よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第八十九夜「お気に召したら」

『やあ、時葉。今から伝える場所に行って欲しいんだけど––––』

 

 光も、臭いも、味さえも支配されながら、ハツカ様でも、吼月くんでもない誰かに乗られている。情けない自分に語りかけてきた言葉は、ハツカ様の命だと思った。

 だから私は不審者ふたりを突き飛ばして、すぐさま行動に移す。

 私を玉座にしていいのはハツカ様だけ。仕返しにわざと相手が転ぶように立ち上がったのだが、立ち去るまでの一秒で足裏に伝わってきた振動はひとつだけだった。完全な不意をついたはずだったのだが、どうやら警戒心が強い者がいるらしい。

 だとしても、時葉香澄()には関係のないことだった。

 ハツカ様の意思を代弁する平坦な声がまた聞こえる。

 

『目隠しを外したら、別のホテルの屋上に移動。終わったら、スマホを見て』

 

 良いのだろうか。

 疑問が湧いたのは、私の失態で縛られることになった目隠しを時間を置かずに外していいなどとハツカ様が言うだろうか。いや、言わない。ハツカ様が言いつけを守らなかった私に優しさを与えてくれるはずがないし、私たちに厳しい姿があるからこそご主人様なのだ。

 ただ、このままではコチラからは返答できない––––いや、見えなくてもメッセージを送ることぐらいは可能だが––––から、不気味な誰かも分からない声に従って、目隠しを取って、跳躍する。夜空の優しい光が視界を優しく包み込む。これがもし朝焼け空だったら暗闇とのギャップで、目が焼かれてしまうだろう。太陽の光は強すぎるのだ。

 コツン、コツンと等間隔で数回足音を鳴らす。振り返れば、背後には足音の分だけホテルやビルが並んている。

 ピコリン。

 スマホから耳朶を優しく撫でるような電子音が響いた。

 指示通りスマホを取り出すと、吼月くんからのメッセージだった。

 住所と赤マーカーが刺さったマップが送られてきていて、添えられた文には『ここに住んでる少年の様子を見てきて。2階の真ん中の部屋にいるから。もし窮屈そうなら遊んであげて』と書かれている。

 ハツカ様の命令じゃないと分かり、やる気が落ちる。

 しかし、追記されたメッセージが再び私の背を叩く。

 

『達成後、連絡をくれればまた血を舐めさせてあげます。この命令はハツカも黙認しています』

 

 礼儀として読み終えた私は、見下ろせば目測数十メートルはあるビル分の酸素を吸うかのごとき深さの空気を丸ごと自分の体に取り入れるように、ゆっくりと鼻で吸う。多量の空気が吼月くんの血の香りを伴って私の中を満たす。

 残り香だというのに、体が疼いて堪らない。

 なによりハツカ様が黙認しているということは、あの人の役にも立てるということ。甘美な餌も貰えて、ご主人様の足となって働ける。一言で言えば、受ける、以外にない。

 そうして––––移動して、約何分だろう。

 マーカーに刺されていた目的地に来ていた。近くの電柱の上からそこを見下ろす。庭のライトに照らされてまるでそこだけ夕暮れから取り残されたかのような、異なる時間に立っていると思わせる真っ白な二階建ての家。

 いったいこの家はなんなのだろうか。

 庭の明かりはついているのだが、肝心の屋内からは光が溢れていない。通行人や路肩に止まっている車に気をつけながら、誰もいない場所に降りて、ぐるりと歩き回ってみる。

 

(誰も……いない?)

 

 やはり物音もしないし、見える範囲の窓にもカーテンが降りている。感じられるのは風だけ。夜特有の静かで澄んだ風だけが、髪を揺らして首を撫でる。

 もう深夜だから家族全員寝ついているなんてこともあるだろう。

 このまま帰ってしまおうか。

 だが、それではここに来たという証拠がないままだ。血だって貰えないかもしれないし、ハツカ様に褒めてもらえない。どうしようか迷いながら、家の真正面にある表札に目が止まった。

 

(……葛樹)

 

 気にすることではない。けれど、個人的に中にいるであろう少年に興味が湧いたのは事実。

 

(とりあえず中の様子を見て、寝てたら写真を撮って帰ろう)

 

