葛葉キョウジが上田市【派出所】『浦野牧』に出向いて馬ニキと宮家ご家族支援について丁々発止のやり取り*1が行われてしばし後。
キョウジおじさんが再び浦野牧へと現れた── 手土産を持って。
「オーダー通り、桓武平氏・
顎に手を当ててニヤリと笑うキョウジおじさん。馬ニキは手渡された掛け軸── 古文書を額装し直したようで実は新品のそれは、馬ニキこと平田維茂の家系図である。もちろん家系は捏造されたものだ。
「まあ、徳川家康が三河・松平家の系譜を粉飾したのは有名ですから。【終末】後の今は、戦国時代の地方領主と同じで、名乗ったもの勝ちです」
カラカラと笑い飛ばすキョウジおじさんに対し、馬ニキは家系図をじっと見つめて眉を顰めた。
「読み方が全然分からん」
「がっはっは、取扱説明書はこちらですぞ」
キョウジおじさんは八つ折りにしたパンフレットを別途取り出し、馬ニキは手にしていた掛け軸をいったんテーブルに置いてそれを受け取る。
「いいですか、そもそも史実ベースですと──」
平維茂は平安時代の武人である。同世代には藤原道長や紫式部がいる。『尊卑分脈』によると鎮守府将軍・信濃守・従五位上だが、他の資料では信濃守になった記録はない。『紅葉狩』で鬼女紅葉を討伐した伝説が残る他に、『今昔物語集』では巻第25第4「平維茂が郎党、殺され話」と巻第25第5「平維茂、藤原諸任を罰ちたる語」に語られている。
吾妻鏡によると、平維茂の6世孫である平繋雅が源頼朝に訴えて信濃国高井郡東条荘の領主職を認められたという。この平繋雅の子孫が東条荘和田郷から和田氏を名乗り、鎌倉時代には御家人として名を残している。
史実として、平安後期は平正弘、平正家(正弘の伯父)、平盛基(正弘の従兄弟の子)といった伊勢平氏に連なる一族が信濃守を拝命しており、野原郷、麻績御厨、市村郷、高田郷といった北信濃に所領を得ていた。他にも信濃国安曇郡仁科荘を本拠とする仁科氏も桓武平氏繁盛流を名乗るなど、北信濃と平氏には深い縁がある。だから北信濃の土豪が平氏を称してもおかしくない。
「そのような理屈で、平安末期から鎌倉時代にかけての先祖を定めてしまえば、後は簡単ですぞ」
室町~戦国期の信濃国土豪はほとんど記録に残っていないので、捏造し放題。馬ニキは信濃和田氏の流れを汲むという事にして、どう辻褄を合わせるかだけとなる。
戦国時代、北信濃は村上氏→武田氏→織田氏と勢力図がころころ変わる。馬ニキの先祖は勝馬に乗れず北信濃から信濃国東筑摩郡平田村に流れ着いた土豪であり、実在を補強する資料としてどこぞの神社に戦国時代の起請文が残っていたということにする(もちろんこれも捏造だ)。後は江戸時代初期の兵農分離政策により半士半農から庄屋となって、明治の平民苗字許可令により村名を取って平田姓を名乗る。
「ほー…… こんな短い期間に、よくもまぁ……」
「なんの、官位の切り売りと違って根回しする必要ありませんから、これくらいは軽いモノです」
説明を聞いてぽかんとした間抜け面を晒す馬ニキに、キョウジおじさんはあくどい笑みを浮かべた。
「これにて、貴殿は桓武平氏の末裔となり申した。この葛葉キョウジが保証いたす。それはつまり退魔一族『葛葉』の保証であり、オカルト業界において異を唱える者はおりますまい」
「保証料を払え、ってことかい?」
「いえいえ、【ガイア連合】の要人にそのようなタカリはできませぬ」
恩に着せるような物言いをするキョウジおじさんに、馬ニキが直截な言葉をぶつける。するとキョウジおじさんはすまし顔でそれを否定した。
「ただ、京都に来て平安神宮と平野神社に参拝していただきたいのです」
「参拝? それだけでいいの?」
「はい、平安神宮には桓武天皇が祀られております。また平野神社は源氏・平氏など臣籍降下氏族から氏神として崇敬され、特に平氏とは強い結びつきがあったといいます」
「あっ… あ~~↓」
キョウジおじさんの言いたいことを理解して、馬ニキのテンションが下がる。
終末後のこのご時世、それなりに実力のある【黒札】が神社に参拝すれば、祭神である【悪魔】から霊界通信で呼びかけられることも珍しくない。そして、平氏の末裔と言う暖簾を分けてやったのだから暖簾代を払ってね、と要求されることは目に見えている。
キョウジおじさんからすれば、黒札が京都にある神社のためにひと働きしてくれればそれで京都の利益になる、棚から牡丹餅状態なのである。わざわざ黒札から保証料など取る必要はない。
馬ニキはひとしきり自らの頭を掻きむしり、それから大きな溜息をついた。
「商売上手だねぇ」
「いえいえ、それほどでも」
キョウジおじさんは何食わぬ顔で追い打ちをかけた。
「桓武天皇をご祭神とする社は平安神宮の他に、北海道小樽の竜宮神社、宮城県仙台市青葉区の宇那禰神社、茨城県の橿原神宮、神奈川県の宗我神社、静岡県の豊成神社、兵庫県の桓武伊和神社と計七社ありますからな。全部巡れとは申しませぬ」
馬ニキは項垂れて、しばらく動けなかった。