「自然薯を掘りに行きましょうッ!!トレーナーさん!!!」
トレーナー室の扉を蹴破って早々、梅の花びらを模した模様の瞳を煌めかせて、サクラバクシンオーは大声で空気をビリビリ揺らした。この時点で、優しい陽だまりの中で心安らかにデスクワークと洒落込んでいたトレーナーの静寂は、桜の嵐によって破られたのである。
「トレーナー____」
「わかったわかったわかったっ!!!」
容赦なく2度目の咆哮を敢行しようとした担当を制止した彼は、既に疲れ気味の咳払いを一つ。
「で?自然薯掘りに?なんで?」
自然薯とは、日本各地に自生している蔓性植物で、いわゆる“山芋”の類である。確かに天然ものは値が張るし、値が張るわけだから味もいい。何より時期的にも旬を迎えている食材ではあるが、だからといって、平時のサクラバクシンオーがわざわざ掘りにいくと思いつくものでもないのである。
その問いに、丸出しにしたおでこに手を添え、サクラバクシンオーは謎の自信満々に、
「脚が速くなるからですッ!!」と、力強く言った。
あぁ、とトレーナーは納得したように、もしくは呆れたように声を出した。
「聞いたことはある……山芋だったりの種類は、なんかそういう成分を含んでいるってのはな……なら山芋買ってくれば____」
「なぁーに言ってんですかトレーナーさぁん!!!!!!!」
「うるさい」
嘆かわしい、嘆かわしいと言わんばかりに頭を抱えたサクラバクシンオーは、風切音と共にゲンドウポーズで冷や汗を流すトレーナーへ人差し指を向ける。
「厳しい山中で長い時をかけて成長する自然薯……それを食べてこそ、最高のスピードを手に入れることができるのですよッ!!」
一体どこでそんな論文が出回っているのだろうか。古今東西彼女の頭の中だけだろう。
しかし、あらためて今後の予定を思い浮かべてみると、仮に自然薯掘りに行ったとしても特に問題のある予定は無いし、最近は少しトレーニングを詰めすぎているきらいもあった。
ちなみに、既に今日から一週間の休暇を言い渡したはずなのに、1日目にしてここに突入したサクラバクシンオーである。
「うーん……ん?」
長考に耽っていると、ふと、左腕が掴まれる感覚を覚えたトレーナーは、左隣に不満げな表情を見た。
ぷっくりと頬を膨らませたサクラバクシンオーは、彼にとって可愛らしくは見えないのである。
「トレェナァサーーン!!いーきーまーしょー!!!!」
「イダダダダ!!!負け!負け!行くよ!!」
左腕を引っ張られて5秒もしないうちに、トレーナー室は悲鳴の単奏が彩った。
左腕が無事になるのなら、自然薯掘りぐらい安いものである。
「だったら今から行きましょーーー!!!!!」
「ストォォップァァ!!」
もう少なくない年月を共にしてきた仲だが、彼の前では一向に落ち着く気配のないサクラバクシンオーであった。
東京都は奥多摩。東京とは銘打っても、コンクリートジャングルの様相とは打って変わって、赤黄緑のコントラストが美しい、風情あふれる山林の駐車場に、一台の軽自動車が入ってきた。
停止した車の中から、カチューシャでおでこを強調した、上下共に赤いジャージを身につけたウマ娘が躍り出る。その瞬間、木の葉の擦れる音と共に、風が彼女を優しく包み込んだ。
「すうっ」
甘い森の香りを肺いっぱいに吸い込んだ彼女__サクラバクシンオーは、背筋を逸らして、ダイヤのような煌めきの木漏れ日に向かって吐き出すのだった。
遅れて運転席から出てきた男__トレーナーも、まるで別世界に来たかのような雄大な雰囲気を見回して、感嘆のため息を禁じ得ない。
「トレーナーさん!!!早く!早くやりましょー!!!!」
「野生を解放するな……」
しかし、やはり雄大な雰囲気ですら、バクシン的咆哮には押し飛ばされるものである。
尻尾をヘリコプターと見間違わんばかりに振り回す彼女により、残念ながら風情もへったくれもなくなった雰囲気の中、長袖長ズボンに長靴、鈴を取り付けたリュックサックを背負ったトレーナーは自前の車の後ろに回って、リアゲートを勢いよくひき上げた。そして、後部から取り出したのは二本のシャベル。
『自然薯掘りに?ならば提案ッ!!学園のウマ娘達のためにと一つ山を買っていたのだが……』
昨日、全く言うことを聞く気配のない
(お陰で許可どりなんかの手間が省けた……)
「もう入ってもいいですか!?」
シャカシャカと腕を振って目を輝かせ、我慢ならないという様子のサクラバクシンオーに、トレーナーは人差し指を立てて、ピシャリと一言。
「その前に軽く注意事項」
「はい!」の掛け声の後、律儀に落ち着いた彼女に、トレーナーは説明を始める。
「ま、とは言っても俺の視界外から消えないこと、変なもの拾ってくるなってぐらいかな、頼むから迷子にならないでな……なったら大声あげるか携帯使うんだぞ?ここは繋がってる場所らしいから」
