よふかしのあじ   作:フェイクライター

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1週間ぶりです。
19巻の表紙、ちょっと……ヤバかったですね。主に探偵さんの半開きになった唇が。


第七十夜「意思は関係ない」

 ひったくり犯は捕まった。頭部に赤コーンを叩きつけられたことで気を失った犯人は、いま腕をネクタイで、脚をベルトで縛られている。両方とも吼月くんが制服に使っているものだ。

 野晒しで捨てられている犯人は、浜に打ち上げられた魚のようにピクピクと震えていて滑稽な姿を見せる。まるで人ではないと言わんばかりの仕打ち。他の客たちも笑いながら馬鹿にして近くを通り過ぎる。

 このまま放置したら踏みつけていく人も出てくるかもしれない。

 そうして、捕らえてから数分後、パトカーが二台やってきて喫茶店前の駐車場に停まった。パトカーから降りて辺りを見回している制服警官たちに、吼月くんが声をかけた。

 

「警察の皆さん、お疲れ様です」

「ん、ああ……キミ、この辺りでひったくりがあったと通報を受けて来たのだが知ってるかい」

「ええ。犯人はあそこでピタンと伸びてる人物です。現行犯なので周りに聞いてもらえば分かりますよ。証人はたくさん居ますから」

「そうか、協力ありがとう」

 

 歩きながら警察官たちに現状を説明しつつ、歩く先にいるのは被害に遭った女性だ。警官たちはすでに犯人が捕まっていることに驚き、そしてほんの少し気の緩ませていた。

 警官たちは女性と相対すると彼らのひとりが「貴方が被害に遭った方ですね」と口にした。

 

「大丈夫? 話せますか?」

「ええ、ありがとう倉賀野さん。私がひったくりされました」

「でしたら、その時の状況をお聞かせください」

 

 女性を見るとその背中を倉賀野さんが摩っていた。被害に遭った女性の隣に座って会話をしていたところだったのだ。

 取られた鞄も手元に戻り、散らばった食品などもビニール袋の中に回収済み。温かい紅茶も飲めるほど女性はなんとか平静を取り戻していた。

 落ち着いて話ができるので、警察官たちも滞りなく事情を聞けている。犯人を捕まえた吼月くんも一緒に会話している。

 そこまでは良い。

 犯人が捕まったのはめでたいことだ。

 問題は別にある。

 

「セリちゃん、どう思う?」

「どうって分かるわけないじゃん。少なくとも今は……普通の人間だし」

 

 セリちゃんに訊ねたのは、倉賀野さんが吸血鬼かもしれないという疑惑。

 赤コーンを投げる瞬間、吸血鬼に()()()()()()()()()()()()に僕らは曝された。そして力は吸血鬼と遜色ない。

 吸血鬼歴の浅い僕だけが感じていたのなら思い過ごしだろうけど、他の吸血鬼とも多く接しているセリちゃんも疑っているなら信じるに値する。

 しかし、一緒にテーブルを囲んでいた時に吸血鬼の匂いや気配はまったく感じなかった。

 

「赤コーンを投げた時の力はきっと人間でも出せる。けど、あの速度を狙って出そうとするなら人間じゃ無理だよ。吸血鬼の力をセーブしてようやく実現できる……ぐらいだと思う」

 

 声量が尻すぼみになっていくのは、現状に知識が追いついていないからだ。確信を持ちきれず、言葉が弱々しくなってしまうのも無理はない。

 人間から吸血鬼に自発的に変化するなんて、セリちゃんすら聞いたことない事態らしい。

 

「いったいどうなってるんだ?」

 

 投擲された赤コーンは花壇のそばに戻されている。もちろんバリケードも復旧してあり、先ほどまで彼女が投げた赤コーンにヒビがないか撫でながら確認していたのを思い出す。喫茶店の店員から怒られてはいなかったので、壊れてはないだろう。

 そう考えると丈夫な赤コーンだな。

 僕らが倉賀野さんに目線を戻すと、彼女もこちらに気がついて警察官たちに断りを入れてから立ち上がった。吼月くんに女性の補助を頼んだ。

 こちらにおもむろに歩き出し、喫茶店の明かりにその顔が照らされる。申し訳さなそうに僕ら–––いや、僕だけを見つめて小走りで近づいてくる。

 そして、目の前に立ち止まるとパチンと手を鳴らす。

 

