よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第八十五夜「やり返そう」

「ショウくん、どう?」

 

 一人だけの空間。試着コーナーの個室でハツカから渡された服装を渋い顔をして着ている。ここと外界を区切るひ弱なカーテン壁の向こうからハツカが呼びかけてきた。

 淡い桃色のカーテンにふたつの人影が映る。吸血鬼も影はキチンと映るんだな。

 着替え終わったと言いたくない。確認だけしてすぐに脱いで返却したい。

 

「いま鏡見てるから待ってて」

 

 ハツカに促されて個室に設けられた背の高い鏡へ振り向いた。白い壁紙と淡い桃色のカーテンだけの空間に、黒いパーカーを被って両手で支えている少女が映っている。言うまでもなく俺のことなのだが、目的が女装なのでそこは文句をつけない。

 俺の視線は下へ下へと落ちていく。

 

「恥ずかしい……」

「お、エッチじゃん」

「な!?」

 

 鏡全体を見渡せば不自然にカーテンが持ち上げられていた。気づいた時にはハツカがこの部屋に入り込んでいて、思わず声をあげてしまう。

 周りの人達はきっと突然の大声に驚いてしまっただろう。もし、このテレパスが届くのならば仕方のないことだと割り切って欲しい。俺はもっと恥ずかしい思いをしているんだ。

 

「いい格好だね」

「ハツカが選んだんだろうがよぉ……!」

 

 平常運転で嗤うハツカと交えた視線を切って、もう一度自分の服装を見る。

 なんせ、パーカーで隠されている太腿の上半分から下は生脚を晒している。ボトムスを穿いているかは想像にお任せするとして……ただでさえ大きめのパーカーはなんとか肩に引っかかっているだけで少しの拍子で落ちてしまいかねない。

 もし、こんな服を外で着ようものならすぐに痴態を晒すことになる。絶対になる。下着だけのあられもない姿で街に放り出される瞬間を想像して羞恥心がたちまち湧き上がる。胸の周りが痒い。爪を立てたくなるのは、恥ずかしさだけではないだろう。

 

「なぁに、考えてるの?」

「…………ひぇ」

「可愛い声。女の子みたい」

「おいやめろよ……」

「僕のモノになにをしようが僕の勝手でしょ。僕のものだって言えよ」

 

 怪しい気配を伴って、五指を沈み込ませ俺の脚の感触を確かめるのは、言うまでもなく鏡に映らない吸血鬼(ハツカ)

 

「ハツカ様のものです」

「よろしい」

 

 彼は甘く溶けるような声色で囁いてくる。なんとか噛み殺した俺の悲鳴にも似た声に満足しているようだが、俺は首を傾げたくなる。今日はいつもに比べてスキンシップが激しいすぎる。

 

「お前は楽しいだろうけど、着てるこっちは恥ずかしいんだよ……!」

「しがみつかなくても普通にしてたら落ちないよ。僕がそんなヘマをするわけないだろ?」

「だったら脚はなんなんだよ。周りから見たら何も履いてない痴女だぞ」

「履いてるか履いてないか、その際どさがいいんだよ」

「清楚はどこに行った」

「うるさい子だねぇ」

 

 脚の感触を楽しんでいたハツカの右手が徐々に這い上がり、パーカーの内側に到達する。右手で上半身を弄り、左手が下半身を堪能している。

 鏡を見ると顔が酷く赤く、パーカーに刻み込まれる皺が深くなる。

 視界の外にいる彼の表情は見えないが、荒い息遣いを聞いているだけで自分がどう思われてるかは分かる。それだけ今の僕が魅力的な餌だということ。

 首筋に鼻息がかかる。

 

––––あ、吸われる。

 

「どうぞ」

 

 本能が縮こまっていた身体を弛緩させ、息のかかった首筋を無防備に晒す。本日初めての吸血。何度飲んでも飽きない、痴態を晒しても貪りたくなるほど美味な俺の血で喉を乾かそうとしている。

