蒼海のアルティリア   作:山本ゴリラ

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第56話 騎士の戦い※

 ロイド=アストレアは愛刀を振り抜いた姿勢のまま、駆けてゆくアルティリアの後ろ姿を見送った。そうしながら、眼前の敵にも油断なく注意を払う。

  信奉する女神が扉の奥へと消えると、彼の視線は改めて敵――紅蓮の騎士へと向けられた。ロイドや彼が率いる海神騎士団にとっては、因縁のある相手だ。

 

「行かせて良かったのか」

 

「構わぬ。もはや我が主の降臨は秒読み段階に入った。かの女神が向かったとて手遅れよ」

 

 ロイドの問いに、紅蓮の騎士は顔全体を覆い隠す兜の奥で、重く低い声を上げてそう答えた。それによってロイド達は、アルティリアが何の為に自分達にこの場を任せたのかを知るのだった。

 しかし、それを聞いたロイド達の心に動揺は無い。

 魔神将。この紅蓮の騎士が主と崇める、恐るべき存在。この世界の生きとし生ける者全ての天敵。それが現れると聞いても、ロイド達は誰一人として恐怖する事なく、逆に奮起する。

 

 女神に仕え、彼女の下で戦うと決めた時から、魔神将と戦う覚悟は出来ている。そして彼女が魔神将の降臨を止める為に単身で向かった今、出来る事は二つ。

 一つは、アルティリアが魔神将の降臨を食い止めるか、あるいはかの存在を打倒する事を信じる事。

 そしてもう一つは、任されたこの戦場で戦い、勝利する事だ。

 

「ゆえに、行かせたとて問題は無い。かの女神と戦う機会が無くなったのは惜しいが……それ以上にロイド=アストレア、貴様に雪辱を晴らしておきたいと思ってな」

 

 紅蓮の騎士が言っているのは、かつて戦った時の事なのだろう。あの時は紅蓮の騎士が放った必殺技を、ロイドが捨て身の上級魔法をもって打ち破った事で、辛くも勝利を拾う事が出来た。

 

「こちらとしても望むところだ、紅蓮の騎士。実を言うと俺も、お前と再び戦いたいと思っていたところだ」

 

 勝利したとはいっても、その代償にロイドも瀕死の重傷を負い、アルティリアの助けが無ければそのまま三途の川を渡っていた事は間違いない。

 そして、そこまでしても紅蓮の騎士に手傷を負わせ、撤退に追い込むのが限界だった事を考えれば、ロイドにとってもあの勝利は手放しで喜べるような物ではなく、勝ちを譲られたという思いが心の奥底にこびり付いていた。

 同時に初めて戦った、魔神将の配下という圧倒的な強敵の存在は、ロイドの心に強い印象を残していた。ゆえにロイドは、この魔物とは再び戦う事になるだろうと考え、その日の為に修行を積んできた。

 

「そこで、一つ提案があるんだが」

 

「聞こう」

 

 ロイドは腰のベルトに付いている道具袋から、ある物を取り出した。

 

「そ、それは!?」

 

「正気か団長!?」

 

 取り出された物を見た神殿騎士達が目を見開くが、構わずにロイドは手にとったそれを、紅蓮の騎士の胸元へと投げつけた。

 ロイドが投げた何かが、紅蓮の騎士の身を包む堅固な赤い鎧の胸部へと当たり、そのまま地面に落下した。

 足元に落ちたその物体に目をやった紅蓮の騎士が、その名を口にする。

 

「何だこれは……手袋だと? こんな物を投げて、一体何のつもりだ?」

 

「知らんのか? 騎士を名乗る癖に不勉強だな。それは騎士にとっての決闘の合図だ」

 

 そう……ロイドが投げつけたのは、白い手袋であった。

 神殿騎士たる者、仮に誰かに己が仕える神の名誉や誇りを傷つけられたならば、いついかなる時でも身命を賭して戦わなければならないが、だからといっていきなり抜刀して斬つけたり、殴りかかったりするような真似は騎士として失格レベルの不名誉である。決闘にはそれに相応しい、由緒ある仕来りがあるのだ。

 ゆえに神殿騎士達は、そのような時の為にこの手袋を常に持参していた。

 

「拾え。それが決闘を受けるという合図だ」

 

「……よかろう」

 

 紅蓮の騎士が身を屈めて、地面に落ちた手袋を拾い上げると、それは一瞬で燃え尽きて消し炭と化した。決闘の成立だ。

 これにより、これから始まる戦闘は1対1での戦いになる。騎士が決闘を申し込み、相手がそれを受けた以上、誰であろうと手出しをする事は許されない。

 

