天元が住まう薨星宮に行くには、高専内のシャッフルが繰り返される1000以上の扉を引き当てなくてはならないらしい。
薨星宮への道に存在する高専忌庫が今回の襲撃時に侵入されたらしく、門番がやられていた。
幸い、漏瑚とかいう呪霊の封印時に一度忌庫の中に入ったことがあり、結界術の構造はわりと単純であることが魔術的観点から解析できている。
侵入者を迎撃する攻性結界ではなく只の隠匿結界だし、シャッフル方式という所まで分かっているのだ。いくら技術体系の異なる呪術とはいえ、突破法くらい編み出せなきゃ魔道書図書館の名が廃る。
とはいえ、『三重四色の最結界』*1みたいな滅茶苦茶な代物でなくて助かった。流石に大事な倉庫を守る結界だ、破壊するわけにもいくまい。
などと考えていたら、何も無い真っ白な空間へ辿り着く。
ここが薨星宮とやらの中の筈だが、肝心の天元らしき姿は見当たらない。
「初めまして」
と思ったら、ぬるっと現れた。
「うわあ……」
見るからに呪霊らしき四つ目の怪物が、そこには居た。
「私が天元だ」
高専結界などの日本呪術界のインフラを担っているのが、目の前のこれだという。
呪術師達はこんなものを祭り上げてるのか?
本気で?
「何を考えているのか大体予想はつくけど、私は元々人間だよ。長生きするとこういう姿になるんだ」
「いやいやいや」
その理屈にはかなり無理があるだろう。どうやったら老化で体の器官が増えるんだ。呪力が体を変容させるのか?
「あるいは魂が変質してるの? 生命の樹を昇る過程で何かやらかした?」
「勘が良いね。後半の君なりの解釈はよく分からないけど、前半は合ってるよ。私の魂は至るところにあり、今や天地と同化している」
そこまでいくと8=3相当*2かそれ以上に足突っ込んでる気がするんだけど……。
でも魔神じゃあるまいし、特定の位相関連かな。
だとすると、候補は絞られる。というか日本呪術師の殆どが仏教や神道を下地にした術式を持っていることを考えると、該当するのはほぼ一つしかない。
「まんま無色界の第2天じゃん。五条といい貴方といい、もしかして呪術師の最終到達点は非想非非想天とか涅槃だったりする?」
あ、となると領域展開って――――
「仏教に詳しいのだね」
こんなの知ってる人は知ってるレベルだろうに。
見え透いた世辞は結構だ。
「さて、君のことは何と呼ぶべきか」
「
「ではインデックス、単刀直入に聞こう。君は一体何者なんだ?」
「恐らく英国で最初の魔術師かな」
「では、あのサンジェルマンとやらも君の教えを乞うたのか?」
「いや。あれの発生理由は私にも分からないよ」
そもそも私がどのようにして魔術を会得したのかについて、意図的に言及を避けていることに気付いたようで、天元は話の核心を突いてこない。
彼ら呪術師からすれば、魔術の起源は完全に謎。その点においては、私もサンジェルマンも外から見た印象は変わらない。まあ私自身も、何故禁書目録として転生したのかはさっぱり不明だけど。そこは考えるだけ無駄というか、考えてはいけない。
つまりは私が信用に足る存在かどうか確証が欲しいのだ、天元は。
「お互い隠したいことは隠せばいいよ、そっちの内情に興味は無いし。心配しなくても、サンジェルマンは私が打倒する。というか私だって一応は高専の所属なんだから、命令すればいいでしょ」
ここに招いた時点である程度は信用している筈だ。というか、頼らざるを得ない。五条が封印されて大幅に戦力を削がれたのに、魔術という未知の力に対抗する術は今の彼らには無い。
「では、付け加えてお願いするようだが。五条悟を解放して欲しい」
信用できないのはお互い様という趣旨の発言が効いたのか、天元はこちらを探るのを諦めて本題らしき要求を突き付けてきた。
「と言われてもね。具体的に何すればいいの?」
獄門疆とかいう呪物に封じられているとか言ってたけど。
肝心のブツの性質も所在も分からないのでは封印の解きようが無い。
天元は懐から何かを取り出した。
それは掌に丁度収まるサイズの立方体だった。
「獄門疆『裏』。五条悟が封印された獄門疆と対になる代物がここにある」
……何故そんなものを持っているのか。
怪しさ満点だが、探りは無しと言った手前だ。ここは受け入れよう。
「これ、この中にも五条が入ってると考えていいんだよね?」
「難しい質問だ。正規の手段では表からしか開けることはできない上に、何とかして裏を開けても表から出てくるだろう。しかし、繋がりが無いわけではない」
天元から、獄門疆『裏』を受け取る。
憶測に過ぎないが、恐らくこの呪物は門のような役割なのだろう。封印された実体は異次元空間にあって、表と裏の獄門疆どちらにも入っていないとも言えるし、どちらにも入っているとも言える。
天元は、これを私に開けて欲しいのか?