 食べてくださいと言わんばかりに首筋を差し出して、快感を––––ペロっ、と想定したのと違う快感が駆け抜ける。

 瞬きを繰り返してからハツカを見た。

 

「吸われるって思ったでしょ。僕も吸いどきだと思ったよ」

 

 プププと口に手を当てながら眼で弧を描く彼を見て、自分の身体から腕を離していたことに気がついた。

 そしてズルリと、

 

「あらあら」

 

 パーカーを落として、肌が透けて見えるほど薄い女性用下着(キャミソール)だけの姿になっていた。慌ててパーカーを拾い上げて着直すが、ハツカの喜色たっぷりな瞳にはすでに先程の俺の姿が焼き増しされている。

 裸を見られるよりも恥ずかしいし、普通の女装をしている所を見られるよりもずっと傷つく。なにを今更と言うかもしれないが、恥ずかしいものは恥ずかしい。理屈じゃないのだ。

 

「やっぱり嫌だよ、この下着も……」

 

 それ以前にこの下着自体にも問題がある。

 

「このキャミの着心地はあまり良くなさそうだね」

「擦れて痒すぎるんだよ。チクチクって。余計に落ち着かない」

「素材と肌の相性が悪いか……僕が着る限り気にならないけど超敏感肌なのかな。キャミの裏にガーゼ貼ったり、ニップレスつけたりするのも手だけど……もの自体変えたほうがいいね」

 

 ほら脱げ、と指で指示するハツカに従って下着を脱いで壁面のフックにかけられたハンガーで袖を通して一時保管。ハンガーフックはもうひとつあり、そこから別の服を取り出した。

 

「男がキャミソールをつける意味ある?」

「ある」

「そうか……」

 

 断言されてしまってはどうしようもない。

 腕を通して確認してみる。黒いキャミソールなのは変わらないが、肌触りがずっと滑らかで擦れもないから落ち着いて着ることができた。聞けば、麻からシルクの下着に変えたらしい。

 また同じパーカーで、ハツカの言う通りに着てみるとさっきよりずっと安定感がある。恥ずかしがって変な着方をしていたのは本当らしい。

 

「これなら部屋着にぴったりだね」

「え? 部屋着? なんで?」

「僕の性格から察しなよ」

 

 つまり、家でも恥ずかしがってる所を見たいだけなのか–––!? 

 ただ恥をかいただけになった事実を、鋭く睨みつけることで抗議するがハツカは視線を気にも止めずにくらりと躱わす。

 

「満足したし、次に行ってみようか」

「……お手柔らかにお願いします」

 

 次にハツカが持ち出したのはブルゾンとスカートだ。アイボリーのトップスの上にブルゾンを羽織り、孔雀の羽の意匠がある青いロングスカートを穿く。身の丈にあった清潔感のある装いになる。ブルゾンがあるから寒くても耐えられる。しかし、これも俺とハツカから『思ったより大人っぽくなるな』という理由で自動キャンセル。

 着替えはまだまだ続く。

 大きめの白ニットを被り、デニムのショートパンツを履いた動きやすい服装。休日お出かけスタイルと。今日みたいに動く日にはピッタリだが、脚が寒くて嫌だった。

 キャミソールを脱いで、フリル付きのオフショルダーを着る。よく分からなくてハツカに任せたが、どう着たのか分からない。ただ肩周りが無いのは違和感があるし、色気が強くてハツカからも却下になった。

 

「中々しっくりこないけど、最後のはきっと気にいるよ」

 

 こんな流れで着ていき、ハツカがオススメする最後の一組。

 

「……可愛い」

「おぉ……可愛いじゃん」

 

 俺が声を漏らしたことに気づかずハツカも同様の想いを感嘆の息と共に吐き出した。

 

「やっぱりショウくんはロリータ系の服が似合うね」

 

