。

 そう。彼はちっとも悪くないんだ。ここで僕が怖がってしまえば余計に彼との距離が開いてしまう。

 

「ただ血とか関係なく朝ごはんをメイドさんが作ってくれるのって憧れない?」

 

 だから強引にでも話しを切り替えようと意地張って、ショウくんに悠然として見えるようにベッドに座り込む。

 柔和な笑みをすると彼もひとまず安心してくれたようだ。

 

「そうか……いやっわっかんねぇわ……」

 

 少し言い淀んだあと、ショウくんは照れくさそうに視線を落として呟いた。

 

「……だったら、ハツカも朝ごはん食べる?」

 

 迷ったのは僕が吸血鬼だからだろう。

 吸血鬼にとって主食は血でそれ以外は殆どエネルギーにならないし、強いていえば人間の食事は娯楽のひとつだ。高台での小競り合いを経て彼もその事を承知している。

 不調の原因が陽光を晒されたからだとも思っているので、余計に無理して欲しくないのだろう。

 本当に優しいな。

 たとえ、それが自分自身を肯定し守る為であったとしても、身を差し出して他人の為に動ける美しさが目の前の幼い少年には宿っている。

 気づいた時にはショウくんの頬を指で撫でて、困惑極まった表情になった彼を眺めた。

「一緒に食べよう」と僕は彼の顎を指で持ち上げてから答えた。

 

「わっ、分かった。なら和食か洋食、どっちがいい?」

 

 驚いた彼は言葉を詰まらせながら応えた。

 

「和食かな。あっさりとしたものが食べたい」

「塩焼きと和物かな。少しかかるからシャワー浴びてていいよ」

「うー……ん、後でいいや。料理を作ってるキミを見ていたい」

「なんも面白くないよ……? まぁ、ハツカが見てたいならいいけど」

 

 ちょっと待ってて。

 ショウくんはそう言って一度寝室から抜け出した。

 僕も食事するのだからダイニングに行けばいいのだけど、彼自身、落ち着くためにも距離を取りたかったのだろう。

 

「パジャマを持ってきたよ。サイズとかはハツカにも合ってるはず」

 

 少しして戻ってきたショウくんの腕には寝間着があり、それをこちらに差し出す。

 僕は受け取って、自分の体に当ててみると彼の言う通りサイズ感はピッタリだった。

 

「普段着のままだと寝にくいと思って。皺がついてもダメだろうし」

「そっか。ありがとう」

「じゃあ着替えたら、服はベッドの上に置いておいて」

 

 開いていた襖の隙間をするりと抜けて再び寝室を出ていった。足早に去っていく彼を引き止めることはできず、言われた通り僕は今着てる服を脱いで着替え始める。

 寝間着を身につけるとふわっと優しい花のような香りがする。なにより下ろしたての爽やかな匂いが心を落ち着かせてくれる。

 深呼吸をする。長く長く息を吸って、軽く吐く。心を穏やかにする香りが肺の隅から隅まで溜まっていく。

 

「これ、ショウくんの服なんだよね」

 

 今はありがたいが、香りの物足りなさを覚えてしまう。

 着替え終えた僕は着ていた服や靴下を畳んでベッドに置いた後、ダイニングへと向かう。

 歩いていると、冷たい床に足裏が驚いて飛び跳ねる。どうやら感覚が鋭敏になっているようで、僕はそそくさと足の速度を早めて目的の場所へ。

 ダイニングに辿り着くと、最初に目に入ったのは明かりだ。頭上を見上げると蛍光灯がついており、本来朝の日差しを取り入れる窓は雨戸が閉められている。僕に配慮してくれたのがすぐに分かった。

 まるでこの部屋だけ夜になったようにすら見えた。

 キッチンに視線を移すとメイド姿のショウくんが立っていた。

 

「いま作るから座ってて」

「分かった」

「そうだ。ハツカって卵焼きは砂糖あり、なし?」

「あり」

「はーい」

 

 テーブルには映画を見た時のままで、木製の椅子と回転椅子が置かれている。僕は木製の椅子の方に腰をかける。

 僕は視線を切らずに、手際よく調理を進めるショウくんを眺める。

 溶き卵がフライパンに流し込まれジュウという食欲を誘う音を立て、魚焼きグリルからは魚の香ばしい匂いが漂ってくる。

 そして待つこと数分。僕の目の前には、卵焼きと大根おろしが添えられた鰤の塩焼き、ミニトマトと塩昆布の和物、そして白米と味噌汁が並んだ。

 対面に座ったショウくんと手を合わせると「いただきます」と僕らは声を揃えて言う。

 初めに鰤の塩焼きを一口。背側の切り身に臭みはなく、身がしまっており魚本来の旨味や歯応えが口の中を楽しませてくれる。火加減もバッチリでパサパサしていないのもいいし、塩も主張しすぎず湯気が立つ熱々の白米と共に食べると最高だ。