でも、術式だけを綺麗に解除するのはちょっと無理かな。呪術に関する知識が圧倒的に足りない。
薨星宮の結界を通り抜けられたのは、結界の仕組みが単純で、しかもその仕組みを分かっていたからだ。
獄門疆は異次元に通じている仕組みが分からない以上、ピッキングのように鍵を開けるタイプの正攻法は不可能。かといって座標も分からないのでテレポートも不可能。
となるともう金庫破りの最終手段、破壊しかない。
この方法なら開けること自体は簡単だけど、ぶっちゃけ何が起こるか分からない。中身ごと破壊してしまう可能性や、中身が一生異次元に取り残されたままという可能性が濃厚だろう。
「ご期待に沿えず申し訳ないけど、今のところ解除は無理かな」
「……そうか。それは君が持っていて欲しい。表を手に入れなければ開門できないのなら、それにはもう意味は無いからね」
できれば持ち歩きたい外観ではないが、先程の会話で少し思いついた事がある。この呪物はまさにその実験に適している。有難く預からせて貰おう。
問題は何の魔術を施すかだが……あ、そうだ。
今後、サンジェルマンとの戦いで私が無事でいられる保証はない。サンジェルマンはそこまで強い魔術師ではない筈だが、私自身、純正の魔術師と戦うのはこれが初めて。向こうの正体含めて不安要素は尽きない。
なので一応、この裏門に保険の魔術を仕掛けておこう。
ま、あくまで仮説が正しければの話。
早速、手慰みに霊装化してみる。私の体から生ずる万能のテレズマと魔力が裏門を包むようにコーティングし、中へ浸透する。暗号化により情報圧縮された文字が宙を踊り、表面に刻まれた青い紋様に吸い込まれていく。
興味深そうに凝視する天元に、私は改めて確認を取る。
「じゃ、結局は表を手に入れてこいって頼みでいいの?」
「そうなる」
「簡単に言ってくれるね」
こちとらサンジェルマンの所在すら分からないんだから――――あっ。
そうか。裏と表が対になっているなら、裏を持っていれば感染魔術で表の位置を探知できる。
向こうも表を渡したくない筈だから、サンジェルマンは肌身離さず持っているに違いない。
まさに一石二鳥だ。
「うわ」
私の手元が一瞬眩く光る。
裏門はテレズマと魔力を完全に内側に抑え込み、外からは注ぎ込んだ莫大なエネルギーをもはや感じ取れない。
一面には大きな六芒星の中心にヘブライ文字のש。
……マジで成功しちゃったよ。
支度の必要は無かった。
非常時に備えていつでもどこでも自分の役割を果たせるようにしておくのは、護衛隊長としての責務だ。
スーツケースと背負った長尺バッグが、マリーの所持品全て。中には公には見せられないような物も入っているが、空港の保安検査も本部から根回しがされているので素通りできる。
突然の帰国ということもあって、出発までまだ時間がある。1階のロビーで座って待とうかと考えながら、彼女は空港へ足を踏み入れた。
強烈な違和感を覚える。
いや、もうそれは違和感と呼べるような曖昧な異常ではなかった。
人影が全く見当たらないのだ。
「人払いの魔術――!?」
突如、物陰から何かが飛び出してきた。
何者かの手が、彼女の眼前を掠める。
間一髪で避けたマリーは、バックステップで距離を取った。
「ちぇっ、反応早いな」
背丈や顔つきからして大学生くらいだろうか。青年の顔にはツギハギのようなものがある。
呪術師であるマリーには、ソレが人間ではないことが一目で分かった。
下手人は特級呪霊、真人だった。
バックステップの勢いのままスーツケースを乱暴に放ったマリーは、長尺バッグから金属質の長い棒を素早く取り出した。折りたたまれたそれは即座に展開され、2メートルを超すハルバードと化す。慣れたものなのか、臨戦態勢に至るまで接近を許すほど時間は掛からない。
「あれー、飛行機にそんな物持ち込んでいいの?」
特級や1級などの日本呪術界の等級について感覚で判断できるほど馴染んでいないマリーだが、それでも眼前の呪霊の呪力量から特級であると確信できる。そもそも呪霊のくせに明確な言葉を喋る時点で、異質さは十分だ。
いくら呪霊に溢れた日本といえど、その辺に潜んでいるレベルのものではない。何故彼女の前に姿を現したのか。
人払いの魔術が使用されていることから考えても、明らかに今日本呪術界を襲っている事件と関わりがあると見ていい。