 肩や膝丈にフリルのついた可愛らしさ満点のワンピース。穿いた白いニーソは清潔感がしっかり出ていると同時に無垢な子供のような印象を抱かせる。それはメイド服ほどかしこまっておらず、凛々しさよりも幼い可愛さを押し出している。カチューシャも着けているから全身が均等に可愛いで満たされている。

 自分に対して言うことではないが、とても可愛いと思った。

 横や背面や見るために、くるっくるっくるっと回る。スカート特有の股の辺りの通気性の違和感は拭えないが、それを差し引いても着心地がいい。

 

「これがいい」

 

『僕もそれがいいと思うよ』と返事をする代わりに抱き寄せられる。近づいていい匂いがしたと思えば、

 

「いいよ」

 

 牙が身体をえぐる。

 首筋に刃物が突き刺さった時特有の焼けるような痛みが襲いかかり、すぐに過ぎ去る。代わりに生まれた熱が脳に向かって一気に駆け上がる。

 地面から頭まで軸を一本通されたように動けない。

 声をあげそうだったが、ハツカが俺の口を手で抑えたことで外には届かない。唯一聞き取れるとしたら、吸血鬼である時葉だけだろう。

 

「ぷはぁ〜〜……超美味しい。それに気に入ってくれて嬉しいよ」

「お、おう」

「せっかく自分が着るものなんだから自分がいいものじゃないとね」

「やっぱり見れば分かるよね。そういうの」

「勿論、僕ぐらいになればもっと簡単にね」

「なら意地悪しないで着やすいものだけ持ってきてくれ」

「つまらないじゃん」

 

 マイペースに笑っているハツカに肩を落としながら俺は少し考える。

 見れば分かる。分かってしまうほど雰囲気に出てしまう。『気は身なりから』だと時葉は言っていて、着たくない服を纏っている俺は不機嫌だった。

 なら、写真の中で女性らしく振る舞っていた岡村も同じなのかな。

 ハツカみたいに自由でいて欲しい。

 

「ペロ」

「んっ」

「他の考え事禁止。せっかく僕が皿に乗せてあげてるんだから」

 

 ヌメッとした舌が道のりを刻むように唾液をつけながら吸血痕を通っていった。垂れようとしていた血が綺麗に無くなる。

 言われなくても血を吸われれば嫌でもハツカに意識が行く。けれどハツカは、誰ひとりとして他人が意識に介在して欲しいくないと俺を独占しようとしてくれてる。

 申し訳ないが岡村のことは一度忘れよう。

『分かってるよ』と頷けば、ハツカは服の襟周りに血がついているか確認する。

 

「問題なし。まだ汚すわけにはいけないしね」

「汚す気満々じゃん」

「僕にもみくちゃにされながら吸われたいでしょ?」

「えっ」

 

 この姿ならしてもらえるんだ。

 可愛い白塗りの姿で、ハツカにまた押し倒されていっぱい血を吸ってもらう。肩が血染めになるほど、無理やり吸われて……『なに想像してるの?』と回転する思考にそんな言葉が差し込まれる。

 驚いた時には既にハツカが俺の尻に手を回して、逃げられないように制圧していた。触られる感触が恥ずかしくて堪らないけど、触り方が絶妙で不快じゃない。

 

「何回やってもいい反応してくれるね」

「なんか今日、随分とアグレッシブだね」

 

 目を細めてハツカを見る。俺で遊ぼうとするのはいつものことなのだが、今日は一段と攻撃的な挑発が多い。バイクでも煽るような笑みを浮かべるし、独りでいても恥ずかしい服を着させるし、問答無用で血は吸う。

 それに抱きつくことはあってもベタベタと触れるのは記憶にない。

 俺は首を捻りながら、どうしてか考えて一つの結論に至る。

 

「もしかして、昨日調教されたこと気にしてる?」

 

