よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第八十四夜「求めてない」

 嫌な音がした。黒板を爪で引っ掻いたような甲高い音と泥濘んだ地面に誤って脚を踏み入れた時のようなぬちゃっとした不快な音が、反響し合いながら大きくなっていく。

 既視感があった––––だとしたら、きっと蘿蔔ハツカ()の記憶ではなくショウくんのモノだ。記憶(過去)を覗こうとして意識が白黒の砂嵐に塗りつぶされる。やがて黒が全てを染めたあと、ようやくそれを見ることができる。

 無かったことにしたい記憶。

 想像以上の記憶だったとはいえ、自ら望んで取り込んだものだ。無礼にもこちらの都合を考えないで思い出す(やってくる)ことぐらい分かっていた。

 

『はぁ……はぁ……』

 

 荒い息遣いが胸に落ちる。

 気がつけば薄暗い部屋の中に僕の意識はあって、表情すら見えない人影に押し倒されていた。人影はあの老婆だろうか。最初に見た時よりもシルエットが大きい気がするし、ずっと強い力で掴まれた両手首は軋むように痛い。

 現実の僕なら虐待老婆なんて一撃で吹き飛ばせるというのに、人間の身体では仕方ないし、夢なのだから速やかに過ぎ去ってくれるのを待つしかない。

 

『ねぇ––––可愛いよ……』

 

 人影が名前を呼び、頬がこけた。

 

『可愛いよ––––』

 

 名前を言っているのは分かるのに、誰を呼んでいるのか聞こえてこない。

 違う。あの老婆じゃない。

 男の人だ。しかし、それは老夫ではない。

 ガタイだけ見ればそれなりに若々しいが、どこか草臥れた形相で顔には多くの皺が刻まれているんだろうと予想ができてしまった。

 この人は––––

 

 

 見慣れた景色が目の前に映った。

 

 

「……夜か」

 

 目を覚ました僕は身体を預けていたベッドから起き上がって、伸びをする。

 ついさっきまで夢を見ていた気がする。

 いつも夢ってのは中途半端な所で終わるもので、起きたらすぐに忘れてしまうものだ。別に覚えておかなくていいことだったり、嫌な夢だったり。今回は恐らく……前者だ。

 吸血鬼の僕にとって人間の記憶なんて他の味を楽しむためのスパイス。よくて、極々僅かな機会にだけ使える相手を理解するためのヒントだ。

 

「19時42分か……準備しなくちゃ」

 

 髪もベタつくし、洗い流してしまおう。

 寝室の扉のドアノブに手をかける。脱衣所に向かうため二階に上がっていく途中で、階段そばの扉から金色の蕾が顔を出してきた。時葉香澄だった。そういえば今日は休みだっけ。

 出てこないのを見ると、他の二人は仕事のようだ。

 

「ハツカ様、今日はどうしますか!?」

「ショウくんと買い物に行く。その前にシャワーを浴びるから着替えもってき–––」

 

 バンッ!

 言い終える前に勢いよく開いた扉が、音を立てて可動範囲を超えた動きを見せる。駆け抜けた風が僕の髪を揺らす。数秒後、また激しい音を鳴らして扉が閉まった。

 閉めた張本人が僕の前に立つ。

 

「持ってきました!!」

「……」

 

 時葉が吸血鬼のフルスピードで衣装部屋まで駆け抜け、そして戻ってきたのだ。指示通り、両腕に服が抱えられている。

 お仕置きを考えておかなくちゃな。

 

「お背中流しましょうか?」

「自分で洗うからいいよ。ただ今日は座って浴びたいかな」

「分かりました!」

 

 嬉しそうに時葉が服を持って、僕の陰を踏まない距離を保ちながらついてくる。

 脱衣所に着くと僕らは着替え始める。躊躇いなく着替えている僕と時葉は、キャスター付きのランドリーワゴンの1番下の籠にネグリジェを入れた。

 全裸になった僕を見て、惚けながら時葉が言った。

 

「ハツカ様……いつもながら素敵なお身体です」

「時葉も可愛いよ」

 

