『ショウくん、話したいことがあるんだけど』
ハツカからの電話を思わず取ってしまったが、出るべきだったのだろうか?––––遅すぎる疑念を抱きながら、俺と鶯さんはスマホを眺めていた。
身体を抱いてくれていた腕は離れ、ベッドに横並びでうつ伏せになっている。
チラリと横目で鶯さんを見れば、『なんで出たのさ』と言わんばかりの不服そうな顔をしていた。反射的なものだったからどうしようもなかったんだ……。
ふたりして沈黙していると、ハツカが怖いことを言う。
『聞こえてる? 聞こえてるよねショウくん。探偵さんと見つめあうじゃなくて僕と話して欲しいんだけど』
「……」
「ええ……」
『ええ、じょないよ探偵さん』
開いた口が塞がらないというのは正にこの事だ。
ハツカの口調に最前に会った時のような焦りはない。淡々と俺を追い詰めるように話す彼は、何故か俺の現状を把握していて、どうやってか俺と鶯さんのやり取りを見破っている。
まるで監視されているかのようで背筋が寒くなる。声こそ穏やかだが、スマホの向こう側にあるハツカの顔はきっと目元に陰がかかった冷酷なものだろう。
「ヤンデレストーカーみたいなことしてるのか? コイツ……」
鶯さんも似た懸念を抱いたようで、窓の外へ目を向けていた。
『返事をしなさい。さもなければ、探偵さんの家に突撃する』
「なんで知ってるんだよ……」
『キミが知ってることを僕が知らないわけないだろう』
ひっそりと呟いたのにやはり聞き取られていて、首が締め付けられるような錯覚に陥る。飼い主に首輪をキツく締められる犬のような気分だが、悪い気はしなかった。
「おい、蘿蔔」
『なんだい探偵さん?』
「どうやってこちらの事情を知っているのかはこの際聞かないが、この子はキミとは会いたくないんだ。もう切らせてもらうぞ」
『切るのは別にいいよ、そっちに行くだけだし。ただね、ショウくん』
話があるという割には特に焦る様子も見せないハツカに、鶯さんは怪訝な表情でスマホを睨みつける。
ただ、俺には彼の意図はなんとなく分かったし、次にハツカがなにを紡ぐかも想像できていた。
それは––––
『そのまま止まってるつもり?』
俺の退路を断つための言葉。電話越しだというのにどっしりと目の前で待ち構えているように思えた。
『それじゃ、迎えに行くよ』
ハツカが言い終えると、プツー……と電子音が静まり返った部屋に響き続ける。繰り返される電子音が次第に遠退いて、俺の中に響く音が鼓動に変わっていく。
「行かなきゃ」
逸る気持ちに鞭打たれた身体はベッドから立ち上がり、玄関の方へと足を進める。待ってくれてるんだ。なら、行かなきゃ。俺にはその義務がある。
しかし、俺の意思に反するように退路へと引っ張る力が身体にかかって足を止めてしまう。
「……鶯さん?」
不思議に思って振り向けば、上半身だけ起こした鶯さんが俺の腕を掴んでいた。幼い子供のような瞳で俺を見上げている。
「わざわざ行く必要はないだろ」
彼女の力が強まって、俺を逃さない……逃したくない意志が強く感じられた。
理由はわかる気がする。鶯さんは俺の事を同類と評して、優しく抱きしめてくれた。それは憐れみなんかじゃなくて、本当の意味での同情だ。10年間吸血鬼と独りで戦い続けて見つけた、似た傷の持ち主。
「鶯さんは俺と一緒に居て、孤独を埋めたいんですか?」
「……ッ」
彼女は開きかけた唇が硬く閉じられて、歯を食い込ませた。目線を泳がせているのも考えて、本心を言い当てれたと見ていい。
鶯さんが慰めたいのは俺ではなく、自分自身だ。
死にたいと言った彼女の根本的な原因は、生きていく甲斐を見つけられないからだ。本当に殺したい相手は何百年と生きている星見キク。弱点なんて見つからない。そうなれば、彼女が今までやってきた10年間の努力が徒労に終わってしまう。嫌だと思えば思うほど不満は溜まっていき、最後には現状への失望になってしまう。
ようやく見つけた新しい存在意義を失いたくないんだ––––と考えてしまうのは、自意識過剰だろうか。
