予約投稿なんだな、これが。
東京、新宿。
私は五条と共にこの地に放たれた呪霊を対処することとなった。その気になれば街全体を覆う大魔術を事前に用意することもできたが、私の性格に合わない。そうしなかったことで呪術師や一般人が何人か死のうと知ったことではない。雇われなので、やれと言われなければやらない主義だ。
「成程アノ包帯カ」
「えぇ、シスターは私達が引き受けます」
わらわらと街に溢れかえる呪霊達。それらに紛れて、ビルの上に呪詛師がいる。
「五条さん!」
伊地知さんが駆け寄ってきて、五条に何か耳打ちする。
「パンダ、棘!」
血相を変えた五条が、二人を呼びつける。
「今から二人を呪術高専に送る。インデックス、君も……」
首を振って拒絶する。何らかの手段でテレポートでもするのだろうが、修道服が術式を弾いてしまうかもしれないからだ。
指令を出された二人は、五条が術を発動させると円陣の中から消えた。
こちらの動きに気付いたのか、呪詛師達が俄かに騒がしくなる。
「美々子、菜々子。開戦よ」
「待ってました! あの生意気なシスターぼこしたくてうずうずしてたし」
夏油が宣戦布告した時にいた呪詛師達が湧いて出てくる。
「呪詛師の詛って、蛆って字に似てない?」
「前々から思ってたけど、君って結構毒が強いよね」
その発言の直後、0.1秒すらかからなかった。
視界に映る呪霊は一体残らず祓われ、呪詛師達はビルの壁面や路上にめり込み倒れ伏す。息はあるが、意識はない。瞬殺。私はただ『第三の腕』を振るっただけ。
「今日は12月24日。小さいけど世界中の至る所に
神の子の誕生を知らせた星を、ベツレヘムの星と呼ぶ。
クリスマスツリーの先端に飾られる大きな星は、このベツレヘムの星を模したものである。
尤も、伝承では八芒星となっているがクリスマスツリーのソレは大抵五芒星である。
それでも魔術的記号としては十分。一つ一つは小さくとも、日本中、いや世界中で飾られるそれは地球全体を儀式場に塗り替える。
そうでなくても12月24日から25日は特別な日。十字教系の術式は軒並み威力を増す。
いつだろうと結果は変わらなかっただろうが、よりにもよって今日を選んだのは抱きしめたくなるくらい憐れだ。
「嘘ダロオイ、勘弁シテクレヨ……!」
形勢逆転。
数ではなく質を考えれば元から均衡はこちらに大きく傾いていたのだが。
呪詛師一味の男は一瞬にして孤立無援に立たされる。現実逃避の一つでもしたくなったか。
「ここ、任せてもいいかい?」
「待って、そっちの人もすぐ終わらせるから」
五条が向き合っている黒人の男の方へ向き直り、『第三の腕』を振るう。それは断じて照準を合わせるためではない。振れば当たるのだから、そんな工程は必要としない。ただ、敵を認識して設定するためでしかない。
視界に入れなければ発動しない安っぽいオートエイムではない。この
「ウオオオ!!」
声を張り上げ己を鼓舞する男は、黒縄を鞭のようにしならせ私の肩口から伸びる赤い腕を弾いた。
「『聖なる右』が機能しない……?」
この感じは途中で予期せぬイレギュラーが入ったような挙動だ。本来であれば、どんな防御を用意しようが貫き透過するはずなのだが。
「『
そうであれば頷ける。『聖なる右』が出力を見誤った、あるいはどう出力すべきか迷っているのだろう。
でも、これは何かが違う。『幻想殺し』のような異能の消去ではない。『聖なる右』は『幻想殺し』を処理落ちさせる出力を持つが、理論上はその力の表層を削られはするだろう。しかしこの縄と接触した『第三の腕』にそのようなダメージは見られない。
「そいつの黒縄、呪力を散らすみたいだよ」
魔力やテレズマにも多少は効くのか、接触した『第三の腕』は内部のエネルギーを乱されたのだろう。その結果、想定する過不足ない出力と実際の出力に差異が生まれた。
この黒縄の相手との接近戦になったら、『歩く教会』の防護は働かないかもしれない。
