今日はもういいよってぐらいに恥ずかしい想いをした。店で
精神が雑巾絞りされたかのような軋みに悲鳴をあげている。
「いきなり何するんのさ」
身体で卍を描いてベッドで押さえられた
さらに深くベッドに密着して仄かな暖かさを伝えてくる。その温かさで自分が冷えていることを実感する。
「そっちじゃない。ショウくんを勝手に持っていったことだよ」
「私達がこの辺りを根城にしてるのは知ってるわよね。で、今日も自警団の集まりがあったんだけど、この間のこと神楽ちゃん達にも話したのよ」
「それで興味持ったわけね」
萩凛さんがコクリと首を動かして肯定する。
「半吸血鬼なんて面白い生き物に興味持たないわけないわよね」
「世界的に見ても珍種すぎるだろうし」
「そんな時にハーちゃんから電話がかかってきたわけ。で、せっかくなら皆んなで飲もうってことになって、ここに誘い込んだの」
「皆んなで……?」
つまり、これからショウくんの身に起こることを想像して僕は憤りを抑えられなかった。僕の眷属を僕の了承も得ずに好き勝手弄ぼうという身勝手を僕は許さない。
僕の視界にベッドが映る。僕はベッドの中に潜航するようにスリ抜けていく。
「あら」
萩凛さんが特別驚いた素振りも見せず、わざとらしく呟いたのが聞こえた。
僕は身体の中をベッドと床がすり抜ける違和感を覚えながら、一つ下の部屋に落ちた。受け身を取りながら音を立てずに着地。周りを見ると利用している客は居なかった。特に騒がれることもなく、元の部屋へ拳を突き上げながらジャンプする。
視界を遮る天井を、ベッドを通り抜けて–––……拳は萩凛さんの顔面へと吸い込まれて、
「おかえり」
「……ただいま」
戻った時には萩凛さんは背筋を綺麗に伸ばした正座の姿で待っていた。拳は虚空を通り過ぎて、虚しく垂れる。おもわず舌打ちしたくなるが、肩の力を抜くだけに留まる。
宙に浮いていた身体がゆっくりと落下し、ベッドに受け止められる。木が軋む音がした。
「殺意高いわね。いま拳が出てきたの私の顎があった場所じゃない」
「当たったら顔面崩壊してたのにね」
「女相手にひどーい」
「大切に扱いたくなる行動をしてくれ」
ベッドの上から立ちあがろうとする僕を見て萩凛さんは言う。
「随分ご執心のようね。眷属ひとりに執着するタイプでもなかったのに」
「色々あるんだよ。色々と」
「あっちこっち首を突っ込む危なっかしい子がそばに居たら、大人としては目の届く範囲に置きたいのも分かるわよ。私の眷属候補だったら監禁したいぐらいだわ」
僕は萩凛さんの言葉に心のどこかで同意してしまって、一瞬だけ目を逸らしたくなる。けれど、実際に逸らしはしない。それだけで萩凛さんにはより深いところまで理解されてしまいかねないからだ。
「なんであの子を飲み回すことになってるの?」
「オーナーと経営者である私と神楽ちゃんは確定。シっくんやエマは興味があるから加わって……白山くんも嫌そうな顔をしながら雰囲気で飲む流れになったの。飲んでしまえば流れで行けると思ったんだけどなぁ」
「行けるわけないでしょうが」
「まるで私が悪いみたいな言い草。これも全て眷属にできないハーちゃんが隙を見せるのが悪いのよ」
額に青筋が浮かび上がったのが自分でもわかる。けれど、ここで苛立ってしまえば余計に萩凛さんの思う壺だ。鼻から息を大きく吸って持ち直す。
「神楽さんってITとかの社長じゃなかったっけ」
「やりたいことやったから革椅子を置いてきたみたいよ。で、次やるのを探す間にやってもらってるの」
「流石に想定してなかったな……言い出したの神楽さんでしょ」
萩凛さんはゆっくりと頷いて『私だけだったら専用の部屋に自分で来るように命令するから』と付け加えた。萩凛さんの言うとおりになっていたら、悶々とした気持ちを抱えながら待ち続けなければいけなかっただろう。さっき受けた恥辱感との甲乙はつけられないが、不機嫌になるのは間違いない。
