「ククク…フハハハ!!」
ガブリエルは嗤い声しながら跳ね起きる。目に入ったのは灰色の幾つも並んだ金属パネルの壁面だった。日本語の注意書きのステッカーが配線やダクトに何枚の貼られている。
自身の笑いの余波を抑えながらガブリエルは瞬きする。呼吸を落ち着かせるとあらためて左右を見回す。間違いなくオーシャンタートルのSTLだった。どうやら自動的にログアウトしてしまったらしい。
なんと言う興醒めか…
あのまま巨大な光を飲み干せれば、ついでに少年の心も喰らえたと言うのに…
「(今再ダイブすれば間に合うか…?)」
顔を顰めつつ振り向いたガブリエルが見たのは…
STLのシートに横たわり、絶望したような顔で目を閉じる長身の白人男性だった。
「(…誰だ?)」
こんな奴が自分の体にいただろうか。いや、これは……。
自分の顔だ。ガブリエル・ミラーの顔だ。今作戦で指揮をとっていた自分だ。
だったら……だったら今それを見下ろしている自分は誰なんだ?眺めているとそこでぼんやりと透き通る朧な光の塊を見た。
ーー何だ?
ーー何が起きている!?
その時背後で声がする。
「……ようやくこっちに来てくれたのね、ゲイブ」
振り向くと、そこには幼い幼女が立っていた。深く俯くその少女は顔が見えないが、ガブリエルには見覚えがあった。
「……アリシア」
思わず顔を綻ばせながらその幼女の名前を呼ぶ。
「なんだ、そんな所にいたのか。アリー」
その幼女はガブリエルが魂の探究のために人生で初めて手にかけた幼馴染の少女。あの時のことはよく覚えている。あの時、魂を捉えられなかったことは長年の痛恨事だった。ガブリエルは自分の置かれている奇妙な状態も忘れ、右手を伸ばす。
その時、アリシアの左手がガブリエルの手をキツく握る。
氷のように冷たかった。冷気が鋭い皮膚を突き刺す。反射的に振り解こうとするも、その力はとても強く。微動だにしなかった。
「…冷たいよ。手を離してくれ。アリー」
呟くと金髪が左右に揺り動かされる。
「だめよ、ゲイブ。これからはずっと一緒なんだから。さぁ、行きましょう』
「行くって……どこにだい?だめだよ、私にはまだやるべきことがあるんだ」
そう答えながら渾身の力で右手を引っ張り出す。しかし、動かない。それどころか徐々に下に落ちていく。
「離して。離すんだ、アリシア」
少し厳しい声でそういうと、伏せていた顔が上がり、こちらを見る。その時、鳥肌が立ち、全身の毛がゾッとする。
何だこれは。息が荒くなる。この感情は何なのだ?!
「あ…あ、あ、あ……」
無意識のうちにガブリエルは首を左右に揺らす。
「離せ!やめろ!離せ!」
咄嗟にアリシアを突き飛ばそうと伸ばした手ですら掴まれ、指が肌に食い込む。その様子を見てアリシアは邪悪に笑う。
『それが恐怖よ、ゲイブ。あなたの知りたがっていた、
恐怖。
それは今まで探究のために殺してきた多くの人たちが、今のような歳に浮かべていた表情の源。しかし、初めて味わうその感覚はとてつもなく不快だった。早く終わらせたい。こんなの知りたくない。しかし……
『だめよ、ゲイブ。これからずっと続くの。あなたは永遠に、恐怖だけを感じ続けるの』
ズルズルと地面に空いた沼のような禍々しい物に沈んでいくガブリエル。
「あっ……や、やめろ。は、離せ!」
半ば呆然と口走るが沈降は止まらない。それどころか沼から大量の手がガブリエルの足に絡みつき、沈む速度は上がっていく。
「やめろ……やめろやめろやめろやめろぉぉぉおお!!」
絶叫するガブリエル。すると目の前にまたもう一人、少女が現れる。
その少女は黒い長髪に、白いワンピース着て、頭には大きな鍔の帽子を被り、足元にはサンダルを履いていた。
突然現れた少女にガブリエルはその少女に既視感を覚えるが、碌な確認も取らずに藁に縋る思いで呼びかける。
