蒼海のアルティリア   作:山本ゴリラ

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第134話 紺碧の女王※

 魔神将ウェパル。

 それは遥か昔の神代の時代に、小人族の王レグルスと、大海神マナナンによって敗北し、倒された筈の存在だった。

 しかし、かの存在は未だ完全には滅せず。反射された自らの権能によって肉体は朽ち果てて腐敗し、理性や知能の大部分を失ってしまっても、深き海の底にて生き永らえていた。

 長い、途方もなく長い時間、ウェパルは眠りについていた。目覚めたのはつい最近の事である。

 忌まわしき神の気配と、それによって同胞――とはいっても、魔神将たちの間に仲間意識のようなものは無いが――の魔神将、フラウロスが滅びた事を感じ取った事で、ウェパルは長い微睡みから目覚めた。

 目を覚ましたウェパルが感じたのは、強い怒りと憎しみ、そして強烈な飢餓感であった。腐敗した巨大な肉の塊のような姿をして、海底に沈んでいたウェパルは、手始めに自らの身体の一部を触手状に変化させ、海底の生物や植物を捕食し始めた。

 

 しかし足りない。全くもってこの飢えを満たすには物足りない。ウェパルは貪欲に、そして手あたり次第に目につく物を捕食していった。

 そんな時に、ウェパルが潜む場所の近くに落ちてきたアンデッド(骸骨船長)は美味かった。骨だけで肉は無いのは不満だが、それが抱えていた恨みや憎しみは、魔神将にとって極上の餌であった。

 

 そのようにして、ウェパルは次々にあらゆる物を捕食しながら更に巨大化し、遂には海域中の生物を食らい尽くす程になった。

 そんな時に、ウェパルは不快な気配を感じ取った。何者かが自分を認識し、見ようとしている気配だ。

 かつての美しい人魚の姿は見る影も無く、腐敗した醜い肉塊と化したウェパルにとって、己を見つめようとする視線は何よりも不快なものであった。激しい憎悪と共に、ウェパルは殺気を撒き散らした。

 

 自分を見ようとしていた者が去っていったのを認識し、満足したウェパルであったが、しばらくした後に、先程の行為によって他者が自身の存在に気付いてしまった事を認識した。

 

 実に面倒だ。人間共など戦えば敵ではないが、この醜い姿を晒すのは嫌だ。

 ああ、そうだ、配下の者に奴等を殺させよう。

 そう考えて、ウェパルは己の眷属へと呼びかけた。

 

 その呼び声に応えたのは、青緑色の髪を持つ人魚の女(マーメイド)だった。

 名は、紺碧の女王(クイーン・オブ・アズール)

 最古の人魚にして、その名の通り、人魚族の女王……その初代である。

 

「あらあら、随分とお久しぶりですわね創造主サマ。ようやくお目覚めですか? それで、今更この私めに何の御用で?」

 

 魔力による念話によって、そんな言葉を返してくるしもべに、ウェパルは命じた。

 

 ――殺せ。

 

「指示は具体的にしてくれませんこと? いったい何を殺せばいいのやら」

 

 ――人間を殺せ! ヒューマンを、エルフを、ダークエルフを、ドワーフを、小人族を、巨人族を、龍人族を、鬼人族を、ありとあらゆる人間種と亜人種を殺せ! 神を殺せ! 人類に与する裏切者の人魚族や魔物共も殺し尽くせ! この私を見ようとする、ありとあらゆる者を滅ぼせ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!

 

 尽きる事のない憎悪に駆られながら、本能のままにウェパルは叫んだ。彼女の中から既に理性は失われており、あるのは狂気的な憎しみだけだ。

 

 そして、そんな命令を受けた紺碧の女王は……

 

「はぁ……全く、創造主サマにも困ったものですわねぇ」

 

 呆れたようにそう吐き捨てると、その端正な顔を忌々しげに歪めた。

 

「それにしても……あんな醜く、無様な姿にされても、まだしぶとく生きてるとは思いませんでしたわぁ。やれやれ……美しい間に、さっさと滅びておけばよかったものを」

 

 主に対して言いたい放題の紺碧の女王だが、彼女の中には既に、主に対する敬意などは欠片も残っていなかった。

 何故なら、彼女が敬愛し、忠誠を誓っていたのは強く、美しかった魔神将ウェパルだからだ。神がついていて、本人も英雄級の力を持つ者だったとはいえ小人族なんぞに敗北した挙げ句に、あのような醜い姿になって知性も失った存在に対して、忠誠を誓う気にはなれなかった。

 とっくの昔に死んだものとして扱い、一匹の人魚として気楽に生きていたというのに、そいつが今更になって起きてきて、無茶な命令を一方的に下してきたのだ。文句の一つも言いたくなるだろう。

 

「まぁ、あんなザマとはいえ一応は創造主サマですし、命令には逆らえませんわね。しかし殺せと言われましてもねぇ……」

 

 単騎で人間の街に突撃して、手当たり次第に殺せとでも言うのか。そりゃあ出来なくはないし、並の人間など何人来ようが相手にならず、一方的に殺せるだろうが……

 

