とある呪術の禁書目録   作:エゴイヒト

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跳梁跋扈
とある悪意の陰謀胎動(コンスピラシー)


 

 都内の何の変哲も無い駅。人気のある場所ではなかった。この場所に、態々電車を乗り継いでまで来る他所者などいない。

 夜になると南北に伸びる駅の北側は白い明かりで真昼間のように爛々と照らされ、一方南側は黄色い暖色の明かりが蛍のようにぽつぽつと灯る。この光景は、近づいて見ると闇が顕在化する。

 駅を降りれば、丁度そこが境目だ。

 北を向くと、駅と隣接する形で建設されたショッピングモール。この程度、東京どころか都会でなくともどこにでもある当たりまえの光景。これを見て、どこにでもある街だと思うかもしれない。しかし南を向けば、その考えは一変することだろう。

 床も壁も艶やかな白が清潔感を与える駅内部と比較して、出口の脇には目を疑うほど古びた公衆トイレが設営されている。その隣、錆の入った格子で区切られた駐輪場は、地下牢獄を感じさせるほと薄暗い。

 手入れがされていないのではない。駅前ということもあって、しっかりと清掃員によって掃除されてはいる。ただ、施設改修のための投資がなされていないのだ。

 そして、駅のすぐ目の前。そこは建造物の密集地帯でありながら、昭和に取り残されていた。綺麗に整備された北側と比べて、余りにも小汚く古ぼけた世界。かつてはあちこちに開いていた居酒屋や飲食店は、その殆どがシャッターを降ろしている。

 暗く狭い路地は、脛に疵持つ者が隠れ潜むには絶好の場所だった。住居と一体化していた飲食店は、潰れても民家として使用されているものも多い。その一つに、呪詛師が屯していた。

 年齢層は童顔の10代から白髪の70代まで幅広い。彼らの風貌は、確かに柄の悪い者も混ざってはいるが、しかし身なりだけで呪詛師と見抜かれることはないくらいには、普通だ。

 ここで彼らは何をするでもなく、仕事の減少を嘆いて愚痴を吐き合ったり、時折体制側(・・・)の動向を共有する仲だ。建設的な話が飛び交うことは滅多にない。だが、今日この日はその滅多にない日となることだろう。

 そう意気込むのは、彼らの中で界隈の情報に耳聡い男。

 

「魔術?」

「ああ。俺達みたいな生得術式に恵まれない奴でも、使えるらしい」

「結界術みたいに呪術師なら誰でも使えるタイプの呪術だろ? そんなものでできることなんてたかが知れてらあ」

「3級呪霊も払えないんじゃ意味ねえー」

「今更ちまちま呪霊を祓うつもりもねえくせに、よく言うぜ」

「違いねぇ」

 

 男達は安物の缶ビールや煙草を片手に笑う。

 上手い話には裏があるということを、彼らは知っている。日陰に暮らし追われる者の処世術……というには大袈裟だが、人一倍警戒心が強いことは間違いない。

 だが、こうなると面白くないのは話を持ち出した男である。彼はこの集団の中でも一際若い。それは自他共に認めるところであり、故に真面目に取り合ってくれないのは自分が青二才と舐められているからだ、と感じた。

 気を悪くした彼は、それを顔に隠さず反論する。

 

「今回のはマジなんだって。見てろ」

 

 そう言うと、若い呪詛師は懐から拳大の石を幾つか取り出す。石自体は道端にでも転がっているような、どこにでもある物にしか見えない。どう考えても掴まされた(・・・・・)彼を見て、男達は嘲笑する。

 

「おーい、先生が実践してくれるってよ」

 

 酒の肴、笑い話の気配を感じたのか、脇の方にいた呪詛師達もぞろぞろとやって来て、場は俄かに盛り上がる。揶揄うように口笛を吹く者まで出始めた。

 いよいよ引けなくなった若輩者であったが、その表情に焦りや不安といった色は見られない。この状況は、彼としても望むところである。誇ることでもないのに裏社会の歴が長いことを殊更に主張して上下関係を強いてくる先輩共の鼻を明かしてやろうと、寧ろやる気を出している。

 

 若い呪詛師は教わった通りに石を卓上に並べる。左手に握りしめた大量の小粒の石を手慰みにじゃらじゃらと摩りながら、一つ一つ間違いがないか記憶に照らして、慎重に配置していく。その真剣な顔がまたウケたのか、僅かの準備時間も観衆は退屈しなかった。

 

「我、新たに魔道を歩み基礎(イェソド)となる者也。達人(アデプタス)を師と仰ぐ者也。血の供儀(ブラッドサイン)を此処に。蒙昧なる新参者(ニオファイト)に、細やかな知恵と力を与えたまえ」

 

 今や注目の的となっている若い呪詛師が詠唱すると、異変はすぐに起きた。

 男は突然、力が抜けたように頭をだらんと垂らした。その顔は陰になって、立ち上がる観衆達からは窺うことができない。

 

「ん? おい、もう終わりか?」

 