「大勢で血を吸ったら、流石に倒れるよ」
「いっそのこと倒れたほうが今後のためよ」
その言葉で僕は肩にどんよりとした雲がのしかかるような感覚に曝される。豊満な胸を果実を揺らしながら笑う様は、私の行いに狂いはない、と宣言しているに等しい。
僕は首を振って否定する。
「倒れていいわけないだろ。あの子は悪いことをしなわけじゃないんだし、約束を歪めた方が今後来るかもしれない機会を逃すことになるよ」
僕が恐れるとしたら、今回のことで古傷に触ってしまわないかということだ。萩凛さんだけなら約束で誤魔化せるが、他の子から許可せずに無理やり回されたら。吸血が人間でいう繁殖行為に根ざしている以上、彼を引き取った糞爺や糞婆にやられたことを思い出しかねない。
もし古傷がいつもの不信感以外の形で開いたら、それこそ眷属化から遠のいてしまう。
「余計なことはしないでよ。やるならキチンとあの子が納得してから」
「……もしかして気づいてないの?」
僕を訝しんだ表情で見つめながら萩凛さんは2本の指を立てると、その内のひとつを折った。
「あの子、もう相当無理してるわよ」
☆
––––頭
頭痛が痛い。違う。頭痛が酷いだ。まるで頭蓋骨を鉄の輪っかが押し潰そうと透明な緊箍呪が徐々に力を加えているようだ。思考が纏まらず、ぼんやりと想像を膨らますことしかできない。呼吸も浅く、周りに気づかれない程度に繰り返して酸素を確保する。
––––おかしいなぁ……気絶させられた時の4分の1も飲まれなかったのに。
「びっくりした……着地した瞬間に気絶しかけるんだからさ」
「飲む前に気づくべきだと思いますよ、
「仕方ないだろ。あそこまでくっきりと首に痕が残ってたら、しゃぶりつきたくなるのが吸血鬼の性だ」
安堵するのは俺を連れ去った神楽という吸血鬼だ。
意識を保っているのは、気絶する寸前に俺が無意識に傷が開いた左の人差し指に爪を突っ込んだからのようだ。
身体を動かすことは当然だができなかった。
吸血鬼たちも病児をぞんざいに扱うことはしなかった。誘拐犯である神楽という吸血鬼は、屋上バルコニーに着地すると俺を運んでソファに横にさせた。艶のある紅いジャケットを毛布代わりにかけてもくれた。
「吼月くん、大丈夫?」
怪訝な表情で近寄ってきたのは、岡止士季と
「じゃなさそうだな。汗がひどいぞ」
「頭痛がするだけだから問題ねえよ」
「とりあえず診るからふたりとも離れてて」
別の吸血鬼が近づいてくる。見上げると銀色の髪を携えた吸血鬼らしくとても美人な女性で、萩凛さんとは真逆の遊びの少ない賢明な印象を受ける。冴えたグレーのスーツ姿だからだろうか。
神楽同様、その姿は見たことがなかったから『誰だ……?』とわざと溢すと、士季が答えてくれた。
「この人は
「ハツカ繋がりで言うとカブラの上司ね。はい、お茶。とりあえず飲んで」
「どうも」
夏月さんはお茶の入ったペットボトルを俺に握らせる。ラベルが貼ったままで見てみると黒豆茶だった。俺は促された通りに水を飲むと、ほんのりとした甘味が喉から全身に伝わり少しだけ気楽になった。
「話せる?」
山を流れる真水のように澄んだ声で訊ねてくるので、ゆっくりと肯首する。
「質問するからゆっくりと答えて。検血ってしたことある?」
「……やってた」
「気持ち悪くなったことはある?」
俺は首を振って否定する。
そこからも夏月さんは俺に訪ねてきた。最大何本採られたか。6本だ。どれだけのスパンで吸血されてるか。ほぼ毎日。今日はどれだけ飲まれたか。大体三人分。最近の就寝時間なども聴いてきた。あんまり寝なかった。
「吸血と睡眠不足から来る貧血ね」
一通り聞き終えると原因を断定して頷いた。
「寝不足、ですか」