「一人で戦うなんて、何考えてるんだ団長は!?」

 

「ロイドさんを信じましょう。決して勝算も無く、あのような事をする人ではない筈です。それは付き合いの長い貴方達のほうが、よく分かっているでしょう」

 

「そりゃあそうですが……」

 

 独断でそれを決めたロイドの判断に異を唱えようとする団員も居たが、クリストフは彼らを宥めて、ロイドを見守る事に決めた。

 あの日……紅蓮の騎士との最初の戦いの後、ロイドは危うく命を落としかけ、アルティリアが精霊を派遣し、貴重なアイテムを使ってまで助けてくれた事で、己の弱さを恥じた。そして、どんな強敵が相手だろうと二度と負けない為に己を鍛え続けてきた。

 その姿をずっと見てきたから、あるいはあの紅蓮の騎士にも勝てるのでは……と期待を抱くのだった。

 

「我が名はロイド=アストレア! 女神アルティリア様に仕える神殿騎士也! いざ尋常に勝負!」

 

「我が名は紅蓮の騎士! 魔神将フラウロス様の忠実なる僕也! その蛮勇を後悔させてやろう!」

 

 名乗りを上げ、決闘が始まると同時に、紅蓮の騎士が凄まじい熱を放ち、その全身から燃え盛る炎が噴出した。彼が身に纏う炎のオーラ……爆炎闘気を全開にしたのだ。

 その燃え盛る闘気によって、並の戦士であれば近付くだけで炎に焼かれ、一太刀も交える事なく焼かれ死ぬだろう。仮に耐えられたとしても炎が身を焼いて継続的にダメージを与え、熱が体力を奪っていく為、戦いが長引けば長引くほど不利になるのは自明の理だ。

 また、射手による矢も紅蓮の騎士に命中する前に消し炭になり、生半可な魔法も無力化される。まさに攻防一体の難関である。

 

「くっ、何てオーラだ! あの時よりも更に巨大に、激しくなっていやがる!」

 

「離れていても圧力がとんでもねぇ……!」

 

 後ろで見ている事しかできない神殿騎士達が、以前戦った時よりも更に強大になっている爆炎闘気を目にして戦慄する。

 

「よもや忘れてはいないだろうな。我が爆炎闘気、どう攻略する!」

 

 紅蓮の騎士が左手を正面に向かって突き出すと、彼の意志に従って炎が勢いを増しながら、ロイドを焼き尽くそうと襲い掛かった。

 抵抗する間もなく、一瞬の内にロイドの体が炎の中に消える。

 しかし、それはロイドの敗北を意味するものではない。十秒ほど経過した後に炎の勢いが弱まり、その中から現れたロイドは無傷の姿だった。その肉体だけではなく、身に着けた鎧やマントにも焦げ跡一つ残っていない。

 

 そしてロイドはその体に、うっすらと闘気を纏っていた。紅蓮の騎士が纏う爆炎闘気のような大きく激しいものではなく、むしろ真逆でロイドが纏う闘気は小さく、静かなものだった。

 それは彼が信奉する女神の髪の色によく似た透き通った水色の、静かな湖面の如き水属性の闘気であった。これによってロイドは炎から身を守る事が出来たのだった。

 

「これが俺の答えだ。闘気を操れるのが自分だけと思うな」

 

「確かに貴様の闘気がはっきりと見える……! この短期間でそこまで体得するとは、敵ながら見事と言っておこう。だが、その程度の貧弱な闘気で我に勝てると思うたか!」

 

 紅蓮の騎士が更に火力を上げ、爆炎闘気が猛火となって襲い掛かる。だが次の瞬間に紅蓮の騎士は、そして後ろで見ているロイドの仲間達は驚くべき光景を目にするのだった。

 

「見ろ! 団長の闘気が、奴の爆炎闘気を全て受け流している!」

 

 一見小さく弱弱しいロイドの闘気は、最大出力の爆炎闘気の前に圧し潰され、飲み込まれるかのように見えたが、実際は違った。ロイドは身体に薄く纏った最小限の闘気でもって、爆炎闘気を完全に受け流していたのだった。

 

「確かに俺の闘気は量も、強さもお前には遠く及ばない。だがしかし、戦いは闇雲に火力を上げれば良いという物ではないということだ」

 

