敷地に足を踏み入れた瞬間から、五条は不穏な空気を感じ取っていた。
まず、御三家同士が顔を突き合わせるというのに、何も起きないのがおかしい。本来であれば嫌味や小言、侮蔑や嫉妬の視線を頂く事は枚挙に暇がない筈なのだ。加茂家の呪術師を名乗った男は、非常に愛想良く迎えてくれた。そのことに不気味さを覚えながらも、案内されるがまま五条は応接間へ向かう。
「では、失礼ですが暫くお待ち下さい。当主が参ります」
ここに漕ぎつけるまで長かった。「御三家の当主同士の直接面会は正式な手順を踏まなければ」等と適当な理由を付けてのらりくらりと躱され、面会の約束を取り付けるのに要した時間は1か月程。
いつぞやの楽巌寺学長と同じ、待たされる側に回った訳だ。とはいえ姉妹校交流会を目前としたこの時期に念願叶ったのは、不幸中の幸いだろうか。
礼儀なんてものを弁える性質の男でもない五条は、畳の上に敷かれた座布団に勝手知ったる我が家のように、胡坐をかいて座り、腕を組み、首を傾ぐ。
両目眼帯をしているのをいいことにそのまま寝入るかと思われた彼は、唐突に虚空へ問いかける。
「屋根上に2人、床下に1人。君達そこで何してんの? ……あ、もしかしてドッキリ歓迎会だった?」
その言葉と共に、天井と畳が弾け飛んだ。
「ちっ、やっぱり気付かれてるじゃねえか!」
存在を察知されて飛び出してきた彼らは、すぐに五条を包囲した。
座ったまま動く様子の無い五条は、状況を読み込めていないように見える。
「
「
「
三者三様の詠唱。
一つは、炎の雨を天井より降らせた。燃え上がる火の手はあっという間に部屋を埋め尽くし、灼熱地獄へと変える。
一つは、四方八方から先端に枷の付いた鎖を現出させ、五条の四肢を拘束せんと伸びる。
一つは、床下から幾つもの石槍を突き出させた。生え出たそれは、しかし端から命中させる気がない。させる必要がなかったのだ。槍を認識した瞬間には、それは無数の棘を巻き散らすように破裂したのだから。
「上層部が何か企んでいるとは思ってたけど……まさか御三家が呪詛師とつるむとはね」
だがその全てが、五条に触れることすら叶わなかった。炎は風に吹かれるように彼の周囲を避け、鎖は先端の枷を宙に固定して陸に打ち上げられた魚のように滑稽に靡き跳ねまわる。無数の棘は密集して石壁を作った。
「呪術界も堕ちるところまで堕ちたか。ほんと、君達は僕の想像を超えて失望させてくれるよね」
五条はドスの利いた声で凄むと、悠然と立ち上がった。
「くそ、これでも駄目なのかよ!」
「馬鹿、今更呪術に頼ったところで何になる!」
攻撃を意にも介さない五条に、慌てて呪力を練る呪詛師。
「さっきのは呪術じゃない……?」
そういえばと数秒前を思い返してみれば、明らかな超常現象を起こしておきながらそこに呪力が感じ取れなかった。インデックスのせいで慣れてしまったからか、呪詛師の発言が無ければうっかり流してしまう所だった。
「まさか」
そう、インデックスだ。五条の知る所、呪力を使わず超常の力を行使する術は一つしかない。
魔術。
護衛のマリーを除けばインデックスの一番近くにいる五条を以てしても、その実態には謎が多い。彼が深く調べられる立場でもなく、海外で発展した呪術とは異なる技術体系として一先ず飲み込んでいたが、彼女以外に魔術を使っている者は見た事が無い。
「外交問題だからと上層部が秘匿していたとはいえ、大人しく首を突っ込まなかったツケが回ってきたか」
間違いない。五条は確信した。
ここ最近の不可解な騒動には、魔術が関わっている。そしてそれには、呪術界上層部や御三家も加担している可能性が高い。大量の仕事を押し付けられていたのは元からではあったが、日本に縛り付ける意味合いもあったのだろうと、今となっては分かる。
気になることや問題は山積みだが、目下、最優先で懸念すべき事項は今現在の脅威。即ち、無下限呪術に魔術が効くかどうかだ。少なくともインデックスを相手にした時、魔術は彼の脅威となり得た。自身を殺し得る力を持っている以上、呪術界の尺度で無理矢理測るのであれば、インデックスは間違いなく特級呪術師と比肩するかそれ以上の力を有している。
だが五条は魔術界――そんなものがあるかどうかは別として――におけるインデックスの相対的な力量を知らない。彼女以上の存在がいる可能性は否定できないのだ。とはいえ、その辺の呪詛師が魔術師に転向してすぐにインデックスレベルの力を振るえるとは思えない。思いたくはない。