とは言っても原作と違い繊維を魔力で編んでいるわけでもなく、布地自体は普通の修道服。テレズマを乱して霊装としての効果を無効化するだけに終わるだろう。だが縄自体に致命傷を与えられる程の攻撃力はなく、単なる服であっても威力減衰が見込める程度の威力しかない。
まして、私は聖人。その程度の打撃はかすり傷にもならない。というか、超音速機動を可能にする反射神経を以てすれば攻撃を見てから回避は余裕。
それ以前に、この戦闘の目的を考えれば遅延戦術は見え見え。相手は接近なんてしてこないだろう。遠距離戦闘になれば長期化しそうだ。五条が任せようとするのも分かる。
「面倒くさいし、これだけ命中したらすぐに行こう」
「いいのかい?」
シスターには不釣り合いな、禍々しい黒い短剣を左手に持つ。
もう一度『第三の腕』を振るうと同時、その闇の短剣を連射する。黒縄は殆どを弾いたが、何発かが胴体や腕に刺さった。
反射的に身構えた様子の男であったが、剣による刺突自体は無痛であり出血もない。
男は刺さったそれを取り除こうと縄で剣を叩こうとする。
単なる攻撃なら良いが、刺さり続けているだけで何か悪い効果を齎す可能性もある。呪術師なら誰だってそう考えるだろう。その思考が罠とも知らずに。
「グッ……!?」
縄が剣に触れた瞬間。魔力を乱されたことで一部の構造が解ける。崩壊した短剣は、体内で破裂し肉に食い込んだ。苦痛に思わず絶叫しそうな所を呻き声で耐えているのは、流石に戦闘慣れしているのか。
黒い剣――『呪詛の魔術剣』は未だ何本か刺さったままだ。
更に、彼の周囲に手錠と歯車が出現する。それらは鎖を伸ばし、虹色の骨格と透明な肉を持つ2頭の『業の獣』を出現させた。
後はこの『
失敗を前提としてそれさえ糧とするアレイスター=クロウリーの計画思想を反映したような、どう転ぼうと結果を残す陰湿極まりない魔術。幻想殺しに逃げの一手を打たせた、異能殺しへの一つの解答。
対抗策は起点となる魔術剣を取り除くか本体の私を倒すことだが、前者は内臓を傷つけ最悪死ぬ可能性もある。確証の持てない打開策に賭けられる代物ではない。
後者は不可能に決まっている。実力的な意味で彼では私を倒すことはできないという意味もあるが、既に私達は呪術高専へ向けて走りだしていたのだから。
インデックス達が呪術高専へ向かっている時。乙骨達は既にそこにはいなかった。
「彼女の異常性は事前に分かっていたからね。手段は選んでいられないんだ」
地下駐車場。白色電灯がやけに眩しく見えて、目に優しくない。
夏油は乙骨に語り掛ける。傍らには、気絶した真希の首に手をかける呪霊。
人質を取られた乙骨は、誰にも知られることはないこの場所まで連れてこられていた。
「真希さんを解放しろ」
「君の呪霊、祈本里香を貰おうか。それが交換条件だ」
主従契約がある呪いを呪霊操術の対象とするには、主を殺して首を挿げ替える必要がある。
だが本人の意志で放棄させることができればその限りではないかもしれない。
試したことはないが、労せず手に入れられるのなら夏油は歓迎する。
「悪いけどその提案は呑めない。というか、僕にはその方法が分からない」
「ふ、まあそうだろうと思っていたよ」
夏油は小さく鼻を鳴らす。元よりこの方法が上手くいく確率は一割を切ると見ていた。
「ならば死ね、乙骨憂太。大義――否、私の理想のために」
抵抗は即ち、真希の死を意味する。
人質に意味が無いと分かれば、夏油は嬉々として猿を殺すだろう。
かといって乙骨が大人しく死んで、その後夏油が真希を約束通り無事解放するとは思えない。
彼の最終目標を考えれば自明である。
それでも、乙骨は抵抗を選ばなかった。
「憂太ァァァ!!」
特級過呪怨霊、祈本里香はそれを許さない。
夏油が放った死の一撃は、里香によって防がれた。主人の意志に反して、主の命を守ったのだ。
「何をやって……!?」
「ちっ、面倒な」