 ビリビリと背筋に電流が走ったようにハツカの身体が痙攣して、俺の身体にまで伝わってきた。身体に絡んでいた腕が幽霊のように体をすり抜ける。

 綺麗に整えられたシルクのような肌に見ただけでわかるほどの汗の粒が浮かんでいる。焦りが肥大化していて、悟られたくなかったことがバレてしまって大粒の汗が一つ床で弾ける。

 

「図星だね?」

「そんなわけないよ。まずあんなもの演技に過ぎないんだからさ」

「ふーん……」

 

 確かに演技なのは間違いないだろう。

 眷属予定のペットに椅子扱いされただけでなく、自分から尻を丸出しにして叩かれるのを喜ぶなんて、ハツカにとって、負けてしまったからそれらしく演じよう、とする以外にないだろう。軽く尻に触れると彼が擦り付けてくるのも、血とあの場限りの特殊な状況による刷り込みがうまく機能したからだ。

 これからも機会があれば躾けていくとしても、ハツカの根本が変わった訳ではない。

 けれども、体に覚え込まされてはいるのだ。

 

「じゃあ、残りのもの返すから」

「ねぇ」

 

 ハツカは足早にここを去ろうと、ハンガーを取ってカーテンに腕を通そうとする。つまり後ろを向いている。この状況で僕に何ができるか、と言われればこうなる。

 声をかけた一瞬だけ彼の動きが止まるのを見て、背後に素早く立って軽く尻に触れる。

 それだけで彼はすぐに落ちる。

 

「……や、やめてよ」

「だったら早く出てけよ。捕まっててもすり抜けで出ていけるだろ」

 

 触れているだけなのだ。

 にも関わらず、彼は逃げ出すどころか逆に尻を擦り付けてくる。手を引いても密着したまま着いてきて、まるで蛸の吸盤のように彼の尻が俺の手に吸いついて離れない。

 昨日の今日だから、まだなんとか身体は覚えている。

 

「復習してちゃんと身につけようね」

「いやだよ、あんなの覚えたくない」

「なら出てけばいいよ。でも、したくないんでしょ? じゃなかったら、手から離れない理由がないもんね?」

「……ある。僕の匂いがかげてお得でしょ」

「それはそうだけど」

 

 右手でハツカを意のままに動かし、彼の左側を陣取るようにして横顔を覗き込む。悔しそうに唇に牙が食い込んで皮膚が破れるほど噛み締めて、離れられない自分に困惑している。

 

–––割と真面目に好きになってる?

 

 俺としては好都合だが、釈然としない気持ちの悪さがある。ただ好きなんてあるはずがない。

 

「血の匂いが忘れられないのかな? 血に支配された事が忘れられないのかな?」

「……はい。忘れられないです」

「本当に僕の血が好きだね」

 

 ハツカの鼻が痙攣した。

 彼は触られる事が好きなんじゃない。痴態を見せることで、褒美に血が吸えると頭のどこかで思ってしまっているだけ。パブロフの犬のようなものだ。

 微かにだが瞳が動いた。瞳が捉えているのは辱めている俺ではなく何も映っていないカーテンの先。つまり、彼が見ようとしているのは罰を受けて口を聞くことすら禁止されている時葉だ。

 眷属の前で痴態を披露するのは厳しいか。

 理解はできるが、なぜそっちに目線が行ってしまうんだ。

 

「おい、ハツカ」

「……なに?」

「–––––」

 

 かくかくしかじか。なるべく声を顰めて、絶対にハツカ以外には聞こえないように喋る。

 話し終えるとハツカはまだ内容が飲み込めていないのだと目に見えて分かるほど、怪訝な表情で俺を見る。

 

「なんで……?」

 

 理由、そんなもの決まってる。

 

「だって、その方が気楽じゃん」

 

 

 

 

 服が擦れ合う音が何回、何十回と鼓膜を震わせてくる。時葉香澄(ワタシ)も吸血鬼だから人間よりも感覚器官が優れているのだけれど、今回はその優秀な聴覚を呪う他ない。

 試着コーナーに幾つか置かれている折りたたみ式の丸椅子。吼月くんが入った個室の前に設置されていた椅子で待機し始めてから、20分が経過していた。

 ハツカ様が乱入してからはこの耳障りな音が鳴り止まない。

 