どうやら先程の呪詛師の攻撃のように3次元空間上に実体を持っていれば問題なく防げるようだが、魔術は六眼で術式を見破ることもできない上に、原理自体が異なる力だ。一見大したことのない攻撃でも油断せず、こちらの無下限呪術を貫通してくる前提で警戒した方がいい。
攻撃には実体もなく、予備動作も無く、放たれた時にはもう遅いと考える。ならば導き出される最適解は先手必勝。
出方を窺っていた呪詛師からすれば、突然の事だろう。三人は見えない力に引き寄せられたかと思うと、柱に縫い付けられる。二名は頭部を強打し気絶、残る一名の鼻先には五条の指が突きつけられた。文字通り瞬く間の制圧。
「妙な真似をしたら殺す。お前ら、目的は何だ? 他の仲間はどこにいる?」
「……へっ、もう遅いんだよ。俺らを殺したところで流れは変わらねぇ。ただ強いだけのあんたには変えられねぇ」
呪術規定に則るならば、どの道この呪詛師は死刑だ。ここで五条に手心を加えられようが加えられまいが、意味はない。捕まったというこの状況自体が、死を意味する。
にも拘わらず、呪詛師の顔に恐怖はない。ここから逃げ出す算段があるのか、あるいは。
「何が目的だって? 新しい社会のための革命に決まってるだろうが。あんたらエリートが搾取してきたんだ、俺ら才能の無い搾り滓共をよ。中途半端でも呪術師として力を持って生まれちまったんだ、嫌なら全部捨てて一般人と同じ生活に身を窶せなんて不公平だろうが。自分達は安全圏から指示を出して、俺ら落ちこぼれに命を張らせてきたお前らには、俺らの思想を否定する権利なんてねぇ」
死への覚悟。
その瞳には、利己主義故に道を踏み外した連中にはおよそ芽生える筈のない光が宿っていた。
「大義はこっちにある。御三家の坊ちゃんよ」
そう言い残すと、男は舌を噛み切って自決した。
最低限の情報は吐いただろう。言動から、十中八九嘘は吐いていない。五条は止める必要を感じなかった。
「大義か」
嫌な出来事を思い出させる言葉だ。
エリート……男は恐らく御三家や呪術上層部への憎悪を滾らせていたのだろう。五条自身、思う所がないでもない。教師の道を選んでいなければ、似たような道を征った可能性はまんざら否定できない。
柄にもなく思案に耽る五条は、ふと違和感に気付く。呪詛師の言動には妙な点がある。
加茂家の敷地に伏兵を忍ばせるには、当然彼らとの協力が不可欠。加えて、一連の暗躍が彼ら呪詛師の仕業なのだとしたら、その隠蔽工作に手を貸しているのは呪術上層部。憎むべき相手と手を組んでいることになる。
矛盾している。
「取り敢えずは、
引っかかるものはあるが、今は捨て置く。集められる限りの情報を集めてからでも遅くは無い。
先程自分を案内した呪術師もグルだろう。どう言い訳するのか、あるいは全面抗争でもする気なのか。その点だけは、寧ろ楽しみですらある。
足取り軽く部屋の外へ一歩踏み出そうとした彼を、着信音が止めた。
「悟、無事か」
電話の主は夜蛾だった。
「誰に聞いてんの」
「時間が無いから手短に話すぞ――――高専が襲撃されている」
一瞬、脳が理解を拒んだが、五条はすぐに事態を想像した。そしてその最悪の可能性は、現実だった。
「全員の素性は不明だが、一部は指名手配中の呪詛師だった。高専内で応戦しているが、生徒達と合流する暇も無いくらい数が多い。最大の問題は、相手が呪力を用いない未知の力を使う点だ。正直言って、状況は芳しくない」
そこまで一息に説明して、夜蛾は言葉を詰まらせる。
「敵の狙いが高専呪術師の殺害、制圧で治まるとは思えん。最悪の場合、『薨星宮』まで入られる可能性もある。そうなったら終わりだ」
「おいおい、天元様の結界が破られるとでも?」
「無いと言い切れるか?」
五条は口を噤む。
得体の知れない力を使う相手を常識で測っては痛い目を見る。どこか覚えのある話だ。
言わずとも、この電話の意図は明白になった。最大の脅威には最高戦力を。非常識には非常識を。そういうことだろう。
「分かった、今すぐ高専に戻る。ところで、インデックスはどこにいる?」
「インデックス? あの子がどうかしたのか?」
電話の向こうの主の声音には、お前と一緒じゃないのかという意が込められている。
「いや、今は別行動をとってる。こっちで連絡取って合流するよ」
未知の力は恐らく魔術だ。彼女ならこの状況を打開する方法を、そうでなくとも何かしら役に立つ事を知っている筈。それに、純粋に戦力としても期待できる。緊急事態だ。護衛のマリーがまた五月蠅いだろうが、こうなった以上は彼女にも働いて貰わねば。ごく潰しにさせておく手はない。
「……お前、まさか報道を見てないのか?」
