とある呪術の禁書目録   作:エゴイヒト

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魔法名("それ"が聞こえたら、終わり)

 動けない。

 漏瑚は三方を固められ、炎の巨人と睨み合っていた。かといって、イノケンティウス達から手を出す様子もない。膠着状態に陥った戦場で、インデックスから言葉が投げかけられる。

 

「そこまで知能があるのに、何で人間を襲うの? 人間を殺さないと生きていけないってわけでもないでしょ。好きに生きればいいじゃん、趣味とか無いの?」

「はっ、俗物が。嘘偽りのない負の感情から生まれた呪いこそ真に純粋な本物の"人間"。偽物は消えて然るべきなのだ」

 

 それを聞いた彼女の顔には、呆れが浮かんでいた。

 

「……"負の感情"ねぇ。私からすると、その言葉の方が嘘偽りだらけに思うけど」

 

 なまじ呪力なんてモノがあるからそう思ってしまうのだろう。呪術師や呪霊にとっては余りにも身近で自然過ぎる世界観だから。

 彼女が違和感を覚えたのは、一般人だからというのは違うだろう。なんだかんだ彼女も一年以上、呪術の世界に片足を突っ込んでいる。転生者だからか、あるいは魔術師だからか。それとも、彼女が彼女であるからか。

 とにかく、インデックスはその上から目線が気に食わなかった。

 

「正だの負だの、誰が決めたの? 愛だって見方を変えれば色欲や他人への支配欲になるっていうのに」

 

 愛ほど歪んだ呪いはない。かつて誰かが誰かに掛けた言葉だった。

 呪術師でありながら、既に本質を突いていた者もいる。

 どんなものも、呪いと呼べば呪いになるということに。

 

「君の言い分は二元論に囚われた教義(ドグマ)に過ぎないんだよ」

 

 それほどに、正だの負だの、呪いだの祝福だのという概念は薄っぺらで身勝手な主観(レッテル)なのだ。

 少なくとも、彼女にとっては。

 

「そして人が二元論を持ち出す時は、大抵正当化のためなんだよね」

 

 とりわけ善悪の二元論は始末が悪い。

 問題なのは、それが誰に対しての正当化かということ。

 外に対して訴えかけたいのなら、行動の正当化となる。それは社会正義、集団利害、法等を引用して行われる。あいつの行いは悪だ、裁かれるべきだ、と。それは一歩間違えれば集団の暴走を引き起こす危険のある非常に扱いが難しい行為だ。故に人は、公明正大なデュープロセスで裁かれなければならない。

 一方で内に対して訴えかける行為は、精神の正当化となる。それは自分を納得させるためだ。そうあるべき、そうでないべき。だから自分は正しい、間違っている。それは自身の欲と損得の鬩ぎ合いで行われる。

 

 ここで厄介なのは、多くの人間が『他人にとって、社会にとってのそうあるべき』と『自分にとってのそうあるべき』を取り違えてしまうこと。外に対して正当化するために、その結論ありきで内に対して正当化してしまう『自己への抑圧』だ。あるいは逆に、自分がそうしたいがためにその結論へ導くべく『社会にとってのそうあるべき』理屈を探して行動を正当化する『独善』。

 他人からすれば迷惑なのは後者だが、当人にとっても良いこととは限らない。どちらも己の真意を曇らせる欺瞞でしかないのだから。

 前者は自分の欲を聞いてあげられる唯一の存在である自分が、耳を貸さず自分を見捨てる行為。

 後者は己の真意をぼやけさせる。それは何時の間にか『社会に正当性を主張するために用いた理由』が『最初に自分がそうしたかった理由』を塗りつぶしてすり替わっているのだ。そのズレは目的と手段を混同させ、一度自分で定めた本心ではない正義から逃れられなくなる。心と外面の正義を完全に切り離して、仮面を被って世渡りしていくことは容易ではない。少しでも創った正義に感情移入してしまえば、正当性を見出してしまったが最後。自分で創った正義で自らの行動を狭めてしまう。人は整合性を取ろうとする生き物だ。一度正義側に立ったと思った人間は、正義を利用した人間は、正義であることに拘る。欲望のために正義を利用したつもりが、正義に取り憑かれ利用される。『独善』とは一見ではその危険性が分からないほど複雑で遅効性の毒、酩酊である。

 

「真に純粋な本物の"人間"? 誤魔化すな、人間が気に入らないんでしょ。偽物は消えて然るべき? 自分が特別になりたい、他の存在より抜きん出たいという欲――嫉妬・羨望・渇望に"そうあるべき"なんて正当化を後付けするな。そんなことをしなくても全ての欲は赦される。裁かれるのは、裁いていいのは行動だけ。この世に悪感情など存在しない、あるのは悪事だけ。感情を論理で隠すな、欲を抱くことを恐れるな。同意されたいわけでも味方が欲しいわけでもないくせに、大義名分を掲げるな。抵抗される悪事だと分かって行う覚悟があるなら、言葉で飾り立てるな」

