「お戻りをお待ちしておりました」
「……!」
『骨船』の移動誤差により東京校への帰還に少しばかり時間を掛けたインデックス達。
日も傾き始めた頃合いに彼女らが漸く東京校に辿り着くと、軍隊のように整然と並ぶ修道服の西洋人達が行く手を塞いだ。
日本の呪術師ではない。イギリスの教会に属する呪術師であった。
こんな事態だ、護衛対象であるインデックスと合流しようとするのは何も不思議な事ではない。
だというのに、マリーは必要以上に驚いていた。
「どうして貴方がここに……」
「どうして、とは可笑しな話だシスター・マリー。まさか心当たりが無いとは言わせないぞ」
震えた声を漏らすマリーの、視線の先。彼らの先頭に立つ男は修道服を身に纏っていなかった。
「君は独断で聖人様を護衛隊から離すことが度々あったと報告を受けている。実際に日本に来るまでは半信半疑だったが。現に今、非常事態にありながら聖人様と合流するという珍事を招いている」
謎の人物の登場に困惑するインデックス。どうも雲行きが怪しいマリーの反応を見て、遅れて男の正体に勘付く。
教会内部の呪術師は、教会を呪術師機関として見ているか宗教団体として見ているかで派閥を二分する。
この男は教会に属する呪術師だが、議会寄りの人間。つまりどこぞの貴族かその遣い。教義や信奉心ではなく、100%損得で動く呪術師。
教会にインデックスを利用しようという感情が無いわけではないが、金と軍事力を生む完全な道具として見ているか、それらが備わった偶像として見ているかの違いくらいはある。
いずれにせよ、男の言い分は教会側としては尤もだ。どのような事情があれど、護衛隊長が率先して規律を乱すようなことをしているのだから。だが経験も知識もないインデックスからしてみても、マリーは距離の詰め方や信頼の構築といった交渉術においては長けていたのだろうと感じられた。
四六時中こんな大群に周囲を付き纏われるのは彼女だって勘弁だ。何のメリットもない。いっそ全員纏めてぶっ飛ばしてやってもよかった程である。
それでもマリーだけは側使のように伴うことを許しているのは、メリットの提示や本気で文句を言えば進言や行動を最終的にはあっさりと取り下げてしまう駆け引きの上手さ、そして単なる信奉対象と信者の関係には収まらない個人的な友好関係を築いたことにあったのではないか。
少なくともインデックスからしてみればマリーがこれまでしてきた独断専行は最適解であり、マリーでなければここまでの譲歩はしなかったことは間違いない。
「護衛隊長と雖も裁量を越えた行動、目に余る。よってマリー=ウェーバーを護衛隊から解任し、教会への帰還を命ずる」
だが、こうなることは時間の問題だったのだ。
一時は傭兵まで雇ってインデックスを追いかけて来た教会の事だ、そう簡単に諦める筈が無い。
護衛という監視を付けたのは、英国と彼女との薄い関係性を絶やさないため。完全にフリーになってしまえば、諸外国に対し魔道書図書館の所有権を主張する正当な根拠を失ってしまう。
尤も、そんなもの元からありはしない。周囲をどう牽制した所で、彼女が本気で抵抗すれば彼らの思い通りにはならない。そう考えると護衛を周囲に侍らせるのには、彼女に英国への帰属意識を植え付け、ゆくゆくは英国本土へ自ら帰郷させる狙いもあったのかもしれない。
皮肉なことに、マリーがそれを最も達成しかけていた。彼らにはそれが分からないようだが。
マリーが一瞬、殺気を感じさせる眼光で男を睨む。しかしそれも勘違いだったと思う程あっさりと、燃料が切れたかのように、憂いを帯びた目に変わる。表情からは諦観の色が見て取れた。
インデックスは教会から逃げ、その思想と行いを否定してきた身だ。彼らの事情に今更口出しできはしない。
見た目にそぐわない程ドライな性格の彼女ではあるが、しかし何の感情も無い訳ではない。寧ろ、好き嫌いといった、人間らしい感情には人一倍富んでいる。