 真っ直ぐにそう言い放ちながら、ロイドはこの二ヶ月あまりの間に、アルティリアに稽古をつけて貰った事を思い出していた。

 貪欲に強くなろうと努力するロイドに、アルティリアは惜しみなく自身の持つ知識や技術を与え、戦いに臨むにあたって大切な事を幾つも説いてくれた。

 

「正面から戦う事だけが戦いではありませんよ、ロイド。力に対して力で立ち向かえば、仮に勝ったとしても必要以上に傷を負う事になります」

 

「決まった形がなく、どのようにも変われるのが水の一番優れているところです。相手の戦い方に合わせて柔軟に対応する事が肝心ですよ」

 

 言葉は優しいが訓練は厳しく、遠慮なくボコボコにされた後に回復魔法で治療され、休む間もなくそれを何度も繰り返すような拷問じみた代物だったが、アルティリアの教えは確かにロイドの血肉となっていた。

 

「大したものだ……見縊っていた事を詫びねばなるまい」

 

 紅蓮の騎士が、更に闘気による圧を強める。ロイドは僅かに後退に、襲い掛かる猛火を受け流し、勢いが弱まったところで爆炎闘気を押し開きながら前進する。

 

「凄ぇ! 団長は奴の闘気を完全に見切っている! 敵が押してくるなら引きながら受け流し、敵が引くなら流れに逆らわず、すかさず前に出る!」

 

「あれほどの業火の中で冷静で的確な判断を……! あの、以前よりも火力を増した爆炎闘気の中では仮に俺達が加勢していたとしても、逆に団長の足を引っ張っていたかもしれねぇ……」

 

「だから団長は一人で決闘を挑んだのか……流石団長だと言いたいが、力になれないのが悔しくもあるな……」

 

「ならばせめて、あの戦いを見逃さずに己の糧とするぞ。アルティリア様もおっしゃっていただろう、見る事もまた戦いだと」

 

 団員達は瞬きする間も惜しいと、目を見開いて両者の決闘を見届ける。

 

「闘気の量や火力、そして闘気を扱う技術自体は圧倒的に紅蓮の騎士が上だ。流石に経験の差は大きい。しかしながら団長は火に対して水と属性相性で優位に立ち、更に闘気の性質もまた、奴の剛の闘気に対してそれを受け流す柔の性質を持つ」

 

「どうした急に」

 

「地力で上回る紅蓮の騎士に対し、相性でその差を埋める団長……総じて戦況はほぼ五分と見るべきだ。実力者同士の互角の戦いは、一瞬の判断が勝敗を分ける事になる。この勝負……あるいは一瞬で決まるかもしれんぞ」

 

「なるほど。つまり益々目が離せんという事だな……!」

 

 解説が得意な団員が話した通り、紅蓮の騎士は一撃で勝負を決める構えを見せた。理由は属性や戦い方の相性が悪い相手の為、長引くと自分が不利になりかねないと感じた事が一つ。そしてもう一つは、ロイドの成長と実力に敬意を表し、自身の最高の技で葬るべきと考えたからだ。

 一方ロイドもまた、紅蓮の騎士の考えを察知した上で、それを迎え撃つ姿勢だ。必殺の一撃を受け流してのカウンターで勝負を決める腹積もりのようだ。

 

 両者の視線が交差する。二人は互いの思考が手に取るように分かった。

 

(この一撃で決着をつけてくれる。受け流せるものならやってみるがいい)

 

(望むところだ。いつでもかかって来い!)

 

 紅蓮の騎士が両手に持った大剣を大上段に構えた。そして、彼の身体を包んでいた爆炎闘気が消えたように見えた。しかし違う。消えたのではなく、闘気が全て、彼が振り上げた大剣の刀身へと集まったのだ。

 

「爆炎闘気が全て奴の剣に! とんでもねぇ熱量だ……! あんなモン食らったら、ただでは済まねぇぞ……!」

 

「だが同時に、奴は自分の身を守る闘気をも全て攻撃に注ぎ込んだから、守りはだいぶ薄くなった筈だ! そして奴の構えは防御を捨てた大上段、団長のカウンターが決まれば、奴の方こそただじゃ済まん……!」

 

「団長は……居合の構えか。紅蓮の騎士の攻撃を回避しつつ、神速の居合でカウンターを決めようとしているんだな」

 

「静かに! ……始まるぞ」

 

 全員が注視する中、両者は示し合わせたように同時に動きだした。

 

「ぬうううんッ!!」

 

「はああああッ!!」

 

 力強い踏み込みと共に、爆炎を纏った大剣を振り下ろす紅蓮の騎士と、姿勢を低くして駆け抜けながら、流水を纏う刀を鞘から抜き放つロイドの姿が交差する。

 