「おい!そこの!た、助けれくれ!」
すると少女がこちらに振り向く。その目は血のように赤く、ゾッとする印象を持ち合わせていた。すると少女は沈んでいくガブリエルを見るとこう言い放った。
「貴方……私を天使か何かとお思いで?」
すると少女は三日月型の口を作るとガブリエルを見ながら言った。
「貴方はここで死ぬ運命なの。私はそれを見届けるだけの存在」
「そんなっ……」
「すべては貴方のせい。運命の道から堕ちたものはその代償を払わないといけない」
そう言うとすでに胸の部分まで使ったガブリエルを見て少女は言う。
「
殺したが故に貴方は神に背いた。
それは許されざる重大な罪。
貴方は自分で自分の首を絞めたのよ?それをお分かり?」
そう言うと少女は消えゆく間際に言い残す。その目は酷く空虚なもので人とは思えない者だった。
「じゃあ……サヨウナラ」
そう言うと少女は消え、絶叫と共にガブリエルは多くの亡者達に掴まれながら底なしの、永遠の沼へと引き摺り込まれていった。
その時、キリトは目を覚ました。
「っ!ここは……」
目の前に広がるは蒼、美しい晴天が顔を覗かせていた。かつて血の色をしていたダークテリトリーの空はどこまでも広がっていた。どんな理由があろうと、その透明感のある蒼穹は泣きたくなるほど美しかった。瞼を閉じ、長く息を吐き、そっと体の向きを変える。
次に目に映ったのは崩壊していく白亜の階段だった。翼を軽く羽ばたかせ、階段を追いかけてゆっくりと降下する。目指すのは空に浮かぶ小さな島。
円形の島には色とりどりの花が咲き誇り、その中央に白い石畳に神殿めいた建物が繋がっていた。
そして、徐に建物を見るとその中は無人だった。
「…よかった。間に合ったんだな」
ポツリと呟く。
最後の永遠にも思えた死闘の最後。感覚的にログアウトをしたのを感じたキリトは思わず笑みが溢れる。
「これから大変だろうが…頑張れよ……二人とも」
おそらく、これからしばらくアリスとユージオは大勢の人と戦っていかなければならないだろう。だけど、彼らならやり遂げるに違いない。なぜなら…
「ブレイド、アスナ…後のことは頼んだぞ……」
とても心強い味方がいるのだから…。
そう思うと思わず腰に差していた流星のサーベルを触る。思えばガブリエルにトドメを刺せたのもこれのおかげだ。
つくづくブレイドには助けられてばかりだと感じてしまう。だけど、それでいいような気がする。ブレイドにはブレイドなりの考え方があるのだろうから…。
そう思うと大きく息を吸い込み、吐く。
「二百年。そうか…二百年か……」
菊岡の言っていた限界加速フェーズ。そこから俺たちが救い出されるまで最低でも二百年ほど。それまで自分は孤独でいなければならない。その事実を再認識した時、体がガックリと倒れる。
「ごめん…アスナ…ごめん…リーファ…ごめん…みんな……」
二百年と言う途方もない時間を一人で過ごすことにおそらく自分は耐えられないだろう。今まで流すまいと思っていた涙がついに堪えきれずに溢れる。
「ーーーーーっ!」
嗚咽声が響く中、不意に足音がその中にまざる。
「……キリト君」
「っ!?」
幻聴が聞こえたと思った。
果ての祭壇に到着した四人は神殿まで走った。
「そこに立て!ユージオ達!」
そう叫び、神殿のコンソロールを触りだすブレイド。ユージオとアリスは言われた通りに神殿の少し高い祭壇の場所に立つとアスナが話しかける。
「ブレイド。大丈夫?」
「問題ない、二十秒で終わらせる」
そう言うとブレイドは赤黒い心意を五本指の手の形に変え、コンソロールを目にも止まらぬ速さで打ち始める。普通の手のように動くその様子にアスナ達は驚くも時間がないので聞くことはなかった。するとブレイドが押した外部呼び出しに凛子が反応する。
「神代さん。聞こえますか?」
ジジッ『……聞こえているわ!赤羽君』