「今、ここで私を狙う理由は何です」
「それってそんなに気にすること? 孤立した奴から狙うのは定石じゃん」
真人が腕を鞭のように伸ばして振るうが、マリーはハルバードを薙いで腕を斬り飛ばす。明らかな隙を見せる真人だが、マリーは依然距離を取って様子見を続ける。
すると、真人の失った腕が丸ごと即時再生する。
呪霊は肉体を再生できるが反転術式は使えない。この手際の速さは特級呪霊といえど異常だ。恐らく単なる呪霊の再生とは違う、術式によるもの。マリーは警戒を強める。
この手の一見して術式が読めない輩は厄介だ。領域展開でさっさと倒してしまいたいところだが、他に伏兵がいる可能性を考えると下手に切れない手札だ。術式が使えなくなった隙を突かれる危険がある。
彼女の領域は特性上籠城に適しているが、いつまでも展開していられるわけではない。解除後の位置はそうずらせるものでもないし、諦めてこの場を去るのを待つなど馬鹿な賭けに出る訳にもいかない。
となると残された手は距離を詰めて短期決着。十中八九罠だろうが、向こうの狙いよりも先に首を取るしかない。床を蹴って、彼女は走り出す。当然両腕を伸ばして迎え撃ってくるが、斧槍の穂先と石突で前方両側面から迫る攻撃を受け止める。
「熱っ!?」
肉の焼けるような音に、真人は思わず力を緩めた。
聖別呪法。今、彼女のハルバードは目の前にいる真人のみにしか攻撃力を発揮しないという縛りを課すことで、特効を得ていた。その力は刃だけでなく柄に触れるだけでも十分な効力を発揮する。
そうして真人が怯んでいる間に、遂に本体を射程圏内に捉えた。
真人は急いで引き戻した腕を、交差させてガードする。
「なーんて」
――フリをして、そのまま突進した。
ハルバードというのは、間合いが重要である。
剣と違って斧の刃は先端にだけあるので、近づかれると斬撃はできない。突きならば距離に関係なく攻撃できるが、点の攻撃は当たりにくく一度盾で防がれたり外してしまうと引き戻すまで突くことはできない。
緊急時に薙げば棒としても使えなくもないが、重心が先端に集中しているため威力に乏しく、足止めにしたってそこまで近づかれた時点で負けである。
勿論、マリーがその弱点を知らないわけではない。手元に引いていた斧槍を構え、迎え撃つように突きを見舞う。胸部への致命の一撃。懐に入り込もうとされるくらい想定している。
しかし、普通の人間ではできない行動には対応できなかった。
真人の胴体が、貫かれた場所から千切れるように上下に分かたれる。肉薄と同時に分割した体を接着、即座に再生。右手をマリーの首へと伸ばす。
「無為転変」
触れた者の魂の形を変える、接触イコール必殺の真人の術式が発動する。
ぐしゃり、と潰れる音。
「……は?」
ただし、それは真人の肩口から鳴った。
彼の右腕は風船の如く膨張し、肩から爪の先まで肉体の制御を失う。
不測の事態に慌てて距離を取る真人。それを逃さないとばかりに振るわれたハルバードが真人の胴を切り裂くが、斬撃痕からはやはり血の一滴も溢れない。彼の肉体が粘土のように形を変えたかと思うと、次の瞬間には受けた傷も乱れた腕も綺麗に元通りになる。
結果的に真人にダメージは無い。だが、それはマリーも同じ。
彼の手はマリーに触れて、無為転変は確かに発動したにも拘らず、だ。
加えて、突然の肉体の暴走。いや、肉体の形が変わったのではない。
それは他でもない彼が一番理解している変化。魂の形が変わったのだ。
紛れもなくそれは無為転変。しかしマリー=ウェーバーが魂の形を変える術式を持っているという情報は無かった。
ならば答えは一つ。真人は今しがた起きた現象の正体を導きだした。
「呪詛返しか!!」
マリーの胸元、修道服の下で淡く発光している何か。小さな逆三角形の布に描かれた、規則正しい文字列が浮かび上がる。
それは、余りにも有名な呪文。
ABRAHADABRA。
その文字を後ろから一字ずつ減らすようにして、下に書き連ねた護符。
古来から伝わる魔法の言葉を、アレイスター=クロウリーは自らの理論体系に組み込むことに成功した。世界を飛び交う呪詛を捻ってその向きを変える非常にシンプルなこの魔術は、魔力さえ必要としない。