 返した褒め言葉に嘘はない。僕が選んだ眷属である時葉は容姿がよく、それでいて発育のいい体つきをしている。僕の子供にして、従属するようになってからは性格が少々狂信的になったが–––呆れる事が多いが、面白くもある–––、元々分かった上で躾たし、それが嗤ってしまいたくなる可愛い。

 

「ハァァァ––––………!!」

「ぶっ倒れないでね?」

 

 僕に褒められた嬉しさのあまり、時葉が天を仰ぐ。浴室の曇りガラスの入った扉を開けて中に入る。

 

「そういえば時葉はオートバイ持ってたよね。何人まで乗せれる?」

「タンデムシートとサイドカー合わせて三人までなら」

「なら、今日の付き添い頼んだよ」

「分かりました」

 

 頭を下げた時葉は喜びの表情のまま四つん這いになる。女性特有の丸葉を帯びた大きな尻をあげ、淡いピンクのカラータイルで彩られた床と背中を平行にする。

 

––––ハツカ、四つん這いになってね。

 

 その姿は正しく僕が奉仕をしていた時のもの。

 人間なんて誰もいないのに鼻の周りでショウくんの血の匂いがしてきて、僕は鼻をピクピクと鼻を動かした。きっと昨日こびり着いた血だ。浴室でも血を吸ったし、微かに血の香りが残っていたのだろう。そうに違いない。

 

「……ハツカ様?」

 

 いつまでも座らない僕を不思議に思ったのか時葉が首を動かし、下からなぞるようにこちらに視線を向ける。

 しかし、その瞳が僕とぶつかることはなかった。

 途中で止まり、時葉は少し嬉し恥ずかしといった具合で呟く。

 

「ハツカ様、ありがとうございます」

 

 違う、そうじゃない。

 ため息を溢しながら僕はシャワーノズルを手に取って、そのゴミひとつない背中を一度綺麗に流した後座り込む。押さえつけるように体重を乗せた。

 時葉は体内に溜めていた酸素を無理やり吐き出すように呻き声を上げる。

 僕は気にせず問いかける。

 

「時葉、一度だけ喋らせてあげる。僕はなんだい?」

「ご主人様です!!」

 

 そうだ、僕は恥辱を受けて喜ぶ吸血鬼ではない。

 僕はショウくんの飼い主なんだ。

 

 

 

 吼月ショウ()は駅前広場に設けられているロータリーにいた。月が昇った今の時刻では、昼間や夕方より人の数は少ないが一定数いる。酔っ払った人たちは千鳥脚でタクシー乗り場に向かい、学生は忙しなく自転車で走り去っていく。

 

「キョウコさん、返信くれないな……」

 

 ロータリーからスマホに視線を移す。

 橋上駅を支える立派な柱のひとつに背中を預けながら、時刻と既読がつかない自分のコメントを見ていた。相手は鶯アンコこと、目代キョウコさん。岡村先生について、あの人なら何か知っているかもしれないと思った。

 もし彼女が知らないのならば構わない。逆に安心すらできる。

 

「さて、そろそろ来るはずだけど」

「おーい」

 

 スマホをスカートのポケットに仕舞っていると、ロータリーの方から声がかかる。すっかり耳に馴染んだ声に素早く笑顔で手を振り返す。

 

「バイクじゃん!」

 

 ロータリーに停車していたのはブラックとライトグリーンのバイク。それもサイドカー付きというあまり街をぶらつくだけでは見ない珍しいタイプ。

 サイドカーにはハツカがヘルメットを抱えながら手招きしていて、バイクの運転席にはボブカットの金髪の女性が座ってる。

 

「時葉……?」

 

 バイクに近づいて訊ねると、ヘルメットのバイザーの奥に想像通りの顔があり、こちらの問いかけに頷いた。時葉がバイクの免許を持っていたことにも驚いたが、よく着いてくる気になったな、と心の底で何かが吹き出しそうだった。

 

「それじゃ、服を買いに行こうか」

「あ、ああ」

 

 時葉の心境が分からず、ハツカの問いかけに曖昧に返してしまう。

 

「俺はどこに乗ればいいんだ?」

「サイドカーに乗ればいいよ。僕がこっちのシートに乗るから」

 