「心外ですねトレーナーさん!!超絶模範的学級委員長とは、私のことなのですよ!!」
ちょわ!とファイティングポーズのような、独特な構えをとったサクラバクシンオーを見て、トレーナーはなんとか溜飲を飲み込んで抑えた。周囲のマイナスイオンも功を奏していると彼は感じた。
「自然薯の特徴ってわかるか?」
「わかりません!!」
「よろしいっ」
小鳥の囀りを遮って、二人の楽しげな話し声、枯れ葉を踏み締める足音、朗らかな鈴の音が、平穏な山林の奥地にまで澄み渡る。
紅葉の真下をくぐり抜けた二人組の内一人、トレーナーは、雑学として覚えていた知識を披露する。
「大きな特徴は三つだな、一つは“葉がハートの形”であること」
すると、ふと顔を上げたサクラバクシンオーは、徐に前方を指差す。
その先には、低木の弱々しい枝を締め上げる蔓があり、その葉はまさしく、ハートの形をかたどっていたのである。
「これじゃあないですかッ!!」
「ん……」
「いよっしゃー!!!」と飛び跳ね、その度に鮮やかに色づいた枯葉と腐葉土を散らすサクラバクシンオーを横目に、トレーナーはその植物に手を伸ばした。
「あぁ、違うなこれ」
「ちょわっ」
トレーナーの無情な言葉と、枯れ葉に足を滑らせて地面に叩きつけられたサクラバクシンオーが情けない声を上げたのは同時であったのである。
ヒラヒラと舞った枯れ葉や埃が、目を白黒させているサクラバクシンオーに虚しく積もっていく中、トレーナーの説明は続く。
「これは蔓が左肩上がりに巻いているからな、自然薯は“右肩上がり”なんだよ」
「ちょわぁ……」
気を取り直して、サクサクと足音だけが聞こえる空間を二人は進む。
「ムカゴがついているかってのも見分けるポイントだな」
「ムカゴ?」
「あー……丸っこい、ちっこいジャガイモ見たいのがいっぱいついてるんだよ」
斜面となっていた部分を降りてみると、そこは緩やかな沢が岸壁を伝って、その岸壁が苔に覆われていた。雫が滴るひんやりとした雰囲気が、都会に染まった二人を優しく撫でているようであった。
同じように苔むした、いつ死んでしまったのかも不明な倒木を踏み越えて、二人はさらに奥地へと進んでいく。
「見つかりませんねぇ」
「そうだなー」
定期的に交わされるその言葉は、歩けば歩くほど、その意味が軽くなっていくように、二人は感じていた。
嗅ぎなれない林の匂い、木々のさざめきと鳥達の合唱、流れ落ちるまろやかな水の重奏、まじまじと見ることのない豊かな自然。経験の少ない状況に置かれた場合、普通ならば取り乱すはずが、むしろ暖かさを感じるのは何故であろう。
「……」
ちらりと隣に瞳をやったトレーナーの視界には、いつになく清楚な表情がこちらを向いているのが映った。
二人の中で、この状況の答えはシンクロしているのである__
「あ゛あ゛ーッ!!!」
__ことはないかもしれない。
ともかく、急に大口開けてガニ股となったサクラバクシンオーの指し示す方にならうと、
「おおおっ」
枯れかけの笹を伝って、ハートの形の葉、右肩上がりの巻き方、そして、蔓に転々と実っている無骨なムカゴ。つまり、自然薯の特徴を網羅した植物があったのである。
「こんなにあっさ__」
次の瞬間、トレーナーの真横を突風が通過した。そして、気づけば両手に携えていたスコップが一つ、影も形もなくなっていたのである。
「バックシイイン!!!」
地響きが大地を揺らした。サクラバクシンオーの怪力で、笹の枯れ葉で隠れるふかふかな腐葉土にスコップの刃が放たれたのだ。
一体どれほどの力を込めたのだろうか。スコップは、このたった一度で柄の半分近くまで地面に吸い込まれていた。
「トレーナーさんはそこで応援していてくださいッ!!!自分で掘り起こしてのサイコーのスピードなんですからぁッ!!!」
てこの原理の要領でスコップを踏み倒し、山盛りの土をどかした彼女に、先ほどの静けさは一欠片も無かった。
ただ、いつものように爛々とした笑顔を見せていた。
「……あんまり掘りすぎて、根っこを折らないようになー」
トレーナーは、おかしくって笑うしかないのであった。
「ま、折れても味は変わんねえから、多分」
「面目ないですぅ……」
2mはあろうかという立派な自然薯は、ウマ娘のパワーの圧に屈し、綺麗に四等分されて掘り出されたのだった。
新聞紙にくるんだ自然薯を大事そうに抱え、車に揺られるサクラバクシンオーを横に置いて、懐かしきコンクリートジャングルの目前まで車を走らせているトレーナーは、ふと、片手でお腹をさすった。
「腹減ったなぁ……」
「戻ったらとろろご飯ですね!」
「薬味買って帰らないとなー」
少し遅めのお昼ご飯を目前に、二人はほのぼのとした表情で、口に溢れる唾を飲みこんだ。