そんな彼女が口を噤み静観する。
心情は誰にも知れない。
しかし眼差しを騒動の中心であるマリー達に向けているということが、この一件が彼女の胸中で如何程関心が高いかを暗示しているのではないか。
「正直言って、私は
「貴様、聖人を愚弄するか!」
「ただ、貴方が聖人と崇められるに足る力を持っていることだけは確かです。貴方のような異質な存在が、何事も無く地上に降臨できる筈が無い。お気をつけて。貴方が人間でありたいのなら、その軸を乱してはいけませんよ。今の貴方は、貴方らしくない」
その言葉は、痛い所を突いている。
責任や義務などというしがらみを厭ってきたインデックスが、魔術の悪用に対して必要以上のリスクを負って解決に乗り出そうとしている。
今のこの状況は、確かに彼女らしくない。
まだ彼女個人にとって明確な脅威は何も起きていない。動きだすのは事が起こった後でもいいのではないか。このまま放置すれば日本は滅びるかもしれないが、そこまでいけば相手の手口と狙いは判明する。
なんなら首謀者の狙いが日本の支配に留まり彼女に害を及ぼさないなら、静観したっていい。
他人の命を救うために少しでも命を懸けることは、彼女にとっては本末転倒だ。次はアメリカにでも移住しよう。あの日イギリスから抜け出したように、煩わしいことからは逃げてしまえ。
ただ、彼女はこの国に何だかんだ愛着が湧いているらしい。
――――適当に暮らしながら、『禁書』世界の魔術を研究する。あと、おいしい料理を食べること。
「大丈夫、最初の理由には反してないよ」
それを聞いたマリーは微かな笑みを浮かべると、背を向けて去ろうとする。
さして深い交流があったわけではない。
たった一年、傍に居ただけ。特筆すべき事は何もない。
常人にとっては当たり前の、取るに足らない、数年もすれば忘れ去られる顔。
「マリー」
これは友情なのだろうか。それとも、ただの主従なのだろうか。マリーはただ形だけの敬意を払い、自分の仕事をしていただけなのだ。今漸く、インデックスはそれを理解した。
今の今まで、一番近くに居ながら決して心の奥底を互いに見せなかった。それでも、背を預けることはできたのだ。
何とも言えない奇妙な関係だが、考えてみれば、人間の友情なんてそんなもの。
寧ろそれが、インデックスにとっては心地よかったのかもしれない。
だから、続く言葉に彼女さえ自覚していない裏を汲み取るのであれば。
「ありがとう」
無表情を崩さないインデックスからは、依然その心は読み取れない。
敵だらけの彼女が今生で一番心を許した相手は、さて、一体誰であるか。
余りにも呆気なく突然の別れ。正直、まだ現実味が無い。明日にはひょっこり戻っている気がする。マリーは今頃、帰国するために荷物を纏めているのだろうか。
いや、思いを馳せている場合ではない。たとえ彼女が欠けようとも、今の私にはやるべき事があるのだ。
高専に戻ると、幸か不幸か、目に映る現実が私の意識を切り替えさせた。
そこは酷く荒れていた。割れた石畳、抉れた土、倒れた樹木は、ここで戦闘が起きたことを知らせる。
「これは酷い。御身が身を置くには相応しくありませんな」
五月蠅い。ちょっと黙っててくれないか。
この新しい護衛隊長になった男、高専結界への登録根回しぐらいはしているらしい。即日でマリーを解任させたあたり、そういう手は早いと見える。
意外なことに、私を即座にイギリスに強制帰国させようとはしてこなかった。指名手配が掛かったこの状況なら、彼の言動から推察するに目的はそれだと思ったのだが。私に無理強いできないことくらいは理解しているらしい。その代わり、付き纏いがうざくなった。
人を探して校舎を目指す。ぞろぞろと修道服の集団を引き連れて。
どうせ何を言ってもついてくるだろうし、諦めた。高専側が立ち入りを認めているなら、私に咎める権利は無い。