「そんなお馬鹿さんみたいなやり方は御免ですわ。何より美しくない」

 

 どうせやるなら効率的に、美しくやるべきだ。

 紺碧の女王はそう考えて、まずは情報を集める事にした。まずは変化の魔法を使って、人間に擬態して街に潜り込む。

 そうして彼女は、人間の女に化けて近くにある港町へと潜り込み……

 

「どうなっていますの、この街は……」

 

 住民の大半が戦闘技能持ちで、冒険者や軍人のような者達の中には英雄級に手が届きそうな連中がちらほらと存在しており、中にはこちらの擬態を見破りかけていた者もいた。遠目に見られただけなので気付かれなかったが、近くに長時間居たり、直接話していたら看破されていたかもしれない。

 彼ら一人一人の力量は、紺碧の女王に比べればかなり格下であり、戦えば負ける事はないだろうが、

 

「流石にあんな魔境に無策で単騎正面突破とかあり得ませんわ……」

 

 あんな連中に囲まれるとか冗談じゃないと、紺碧の女王は早々にその港町……グランディーノを脱出した。

 続けて幾つかの町や村を回って情報を集めると、分かった事が幾つかあった。

 

「アルティリア……フラウロス様を倒したという女神ですか。彼女が拠点にしているのが、あの港町だったという訳ですわね。あの町の住人の戦闘力が異様に高いのも、その影響ということですか」

 

 その女神は、現在王都に向かっており不在だというのは幸いだった。仮に正面から喧嘩をふっかけて、その女神が出てきたら最悪だった。いくらなんでも魔神将を正面から打倒し、滅ぼした相手とタイマンなど御免被る。

 しかも集めた情報によれば、深海に潜む危険な何者か――つまり魔神将ウェパルの事だ――の存在をグランディーノの住人の一人が察知した事で、それを知らせる為の伝令が女神の下に向かっているという。

 

「まずはその伝令を人知れず始末して、情報をシャットアウトするべきですわね……」

 

 紺碧の女王は方針をそう決めて、王都方面へと向かった。そして数日後、彼女は馬に乗って街道を進む伝令の男たちを発見し、人目の無いところで襲撃し……

 

「はぁ……してやられましたわね」

 

 紺碧の女王が溜め息をこぼす。男達のほぼ全員を始末できたものの、彼らの激しい抵抗のせいで戦いが長引き、目撃者が増えた。

 不幸な目撃者達も同じように始末したが、厄介な事に伝令の一人に逃げられてしまったのだ。

 しかし、良い事もあった。それは、戦った男達が美しかった事だ。

 容姿が、ではない。紺碧の女王が美しいと感じたのは、彼らの目と、その行動であった。

 伝令の男達は、勝ち目の無い強敵との戦いに臆する事も、諦める事もなく果敢に立ち向かい、そして最も若い隊員を生き残らせる為に先に逃がすと、決死の覚悟で足止めや時間稼ぎに徹し、その命を散らせた。

 

「美しい散り様でしたわ。実に素晴らしい。殿方はやはりこうでなくては」

 

 強敵に対して勇敢に立ち向かう勇者達の戦いぶりを目にし、その彼らの命を自らの手で摘み取った事に深い快感と高揚感を得て、紺碧の女王は淫靡な笑みを浮かべた。

 彼女はとにかく美しいものが好きだ。ゆえに敵であっても、彼女の基準で美しいふるまいを見せた者には惜しみない賞賛を与える。まあ、そんな美しい存在を自らの手で殺害・破壊する事に強い快感を覚える、度し難い性癖の持ち主でもあるのだが。

 そして逆に、醜悪なものに対しては、例え自らの創造主であろうと嫌悪・侮蔑している。

 

「それはさておき、逃げた者を追跡しないとですわ」

 

 冷静さを取り戻した紺碧の女王は、そう呟いて生き残りを始末する為に動き出そうとした。しかし、その時だった。

 

「おっと、その必要はありませんよ」

 

 何者かが彼女にそう声をかけてきた。それと同時に、足下に何かが転がってきたではないか。

 その転がってきた物は……先程逃げた筈の、若い伝令の男の頭部だった。首は鋭利な刃物で綺麗に切断されている。

 紺碧の女王は、それを投げてよこした者へと視線を向けた。するとそこには、黒い燕尾服を着て、頭にはシルクハットを被り、顔をのっぺりした仮面で覆った長身の男が立っていた。

 その男の名は、地獄の道化師(ヘルズ・クラウン)。紺碧の女王と同じく、魔神将の眷属だ。どの魔神将が生み出した者なのかは不明だが、何やら悪だくみをしているようで、各地で頻繁に暗躍している姿が目撃されている。

 

「どうやら失敗して一人、逃がしてしまったようですので、僭越ながらお手伝いをさせていただきました。つきましては……そのお礼にといってはなんですが、貴女様に一つお願い事がございまして」

 

(クッソ醜くて面倒臭い奴が来やがりましたわ……!)

 

 こちらを揶揄うように、上ずった声と慇懃な口調でそう語りかけてくる地獄の道化師を前に、紺碧の女王は露骨に顔をしかめたのだった。

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