よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第七十二夜 アクシデント

 突然の来客に驚きながら玄関の前に立つ。自分の背より少し高いドアアイまで背伸びして左眼をすりつければ、扉の先の光りが瞳に届いて像を作り始める。

 

「誰だ?」

 

 覗き込んだ先にいるのは誰だろうか––––こんな夜中に、ましてや吼月ショウ()の家にやってくる人物なんて誰もいないはずだ。

 訝しんで、目を更に細めると朧げだった像がハッキリした。

 1番最初に眼に入ったのは髪だった。

 ふんわりとした丸みのある髪上部から流れる黒髪は鎖骨あたりまで伸びている。ウルフカットと呼ばれるものだ。ハツカが持っていた本で読んだことがあったから知っている。

 その髪の持ち主は誰かが問題なわけだが、それは思ってみなかった人物だった。

 

仁湖(ニコ)さん?」

 

 一眼では気づかなかった。

 園田仁湖–––以前、相談に乗った同級生の都雉の親からの頼みで、上司からのパワハラを録音するために近づいた相手。想像以上に今に苦しんでいた相手。

 精神的に相当参っていた仁湖さんとは一夜を共に過ごしたことがある。

 会社のブラック体質も神崎が正常化させていると、耳に届いていたが違ったのか?

 もしかして、クソ上司に逆恨みされて嫌がらせでも受けたのか?

 それとも、あの出来事がキッカケで会社から腫れ物扱いされているのか?

 自分がやったことは事態を悪化させただけのか?

 だから僕を探し当てて仕返しにきた?

 彼女がここに来れた理由も、訪れた理由も真っ当なものが全くもって思い浮かばない。

 身体が冷える。この空間が極寒の氷の内部に早変わりして、どんどん身体から熱を奪っていくのが分かった。

 怖い。

 

「なんで、園田さんがここにいるんだ……?」

 

 どれだけ考えても訳なんて知る由はない。

 ただどうやってここを嗅ぎつけたかは想像できた。あくまで本当に上手くいっており、春樹さんが嘘をついていないなら、可能性はひとつだけだ。

 それは今の僕らにとって最悪の事態だった。

 

「ハツカ来て」

「え、ちょっと」

 

 事態が飲み込めていないハツカの手を引いて–––彼の靴をビニールに詰め込みながら–––自室に急ぐ。

 

「すみませーん! もう少し待ってください!!」

 

 玄関の先にいる仁湖さんに声をかけながら、バタバタと走る。ハツカが抵抗しなかったのですんなりと寝室に辿り着くと、僕は勉強机の棚から日記帳を取り出す。

 そして、自室にある物置になっている押し入れの襖を開いて、そこにハツカを押し込んだ。

 

「え、あの、ショウくん!?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。少しの間、僕が戻ってくるまでここに隠れてて。危ないって思ったらすぐに逃げてくれていいから」

「危ないってどういう」

「この日記帳もってて。でも読まないで」

「え、うん。分かった」

 

 ハツカと会話する余裕なんてない。鼻風邪を引いたような上擦った声で頼むと、ハツカは察してくれたのか頷くと、靴と日記帳を抱えて押入れの中に隠れてくれた。

 自室の明かりを消した。

 その後俺はすぐに食器や服など、ハツカがいるとバレないよう痕跡を残さず片付けると玄関へと戻った。

 いつもより大きく見える扉の前で、大きく息を吸う。肺に空気を通して、脳へと酸素を回す。思考を取り戻し、理性をもう一度確立させていく。腕時計のスイッチを押して首筋の傷を癒やして、絆創膏を引っ剥がした。

 身体の熱が戻り、笑顔を作り直すと、酸素が全身の隅々まで行き渡ったと理解して俺はドアノブに手を伸ばした。

 

「あ」

 

 俺が出てくると、焦れた顔を花咲くような笑顔に変えて仁湖さんは俺と対峙した。彼女は仕事終わりのようでベージュカラーのパンツスタイルスーツを着ていた。

 

「こんばんは、鬼さん」

「やっぱり、仁湖さんですよね」

「うん。夜分遅くにごめんなさい」

「いえいえ。仁湖さん()構いませんよ」

 