 ハツカから予備のヘルメットを投げ渡される。両手で抱えるようにして受け取り、チンストラップの長さを調整してから被る。

 被り終えた時にはハツカはタンデムシートに腰を下ろし、前に座っている時葉の腰に腕を回してガッチリと身体を密着させていた。強く身体を擦り付ける。

 

「…………今日はさ、俺の女装用の服を買いに行くわけじゃん。神崎対策で」

 

 サイドカーに乗り込みながらハツカに訊く。なぜか語尾の声量が大きくなってしまうが、ヘルメット越しなら丁度いい。

 

「外出のたび他人の目を気にするのも馬鹿らしいからね」

「でも、俺が女装してたのは神崎にもバレてるしあまり意味がないじゃないか? また違う対策を考えて別の日にでも」

「実際に動いてるところ見たわけじゃないでしょ?」

 

 俺はこくりと頷いて、肯定する。今日の写真を神崎に送ったが、ほとんどが周りの奴らを写したもので、俺が映っているものは顔以外隠されているものだ。

 

「それにキミは声も歩き方も変えられるんだから、腐らせておくなんて勿体無いでしょ」

 

 それに––––一度、時葉から腕を離してハツカはサイドカーへ飛び移る。俺に跨るように着地すると、急に加わった衝撃によって車体がグラつく。

 突然のことでよろけてしまう俺の肩をハツカはがっしりと掴み、同じ目線にして問いかけてくる。

 

「この話は昨日のうちに済んだよね。なんで2日連続で言わなきゃいけないんだい?」

 

 ハツカに褒めてもらうのが好きだから。女装しているとハツカに縛られてるような気がして、まるで一緒にいるような気分になるから好きだ。

 理由を並べようと俺を待つハツカの嗤う瞳は、いつも以上に歪んでいる。ハツカらしい好きな眼だ。

 

「……ハツカに1番好きだって、感じてもらえる姿になりたいから…………」

 

 滑るように動いた唇に、ハツカは少し表情を変えた。予想していた答え()とズレがあったからに違いない。

 良い誤算か悪い誤算か。

 ハツカにとっては良い答えだったようだ。

 

「そっか〜〜僕が1番好きな自分になりたいか〜……なら、外見から変わろうか」

 

 キチンと届いた答えにハツカは溢れんばかりの笑顔をしながらタンデムシートに戻って、再び時葉の背中に密着するほど強く抱きついた。こちらを見る笑顔は変わらず、気持ちがいいほどサディスティックな声が僕の耳朶を打つ。

 抱きつかれてる張本人の感情はヘルメットを被って前を見ているため読み取れない。

 

「それじゃ行こ」

 

 ハツカが仕切り直すと、ようやくバイクが進み始めた。

 走り始めると俺はハツカと時葉を見続けていた。

 駅近くのビル群を離れ、住宅街や団地、学校が過ぎ去り、古びたどこかの工場を駆け抜けていく間も、背もたれに身体を預けながら愉しげに笑うハツカを見ていた。意識的にしたことではない。清流で川魚が気持ちよさそうに泳いでいると、自然に膝を曲げて眺めるように心が引っ張られた。

 楽しそうにバイクの後ろに座っているハツカの姿を見ていると、やっぱり身長は欲しいと思った。

 でも、成長するとハツカが好きな俺ではなくなる。

 

「……」

 

 ハツカに抱きつかれて嬉しそうに震える時葉を見ていると唇を噛みたくなる。信号に止まるたび、俺からハツカの口が隠れる左耳にコッソリ話しかけられる時葉はどこかもどかしそうだ。何かに耐えている。嬉しさと恥ずかしさに打ちひしがれている。

 それでも僅かにこっちを見ると、自慢げに笑ってくる。

 

「……チッ」

 

 モヤモヤが頭の中で渦巻いた。時葉はハツカの眷属なんだから玩具にされていても不思議じゃないし、悪いことでもない。けど、頭と胸がざわうく。

 吹き付ける向かい風が攫ってくれたらいいものを、目を逸らして数分後には目的地である繁華街についてしまう。

 時葉は手頃な駐車場を選んで停めて、街を歩き始めた。

 

「ここって隣町だよな?」

「そうそう。時葉が狩場にしてたところなんだけどね」

「……てことは、士季(しき)たちの」

「自警団たちがよく集まる場所さ。ホテルの最上階と屋上を使ってよく遊んだり会議したりしてるみたいだよ」

「萩凛さんのホテルか?」

「正解」

 

