よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第七十五夜「スゴイ!ジダイ!ミライ!」

 これは自分の体をアレコレ壊して力を制御するためのトリセツである。

 目的。

 ジオウの映画?に行きたい。そのためにジジババを外の人たちに突き出してお金をもらう。

 

 今のショウくん(ぼく)の体。

 1、殴られたり、切られたりして壊れてもすぐに直る。

 2、大人を片手で吹き飛ばせるだけのチカラがある。

 

 まず1をどうにかして、傷を残るようにしないとジジババに殴られていることを証明できない。運がいいことに映像を撮れるカメラもあった。両方揃わないと、また嘘だって言われちゃう。

 2は我慢。アイツらを殴ったところで意味がない。オバサンみたいな人も作りたくない。

 期限は夏まで。今は足に霜が張るほどに寒い冬だから、少なく見積もったら6ヶ月以内には力を使いこなせるようになりたい。

 本当は今やっている映画にも行きたいけどお金もないし、行き終わったらまた地獄に逆戻りするだけだから頑張って死ねるようになる。

 探りを入れる方向性はすでに決めてある。

 クソババが僕の眼を焼く前に『殴ったらその分僕はよくなる』みたいな事を言っていた。多分、1も2も怪我をしたあとに発生するタイプ。

 

 うん。

 書き出してみたら、頭が落ち着いてきた。

 またお尻になにか突っ込まれて凄く痛かったけど、この小さなノートと鉛筆が見つかって良かった。

 これから頑張ろう。

 

––––僕は1ページ捲った

 

 ▲(七日ごとにジオウがやるので、1日ごとに個別のマークを打つ)

 今日は刺されることはあったけど、比較的殴られるのは少なかった。クソジジが腹に刺しっぱにしたカッターナイフを引き抜くと苦痛で身体が焼き切れそうだった。しかし、直ぐに完治して痛みだけが残った。そのあと自分の足首を切った。すごく痛かったし、左足がまったく動かなくなって焦っちゃった。力が全然入らない。

 癒える度に深さを変えながら足を切り付ける。深くなるほど早く直っていく。

 

––––流し読みになりかけた意識を元に戻して、更なるページへ

 

 ▼

 今日は久しぶりに顔を水につけた。

 首を掴まれた状態で、何分も息ができない水中に顔を入れていた。酷く苦しかったけど、それだけで死ぬことはなかった。馬鹿力が出る様子もなかった。

 

––––所々血で読めない場所がある。読めるところだけ見る

 

 ●

 反応しないようにするのも慣れてきた。

 拳も蹴られるのも、切られるのも身体の中を掻き回されるのも完全にどうも思わなくなっている。面白みが無さそうにぼくを見下す爺婆を見て、やっぱり怒りや苦痛は捨ててよかったんだと確信した。

 ◉

 痛みになれてくると、次第に爺婆は新しいやり方でぼくを痛めつけることにしてきた。背中を灰皿?代わりにされた。火傷は中々直らない。切りつければ直りが速くなるけど、めちゃくちゃ痛い。

 ⬛︎

 書き始めて二ヶ月ほど経った。ようやく進展があった、確信がある。

 発動条件は出血だ。

 急速に直ったり馬鹿力が出る時はいつも血が出る時だ。切り傷や内出血、食い破られた皮膚など血が出る時が直りが早く力も出る。

 逆に首を絞められたり、水に顔を突っ込まされたりした時は力が出ない。

 血が原因なら、やっぱり出てくる量や傷の深さ? あれ、血って体内にずっとあるよな? 血があるところに見えてまた別の理由? 

 少なくとも血が身体から出ることが目標なのは違いない。

 ✖︎

 ここに来て半年くらい経ったと思う。

 今日はババに椅子で殴られた。最近始まった造花作りで、ひとつだけ出来が悪かったらしい。脇腹が赤くなっていた。多分内出血ってやつだ。痛みもすぐに引いたし、赤黒い色をした肌もすぐに戻った。血が出るなら何でもいいのか?