 すれ違い、紅蓮の騎士は大剣を振り下ろした姿勢で、ロイドは刀を振り抜いた状態で、それぞれ背中合わせに停止する二人の騎士。

 明暗が分かれたのは一瞬の事だった。

 ロイドが右手に握った、全身全霊の居合を放って振り抜かれた状態の彼の愛刀、アルティリアから授けられた銘刀『村雨』の刀身が、中ほどから真っ二つに折れる。

 それを見た者達は、ロイドの敗北を覚悟した。しかし次の瞬間……

 

「見事だ、ロイド=アストレア。我が最大の一撃……敗れたり!」

 

 紅蓮の騎士の身体を覆う赤い甲冑の、胸の部分に横一文字に亀裂が走り、大きな裂け目が生じた。そして、その甲冑の下から鮮血が噴き出した。

 大剣がその手から滑り落ち、地面に落下して重い金属音を響かせた。そして紅蓮の騎士の身体からも、力が失われようとするが……

 

「お、俺は紅蓮の騎士……魔神将フラウロス様の忠実なる僕……! 敗れたとはいえ誇りがある! 二度も膝を地につけはせぬ……!」

 

 最後の力を振り絞り、紅蓮の騎士は倒れようとする自らの巨体を全力で押し上げ、仁王立ちした。このまま立った状態で絶命しようとするつもりのようだ。

 

「紅蓮の騎士……敵ながら見事! まことの騎士の死に様よ」

 

 その死に様にロイドや他の神殿騎士達は、騎士として見習うべきものであるとして最上の礼をもって見送る事にした。

 

 しかし、そんな彼らの心意気を踏みにじるかのように、その場に乱入してきた者があった。

 

「紅蓮の騎士よ、貴様には失望したぞ……」

 

 虚空に浮かぶ、赤く輝く燃える瞳。両目の形をした炎だけが空中に浮かんでいる、異様な光景。それを見た瞬間、ロイド達は心臓を鷲掴みにされたかのような感覚を覚えた。

 絶対的な上位存在による、抗いようもない魂に刻まれた本能的な恐怖だ。すなわち、この存在こそが敵の親玉、魔神将である事は疑いようもない。

 

「フラウロス様……申し訳ありませぬ」

 

「まあ、よかろう。計画は最終段階に入った。最早貴様とその小僧との間の勝敗など、どうでもいい事だ」

 

 フラウロスが地獄めいた低い声でそう告げると共に、突然空中に炎で出来た巨大な手が出現し、それが紅蓮の騎士の身体を掴み上げた。

 

「それに、これからやる事を考えれば、死ぬ寸前まで弱ってくれた事はむしろ都合がよい」

 

「フ、フラウロス様、何を……?」

 

「現在、最下層では我が化身があの女神と戦っているのだが……随分と手古摺っておってなぁ? お陰で門を完全に開くどころか……このままでは、もしかしたら追い返されてしまうかもしれんのだよ。万が一にもそうなれば計画の全てがご破算だ。よって早急に門を開かねばならん。門を開き、我自身がこの世界へと降臨できさえすればあの女神如き、容易く瞬殺してくれよう」

 

 掴み上げる炎の腕に徐々に力が入り、紅蓮の騎士の身を包む鎧がミシミシと悲鳴を上げる。

 

「しかし先に言った通り、あの女神のせいで力が削られていてなぁ……早急に力を補給する必要があるのだが、その為には贄が必要なのだ。ここまで言えば鈍い貴様にもわかるだろう? 我が降臨の為に、貴様の命を寄越せと言っているのだよ」

 

 ぐしゃり。紅蓮の騎士が巨大な炎腕に握り潰されると共に、その体が炎に包まれ、一瞬にして灰燼と化した。

 ロイドの目には紅蓮の騎士は最期の瞬間に抵抗する力を抜き、死を受け入れたように見えた。

 彼が死の直前にどのような感情を抱いたのかはロイドには分からない。信奉する主に使い捨てられた事に絶望したのかもしれないし、もしかしたら自身の死をもって、主の望みを叶える事が出来た事に喜びを感じていたのかもしれない。

 その答えを知る事は不可能であるし、真実がどうであったとしても、ただ一つ言える事がある。それは……

 

「魔神将フラウロス! 貴様は騎士の、男の死に様を辱め、誇りを踏みにじった! その罪、万死に値する!」

 

 ロイドは水で刃を形成し、折れた村雨でフラウロスの腕に斬りかかった。


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