 卵焼きは甘くしっとりとした味わいで食べやすいし、和物は旨みが口の中にずっと残ってくれるような味わい深さがあった。

 

「うまい」

 

 純粋にそう思って、僕は吐露してしまう。

 ショウくんは面食らったのか照れくさそうに頬をかきながら「そっか」と口角をあげた。

 

「ポン酢いる?」

「かける」

 

 大根おろしと一緒に食べたり、ポン酢をかけたり味変を楽しむのも忘れない。ここに日本酒があればぐいっと背をのけぞって一気飲みしていただろう美味さだ。

 同時にショウくんを観察するのも当然欠かさない。

 ふたりで食事をしているとホッとする。

 僕が美味しそうに食べていると笑みを浮かべるショウくんを見ていると、彼の中に僕がいることが分かる。そうでなければ、彼がここまで嬉しそうにするとは思えない。

 嘘の笑いとも考えられなかった。

 それともうひとつ、ショウくんを見ていて気づいたことがある。

 彼の視線が僕のある一点に注がれている。僕にバレないようにチラチラと視線を泳がせながら、必ずそこに戻ってくるのだ。

 

「僕の口に何かついてる?」

「はえっ!? あ、いやなんでもないよ!」

「……そう?」

「うん! ハツカの口はいつも綺麗だよ!」

 

 露骨な慌てっぷりに僕は表情を変えず、心の目で訝しんだ。

 食事中でも僕の食べ方が綺麗なのは当然だ。ニコちゃんと飲んだ時は彼の気を引く為にやったが、こちらが僕の所作の本来のレベルで、彼の言うことは的を得てはいる。

 しかし、彼の慌て具合からも別のことなのは明白。

 

–––怪しい……

 

 状況を整理すると、僕が寝る前は丸まっていたはずのショウくんが、目覚めると僕と全身を擦り付ける状態になっていた。僕が強く彼を抱きしめて鼻がくっつくほどに顔が近かった。

 僕が起きる前からショウくんは起きていたので、彼だけが認識できること。

 目を開けた時、僕の顔が近くにあったから?

 違う。昨日の体勢のままなら最初に目につくのは僕の胸だ。

 僕の顔が間近で見たから?

 違う。それなら唇だけでなく、顔すら照れて目を背けるだろう。

 だとしたら一体何が……と、考えたところで一つ、予測が生まれた。

 

「ねえ、ショウくん」

「どうしたの?」

「昨日、僕にキスされてどう思った?」

「……」

 

 箸を止め、口を縫った彼は一度僕の唇を経由したあと、視線を白米へと落とした。鎮まっていた頬も再び加熱されていく。

 そこで僕は『確定だ』と心の中で頷いた。

 無心に白米ばかり口に運ぶショウくんに続けて訊ねる。

 

「なら僕にキスをしたときはどうだった?」

「……ッ!!」

「寝ている間に僕の唇を奪ったんでしょ?」

 

 わかりやすくビクンと体が反応していて、見ているこっちは楽しくなってくる。僕がニヤニヤしていくにつれて、彼の顔が限界ギリギリまで熱されたフライパンのような色に変わっていく。

 

「ねえ、どうなの?」

「いやっ! それ、そよ……そのアクシデントで!!」

「どんな?」

「ハツカのせいのんだよ!」

 

 のんだよ……。

 語彙がおかしくなっているのも含めて大分彼の心を揺さぶったのが分かる。

 

「えー……僕のせいにするのぉ?」

「だってハツカが僕を抱きしめるから! そのままの偶然触れちゃって!」

「僕に抱きつかれた勢いでキスするの嫌だった?」

「嫌じゃなくて! 気が動転してなにがなんだか……!!」

「ふふふ」

 

 不快感よりも好意が勝っている様を見るのは心地よい。

 好きで頭がいっぱいになって慌ててる男の子はとても可愛いが、ショウくんは飛び抜けて可愛い。容姿も、振る舞いも、てんやわんやしているだけでも愛おしくて仕方ない。

 七草さん風に言うなら少々下品だが、勃ちそうだ。

 加えて数時間前に吸って、さっきも吸わないでおこうと思ったのに吸血衝動に駆られそうになる。

 最前まで美味しく感じていた飯も薄く感じてしまう。味の抜けたガムを噛んでいると錯覚してしまうほどに。

 

