一台の車が誰とも擦れ違わない山間部を走っていた。
夜も更け、先の見えない真っ暗闇の車道をヘッドライトで照らして進む。
「疑問なんだけど」
車窓から夜空の星々を眺めているのにも流石に飽きてきた。インデックスは遂に口を開く。
無いとは思うが万が一にも自分に声が掛けられた可能性を考慮して、運転手の伊地知がバックミラーに視線を移して後部座席を確認する。あるいは単に、変化の無い車道の景色と静まり返った車内で数時間振りに会話が発生しようとしているからかもしれない。
だが話しかけられたのは彼ではない。同じく後部座席、インデックスの隣に座る両目眼帯白髪全身黒い服の五条悟だった。
「私までついて行く必要あった?」
「んー、ない☆」
インデックスの目が氷点下まで冷たくなる。次の瞬間には呪詛でも掛けられそうだ。
「冗談冗談。今度東京と京都の学長同士で会談があるんだけど、ついでに君のことを京都のお偉いさんに紹介しておきたいんだ。その件で摺合せしておきたくてね」
聞く限りではあまり重要な用事には思えなかった。
もしかしたら向こうから連れてくるように言われたのかもしれない。呪術総監部としては彼女の存在は腫物だし、あまり歓迎されないことは確かだろう。とはいえ外交的に無下にできる存在ではない。そう酷い事にはならない筈だ。
「止めて」
「えっ、ここでですか?」
突如、五条が何もない路上で車を止めさせた。運転手と少女は首を傾ぐ。
「先行ってて」
「ええっ!? これ何か試されてます?」
「大丈夫、放っておいて行っちゃおう伊地知さん」
「何そっち側にいるの、君も降りるんだよ」
銀髪シスターは猫みたいに首根っこを掴まれて、無理矢理引き摺り降ろされた。
伊地知が運転する車は彼らを置いて、山道の中へ消えていく。
「行っちゃった……」
こんな山中、しかも夜に放置とは。
先に行ってても何も、徒歩でどうやって追うのか――と文句を付けたいところではあったが、しかし彼ら二人にとってはこの程度問題にもならない。普通に走って追いつける人外性能をしているのが、今ばかりは憎い。
赤い軌跡を棚引かせるテールランプを名残惜しそうに見送る。
「さて」
その直後だった。
「きーええい!!」
二人の頭上から何かが奇声を上げながら降ってきた。
「君……何者?」
躱した五条。躱さなかったインデックス。
別に、二人とも躱す必要は無かった。ただ、躱せたかというと別の話。そもそも少女の方は襲来を察知できていなかった。
アスファルト舗装された道が着地の衝撃によって砕かれ、細かな破片や粉塵が巻き上がる。
五条が躱した先、背後にフジツボのような何かが形成される。
果たしてそれはフジツボではなく極小の火山であった。直後に、それは噴火した。火口から噴き出した炎は五条を飲み込んで尚勢いは止まらず、車道のガードレールを貫きどこまでも伸びていく。もはや極太のビームと化している。
「いきなり何!?」
土煙が晴れて、少女はようやく真横にいるのが五条ではないことに気付いた。
それは、火山頭で
「フフフ……存外、大したこと無かったな」
終わってみれば呆気ない。降り立った呪霊は、確かな手応えにほくそ笑む。
小娘の方は反応もできていない様子――――
「五条、変身バンク大袈裟すぎ。あとその僧正みたいな恰好似合ってないよ」
横にいる白い修道服のシスターが、呪霊に冷ややかな視線を送っていた。
「それ違ーう! 僕はこっち! 皆大好きナイスガイのお兄さんはここですよー!」
煙の中から現れた五条が不名誉な勘違いに抗議する。
まあ、彼女も本気で言ってるわけではないだろうが。
「(ないよね?)」
五条も流石にこれと区別が付けられていなかったら凹む。
「小童共が、巫山戯おって……」
呪霊の側頭部、位置からして恐らく耳だろうか。彼はすっぽりとハマったゴム栓のようなそれを弄ぶ。
呪霊であるにも関わらず、コミュニケーションが取れている。そして並外れた呪力量。
未登録の特級呪霊、その名を漏瑚。
「特級はさ、特別だから特級なわけ。こうもホイホイ出てこられると調子狂っちゃうよ」
「矜持が傷ついたか」
「いや、楽しくなってきた」
「"楽しくなってきた"か。危機感の欠如」
わざわざ人質も取れないこんな場所で襲ってきたのは、他の術師の加勢を避けるためか。
いや、恐らくインデックスのことは戦力にすら入れていないのだろう。それこそいざという時の人質として見られているのだ。
何故なら、インデックスは護衛まで付いたイギリスからの賓客。公的には警護すべき重要人物。イギリス呪術界が送り込んだ護衛抜きで五条と共に外出しているこの現状は、事実上彼が護衛を委託されているという扱いである。