「あっくんさん、さっきはすみません!!」

「え、え?」

「んっ」

 

 いきなり手を合わせて頭を下げられて僕は困惑する。隣にいるセリちゃんも思わず首を傾げてしまっている。

 頭を下げる意図が理解できていないのが伝わったのか、倉賀野さんは決まりが悪そうに含羞みながら言う。中学生らしい愛らしさのある仕草は、最前見せた獣の如き凛々しい美さとのギャップもあり、倉賀野さんという存在の幅広さを如実に感じさせる。

 

「いやぁ、勢い余って『邪魔』って言ってしまったので……」

「そのこと? 気にしてないよ」

「そうなんですか? あっくんさんってやっぱり優しいんですね」

 

 そう言って倉賀野さんはずいっと顔を前に突き出してくる。

 

「あの、手」

「あ! す、すみません。つい」

 

 何気なく彼女は僕の手を両手で包んで、すぐさま離して微笑んだ。上目遣いで見つめる倉賀野さんから視線を外しながら、僕は彼女の思わせぶりな態度に既視感を覚えた。

 僕がセリちゃんと過ごしている時にトキメいてしまった時のこと。そう、一緒に––––いや違う、今は回想するタイミングじゃない。

 まるで倉賀野さんの仕草は相手を落とそうとする吸血鬼のようだ。

 しかし、今の彼女からはさっきの吸血鬼に近い気配を感じない。

 

「おい、理世」

 

 セリちゃんが声を低くして、僕と倉賀野さんの間に割って入った。不機嫌な声で倉賀野さんの名前を呼んで、隠しきれない苛立ちが顕になっている。

 倉賀野さんは何食わぬ顔で「なにセリさん?」と応える。

 

「……お前はなんなんだ?」

 

 どう尋ねるか迷って、やはり漠然とした問いかけになった。

 神妙な顔のセリちゃんに対して、倉賀野さんは先ほどと変わらない表情をしている。それどころか、先ほど謝られた僕のように意図が分からず戸惑っているようにも思えた。

 

「通りす–––んっんっ。なんなんだって言われても、わたしだ、としか言えないですよ」

 

 僕とセリちゃんは一度顔を見合わせる。

 もう少し真っ直ぐに踏み込んだ話をしよう––––小さく頷き合って、倉賀野さんに続けて問いかける。

 

「倉賀野さんはこの世界に吸血鬼がいるって知ってる?」

「うん。知ってるわよ」

 

 やっぱりと思った矢先に彼女は予測を叩き壊すことを口にする。

 

「まあ、ヒトがいるくらいだし探せばいるでしょ」

「……」

 

 掴みどころのない物言いに僕らは口を動かすことができなくなる。

 空想の産物を妄想する幼気な少女の言葉なら気にする必要なんてない。吸血鬼に変身できる人間の言葉だとしたら訊ねたいことがある。

 僕は小さく空気を吸う。

 彼女から漂うのは人間の匂いで、学校の規則なのか香水といった類の香りもまったくしない。やはり吸血鬼の匂いなんて微塵も感じない。

 軽く会話を挟みながら喫茶店の前から離れ出すことにした。

 

「おふたりがどう思っていようが私には関係ないですけど。もし危険だから抹殺しようなんて、幼い考えならオススメしませんよ?」

「へえ、どうしてか教えてくれよ」

 

 腰を落としながら爪を構えるセリちゃんは臨戦体勢に入っていた。得体の知れない相手と対峙して、周囲の空気が肌を引き裂くほどの緊張感が纏わりつく。

 そばに人が居たなら、必ずここを避けて通るだろう。遠巻きに僕らを見つめながらビクビクと震えて歩いていくのだ。

 見えない爪を全身で感じ取るが、倉賀野さんは変わらず飄々としている。

 

「だって貴女達ふたりでかかっても、私には勝てませんもん」

「流石にアタシらのこと舐めすぎじゃないか?」

「実際に……まぁ別にいいけどさ。そんな脅す? ふつうー」

「悪いけどこっちにも事情があってね」

「あっくんさんが襲われたんですか?」

「っ……ああ」

「じゃなきゃ庇う必要なんてないですよね。無闇に人間を襲う必要なんてない」

 