 頭を下げてくる仁湖さんに慌てて顔を上げさせる。

 ぺこりとお辞儀したことで見上げていた彼女の顔が俺の眼前にやってくる。以前会った時と同じく草臥れた様子ではあるものの、血色はかなり良くなっていて健康そのもの。

 ふわりと髪の毛が揺れると、落ち着きのあるバニラのような甘い香りと花のような優しい香りが調和しながら漂った。この香りは以前はなかったものだ。

 総じて以前よりゆとりが出来たと見て取れた。

 

「どうぞ、家の中に入ってください。お茶ぐらいしか出せませんけど」

「いいの、お礼に来ただけだし。それにせっかくなら夜の街を散歩しながら話さない?」

「良いですね。夜、好きになったんですか?」

「お陰様で」

 

 憑き物が落ちた彼女の口は軽やかで、仕返しや文句を言いに来たわけではなさそうだ。悪くないと思った。仁湖さんの笑顔もそうだが、夜風に当たるのは自分のささくれ立った心境を落ち着かせるには適してる。

 俺はドアを鍵を閉めると、仁湖さんの手を繋いで引っ張っていく。

 

「なら、行きましょうか。お嬢さん」

 

 あの時の男性とも女性とも言えない、不性別な声に変えて仁湖さんを呼ぶと、彼女は嬉しそうに「うん」と俺の手に従った。

 15分だ。それまでに帰ってこよう。

 

 

 

 

 押入れに隠れていると、ガチャンとドアが閉まる音がした。ショウくんは外へ行ったのだろうか。

 一度出て、様子を見にいく事も考えたが、頭の中で彼の顔が–––今にも泣き出しそうな酷く歪んだ顔が、蘿蔔ハツカ()の身体を縛り付けて動かさない。

 怯えきった彼の眼は焦点を定めることなく、部屋の中を忙しなく泳いでいた。

 何があると言うんだ。

 園田という女はそんなにも暴君なのだろうか。彼女に接触した一晩のうちに、怯えなければいけない程の暴力を振るわれてしまったと考えるのが自然だ。

 いや、違う。

 そんな理不尽に傷つけてくる相手のことを彼が名前で呼ぶはずがない。

 そうなれば誰に怯える?

 答えはひとつだけ思い浮かんだ。

 父親だ。もし、園田さんの件で神崎と一緒に父親が絡んでいるなら、彼女に家の場所を教える流れで現れても不思議じゃない。

 

…………カチ

 

 思考を整理し、明瞭な意識の中に小さな音が耳に飛び込んできた。

 もう戻ってきたのかと思ったが、ズカズカと粗暴な足音がショウくんではないと証明していた。足音が近づくたびに近くの部屋から何かを探す物音がした。あまり物がないため、聞こえてくるのは扉を開ける音や椅子を引く音。それと食器などの陶器が触れ合う音が響いた。

 盗人だろうか。

 仮に空き巣ならば、ショウくんが持ってるもの以外の貴重品はこの部屋にあるだろうから、ここでポケットに入れた瞬間とっ捕まえてやろう。

 そう思って僕は、不自然に思われないように、先んじて視界を確保しようとひっそりと襖を開けた。

 数秒後、自室の入り口の襖の擦れる音がした。

 明かりがついて、侵入者が部屋の中へと入ったきた。僕が確保した視界の中へと脚を踏み入れた相手の顔を見ようと目線を上げる。

(……は?)と溢しそうになる口を両手で急いで塞いで、声を鎮める。

 顔をあげる途中で不自然なものが目に映ったからだ。

 恐る恐る相手を見る。現れたのは、僕が先ほど怯える相手として思い浮かんだ相手とは真逆の人間だった。

 

「吼月くん……大丈夫かな……」

 

 現れたのは神崎和也だ。

 その手には––––銃が握られていた。

 鈍く、冷たく光るソレを見た瞬間、僕の首周りがキュッと締め付けられる感覚に襲われる。

 

 大丈夫かな、はお前だよ。

 

 

 

 

「仕事帰りですか?」

「うん。今日はちょっと残業あったけど、すぐ終わったし」

「今が20時ですから、19時ぐらいまでやってたんですか?」

「そんなところ」

「多くないです?」

「これでも全然マシな方よ」

「闇が深い……」

 