鶯さんと寄り添うキッカケに俺の過去が使えたなら、とても嬉しいことだった。あの過去にもやはり意味はあるのだ。
「キミがトラウマを治すために蘿蔔と一緒にいるのは分かってる。けど、それは治さなきゃいけないことなのか? 蘿蔔じゃないといけないことなのか?」
「……そうですね。以前の俺なら多分、鶯さんの言葉に従ってたと思います」
今はお互いの気質によって保たれているが、理世との仲が不信感によって拗れかけた。
そして、今日もまた拗れた。
「キミの母親を見捨てた奴の仲間だぞ」
昏く沈んだ縋るような声が耳朶を打とうとして、俺はそれを跳ね除ける。
「だからこそ、俺にはハツカと向き合う責任がある」
同種だからこそ、今度こそ逃げずに見定めなければいけない。
「俺はハツカと居るのは純粋にあいつがカッコいいと思ったからです。自分の欲求に対して凄く素直なんだけど、ちゃんと周りを見て一線を越えずに最善の行動を取ってくれる。どんな言葉も裏表なく言ってくれると思って、心地よい場所だと思ったんです」
「……嘘をつかないなんてあり得ないだろ」
「そうですね。最初は本心だと考えようとした言葉も、過ごしているうちに吸血鬼として俺を落とすための言葉だと思うようになりました。今日だってハツカの言葉だけじゃなくて、気質も疑った」
何故ハツカが俺に優しくするのかは分からない。けど、せっかく彼が掴んでくれた手が怖くなって離してしまった。
逃げ出したのはハツカに危険が及ぶ事を憂いただけじゃない。過去を知った彼に後ろ指を刺されるのが嫌だったんだ。ハツカがする筈ないと思っているのに、どうしても不安が拭えない。
「私だったらそんな事はしないよ」
「……どうですかね。そこはハツカと同じで、今はまだ多分言い切ることはできません」
「トラウマっていうのは、自力で治そうとして治るものではないよ。キミのやっていることは意味がない」
「かもしれませんね」
彼女の言う通りで治る気配なんて全くない。
だからこそ、証が必要なんだ。自分の信じたいという気持ちを勝たせる証が俺を導いてくれるはずなんだ。
けど、今は順序が違う。
俺は空いた片手の掌を見つめる。
「ハツカは解いた手をもう一度握ろうとしてくれてる」
証が試練となっている。
信じて欲しいという相手の手を掴めるか。手を掴むことこそが試練であり、証になっている。それは当然のことで、結局のところ『信じてよかった』『信じてはいけなかった』なんて結果は進んだ先にしかない。
今までは元々ある証を手にして、盾や剣にして進む事を考えていた。
けれど、それだけじゃない。
信頼の証とは安息地でもあるのだ。
『安眠というのはね、今日が良かった、満喫したなっていう心地よさに成り立っているのさ』とハツカは言っていた。
つまり答えはベッドの中にあるのだ。今、自分の選択に後悔がなければ、満足して眠ることができる。先のことは分からないが、未来に不安はなく大丈夫だと言いはれる。
なら今、どうする?
「俺は応えないといけない。俺の安眠にはハツカも必要だ」
差し出された手を掴むんだ。自分の手で安眠を創るんだ。
だから仁湖さんには悪いが、もう一人、俺の力を知っている人間を増やさせてもらう。
「え?」
鶯さんごと俺の腕を引っ張り上げれば、彼女は驚愕の色に顔を染めて先ほどまでの暗さを見失う。そして、俺の両腕で抱えられた彼女は目をパチクリとさせながらそのまま固まった。
「…………? ……ちょっと待て! 待て!!」
「どうしたんですか? 暴れられると落ちますよ」
「いや、なんで? 私をその……抱えて?」
「だって鶯さん、俺と居たいんでしょ? でも俺はハツカとも会いたいし、なら連れて行くしかないでしょ」
「置いていけばいいだろ。わたしなんて」
「ダメですよ。俺の安眠にはキョウコさんも必要なんですから。嫌でも連れて行きます。一緒に日向へ行くことを約束しましたし」
「……強情だな……キミは」
茫然としたままのキョウコさんを抱えて玄関へと向かう。
すると彼女は、はにかみ笑いを浮かべながらポツリと言った。
「せめて外に出てから抱いてくれ」
☆