 ババはその後すぐにジジイみたいに腰につけた棒で僕の腹の中を掻き回した。

 

––––手に力がこもって、紙が微かに破れる

 

 ◆

 お腹が空いた。

 飯が出なくなってどれだけ経っただろうか。今日みたいに時々ジジババが居なくなるタイミングがあるが、冷蔵庫にはチェーンがつけられている。意地でもぼくに金を使いたくないらしい。飢え死にもしないので辛い。

 ネズミが僕の指を食べていた。美味しいのかな。

 

––––終盤のページに差し掛かる

 

 ▼

 分かった。痛みだ。血と痛みが原因だ。

 痛みは興奮したり恐怖に震えさせたりして、感情を昂ぶらせる。叫びたくなるほどの痛みだと瞬間的に直るけど、慣れた今では数分かけて直る。心臓の鼓動が速くなるからとかなのかな。

 詳しい理屈はどうでもいい。

 欲しい未来のために捨てるべき力が見つかったのだから。できる。未来の自分を信じる。

 ◉

 まだできない。

 ◆

 まだできない。

 ✖︎

 まだできない。

 

 

 

 

 

 

 

 ●

 できた。

 

 

––––先はない。ここで僕は彼の過去を読み終えたのだ。

 

「……」

「どうだった? 少し前のあの子は」

 

 メモ帳に視線を落としたままの蘿蔔ハツカ()は、軽く呻き声を漏らすことしかできず般若の女に返事すらできなかった。

 何度破り捨てようとしたか分からない。

 わざわざ預かってのにそこから虐待して、金稼ぎまでやらせて、なにより……想像しただけで吐き気がして、直ぐに手で口を抑えた。

 

「最悪だよ……」

 

 数分経ってようやくマトモに返事ができた。

 

「元々金目当てでショウくんを預かったんだね」

「里親制度だったかしら。あれ、施設から依頼を受ける形でやってるから支援金がもらえるのよね」

「ねえ、その施設さ……ショウくんを早く手放したいから調査とかせずに渡したりしてない? 今の審査は厳しかったはずだけど」

「あの子がいた児童園は相談所も兼ねてるから、不和の元凶をさっさと追い出せた」

 

 僕はまた口を閉じて、思案する。

 施設に全ての責任があるわけではない。大元はショウくんをはじめとして施設の子達を虐めた学校の子達であり、その子達を見て見ぬふりをした学校の教師たちだ。虐待だって、ショウくんを預かった老夫婦が原因だ。

 それでも、ショウくん一人だけを悪者にして突き放したのは許せない。

 せめて……責任を持って、預ける相手がどんな人物か詳らかにして欲しかった。

 

「ねえ、このメモ帳の流れからして老夫婦たちを突き出したところまでは想像できるんだけど……その後からどうやって琢磨のもとに帰ってきたの?」

 

 僕の疑問に、入念な彼女は澱みなく答える。

 

「ショウくんが虐待を暴露するのに利用したのが、音羽探偵事務所。あのクソ夫婦の家のそばに看板があったらしいわ。で、そこと協力していたのが」

「神崎か」

「その通り。同時期に神崎も失踪した……戸籍がないから失踪ですらないんだけど、あの子を探してた。ちょうど捜索依頼が探偵事務所に来ていて、神崎に連絡が入って琢磨の下へ帰還した。お互いにとって最悪な帰還だけどね」

 

 結果はご存知の通り。

 般若はこのガランとした自室全体に眼をやって、重く湿ったため息をついた。ここまで不運にかこわれて生きてきた少年のいまが、ネグレクトのど真ん中、なのだから嘆息を吐き出したくなるのも分かる。

 関わりが少ない彼女ですら暗澹とした気持ちになるのだから、僕が辛い気持ちになるのは当然だった。

 

「過去が地獄で、今は虚無みたいなもの」

 

 今までずっと心細かったに違いない。

 

「さらに彼は神崎が吸血鬼を目の敵にしていることを知ってしまった。それも唯一繋がりがある貴方とその友人である小繁縷ミドリを敵視している」

 

 そうなったら、彼が取りそうな手段はひとつ。

 

「貴方が取るべき手段はひとつだけ。このまま受け入れることよ」

 

 彼は僕の身を守る為に、僕のそばから離れるだろう。

 

「知るか。そんなもの」

 

 

「スッキリしたよ」

 

 一通りマッサージを終えた吼月ショウ()は、処置前に比べて動きが軽やかになった鶯さんを見る。彼女はパタパタと両足を交互にバタつかせたり、ゆっくりと両肩を回している。脚だけでなく、他の部位のマッサージも行ったので結構な時間がかかってしまった。