書類上は彼女も教師であるものの、呪術師としての階級は持たない。これを事情を知らない外部の者が見て、脅威と考えるだろうか。
「(1対2の時点で相当不利。どこかにもう一匹隠れているかもしれないけど……案外そうでもないのか?)」
特級相手ともなれば、並みの呪術師がいくら束になろうと戦力にはならない。それに、この呪霊は今の宿儺より強い。インデックスが甘く見積もっても一級呪術師クラスと想定していたのなら、自信満々で来たのも頷ける。
実際は、世界中探してもこれ以上のペアはない最高戦力の二人なのだが。
「火礫蟲」
漏瑚の周りを飛ぶ羽虫。命令と共に、主の敵へ突進を仕掛ける。しかしそのスピードはどうあがいても羽根で出せるものではなかった。
「となると狙いは両方か? ……危機感の欠如ね」
インデックスも降りさせて伊地知だけ先に行かせたのは正解だったかもしれない。もし彼女の方も狙っていたのであれば、最悪五条を後回しに車を襲撃された可能性がある。彼女は目の前の伊地知を見捨てるほど薄情ではないが、この通り奇襲には鈍感だ。
虫達が五条に衝突する。
いや、虫と呼ぶにはパーツが哺乳類的だった。鼻が針のように尖っており、開いた口からは舌と歯が窺える。胴から伸びているのは脚とは呼べず、手や指まである腕だ。どこまでも不気味なその容貌は、やはり呪霊である。
衝撃が後ろまで突き抜け路面が抉られたものの、五条には傷一つ無い。呪霊達は彼の目前で滞空していた。
「これ、当たるとどうなんの?」
呪霊の開いた口から、喧しい鳴き声が響く。次の瞬間、それらは爆発した。
「音と爆発の二段構え、器用だね」
既に、彼は爆心地には居ない。跳躍していた彼は擁壁の上に降り立つ。
漏瑚は攻勢を止めず、今度は自ら襲いかかった。
五条の頭部が焔に包まれる。その隙に背後に回り込んだ漏瑚は、至近距離から渾身の一撃を叩き込んだ。
「こんなものか。蓋を開けてみれば弱者による過大評価。今の人間はやはり紛い物、真実に生きておらん。万事醜悪反吐が出る。本物の強さ真実は、死を以って広めるとしよう」
結局、最後まで修道服の方は手も出してこなかった。
「ふあぁ……これまだ続くの? 子供は寝る時間なんだけど」
危機感が欠如しているのはこちらも同じだったらしい。
護衛が目の前で葬られたにも拘らず、呑気に欠伸をしている。
事態を把握しているのかすら怪しい。
「(戦いのことなど何も分からん箱入り娘だったか)」
協力者の声の主は何を警戒していたのか。まさか殺すと爆発するやもしれない。
「冷たいなぁ。飲み屋で会議なんだから、食前の運動くらい付き合ってよ」
煙の中から、またしても無傷の五条が現れる。咳き込みながら煙を手で払って、インデックスに答えた。
「ちょっ、お腹空くようなこと言うのは禁止だよ!」
『飲み屋』、『食』。腹の音が鳴る単語が二つも。
彼女が努めて忘れようとしていた空腹感が主張し始めた。なお夕食は既に食べた後である。
「……どういうことだ」
「んー、簡単に言うと当たってない」
「馬鹿な、さっきとは訳が違う。わしは確かに触れて殺した」
「君が触れたのは僕との間にあった"無限"――」
「その説明私はもう散々聞いたから、早くしてくれないかな?」
説明はインデックスが口を挟んだことで途切れた。心なしか、彼女の声音には怒気が混じっている。
そろそろ五条さん家の家計のエンゲル係数を一人で荒稼ぎしている腹ペコシスターが我慢の限界に達しそうだ。
「えー、折角僕の見せ場なのに」
白い牙がネクストバッターズサークルでアップを始める。
「……分ーかったよ」
漏瑚は次のアクションに反応できなかった。
接近、捕縛、掌打。腹部に衝撃を感じて、漸くそれらを事後的に把握した。
「ブホッ」
「おお、紫」
漏瑚の吐血を見てインデックスは初めて関心を抱いたようだ。
お前の血は何色だ、と確認する手間が省けた。
「術式反転『赫』」
宙に浮いた漏瑚に、五条の無下限呪術が容赦なく襲い掛かる。
森へ齎す被害は先の噴火のソレとは比べ物にならなかった。
木々をなぎ倒し地面を抉り取って尚、止まる所を知らぬ衝撃は数秒間に渡って大地を揺らし続けた。
錐揉み回転する漏瑚がやっとのことで体勢を整えると、眼前には五条がいた。
前後不覚に陥るほど苛烈な猛攻。森を抜け、漏瑚は湖へと叩きつけられた。
「ちょっとの間留守にするから相手しといて、足止めよろしくぅ!」
「……え?」
五条に追いついたインデックス。
しかし彼はすぐに彼女を置いてどこかへ行ってしまった。