「ただでさえ毎日飲まれて、もしハツカが飲まなかった日があっても次の日には取り返すように何回も吸われる。加えて睡眠時間が平均して2時間もなく、基本的に徹夜で学校で浅い眠りを取る程度。
先月まで健康的な生活をしてたなら、余計に身体が着いていけないんでしょうね」
「……でも最近までなんともなかったんだぞ?」
「徹夜でゲームしたり追い込み勉強したりすると、身体は疲れてるはずなのに感じないって聞くでしょ? アドレナリンがドバドバ出ててるから耐えられてるだけで、それが切れたらすぐに風邪をこじらせる」
「……」
ぐうの音も出なかった。
その夏月さんは続けて––––ハツカにだけあげる血だったはずなのに、別の吸血鬼に立て続けに吸われたせいで途切れちゃったのかしら。その点は多分貴方が1番分かってるだろうから––––とナイフを更に投げてきた。
「倒れて当然の結果だな」
「神楽もだ。相手の体調ぐらい気づきなよ。それが吸血鬼の最低限のマナーなんだから」
「悪いな。吼月も悪かった」
「次からはつまみ食いなんてするじゃないぞ……」
「約束は守ってるんだかな」
横になっている俺に目線を合わせるために神楽は胡座でそばに座り込むと、頭を下げてきた。このホテルの所有者が萩凛さんと神楽だという事情を聞くと、先に言ってくれれば時葉で血の無駄遣いをせずに会いに行ったのに、と強く思った。契約の履行に力を抜いてしまったのがいけなかった。
「そんなに美味しかったの?」
「とびきり。体調が良かったらさらに美味しいと考えたら異常なくらい美味。ほら、甘凪も屈んで見てみろって」
誘われて腰を低くする夏月さんも血の香りに鼻を動かして『これなら……飲みたくなる、かも』と言った。その共感から神楽も『だろ?』と微笑と共に舌で唇を潤す。どうやら俺の血は無条件で吸血鬼を虜にするようだ。軽い笑い声でもあげられたら良かったが、笑える状態ではなかった。
夏月さんは立ち上がって食欲を拒絶すると、2回だけ咳払いをする。
紡がれるだろう言葉に辟易としながらテーブルを求めて腕を動かす。
「とにかく、貴方がすべき事は昼間の生活をやめること。学校に行かずにその時間を睡眠に充てないといけない」
「必要ないな」
俺はソファにペットボトルを置いて立ち上がる。右脚の力が抜けかけて体勢が崩れかけるが、一瞬で元に戻しバレないように隠しきる。
「まだ立ち上がっちゃ……」
「座ってるより立ってる方が好きなんだよ」
「無理しない方がいいぞ」
座らせようとしてくるエマと士季の手をくるりと右脚を軸にして回転し回避する。大丈夫だ。問題ない。見せつけるように少しだけ大袈裟に回ってみせた。
「ほらな、大丈夫だろ?」
「痩せ我慢な気がするが」
「多少は我慢してるよ。だが、大前提としてそこの女は間違えてることがある」
「さっきは反論しなかったじゃない」
医者としての性分からか目を細めて俺の行動を咎める夏月さんを、チェッチェッと口を鳴らして否定する。
その時、胃袋を空にして獲物を求めるような情けない獣の遠吠えが屋上に響いて、場の一斉の音をかき消して去っていく。その声の原因は誰あろう俺の中。
腹の中に住む獣がガルルと鳴く声だ。
「言っただろ? 全体が違うって。単純に腹が減ってるだけだよ」
「ご飯は?」
「昼飯しか食べてない。もっと言うとジャンクフードだ」
「……量はあるけど栄養は足りないし、夜まで保たなかったと。今はそう言いたいのね」
医者の夏月さんからはしたら見苦しい言い訳でしかなかっただろうが、病人である俺が言って聞かないなら肩をすくめて受け入れるしかなかった。それは医者よりも、吸血鬼として俺の心の外殻を読み取ったもの––––妥当な判断でありがたかった。
軽くストレッチをしてから革ジャンを神楽に返す。
「……神楽でいいんだよな?」
「粟坂神楽だ。自警団としては武力担当兼……パトロンってところだな」