 マッサージの途中は何気ない会話をした。

 俺の過去について知っているからだろうが、爺婆に引き取られた後の事を彼女は殆ど聞かなかった。尋ねてきたのはたったひとつ。

 

『ひとつ気になっていたんだが、あんな地獄でよくテレビなんて見れたな』

『後から聞いたけど、名古屋って東京と違って9時ちょうどからパチンコ屋が開くので開店前には出ていくんですよ。当たり続ければ一日平穏なんですけど、負けるがこむとすぐ帰ってきて俺で憂さ晴らしするんですよね……』

『パチカスめ』

 

 憎しみめいたものを一言で吐き捨てた。

 金が欲しいならわざわざ負けが多くなる設計のパチンコに金を注ぎ込むのはどうかと思う。まだ真剣勝負の競馬の方がチャンスはあるだろうに。

 床に座るとする俺に鶯さんが言う。

 

「ベッドに座ってくれていいぞ」

 

 そう促されて従うことにした。ベッドがふんわりと沈み込んで俺の体重を優しく受け止める。質のいいベッドだなと思った。

 鶯さんは虚空を彷徨わせていた両足を床にピッタリつけると、俺を見て言う。

 

「よく他人の脚を触れるよな。誰かに傅くのが好きなのか?」

「違いますよ。別に悪いことをされてないですし、人が気持ちよさそうに笑うのを見るのは気分がいいです」

 

 ふぅん……と納得いかなさそうに鶯さんは頷く。

 

「……」

 

 仕事がひと段落つくと、会話が無くなる。

 ハツカどうしてるかな……神崎の奴に襲われてないかな、大丈夫かな。神崎の関心が無くなるまで会うのは控えて、でも、ハツカに狙いを定めたなら俺が会わなくても殴り込みには行きそうだし遠目からハツカのことを見守ってそれではハツカに迷惑がかかるしどちらかと言うと神崎に張り付いてアイツの動向を探る必要があるかアイツが吸血鬼関連で恨みがあるのは間違いないじゃなきゃあんなに恐ろしい瞳の闇が現れるはずがないもし神崎がハツカの弱点を持っていたら最悪だな俺が原因でハツカに鶯さん以外の脅威を俺がいなければ良かったんだいや本当にやるべきことは分かっているだろ。

 

「っくん……吼月くん!」

「え」

「やっと返事をしたな」

 

 知らぬ間に沈み込んだ意識を持ち上げると、鶯さんがこちらを心配そうに覗き込んでいた。

 

「チェスでもやるか?」

「………あるんですか?」

「本格的なチェス盤はないが、タブレットにアプリが入ってる」

「でしたら、お願いします」

 

 なんでも良いから別の事で頭を回していないと、気分がどうきても落ち込んでしまう。部屋を照らす蛍光灯がちゃんとついているはずなのに、あたりが真っ暗に見えてくる。

 自分が正常じゃないのがよく分かった。

 理由は単純で、また逃げ出した自分がとても情けないのだ。

 

「キミが先行だな」

 

 ベッドに座り直した鶯さんと俺の間に置かれたタブレットに手を伸ばす。指定した駒の進む道を選んでいく。出番交代で鶯さんが黒い駒を動かした。

 ふたりして黙々と駒を進めていく。

 すると突然、

 

「ここに来るまでに何があった?」

「……別に何も」

「他の人には助けを求めろと言っておきながら、自分は塞ぎ込むのはナンセンスだぞ。吐き出すだけでいい。蘿蔔に言えない事ぐらいは聞いてやる」

 

 そう言われたのは勝負が終盤に差し掛かった頃。

 ハツカに負担をかけるぐらいなら、そう思って話すことにしたのだ。

 

「神崎がハツカを殺そうとしてます」

「……?」

 

 鶯さんは数秒、キョトンとして瞬きする。

 そして内容を理解した途端、出てきたのは『は?』という困惑の声。

 

「待て、奴が吸血鬼だっていうのは」

「知ってると思います。ミドリさんも一緒に名指ししていたので」

「う〜〜ん……あれか? 行方不明になっている妹さんが発端か?」

「おそらくはそうだと思います」

 