仕事を押し付けて急にどこかに去るのは日常茶飯事。五条と行動していればこういう事は稀ではない。
ある程度信頼されているからではあるのだろうが。
「足止めって、つまり祓っちゃいけないんだよね……? うわぁ凄く面倒臭い」
故に、その意図が正確に分かってしまう。
祓って良い場合は"代わりにやっておいて"だ。
捕縛するのも駄目。捕縛なら"足止め"なんて言い回しはしない。
この注文は、インデックスにとっては逆に難しい。半端な攻撃では逃がしてしまうだろうし、かといって彼女の手札にはオーバーキル染みた攻撃が多い。
特に『聖なる右』は必ず倒すという性質を持つ。人間相手では狙ってやらない限り殺しまでしないのに、何故か呪霊相手ではいくとこまでいってしまう。彼女は第三の腕がテレズマを帯びていることと関係があると見ている。
こうなると魔術にせよ聖人パゥワーによる肉弾戦にせよ、自分でせこせこ動いて戦うしか思いつかないが……億劫だ。少女は心底嫌そうな顔を浮かべた。
「後で絶対残業代請求してやる」
数瞬、漏瑚の意識は飛んでいた。
湖面に伝わる波紋で、来訪者の存在を悟る。しかし水上に立っているのか、バシャバシャと音はしない。
現れたのは、純白の修道服を着たシスター。
護衛対象を置いていくとは迂闊というレベルを超えている。漏瑚は明らかに舐められているのを感じた。
元々人質を取ろうとはしていなかったが、こうもお膳立てされて態と忌避する必要も無い。
「五条悟……この代償は高くつくぞ!」
少女を手にかけようとして、何故か彼女から黒々としたオーラが立ち上っているのを幻視した。
漏瑚は瞬きする。
「あ、そうだよ。何も自分が戦う必要はないよね」
気のせいだったのか、一転、彼女は明るい顔で懐から何かの束を取り出す。
それは数百枚のラミネート加工されたカードだった。
悪魔の象徴である逆
Kenaz Ansuz。その意味は炎の神。
風に吹き散らされるかのように次々と宙を舞い紙吹雪のように散らばったカードは、ある物は水面に、ある物は空中に見えない糸で縛り付けられるかのように留まる。それらは無秩序のようでいて、穴が無いように湖一帯に均等に配置されていた。
次いで、少女の小さな口は紡ぐ。
「
詠唱と共に、彼女の足元から火炎が巻き上がる。
「
掲げた右手に紅蓮が収束していく。
「
それは焔を噴き出しながらも白く輝く球体となる。
「
それを投げるように振るうと、光は手を離れて形を成す。
「
現れたのは全長2メートルを超える、灼熱の十字架を握りしめた怒れる炎の巨人。
「何だ、これは」
インデックスにこのような力があったことに対してではない。
巨人からも少女からも、呪力が感じられない。これだけ強大な炎を現出させておきながら、呪力がないなど考えられない。人間の科学に詳しいわけではないが、明らかにそれでどうにかなるものではない。
漏瑚は大地から生まれた火山の呪霊として、炎には一家言ある。これは幻ではなく実体を持つ、熱のある炎だ。
「魔女狩りの王、イノケンティウス」
魔女狩りと異端審問に注力した堕落の教皇、イノケンティウス8世。
ルーン魔術だけでなく、十字教を混成している。
「どうやったのか知らんが、小賢しい真似を」
回答はあった。疑問は何一つ氷解しなかった。
イノケンティウスの進路にカーペットを敷くように、炎が水面を舐めるように這う。
それは
イノケンティウスが白熱した十字架を鎌のように振るう。漏瑚はそれを両の手で受け止めた。
「この火力……!」
触った瞬間に……いや、近づいた時から分かっていた。瞬間熱量では向こうが上だと。
イノケンティウスは摂氏3000℃。対して漏瑚が操るマグマの温度は、およそ摂氏1000℃と言われている。
勿論、大地の権能を持つ漏瑚がこの程度で押し切られることも無い。だがこちら側にも有効打は無い。
漏瑚はルーンを破壊するという発想には未だ至っていないが、少なくとも熱による破壊という考えは諦めた方がいい。まさかイノケンティウスを現界させ続けているルーンを刻まれたカードが、自分の熱で燃えたり融かされる訳もないのだ。ルーンの刻印それ自体によって、炎熱への完全に近い耐性を得ている。
「ならば本体を叩くまで」
「
標的をインデックスに変更。迂回してシスターの元へ迫ろうとする。
だがその進路を塞ぐように、もう一柱のイノケンティウスが現れた。
「何……!?」
「
引き返そうとした漏瑚、その両脇に最初の一体と、三体目。
父と子と聖霊の関係を模して互いが互いを補完し強化する。
これにて三位一体と為す。