 ハツカが見上げたホテルへの視線を辿りながらも、周囲にある他の建物にも目を通す。駅の近くよりも随分と人数や人工の灯りが多い場所だ。昼間に遊んだアミューズメント施設ほどの大きさはないが年頃の青年達が純粋に遊ぶ場所もあるし、酒場(バー)や商業施設もある。

 歩いているとビルに張り紙がされていた。

 

「ハロウィン……?」

「毎年この辺りもハロウィンでパレードに使う道になってるからね。その案内だよ。因みに小森とも協力してるから結構大規模なんだよ」

「そんなのやってたのか」

「知らなかったの?」

「興味がなかったしな」

 

 ハロウィン……ハロウィンか。

 キョウコさんが言ってたな。コスプレをするならハロウィンでやりなさい、と––––31日に何か起こすつもりなのだろうか。深読みのしすぎだな。確証が全くない。

 張り紙から読み終えると、俺はハツカの隣を陣取る。

 

「……あの」

 

 後ろから恐る恐るという言葉を体現するかのように、縮こまりながら手を挙げて時葉が訊ねてくる。

 

「三十分以上かけてこっちに来るなら、別に東京でも良かったのではないですか? 買い物ならあっちの方が店も多いし、時間だって……」

「……話してないの?」

「うん」

 

 ハツカは怯えた時葉に微笑みかけながら眼で『お喋り禁止だって言ったよね』と訴えかける。笑顔だが『ヒッ……ごめんなさい』と時葉が反射的に頭を下げたくなる冷淡さがあり、息を呑む雰囲気になるもんだから、これ以上重くならないように俺は説明する。

 

「悪いな。昨日お話しした俺の家庭の事情だ。東京だと血縁者の家があって、あと神崎の事務所もあって……アイツが目を光らせてるかもしれないから。再婚相手もきっとぶらついてるだろうし」

 

 時葉は納得してくれたようで、口を閉じて俺たちの後ろを歩く。俺はハツカを横目で捉えながら訊ねる。

 

「……何をやったの?」

「ドアを壊した。だから罰として僕と遊べず口も聞けずに、ショウくんと買い物をするのを眺めさせる」

「酷いやつだ……」

 

 時葉には、阿呆……としか言えなかった。

 つまりバイクの時に囁きかけていたもの何かお仕置きの一環だったのだろう。完全に眷属になって(惚れて)しまうと奴隷だ。失態を犯せば罰が待っている。

 それでもハツカに抱きつかれた時葉は自慢するのを我慢できずに、俺に向かって挑発してきた。煽ってくる時葉を思い出すと何故か腹が立つが、いまは悔しさで一杯の時葉が背後にいて爽やかな気分になる。苦いものを食べた後にミントガムを噛んだ時のような爽快感だ。

 恨めしい視線を喜びに変えながら、軽い足取りでテナントに服屋があるビルに入る。

 ザッと目につくのは、服の種類の多さだ。

 

「レディースの店って男のと比べて種類多いよね。頭から湯気出そう」

「目移りして目が疲れるよね。でも特徴や使い方さえ把握しておけば、色んな組み合わせができて楽しいよ」

「流石に多すぎるよ」

 

 目を細めながら立ち止まってしまう。服に興味がなかったツケが回ってきて、気遅れしてしまっていた。

 そんな俺の肩をハツカは優しく叩く。

 

「大丈夫だよ。ほら、キミが好きなビルドも60本もアイテムが出るんでしょ? 戦況に合わせてこのアイテムとコレを組合せて……て妄想するのと同じで、服も見せ方とTPOに合わせを考えると良いよ」

「アイテムの強みってことだよな? 分からん」

「投げ出すな。その場合はアイテムで自分の強みを伸ばすか、弱みをカバーするかの二択。基礎のボトムスで考えるとキミの場合は男の子だけど、綺麗で程よい太さだから前者になる。黒のスリムパンツを履いて足を強調してもいいし、軽く脚を見せるスカートでもいいと思う」