今ここで抵抗の意志ありと見て真希を殺すこともできる。だがその場合は乙骨が意志を持って抵抗してくるだろう。今の抵抗は乙骨本人の意志ではない。術師の意志を欠いた今の状態の方が、まだ倒しやすい。夏油は真希を生かしておかざるを得ない。
「憂太、死んじゃ駄目!」
「僕も里香と同じ場所に逝くだけだよ」
「それでも、駄目!」
「何で……いや、そうか」
乙骨は自分の気持ちだけに囚われ、他人の気持ちが考えに無かった。
里香が乙骨の死を拒絶することは予想できなかった。
ここで乙骨が死んで真希が助かったとして、果たして真希は乙骨の献身を快く受け入れるだろうか。
――バーカ、一人でやるから意味があんだよ
「真希さんはそう言ったじゃないか」
あの人は施しを受けるなんて真っ平御免だろう。
だったら、最後まで抗う。
人質に取られるという状況に至った時点で、もう守れなかったと思え。
薄情と罵るがいい。それでも真希を見捨てるという決意は変わらない。
これが呪術師として当然の心構えなのだから。
「ありがとう里香、気づかせてくれて。ずっと、僕のことを考えていてくれたんだね」
乙骨は、ようやく一人前の呪術師になれた気がした。
感謝の意を表して、里香を抱擁する。
それは里香を抱きしめるというよりは寧ろ抱きしめられているようであったが、確かに抱擁であった。
「僕はもう、生きる責任から逃げたりしない。里香、僕の命・魂は全て君のものだ。君の意に反して投げ捨てたりしないと誓うよ。もう、大丈夫だから。もう、一人で生きていけるから。だから最後に力を貸して」
乙骨は、生きる罪を背負うと決めた。夏油はそれを見て何を思うのだろうか。
彼は呪術師同士の献身を美しいと思う価値観を持ち合わせていたが、呪術師が呪術師を見捨てる精神は彼の目にはどう映っているのか。
今この状況においてはそれは猿と呪術師であるために心を揺らすことはないだろう。しかしこのような残酷なトロッコ問題は呪術界では珍しくもない。
乙骨の行動を悪し様に捉えるなら、他人の気持ちを勝手に推し量り解釈し、これが自分達の常識だからと言い訳を立てて見捨てる行為だ。
他者に不利益を被らせることを一方的に悪と断じ、非術師を鏖殺すると決めたなら、これが醜く見えていなければならない。
だがもし、仕方がないとか、必要悪とか、両者覚悟の上だとか、免罪符を考えてほんの少しでも擁護したり、よもや美しく映るようであれば。
何故、その寛容さを非術師に抱けなかったのか。
どんな人間も、誰かに迷惑をかけて生きている。だがその全てが本当に悪いことなのか?
全ての罪を数え晒し上げ清算して、その先に何がある。
そこには思いやりも何もなく、ただみみっちく、さもしい生き物が残るだけだ。
助け合うことこそ、短所を補い合うことこそ人間が群れる意義なのではないか。
全ての罪が醜いとは限らない。人間社会を上手く回すためには、適度に罪を赦し合うことが必要なのだ。
法によって人を裁くのが人間なら、心によって人を赦すのもまた人間。
『人が人を裁くことなんてできない』。心によって人を裁いたら人間はおしまいだ。
インデックスが伝えたかったことが、確かに今夏油の目の前にあった。
向かい合う彼らの顔には怒りも悲しみもなく。
その後は、もはや詳細に語るまでもない。
愛と理想が、雌雄を決した。
「やはり、君で詰みか」
ボロボロの夏油は、私の姿を認めると特に驚くでもなく路地の壁に寄りかかる。
「最初に君と会った時、運命だと思ったよ。私の願いの成就を阻むため、理不尽な最後の砦として神が遣わしたんだとね」
「……持論だけど、運命ほど救いようのない呪いは無いと思う」
運命は、どんな努力も想いも滑稽にしてしまう。かといって諦めることもできず夢想するのが、人間という存在。人類に永遠に付きまとう、決して解呪の叶わぬ諦観の呪い。その意味で、救いようがない。
「未練がましいようだが、何が足りなかったんだろうね?」
『採点者』として、彼に答える。
「何というか、甘いね。あなたは乙骨君を殺そうとしたけど、憎んではいなかった。自分の願望を阻む者なのに」