正門や森の方は損傷が大きいが、見えてきた校舎の方は比較的綺麗なままだ。戦場になるのを避けたのだろう。流石にこの人数が列を成すには狭いと空気を読んだのか、護衛は校庭で散らばった。
新隊長と数人だけを伴って中を探し回ると、教室で高専生達と共に夜蛾学長が項垂れているのを見つけた。
「あんたらどちら様?」
初めて見る顔だ。制服を着た気の強そうな短髪の少女が、私達を怪訝な目で見る。
恐らくは一年生。ここ一年あまり高専に顔を出していないので、面識が無いのだ。
百鬼夜行以来マリーや護衛が付くようになったので、高専まで足を運ぶと方々に迷惑を掛けることになる。最初の頃は本当に酷かったが、私が抗議してからはマリーか五条と共にいれば他の護衛は外してもらえるようになった。五条が呼びつける機会も少なくなっているのはその名残だ。
「ええと、たしかインデックスさんでしたっけ……?」
こちらは面識がある。誰かと被るツンツン頭の少年、伏黒恵。
「どうも初めましてインデックスです。一応、五条の教師補佐やってます。よろしくね。後ろのは付き添いみたいなものだからお気になさらず」
暗に大人しくしてろよと一睨みすると、自称護衛隊は教室の外で静かに控える。
「そ。釘崎野薔薇よ……て、このナリで先公!?」
なんだかこの反応にも慣れてきたな。
「で、このお通夜ムードは一体何?」
私が来たことで少し明るくなりかけた空気が、一瞬で静まり返る。地雷とは分かっていても、事態が事態だ。単刀直入に聞かせてもらう。
「悟が封印された」
沈黙を破ったのは、学長。
封印?
……なんとなく察した。『封印』の言葉の意味は、アレイスターが西旗を用いてコロンゾンを封じたのとそう大差無いだろう。
このゴタゴタの合間に、外様の私から見ても恐らく呪術界最大戦力である五条が何らかの方法で戦闘不能に陥ったのだとしたら、彼らの絶望にも頷ける。
「一応聞いておくけど、どうやって?」
「獄門疆という特級呪物だ」
呪術にもそんなものが――いや、私の見立てでは呪術は結界関係が強い技術体系。寧ろ無い方がおかしいのか。
「全て俺の責任だ。学長でありながら、俺には生徒達を守ることもできなかった。人質を取られていなければ、悟があんな要求を呑むことも無かった」
「それを言うなら、私が一番足引っ張ってた」
学長は相当参っているのか、マイナス思考に陥っているようだ。真希も彼を慰めたように見えて、唇を噛んで自責の念に駆られている。
「先輩一人のせいじゃありません。全く歯が立たなかった俺達も同罪ですよ」
「場合によっちゃ俺らが同じ目に遭ってたかもしれないしな」
「しゃけ」
真希が小綺麗なままなのに対し、男子生徒二人と一匹は怪我をして包帯を巻いていた。
足を引っ張るにしては負傷度合のバランスが取れていないことに、少し違和感を覚える。
「その封印具は今どこに?」
「奴が、サンジェルマンが持っていった」
……。
私の耳がおかしくなったのかも。
「そいつ、燕尾服で片眼鏡を付けてたりしなかった?」
「ああ。お前も遭遇したのか」
「……いや、心当たりがあるってだけ」
Saint-Germain。
18世紀ヨーロッパに名を残した貴族であり、ダイヤモンドの傷を消す秘法を有し、2000年以上の時を生きるという伝説を持つ不老不死の怪人。
しかしそんなことはどうだっていい。
彼は『とある魔術の禁書目録』に登場する魔術師である。
この世界にあの世界の登場人物がいないか、考えなかったわけではない。
当然、探しに探しまくった。だからイギリスに魔術師の痕跡はなかったと、それは間違いなく断言できる。
私が認識できない領域、例えば隠世のような位相に魔神が居ないとは限らないが、少なくともサンジェルマンはそういう類のものではない。
そういえば、サンジェルマンは位相を操作して何度世界を改変しても自然発生してくる世界のバグのような存在だと、魔神僧正が愚痴をこぼしていた。
魔術が存在するなら、そこにサンジェルマンがいてもおかしくは無いのか?