 神崎の家族構成は元々両親に加えて妹の四人。親は若い頃に交通事故で亡くしており、唯一残った家族である妹もある日を境に家に帰らなくなったらしい。

 なるほどな、と肯首しつつ鶯さんが駒をひとつ動かした。

 

「良いことじゃないか。これでキミも夜から卒業できる。なんせ、キミが居るから蘿蔔が狙われるんだからな」

 

 鶯さんは悪気があって言っているわけではない。彼女はあくまで吸血鬼の敵というスタンスなのだから。

 それでも胸の中からナイフで刺されるような痛みが走る。嗚咽を漏らしそうな激痛を押し殺して、俺は間をおかずに言う。

 

「離れたところで一度目をつけられたら何処までだって殺しに行きますよ。そういう奴ですから」

「神崎は暗殺者なのかい?」

 

 鶯さんが腑に落ちないのも理解できる。殺すという前提で考えているのは、吸血鬼を知っていることと鶯さんという前例、なにより神崎の殺気からの憶測に過ぎないのだから。

 なにより彼女が首を傾げるのは、

 

「弱点は消したのだろう? 私が言うのも変だが、心配する必要なんてないだろ」

「あくまでハツカが覚えている範囲でしか消せてません。もしその外側から私物を引っ張ってこられたら、ハツカは……殺される」

 

 マヒルやアキラたちのように事情を話して納得するならいいのだが、一緒にいる時点で即殴ってくる男に和解の余地はない。

 なら、打開策はないのか?

 そう尋ねられたら、現状を打破できる駒は存在すると答えられる。

 

「キミの力で黙らせることはできないのか? 良くも悪くもキミの力は」

「それだけは絶対にダメです!!」

 

 突然張り上げた声に、鶯さんは微かに慄きながら身体を震わせた。引き攣る彼女の顔を見て、投げ返ってきたブーメランにぶつかったように俺は居心地が悪くなってしまう。

 

「力だけで屈服させても意味がない。俺が心まで吸血鬼側(化け物)になったと誤解されるだけで、何も解決しないんだ」

 

 口調が荒くなる。

 自分が幸せになるだけでは俺は俺じゃなくなる。神崎に殴られたことも沢山あるけれど、爺婆と違って純粋な怪人(悪意)じゃない。事故で両親を亡くし、最後に残った妹さえも失踪してしまった過去から来る歪んだ善意。【家族は一緒にいることが幸せである】という価値観の押し付けで、それを覆さなければあの人も幸せにできない。

 俺も家族の楔から抜け出すことができない。

 親から離れてでも幸せになれることを証明しなければならない。

 

 これが正解なのかは分からない。

 

「それにこの力でもうオバサンみたいな人を作りたくない……」

「……どういうことだ?」

 

 恐る恐る訊ねてくる鶯さんの瞳は鋭くて真剣なんだと嫌でも理解させてくる。

 

「虐待されてた時の痛みとか記憶って結構曖昧にしてるんですけど、オバサンに殺されかける前に『いつもみたいに目を見て』って言われたことは鮮明に覚えてるんです。きっと……それは、オバサンが言いたかったことって…………」

 

 息を呑んで、僕は言う。

 

「魅了をかけて欲しかったんだと思います」

 

 交えた視線が解けて、険しかった鶯さんの眼が混迷の底に向かって下へ下へと潜るように落ちていく。理解できない様子からして、彼女も吸血鬼に【魅了】という能力が存在している確かな確証は持っていないようだった。

 けれど、鶯さんが以前言ったままの力があるとしたら––––辻褄が通ることがあるのだ。

 

「四年半前、オバさんは病院のベッドの上で死にました」

「あ、ああ……真那(まの)が病死なのは知ってるが……」

「オバサンは衰弱死で死んだんです。病死なのは、オバさんが勤めていた会社の人たちに伝えるために偽造したものなんです」

「そんなことまで。でも、病院でだろ? それに葛樹真那はかなり若かったはず」

「おかしいですよね。精神的に参っていたとはいえ、ちゃんと点滴で栄養も摂っていてカウンセラーもついていたんです。なのに突然俺の目の前でポックリ逝ったんです。俺の……クズノキの、10歳になる年のことです」

 

 眉間に皺を寄せながら鶯さんは言う。

 