 倉賀野さんが言う通り、セリちゃんは彼女から僕を引き離すと同時に壁として立ち塞がっている。いくら倉賀野さんに敵意がないとはいえ、正体不明である以上は用心するにこしたことはない。

 特にセリちゃんは、以前僕が鶯アンコに滅多刺しにされたことで、過敏に反応しているのだ。

 雰囲気から察している倉賀野さんだが、「身内だけか……」とズレた不服を漏らす。

 

「アタシだって馬鹿騒ぎをしたいわけじゃない。理世が人間なのか、それ以外なのか。それさえ教えてくれれば済むんだ」

 

 煽られて熱量を増すセリちゃんとは対照的にどこか萎えるような態度を示して、倉賀野さんは耳元の髪を指で弄っている。

 ここまで緊張の糸が張っている中でこの態度が取れるのは余程の自信があるのだろう。でなければただの鈍感だ。

 

「セ、セリちゃん」

「大丈夫だよ。もう一度その気にさせて、はっきりさせればいいんだから。傷つける必要なんてないし」

 

 実際に力を振るう必要なんてないし、セリちゃんが本気でやり合うなんて思ってはいない。そばに人が居ないとはいえ、店の目と鼻の先にある。ここで吸血鬼の力を大っぴらに使えばどうなるか分からないし、警察官だって居る。

 分別がしっかりしているセリちゃんがその事を理解していない訳がないし、そう易々と選択を誤るはずがない。

 けれど、やっぱり雰囲気が刺々しい。倉賀野さんを怖がらせてしまう。

 ただ、その原因が僕であることが嬉しかったりする。ここまで身をあんじてくれるなんて嬉しい限りだ。

 

「理世は吼月を眷属にしたいのか?」

 

 セリちゃんは目つきを鋭くして、警戒しながら問い続ける。

 彼女は吸血鬼に近しい存在になれるのは確かだ。好きになってしまった相手が居たなら、落としたくなるのは吸血鬼として当然のことなのではと僕は思う。

 さらに相手は蘿蔔さんに日常的に血を吸われて、その吸血痕を隠すために絆創膏を常にしている。吸血衝動に駆られてもおかしくはない。

 

「んふ、ふふふっ」

 

 呆気に取られて小さく口を開いてしまう倉賀野さんは、次第に腹の底から声が溢れ出そうになるのを防ごうと口を左手で覆う。

 

「ふふ。さぁ……どうでしょう。もし、ショウをちゃんと私の子供にできるのならやってもいいかもね」

 

 けれど、抑えられなくなってニヤつきながらそう言って、

 

「これでいいですか」

 

 倉賀野さんはもう片方の手の指で結っていた髪を弾く。

 視線がかち合う。強く、強く、僕らを穿つような葡萄(えび)色に変化した瞳が輝いて、目に映る全ての像が解けて溶けてしまうほど僕らの心を惹きつけた。少しの間、ぼっとしてしまう。

 しかし––––

 

「なんも変わんないね」

「じゃあ、何もないんじゃない?」

「そうですね。すみません理世様」

 

 それだけで僕らは何も感じない(・・・・・・)

 勘違いだったと悟ったセリちゃんは指先までまっすぐ伸ばして、綺麗な気をつけの姿勢を取る。そして、おもむろに頭を下げた。

 

「いいんですよ、セリちゃん。その呼び方、ジンジン来ちゃうから許しちゃいます」

「ありがとうございます」

「でも、罰も必要よね。吸血鬼、やめましょうか」

 

 首を垂れたセリちゃんの頬を両手で持って、自分と目を合わせさせる。そして、粘土で遊ぶ子供のようにセリちゃんの顔を押し潰したり、摘んで左右に引き伸ばす。

 

「……」

 

 倉賀野さんは僕に何かを求めるような、督促する視線を向けると、横目で僕を捉えたまま呟く。

 

「セリちゃんの豚鼻かわいいー。写真撮っておこうかしら」

 

 セリちゃんの形のいい鼻を指で押し広げていく。豚の鼻になった。薄ら笑いを浮かべる倉賀野さんは、セリちゃんに他人には決して見せてはいけない表情を次々と取らせる。

 馬鹿にするような笑みで見つめながら写真に収める。

 

「理世さま、もっと撮って!」

 