 2階の窓に近づくために足音を立てないように、ふんわりとした跳躍で屋根に跳び乗った。風に吹かれて屋根にばら撒かれた枯葉の絨毯に足を沈ませる。葉が裂ける音がした。

 

「んっ」

 

 周りに反応がないか探るが特になし。

 けれど、思わぬ発見があった。下からではカーテンに遮られて気づかなかったが、か細い光が当たっている窓をひとつだけ見つけた。吼月くんのメッセージ通り、そこは建物の真ん中付近で住人の存在を示していた。

 ひとまず近づいた私はカーテン越しに中の様子を見てようとして、グワンッ!と壁面が強く波打ったのを視界の端で捉えた。

 

 吸血鬼––––!?

 

 波紋の中心から飛び出てきたのは手だった。私の顔を握り潰さんとするその凶器は躊躇うことなく左頬に迫って––––突然の襲撃に対応が遅れ、無防備に屋根の中へと引き込まれる。

 

「ッ––––!?」

 

 思わず目を閉じてる。当たらないのは知っている。

 身体の中を異物が通り過ぎていく。顔が異物に浸り、首に下って胃袋へと。皮膚を引っ剥がされて筋繊維や内臓の一つ一つをスポンジで撫でられているような感覚に襲われて総毛立つ。

 慣れてはいるが、心地の良いものではない。自分で通ろうとしたものではないなら、その不愉快感はひとしおだ。

 異物は腰付近を座席としたのか、そこで鎮座して考える人の如く動かない。

 

「……だれ」

 

 私の顔を掴んで引っ張り込んだ不届者を睨みつける。目と鼻の先には般若の仮面を被った吸血鬼がいた。すり抜けが使える時点で確定だが、手から香る微かな匂いも吸血鬼のものだ。

 その同胞は忌々しげに呟く。

 

「なんで蘿蔔の眷属がここに来たの?」

「……あなたはいったい」

「そうか。吼月くんね」

 

 問いかけに答えるつもりはないようで、私を無視しながら悩みを自己完結させた般若は肩をイラつかせながら仮面を抑えた。

 何を聞いても答えてくれない態度を見て、すぐに周囲を探ることに方針を転換。勉強用のデスクや椅子、ベッドなど必要最低限のものだけが置かれた光が灯っていない部屋。吼月くんの話では少年がいるはずだけど、全くそれらしくない殺風景な部屋だ。

 と、部屋を巡っていた視線が自然と止まる。

 

「…………」

「こんばんは」

 

 大して驚いた様子もなく会釈を返したのは、吼月くんと大して年齢の変わらない風体の少年だ。その手には携帯用ゲーム機の長方形のコントローラーが握られていて、微かな光がそこから床を照らしている。床には同じコントローラーとディスプレイが置かれていた。

 私の視線の糸を辿って般若も少年を見る。

 

「ごめんね、(かける)くん。この人、放り出してくるから」

「…………え、あ、別にいいじゃん。お兄ちゃんの友達なんでしょ? 入ってもらいなよ。下手に追い出すと外にいる探偵さんたちに見つかっちゃうし、それはお姉ちゃんだって望んでないでしょ」

 

 頬を鷲掴みにする手の力が強まるが、少年がそれを制止した。その時の相手の意表を衝こうとニヤッと笑う姿が、吼月くんに似ていて目を疑った。

 そして、名前さえも–––––般若はため息を吐いて、私を部屋の中へと投げ入れた。思案していた頭を慌てて切り替え、受け身をとることで床の軋む音を殺す。外にいるらしい探偵たちに悟られないように気をつける。

 

「……大丈夫?」

 

 そばに駆け寄ってきた少年の顔を見上げてその輪郭を、その目つきをじっくりと眺める。特に似てはいない。吼月くんに比べて、男の子らしいと言えばいいか。吼月くんはそれなりに美形……ハツカ様が気に入るタイプだが、目の前の子はどこにでも居そうなあどけなさを残した少年だ。夜守くんとかと同じタイプだ。そして、人間だ。

 吼月くんをお兄ちゃんと呼ぶあたり家族ではあるようだけれど、親の片方が美形で、もう片方が普通だったのだろうか。

 にしても、なぜ別々の場所に住んでいるのだろうか。

 

