彼の名は
彼は新潟・魚沼地方に根を張る地元霊能組織・九重家*1の一族であり、彼の曽祖父は九重の本家に連なる男が妾に産ませた子らしい。九重の名字ではなく、重下というあからさまに分家を意味する家名になったのは何らかの理由があってのことなのだろうが、それは彼にとってはあずかり知らぬことであった。
重下稔が小学一年の夏。彼は祖母に連れられて本家・九重家へと初めて顔を出した。それまで親戚付き合いと言えば重下という名字の範囲内であった彼にとって、旧家であり地元の名士として権勢のある九重家はカルチャーショックといって良かった。そして彼はそこでとある少女と出会う。
九重静。九重家の本家筋に生まれた彼女は小学校高学年と、重下稔から見て一回り年上のお姉さんである。見目良し性格良し頭良しの三拍子を兼ね備え、さらには未覚醒*2と言えど優れた霊能の素質までも持ち合わせ、将来の当主*3というのが既に一族内での共通認識となっているほどの才媛である。
ひと夏の経験というには些か奇妙だが、重下稔の運命はそこで変わった。本家で出された伝統のお膳を食べた彼は腹を壊して二日ほど寝込み、静に看病してもらった。そのときに稔は静のカリスマ性に心打たれ、以降は彼女の舎弟とばかりに後ろを付いて回ることになった。彼女もヒヨッコとはいえ手下を入手できたのが嬉しかったのか、彼を邪険に扱うことはしなかった。
なお、彼が食べたお膳は、実は九重家秘伝の覚醒を促す霊薬入りである。彼が腹を壊して寝込んだのは覚醒の兆しであり、静が彼に目をかけたのも霊的才能の見込みがありそうな少年に対する青田買いの意味が多く含まれるのだが、幼い彼が気づくことはなかった。
覚醒の兆しとして『時間をかけて集中すればぼんやりと幽霊の存在が感じ取れる』くらいの霊能力を得た稔少年は、年二回(盆正月)に『本家の綺麗なお姉さん』に会えることを励みとして、静の監修した九重流霊能修行を積んでいく。ガイア連合の黒札が見れば鼻で笑ってしまうような修行内容ではあるが、当人から見れば至極真面目である。
稔少年は、他者と違う特殊能力を持ち、しかし女系優位な九重家では虐げられているという自意識から、小学生高学年のころから中二病を発症し始めた。もっとも他者から見れば、有っても無くても変わらないようなショボい霊能力では単なる有象無象として扱われているにすぎず、元の性格がネアカではない少年がイキったところで、周囲からは生暖かい目で見られるのが精々であった。
稔少年は中学生になった時点で、『心身に宿る霊力とオカルト知識はそれなりに成長した、後は一皮剥けて霊能力を”使いこなせる”ようになるだけ』という、『九重一族内では普通に見かける存在』という評価だった。
重下稔が人生二度目の転機を迎えたのは、彼が中学二年のときだった。
九重静は高校を卒業し、九重一族の当主に就任した。長老たちが実権を握ったままのお飾り当主であったが、それは舎弟であった彼に取って間違いなく出世であり、彼は我が世の春が来たとばかりに喜んで── 九重一族が管理する異界を鎮めるために静が生贄に捧げられると知って、すぐに糠喜びであると悟り失意に落ちるのであった。
彼は傍目にもはっきり分かるほどに落ち込んだ。小学一年の時から庇護してくれたボスが死んでしまうのである。それに、中学二年の男子生徒などヤリたい盛りの思春期である。彼は己の脳内で静を抱いて屈服・心酔させ、自身が九重一族のトップに立つという妄想を何度も繰り広げていた。しかし現実の彼は、異界の中に潜って悪魔を間引きするだけの霊能力を持たない『只の人』でしかない。
理想と打算の葛藤の末、彼は黙って頭を下げ口を噤むことを選んだ。あれこれ言い訳を並べ立てて、己が好いた女性を見殺しにすることにした。
腰巾着としてせめてもの責を果たすべく、彼は静が異界へ入るのを見送って──彼女に付き従い殉じる度胸は彼には無かった──その異界が破壊・消失し、静が見知らぬ男とともに現世へと帰還*4したことを、呆然としながら見守ることしかできなかった。
どこの馬の骨とも分からぬ男は『碧神凍矢』と名乗った。彼は『本物』の霊能者で、ほんの僅かに霊力を感じ取れるくらいの重下稔はその威光にひれ伏すことしかできなかった。