「つまり、ハツカは脚を目立たせて欲しいと」

「嫌なの?」

「嫌じゃないけど……体型もそうだけど、先に好きな印象の方が知りたいかな」

「清楚系。いつも強がってる子がプライベートでは綺麗でおとなしい服着るとそそるよね」

 

 だからメイド服を着せたのか。

 ハツカは俺の背中を押して服の樹海へと飛び込む。種類が多くてやはり目が疲れてくるが、基本的に俺が選ぶことはない。ハツカが好きな俺にしてくれるのを待つだけで、選ぶ必要はどこにもないのだ。

 並んでいる服を手に取りながら吟味する彼を眺めながら待つ。

 

「コレどう? シャーリングワンピース」

 

 持ってきたのは白い艶のある生地に淡い青の花びらが降り落ちるような柄が描かれた、綺麗なワンピース。鏡の前に立ち服を当ててみると、より落ち着いた印象が強くハツカの希望通りに思えた。けど、少し背伸びした子供といったイメージも抱いてしまう。俺らしくはある。

 ハツカがいいと思って取ったんだし–––

 

「うん、いい感じ。でもちょっと単体だとドレスすぎかな……キープってところだね」

「え、ダメなの?」

「柄だけじゃ足りないし、カーディガンやシューズで足してもいいけど……もう少し子供っぽさがあってもいいよね。落ち着きすぎていて、これなら宇津木に着せたい」

 

 俺はゆっくりと頷いた。ハツカへの欲求を押さえ込み、俺と最初にあった時のように外向きの仮面を被った宇津木は、綺麗で落ち着いた美人だ。多分人間(獲物)を狩る際にはあの姿を見せている。とんだ詐欺師だ。

 

「それに僕とか」

「綺麗な服を着るハツカはピカイチだからな」

「まあね。けど、僕はダークな方がいいな」

 

 先ほどのワンピースを戻して吟味を再開するハツカを眺める俺も、ただ待つのも暇なので物色することにした。俺に服の知識はないのとハツカが好きな俺でいたいから、最終的には彼が決めることになる。とりあえず、良いなと思った物を見せていけばいい。

 俺は見回りながら、黒い無地のパーカーを手に取った。

 

「こっちのパーカーは使えないのか? もうすぐ冬も来るし」

「パーカーか。ならサイズを大きくして……そうだ、いいこと思いついたから試着室の前に行ってて」

「ん? 分かった」

 

 口に手を当てて少し考え込んだハツカは、くるりと背中を向けて離れていく。姿がすぐに服に隠れて見えなくなる。

 俺は不安と困惑を抱きながら、天井に吊り下げられた試着室への案内板を見て時葉に訊ねる。

 

「ハツカって服選ぶ時はいつも自由奔放な感じなのか?」

「…………」

「ハツカは居ませんし、喋っていいでしょ」

「そうですね。楽しげに服を選ぶ姿も可愛いですよね! それに服の知識も多いですし私たち眷属にも目を配ってどんな服が似合うのかも考えて買ってきてくれることもありますし、あんな風に選んでくれてたんだなって思うとすごくすごく嬉しいの!ああやばいやばいハツカ様ハツカ様ハツカ様」

「ちょっとちょっとここ外」

「ちょっとまだ!」

 

 堰を切って流れ出した賛辞の言葉が辺りの空気を犯していくのに俺は強烈な危機感を覚え、慌てて時葉の腕を引っ張る。驚いた時葉の狂信的賛辞は止む。けれど飛び散った言葉を回収することはできず、周囲で聞いていた数名の客や店員がこちらを怪訝な表情で伺っている。

 俺は時葉を引っ張り、周りの人達に会釈をしながら試着室へ移動を始める。見ていた人が全員視界から消えたところで手を離す。

 時葉は『やっと離された……』と愚痴をこぼしながら手首についた握り跡を撫でる。

 

「アンタが悪いでしょうが。あと、プレゼントって言ってもアンタらが稼いだ金だろ?」

「ハツカ様の金ですよ?」

「……そうだな。アンタらは推し活の民だったな」

 

 疑問系なのが余計に価値観の違いを明確にしてくれる。

 本当に王様と民のような間柄だ。小集団で王様をひとり立てて、その人に税金を納める民達。税金を払うのは義務であり、そこ自体に疑問を持つものはいないだろう。

 