「うん、大丈夫だよ。カケルくん、でいいんだよね?」

「そうです。皆んなにはそう呼んでもらってます」

「それってどういう––––」

 

 言い回しに違和感を覚え、追求しようとする。

 

「本当はショウって呼ぶんですけどね。あのクソオヤジがお兄ちゃんの代替品として俺に名付けた大っ嫌いな名前です」

「……代替」

 

 先回りするように告げられた言葉に愕然とする。たった一つのワードに、頭の中に浮かんでいた悩みが蹴り飛ばされてしまう。

 

「翔くん」

「いいじゃないですか。お兄ちゃんが信用できない人を俺のそばに近寄らせるわけないじゃん!」

「そういうことじゃないのよ……」

「友達じゃないの!?」

「友達というか恋敵っていうべきね。この吸血鬼については」

「女ですよね? ……ワンピースめくったら、実は股間に生えてたりとか」

「やめなさい」

 

 怪訝な表情で私を見ていたらしい翔くんの頭に、般若が軽く振った手刀が炸裂。ぎゃふっ、と小さく呻いて頭を抑えながら翔くんは膝から崩れ落ちる。

 

「えっと……暗い話だったはずなんだけど」

「あの人たちにもう怒る気にもなれないし。それより遊びたい。お姉さんも一緒に遊ぼ?」

 

 和やかに両頬を持ち上げる翔くんは、自身を見つめる般若に視線を投げ返す。『もう一台ないの?』『ないわよ。3人目なんて考えてないもの』『嘘だ。きっとあるに違いない』––––両手を胸の高さで構えて、全ての指をワキワキと細かく動かす。

 身体検査だ!––––そう息巻いて翔くんは、撫然な様子で佇む般若に突撃していく。スラリと体を通りかけて壁にぶつかった。

 

「にゅっ!? ……いたた……」

「ふっ」

「このぉ……!」

 

 微笑みながら回避する般若。ダメなことが分かっていても戯れ合うように突っ込む翔くん。随分と親そうだが、この般若の眷属候補なのだろうか。

 

「これでお終いよ」

 

 10回ほど戯れた後、背後から身体を通った少年の首根っこを般若が掴んだ。軽々と持ち上がられた少年はぶうたれた顔つきをしていて、飼い主に不満をぶつける猫そのものに見えた。

 

「別に二人プレイはできるのだから、使い回せばいいだけでしょ」

「シャーッ! ……チッ、今回は負けを認めましょう」

「勝った試しないじゃない」

「ゲームでは勝つから」

「現実逃避者め」

「ゲームの勝敗はリアルですぅ!」

「はいはい。変にいじっぱりなところはお兄ちゃんに似てるのねー」

 

 唇を尖らせる般若と少し声のボリュームをあげながら突っかかっていく翔くんは、伏せられていたディスプレイを立て直してその前に陣取る。暗い部屋の中で目を刺すような光が扇状に拡散して、背後から見える彼女らの顔の切れ端に青いぼんやりとした明かりが灯る。

 目が悪くなりそうだな。でも外にいるらしい探偵の件もあるし、その人たちにバレないためだろうというのは察しがついた。

 

「吸血鬼、怖くないの?」

「お兄ちゃんと似たような人達でしょ、だったら怖いわけないじゃん」

「まだ吼月くんは人間で」

「それよりもお姉ちゃん……えっと、名前を聞いてないや」

「その女は時葉香澄よ」

「なら時葉さん……この鬼のお姉ちゃんを倒すの手伝って。くすぐり倒すから」

「……その必要は?」

「笑い泣きさせて仮面の下をぐちゃぐちゃにしてやりたい。そしたら仮面だって外してくれる」

 

 やりたいのは彼女の素顔を見ることか。

 

「でも、相手は女性よ。隠したいことのひとつやふたつあるわよ」

 

 触れてはいけないものなのは分かる。だから、カバーしようと翔くんを止めてみるが、その制止は首を振って否定された。

 

「隠したいからって普通はあんな鬼の仮面なんて被らないよ。ね、気にならない?」

「……気になる」

 

 吸血鬼である彼女が人に見せれない顔をしているとは思えない。血が栄養源である吸血鬼は人間のような過度な食事をしない限り太ることはまずあり得ない。般若もスタイルは良い。逆に貧血気味の吸血鬼は疲れ果て、痩せこけて小汚くなることが多いが、先ほどまで自分を掴んでいた手は力に満ちていた。