 すっかり魅了されたセリちゃんは、自分の端正な顔を玩具にされることを嬉々として受け入れた。次第に命令ではなく自分から玩具になっていく。

 自分から尊厳と品性を捨て始め、数分が経過した。

 その顔はこの場に100人居たら、100人がドン引きしながら卵や生ゴミを顔面に投げつけるレベル。理由は腹が立つからだ。

 

「あっくんさん、今のセリちゃんの顔どう?」

 

 尋ねられた僕はセリちゃんの変顔を見る。

 倉賀野さんから借りたセロハンテープで鼻を押し広げ、口は指を突っ込み歯茎が見えるほど引っ張っている。強風が顔を殴りつける時のように皮膚が外へ外へ広がった顔では、喋っても人の言葉にはならない。それどころか、セリちゃんは長く伸ばした舌先を鼻の穴に入れている。

 人前でやっていい限度を超えた変顔だが、その中に隠しきれない愛嬌を見た僕はゆっくりと頷いた。

 

「綺麗だよ。ホント普通の人なら関わりたくない変顔だけど、基がセリちゃんだからどうしても可愛くなっちゃう。周りの人は自分との差を感じちゃうだろうね」

「惚気てるのも大概にしてください。フィルターかかりすぎですよ。そんなことより貴方も目醒めないんですか?」

「え。嫉妬してるの? 舌を出すのもペロちゃんマークみたいで可愛いでしょ!」

「え、じゃないんですし、嫉妬もしてないですよ。子供と睨めっこしたら泣くレベルなのに、吸血鬼になる人ってみんな……まあ、それは私もだな。ショウが変顔したらあっくんさんと同じ事言うもん」

 

 そう言いながら倉賀野さんは、セリちゃんの顔が傷をつけないようセロハンテープを外し、手を下ろさせると新たな命令を出す。

 

「お座りをして、お手」

「アンッ!」

「あらあら、元気なワンちゃんね。よしよし〜」

 

 彼女の指示に服従するセリちゃんは犬のお座りをして、倉賀野さんの手に自分の右手を置いた。耳や尻尾がないことに目を瞑れば完全に擬人化した犬少女だ。

 可愛い。

 命令を守ったセリちゃんの頭をよしよしと撫でる倉賀野さんは笑う。

 

「ふふふ。本田カブラとか他の吸血鬼でも思ったけど、やっぱり顔がいいからこその映えよね」

 

 笑っているが、どこか空虚な響きが夜空に余韻を残す。チラリと彼女が僕の方を見た。

 

「どうしたんですかぁ?」

「なんでもないわよ。あら、舌出しておばかで可愛いわよ。はい、ふせて」

「わふっ」

 

 セリちゃんは主人を呼んで構ってもらおうとする。人以下に成り下がることに愉悦を覚えたのだ。舌を出した間抜けな顔も可愛い。

 尊厳を捨て去った犬芸大会を見続けていると、倉賀野さんの雰囲気が少し変わった。自嘲と呆れを肺の中でかき混ぜると、ため息として一気にこぼす。

 

「次は仰向けになって、可愛いわね、よしよし……セリちゃんみたいな子もひとり欲しいわね。今度テキトーにsnsで自撮りをあげてる女子高生の中から見繕ってみようかしら」

「アンッ」

 

 屈んで犬の物真似をし続けるセリちゃんの頭を撫でながら倉賀野さんは、一枚だけ写真を撮ったあとはずっとスマホを弄っていた。自分以外に興味が移りだした主人に高い声で甘えるが、倉賀野さんはセリちゃんには眼をくれずに僕を見た。

 

「あっくんさん。ちゃんと自分の大切な人ぐらい守らないとダメですよ。鶯アンコが襲ってきたらセリちゃんを助けるのは貴方なんですから、私に良いようにされてたら大事な時に動けませんよ」

「え? まあ、うん。でも、今は別に大丈夫だよ。セリちゃんは倉賀野さんの玩具だし」

 

 僕がそう言うと、倉賀野さんは目線を落として、バツが悪そうに髪に手を突っ込みクシャクシャとみっともなく掻き乱す。

 

「……やっぱり突破できないのね。本当に最低な力。蘿蔔みたいな女王ネタも、コレを使ったら意味も面白みも欠けるし」

 

 何に気分を害したのか分からないけれど、苛立ちながら倉賀野さんは頭を下げる。

 

「大切な人の前でごめんなさいね、セリさん。あっくんさんもごめんなさい」

 