「さて、どうしたものか」
「般若から教えてもらった方角はこっちだけど……」
般若から探偵さんの家を聞き出そうとしたが、頑なに拒否されてようやく聞き出せたのがどのあたりにあるかだけ。一戸建てなのか、賃貸なのかすらも分からないまま進んでいる。
コッチに来るまでに、久利原に電話して簡単に寝泊まりができるマンションやホテルはないか確認済み。久利原が言うにはビジネスホテルが怪しいとのこと。
「ま、ショウくんの家との間にいれば見つかるだろ」
盗聴器が仕掛けられていた以上、あの家にもまだ見つかっていない物もあるかもしれない。本当なら彼が来るのを待ちたかった。僕の信頼に応えてもらいたかったのだが、神崎に聞かれる危険を冒すのは僕としても、ショウくんとしても認められない。
どこでどう聞かれてるか分からないのだ。
現に––––
「見つけた」
不安に駆られる中、僕の瞳が急速に近づいてくる人影を捉えた。
僕の声が微かに、だけど確かに弾んでしまった。その声は目的の人物のとても平坦な声と重なっていてニヤリと笑いたくなる。
そして、やっぱりか、と言いたくなる様子の彼に僕は肩をすくめる。
どこかの……一際高く夜空へと伸びるビルの屋上に僕とショウくんは着地した。
「ホント、きみは」
彼の腕には探偵さんが抱きかかえられており、かなりの速度で街を飛び回ったからか彼女の目尻には涙が溜まっている。下された探偵さんが膝に手をつきながら、明後日の方角を向いて息を整えている。
「はぁ……はあ……早いよ吼月くん……」
彼女から視線を外し、ショウくんと相対した。
宝石のような美しさを持っている葡萄色の瞳が瞬きをした瞬間、薄らとした輝きを秘めた黒色に変わる。
「……ハツカ」
口を開けば、気まずそうに僕の名前を呼ぶ。
しかし、彼の声に応答することもなく足早に近づいて手をあげた。スッと伸びた手にショウくんは一瞬固まるが目を背けることはなかった。
逃げ出した自分は殴られても仕方ないとでも思ってるのかな。
「叩くとでも思ったの」
僕の言葉に彼は不思議そうに瞳を動かした。僕が触っているのはショウくんの制服の襟で、そこに隠れた異物を指で摘んだ。
引きがして掌に乗せる。
取り外された黒く小さな異物をショウくんは覗き込んで首を傾げる。
「え、なにこれ」
「……蘿蔔、お前……盗聴器は気持ち悪いぞ……?」
「は!? 盗聴器!?」
震えから復活した探偵さんも一緒になって覗き込み、一瞬で異物の正体を言い当てた。自分の身体に盗聴器が仕掛けられていたことに流石のショウくんも驚きを隠せない。
僕が仕掛けたと思われているのが腹立たしいので、握りつぶした上できちんと訂正させてもらおう。
「仕掛けたのは神崎。僕はそれが拾った音声を利用しただけ、家も仕掛けられてたよ」
「うわウッソ……気持ち悪、あの野郎プライバシーってものがないのかよ」
「多分僕と接触するか盗み聞きするためのものだろうね。ほら、他にも仕掛けられてないか見るから万歳して」
「わ、分かった」
薄気味悪くて身体を摩っているショウくんの腕を、月に向かってピンと立たせる。彼の服に手を這わせながら確かめていく。探偵さんも「どれどれ……?」と一緒になって探す。
大人二人が子供の身体を
「んっ、んんっ……あの変なところ触らないでくれませんか? 主にキョウコさん、絶対脇とか関係ないですよね? ハツカも尻触らないで」
「あるかもしれないだろ? 次は脚を見てみるか。脱ぎなさい」
「触ってるのはポケットだが? 横のポケット……太もも辺りも見てみるか」
「絶対俺をいじって楽しんでるだろ!?」
「まぁまあ」
一通り盗聴器がないことを確認し終えて手を離す。ショウくんは安堵の息を吐くと、すぐに髪の毛の中に両手を突っ込んでぐちゃぐちゃに掻き乱す。
「さっきの会話も聞かれてたのか? はぐらかした意味がねえじゃねえかよ! どうするかな……もう殴り込みにいくか? バレたなら時間勝負か。所長に言えば本当に必要な時以外関わらなくて良くなる気がするし……」