「今、二人を送り出します。サブコンであっていますか?」
『ええ、お願い』
そう言うとブレイドはコンソロールを触り、ライトキューブの排出作業が開始された。アバターが消滅する二人を見届けると凛子が通信を入れた。
『……確認したわ。ライトキューブはこっちに届いたから。あなた達も早く!時間はあと三分しかないわ!!』
「ええ、分かっています……アスナ。祭壇の上に…立ってくれ」
その時、ブレイドは残る覚悟だった。二百年孤独なんて絶対にフラクトライトが焼き切れてしまう。今ここでキリトを失うのは辛い。彼はすでにログアウトを諦めている。だったら、誰かが残るべきた。そうなれば自分が残ると決めていた。だが……
「(すまない…詩乃……)」
揺らぐ決意にコンソロールを触る手が止まる。すると不意に自分は首を掴まれ、投げ飛ばされる。
「ぬおっ!?」
ブレイドは投げ飛ばした本人に驚愕する。
「アスナ…何故?!」
するとアスナはブレイドを見ながら答える。
「ごめんなさい……私、キリト君のいない世界は寂しいの…だから……」
するとアスナは開いていたログアウトボタンを押す。
「っ!!アスナ!」
咄嗟に体勢を立てなおそうにも、アスナの強い願望の眼差しに一瞬だけ動きが止まってしまう。本当にそれを望んでいる女性の目をしていたから……。
「ずっとキリト君のそばにいる。そう決めたから……」
そう言うと祭壇に障壁が生まれ、ブレイドのログアウトが開始される。ブレイドは最後にアスナの願いを聞いた。
「現実世界で、ユージオ君やアリスさんを守れるのはブレイドさんしか思いかばないし、二人を支えて欲しいの。この世界を現実世界の人にも知ってもらうために…フラクトライトが軍事利用されないためにも……だからお願い」
「……」
「それから、みんなに言ってくれる?ごめんねって、ありがとう…さようなら、って……」
アスナの最後の願いを聞いたブレイドは帽子を深く被ると一言、
「向こうで待っているぞ。お前ら」
とだけ言い残し、消えていった。
「アスナ…なんでここに……?」
「キリト君のことだから残ると思っていたんだ。君は相変わらず一人の時じゃ泣き虫なんだね」
そう言うアスナの表情は微笑んでいた。両手を後ろに回し、少し首を傾げたアスナがいた。
何と言えばいいのだろう。だけど、嬉しかった。だからずっとアスナの懐かしいしばみ色の瞳を見続ける。
そばを優しい風が吹き、蝶が舞い、青い空に消える。
それを見送ると、アスナがそっと右手を差し出す。俺も同じように手を伸ばし、アスナの手をしっかりと握る。立ち上がり、アスナが胸に頭を載せると囁くように言う。
「……向こうに帰ったら。みんなに怒られちゃうね」
「大丈夫さ。その時は俺も一緒に怒られるよ。……最も、ブレイドに怒られるのは怖いけど」
「それはそうだね……でも、みんなのことを忘れなければ許してくれるよ」
「そうだな…」
そう言うと二人は石畳を歩く。小島の端に到達すると深い青に染まる空が広がる。
アスナが俺を見て尋ねる。
「ね、私たちはこの世界でどのくらい過ごすの?」
「最短でも二百年って言ってたかな…もしかしたらそれ以上かも……」
「たとえ千年でも長くないよ。君と一緒なら。……さっ、行こう。キリト君」
「……ああ。行こう、アスナ。するべきことはたくさんある。この世界はまだ生まれたばかりだからな」
そして、俺たちは手を取り合い、翼を広げる。
飛び立つ直前、アスナが言う。
「まずはブレイドさんの残していった飛行機と戦車の片付けからかな……」
「……あの野郎、俺に面倒ごと押し付けやがって……」
「まぁまぁ、今までうちらが迷惑をかけていたから。ここは甘んじようよ」
「…まぁ、それもそうか……」
自分で納得をしたキリトは改めてアスナの手をとり、無限の蒼穹に一歩を踏み出した。
これからの世界を変えていく為に……。