 だから、わざわざ顔を隠す必要どこにあるのか分からない。

 吸血鬼である以上、第一印象を決定付ける顔は強力な武器であり、個人の象徴でもある。例えるなら戦国武将が掲げる家紋のような物だ。

 

「聞こえてるわよ」

 

 般若は呆れた様子でため息を吐きながら、私と翔くんを順繰りに見る。

 

「ホント仕方ないわね……私に勝てたら足の裏ぐらい触らせてあげるわよ」

「よし! 言ったね! 時葉お姉さんも頑張ろうね!!」

「そうね。さっきの仕返しもしなきゃだし」

「どうして吸血鬼はどいつもこいつも対抗心が強いんだか。貴女のせいが8割だと思うのだけれど……まあいいわ」

「失礼ね。ハツカ様には忠誠を誓ってるわ」

「貴女の性癖は聞いてないのよ」

「……なんの話してるの?」

 

 翔くんと般若の関係だとか、両親は今どうしているのだとか気になることを隅に置いて、二人の間に挟まるように私は床に腰を下ろした。自分の役割は翔という少年と遊ぶことだ。

 余計な詮索をすることじゃない。

 強い光に眼をやられながら瞬きさせる時間が始まる。

 

 

 ピロロロ………

 

 

 

 

 ……ピロロロ

 

 時葉に命令を出して、何時間か経過した頃にスマホが一定のリズムで鳴き始めた。スカートのポケットから取り出して、ソファから立ち上がる。

 

「すまん、電話してくるわ」

「分かった」

「ぶっ倒れんなよー」

「分かっとるわ」

 

 一緒にグラスやワインが置かれているテーブルを囲んでいたハツカや士季たちから離れて、バルコニーの片隅で夜風に当たる。残った気怠さを風に溶かしながら、スマホのスピーカーを耳にかざす。

 そうして聞こえてきたのは––––

 

『やっ、吼月くん』

()った!? うるさ!?」

『あれ、なんか真っ暗だなそっち……』

 

 ノイズ混じりの嫌な声。お粗末かマイクを通して聞こえてくるような酷い音質で、耳が割れてしまいそうだった。スマホを遠ざけると、画面には時葉の顔が映っていた。どうやら、ビデオ通話だったようだ。

 

「びっくりした……それで送った住所の家に少年はいた?」

『ええ、居たわよ。今は笑い疲れて寝ちゃったわ』

 

 画面の先の視界がゆっくりと動き、真っ白なベッドに向けられる。そこには疲れ果てた笑みを浮かべている同年代の男子。人様に見せてはいけない顔で眠りについていた。

 笑って寝ているのは微笑ましい限りだけれども、

 

「……笑い疲れて?」

『この子、負けてくすぐり地獄にあったから』

「なんでそうなったの!? アンタがやったんだろ!?」

『否定しにくいわね』

「まさかあの格好のまま突撃したんじゃないだろうな……」

『流石に不審者確定の格好では行かないわよ』

「良かった……」

 

 あの子が変な奴らに毒されるのは遺憾だ。砲弾が我が身を穿つような自責の念にかられることになるだろう。

 

「その子と遊んでくれてありがとう」

『いいのよ。吼月くんと違って子供らしくて可愛かったから』

「へいへい、子供らしくなくてわるーございましたね。ま、こっちに着く前に俺に連絡してね」

『分かった。血、楽しみにしてるね』

「契約だからね」

 

 それじゃ、と電話を切って踵を返す。

 あの子が俺なんかよりも愛嬌があって他人から好かれるなんてこと分かりきっている。

––––あの子にはちゃんと生きて欲しいな。

 吐露してしまいそうになる言葉の端を呑み込んだのは、こちらに近づいてくるハツカの姿が見えたからだ。

 

「時葉との電話終わったの?」

「ああ、悪いな。眷属使わせてもらったよ」

「いいよ。今は僕らの共有財産ということにしておこう」

「なら、俺が時葉を躾けてもいいのか?」

「そうだね……僕じゃなくて誰かに玩具にされるのは時葉にとっても屈辱だろうしね。丁度いい罰かも。併行して僕への依存も強化しないとな」

 

