長野県上田市、浦野牧【派出所】。【ガイア連合】の【黒札】である馬ニキこと平田維茂の拠点である。
このシェルターの結界は上田市全域を覆うものではなく、上田市の小牧山は結界外となっている。この小牧山の麓、かつてこの地には炭鉱があった。
ここで採掘されるのは亜炭(褐炭)と呼ばれる質の低い石炭(亜炭は一般炭の55~75%の発熱量)であり、江戸時代終わりころ、松代藩士の佐久間象山らによって始まったとも言われているが定かではない。はっきり記録に残っているのは、昭和17年に日中炭鉱株式会社が
また、その近くの諏訪形地区では日中炭鉱株式会社傘下の美吉野炭鉱株式会社が美吉野炭鉱を操業しており、太平洋戦時下のころは月産3000トンとも言われ貴重な燃料を東京まで輸送していたが、戦後に高品質な石油石炭が解禁されると需要を失い、金城炭鉱は昭和24年に、美吉野炭鉱は昭和26年に閉山となった。
また上田市の隣の青木村にも修那羅峠に炭鉱(田沢炭鉱株式会社)があり、昭和34年の閉山まで亜炭を採掘していた。
長野県の亜炭採掘は珍しいものではなく、明治35年に篠ノ井線が開通して以降、長野県東筑摩郡の旧・本城村(現・筑北村)近辺で採掘された亜炭は西条駅に集積して『西条炭』と呼ばれ、主に長野県岡谷市の製糸工場で燃料として使われた。なお、こちらも昭和38年に閉山している。
さて、話を戻して。馬ニキはシェルター運営の一環として、上田原──金城や美吉野の炭鉱があった地域を大雑把に括った地名──の炭鉱を再開することにした。
旧・金城炭鉱跡はさとやま広場と呼ばれる空地になっており、広場の隅には『炭鉱神社』と呼ばれる小さな祠があったが、これをしっかりした神社に改築して大山祇神を祭り、ガイア連合技術部の
炭団は江戸時代の塩原太助一代記にあるように、炭の粉や小さな欠片を糊で固めて固形燃料にしたもので、薪ストーブ・七輪・掘り炬燵などに使われる。
そして上田市派出所は規模の小さいシェルターであり、【終末】後は石油・電力を礎とした21世紀のインフラは完全には整備されていない。一部では電化製品・DDS-net通信が使えるものの、市内面積にして半分以上は昭和30年代くらいまで後退している。
つまり、炭団は上田市派出所において無視できない燃料であり、いざとなれば余所のシェルターに輸出することも視野に入る重要物資である(なお、宮城や魚沼などインフラがしっかり整備されている支部でも、結界外に形成されるスラム街では炭団の需要がある)。
この炭団製造機は、ガイア連合が技術を握っている発電機や浄水器*1などのインフラ設備の一種であり、霊地霊脈に接続して動作するオカルト製品である。外見は小学校中学校に設置されている焼却炉に似ていて、原料となる亜炭や木炭屑などを放り込むと、炭を破砕して不純物(水分など)を取り除き整形してくれる。焼却炉であれば底に溜まる灰を取り出すところ、炭団製造機であれば代わりに炭団を取り出すという塩梅である。
◇◇◇
さとやま広場のはずれ、再開された金城炭鉱。山肌を削る露天掘りで亜炭が掘り出され、それらは袋詰め・箱詰めされて炭鉱神社の炭団製造機へと運ばれる。
作業している人足はいずれも男ばかり十数名、そして彼らを監督していると思わしき女性が数名。
「悪魔が出たぞーっ!」
「お嬢、あっちだ!」
「はいはい、アナライズっと。……うーん、Lv2のスライムが3体。あんたたちじゃ逆立ちしたって無理ね」
お嬢と呼ばれた10代前半の少女がCOMPを操作して結果を告げると、彼女の周囲にいた野郎どもががっかりして膝をつく。
「俺らの手に負えないなら仕方ねぇ、姐さん、やっちゃってください!」
「はいよー」
この場を仕切っている男がそういうと、いかにも用心棒という風格の女性が、両手持ちのハンマーをぐいと構える。
姐さんと呼ばれた彼女は年のころ30代半ばの、東欧系の人種の戦士である。ドルフィンヘルムならぬ馬ヘルムを被っているのが特徴で、もう10年若ければモテモテであっただろうが加齢って残酷だよね、と陰で噂される程度の美貌・外見である。
「悪霊退散!」
彼女が気合を入れてハンマーを振り下ろすと、ドゴンと漫画のような擬音がしてスライムの一部が千切れ飛ぶ。