 会社の闇を聞きながら、その暗黒に勝るとも劣らない夜の闇に目を向ける。その闇を裂いて光を届ける月の下を仁湖さんと歩いていく。

 時折、車道をブゥーンとエンジン音を引っ提げて通り過ぎていくヘッドライトの明かりが仁湖さんの顔をハッキリと映す。その度に彼女の表情を窺う。突然手を引いて、あの場を強引に離れてしまったが不快ではなかっただろうか。

 下手なことがあると、仁湖さんの身に何が起こる分からない。

 ハツカだけなら、隠せる場所もあったし聡明な彼の事だから見つかるヘマはしないだろう。それに非常事態が起きてもすり抜けなどで脱出だって出来る。

 しかし、大丈夫と決断できたのは、あくまで【吸血鬼であるハツカ】だからだ。人間である仁湖さんがアイツに巻き込まれれば、取り返しのつかないことになる。

 俺は確かめるように仁湖さんに尋ねる。

 

「どうやって俺の家を知ったんですか?」

「えっとね。あの弁護士の人に教えてもらったの。神崎ってテレビでよく見る」

「ああ–––」

 

–––やっぱり、あの野郎。

 

 心の中で毒づきながら、俺は視線を真っ直ぐ前に向け直す。

 

「それで……えっとぉ……」

「吼月。吼月ショウですよ。ま、鬼さんでも好きな方で呼んでくれればいいです」

「なら、ショウくん」

「はい。なんでしょう」

 

 仁湖さんの歩速が早まって、俺の隣に着いた。そのタイミングで俺から手を離すと、頭上から楽しげに弾む声が降りかける。

 

「この間はありがとう。お陰でだいぶ気が楽になったよ」

「会社の方はどうです? 上司から逆恨みとかされてませんか?」

「あのばか……パワハラ上司は飛ばされたよ。下手に辞めさせるとかえって何をしでかすか分からないから、遠い部署に置いておくことにしたって。それに残業時間も減って、なのに給料が上がるという万々歳な状況なの」

「アイツら、最低賃金も払ってなかったのか」

「それもだけど、残業手当出てなかったんだよね。サービス残業ってやつ? 神崎さんたちから指摘されて初めて気づいたの。それだけ仕事に忙殺されてたんでしょうね……」

 

 明細表を見る暇すらなかったのだろう。光景を想像するだけで嫌気が差してくるが、これが良くある話だと言うのだから俺たちにとっては悲しい現実だ。

 肩をすくめていると、仁湖さんが俺の前に躍り出る。声と同じ喜びが弾けるような笑顔を湛えながら僕に言う。

 

「本当に感謝してるの。ショウくんのおかげ。私の命の恩人」

「俺も嬉しいです。貴女が幸せそうで」

 

 自分の中に生まれた二つの感情。そのうちの片方を胸の奥へと仕舞い込む。

 感謝されながら、俺が感じているのはいつも通り嬉しさ半分困惑半分の曖昧なモノだった。気分が悪いわけではない。むしろ良いぐらいだ。

 仁湖さんが今も笑って暮らしていると思うと、心の底から嬉しくなる。けど、本当に感謝されるべきは摘発に動いた労基や弁護士事務所の人たちだ。俺がした事なんて微々たるモノだ。

 それに彼女も大事なことはキチンと自分でやったのだ。

 

「でも、俺だけではないでしょう。あの時の上司からのパワハラをキチンと引っ叩いて、次の日に出社できる胆力がなければ実りが出ることもなかった。貴女自身の力ですよ」

「ふふ。お世辞が上手いのね」

「さあ、どうでしょう。俺としては本心なんですけどね」

 

 でも、せっかくミドリさんの所で練習もしたんだ。すぐに慣れるわけではないが、せめて困惑することがないようにしたい。

 

「ゆとりができて良かったです。香水とか、自分に目を向けられる時間ができたみたいですし」

「あ。匂ってた? キツくないかな?」

「いいえ。近づくと程よく香ってくるので心地いいですよ。それに仁湖さんの落ち着いた雰囲気に合ってます」

「そ、そうかな?」

「それに髪もそうですよね? ふわっとした感じがして俺は好きですけど、美容院に行ったんですか?」

「うん。元々お客とはよく話すから気を遣ってはいたんだけど、せっかくならいつもと違うところに行ったりしてさ」

 