「萩凛さんがその枠だと思った」
「後援者って意味なら甘凪だ。萩凛は面白そうなら気ままに前に行くからな。ほら、エマの件でも前に出てきただろ? アレはエマの好きな人間に会いたいってのもあったらしいし……前日に吼月が来たのも関係してるか」
確かに土地や財力といった点から後援者と考えていたが、支援というには前に出過ぎている。本当に享楽主義的に自警団をやっているんだろう。逆に血液パックの確保などができる医者としての立場がある夏月さんの方が合っている。
「そうなると、粟坂はこの間は何してたんだ?」
「四国にカチコミかけるついでに甘凪と萩凛と旅行してきた」
「長い休暇が貰えたからね」
「そんで萩凛は先に帰って、エマの件に加わったんだ」
あまりにも突飛な回答に戸惑ってしまう。
「どうしてそんなところに」
「知り合いが四国から来た奴に眷属を取られたらしくてな。お仕置きしに行ってたんだ」
「……そうなのか」
武力担当を受け持つなら戦闘もできて当たり前だ。しかし、四国という別のコミュニティがある場所に三人で戦いを仕掛けて普通に帰ってきてるあたり、交渉が上手いのか、異様なまでに喧嘩が強いのか、どちらでも感服する。
後者なら初手で萩凛さんを沈めておいて正解だった。
「因みに吼月も会ってるぞ」
「いつ?」
「ほら、今日三人がドタバタやった店で吼月に対応した女スタッフだよ」
「え、あの人?」
「そうそう。あっちでとっ捕まえたあと、先に帰った萩凛がお土産で持ち帰ったんだよ」
「萩凛さんって手を出しすぎじゃない?」
「なー、節操がないよな」
「……神楽」
「なんだよ」
うんうん、と頷く粟坂を冷徹な目で見つめる夏月さん。まるで盲目な相手を責め立てる念が強く込められているようだった。気になって尋ねようとするが、先に粟坂が問いを投げかけてきた。
「それでだが、話では女装趣味はないと聞いていたんだが?」
「私も気になってたー! 可愛いから一緒に写真とろよー!」
粟坂の問いに同調してエマが手をあげる。声にはしないが、士季や白山たちも俺の姿を気にしていた。
「……ああ、それか」
彼らは吸血鬼だ、話すべきだろう。
俺は昨日起こった出来事を語り始めた。
☆
「あの子の親が吸血鬼殺し!?」
「声うるさい。それに実父じゃなくて代わりだから」
ショウくんの体調が崩れているかも知らない話を聞かされた
「確定なの?」
「……僕とミドリちゃんを敵視してるから吸血鬼の存在は知ってると思う」
「難儀なものね。吸血鬼殺しの義息が眷属候補なんて」
両手を肩まで持ってきて首を弱々しく動かす。困った困った。その通りだが、僕がショウくんを眷属にするのは決定事項だ。障害は神崎和也だけなのだ。
「でも、なんであの子が馬鹿みたいに昼も夜も起きてる理由に繋がるの?」
「子供の部屋に盗聴器を仕掛けるほど節度のない輩だからね。不登校にでもなったら、すぐに原因を僕たち吸血鬼に結びつけて殺しにくる。だからあの子は休むことなく学校にも行ってるんだ」
不調は神崎に与えてはならないサインを送りかねなかった。
「想像でしょ? この街を離れるなりすれば……」
「それで解決すればショウくんならもうやってるよ」
ただでさえ神崎からの暴行はあの晩限りのことではなく、それなりの頻度で起こっていたに違いない。それなのにあのタイミングで初めて神崎が所属する弁護士事務所に証拠を出したのは、僕の存在があったからだ。きっと僕にバレていなかったら、今も独りで背負い込んでいたに違いない。
「その親代わり。神崎士郎だっけ?」
「
「そんな名前だったわね。神埼和法……弁護士ねぇ……知り合いの探偵にでも張り込みさせようかしら」
僕からも頼むよ。
頭を下げて頼むと、
「––––いいのよ。吸血鬼全体の問題だしね」
それだけ言って僕の顔を上げさせると、彼女はまるで失望したかのような顔色で天井を見つめていた。きっとその先に居るであろうショウくんの姿を想像しているのだ。