静が命の恩人である凍矢にべったりであっても、彼はそれを当然と受け止め、むしろ凍矢の霊圧をものともせずに動ける静*5を誇らしいとさえ感じた。
異界の消滅という予想外の大事件に対し、後始末は後にしていったん家に帰された稔は、その日布団の中で泣いた。凍矢にべったりする静を見て改めて自身の恋心を自覚し、何も行動を起こさず見殺しにしたことを悔み、見知らぬ男に奪われた無力感に苛まれる。彼の感情はぐちゃぐちゃだった。
翌日、想定外の結末ではあるが異界を鎮めたことには違いがないので、九重一族挙げての祝いの席が設けられた。
そこでは碧神凍矢は単なる異界攻略の協力者として紹介されるだけだったが、よっぽどの節穴アイでない限り静が凍矢へ向ける感情は丸分かりで、稔は涙を堪えることで精一杯だった。
やがて、祝いのお神酒が一同に振舞われ、中学生の稔もお猪口に一杯だけ許された。なおこの酒は凍矢が持ち込んだガイア連合製の霊酒であり、覚醒者候補である稔に飲ませることは凍矢・静にとって目論み通りであった。
お猪口を口に近づけただけで、語彙に表せない香しさが鼻を刺激する。意を決して酒を口に含むと、口から鼻に抜ける芳香が脳を痺れさせ、喉を通り腹に落ちていく経路がかぁっと熱くなり、肚がじんじんと熱を帯びていく。
あっ、これヤバいやつ。重下稔はそう直感し、干した杯を戻す手つきもあやふやなまま、即座に宴席の大広間から離脱した。
覚束ない足取りでふらふら歩いて。無我夢中で屋敷を出てからの記憶がなく、気づいたら鬱蒼と茂った林の中にいた。
ここは見覚えがある。魚沼地域の中でも旧・湯之谷村*6にある某神社の近くだ。稔が覚醒の兆しを得てから、幾度となく霊能修行のために通った場所であり、彼は迷子でないことに安堵のため息をついた。
「はぁー」
大きく息を吐きだしたが、体内の熱はちっとも抜けてくれない。お神酒をいただいてから、全身が暑くて暑くて仕方がない。頭の中も霞がかったかのようにぼんやり思考が纏まらず、彼はうつろに空を見上げた。
彼の脳裏に浮かんだのは、凍矢にお熱である静のイメージだった。言い寄られる凍矢もまんざらではないようで、二人は距離を縮め密着し、そして……
「……
悲鳴に似た大声を上げ、稔は頭を掻きむしった。勝手に脳を破壊された彼は狂乱の唸り声を発し、林にいた小鳥がその奇声に驚いて飛び立ち逃げていく。
そのまま発狂して地に倒れ伏しのたうち回る彼だが、不意に誰かに抱きしめられた。
「……だ、誰?」
肌に触れる感触と雰囲気から、相手は女性。年は静より確実に上で、もしかしたら20代、あるいはそれ以上。皺くちゃの老婆という雰囲気ではないが、テレビで美魔女と持て囃される40~50代の可能性もある。まあ年齢不詳と言って差支えない。
一瞬でそう判断した稔は、先程まで誰も周囲にいなかったことの違和感を覚えた。
「ふふふ、若武者の手ほどきは乳母の務め。この三ツ俣にお任せあれ」
「うっ! ふぅ」
むずがっていた幼子が母親に抱きしめられて急に静かになるように、激情に支配されていた稔の心は急速に凪いでいった。
*
目が覚め、重下稔は周囲を見回した。
ここは家の近くにある神社の境内、なぜか自分は土の上に寝転がっていた。
「何だったんだ、あれ……」
お神酒を飲んで火照った身体は、とうに勢いを失っている。あれだけ体内から燃えるように発していた精気はすっからかんで、全身が重い。
ひょっとして二日酔い? そう考えた彼は、首を横に振ってそれを否定した。まるで夢の中で酒池肉林したかような心地良さの名残として、服にほんのりと甘い果物のような残り香がこびりついている。
いったん家に戻り、風呂に入って服を変え、もう一度九重本家に行って相談しよう。稔はふらふらしながら立ち上がり、よろよろとした歩みで神社を後にした。
*
九重本家に戻った稔は、相談相手として凍矢を選んだ。流石に静を相手にする話題ではないと判断したからだ。
凍矢としても、女系優位の九重一族で女性ばかり相手にするのは息が詰まると、気分転換代わりに稔との面会を受けた。
「……というわけです」