『ああもう……たえられないの……』

 

 そんな自分が一瞬、ショウくんの母親と重なってしまう。

 

「…………」

「どうしたの? やっぱり僕にされるの嫌だった?」

「ううん。起きてれば不意打ちベロチューできたのになぁ〜〜て」

「やめてくれ。寝起きの心臓に悪い……!」

 

 うまくはぐらかせただろうか。

 自然と彼の首筋に残る吸血痕に目が行く。

 僕に押し倒されて気絶するまで血を吸われた時、ショウくんはなにを隠していたのだろう。いや、隠すほどに恐怖を押し殺していたのだろうか。

 もし僕が衝動にかまけてショウくんから血を吸えば、彼のトラウマを完全に再発させてしまうかもしれない。

 それに家族関係が壊れたのも吸血鬼が原因かもしれない。

 

––––探偵さんを助けたいのはキミの家族のこともあってなのかな……

 

 彼は自分の境遇を探偵さんに重ねているのだろうか。

 だとすれば無理矢理にでも関わろうとするのも納得がいく。

 

「ショウくんってさ、吸血されるの好き?」

「どうしたの? 改まって」

 

 首を傾げながらもショウくんは躊躇いなく口を開く。

 

「好きだよ。ハツカへそのとき感じた想いを全部伝えられてる気がするし、素直に気持ちいいというのもある。痛いのには慣れてるからさ」

「そっか」

「てか、殆ど毎日飲んでるんだから知ってるだろ?」

「ああ、知ってるよ」

 

 なるべく平然に僕は彼への返答を紡ぐ。

 

「僕ら吸血鬼にとって吸血は子作りだからさ。眷属にしようと思える時点でキスぐらいは余裕だよ」

「僕とは成り行きだろ?」

「またそんなことを言う。僕の正直さを買って、僕に憧れたんだろ?」

「……あははっ。だからこそ、ハツカの口は綺麗なんだろうね」

 

 自嘲にすら聞こえる笑い声を漏らすとショウくんはため息をつく。

 

「ハツカはしたいようにするよな。僕を眷属にする気がなかったら別の吸血鬼に当てがってるだろうし」

「それはそれで僕のプライドが許さないんだけどね」

「相変わらず面倒くさい奴だ。ふふっ」

 

 自嘲はすぐに肩の力を抜いた笑みに変わる。

 

「ご馳走様でした」

「お粗末さまでした」

 

 少ししていい具合に腹が満たされると僕らは食事を終えると、空っぽになった皿を洗うことなった。

 もうすぐ学校へ行く彼に片付けまでさせる訳にはいかず、「僕が代わりにやっておくよ」と申し出るが、彼は「客にやらせるわけないでしょうが」と言って聞かないので、少し口論したあと妥協案でふたりで進めることにした。

 順調にことは進み、時間は七時半過ぎ。

 目の前には制服に着替えたショウくんが立っている。

 

「悪いね。手伝わせて」

「美味しいものを食べさせてもらったお礼だよ」

「そうか、そうだな」

 

 彼に澱みなく違和感を引きずる様子もない。

 

「僕が帰るまでベッド使ってくれればいいから」

 

 寝室に用意されていた鞄を持ってショウくんは玄関へと去っていく。襖が閉められて見えなくなった背中に僕は少し違和感を覚える。

 なにかが足りない。

 中途半端に簡単なジグソーパズルを完成させてしまったような物足りなさ。ここで止まってていいのかという不満。

 何故かと考えると僕はすぐにピンと来て、彼を追いかけて襖を開ける。

 

「ショウくん」

「ん? どうしたの?」

 

 三和土で靴を履いていた彼が不思議そうに顔だけをこちらに向けている。

 そんな彼に僕は足りなかった何かを吐き出して、伝える。

 

「いってらっしゃい」

「……え」

 

 気が動転したのではなく不意打ちを喰らった顔。

 予想外の言葉に呆気にとられたショウくんは目線を切ると深呼吸をした。数秒の間、重鈍な空気がこの場と僕の心を支配する。聞こえてくるのは長い息の音だけだ。

 

「……ふ」

 

 後で知ったが、彼にとって僕の言葉は初めてもの。

 

「行ってきます!」

 

 立ち上がった彼はいつにも増して元気な笑顔を携えてドアを開け、日の当たる場所へと歩いていく。




 初めての家族
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。