 

 そしてそれは逆に言えば、行動は裁かれる。選民思想は心の内で抱く分には誰にも非難されない。しかし一度行動に起こせば排斥され処罰されるのが定め。

 

「人間が気に食わない、自分が地上の支配者になりたい、だから殺す。それだけでいいんだよ。それ以上は蛇足」

 

 漏瑚は、この少女だけは違うと直観した。

 他の人間は理由に興味も持たなかったが、彼女は違った。

 少女は漏瑚の行動原理をしっかりと理解し、その上分析までしている。同意はしなかったが、説教までした。

 漏瑚の『理解者』にはならずとも、『採点者』となったのだ。

 

ただ己に誠実である者(honestus666)

 

 信じるべきは己の心だけ。それが彼女の真理にして心理。

 

「?」

「魔法名だよ。この姿のではなく私自身のね。ほら、私が名乗ったんだ。そっちの名前は?」

 

 漏瑚はふん、と鼻を鳴らす。呪霊の名を気にするなど可笑しな奴だ、と。だが彼女の言葉に何かを突き動かされたのか。少なくとももう、その目にただの少女は映っていなかった。

 

「漏瑚と呼ばれておるわ。わしの名をしかと憶えておれ――――」

 

 礼を尽くしたのか、冥土の土産にか。漏瑚は素直に名乗った。

 

 だが、それはそれ。これはこれ。

 人と相容れない存在を、彼女が赦すわけも無かった。

 

 

「駄目じゃない……魔術師に真名なんて名乗っちゃあ」

 

 少女の顔が嘲笑に塗れる。

 

 諱。

 忌み名とも表記されるアジア、特に漢字圏において古くは本名を口にすることを憚る慣習が存在した。本名は魂とでも呼ぶべきものと強く結びついており、口にするとその人を支配することができると信じられる事もあった。

 このようなタブーは実は世界中に見られる。例えばエジプトにおいては、イシスがラーを支配するために脅して真の名を教えさせるという、ラーの権威衰退の転換点となる神話も存在する。

 真名を知られると魂を取られる。真名を知られると心を操られる。違いはあれど、万国共通なのだ。

 それもその筈。名前というのは個人を識別するためにあるのであり、元からその者の記号として働くよう創造された概念である。記号と実体を結びつけるのは迷信の基本。

 そして記号を用いる魔術師がこれを利用しない筈が無い。

 

 

寒にして乾、続けて寒にして湿

 

 インデックスの周囲で青い杯と緑の盤が躍る。

 

大地の繁栄は転じて腐敗と化す。いでよ、広がれ、この一つ。全てを腐らせその内より産声を上げる悪魔の王よ

 

 小さな何かが彼女の足元に散らばる。

 それは豆だった。

 豆は一瞬でどす黒く変色し、蛆のように蠢き、粘着質な糸を吐いて互いを連結していく。

 生理的嫌悪感を湧き立たせずにはいられない様相であった。

 大いなる悪魔の王と、対象の名前を豆が結びつける。

 これは一つの演劇。儀式魔術。

 

すなわち『蠅の王(ベルゼビュート)』。我が前に立つ不遜の輩へ正当なる粛正を

 

 何かが断ち切られるような、食い破られるような音。

 最初は胸だった。漏瑚の体中の至るところから、黒い糸が噴き出す。

 肉体を喰らって成長する寄生虫、いや寄生植物という喩えが漏瑚の脳裏に浮かんだ。

 だが、それすらこの悍ましさを表現するには足りない。

 髪の毛だ。

 排水口に溜まったギトギトの長い髪の毛。

 

「――ッ――ッ!?」

 

 叫び声すら出すことが叶わなかった。

 

 不浄という名を恣にするそれが、体内を食い荒らしている。

 血管や内臓、あるいは脳に至るまで。呪霊にそういうものがしっかりとあるのかは定かではないが、少なくとも人間であればそれら全てが汚染されていただろう。

 

「中々実験体が見つからなくてさ。ほら、こんなの人間相手には使えないでしょ。お互い(・・・)、君が呪霊で良かったね」

 

 これなるは、世界最大の魔術結社『黄金』の魔術師達が恐れた魔術。

 黄金を崩壊させた『ブライスロードの戦い』において、その恐ろしさの余り味方同士での責任転嫁が相次ぎ、内部分裂を起こした伝説を持つ。

 

 幼く可憐な容姿に反して芯を感じさせる言動。漏瑚は彼女を只者ではないと思っていた。

 だが強かな女なんて評価は見通しが甘かった。

 これは、修道服を着た悪魔だ。

 漏瑚は、魔術自体よりこんなものを笑顔で放つ少女の方が恐ろしかった。

 