「報道?」
五条はこの異常事態にいつになく気を引き締めていたが、それでもまだ足りなかったのか。
態度から危機感の乖離を感じ取ったのだろう。通話を切ろうとした五条を夜蛾の声が引き留めた。心当たりが微塵も無い五条の反応に、夜蛾は呆れて溜息を吐く。
「俺もお前も、指名手配されてるぞ」
事態の規模は、五条の想定を上回っていた。
「
狭いとはいえ信号機もあるし、昼間は交通量も多く車がよく通る。そんな十字路に、強制的な静寂が訪れる。
人払いのルーン。
地脈や龍脈の流れを乱すことで無意識下に干渉し、居心地の悪さを覚えた一般人がその場を避けて通るようになる魔術。
魔力を感知できる魔術師は勿論、『呪い』という空間に向けられる人の悪感情を感じ取れる呪術師は違和感に気付くことができるため効力を発揮しない。ただ今回の場合は追手に呪術師が含まれていないようで、そこは気にする必要はないだろう。時間の問題かもしれないが。
「参ったな、ちょっとこれは想定外かも」
状況を整理する。
私とマリーは、魔術を使用した痕跡を追うため同種の事件がないか追っていた。といっても自分の足で全国各地を探し回るわけにもいかないので、捜査は"窓"に丸投げ。それらしき事件の情報が上がってくるまでこちらはやること無しだ。
そしてこれが全然見つからない。あんな派手な事件を起こしておいてこちらを警戒しているのか、変な所で慎重らしい。分析が間違っていて、やはり不慮の事故なのではとマリーに散々言われた。
一か月も過ぎて流石の私も諦めかけていた頃に、ようやく疑わしき事件が京都で確認された。
足を運んだ私達は、警察の機動隊に囲まれた。
そうはならんやろ。
こんな未成年の少女と成人女性を相手にして、バイザー付きのヘルメットにポリカーボネート製の防護盾、拳銃まで持ち出すガチガチのフル装備だ。一般庶民じゃお目にかかれないそれを生で見られたことに、いっそ感動すら覚える。
降伏勧告の内容や彼らの様子からして対話の余地は無いと悟り、かといって反撃するわけにもいかず、私達は困惑を振り切って逃げ出す他なかった。
路地裏は追手を撒くのはともかく最終的な潜伏場所としては逆に探されやすい。どのみち人払いの魔術を用いるのだから恰好の派手さは気にする必要が無いし、開けた場所でも元から人通りが少なければ問題はない。
イギリス脱走時代の経験もあって追われることには慣れている……と言うつもりはないが、我ながら手際は良かったと思う。こうして落ち着ける場所を得ることができた。
そして、今に至る。
「指名手配を掛けるなど愚かな所業、未だに信じられませんが……念のため、帰国の準備を致します。それまでは、東京で待機している護衛隊と合流して……」
「さらっと帰ることにしないでよ。私はイギリスに保護されるつもりも、所有物になったつもりもないよ」
既成事実的に護衛と護衛対象という形で親交があるが、私とマリー達の関係はあくまでも周りをうろちょろすることを黙認しているだけに過ぎない。こっちの身の回りの世話を買って出てくれるというのだからありがたく甘えさせてもらう代わりに、彼らの面子を立ててやるという暗黙の了解の上に成り立っている。
「教会に護衛として任じられている身としてはこのような言葉は許されないのでしょうが、気に食わないのであればイギリスでなくとも良いかと。今この状況で日本に滞在するのだけは危険です」
「それは分かるけどさ……ていうか、問題はそこじゃないでしょ」
私は、乾いた笑いを溢した。
機動隊の言い分によると、私達は日本を侵略するために間諜行為を働いては集会を繰り返し、また凶器の持ち込み及び日本国内で武力を行使したとして指名手配されてしまったらしい。
あまり法律には詳しくないが、罪状としては外患誘致罪とまではいかずとも――そもそも日本国民ではない私達に適用されるかは疑問だが――凶器準備集合罪にあたるのだろうか。裏の世界のことだからと流していたが、冷静に考えると私はともかくマリーはハルバードとか持ち歩いていたし、銃刀法違反は言い逃れできないよね。
なんて、冗談を言っている場合ではない。
この問題の本質は「指名手配されちゃったよどうしよう」ではなく、呪術や魔術という裏の世界の事情に表の公権力が絡んできたことにある。
その辺、呪術界のお偉いさんが上手くやっているのだと思っていたが。
「イギリスって、そういう表と裏の擦り合わせってどうしてるの?」
「存在自体は、王室や上院議員を始めとした爵位を持つ方々には周知されています。知っての通り、実際の運営の殆どは教会が担当を」