「よくそこまで奉仕できますね」

「私たちにとってハツカ様は神であり、法そのものですから」

 

 敬愛する神が嘘をつき、法が簡単に約束を破った(ブレた)となれば誰でも怒る。最初会った玄関先でハツカに浴びせた苛烈な言葉の数々は、信仰心が逆転したからだ。

 

「そういえば久利原にも聞いたことがあるんだが、ハツカが三人のうち他のどっちかと付き合ったら怒る?」

「怒る」

「だよな。でも、そう言う割にアンタらってあんまりアタックしてるの見たことないんだよな。俺を落とす最中だからってことだろうけど」

 

 関係性が完全に固定されてしまっているからだと久利原は言っていた。信者としての立場に雁字搦めにされて動けないし、眷属という自分の子という認識を覆せないのだろうか。

 訊ねれば、時葉は首を縦に振ったうえで付け加える。

 

「私たちの場合は普通の恋心とは一風変わってるのよ」

「……というと?」

「別にハツカ様からの恋愛感情を求めてないから。特別なのはハツカ様であって、私たちが特別なわけではない。だからこそ恋人になろうとは思えないし、なる必要がない。時折私たちで遊んでくださればそれだけで幸せだし微笑みかけてくれるだけで死ねるわ」

 

 リスロマンチックと呼ばれる関係。両想いになることを望まず、自分に好意を待たれると逆に冷めてしまうというあまり見ない間柄だ。恐らく、吸血鬼としてはこの関係が一般的なんではないだろうか。記憶は消える仕組みも相まって両想いを求めること自体が稀だ。

 ハツカの対応からして、リスロマンチックを基にした洗脳恋愛なのかもしれない。自分からは特別な感情を向けず、相手は眷属になることへの拒絶が無くなる。眷属作りには最適だ。

 

「人間の頃に結婚詐欺に引っかかっていたみたいでね。恋愛自体が好きじゃなくなったんだけど、その頃にハツカ様と出逢って、私に想いを与えるだけ与えるという生き方を身体と心にみっちりと教えてくれたの。だから、恋愛なんて必要ないの」

 

 なんとなく、分かる気がした。

 相手の本心を知らずに蓋をして、ただ自分の思うがままに愛情をぶつける。きっとそれが出来たら楽な生き方になる。

 同時に俺には出来ない生き方だと心底理解した。浅い関係ならまず愛情も抱かない、深いところまで付き合う相手には裏の裏まで読み取らないと安心できずに不信感を抱くのが俺だ。

 いいなと、思った。

 

「純粋な愛情ですね」

「純粋の前に、我儘で、を入れてもいい言い方。そんな我儘すら受け取るだけのデカい器がハツカ様にはあるということね」

「そうは言ってないだろ」

「私にはそう聞こえましたけど?」

 

 こっちの価値観だしアンタは気にしなくてもいいよ、と言いかけるがすぐに呑み込んだ。

 しかし、妙に間を開けてしまったから時葉は俺を見ながら何度か頷いた。

 

「疑り深くなっちゃうのは分かるつもりだし」

 

 疑って疑って信用するか、信頼一辺倒で進み続けるか。俺は前者を選び、彼女は後者を選んだ。

 俺も糞爺たちから逃げ出した直後にハツカと会えていたら、ハツカを盲信して楽しく生きれたのだろうか。

 

「だからこそ、やっぱりキミとハツカ様の関係は私たちとは違うわね。ハツカ様にしては珍しく人間的な愛を施そうとしてる」

「士季たちにも似たようなこと言われた」

「だろうね。あの子も私についてハツカ様に仕えたこともあったし」

「そうなの!?」

「そうだよ〜〜仮にも私に恋をして吸血鬼になってるからね。自分に全く目が向かずに他の人を見てる空間に長いこと放置されたら逃げ出したくなるよ」

「……だったら見てあげなよ」

「ハツカ様以外に愛を捧げるつもりはないわ。彼もハツカ様に愛を捧げればいいだけだもの」

「言い切りやがった……」

 