 ハツカは怖いほど真っ青な空を想像させる笑顔を浮かべる。本当にキレてたんだな。いや、店の中でやらかすのは一発レッドカードで当たり前なのだけど、最悪の場合、ハツカの尻を弄んでた俺にまで被害が来そうだな……と自戒する。

 宇津木には同じ手段は使えなさそうだ。

 ハツカの瞳からズレた視線を戻して、並んでテーブルに戻る。隣だからこそ聞こえる声量で彼は言う。

 

「……キミが決めたことだから文句は言わないけどさ。キミが1番大切にするべきは他でもない自分だってことは忘れるなよ」

「うん、ハツカがいるから大丈夫」

「本当に分かってる?」

「ハツカといる事が自分を大切にするってことだから」

 

 酒で赤くなった頬を指で掻きながら、ハツカは肩を下げる。

 

「電話終わったのか?」

 

 テーブルに座り直すと士季が尋ねてくるので、俺は肯首した。

 

「だったらもう寝ちゃいなさい」

 

 そう言うのは医師だという夏月だった。彼女は無意識に俺が椅子にした萩凛さんの背中を、慰めているのか貶そうとしているのか分からない表情を浮かべながら撫でていた。

 萩凛さんは真っ赤に染まった顔を両手で隠している。対角線の位置で座っているから、溶けてしまいそうなほどの赤を持った耳は俺の眼からは隠せていない。その姿を粟坂神楽はテーブルを挟んだ先のソファに座って眺めていて、エマは物珍しさから一緒に見物していた。

 白山は……テーブルから離れた場所で夜空を見上げていた。

 

「待ってよ甘凪(かんな)さん。せっかくなら朝方に寝かせましょうよ。時間帯をこっちに移住させてしまえばいいんじゃないですか?」

「……そうかもしれないけど、あくまでゆっくりと変えていくのがベター」

「それに人間はあくまで太陽の光を受けるからこそ、より上質な血を生み出せる。アタシとしては、今日はとりあえず寝床に入って明日の昼過ぎまでは寝ろ、としか言えないな。

 血はまた今度飲んだほうが美味しいだろうし、腹一杯飲める」

 

 粟坂と夏月が顔を見合わせながら頷くが、俺は首を大きく振って否定する。

 

「六時には出てきますけど」

 

『いや、寝ろよ』と士季が目を鋭くして言う。

 けれども、俺には約束があるのだ–––––粟坂と俺を遠ざけるようにソファに座るハツカに一度目をやって、意地悪な心がざわめいた。

 

「だって、女子の朝ごはん作りに行きますし」

 

 テーブルを囲む雰囲気が呆れと愉悦がかき混ぜられた異質なものへと変化していく。

 

 

 

 

 向かい合った友人は空になったグラス越しにアタシを見つめる。

 

––––そっか、蒼くんには吼月くんって好きなモノがいるんだね。

 

 でもその人は自分なんかより好きな人がいて、

 

––––切ないね。けれど切ないものほど、自分が欲してやまないものなのだから、ただ諦めるなんてしちゃダメだよ。

 

 だったら、どうすれば良いというのか。

 

––––たとえ、相手が知らなかったとしても自分のモノだと言い張れるほど染めてやればいい。汚してあげればいい。知らないのだから、誰も傷つかない。

 

 そうして、友人はグラスを置いてズボンのポケットに手を突っ込んだ。握った物をテーブルの上に滑らせながらアタシに差し出した。それは小さな袋に詰まった粉薬。

 それが何か友人は言う。どうやら友人の特別製の薬らしい。

 薬を使うのは気が引けると言うと、

 

––––大丈夫。その子は何があっても死なないし、悪いようにはならない。ただ、少しの間だけキミのお人形になるだけだよ。

 

 嘘か真か。アタシからしたらどうでもよかった。ただ、これを使ったら少しは変わるかもしれないという期待があったのは確かだった。

 袋を手に取った瞬間、崖に落ちるような圧迫感に胸が絞めつけられる。心臓が槌で叩かれているかのように大量の血を吐き出して、全身の緊張を緩めようと酸素を送る。

 

––––それを使えばいい。お気に召したらまたあげるよ。

 

 友人はアタシの今後を占うような瞳で、薄い光を放つランプを見上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

–––––……さあ、壊して落とせ。

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