 嬉しそうにニヤケて笑う彼女に俺は首を傾げる。今の会話で面白い箇所があっただろうか–––俺の感性か? そうだな。変だもんな。

 仁湖さんは右足を軸にくるりと回って、背中を見せる。

 再び歩き出した俺たちは、あてもなく夜の街を歩く。途中、オレンジ色の街灯が照らす公園が目に入って、『あそこで座りましょうか』と俺が訊ねる。仁湖さんは『ベンチあるかな?』と目を細めながら単色の公園に脚を進める。

 

「神崎とは今も話したりするんですか?」

「……少しはね。近況はどうか、とかそう言うこと聞いてくる。殆ど、私じゃなくて都雉さんだけど」

「あの人が本来の依頼人ですからね」

「話を聞いた時は驚いたなー……様子が変だった理由が告発だったなんて」

「そうでもしないと本人が潰れてたでしょうからね」

「仕事の振られ方はあの人が1番ヤバかったからね……」

 

 神崎の事務所を勧めたのは俺なわけだが、会社での都雉の親の様子を俺は詳らかにしていない。そもそも俺は学生の方の都雉の相談に都度乗ったり、名刺を渡しただけで親には会っていない。

 ただ話ではかなり憔悴しきっていたようだ。親がその状態では家族だって気が気じゃないだろう。

 今は問題が解決して、親子共々楽しそうに暮らしているらしい。

 

「一応、神崎に言えば変えることができますけど、するつもりですか?」

「え? なにを?」

「名前ですよ。この間言ってたじゃないですか。『こんな名前呪いだ』って」

「あーー……」

 

 公園に入ってベンチに座ると、仁湖さんは月を見上げながら唸る。

 

「あの時は勢いで言っただけなの。でも、変えれるなら変えてみたいかな。親には悪いけど」

「別にいいじゃないですか。親が勝手につけたレッテルなんて」

「漢字もめんどくさいし……あれでニコって呼ぶのもね。もし、私が変えたいって言ったら一緒に考えてくれる?」

「ええ。案を出すだけなら構いませんよ。決めてと言われると困りますが」

「最後は私が決めるよ。でもそっか、手伝ってくれるんだ」

 

 微笑んだ仁湖さんは顎を引いて、俺の方へと顔を向けた。

 舐めるように動く視線は俺の全身を確かめている。不快感があるわけではないが疑問に思うし、くすぐったく感じる。

 暫くして、頭のてっぺんから足先まで眺め終えると、彼女が口を開いた。

 

「あの時とやっぱり性格? が違うよね。俺呼びだし、学生だし」

「キャラは作ってましたからね」

「なんでそんなことを?」

「正体をバラすつもりが無かったからですね。日跨いだ時間帯だったので、下手に子供が関わっているとバレれば事務所に影響がありますし。知らない人からしたら、弁護士事務所が子供を使うなって言いたくなるでしょ」

「子供を働かせてるって他の人に知れたら責められるだろうしね。法の仕事をしてる所なんだし」

 

 責められているわけではない。

 けれど、俺の素性を知ろうとしているのは、証拠を取るために利用されたことが腹立たしいのだろうか。

 

「やっぱり利用されるのは、嫌でしたか?」

「うん。いい気分ではなかったかな」

「そうですか」

「だから、ひとつ……聞きたいことがあるの」

「なんでしょう」

「えっとね……」

 

 一呼吸置いて、口を開こうとしてすぐに閉じた。何度か言うのを躊躇うので、本当に聞きづらいことなのだと肌感覚で分かる。

 何がそこまで彼女の口を縫い付けるのは分からないが、五回も躊躇われるとこっちは焦ったくなる。しかし、ここで急かせして、理世のときの様に答えを出せなかったら余計に彼女を傷つけてしまう。

 

–––どうせ碌なことじゃない

 

 胸の内で俺が言った。

 ドクンと胸が跳ねる。

 

「貴女がキチンと言えるまで待ちますから、ゆっくり言えばいいですよ」

 

 俺は彼女が語りまで、心の中で数を数え下ろして心を落ち着かせることにした。感情は魔物だ。行動の邪魔になるなら3秒で払い除けろ、と以前読んだ小説で言っていたから、それを真似ることにしたのだ。

 20……19……18……17……

 そうして、俺の心から焦ったさが無くなるのと、彼女が口を開いたのは同時だった。

 