「い、インデックスちゃん……えげつないことするね」

「おろろろろろろろ」

 

 何時から見ていたのか、虎杖を連れて戻ってきた五条が声を掛ける。流石の五条もドン引きである。

 虎杖の方はもっと酷い。瞬間移動や富士山頭の呪霊の存在など過去にしてしまう程の衝撃だった。一目見ただけで吐き気を我慢できなかった。 

 

「あー……うん。取り敢えずそれ解除してもらって。あ、そっちの炎の奴も」

 

 インデックスは今まで使えなかった魔術を使えたことで満足したようで、あっさりと解放した。

 

「グエッホ、エホ、ゲホ! おのれ……貴様……!」

 

 流石に呪霊でもきつかったらしい。肺(あるか不明)の中の空気全てが汚く感じられて、咳き込みが止まらない。

 戦意を失っていないだけ見上げた根性だ。

 

「という訳で気を取り直して、本日のゲスト虎杖悠仁君にお越しいただきました」

 

 嘔吐が収まった虎杖。インデックスを見る目には怯えが混ざっている。

 

「それじゃあ、君がいると前みたいなことになるから暫く離れててくれない?」

 

 いきなり面倒な仕事を任せておいて、いざ用が済むとこれ。悪気があるわけではないが、余り調子に乗っているとコレ(・・)が五条に向かないとも限らないというのに、恐れ知らずな男である。

 

 彼女は今、機嫌が良いので素直に従う。元から押し付けられた仕事、これ以上相手をしたいとも思わなかった。

 

「もはや只では死なせん! わしに舐めた真似をしたこと、後悔させてくれようぞ!」

 

 ――などと、啖呵を切った漏瑚であったが。

 

 数十秒後には、無残にも頭部だけになった。呪霊でなければ死んでいた。

 追い打ちを掛けるかの如く五条のパーフェクト領域教室の教材として漏瑚はオーバーキルされた。

 前みたいな、という言葉の意味は五条の領域展開によって自動書記(ヨハネのペン)が起動することを指していたのだろう。

 

 五条が、頭部だけになった漏瑚を踏みつけて言う。

 

「さぁーキリキリ吐け。あ、なんならさっきのアレで拷問してもらうか?」

「ぬぅぅ!?」

 

 『蠅の王(ベルゼビュート)』はしばらくトラウマになること確実であった。

 

 

 


 

 

 

 同時刻、イギリスはロンドンにて。

 フードを目深に被った不審な男が、人目を避けるように路地裏に佇んでいた。

 

「そうか、やっぱり漏瑚は突っ込んでいったんだね」

 

 その人物は、衛星トランシーバーで誰かと話している。会話は全て日本語で行われていた。

 

「生還は絶望的だろう。救出は止めておいた方が良い。……大丈夫さ、こういう時のために僕は君達に情報を隠したんだ。呪霊が拷問ごときで口を割るとは思えないけど、精神から直接引き出されるなんてことも考えておかなくてはね」

 

 話を続けながら、フードの男はポケットから鉄釘を取り出して弄ぶ。指先で先端を強く押すが、皮膚は傷付くどころか歪み凹むことすらない。

 

「焦ることはない。漏瑚程の特級呪霊であれば、相手はルークを獲ったと良い気になるだろう。だがその実、漏瑚は中枢から離れた死に駒。こっちは情報を掴んで戦況有利、更にナイトを獲った。君達が注意を引き付けている間に、次はビショップを頂こう」

 

 通信を切ると、彼は空港へ向けて歩き始める。

 

「君は信用できない。これくらいは当然さ」

 

 道中、フードの男は誰かに向けるように、小声でぼそぼそと話す。傍から見れば、虚空と話す顔を隠した不審人物である。行き交う人物からぎょっとした顔で注目を浴びるが、一過性のものだ。

 これくらいで、覚えたて(・・・・)の認識阻害を講じる必要はない。寧ろ、痕跡を残すことで気取られるリスクを徒に増やすことは避けるべきだ。

 

「やはりロンドンに来たのは正解だった。地脈、龍脈……魔力。大体裏は取れた」

 

 観光客にしては街並みに目もくれず、他の事に夢中になっている様子だった。声音には多少の高揚がまじっている。空港付近で、その人物はトイレへと入っていった。

 

 数分後、出てきたのは修道服を着た男。顔立ちは、どこにでもいるような平均的な英国男性。

 

「さぁ、では実践といこうか」

 

 ただ一つ、目につくもの。

 その男の頭部には、施術痕のような縫い目があった。

 




『象徴武器』及び『蠅の王』
メイザースの術式。
周囲に浮遊する4つの象徴武器で四大元素を操る基本的な魔術。
20世紀最大の魔術結社『黄金』創始者の手にかかると、基本だけで万象自由自在。

蠅の王をいたいけな少女()に向けた奴がいるらしいっすよ
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