真に願いに純潔であるには乙骨君すら憎んで、彼を殺すことに微塵も感慨を抱いてはいけなかった。
「それどころか、あなたは結局真希さんを殺さなかった。いつだって殺せたはずなのに」
地下駐車場での経緯は乙骨君から聞いている。
「あなたが何を見出したのかは知らないけどね。そういうのを『願望の重複』って言うんだよ」
そもそも、彼の願いは叶える前から破綻している。
呪術師だけの世界で、どうやって生きていくというのか。環境適応とは言うが、そう簡単に適応できたら苦労はしない。呪術師として覚醒しなければ淘汰される状況を作っても、99.9%が覚醒できないまま死ぬだろう。選民の結果残るのは、殆どが今いる呪術師だけ。
日本だけでも数千人かそこらの人口で文明を維持することなんてできやしない。残った者達も食糧の調達が滞って、大半が飢え死にする。呪術師はいきなり農家にはなれない。
加えて、絶滅の危機に瀕しても少子高齢化の流れを改善できるとは思えない。結局文化や思想を引き継ぐのだから、さあ子孫を残しましょうとはならず、そのまま人口減少して人類滅亡がオチだ。
短絡的で、愚かで、度し難い。
――でも、嫌いじゃない。
「『善悪で言えば悪だが、好悪で言えば好ましい』。脳幹先生ならそう言うかも」
無理解こそ諸悪の根源。歪んだ思想と行いは否定しても、最初に抱いた願いと彼を凶行に走らせた感情までは否定できない。切っ掛けが何であったかは知らないが、相応の悲劇があったのだろう。
「……できることなら、悟の手を私の血で汚したくない。君が終わらせてくれ」
「ご期待に沿えなくて残念だけど、聖職者は殺しを禁じられているんだよ」
勿論方便だ。ただ、自分の気持ちに正直でありたい。
私は彼を殺す気にはなれない。それには、見殺しにすることも含まれる。
呪術師が彼を見つけたら、捕らえるのではなく殺すだろう。普段はちゃらんぽらんな態度の五条悟でさえ。
だから、誰よりも先に彼を見つける必要があった。
仏教徒の夏油には悪いが、手で十字を切る。その手を、夏油に翳す。
「
発動条件たるキーワードを唱えると、夏油は右手が作る影に吸い込まれて消えた。
最期の顔は、天に召されるようだった。
『WISH_Over.Modelcase_”WORLD REJECTER”』
10万3000冊の魔道書の知識と、神の子と99%一致する魔術的記号をこの身に宿すことで得た特殊なテレズマ――どんな魔術の資質もクリアしあらゆる霊装を創り出せる力を使って、上里翔流の『
理想送りは幻想殺しと対を為す右手。
上条当麻のソレが今ある世界を修復する、直す、しがみつく理想とするなら。
上里翔流のソレは今ある世界を見捨てる、旅立つ、放り出す幻想。
今の世界に執着しながら別の世界を求める意思――願望の重複を起こした者を問答無用で同一時間軸上の余剰領域、『新天地』へと追放する。その力からは位相を自由に差し変える全力全開・完全な魔神でさえ逃れられない。
だがコロンゾンがそうだったように、新天地の行き来には理想送りは必須ではない。
相対性理論――ウラシマ効果による時間のズレによって新天地の時間と重なるという天文学的な確率で到達できる。それはつまり、時間操作系の術式によって再現できる可能性を秘めている。
「Merry Christmas、夏油」
その声は、もう誰も聞いていなかった。
『新天地』
世界の時間を映画のフィルムのコマに喩えると、人間は1秒10コマ程度しか認識しない。
しかしフィルムは実際には30枚あるとすると、20枚残る計算になる。
理想送りはこの余剰領域に物や人をずらす、らしい。
人間は誰もいない。ある日突然全人類が消えた世界を想像すれば分かりやすい。
それ以外は現実世界の完全コピー。
ただし毎日午前0時をもって物質の位置や状態が現実世界に修正されるので何も残せない。
形あるものからの執着を捨てられるので解脱には最適だな!(ゲス顔)