「ふぅむ。重下君、まず、君は『覚醒』しているね」
「えっ?! 本当ですか?!」
「君の話を聞く限り、その女性は『姥石明神』様だね。村の守り神に加護をもらって覚醒だなんて、最上のパターンだと思うよ。後で供物を用意して神社にお礼参りしよう」
新潟県魚沼地方には、尾瀬三郎伝説がある。これは尾瀬三郎こと藤原房利が平清盛との争いに負けてこの地に流されるという貴種流離譚で、この伝説に付随する話として、尾瀬三郎の乳母である三ツ俣の前が彼を追って魚沼に来たというものである。
旧・湯之谷村の指定文化財に姥石というものがあり、道祖神と同様に村の守り神として住民たちから姥石明神として祀られている。湯之谷村が合併して魚沼市になったとき市の指定文化財から漏れてしまった、村落レベルのマイナーな神格であるが、これが尾瀬三郎伝説の一部として今の世に残っているのだ。
「私も魚沼出身だから姥石明神のことは聞いたことあるが、まさかショタ好きだったとは……」
凍矢は稔に聞こえないよう小声で呟き、ぎゅっと眉根を寄せて考え込んだ。彼は静経由で九重家を支援するつもりで、ガイア連合製の不人気アイテムを搔き集めるつもりだったが、どうせ支援するならその人の霊能特性に合った品を渡したいものだ。
(推定)熟女に導いてもらい覚醒した稔の霊能特性とは? 残念ながら、凍矢には他人の素質を一発で見抜くような力はなかった。
「こういうときはガイア連合の誰かに相談するんだけど……」
凍矢が真っ先に思いついた相談すべき人物は、スケベ部のミナミィネキだった。本当に相談して良いものか? 凍矢は自身への問いかけに即答できなかった。
*
「碧神さん、なかなか面白い事例を紹介していただきまして、ありがとうございます」
「あっ、どうも、こちらこそありがとうございます」
しばしのち。結局ミナミィネキに相談した凍矢は、彼女からの連絡を受けていた。
「重下君ですが、サモナーとしての素質がありました。ちょうどホビー部TCGチームがテスターを募集していたので、彼はデュエルファイターというスタイルで、姥石明神の分霊と契約させておきました」
「TCGカードに悪魔を封印して、召喚・使役するのですか?」
「単に外見がカードというだけで、実際の機能はCOMPや管と同じようなものですけどね。ホビー部は実運用テストできてハッピー、重下君は友好的な悪魔を使役出来てハッピー、姥石明神もお気に入りのショタと現世でいちゃいちゃねちょねちょできてハッピー、三方良しです」
「そうですか。重下君はいわゆる才能『ロバ』だからMAG保持量が少ない。契約するのはハードル高いと思っていましたが、流石です」
「ふふふ、そこはスケベ部の技術も一役買っているんですよ」
ミナミィネキの含み笑いに、凍矢の直感はこれ以上深堀りしてはいけないと告げた。
「ええ、『ロバ』霊能者でも悪魔を召喚・使役しやすくする仕掛けとして、姥石明神と【屍鬼オバタリアン】を悪魔合体させたんです。どちらも中年女性という共通項があったので、姥石明神の人間に友好的なメンタリティを前面に出しつつ、オバタリアンの召喚・維持コストが安いという特性を両立させることができました」
「えーと…… スケベ部のオバタリアン?」
だが彼から切り出さなくても、彼女の方からブッこんでくる。
凍矢が思い当たったのは、ガイア連合が低Lv現地サマナー向けに用意したと評判の人造悪魔【屍鬼〈肉便器な〉オバタリアンLv1】*7であった。
「はい、合体後の姥石明神は『お気に入りのショタが霊能力持ちで、これは初物食いするしかない』と張り切ってました」
凍矢は目を閉じて、筆おろしだけでなく毎日搾り取られるであろう稔の冥福(まだ死んでない)を祈った。
「大丈夫です、BSSで脳破壊され熟女に癒された重下君なら、きっと期待に応えてくれます」
ミナミィネキの太鼓判がちっとも信用できない。凍矢は、やはり彼女に相談したのは間違いだったと悔むことしかできなかった。
スケベ部が〈肉便器な〉オバタリアンを用意するのは終末後なので、田舎ニキが活躍し始めたばかりの頃(終末前)とは時系列が合いません。
設定不整合は寛大な心でスルーしてね!