死蝋(ミイラに非ず)
「なりません」
年の頃は20代に見える、黒い修道服の女性が言う。
「前にも言ったはずだよ。周りでうろちょろする分には構わないけど、行動を邪魔するなら容赦しないって」
向かい合うのは、10代中頃ほどの白い修道服の少女。
黒い修道服の女性の方が身長も高く年も上。叱りつけるような態度から、傍からすると二人の関係性は義理の姉妹のように見えたことだろう。
しかし実際の力関係は真逆であった。権力や地位、社会的な価値というのもあるだろうが、霊格の面でも隔絶している。少女の方が、単純な強さで上回っている。
「呪物に乗っ取られた男に近づくなど――」
「別に、私がどこで死のうが勝手でしょ」
「我々には御身を守護する義務がございます」
「それはそっちの都合だよね」
インデックスの逃亡以後、保護を主張する日本呪術界と返還を求める英国呪術界の間で対立が続いていた。その間、身柄の所在は暫定的に日本呪術界の監視下に置かれていた。
一向に譲らない両者の交渉により、彼女の日本滞在は既成事実と化した。
そんな中起きた、百鬼夜行。
呪詛師夏油傑一派による大規模テロを受けて、英国呪術界が動いた。
特級呪霊や特級呪詛師による無法を許してしまったのは、日本呪術界の保安能力の無さを露呈するものであった。このような危険極まりない国にインデックスを預けておくわけにはいかないと、英国呪術界からの圧力は激しさを増した。
その結果、英国が指定した呪術師がインデックスを護衛することになってしまった。
実質、国外の呪術師の活動を黙認する形である。押し切られた呪術総監部としても歯痒い思いだ。
この黒い修道服の女性――マリー=ウェーバーはその中で最も高い戦闘能力を持つ近衛兵であり、身の回りの世話をする侍女を統括する長でもある。
「……分かりました。ですが、護衛を付けさせてもらいます」
返事はしない。今までも、守りたければ勝手に守れという態度を貫いていた。
日本に上陸した呪術師の数を、インデックスは知らされていない。今、彼女の周りにはマリーしかいないように見えるが、まさか護衛がそれだけとも思えない。
日常の中に隠れ潜んでいるのだろうとは思っていた。
インデックスが呪術高専へと足を進める道中、どこから現れたのか、次々と修道服姿の者達が合流する。
百鬼夜行のようなことが二度とないよう、身辺を警護する20人以上の呪術師。もはやこの光景の方が百鬼夜行に見えなくもない。
呪術高専に着いて、最初に顔を合わせたのは五条悟だった。
「これはこれは、皆さんお揃いで」
「寄るな、化け物め」
インデックスに近づこうとする五条の前に、マリーが立ちはだかる。
マリーは日本の階級で言えば一級か特級相当の精鋭である。呪霊の活動が穏やかで戦闘行動の必要が滅多にない英国において、これほどの力を持つのは異端と言っていい。
教会所属呪術師きっての天才であり、その実力を見込まれてインデックスの護衛に任ぜられた。それだけに、五条悟が特級呪術師という枠組みの中でも異常な存在であることを、よく理解できていた。
敵味方問わず、単純に護衛の戦闘能力を上回るというだけで警戒対象である。その上、マリーは五条の性格が個人的に気に食わない。
一方の五条は、顔を合わせるとすぐに威嚇する彼女の姿が逆毛立つ猫のようで面白がっていた。
どことなく庵歌姫に似ているからだろうか。
「マリー」
邪魔をするな、というインデックスの圧。マリーは意外にも不服そうな顔は見せず、素直に引き下がった。無表情なのが、かえって不気味だった。
「で、急に呼びつけてどういう用事なの」
「用件は既に伝えてあるでしょ?」
「両面宿儺に侵された少年がいる、としか聞いてないんだけど」
「あー、そうだったかも」
相変わらずの説明不足。
そもそも、両面宿儺とは何ぞやというところから聞きたいところだが。
曰く、両面宿儺とは腕が4本、顔が2つの仮想の鬼神。
しかしそれは実在の人間である。呪術全盛の時代に悪逆非道の限りを尽くし、当時の呪術師達が束になっても勝てなかったという。
特級呪物『宿儺の指』は、そんな両面宿儺の死蝋。決して破壊する事ができないため、封印されている。ところが虎杖という少年が、そんな呪物を取り込んだ。取り込んで尚、体を乗っ取られていないという。
「彼は、宿儺の指を全て取り込んだ後に殺すことになっている」
「穢らわしい。さっさと殺せば良いものを」
五条の説明を聞いて、マリーが嫌悪感を露わにする。
「宿儺に耐えうる器は今までいなかった。破壊不能の特級呪物を処分するなんて機会、すぐに殺すには勿体ないじゃないか――って説得したんだよ」
「で、それがどう私を呼びつけた事と繋がるの?」
インデックスは、自分は関係ないという態度を崩さない。
所属の上では五条の教師補佐として呪術高専の所属であるため、命令とあれば労働せざるを得ない。
が、インデックスの存在は呪術総監部としても腫物であり、あれこれと指図することはない。
元より百鬼夜行以前の時点から、彼女を個人指名して任務に就かせることはなかった。それが百鬼夜行以後はイギリス呪術界からの監視がついたことにより、基本的な任務を与えることさえ躊躇するようになる。結果として、五条からの指示を除く業務の殆どが免除された。
そのため、ここ最近のインデックスは無駄飯食いと化していた。
向こうが仕事を振ってこないのだから、とインデックスは厚意に甘えさせてもらっているつもりだ。