(……ハツカ様の意思、ハツカ様の意思)

 

 元はと言えば、私が遊んでもらえると昂りすぎてドアを壊してしまった事が原因だ。そこは受け止めなければいけないし、ハツカ様の私物を壊したのだから罰は受ければいけない。

 眷属として当たり前のことだ。

 けれども、どうしても目の前にあるカーテンを鋭く睨みつけてしまう。

 

「ねぇ……あの人、なんであんな怖い顔してるの?」

「アタシらが知るわけないじゃん。まぁ、よっぽど待たされてるか、寝不足なんじゃない?」

 

 鏡に映らないから確かめようがない–––不機嫌な顔の自撮りなんてする趣味もない–––ので分からないが、他人から身を引かれるほどの顔。よっぽど酷い顔をしているに違いない。

 たった一枚の布の先で、私の最愛の親にして超絶怒涛完全究極美少年であるハツカ様と、容姿良しだが強がって気を張ってる美少年–––勿論ハツカ様と比べたら数百段劣るが–––の吼月くんが絡み合う声がしている。それを聞かされる眷属の心には、筆舌に尽くしがたい苦痛で満ちるのは言うまでもない。

 吼月くんの存在自体も問題だ。今日は一段と吼月くんとの肉体接触が多い。適切なタイミングなら落とすのに役立つが、その利点を度外視にしてまで至近距離にいる。

 

「ヤバいくらい美味しそうな香りがする……」

 

『ここからは俺とハツカがイチャイチャするのを指を咥えて見ていたくださいね。我慢できれば、ですけど』

 吼月くんの一言が私の心から余計に冷静さを奪う。

 我慢なんてしたくない。今すぐにでも割り込んで一緒に遊んで欲しい。

 それが許されない立場になってしまう原因を作った1時間前の自分を殴り飛ばしてやりたい。

 私が動けないことを承知で吼月くんは意地悪を言ってきた。優しくしてあげたのに。

 

「……我儘やっていいって言ったのは私だけど」

 

 運転中、私がハツカ様に抱きついていただけた時に、あの子に見せつけるように笑って自慢した。今の私みたいにかなり苛立っていると自慢しがいがあった。

 まさかすぐに自分へ返ってくるとは思わなかった。あの子もキチンと子供らしい所がある。

 

「よし、やり返そう」

 

 ハツカ様には申し訳ないけれど、店員に注意されたと言えば、ひとまずはふたりのスキンシップを止められる。そこから吼月くんを丸め込んで個室の中に居座れば完璧だ。

 そうと決まれば行動開始。

 椅子を弾き倒すようにして立ち上がり、私とハツカ様を隔てる大きな壁に手をかける。

 よし–––––「待ってやめてよ……」カーテンを開けようとすると、私が聞いたこともないハツカ様の声がした。着せ替えをしている時よりも大きな声で、私にしか聞こえない声量。

 それに続いて柔らかい物を叩く音が耳朶を打つ。

 出鼻を挫かれるが、二人にバレないようにそばの壁に体を這わせながら、聞き耳を立てる。覗かないのは、相手がハツカ様だからだ。ハツカ様は目配りを怠ることがない。しっかり閉められているカーテンを少しでもあければ、すぐに気づかれてしまう。

 

「なんでだよ、好きだろ?」

「好きじゃないって」

 

 嫌がりながらも、妖しい光に当てられ盛る前の女のような声をハツカ様が出しているのだと理解するのに数秒を要した。ハツカ様に生娘染みた声を出させているのが、吼月くんなのを信じるのには倍以上の時間を使った。

 

「な、なんだ……」

 

 この個室の中で何が起きている?