私の保護と強制送還に対して懸けられた賞金も、軍事費の名目で国家予算から捻出される予定だったらしい。こうした国ぐるみでの連携が可能な所を見るに、禁書世界とあまり変わらないイメージでも良さそうだ。
日本もそういう仕組みができあがっていると仮定、というか期待すると、やはり今回の件には疑問を抱かずにはいられない。
魔道書図書館の真の価値を知る英国にとっては、私は魔術という新技術を個人で独占する歩く核兵器。加えて軍事面だけでなく宗教的な価値も大きい。できるかどうかは別として、私を脅して強制的に知識を利用しようという試みが未だ実行に移されたことが無いのは、聖人として教会一部派閥から謎の信仰を受けている部分が大きい。
そんなわけだから、日本においても表では認知されていないが裏では丁重な扱いを受けている。私自身の希望もあって国賓か大使レベルの派手な歓待を拒否したために、逆に触れづらい存在と化してはいるが……マリーの言う通り、日英関係を考えると粗末な扱いはしない筈。
したがって今の状況を考えるに、日本の公権力や呪術界上層部に暗躍する何者かの手が及んでいるのはもはや否定できない。
「どうするかなぁ」
先程は私と英国ないし教会との関係性を勘違いしてもらいたくないがために反射的に即否定したが、マリーの提案も一考の余地はある。
不当にとも言い切れないのが痛い所だが、明らかに不自然な指名手配をされている状況だ。少なくとも裏の事情が絡んだ件で、大人しく捕まってやるほど表の法律を遵守するつもりはさらさらないし。一旦英国に避難するのも手だ。
ただ、ここで逃げるのは一時凌ぎにしかならないし、そもそも私が日本に来た理由の半分に反する。
覚えているだろうか。
私は英国のしがらみから逃げるために国外逃亡したが、逃亡先に日本を選んだのには私が元日本人であること以外にもう一つ理由がある。
日本だけが異常に呪術が発展し、呪霊の発生率が高いためだ。
この世界が何らかの創作世界であったとして、あるいはそうでなかったとしても、大きな事件は日本で起こる可能性が高いと私は踏んでいる。別に英雄になりたい訳ではないが、世界滅亡クラスの事件が起きて現場にいなかったから止められませんでした、で世界と心中するのも御免だ。
実際、これは杞憂でもなんでもなかった。夏油による百鬼夜行が成功し、非呪術師の鏖殺が実現していたらどうなっていたかは想像に難くない。日本は内乱によってほぼ滅亡し、これを好機とみた他国が日本へ侵略し第三次世界大戦が勃発するくらいは十分あり得た。あの一件に関しては私がいなくても五条を始めとする日本の呪術師達が食い止めていただろうが、だからといって「私はこの世界の筋書きとは縁が無いんだ」と安心できようか。
自分を『筋書き』の外に置くのは、転生者だからというメタ知識による悪い
今回の私の指名手配が魔術を悪用しているかもしれない人物の策略であったとして、そこには何らかの意味がある筈。このままいけば、私は英国に戻る可能性が高い。私が筋書きの中にいるのなら、黒幕は私を日本から離すのが目的ということになる。これから起こる一連の騒動に関与させないつもりだ。
私がいると不都合がある。
私の力と、魔術の知識を恐れている。
推理するに。
「ここで退くのは誰かの思う壺か」
ちょうどその時、電話がかかってきた。都合の良いことに相手は正に今、連絡を取りたかった五条だ。
「インデックス、今どこ?」
「普通は安否確認が先じゃない?」
「君のことだ。どうせ無事だろ」
全幅の信頼を置いてくれているのはありがたいが……いや、ありがたいのか?
上司に期待されると仕事を沢山振られるようになるので、一般的には望ましいとはいえないかもしれない。
例の不審な事件の調査で京都まで来ていることを伝えると、五条はあからさまに困ったアピールをする。話によると、呪術高専が呪詛師による襲撃を受けているらしい。加えて、私だけでなく五条含めた主要な呪術師の殆どが指名手配されているのだと。思ったよりも事件の規模感が大きく手際が良い。組織だった犯行であることは疑いようがなかった。
「君の知識を借りたい所だったんだけど……すぐに合流は厳しいね。おーけー、取り敢えず君は京都校に避難してくれ。今こそ姉妹校交流戦を見据えて色々根回ししてたのが活きる時ー! そいじゃ」
「あっ、ちょっと」
一方的に言いたい事言って切りやがりました。戻ろうと思えばすぐ戻れるのに。
かけ直すかどうか暫し逡巡する。
でも相当急いでるっぽいし。碌に話訊かない向こうが悪い、と結論付けることにした。