 顔をあげるとパンッと乾いた音が鳴り響く。倉賀野さんが手を叩いた音だ。

 

「それじゃあ普通に立って」

「はい!」

 

 命令は絶対遵守。セリちゃんはスパッと立ち上がると、再び整った気をつけの姿勢になる。僕も彼女の隣に立って、倉賀野さんの瞳をまっすぐ見つめた。

 

「最後にこれ以上、不必要に私の詮索しないこと。言うべき時が来たら伝えてあげるから。あと念のため、人間を自分勝手な理由で傷つけない事」

「分かりました」

「よろしい。破ったら変顔の写真送りつけてあげる」

 

 僕とセリちゃんは絶対に破ってはならない約束を交わすと、頭をもう一度下げた。

 

「最後にこの場にいる全員、さっきまでセリちゃんがしたことは全て忘れること」

 

 一際澄んだ、甘い声が脳に突き抜けていく。

 倉賀野さんはより強い光を瞳に宿して辺りをぐるっと見渡すと––––

 

 

パチンッ

 

 

 夜空の漆黒を映し取ったような黒い瞳がこちらを眺めている。

 

「あれ、あっくん。いまアタシ、なんか変なことしてた?」

「特に何もしてなかったけど」

「それでふたりとも、私は吸血鬼なんですか?」

「いや、さっきも違うって言ったじゃん」

「ごめんね、変なこと聞いて」

「いえいえ。普通に生きてて『お前、吸血鬼か?』なんて聞かれることないですし、面白い体験ができて良かったです」

「そ、そうか……」

 

 吸血鬼の気配がするようになったわけではないし、人間の気配が消えたわけでもない。倉賀野さんは自分の中のナニカを変化させたようだが、僕らはそれを知覚できなかった。

 完全な思い過ごしだったことにセリちゃんも肩の力を抜いて緊張の糸を緩めた。

 にしても、変な人たちだと思われたかな……。

 彼女も言った通り、人間とは別の種族がいるなんて普通は考えないし、妄想だと思われて当然だ。

 

「まあ、別にいいじゃないですか。人間だろうが、吸血鬼だろうが大した差なんてないんですから」

 

「いや、あるだろ」と即座に返したセリちゃんに僕は小さく頷いた。種族単位の違いを差がないとは言えない。

 人間である倉賀野さんは首を振って否定する。

 

「血を吸うために人を化かすだけなら普通は一線を越えることはないですし。他人の人生を容易く棒に振る輩は、単純に心がない化け物ってだけで」

 

 肩をすくめながら彼女は僕らの背後へ視線を外し、恍惚としてその先にいる相手を見つめていた。相手は誰かなんて考えるまでもなく、吼月くんだろう。

 

「大事なのはヒトの心を持っているかどうかですよ。それだけで生きていい資格はあるんですから」

 

 噛み締めるような笑みは憂いを秘めていて、それだけ大切な存在なんだと伝わってくる。

 

「あ」

 

 倉賀野さんの表情がパッと明るくなって走り出した。僕らを抜き去った彼女を追って、僕らも背後に振り向けば、丁度吼月くんの聴取が終わっていた。

 犯人と被害者の女性が別々のパトカーに乗せられている。女性はこちらに気がつくと、「ありがとうございました」とこちらにも感謝をして、パトカーの中に入っていった。

 会釈しつつ僕らも倉賀野さんの後に続いて、吼月くんの下へ歩み寄る。

 

「吼月くん、話は終わったみたいだね」

「でも女の人、なんでパトカーに乗せられてるの?」

「彼女のヒールが壊れたから家まで送って欲しいって頼んだんだよ」

 

 僕らは相槌を打って納得した。

 手持ちの道具ではヒールが直すことが出来ず、その話をすると警察側から送っていくと申し出てくれたという。

 

「警察なんて信用できるの?」

 

 妥当な判断だと思っていたら倉賀野さんが可笑しな疑問を投げかけた。

 吼月くんは慎重すぎる彼女を小馬鹿にすることなく「半々だな」と答えるので、流石に警察に対して不信感がありすぎるのでは?と僕は首を傾げてしまう。

 

「だから理世にも頼みがあるんだけどいいか?」

「言ってみなさい」

 

 服を内側から持ち上げている胸を更に張って、倉賀野さんは威勢よくバンッと手で叩く。

 