 士季のことが可哀想になり、悲しみの感情が胸に宿る。もしハツカから、無視されたらと思うと俺でも居たたまれない気持ちになってその場を離れようとするに違いなかった。

 この感情の膨らみ方が俺にとって良いものかは分からない。

 

「ところで、人間的な愛ってなんですか?」

「無償の愛。理由なんてなくただ愛したいという心を受け取り繋がった情動。キミには理解できないもので、貴方が欲してるもの」

 

 俺が欲しているもの。断定された言葉が自分の胸のど真ん中でナイフのように鋭く突き立てられた。

 

「家族のことで愛情を受けたことがないのは知ってる。育てると言って引き取ったのに、暴行を振るったり金儲けの道具にしか使わない親に何度も当たったらそうなるわよね。

 だから、相手の口だけの善意や好意を信じられなくて、理由が欲しくなる。でもそれでは自分は変わらないと思ってる」

 

 黙って時葉の話を聞いていると、彼女は『理屈屋なキミに言い方を教えてあげる』と和かな笑みを浮かべながら言う。子供をあやす保育士を思わす頬の動かし方だ。

 

「ネアンデルタール人は知ってるよね?」

「ドイツで発見された旧人だな」

「その通り。そのネアンデルタール人の化石が見つかった周りには花粉の化石も一緒にたくさん見つかっていてね。埋葬の痕跡だと言われているわ。つまりね–––」

 

 一呼吸置いて、口を開く。

 

「人間はね、無償の愛を与えて産み、死んでいく生き物として大昔から決まってるのよ」

 

 ジンワリと心の中にまで染み込むような声色が響く。無造作に掘られた穴に投げ込まれただけでなく、周りの人たちが最後の最後まで死んだ相手に寄り添って愛情を注いでいた。

 人間が持つ本来の型そのもの。

 生殖行為だけで成り立つ繁栄が心という中身を持っている証拠。

 そうなればきっと、俺の願いも叶う。

 

「キミが事故で死ななかったのはまだ愛されてなかったから。ハツカ様に出会うために死ななかったのよ」

 

 時葉はとんでもない運命論を恥ずかしげもなく口にする。それが言えるだけで時葉のハツカへの思いの丈が計り知れた。測定不能という結果だ。

 

「でも、純粋だからできる考え方ですよ。俺にはもう」

「無理とは言わせない。今だってハツカ様が協力してるんだから無理とは死んでも言わさないし死んだ後も言わせない」

「……え、ハツカが協力?」

 

 俺を落とすために不信感を無くすために行動してるのは分かる。でも今は神崎対策で、ハツカは乗じて俺をマネキンにして楽しんでいるだけにしか思えない。

 

「何のために態々外に買いに来てると思ってるの」

 

 時葉はブブーと口を尖らせて否定してくる。

 

「病は気から、気は身なりから。我儘で純粋な子供っぽくなって来なさいな」

 

 いつのまにか見えてきた試着室コーナーの前で時葉に背中を押される。キチンと正面に顔を向けると、店員さんと話しているハツカがいた。話し終えてコッチに気がついたハツカは、少し不機嫌な顔をしながらこちらにやってくる。

 

「遅いぞ。なにやってたのさ」

「えっと……人生相談」

 

 曖昧に返すとハツカは俺の後ろにいる時葉を覗き込み、ふぅんと唸る。時葉を見ると肩肘を張り全身に力が入っているのがすぐに分かる。怖がっているのだ。

『まあ、いいや』とハツカが口にすれば、時葉は安堵する。

 

「早速着替えるよ」

「わかったー」

 

 ひとまず着てから考えよう。自分がどうかわるかは分からないけれど、好転するならどんな服だった着てみたい。

 俺は一歩踏み出して、

 

「どうしたの?」

 

 すぐにその足を戻した俺をハツカは目を細めて見ていた。

 少しやりたいことがあるんだ––––俺は回れ右をして時葉のそばに戻り、耳元に唇を寄せて、呟いた。

 

「さっきはありがとうございました。ここからは俺とハツカがイチャイチャするのを指を咥えて見ていたくださいね。我慢できれば、ですけど」

 

 それだけ言って離れる。

 一回振り返れば、時葉は顔を赤くしながら茫然と俺を恨めしそうに見つめていた。

 

 その視線がとても気持ちよくてスッキリした。

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