「あの時、もし仕事じゃなかったら……私に声はかけなかった?」

「かけましたよ。死にそうな顔をしている仁湖さんがいたら、放っておけるわけないですよ」

「ショウくん……そっか……」

 

 仁湖さんの肩の力が抜けて、身体をベンチの背もたれに預けたのを見て、俺も安堵の息を吐く。

 特にこれと言って怖がる必要のない問いだった。変な不信感が起きなかったのは、彼女の想いの話ではなく俺の矜持についてだったからだろう。

 気を張って損したと言うのは簡単だが、いざと言う時の安らぎを得る方法を見つけたのだからヨシとしよう。

 

「でも良かった。……てっきり俺、なにか仁湖さんの地雷を踏んだかと思いましたよ」

「そんなことないよ! 本当に感謝してる! 他の人たちの助けがあったのは間違いないけど、私のとっての一番の恩人はショウくんなの」

 

 それでね–––と言って、背もたれに右肩を当てながら俺の方へと上半身だけ捻る。彼女はスーツとカッターシャツの襟を引っ張って首筋を露出させた。

 

「は?」

 

 きめ細やかで、掴めばスルリと抜け落ちていきそうな滑らかな肌が突然目の前に現れて、俺はどうしようもなく混乱する。

 さらに混迷を極める一言が彼女の口から走る。

 

「血が飲みたくなったら、私の事、好きにしてくれていいから」

 

 頬を赤熱させて、潤んだ瞳で俺を見る仁湖さんが目の前にいる。血を吸うことを求める眼が俺を貫いて、離そうとしない。はしたないとは思わなかったのは、気怠げな印象の彼女がぐったりと背もたれに身を預けている様が似合っていたものあるだろう。

 しかし、そんな事よりも俺の脳は別のことに囚われていた。

 

「あはは、やっぱり一回りも違う女の血は吸いたくない?」

 

 いや、貴女は見た目も実年齢も十分若いんだから、そこは気にしなくていいだろ。

 

「とても魅力的に見えたのですが、なんで俺を吸血鬼だと思ってるのか分からなくて……」

 

 あの晩、ハツカの真似と仁湖さんの心を晴れやかにするために力を使った。夜空へ彼女の体を放り投げたのだ。つまり、見せた力は怪力でしかない。

 怪力(イコール)怪物なのは想像できるが、怪物=吸血鬼なのは飛躍しすぎだ。

 

「あれ? 違ったの?」

「俺の力はあくまで狐の力なので。血を吸いたいとも思いませんし」

「ええ……てことは、あの噂ってキミのことじゃないの?」

 

 勘違いの原因について、俺が頭を捻ると彼女は姿勢を戻して、説明し始めた。

 

「『夜の街に出ると血を飲み干す鬼がいるから気をつけろ』って噂。血を飲む鬼なんて吸血鬼ぐらいじゃない?」

「確かに。ピンと来るのは吸血鬼ですね」

「ショウくんのことを鬼さんって呼んだでしょ? アレ、会う直前に上司が『鬼に気をつけろ』ってふざけた事を言ってたから、その流れで呼んでたの。その話を同僚と話してたら、そんな噂があるって教えてくれてさ。あ、もちろんショウくんの力のことは話してないよ。あの秘密を人間で知ってる人……あまり居て欲しくないし」

 

 相槌を打ちながら、俺は頭の中で情報を整理した。

 そして、もう少し内容が欲しいと思い訊ねることにした。

 

「相手のデマではないですか?」

「それはないと思う。別の部署でも結構な人数が知ってたし」

「いつから噂されたものですか?」

「分からないけど、比較的新しいものだよ。一、二年前のものじゃないかな。昔も似た様な怪談はあったらしいけど微妙に違うし」

「似た怪談?」

「辻斬り。夜遅くに出歩くと血を啜る落武者に殺されるって話」

「それは……雷のヘソと同じで子供の躾のための話ではないんですか?」

「かもね。鬼もそうだけど、辻斬りの方は子供を狙うって話だし」

 

 彼女と問答を繰り返しながら、以前から頭の中で引っかかっていた疑問を取り出していた。

 

『なあ、吸血鬼がいるって言ったら信じるか?』

 