「でも、吼月くんも吼月くんよね。あれだけ必要なら探偵さんもキクも殺せばいいだとか口にするくせに、自分は手を下さないんだもの」
「普通なら口だけで済まなきゃいけないんだけど?」
「馬鹿ね。その普通の一線を軽々と飛び越えてみせる狂気的な部分が吼月くんの良いところでしょ」
軽々と口にされて僕の心から異物が弾け飛びそうになるのを必死に抑えながら、僕は首を振って反論する。
「褒めるべき生き様じゃない。少なくともこれからを棒に振る生き方を肯定するつもりはない」
「ならどうするつもり? 殺すのも禁止。離れるのもダメ。目をつけられてる以上、小さな綻びだけで崩れるわよ」
「それは……」
手詰まり状態なのは分かっている。元凶は神崎なのは間違いないが、原因はショウくんにもある。訳は知らないが神崎を利用しようとしている。或いは助けようとしている。神崎だけじゃなく、もっと別の誰かが–––––『万が一にもハツカに恋をしたとしても、眷属になる前にそれだけは片付けないといけないから』––––脳裏でショウくんが哀しい笑みを浮かべている。助けないといけない誰か。
「ハーちゃんが吼月くんを今すぐにでも眷属にできれば話は早いんだけどね……」
「出来たとしても心残りがあるまま眷属にはしたくないけどね」
「普通なら眷属になれる時点で心残りなんてないはずなんだけど?」
「分かってますよー」
僕は少し腹が立ってしまうが、吸血鬼なら当たり前に行き着く未来なのだから否定できない。僕たちが座っている時葉だってそのひとりだ。
隣で座る萩凛さんが、うーん、と考え込んでいるとは思えない軽い調子で唸ってから口を開く。
「良い手はあるんだけど聞く?」
「……嫌な予感しかしないけど、一応」
ふふふ。それはね。
少しだけ貯めてから、彼女は言い放つ。
「昔ね、とある吸血鬼がこんな事言ってたのよ。『吸血鬼化のトリガーは過剰に分泌されたドーパミンにある』ってね」
「ドーパミンって快楽物質の?」
「そうそう。人が欲求を満たした時に出てくるご褒美物質だけど、今の吼月くんにはそれがピッタリなの」
愉しそうに輝く瞳には僕の姿だけでなく、ショウくんの姿を捉えている。少し視線がズレていて、その先にあるのはベッドだ。
「つまり……何をすればいいの?」
「セックスに決まってるじゃない」
「んっ! ンン!!」
「あら、どうしたの咳き込んで?」
「気にしないで」
分かってても、面と向かって言われるとどうしても照れてしまう。恋愛感情の穿った発露である七草さんの下ネタと違って、萩凛さんの本当に恋愛と性行為を交えて許容しているせいで余計に直球で困る。
真剣な萩凛さんは説明を淡々と続ける。
「夜の生活を始めてまだ一ヶ月も立たない彼はいま、心身を安定させるセロトニンが大きく損なわれてる状態。そういう時にストレスをかければ通常よりも多くのアドレナリンを放出される。最後にはアドレナリンを上回る多量のドーパミンと共に果て、恋してる時と脳が同じになる。
そこで吸血すれば眷属化できるって寸法らしいわ」
想像はつくし、僕もその手の
きっと、僕が彼女の提案を拒んでいるからに他ならなかった。
「納得いかないの? 一応この方法で眷属作って成功したところまで見せてもらったから、確率は高いと思うわよ。それに吼月くんは男性としてよりも女性よりでハーちゃんに求められたがってたから、そっちで相手をしてあげればオーガズムが継続してドーパミンの放出は続くし……」
「方法としての異論はないよ。ただ、ショウくんにその手を取るのはちょっと気が引けるというか……」
彼が僕を人間的なまぐわいで求めているのは知っている。
けれど、わざわざ過去のことを思い出させるをさせたくないのが僕の本心だ。記憶をなくす事をショウくんが求めているわけではないなら、吸血を悟られた時点で彼に拒絶されても不思議ではない。