「悪霊退散!」
先程お嬢と呼ばれた少女がフレーズを繰り返すと、少女の指から細い稲妻がほとばしりスライムを打ち据える。
スライムも触手をぐねぐねさせながら鞭のようにしならせ、姐さんと呼ばれた戦士を打ち据える。しかし戦士は防具もしっかりしたものを着用しており、貰ったハンマーの反撃としてはいささか弱い。姐さんは歯を食いしばって苦痛に耐え、彼女が再びハンマーを振るうと、スライムはぶるっと身体を震わせるとゼリーからただの水に変じ溶け去った。
3体のスライムが2体に減じると、戦況は一気に傾く。前衛の女戦士と後衛の術者はチームワークを駆使して、前衛が2対1にならず1対1を2回になるように立ち回る。それに対して知能なきスライムではいかんともしがたく、ときおり鎧の隙間から酸の触手で戦士の肌を焼くも決定機にはならず。
ほどなくして、3体のスライムはすべて消滅した。
「お疲れっした! 周囲に悪魔の気配はありません、ごゆっくり休んでください!」
「ああ、カツもお疲れ。ミサカ、タネ呼んでくれる? いや、ちょっと早いが昼飯にしちまおうか?」
「んー、ミサカはお昼にするのが良いかな」
「おっし! みんな、ちょっと早いがお昼にするぞー!」
カツと呼ばれた男たちのリーダー役がそう声を張り上げると、人足の男たちも採掘を中止してぞろぞろと炭鉱神社へ向かっていく。
「Lv2スライムが3体かぁ、今のヴィーなら苦戦しなかったようね。次はカツたちでも戦える悪魔が出るといいねぇ」
「ノーダメージとはいかなかったけどね。タネ、治癒を頂戴」
炭鉱神社のある広場の一角には、焚火に鍋を乗せて雑炊を作っているポリネシア系のアラサー女性と中東系のアラサー女性がいた。
タネと呼ばれたポリネシア系の女性は、スライムとの戦いで傷ついた
「おらーっ、男ども! 昼飯配給を受け取る前に手を洗うんだよ!」
もう一人、中東系の女性が行儀の悪い男を叱ると、彼はすごすごと引き下がった。
彼女たちは、先程のミサカ・ヴィーとチーム『婚活戦士団』*2を組んでいるデビルハンターである。霊能力者としては低レベルだが、曲がりなりにも悪魔と正面から戦える貴重な戦力と言える。女ばかり四人はぱっと見で強そうに感じないが、炭鉱夫として働いている男たちよりも強いことは間違いない。
それに対し、男たちはデビルハンターとしては見習いもいいとこ。黒札・スタンクニキに気に入られた在野デビルバスター・カイがLv2【ディブク】にボコボコにされた*3前例があるが、あれと同レベルである。
「へっへっへっ、手ぇ洗ってきましたぜ。スティさん」
カツが腰を低くして愛想笑いをすると、スティと呼ばれた中東系の女性は手にしたお玉で雑炊をお椀に盛りつける。
「ありがてぇ、いただきます!」
「午後は男衆でも戦える悪魔が出るといいねぇ」
カツはデビルハンター見習いだが、目端が利いた。装備を揃えたデビルハンター見習いが数名がかりでLv1悪魔1体を袋叩きにすれば勝てるが、Lv1悪魔が複数、もしくはLv2悪魔1体には勝てないという自分の実力を(一度痛い目を見て)弁えていた。そこで腕利きのデビルハンターに自分たちをキャリーしてもらうと考えたのだが、腕利きに依頼できるほどの資金がない。
そんな状況のとき、上田市シェルター近くの上田原炭鉱が復活すると聞いて、カツは賭けた。シェルターの結界外にある炭鉱には悪魔が出没する。自分たちは炭鉱夫・人足として働き、自分たちで戦えそうな悪魔が出現したなら自分たちも戦う。悪魔退治のために雇われたデビルハンターとそう交渉して──
カツは最初の賭けに勝った。護衛のデビルハンター『婚活戦士団』は、カツの申し出を受けたのだ。
もちろん、身の丈に合った悪魔と戦うのも命懸けであり、そこでカツが落命することも充分有り得る。己が命をチップにした賭けはまだまだ続く。
それでも、カツはこのキャリーシステムを構築できたことに夢見ている。いずれ自分の実力が相応について、護衛のデビルハンター側に回ったら。そうしたら今度は自分たちがデビルハンター見習いをキャリーしてやる側になって。win-winの関係で上田原炭鉱が回るようになれば、シェルター運営の黒札・金札の目に留まって、出世することも夢ではない、と信じて。