ハッキリ言って僕はもう終わったジョッキーだ。そう思ってしまう時が何度もある。自分がこの業界でやっていくことを決意した理由は「父親の馬に乗る姿に憧れた」「勝てばお金が沢山貰える」この2つ。とても単純だ。
父親は天才騎手として名高く、ある時は王道の走りを、ある時は予想外の奇策を用いて凄い数の名馬のレースを演出してきた。僕がデビューする頃には怪我が原因で騎手を引退して調教師になっていたけれど。
そんな父の姿に憧れて競馬学校に入学し試験を受け、騎手としてデビューした。
父の名は
相馬の子供もやはり上手いな
父親の遺伝子をしっかり継いでいる
そんな父親の後継としか思われていないような世間の声。どれだけ馬に乗っても、どれだけ重賞を取ってもG1には手が届かない。
重賞すら取れない騎手だって少なくないんだ。自分はよくやっている。そんな慰めの言葉を自分で脳裏に浮かべるたびに死にたくなった。次第に平場の騎乗も荒い乗り方が増え、流石にコレはやばいなと自分でも気づき始めた時、転機が訪れる。
とある馬に乗って勝ち取った菊花賞。僕は勝った後も暫く自分で現実が信じられず…そして一気に込み上げた感謝でずっと泣いていたのを覚えている。
そこからは自分に自信が持てた事もあり、騎乗はより洗練され、その度に新たな名馬との出会いを繰り返し10年と少しが経った。スランプに陥る事も多々あったがそれでも、その頃には僕と立場は確立されていた。
『天才』その称号はかつての様な父を受け継いだ様なものではない。
『相馬 実の息子』から逆に『相馬 早人の父親』と父を呼ばせることが出来るくらいには。その事を調教師となった父にそっけなく語りかけると大笑いしながら「これからも頑張れよ」とそう言ってもらえた。
三冠馬ジョッキーにもなることが出来た。人生初めてのダービーの時と同様に大きな感動を覚えた。わずか4歳まででかつての無敗の三冠馬のG1勝利数に並ぶ事もできた。かなり体の動かし方がダイナミックであった事や、性格にやや難がある事から「相馬早人じゃないと乗りこなせない」とまで言われた馬だが僕からすれば最高の馬だ。ただ出来る事なら、もう一年、凱旋門賞をやり直したいとは思ったけれど。
しかしその数年後、僕は落馬により全治10ヶ月の重傷を負った。クラシック王道路線の最初の大舞台、皐月賞のことである。一番人気に乗っており、スタートすぐに落馬してしまった事で「忖度だ」「出来レース乙」なんて心無い言葉を吐かれているのも知っていたけれどそれよりも辛いことがあった。
自分無しで日本競馬が回っている事だ。子供の時に抱いたもの、大人としての自分を磨いてくれたもの、今の自分の全て、それらが全て失われようとしているのだ。利き手である右腕の複雑骨折。奇跡的に完璧に治りはしたけれどもリハビリにはかなりの時間を費やした。馬に乗れない時間も当然長く、そんな中でも行われるG1レースはかつての惨めな過去の自分をほじくり返されている気分にさせた。
自分は…天才は…相馬早人は騎手としてはもう終わったのだ。
復帰後…平場では経験の差もあり勝てはするが、重賞級の能力を持つ馬を過去の様に御すのは厳しくて勝てない時期かなり長くが続きヤサグレていた時。僕にある騎乗依頼が届いた。このオーナーには沢山良い馬に乗せてもらっているし、今も重賞で勝ち切れていないのに良い馬を回してくれている本当に良い人だ。
「あの〜ノーブルスクラッチの子供なんですけどね…」
かつて共に三冠路線を制覇した馬だ。僕にとって英雄の様な存在、酸いも甘いも沢山味わってきた。
あれよあれよという内に約束は取り付けられたが当の馬はまだデビューしていないらしい。
その後、どうしても直接紹介したいというオーナーの意向の下、休みである月曜日に預けられている牧場に足を運ぶことにした。
「それでですね〜…こういう理念のもと配合されてですね〜…」
衝撃であった。自信満々にオーナーは語っているが僕はそれどころではなかった。いや、オーナーがここまで売り込んでくるのも分かったような気がした。吸い込まれる様な瞳、均整は取れているが同年代の馬と比べると少し小さめの体格、美しい青鹿毛、えらく器用な足運び。胸が熱くなり、呼吸が早まる。ふと、馬がこちらに気付いた様子を見せる。じっと見つめた後に興味を失ったのか視線を外しまた走りに行ってしまった。
それに伴いふと我に帰る。
「強そうでしょう?私の今年の世代のエースにまあ任命してるんですよ〜」
それに返す様に僕は言葉を紡ぐ。
「ええ…すごく似ています。スクラッチに。強いて違いを挙げるならこっちの方が理性的というか若干賢そうです。」
それからもオーナーの自慢は続いたがあまり耳に入ってこなかった。考えることといえば目の前の馬のことばかり。あの馬はどんなレースを好むのだろうか。逃げ?先行?差し?追い込み?
あの馬は自分の言う事を聞いてくれるだろうか。あの馬はどれだけ勝ちタイトルを連ねるだろうか。それから…それから…!
競馬人としての自分が蘇るのを感じていた。辛うじて聞こえてきたオーナーの話によるとこの馬の名はグロウリースカーズというらしい。
かつての相棒…その写し身の様な馬に乗るのだ。もう負けられない…いや、負けたくない。
こんな機会はもう2度とやってこないだろう。僕だってもう良い年齢な訳だし。
最高のレースを魅せてやる