「じゃあ……なんだね。母親である真那はキミを産む少し前から血を控えて、10年間吸わずにこの世を去ったとでも言いたいのか? それもキミが魅力の効果で母に血を吸わせないようにしていたと?」

「オバサンが望んだ事なのか、昔の俺が誘導したのかは分かりませんけど」

 

 俺がおもむろに頷くと、鶯さんは耳を劈くような声で否定する。

 

「バカな妄想だ! そんなこと考えなくて良い! 衰弱死だって、若い人でもなることはゼロじゃないんだ。キミはちゃんと人間だ。真那から聞いた言葉も聞き間違いでサバイバー症候群あたりが原因だろう。自罰的な思想に走るというからな」

 

 捲し立てるように声を張る鶯さんの剣幕に俺は後退る。

 聞き間違いだった?

 記憶の濁流の中に揉みくちゃにされて、自責の念に駆られた俺の妄想だったのだろうか。確かにそれなら気分は楽になる。

 でも、でも––––押し倒されて、骨を折られた感触と共に脳ではなく全身に刻み込まれたあの記憶が、俺のつくり話だとは到底思えない。あの時、確かにオバサンは俺に何かを求めたんだ。見つめるだけで何かが起こるとしたら、昔から俺の中に棲みついた異様な力だけだろう。となれば、形容する言葉は違えど、似た力を有したなにか。

 異様な力が吸血鬼の力なら、もし完全に吸血鬼になった俺はどうなる? ハツカの意思でも歪めるのか? 嫌。そんなことしたくないよ。

 俺はどうするべき––––変わらない。未来の俺を信じたなら、やり徹すしかない。人間のままいて、あの不信感を乗り越える。

 

「はぁ……はぁ……変わらない……」

「吼月くん」

「はい? ––––ん?」

 

 声に反応したとき、グラッと視界が動いて見える物の殆どが九十度傾いていた。唯一変わらなかったのは、俺を見ている鶯さんの顔だけ。鶯さんの手によって、ベッドに横にさせられたのだ。

 

「もしキミの言うとおりなら私とキミは同類かもな」

 

 投げかけられた言葉は、同情が色濃く含まれた今までより一層優しい声色をしていた。

 

「葛樹真那は自分が吸血鬼であることは知っていたのか?」

 

 尋ねられた俺は、最期に会ったオバサンの姿を思い出す–––––

 

 

 

 俺と入れ替わるようにして、オバサンは入院していた。

 場所は別だったが運んで行った救急車に書かれていた病院名を覚えていたので、自分で歩いて向かった。

 独りで会いに行ったのは、オジサンが全く興味を示さなかったのと、当時暮らしていた家の人たちからは居ない者として扱われていたからだ。

 病室に入って最初に思ったのはガランとした、寂しさばかり清潔感だった。輸液ボトルからベッドに向かって何本かの管が延びていて、そこにオバサンがいた。カーテンに遮られて光が殆どない部屋。ベッドの隣には各病室に備え付けてある花瓶に見窄らしい花が活けられている。

 ベッドは背上げされていて、彼女の顔も入ってすぐ認められた。顔色はとても悪く微かに動く口元からは『あの人のせいで……みんなみんな、消えればいいのになんで私ばっかりこんな目に……』と壊れた蛇口のように呪詛を垂れ流していた。

 幼い頃の俺でも、それが憎悪であることはハッキリと分かった。

 こちらから認識できるならば、相手も同じ。

 

『ハアッ––––ッ』

 

 息を呑んだ彼女の青白い肌に突然力がこもって、険しい表情で俺を睨みつけている。ぶつけどころのない怒りと途方もない悲しみが同居した、正しく般若の顔のようだった。

 気圧された俺はすぐに顔を俯かせる。単純に怖かったのだ。

 

『化け物め……!』

 

 そして、その選択が間違いだったと気付かされたときには、固い何かが俺の頭に激突して、耳のそばで大きな破裂音がした。目の上から伝ってきた液体を手で拭うと真っ赤な血で、あたりに散乱する花と破片から花瓶が破れたのだとようやく理解した。

 

『お前のせいだ! お前が生まれたせいだ! お前なんか本当は産みたくなかったのに、アイツらが無理やり産ませるから! それにあの人も……信じてたのに! みんなを見ていても……嫌だ気持ち悪い……!』