 奏斗先輩がエマに血を吸われそうになった時のこと。

 彼はエマが吸血鬼であると半信半疑で疑っていた。牙が見えて、噛まれそうになったから吸血鬼だと言ったが、吸われてはいないのだ。彼の身に起きたのは、あくまで()()()()()()所までだ。牙が見えた所で、少し人より伸びた犬歯だと思っても不思議じゃない。

 もし、吸血鬼だと考えたきっかけがこの噂なら納得が行く。奏斗先輩も仁湖さんも、精神的にまいっている状態で話を聞いた。与太話を信じても無理はないだろう。

 問題は吸血鬼が多く存在する小森の町でこの噂が流れた理由が、辻斬り話が歪んだせいか、意図的に流されたのかだ。

 前者はまだいい。後者なら鶯さんが流したのだろうか。

 その場合のメリットを考えるが、噂ばなし程度で人の動きを止められると考えるほど鶯さんの思慮は浅くない。確認はしておくべきだろうが、気にすることでもないか。

 

「とにかく俺は吸血鬼ではないですよ」

 

 少なくとも、今考えた所で答えは出ない。

 

「そ、そっか……あはは……」

 

 仁湖さんは恥ずかしそうに熱った首筋を抓り、居心地が悪そうにモジモジとし始める。

 そんな彼女の肩に俺はポンと優しく手を置いた。微かな震えが手を伝ってくるのに連れて、俺は微かな高揚を徐々に腹の中へ溜めていた。

 

「それで仁湖さん」

「は、はい!?」

「さっき俺に首を差し出したけど、吸血鬼の子作りの方法は知ってますよね?」

「……ひとのちを……のむこと……です」

 

 大の大人が赤子の様に訥々と喋る姿は滑稽だ。同時に愛らしく感じている自分もいた。

 

「つまり、仁湖さんは僕の子供になりたかったんですか? こんな……一回りも小さい子供の眷属に」

「……」

「俺が本当に吸血鬼だとしたら人間として死ぬかもしれなかったのに、血を飲まれたかったんですか? どうなんです?」

「……いいの、眷属になっても。じゃなきゃ、吸血鬼は死んじゃうでしょ」

「優しい人ですね」

 

 愛おしく思えたのは何故だろうか。常識とせめぎ合いながら、俺の為に身を差し出そうとする様な行動に何かを感じたのだ。

 血を飲みたくなったら、自分のものを飲んで良いと彼女は言った。彼女の視点では会社での憂鬱も無くなって、これから楽しくできるというのに人間を捨てるメリットなんて無い。

 そこで俺はぼんやりと掴んだ気がした。

 自分の行動を他人から見ると、どう映るのか。価値観が近すぎる理世とも違う、利害関係と勝負事のハツカとも違う、距離を置いた相手だからこそ映る意思。

 

「ありがとうございます」

「え?」

「もし、俺が吸血鬼になったとしたら、貴女を俺の眷属(こども)にしてあげます」

「えっ」

 

 ベンチから立ち上がって振り返れば、仁湖さんは夢が現になったように惚けた顔をしている。

 

「なんて、ね。冗談です」

 

 仁湖さんの目の前に手を差し出せば、戸惑いながらも彼女は俺の手を取った。

 

「そろそろ帰りましょうか」

「……うん。分かった」

 

 再び立ち上がると俺たちは歩き出して、帰路についた。

 

 

 

 

 団地が目の前に現れ、視界の半分以上を覆った頃、俺たちは団地のそばに設けられたタクシー乗り場に来ていた。駐車場に作られたスペースにいるので、家には徒歩でも一分もかからない。

 誰かが帰ってきたようで、タクシーが一台停まっていた。

 仁湖さんはそのタクシーで帰るという。

 

「そうだ。連絡先の交換しますか?」

「いいの? 何処の馬の骨とも分からない女の電話番号だよ? 親御さん、心配しない?」

「それは大丈夫です」

 

 スマホを取り出して、仁湖さんと電話番号やラインのアドレスを交換する。それらで軽く会話したあと、彼女はタクシーのドアを開ける。

 

「それじゃあ、機会があったらまた遊ぼうね」

「ええ」

 

 手を振り合って、見送る。

 車の影が無くなったタイミングで俺は聳える団地の建物を仰ぎ見る。そして、腕時計へと目線を落とす。

 

「ちょうど15分か。……よし」

 

 戻ろう。

 ハツカの無事を確認しよう。

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