「相手は中学生だしね。強すぎる刺激はかえって毒かもしれないし、そこは貴方の判断に任せるわ」
深くまで事情を知ってる訳ではない萩凛さんは身を引くと、最後に忠告をする。
「でも、早くしないと一年なんてあっという間よ?」
その忠告は普通なら正しい。
けれど……
「……半吸血鬼に昔からなれることを考えると、あの子は期限なしで眷属にできそうなんだけどな」
「つまり人間のままならあの美味しい血がいつまでも飲めるってこと!?」
「かもしれないって段階だから!」
半狂乱になりかけた萩凛さんを抑えながら僕は自戒する。
かもしれないという状況である以上、安心はできない。チンタラと動くわけにはいかない……彼が望んで過去を捨てることができる唯一の機会になのだから。
「そろそろショウくんの顔を見にいこうかな」
僕らは立ち上がりドアに向かって歩き出す。
それよりも先に、カタリとドアノブが開いて––––
「お、ハツカ!」
先ほど奪われた僕の子が開いたドアの隙間から僕を覗き込んだ。僕が部屋にいることを認めると、ショウくんは変わらない笑顔で僕のそばに飛び込むようにそばへやってくる。
「ショウくん、大丈夫だった?」
「ヘーキヘーキ。他の人に吸われて少しダウナーな気分にはなったが、他に問題はないよ」
けれど、それはハッタリだと分かってる。微かに足元が微かに震えているのを我慢しているのがすぐに見てとれた。早く座らせてあげないといけないな。だから、彼をベッドの方へと誘いながら歩く。
「良かった。で、なんでまた下がってきたの?」
「ここの人たちが飯を作ってくれるらしくてな。それで呼びにきたんだ」
「……変な約束をふっかけられてないだろうね?」
「大丈夫。粟坂が飲んだ代わりに用意してもらったから」
「そう。なら、飯はこの部屋に持って来させよう」
問題は萩凛さんだが、流石にあの人も許してくれるだろう。言質はとっておきたいので振り返って尋ねる。
「それでいいよね、萩凛さん?」
「もう居ないぞ」
振り返った先にはあの僕らを弄ぶ瞳はなかった。天井を見上げると彼女が通りすがった痕跡として、葉露が落ちた水面のように波が打っていた。辺りを見渡すと、時葉の姿も消えていた。きっと萩凛さんが持っていったのだろう。
「神出鬼没。すり抜けって怖いな」
「全くだよ、自分でも怖くなっちゃう。とりあえず座ろうか」
「……うん、そうだね」
頷いた彼の気迫はうっすらとしていて、今にも消えそうなものだ。すぐに彼をソファに座らせて、背もたれに身体を預けさせる。
座らせた時に分かる浅く絶え間なく繰り返される呼吸と汗ばんだ額に、僕は申し訳なさを覚える。駅であった時に気づいていればよかった。なんで気づかなかったかな。意地張ってたかな。いや、萩凛さんも飲むまで気づかなかったみたいだし……。
「大丈夫だよ。これくらいなら力を使えば治るから」
笑って答えるショウくんの一言が、余計に後ろめたさを肥大化させる。本当に治せるなら顔を見せる前に使っているはずなのだ。
「……ねぇ、ショウくん」
「なに?」
「僕は今すぐにでも吸血鬼になるべきだと思う。神崎に対しても、健康のためにも」
だから–––––少し息を吸って、怠い時に辛いことを言わせる罪悪感を肺の中に留めてから言う。
「キミの厄介ごと、僕にも背負わせてほしい。キミの悩みを教えて欲しい」
ショウくんは少し驚いたように目を開けている。それは僕からその提案が出てくることへの驚きもあるが、また別の何かが含まれている。慮外と思われているのとは違う。意外そうな瞳がどんよりと漂う。
「……般若から聞いてないの?」
「え? うん」
「そう……」
状況を自分なりに咀嚼して、彼は言う。
「俺には弟が居るんだよ。腹違いの弟が」
……難産だった。