蒼海のアルティリア   作:山本ゴリラ

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第110話 おい、決闘しろよ

 ワインの名産地、イルスターの街に滞在すること数日。予定よりも長い滞在期間になったが、いよいよ出発する時がやってきた。

 

「アルティリア様、此度は大変お世話になりました。この御恩は一生忘れません」

 

 一家を代表して、そう言って俺に向かって頭を下げたのは、ウィリアム=アストレア。ロイドの弟だった。

 彼ら一家をイルスターの街に連れてきた後に家族で話し合いをした結果、ウィリアムと彼の母親のエレナはこの街に残り、ゴドリック子爵と一緒に暮らす事にしたそうだ。

 そしてウィリアムは、エレナ以外の子は既に亡く、本人も年老いて弱っている子爵の跡継ぎになる予定だそうな。

 

「僕には父や兄のような武の才はありませんでしたが、政の道で祖父の跡を継ぎ、家族やこの地に住む人々を助けていきたいと思います」

 

 ウィリアムはそう言い、静かな決意を滲ませた。

 

「ウィル、母さんとお爺様を頼んだぞ」

 

「任せてください、兄さん」

 

「ロイド、どうか体に気をつけてね……」

 

 力強く頷く弟と、心配そうに見つめる母に頷いた後に、ロイドはその後ろに控える人物へと視線を送った。

 ゴドリック子爵だ。数日前に目を覚まし、起き上がって事情を知った彼には、逆にこっちが気の毒になるくらいに随分と頭を下げられたものだ。

 

「ロイド……お前にも本当にすまない事をした」

 

「もう良いのです、お爺様。そのおかげで、こうして家族が集まる事が出来たのですから」

 

「ああ……そうだなぁ。こんなに嬉しい事はない……」

 

 ロイドの言葉を聞いて、子爵はゆっくりと頷きながら涙を流していた。

 

 ちなみにもう一人の家族、ロイドの妹のエレナ=アストレアは、既にこの街には居ない。彼女はグランディーノで仕事を探すと言って、既に馬車でグランディーノに向かっていた。

 どうも彼女は地元では商店で働く看板娘だったようなので、絶賛発展中で商売が盛んなグランディーノで、自分の力を試したくなったようだ。いつかグランディーノで一番の商人になると言っていたが、はたしてどうなる事やら。ま、向こうに帰ったら顔を合わせる機会もあるだろう。

 

 そんな感じに領主一家の見送りを受けた俺達は、馬車に乗り込んだ。

 予定以上に長期滞在になった為、馬車に積んでいた生鮮食品などの食料品はこの街の交易所で売却し、代わりにこの街の名産品であるワインを購入し、馬車や装備のメンテナンス、生活用品の購入も全て終え、出発の準備は万端だ。

 イルスターの街を後にした俺達は王都に向けて、街道を南へと進んだ。

 

 

     *

 

 

 それからの旅は特に何事もなく――多少のモンスターや賊の襲撃があったり、道中の村で起こった問題を解決したりはしたが、大して苦労もしなかったので詳細は割愛する――旅は順調に進み、イルスターの街を出立してから数日後、俺達は王都の北に位置する関所へと辿り着いていた。

 峡谷……つまり切り立った崖の間に出来た谷の間に、堅牢な白亜の城壁が高くそびえ立つこの関所は、王都の北方を魔物などの敵対者から守護する難攻不落の城塞として知られている場所だ。

 そして、難攻不落の要塞を守護するのは王国軍に属する部隊。王国軍は貴族諸侯の指揮下にある領邦軍とは異なり、その名の通りに国家と王に仕え、有事の際には国王や王家の人間が指揮し、軍団の中心となる精鋭達である。

 北部から王都に直通するルートは全て、最終的にはこの場所に行き着く事になる為、王都を目指すならば、この関所は必ず通る事になる。そして、ここを通過すれば王都までもうすぐだ。

 

「なるほど。話に聞くだけあって、正攻法で落とすには骨が折れそうだ」

 

 関所というより、まるで砦だ。まあ、実際に攻めるとなれば色々と思いつく手段はあるが……俺が軍を指揮して攻め落とすならば、正面から力押しは避けたいと思う程度には守りが堅い。それならそれで、他にいくらでもやりようはあるけどな。

 

「うおおっ、何だあの立派な馬車の行列は!? あんなの見た事がないぞ」

 

「どこかのお貴族様かのう?」

 

「何だ、あんたら知らないのか? 今、王都じゃあ北から女神様が来られるって噂になってるそうだぜ。恐らく、あれに乗っているのがそうなのだろう」

 

 関所の前には、順番待ちをしている人が多く並んでおり、彼らが俺達の乗る馬車を見て、噂をしている声が耳に飛び込んできた。

 すると騒ぎを聞きつけたのか、関所から揃いの甲冑と兜を身につけ、帯剣した兵士達がぞろぞろと現れて、俺達の馬車に近付いてきた。

 

「女神アルティリア様とケッヘル伯爵様、神殿騎士の皆様ですね。どうぞこちらへ」

 