いや、それなら最初にサンジェルマンウイルスを作り出した本人が魔術を使えないといけない。
となると、論点は「この世界に何故魔術が存在するのか」へ回帰する。私というイレギュラーが存在するために魔術が生まれたのか、魔術は元々そこにあったのか。サンジェルマンの存在を考慮すればやはり後者が正しいように思える。だがそれなら、何故他の魔術師が存在しない?
そもそも、サンジェルマンが原作と同一人物なのかも疑うべきか。同一人物だとして、どの時点のサンジェルマンなのか。アンナ=シュプレンゲルによって改良された『劇症型サンジェルマンウイルス』でないことは確かだろう。もしその記憶を有しているなら、今更こんな暴挙にはでまい。
「学長達の話によると、五条先生は貴女に託したみたいですが。あの、よく分からない力の事も知っていると聞きました」
伏黒が期待の眼を向けてくる。周囲を見渡してみれば、それは彼だけではない。この場の全員が、私に縋るような目を向けていた。
五条が封印されて、未知の脅威に晒され。何が起きているのか分からず一杯一杯なのだろう。
だからこそ、答えは決まっている。
「この件は私が片づけるから、気にしなくていいよ」
「えっ」
サンジェルマンという私が広めた魔術に依らない存在が背後にいると分かった以上、事態の原因が私にあるとは限らなくなった。
同時に、尚更他人に任せるわけにはいかなくなった。
決して、彼らの命を案じてのことではない。ついてきたければ勝手についてきて、勝手に死ねばいい。足手纏いだからというより、ことサンジェルマン相手には居ても居なくても変わらないのだ。あれを何とかできるのは私だけだから。
無駄死にしないよう忠告するのは、せめてもの
「待ってください。自分達が足手纏いなのは分かります。ですがせめて何が起きているのかだけでも教えて頂けませんか?」
「そうよ。まだあんたが年下なのか年上なのかすら分からないけど、私達にだって知る権利があるでしょ」
私に詰め寄ろうとした釘崎の前に、学長がそっと立ちはだかる。
「止せ、お前達。悟が託すと言ったんだ、俺達が信じないでどうする」
学長の言葉もあって、彼らは不満ながらも押し黙った。
その後、学長から封印の経緯を教えてもらった。
五条の封印条件で呪詛師達は退いていったが、明日になればまた高専を襲いだす可能性が高いらしい。情報網も補給線も断たれた呪術界は組織として完全に機能停止状態にある。このままではジリ貧状態で呪詛師達と戦うことになる。
それに五条の封印が上層部に知れたら、沢山の呪術師が死ぬことになるという。そうなれば日本呪術界は内憂外患で滅ぶだろう。あまり時間は残されていない。
呪術界がどうなろうと正直知ったことではないが、日本という国家の社会機能が麻痺するのは困る。なんだかんだここは住み心地がいい。
「サンジェルマンの居場所に心当たりはない?」
ダメ元で訊いてみる。
向こうは確実にこちらの存在を認識していて、今日まで存在を隠してきたのだ。
ここまで大っぴらに存在を明かして、私に対して挑発しているとしか思えない。
にも拘わらず私の前に姿を現さない訳。遭遇を避けたがっていると考えるのが妥当だ。
そう簡単に尻尾は掴ませないだろう。
「悪いが手がかりになりそうな事は何も……。いや、もしかしたら天元様なら何か知っているかもしれない」
天元。その名が日本呪術界の重鎮だということは知っている。
あまり気は進まないが、ここは大人しく助言に従っておくか。