 聞き耳を立てている自分が、まるで野獣が入れられた危険な檻の中を覗こうとする愚か者にすら思えてくる。あまりにも自分の常識からかけ離れた出来事に正気が薄れる。

 支配してくれるのがハツカ様であって、される立場にはいない。

 まさか–––––

 

「でも尻、触わ」

「何やってるのおおおお!!!」

 

 気がついた時には私は悲鳴をあげながら、カーテンを床に落としていた。

 カーテンの先にあったのは、

 

「あーあ、やっちゃったね」

 

 抱きつくように腕を絡め合わせながら、今にも吼月くんの血を吸わんとするハツカ様のうっとりとした瞳。吼月くんの穿いたスカートの中に手を入れ、話の流れからすると吼月くんの尻を触りながら感情を爆発させようとしていたタイミングだった。

 感情が大きくなるほど、濃くなるほど血の味は素晴らしいものになる。

 つまり、私は盛大かつ最悪のミスをしてしまったのだ。

 

「は……ハツカ様……すみません……」

 

 私を見つめるご主人様の冷たい眼は、芸が全く出来ない出来損ないの犬を見るような蔑みを膨よかに孕んでいた。

 

「時葉……お仕置きだからね……」

 

 ああ、見放されてしまう。

 彷徨う私の視線が行き着くのは吼月くんの背中だった。助けてほしいと願いながら彼を見つめるが、無言のまま時が止まったかのように動かない。尻を触られていた所をいきなり開けられたんだから、年端のいかない少年には刺激が強い。

 それに、同じ日に二度も失敗をした私を助けてくれるほど––––

 

「ハツカもそう怒るなよ。僕にいい考えがあるからさ、言うこと聞いたくれるよね?」

 

 奥の鏡に映る吼月くんは、気が遠くなるほど広がる真っ白な部屋のような微笑みを私に向けながら救いの手を差し伸べてくれる。

 ゾクリと背筋に何かが奔った。

 きっと、まだなんとかなるという安堵からだ。

 吼月くんがハツカ様の両腕から難なく抜け出すと、私を個室の中に引き入れてカーテンを閉める。

 

「なんなの? いい考えって」

「簡単だよ。せっかくハツカの食事を邪魔したんだし、同じ苦しみを与えなきゃダメでしょ? だから、時葉には俺の血を目の前にしてずっと耐えてもらいます」

 

 それが出来なかった場合、私はどうなってしまうのか。

 今の私では口を開くことさえ完全にタブーとなってしまっていて、尋ねることはできなかった。吼月くんも笑うだけで答えない。

 代わりに、ハツカ様が訊ねてくれた。

 

「失敗したら、どうするの?」

「それまぁ、アレだよ。ハツカが決めればいいよ」

 

 投げやりだったが、決める権限は吼月くんではなくハツカ様にあるのは明白。

 ハツカ様は唸りながら数秒だけ悩むと––––

 

 

 

 

「なら一ヶ月間、生き物やめようか」

 

 

 

 

 淡々とスマホを取り出して耳に当てる。

 ぷるぷる……とか細い電子音が相手を呼び出すと、すぐに元気な声で上塗りされる。

 

『あら、どうしたのハーちゃん?』

「萩凛さん、急で悪いんだけどホテル一部屋貸してくれる?」

『吼月くんの血と交換ならいいわよ』

「なら別の部屋探すからいいよ」

『その言いぐさからしてこっちに来てるのよね? 残念。空いてるところは全部抑えさせちゃった』

 

 ハツカ様のスマホに耳を寄せていた吼月くんに、アイコンタクトで確かめろと合図を出す。すぐに吼月くんは調べ終え、顔を引き攣らせながら自身のスマホをハツカ様に見せる。

 

「嘘だろアンタ……」

 

 心底嫌そうな顔をしながらハツカ様は了承すると、ため息をついた。




 仕事の都合で来週から七月頭、もしくは八月頭まで投稿出来ない日があるかもしれません。申し訳ございませんが、よろしくお願いします。
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