「あの人と一緒に帰ってもらいたい。同性がいるのといないのだとやっぱり気分が変わってくるし」

「ショウも一緒?」

「残念ながら刃物で斬られそうになったからな。その分の被害届も出すことになって、俺も送ってもらうことになっちゃったし」

「妥当ね。分かったわ」

 

 ふたりの話が纏まると、僕らを一瞥した吼月くんは優しい笑顔を浮かべながら訊ねてきた。

 

「そう言えばおふたりにお聞きしたいんですけど、ハツカってワッフル好きだったりしますか?」

「どうだろ、僕はあんまり関わらないし。セリちゃんは知ってる?」

「ハツカなら甘い物なら基本的に好きだぞ。よく眷属にクッキーとか食わせてもらってたし」

「やっぱり焼き菓子系が好きなのかな。ありがとうございます」

「買ってくの?」

俺の血(主食)は別だとしても、前菜ぐらい買っておこうと思いまして。それに自分だけ美味しいものを食べるのは気が引けます」

「そっか」

 

 想像していたよりも蘿蔔さんのことを大切に思っていることに僕らは安堵した。

 

「それでは俺たちはここでお暇させていただきます。また、時間があったらお話ししましょうね」

「そうか、ふたりとも、気をつけて帰りなよ」

「吼月くん、ハツカによろしく伝えておいてくれ」

「それではまた」

 

 一礼したあと、吼月くん喫茶店の中へ、倉賀野さんは日没前に買った荷物を持ってパトカーの中に入った。数分後、洋菓子箱を片手に出てきた吼月くんは再度僕らに手を振ってから乗車する。

 そして、走り出したパトカーはサイレンを鳴らさず、夜の静寂を大事にしながらこの場から去っていった。

 

「さて、それじゃあこの後どこいく?」

「ドッグカフェにでもハシゴしようか。あそこお酒も出るし」

「なら、早速行こうか」

 

 僕らも彼らに続くように喫茶店を後にした。

 

 

 

 

 理世と被害者の女性を送り届けたパトカーが小森団地の駐車場へとやって来た。いくら送迎とはいえ、赤いライトをチカチカ点滅させたパトカーに乗せられるのはあまり居心地の良いものではなかった。

 警察が好きではない、という個人的な事情を捨てても、まるで自分が捕まったような錯覚に陥って嫌になる。

 憂鬱になった心にパカっと軽薄な音が入り込んで、ドアのロックが解除されたのだと気づく。やっとこの息苦しい空間から逃れられる。

 

「着いたよ。キミが最後だ」

「はい。お疲れ様です」

 

 買い物袋と学生鞄、そしてケーキ箱を器用に両手で持ちつつ送ってくれた警察官の顔をバッグミラー越しに見つめる。

 

「こっちこそ助かったよ。時間をかけずに済んだからね。もしかしたら表彰されるかもね」

「いりませんよ、そんなもの」

「こればっかりはキミの意思は関係ないからね。上の決定で進んでくから」

 

 それじゃ。

 降りた俺に別れを告げて、半分夜に溶け込んだ車が赤いライトを照らしながら団地を走り去った。

 また、ということにならないようにしたいな。

 そう思いながら俺は帰宅する。

 集合住宅の階段前にある郵便受けがずらっと並んだ中にある自分の自宅の番号のものの前に立つ。日課の確認で、いつもは何も入っていないのだが、今日は封筒が入っていた。

 とても見慣れた封筒だった。病気になった人の肌のように青白い封筒の中にはいつものように手紙が入っているに違いない。

 

「いつもいつも。こんな暇があるならちゃんと面倒見ろってんだ」

 

 ここで引き裂いてしまっても良かったが流石に人の目がある。

 封筒をぐちゃぐちゃに丸めてポケットに突っ込んだ俺は、自宅まで無言で階段を登っていった。

 

 アクシデントはあったが、概ね良い1日だった。

 

 マヒルとも話せたし、理世とはデザート食ったし。あっくんさんもマヒルが見た通りのいい人だったし、桔梗セリは例に漏れず変な人だし。面白い1日だった。

 ハツカも今日の血を喜んでくれたらいいな。

 そう思いながら、帰ってきた自宅の玄関の鍵を開けてドアノブに手をかけた。




 すまん。セリちゃん。
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