 

 怒りは次第に怯えに変わり、誰に対してか分からない言葉を吐き出し始めた。ベッドの上でのたうち回り、彼女の動きに従ってスタンドが倒れていく。

 部屋の中も外も騒がしくなる。

 見ていられなくなって、俺は一歩踏み出す。

 

『オバサン……』

『来るな! 化け物!』

 

 暴れた末にベッドから落ちたオバサンは、腕に切り傷を残しながらそばにあった花瓶の破片を拾い上げ俺に向ける。彼女の手から滴る物は何もない。

 

『私は化け物なんかじゃない……違う、違うなんなのこれ……』

『オバサン』

『いや、来ないで』

『なんで? なんでなの? 誰に騙されたの?』

『い––––』

 

 カタっ。

 手から滑り落ちた破片が音を立てた。

 続いて、オバサンが力無く倒れた。

 

『ん?』

 

 放心しかけた身体を、グーで太腿を叩いて起こす。

 決心して近づく。彼女の脇の横に膝をついて体を揺する。起きない。何も言わない。力も入っていなくて、少し冷たく感じられた。

 完全な異変だと分かったのは、この後で…………

 

『なんだろう?』

 

 彼女の体を揺すっていた手に違和感を感じて見てみれば、そこにあったのは––––

 

 

 

 –––––灰色の粉だった。

 

 

 

 

 思い出して、あの人は何も知らなかったと思います、と俺は言いながら、手に染みついた違和感を祓うようにズボンで何度も拭う。

 

「そうか。なら、やはりキミと私は似ているかもね」

 

 苦々しげに呟く鶯さんは、どう表情を作ればいいか忘れているような顔をしていた。瞳は真っ黒に染まった孤独な色だった。

 

「恋心のせいで家庭が崩壊して。ひとりになって、傷ついて、ちゃんと–––」

 

 自嘲するように鼻を鳴らして、彼女は続ける。

 

「申し訳ないんだがね、安心したんだ。キミが自分のことで助けを求めてきたことに」

「どういうことですか……?」

「虐待もイジメも跳ね除けて、今を過ごせているキミのことが羨ましかったんだ。人間にも吸血鬼にも優しくできる生き方もムカついたし、ナズナはナズナだと言えるその心の強さが憎たらしくて遠くに感じたんだ。

 けど、今のキミを見ているととても親近感が湧くんだ」

 

 ああ……この子もちゃんと壊れてるんだなって。

 彼女は恥ずかしそうに目を逸らして微笑む。どう返していいのか分からず、困惑しながら耳を傾ける。

 

「私は時々死にたくなる。キミは?」

「突拍子のないことを聞きますね……この間、ビルから飛び降りました」

「え? マジ?」

 

 鶯さんは絶句したように目を丸くした。

 

「まぁ……はい……そこをハツカに助けてもらったんですけど」

 

 ハツカの話題を出すと、鶯さんはこれ見よがしに顔を顰めた。吸血鬼が人間を助けた事実が気に食わないのだろう。

 しかし、不快に思ってはいないようで、顔色の中には安堵の色も確かに見えた。

 曲げないなこの人は。彼女と相対し、瞳をまっすぐ見つめる。

 

「でも、俺は鶯さんが思っているような子ではないですよ。生きてるのだって死ねないから開き直ってるだけですし、優しくするのだって魔王の言葉があったからだし。それに俺は大口を叩けるような男ではないですし」

「……魔王?」

「えっと……虐待されてたときに見てたジオウって作品の主人公なんですけど、年明けにスゴイ!ジダイ!ミライ!2022って回があったんですよ」

「頭悪そう」

「変身音なんですよ……その回で好きなセリフがあって」

 

 それは『未来の自分を信じられるなら、力を捨てる勇気だって持てるはずだ』というもので、当時の俺には誤った道に進もうとしたものを善い道へと誘う言葉に聞こえた。

 

「自分に当て嵌めると、捨てる力ってなんだろうな……って考えたら異能と現状を憎むだけの心だなって思って、それを捨てることにしたんです。そしたら、爺婆も哀れな人たちに見えてきて、どうせ治って諦めがついて騒ぐ気力も無くなったんです。代わりに頭を回して、今を掴み取りました」