 兵士達に案内され、俺達は馬車に乗ったまま、あっさりと関所の門を通過した。

 並んで順番待ちをしている人々にとっては不公平に見えるかもしれないが、あそこに居たままだと騒ぎが大きくなる恐れがあった為、仕方が無いだろう。勿論、女神の俺や大貴族のケッヘル伯爵を長時間待たせる訳にはいかないという思惑もあっての事だろうが。

 

「念の為、お荷物を(あらた)めさせていただいてよろしいでしょうか?」

 

「勿論構いません。よろしくお願いします」

 

 とはいえ、万が一にも禁制品や危険物の持ち込みがあってはいけない為、荷物のチェックをするのは当然の事であり、それが彼ら兵士達の仕事なのだから、文句などつけられる筈もない。

 関所を通過したところで馬車を路肩に停車させて、俺達は荷物検査を受ける事になった。

 

「こちらの積荷は交易品ですか?」

 

「はい。こちらが交易所から発行された目録と保証書になります」

 

「拝見いたします。……………はい、問題ありません。やはりグランディーノ交易所の文書は良いですね。他よりも内容が詳細で、それでいて読みやすい。この紙の手触りも良いですね」

 

 お、この兵士君はよく分かってるじゃないか。こういった文書の書式は俺が原案を作成し、それを元に街の官僚や事務員の皆さんから意見を集めながら、より使いやすく、読みやすいように洗練させていった物である。それと、俺自身が信者向けに技能書(スキルブック)を執筆・発行している事もあって、品質にはこだわっているのだ。

 ちなみに俺が発行している技能書『アルティリアのよくわかる〇〇シリーズ』は全て重版がかかっているベストセラーだ。最も売れているのは、小学生レベルの算数について書いた『よくわかる算術の初歩』、野営や野外活動、街の外において緊急時に生存・帰還する為に取るべき行動、避けるべき行動について書いた『よくわかるサバイバルの基本』、港町であるグランディーノではお馴染みの新鮮な魚介を使ったレシピを多数記した『よくわかる家庭料理 魚料理編』等である。

 ちなみにグランディーノ・レンハイム等のケッヘル伯爵領内の書店でしか販売されていない為、お求めの際はそちらに足をお運びください。

 ちなみに『よくわかる弾道学』『よくわかる兵法』の2冊については、絶対に領外、特に帝国には持ち出さないようにという命令が出されているとか。まあ書かれている内容を考えれば頷ける話ではあるのだが。

 

 さて、荷物の検査も粗方終わって、そろそろ出発できるかといった時だった。俺の長くてよく聞こえる耳が、少し離れた場所の話し声を拾った。

 

「おい貴様、何だこの騒ぎは? 原因はあっちに停まってる複数の馬車か?」

 

「大佐殿……三日前に通達があった、女神様の御一行です。現在、お荷物を検めさせていただいております」

 

「ああ……そう言やぁ、何か将軍が朝礼でそんな事言ってたか……?」

 

「はぁ……やっぱ真面目に聞いてなかったよコイツ……いつもの事だけどさ……」

 

 大佐と呼ばれた男がそう言ったのに対して、彼と話していた兵士が聞こえないように、ごく小さい声で呟いた。俺の耳には丸聞こえだが。

 

「ん? なんか言ったかぁ?」

 

「いえ、何も」

 

「それにしても女神ねぇ……? 眉唾物だが、まあ本物か偽物かなんざどうだって良い。問題は美人か、そうじゃないかだ。で、どうなんだ?」

 

 美人だよ(自画自賛)。

 それにしてもこの大佐と呼ばれている男は、なかなか人格に難がある人物のようだ。

 

「大佐殿! その言い様は不敬では……!」

 

「あ? てめえ誰に意見してんだ。いいからさっさと答えやがれ」

 

「……ッ! ……いえ、女神様の御姿は誰も拝見しておりません」

 

「チッ、使えねえ。まあいい、俺が直接見てきてやる。あの、先頭の一番豪華な馬車の中だな?」

 

「大佐殿! 貴い御方の馬車を勝手に開け、御姿を見るなど我々には……ぐあっ!」

 

 殴打音と、人が地面に倒れる音がした。

 

「てめえ、さっきから上官に対してゴチャゴチャ意見しやがって、何様のつもりだ! この俺をなめてんのか!」

 

 その怒鳴り声は、俺でなくても聞き取れた事だろう。馬車の周りに居る兵士からも、

 

「何だ……? またボルカノ大佐が騒いでるのか?」

 

「あの人は本当に……勘弁してくれよ……名門出身で大きな武功を立てて、王子の後ろ盾があるからって、いつもやりたい放題しやがって……」

 

「何もこんな時に……おい、誰か手が空いてる奴いたら、急いで副官殿を呼んできてくれ! 流石に今騒ぎを起こされるのは非常にまずい!」

 

 と、次々に声が上がっていた。

 俺の向かいの席座っていたニーナは、聞こえていた怒鳴り声に猫耳を畳んで警戒を強めており、その隣に座るアレックスは腰を浮かせて、臨戦態勢に入っている。

 