「いやあ。そういえば、魔術で宿儺の指って祓えないのかなあって」
呪術では無理でも、魔術でなら可能かもしれない。その発想は、至極当然の疑問であった。
単純なエネルギーによる攻撃が通じないなら、テレズマでゴリ押しは無理かもしれない。反転術式で呪いを中和するなんて、既に試した後だろう。力任せの手段は通用しない。
尤も、幻想殺しがあれば話は別。
なんたって、召喚された大天使を天界へ強制送還したこともある代物だ。あの20世紀最大の魔術結社が重宝した究極の追儺霊装『ブライスロードの秘宝』なら、触れただけであらゆる呪物は消え去るか、無害化する筈だ。
「結局封印することに変わりはないけど、空間ごと吹っ飛ばすのはいけるかな?」
「できれば、完全に祓いたい」
新天地送りにするのもいいかもしれない。本物の理想送りと違って、彼女の術式は願望の重複を条件としない。
そもそも、宇宙に放逐するのはどうだろうか。指が独りでに動くのでなければ、一番楽な解決法だ。その程度五条が考えないわけも無いか、とインデックスは浮かんだアイデアを即座に却下した。
「両面宿儺って大したことないと思うんだけどなあ」
「お言葉ながら。スクナの名は、英国にも届いております」
日本呪術界は、国内の呪物の情報は極力外に出さないようにしている。盗難を防ぐためだ。
特に危険度の高い呪物が保管されている蔵、忌庫の中身についての情報は呪術高専の呪術師でも詳しく知る者は少ない。
しかし危険な呪物であればあるほど歴史に名を残しており、隠しきれないネームバリューがある。
特級呪物ともなれば、各国呪術界の諜報部がその動向をマークするほど。日本が封印を誤ったり制御しきれなくなった時、彼らもまた害を被るからだ。
「だって両面宿儺なんてただの賊、よくて豪族でしょ?」
「ははは。つくづく、君って規格外だね」
強い、という意味での規格外ではない。いや、事実そうではあるのだが、ここでの意味はそういうことではない。
価値観・世界観が違う。呪術師の常識が通用しない。夏油が宇宙人と呼んだのは言い得て妙だ。
呪いの王と畏れ称される存在を、賊呼ばわりとは。五条も思わず笑ってしまった。
だが、そんなことをインデックスは知らない。
知っているのは、彼女の知識の上での『両面宿儺』についてだけ。
インデックスの10万3000冊の魔道書には童話や文学、歴史書も含まれる。その一つ、『日本書紀』によると。
上古、4世紀末から5世紀前半の仁徳天皇の時代。飛騨、現在の岐阜県に鬼神が現れたとされる。
「『
彼の鬼神は、
「その正体については諸説あるけど、いずれにせよヤマト政権、つまり
つまり、両面宿儺というのは呪いでも鬼神でも何でもなく。
時の支配者が自分達に従わない者共を野蛮人と決めつけ、遂には怪物化して貶めただけの存在。
こうして考えると、古今東西に見られる良くある話だ。
流石のインデックスも、どっかの宗教も似たような事してた気がするな、とはマリー達の前では口が裂けても言えない。
「となると、『妖精化』が応用できそうかな」
十字教は異教の神々を悪魔として貶め、神の座から引き摺り下ろしてきた。
しかし土着信仰が根強いと反発も大きい。そこで、時に悪しき存在ではなく妖精として扱うこともあった。
この無力化・矮小化して妖精として扱うという構図を魔術として再現したのが『妖精化』である。
この魔術を打ち込まれた魔神は神の座から強制的に引き摺り下ろされ、人間に戻されてしまう。
対魔神用に開発されたものであり、人間には一切の効果がない。
両面宿儺は、元は只人であったものが鬼神化された存在。強化と弱体化という点では真逆だが、妖精化と原理は似ている。
鬼神――神の名を冠しているのもまた都合がいい。少し改良すれば、力を奪い只人へ戻すという形で妖精化が使えるはずだ。
たとえこの世界の両面宿儺が伝承で
「ただ……この方法を取ると器ごと崩壊する可能性があるんだよね」
オッレルスのように力を失うだけならいいが、オティヌスのように肉体が滅びる可能性は捨てきれない。
また、力を失ったからといって両面宿儺の人格そのものが消えるとは限らない。多重人格、最悪の場合宿主の人格を消し去って乗っ取ることも考えられる。
いずれにせよ、虎杖何某は無事では済まないかもしれない。元々処刑される前提とはいえ、インデックスは自分の手を汚すことを良しとしない。
「五条が『妖精化』を習得するっていうのなら教えるけど」
五条は首を横に振る。
元々、虎杖の死刑を延期したのは彼自身だ。いずれ殺す事は本人も了承済みとはいえ、昨日の今日でやっぱり処分方法見つかったから殺すね、とは彼も言いづらいだろう。
そもそも、暴走したならともかく、五条に本当に殺す気があるのかどうか。
「取り込まれる前の指単体ならなんとかなるかも」
「頼んでおいてなんだけど、それについてはちょっと待ってくれないかな」
宿儺の指を処分する方法が他にあるとなると、虎杖悠仁をどう扱うか上層部で再議論されるだろう。
指を探すためのレーダーとしての役割は見込めるとはいえ、死刑の即執行となってもおかしくない。というか、十中八九そうなるだろうと五条は予想する。
結局、指の処分については保留という事になった。
一方その頃、虎杖は伏黒と共に原宿に居た。
「五条先生、遅いなぁ」
「いつものことだ」
自分の知らないところで、生死を左右する話し合いが行われているとは思いもしない虎杖であった。