 

 力や憎しみを捨てる考えを持たなければ、いつ暴発して爺婆を殺していたか分からない。

 捨てることとは、忘れること。

 忘れることとは、何か別のものと入れ替えること。

 俺にとって幸せへの欲求が怒りの代わりで、優しさが憎しみの代わりだったのだろう。

 

「……私を助けようとするのは実体験からか」

「それ以上に鶯さんには怒りや憎しみだけで、今も先の未来も終わらせて欲しくないんです。優しい日向に向かい続ければ幸せになれる。鶯さんの日向が見つかるまで一緒に居たいんです」

 

 きっと彼女も幸せになれる。

 だから俺は決して止まることは許されない。関わったのなら最後まで尽くす義務がある。

 

「なら、私もだな」

 

 俺が頭にハテナを浮かべていると、再び彼女の腕がこちらへ伸びてきた。ずるっと引き寄せられて、両頬を女性特有の柔らかい感触が覆う。

 はにかみ笑いを作れるだけの余裕は俺になかった。

 

「私もキミのそばに居よう。信じる事の出来ない相手が集まる学校では虚勢を張り続けて、恋をしてはいけない相手との未来を賭けたよふかし……心の底から気が休まる時はないだろう?」

「違いますよ。嘘をつかなくていいから、なんでも直球で言ってくれると思ったハツカだから」

 

 首を小さく振りながらも、優しい声と温もりに身体の力が緩まる。

 ハツカに抱きしめられた時と同じような感覚に陥りながら、俺は大した抵抗をすることなく彼女の話を聞き続ける。

 

「……それもだ。私と居ても虚勢を張っているだろう。それはもうやめてくれ。私のそばに居れば、いくら弱点を持っていないとはいえ蘿蔔が近づいてくることもない。逆にキミが神崎の手から蘿蔔を守りたいと言うなら好きにするといい。止めても無駄なのは分かってる。神崎とのクッションにだってなってあげよう」

 

 正直な話、魅力的な内容だ。

 ハツカとの距離も置けて、自由にハツカの警護ができて、神崎と話す際に間に入ってくれる。無闇にハツカを危険に晒す必要だってなくなる。鶯さんの世話だってできる。入り浸っている理由だって、道のどこかで野垂れ死かけていた鶯さんの日頃の世話をやいていると言うことにすれば神崎も納得するだろう。

 少なくともこれ以上、ハツカと神崎が接点を持つことはない。

 

「どうだ? 私に雇われてくれないかい?」

 

 彼女の問いかけに重ねるようにして、胸の中で這いずる気味の悪い衝動が再び胎動を始める。

 

––––手を掴もうとしてくれたハツカから逃げた俺が、今更アイツと向き合っていいはずがないだろ? 今度は逆の立場で失敗したお前をアイツは認めてくれない。

 

 心の中に住む不信感()がつらつらと言い当てる。

 頭を優しく撫でられる。

 

––––神崎は吸血鬼を殺す。だから、俺も殴られるのか。ハツカも同じだ。俺がいるからハツカは殺される。

 

 化け物()が居るから殺される。やっぱり僕は生きてちゃいけなかったんだ。

 抱きしめる力が強くなる。

 

「壊れた者同士、末長く仲良くしよう」

 

––––信頼したい相手を神崎なんかに近づけたくないだろ?

 

 次第に頷きたくなって、俺は鶯さんの顔を見上げる。

 

「ぼ……俺を」

 

 ハツカとの約束がよぎり、言いなおす。

 ゆっくりと動き出す唇と喉にエネルギーをもう一度流し込む。

 

「雇ってくださ––––」

 

 言い切ろうとしたその時。

 ブブブブーーーー!!と大きなバイブ音が足元から響き渡った。

 

「はい?」

「え?」

 

 なんとも都合のいい––––まるで俺の言葉を遮るタイミングで鳴ったのはスマホ。今も震え続けるスマホに手を伸ばして、彼女の膨らんだ胸元から脱出して画面を見つめる。

 

 そこに書いてあった名前も、なんとも最高の相手。

 

「ハツカ……?」

 

 なぜハツカが電話をかけてくれたのかことだけが分からなかった。

 ああ……でも、ハツカの声が聞こえる。

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