「大佐殿! お下がりください!」

 

「いけません大佐殿!」

 

「ええい、やかましいぞ貴様ら! 上官に楯突くつもりか!」

 

 聞こえてくる声や音から、大佐が兵士達を突き飛ばしながらこちらに向かって近付いてきているようだ。

 そして彼が馬車に接近しようとしたが、そこに立ち塞がる者がいた。つい先程まで、馬車の外で兵士と話していたロイドだ。

 

「お待ちを。女神様への狼藉は見過ごせません。それ以上近付くのならば剣を抜きます。お下がり下さい」

 

 刀の柄に手をかけ、馬車の扉を遮るように立つロイドがそう警告した。それと同時に、他の海神騎士団のメンバーも、いつでも武器を抜けるように身構えているようだ。

 アレックスも拳を握り、馬車の外に飛び出そうとしている。俺はそれを、肩をポンと叩いて止めた。

 

「なんだとぉ……? って、おい貴様、まさかロイド=アストレアか?」

 

 なんと、この男はロイドの事を知っていたようだ。イルスターの街でのゴドリック子爵といい、旅に出てからはロイドに縁のある者と会う機会が多いな。

 しかしゴドリック子爵の時とは違って今回のこれは、縁は縁でも悪縁のようだが。

 

「……どうも、お久しぶりですねボルカノ中佐……いえ、今は大佐でしたか」

 

「これは驚いた。軍を追放された横領野郎が、随分とまあ立派な神殿騎士様に化けたじゃねえか。……で? 今度はどんな不正をして、女神様に取り入ったんだ?」

 

「あれは濡れ衣であると申したはずです。今も、かつて貴方の部下だった時も、私は誓って不正など働いてはおりません」

 

「ふん……強情なのは相変わらずか。軍に居場所を無くして追い出されても、性根は変わらんと見える。六年前にも言ったが……やはりあの男の息子か、血は争えんなぁ!」

 

「結構。例え反逆者と呼ばれ蔑まれようとも、私は父上の息子である事を誇りに思っている。貴方の言葉など、もう私の心には何も響かない。……もう一度だけ警告します。お引き取りください」

 

 ロイドの過去については……詳しくは知らず、過去に王国軍に所属していて、横領の濡れ衣を着せられて軍を追放された事を軽く聞いた程度だが、その時に目の前の男から同じ罵声を浴びせられた時は、大層傷ついたのだろうと想像がつく。

 しかし、どうやらイルスターの街での一件で、ロイドの中にあった父親への蟠りは完全に無くなったようだ。口汚く罵られても、全く動じていない。精神的に一皮剥けた、より大きくなったみたいだな。

 

「きっ、貴様……この俺に向かってよくもそのような口を! 分かっているのか、貴様! この俺は第一王子アンドリュー殿下の覚えもめでたい、王国軍大佐ボルカノ=カンパーノ様だぞ!」

 

 さて……そろそろ馬鹿が大声で馬鹿な事を言ってるのを聞くのも飽きてきたところだ。俺は座席から立ち上がり、ドア越しにロイドに声をかけた。

 

「ロイド、扉を開けなさい。どうやらその男は私の姿を見たいようだ。ならば見せてさしあげよう」

 

「アルティリア様、よろしいのですか?」

 

「構いません。扉を開けなさい」

 

「……仰せのままに」

 

 ロイドが馬車の扉を開く。俺は子供達に、中に居るように伝えた後に、颯爽と大地へと降り立った。

 

「ボルカノとやら、これで満足か」

 

 俺は目の前に居る、頭髪が薄い三十代半ば程の筋肉達磨を見下ろすように冷たい視線を向けて、そう言い放った。

 ボルカノ大佐は少し腹は出ているが、流石に武功を重ねている軍人だけあって、よく鍛えられているようだ。軍人や戦士としては、まあ無能ではないのだろう。

 だが今までの言動から既に明らかではあるが、人間としてはだいぶ……いや、相当にアレな人物のようだ。今も視線が俺の顔から下のほうへと向かって動いていき、ある一点で止まって顔がだらしなく緩んでいる。

 

 俺は隣に立つロイドに向かって言った。

 

「ロイド、手袋を」

 

「アルティリア様!? 何も自ら手を下さずとも、そのような事は私が……」

 

「構わん。私がやると言っているのだ」

 

 俺は決断的にそう言ってのけた。俺の意志が固いと見て、ロイドはうやうやしく跪いて、俺に向かって汚れひとつ無い、純白の手袋を献上した。

 俺は右手でそれを受け取り……ボルカノ大佐の顔面に向かって、勢いよく投げつけた。

 

「この私に対する不愉快な視線は、まあ赦そう。権力を笠に着ての横暴も、実に気に入らんがわざわざ手を下す程でもない。しかしそれらに加えて我が騎士に対する再三の侮辱とあっては、最早赦し難い」

 

 突然の事態に目を白黒させている彼に向かって、俺は言った。

 

「拾え。貴様に決闘を申し込む」


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