 不思議に思った観衆の一人が男の肩に触れると、ぐりんと首を痛めかねない急な動きで顔を上げる。

 男の雰囲気は、先ほどまでと変わっていた。

 その表情には鬼気迫る物があった。いや、本当に鬼気が宿っていたのかもしれない。素人目にもトランス状態にあるのが見て取れた。

 

「っ……!?」

 

 肩に触れた男が後退る。

 次々と、周囲も男の異常に気付き始めた。

 

「おい、何マジになってんだよ。気味悪い芝居はいいって」

 

 言葉ではそう言っても、これが悪ふざけだとは本心で思っていなかった。

 演技にしては真に迫り過ぎている。いや、彼らに演技の良し悪しなど分かるまい。

 魔術師でなくとも、彼らは仮にも呪術師の端くれ。

 地脈の乱れ、すなわち居心地の悪さという違和感。普通の人間ならばそこで終わる感覚を、れっきとしたオカルト側の現象として異常を感じ取っていた。

 幽鬼染みた詠唱者はそんな周囲には一瞥もせず、両腕を天に掲げる。すると、石の表面に炭で描かれた紋様が宙へ浮かび上がる。

 

 空中浮遊(レビテーション)。ここまできて、磁気や仕掛けを疑う者はいなかった。感覚ではない明確なオカルトを目の当たりにした呪詛師達は、息を吞む。この現象の行き着く結果はまだ分からない。しかし少なくとも今の時点で、若い呪詛師の生得術式とは全く毛色が違うことは明らかだった。

 そして何より、そこに呪力は感じられなかったことで、いよいよもって、呪詛師達は魔術の存在を認めざるを得なくなった。

 

「お前、こんなのどこで身に着けて来たんだ?」

 

 観衆の一人が訊ねた。称賛や感歎からではなかった。声には困惑と未知への不安が滲んでいた。

 

「……」

 

 反応が無い。

 魔術とやらがこれで終わりだと思っていたために、詠唱者に恐る恐る寄っていく。

 ばたり、と。

 

「!?」

 

 突然、若い呪詛師が倒れた。彼は既に事切れていた(・・・・・・・・)

 制御を失ったのか、あるいは元から成功する筈が無かったのか。

 宙に描かれた炭の紋様が、不気味に赤く光り始める。

 残された呪詛師達が混乱する中、閃光は次第に強さを増す。

 不味いことが起きているということには、誰もが疾うに気付いていた。不味いといえば、理解が追いつかなかったことが最も不味かった。

 何が起きているのか、これからどうなるのか。これは成功なのか、失敗なのか。若い呪詛師は本当に死んでいるのか、何かの悪戯ではないのか。

 

 彼らは逃げる事も叫ぶこともせず、言葉を失い、ただ立ち竦むしかなかった。室内が赤の光と黒の影で完全に塗りつぶされるまでの数秒、時は無限のように感じられた。

 

 その夜。

 轟音と共に、寂れた南のシャッター街が嘗ての明るさを取り戻すかのように眩く輝いた。

 

 

 


 

 

 

「夜蛾はまだかの」

 

 独居老人のような呟きが、扉の向こうから聞こえてくる。

 

「夜蛾学長はしばらく来ないよ」

 

 扉を開けて、ずかずかと応接室に入っていく五条。その後に私も続く。

 まず目に入ったのは、杖を突いてソファに腰掛けている白頭の老人。

 扉脇には青髪の少女が控える。外見から推察される年齢に対して不釣り合いな黒いスーツを着ており、『黒服』という言葉を想起させた。呪術界の慣習なのか、あるいは魔術的記号と同じように呪術的に意味があるのかもしれない。

 

「む……其奴は」

「直接会うのは始めてだろう? 彼女がインデックスだよ」

 

 話に無い五条の登場に警戒の色を見せる学長は、私の姿を認めると細い目を少し開く。

 

「おお、おお。君は例の少女か」

 

 数秒にも満たない沈黙は品定めか政略か。この内、彼の脳内で何らかの思考が巡ったのだろう。

 張り詰めた空気が一転、楽巌寺は顔を綻ばせて応対した。

 老人の態度の変化に、青髪の少女は目を丸くしている。

 

「お世話になっております。ご紹介に預かりましたインデックスです」

 

 こちらも名乗りと会釈を返す。五条とこの老人、そして私の関係性を測りかねていたので、自己紹介も余所余所しく。以降、私はだんまりを決め込むつもりでいた。

 

「して、夜蛾が来ないとはどういうことだ」

「嘘のスケジュールを伝えてある」

 

 どっかりとソファに座り込む五条。

 声を低くして問う楽巌寺の態度は、私に向けられたものとは明確に違った。派閥か因縁か、やはりどこの国も変わらないらしい。

 

「昨晩、未登録の特級呪霊に襲われた」

「ほう、では意思疎通が図れる特級呪霊の捕縛に成功したという噂は、法螺ではなかったのか」

 