ショウくんの不安はもっともだ。僕を殺すかも知らない相手が、自分の服に盗聴器をつけていたのだから不安に思わないはずがない。慌てながらも解決策を見出そうと考え込む彼は細々とぼやく。
身をすくめている彼を微笑みながら見ていると、横目に探偵さんの姿が目に入る。
タバコを一本取り出して火をつける。白煙をもくもくと星空に伸ばして、おもむろに息を吐く。
「おい、蘿蔔」
「なんだい探偵さん?」
声をかけられて彼女へ身体を向ける。
臨戦体勢も忘れずに。彼女の内心も知っているとはいえ、今も変わらず吸血鬼にとっては敵なのだ。
探偵さんの雰囲気も少しピリついている。
緊張の系を張りながら彼女が口を開いた。
「……本当のことを言わなくていいのか?」
さすが探偵、と褒めておこう。状況と流れをよく読めている。
「悩み中。僕のことで必死になるショウくんをもう少し見てたいんだよね」
「悪趣味だな」
「だってあの子、今まで僕の為に必死になることってなかったし新鮮でいいんだよね。それに同情を使って、ショウくんを自分のものにしようとした探偵さんには言われたくない」
「チッ、腹はやっぱりドロドロだな。支配欲しかないのか」
「支配欲だって悪いわけじゃないさ。相手に自分を見て欲しいという純粋な思いなんだからね。もちろん行き過ぎには注意だけど」
「洗脳して恋させるお前がそれを言うか?」
呆れた口調で言われてムスっと口を尖らせる。洗脳の何が悪いんだ。欲しいから僕を必要とするように誘導するだけなのに。
文句を言った本人は僕の不服を鼻で笑いながらショウくんに声をかける。
「心配する必要はないと思うぞ」
「え?」
「聞こえてる可能性があるならまず電話じゃなくてラインかメールにするだろ。なのに電話だったということは神崎には既に伝わらなくなっていると考えるのが筋だ。……そうだな、後で聞けるようにクラウドに保存されてるとしたら本来の保存先とは別の場所に転送されるようにしたとかか?
蘿蔔が保存先を知ってるとは考えにくいし、大方この間の爆竹女が教えたんだろう」
「正解」
僕はおもむろに肯首する。
付け加えれば、本来の保存先には別の音声が転送されるようになっているらしい。探偵さんも察しているだろう。
この洞察力が敵なのは本当に厄介だ。対峙する時は準備をする時間を与えずに、動揺を誘ってマトモに思考できなくさせるのが1番だ。
僕らの話を聞いたショウくんは、数秒で話を噛み砕いて「あ……そっか」と肩の荷を下ろすように呟いた。
「だったらなおさらさっきの身体検査いるの!?」
「じゃないとキミ、暗くなりっぱなしじゃないか」
「それはハツカもだろ!? あんなに取り乱して!」
「あんなの見せられて取り乱さない方がどうかしてるよ」
友達–––悲しいことにまだ友達–––が傷つけられて黙っていられるような男じゃないのは彼も知っているだろうに。感情を表に出しすぎたのは確かに失敗だっただろうが、それぐらいこっちも必死だったのだ。
「別になんでもいいじゃないか。必要なのは僕に会いたいという心意気だけで、結果としてキミは来てくれたわけだ。他の暗い気持ちなんてビルの下にでも放り投げておけばいい」
「……俺、なんて謝ればいいか考えてたのに」
「謝る意味ある? キミがしないといけないのは、そうだな……」
ショウくんは悪さをした子供が親に叱られることを怯えるように身をすくめて、俯いた。そんな彼を見て、僕は元より決まった答えを思案するような仕草をしてから、微笑みながら垂れた顔を手で持ち上げる。
「一生僕のそばにいて、僕を守ることだ」
色んな想いが透けて見える。僕を突き飛ばした罪悪感、僕を傷つけてしまうかもしれない戸惑い、それでも僕と一緒にいたいと願う強い思いと嬉しさが撹拌された色が顔にベタ塗りされている。
吸血鬼だからこそ分かる。吸血鬼で良かったと思える。
いまここで血を吸ったら最高に美味しいだろうな––––本能の声を抑え込む。血を飲んで答えを得るなんてナンセンスだ。
「それでいいの……?」
ショウくんが恐る恐る口を開いて、呟いた。僕への問いかけにも思えたし、自分自身への問いかけにも聞こえた。