インデックスは、この本家アレイスターの魔術を対呪術用に改良し、マリーに授けた。
あらゆる呪術を跳ね返すという程万能でもないが、術式対象が護符の装備者に及ぶ類の呪術には有効だ。例えば無下限呪術の術式対象は『無限』、百歩譲って空間であるため反射できない。一方で、芻霊呪法や十劃呪法は反射できる。
『無為転変』は、装備者の一部である魂を対象とする。
形勢は傾いた。
自らが最も信を置く攻撃手段を無力化されたことで、真人は防戦一方に追い込まれる。
勿論無為転変が効かなくとも真人には攻撃手段が残されてはいるが、基本的に術式を持たない徒手空拳の呪術師に毛が生えた程度。肉体変化による攻撃のバリエーションも、威力が乏しければ脅威足りえない。
そもそも複雑な術式が絡まない単純な近接戦闘ならば、マリーに大きく分がある。加えて武器の有無に戦闘技術、ほぼ一方的な術式使用のアドバンテージ。これで負けろと言う程が難しい。
だが、決定力に欠けるのは彼女も同じ。
――機能縮小『刺突特化』。
――機能縮小『斬撃特化』。
術式を掛け直して弱点を探るが、どれも一時的なダメージを与えるだけで、すぐに回復されてしまう。
「無駄だよ。魂へ届かない攻撃は俺には効かない」
このままでは埒が明かないと判断したのは真人も同じだった。術式開示により呪力の増強を試みる。
しかし彼女相手にそれは悪手極まりなかった。
「魂……成程、それが貴方の弱点ですか」
「このままいけば、どっちが先に呪力が尽きるかの勝負になるけど」
どこで知ったのか、イギリスの呪術師の平均呪力量が少ないことを見抜かれている。
マリーは日本の呪術師と比べても遜色ない程特別呪力量が多い方だが 特級呪霊と張り合うのは無謀だろう。
「聖別呪法は物品が元々持っている機能しか強化できません。あなた個人に対する特効を得ても同じです。武器に『魂への攻撃』などという機能は無いのだから」
「えー、もう諦めたの? 潔い奴より意地汚い奴の方が好きなのになぁ」
聖別呪法は物品の機能を任意の方向性に先鋭化させる。原理としては、元々あった機能を制限することでその分の力を他に割き、更に縛りによって強化する。つまり、機能範囲は必ず縮小されなければならない。
『宿儺特効』や『真人特効』などの穂先だけでなく柄に触れただけでも特効対象に問答無用でダメージを与える特効作用は一見機能縮小されていないとも取れるが、打撃や摩擦熱、呪力伝導といった攻撃力を誇張しただけで、可能な機能からは飛躍していない。
より厳密に一般的な定義を与えるなら、ある器具が持つ全ての機能を集合Aとして、その中の部分集合Bに機能範囲を縮小する術式と言える。
何故、態々このような言い換えをしたのか?
この術式の定義こそが重要だからである。
聖別とは、人や物を聖なるものとして、他の被造物と区別する行為。
ならば、これから為されるそれは、天が定めた領分を逸脱する行為。
「
『縛りで機能を収縮する』の
機能範囲の縮小ではなく拡大。すなわち、新たな機能の獲得。
――機能拡張『魂魄干渉』。
「ッ!?」
攻撃が、真人の魂へと届く。
マリーの振るう斧槍の一閃一打一刀が、真人を祓うことのできる攻撃へと化す。
堪らず真人は両腕を翼へと変形させ、上空へと飛翔する。
ここが空港であることが幸いだった。屋内とはいえ天井は高く、攻撃から逃れるのに十分な空間がある。
結果は何も変わらないのだが。
――機能拡張『射撃』。
斧槍の穂先から、呪力の弾丸が放たれる。
術式反転『冒瀆』は、対象が持っていない機能を獲得する。つまりその気になれば武器に自己再生機能を付加したり、防具に攻撃力を付加することも可能なのだ。
射撃を翼に受けた真人は空中でバランスを崩して飛行がままならなくなり、まさに鳥撃ちの如く墜落した。
逃げ場を失い追い詰められた真人だが、傷は浅い。
術式反転は原理上、順転の2倍の最低出力があるが、その分消費も激しい。そもそも無理に機能を拡張しているのだから、呪力の殆どは機能拡張に使われている。順転のように威力増強は望めない。
――機能縮小『射撃特化』
ならば、要らなくなった機能は捨てればいい。
失くした分だけ強くなる順転と、必要なものを獲得する反転を併用する。