 どうやら、あちらこちらで噂されているらしい。

 あの後、漏瑚は呪術と魔術による二重の拘束が施された上で、身柄を呪術総監部によって管理されている。

 残念ながら尋問は上手くいかず、有益な情報は引き出せなかった。

 お偉いさんからすれば言葉を解する気味の悪い呪霊などさっさと祓ってしまいたいところだろうが……。

 

「今回の一件は、僕とインデックスを狙った意図的な襲撃だった」

 

 漏瑚は五条や私の存在を知っていた。ばったり遭遇という訳でも、あそこを根城にしていたという訳でもないだろう。前提として、呪霊が獲物を選ぶことは無い。

 

「分かるだろ、爺さん。裏で糸を引いてる奴がいる」

 

 今回のような特級呪霊が一匹とは限らない。いや、問題はそれよりも、こちらの情報に通じていたという点だ。そこまで詳しく知っている様子ではなかったし、五条は有名人ということを加味しても、特定の呪術師を狙うには呪術師界隈に接点が必要だ。

 従って、漏瑚は人間と交流があったと考えられる。

 呪霊と人間が手を組む。私はあまりピンとこないが、呪術師としてはあり得ない、あり得てはならない事態なのだろう。

 

「全国に情報網張り巡らしてるあんたらなら、心当たりくらいあるんじゃないの?」

「知らぬわ」

「惚けるのは結構だけど、どうなっても知らないよ~」

「小僧が知ったところでどうする。お主ならどうにかできると?」

「あるいは僕達なら、ね」

 

 そこでこっちを巻き込まないで欲しい。

 楽巌寺はじっと私の方を見た。彼は長い顎髭を摩りながら、沈黙する。

 

「……呪詛師が自滅してくれるものでの、ここのところ平和じゃわい」

 

 漸く重い口を開いたかと思えば、こちらの出る幕は無いようだった。

 

「なーるっほど、あんたも難儀な役だねぇ。よし、聞けたいことは聞けたしかーえろ」

 

 え、もう帰るの?

 私まで連れ出して何を話すのかと身構えていたのに、会って数分と経ってないぞ。

 果たして今のやり取りに意味はあったのか、私達は部屋を去る。ちなみに夜蛾学長は二時間くらいで来るよ、と五条は爆弾を残していった。

 

「やっぱり私がついてくる意味なかったでしょ、五条」

「いやぁ、君が居たから話を引き出せたんだ。あの爺さん、僕だけじゃ絶対口を割らなかったぜ」

 

 はて、口を割るというには大したことは言っていなかった気がするが。

 私が怪訝な顔をしているのを見て、五条は補足する。

 

「呪詛師が自滅してるって言ってたでしょ」

「それがどうかしたの?」

「呪詛師が自滅なんて、そんな都合の良いことあり得ない。喩えるなら、何年も捜査の目から逃れてきた指名手配犯が居場所を晒して捕まるってことになるんだよ?」

 

 あのお爺さんもそれは分かっている。分かっているから口にした、と。

 だが、いまいち納得がいかない。

 

「だとしても、随分迂遠な伝え方だね。五条のことを嫌ってそうな割には情報は伝える、でも意地悪な程分かりにくい……ツンデレ?」

「うえぇ、ジジイにデレられても僕は嬉しくないよ」

 

 五条はワザとらしく舌を出して、苦い顔をする。

 

「マジな話、そうせざるを得なかったんだろう」

「立場上?」

「身内の不手際が関わってたり、影響力を持つ人から緘口令染みた圧を掛けられてたりね」

 

 だから詳しくは言わずにヒントだけ匂わせて、後はそっちで調べろと。

 

「……それ、今度は逆に何で吐いたのって話にならない?」

「話が戻って来たね。そう、だから君のお蔭なんだよ」

 

 ハッ、私のシスター力が懺悔力を発揮したってことか!

 

「あの爺さんも保守派の要人だからね。君の魔術のことは知ってる。君の所在を巡ってイギリスとの交渉でどたばたしてた時、呪術界上層部の何人かと会っただろ?」

 

 違ったらしい。

 確かに、魔術を呪術界のお偉いさんに見せたことがあった。楽巌寺の耳にも入っていたのか。

 尤も、直接見た事が無い人間の殆どは魔術という概念を信じていないだろう。彼も丸っきり信じているわけではない、と考えた方が無難だ。

 

 私の魔術に頼りたいってことか? 私があの場にいたから、力を借りられると考えての発言だったと?

 藁にも縋りたいという程切羽詰まってもいないだろうし、ワンチャン解決の糸口になるかも程度にしか捉えていないだろう。具体的にどんな魔術があるかさえ知らない筈だ。

 となると、魔術そのものを行使して欲しいというよりは――――いや待て。それはあり得ない、あり得てはならない。

 

 論理的に導き出された結論。

 頭に浮かんだ最悪の可能性を、しかし否定できない。

 

「呪術では説明できない何かがあったのだとすれば、筋が通る。君の出番かもしれない」

 

 私の知識を必要としているという可能性。

 それはつまり、私の与り知らぬ所で魔術が用いられているということを意味する。

 

 

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