まだ不安があるのだろう。
僕は手を差し出した。
「嫌なの?」
「嫌じゃない。嫌じゃないよ!」
「約束だから絶対に守りなよ?」
「うん……うん……!」
何度も頷き僕の手を掴んだ彼の瞳は赤く腫れている。涙を流してはいないが、まるで咽び泣いているようにすら見えた。
キミはちゃんと泣けたことがあるのかな。
僕はもう一度優しく抱きとめる。
「あー……もう、口調が崩れてるよ。人前では僕っ子は隠すんでしょ」
「なら言わないでよ……」
「押し通そうなんて無理に決まってるよ」
当事者である探偵さんは神妙な顔をしていて、腕を組みながら僕らを見ている。
彼女ならショウくんの人柄を見抜くことは容易く出来る。
人間である自分ではなく吸血鬼である僕を選んだことが不満だが、彼の境遇を考えると人間の中で暮らすよりも吸血鬼として暮らす方がいいのでは判断せざるおえない。
吸血鬼を憎む探偵さんにとっては苦渋の決断だ。
「妬けるな……」
溢した言葉に僕はニヒルに笑った応える。
「これが救われる側と救う側の違いさ」
「腹立つ言い方するな……!」
「だったら友人との喧嘩ぐらいはやりきりなよ」
「……」
今度は探偵さんが口を尖らせて顔を逸らす。
「なんで口喧嘩してるの……?」
「キミのせいだからな」
「なんでえ!? いや喧嘩なんかしないでさ! 月綺麗だから三人でお月見しようよ!」
「1ヶ月遅れてるよ〜」
「いいじゃねえかよ、時期なんてさあ! ね、キョウコさん!」
「それはダメだなあ、風情が崩れるぞ」
「ええ……」
「はは、冗談だ。キミの友達は乗り気じゃないみたいだし、2人でやるか」
「分かりました!」
「やらないとは言ってないだろ!」
なんだろう。
ショウくんと話していると楽しい。敵であるはずの探偵さんとも軽口を叩きながら一緒に居られるという不可思議な空間で、僕の笑い声が夜の街に小さく響いた。
そうして夜空を見上げれば雲がはけて、顔を出した月がいつもより強い光で僕らを照らしている。心地よい光を浴びて僕は伸びをする。
良かった……戻ってきた。
☆
ああ……失敗失敗。別れさせようと思ったのに、結局ショウくんと蘿蔔が仲良くなるだけだった。
目的は果たされなかった。
にも関わらず、そこまで落ち込んでいない自分に驚いていた。
「あの子にとって人間でいるのも吸血鬼でいるのも苦痛だろうし。茨の道なのは変わらないわね」
心許ない淡いオレンジ色の光を放つ街灯の上に立っている。目と鼻の先に真っ黒な夜の中に異彩を放つ真っ白な一軒家が建っていて、一階には灯りがついているが、二階の部屋はすでにカーテンが閉じられている。
手頃な足場に乗り移りながら私は屋根に降り立ち、二階の窓のそばにやってきた。
「どちらも不憫ね」
憂鬱に頭を悩ませながら窓をすり抜けて部屋の中へと侵入する。かおにかかったカーテンを片手で払い除ける。
部屋はこぢんまりとした子供部屋。でもテレビやゲーム機、漫画といった娯楽らしいものは目につかず、ベッドや学習机が置かれているだけの子供らしくない部屋。
ここはショウくんの部屋と似ているが、理由が少し違う。
「……」
フローリングの床に足を滑らせてわざと、キュっ、という異音を放つ。すると、ベッドから物音がしてシーツが動き出す。
「今日も来てくれたんだ、鬼のお姉ちゃん」
「仕方なくね」
「えへへ、ありがとう」
ひっそりとした声で話しかけてくるのは中学生になったばかりの少年だ。携えている黒髪が暗闇に溶け込んで、顔だけが宙に漂っているようだった。
「またゲームしながら、お兄ちゃんのお話聞かせてくれるの?」
「今日はとびきりのネタがあるわよ」
「どんなの?」
階下にいる人物にバレないよう声は小さいものの、ベッドから身を乗り出して興味津々といった様子だ。
「そうね……キミのお兄ちゃんがメイド服を着てるなんて言ったら信じる?」
「メイドお兄ちゃん–––!」
「相変わらず変な子ね。ならゲームを始めましょうか、翔くん」
「うん!」
私は服の内側から取り出したゲーム機を少年へ分け与えた。
……本当に不憫ね。