マリーがハルバードを扱うのは、そもそもこれを想定して元々多様な攻撃手段を有している武器を選んだからだ。機能を縮小して強化するのも、新しく機能を得るのも、元々の武器のポテンシャルが高い方が余計な呪力消費をせずに済む。
「がはっ……!!」
攻撃手段を射撃に絞ったことで威力と連射速度が向上。呪力弾がマシンガンの如く撃ち込まれる。
攻撃対象を制限したことで、着弾時の衝撃波で周囲に被害が及ぶことは無い。どころか、周囲へ逃げる筈だったエネルギーが全て真人へ叩きこまれる。空気抵抗、熱拡散、運動量伝達といったあらゆる要因のエネルギー減衰が起こらず、100%真人へ危害を加えるために使われる。
防御も回避も叶わず、飛び散る呪力の光と衝撃で激しく揺れ動く視界は碌に何も映さない。
ただ、己の死が近づくのだけが分かった。
今、漸く真人は目の前の女の恐ろしさを理解した。
順転と反転の重ね掛けが可能であるということが、何を意味するのか。
要らない機能を削っては欲しい機能を獲得し、更に要らない機能を削っては欲しい機能を獲得し……を繰り返すことで、剣を飛行機にするような原形を留めない域まで改造が可能であるということ。
現に、今彼女が手にしている物は何だ。
余分なものを削ぎ落とし、最終的に残った機能は『真人特効』『射撃特化』『魂魄干渉』の3つ。
これのどこがハルバードだというのだ?
ある男が言っていた事を思い出す。
特級術師として認められる条件は、単独での国家転覆が可能であること。
マリーは日本の呪術師ではないが、その定義に当てはめるなら間違いなく特級相当だ。
呪力を消費するのは術式発動時のみであり、呪具同様にこの術式は半永久的。術者本人が解除するか、術式を無効化する呪具か術式でなければ効力は消えない。
しかも術式は厳密には器具ではなく素材に掛かる。術式を掛けた時点でそれを構成していた全ての物質に、だ。武器が破壊されたり溶かしてインゴットに戻しても、どんなに形を変えても術式効果は消えない。
悪用ならいくらでも思いつく。
例えば、世界中の金に片っ端から聖別呪法を掛けて導電性を失わせれば、電子機器は使えなくなり文明は滅亡する。
例えば、土壌の撥水性をコントロールして不毛の大地に変える。
例えば、国防の重要拠点の地盤を弄って建造物を崩壊させ、二度と建築不可能にする。
現実問題、実行に移すには時間・手間・呪力量という制約がある。が、規模を縮小すればいずれも実行不可能ではない。社会機能を麻痺させ国家を破滅に追いやり、第三次世界大戦の引き金を引いたり世界恐慌を巻き起こす程度のことはできる。
見方によっては、単純な破壊力を持つ特級術師より性質が悪い。
「……ああ、でも。当たればいいんでしょ?」
薄れゆく意識の中で光明を見出して、真人は嗤う。
呪詛返しは呪いを無効化しているのではなく、逸らしているだけだ。
『歩く教会』のように服が結界となり簡易領域のような役割を発揮するわけでもなく、『聖母崇拝術式』のように呪詛への完全耐性を得るわけでもない。
つまり、必中効果からは逃れられない。
「領域展開」
圧倒的不利な状況下に追い詰められたことで、真人は覚醒を果たす。
呪霊として生まれ落ちて初めての領域展開だが、淀みは無かった。
「ッ――――
狙いを悟ったマリーは、応じて領域を展開する。
彼女の領域は、先手必勝の領域。完全に展開しきってしまえば、どんな熟練者の領域でも塗り替えることはできない。
裏を返せば、後手に回った場合や展開しきる前に押し合いに持ち込まれた場合はその限りではない。
押し合いに入ってしまえば、互いの必中効果は消えるのだから。
「『自閉円頓裹』!」
「『
単純な領域の押し合い勝負。
領域展開の歴の長さではマリーに分があるが、呪力量では真人に分がある。
押し合いはマリー優勢だが、今一歩押し切るには至らない。
持久戦なら真人優勢。このままいけば呪力切れでマリーが先に領域を維持できなくなるだろう。
だが、恐らくそうはならない。
そんな形では勝敗は決まらない。
真人は、呪いとして生まれ落ちてから短時間で領域を会得した。
時間を掛ければ掛けるだけ、真人は領域を理解していく。
呪術師は才能が全て。
伏兵を警戒せず初手で領域を展開していれば、少なくとも目の前の相手は倒せていた。
果たして彼女の選択が失策だったのかは別として。