深く考えずに『平氏末裔』となってしまったわけだが、歴史上の平氏のビッグネームといえば平将門だ。
平氏一門に改めて連なったことで、将門公から何かアクションがあるのではないか── 馬ニキは当初恐れていた。【デビルサマナー】やD2メガテンでは【猛将】マサカドとして仲魔にできるので、【悪魔】側から霊能者にコンタクトしてくる可能性を否定できない。そして将門公は日本三大怨霊として挙げられることもあり、もし荒ぶる祟り神としての側面で接触されたなら、身の破滅間違いなし。
しかし調べるにつれ、今の将門公は真女神転生Ⅱや真女神転生Ⅳに似た、東京の守護者という形で安定していることが分かり、馬ニキは胸をなでおろした。【終末】後の東京は時空の歪みに捕らわれており、神田明神も首塚も外部からはそうそうアクセスできない場所となっている。触らぬ神に祟りなしというが、そうそうアクセスできないのであれば、杞憂にすぎない。
それに将門公が祟るのは首塚を粗略に扱った者に対してであり、公を討った藤原秀郷・平貞盛らに祟ったという記録もない。
だから、馬ニキは油断していた── 千葉茨城東京といった将門公に縁深い地に近寄らなければ大丈夫だと、そう思い込んでいた。
*
夏の盛りも過ぎて、高地にある信州の夜は風があれば思ったより涼しい。
馬ニキは縁側で月を見上げながら、団扇をぱたぱた扇いでいた。麦茶が注がれているグラスからコロンと氷の転げる音がし、それでようやく汗をかいたグラスに気づいたとばかりに手を伸ばし、半分ほどを一息で飲み干す。
か~っ、と酒飲みのような声を出して、馬ニキは再び縁側の外に目を向ける。月光に照らされた庭木の影に何かが潜んでいそうな気がして、彼は眉を顰めた。
先日、宮城の幼女ネキに激励されたため、昼間は山梨・星霊神社のダンジョン下層に挑んで探索に励んだ。
今の馬ニキはLv60ちょっと。下層への挑戦資格を手に入れた*1当初は入口で何度も死に戻りしたが、今では入口付近をうろちょろしても死なない程度にレベルアップできている。とはいえ他の修羅勢からすれば、下層浅瀬をちゃぷちゃぷしているだけ、と生暖かい目で見守ってもらっているのが現状だ。
「知佳ちゃんの膝枕で癒されるべきだったか……」
仲魔を強化するための【悪魔合体】プランを真面目に考えるため、わざと独りにしてもらったのだ。しかし心身共に疲労しているため、思考が纏まらない。
馬ニキはそのまま縁側にゴロリと寝そべり、後頭部に感じる板敷きの固さに物寂しさを覚える。しかし、今から彼女を呼び出すことは憚られるし、体を起こして座布団を枕にすることすら億劫だ。
夜風がさわさわと揺らす葉ずれ音とコオロギの鳴き声を聞き流しながら目を瞑ると、全身がすーっと沈んでいくかのような眠気が押し寄せて来る。馬ニキは布団に戻ることをあっさり諦めて、月明かりを遮るものとして団扇を顔の上に置く。
そのままスッと寝入ってしまった馬ニキは、夜風が団扇をゆらゆら揺らしてそれがすとんと落ちた後も、身じろぎひとつしなかった。
*
「もしや…… もし……」
月光を遮って馬ニキの顔に影が差す。女性の古風な呼び声に、彼は目を覚ました。
「う? むぅ…… !」
瞼を開けた馬ニキは、見知らぬ女性が自分の顔を覗き込むように立っていることに気づき、がばっと跳ね起きた。
「すまない、眠っていたようだ」
彼女が暗殺者であれば命を取られていたであろうシチュエーションに、馬ニキは警戒心を露わにしながらも、敵愾心は出さずに言葉をつむぐ。
彼女は袖で顔の下半分を隠しながら、うふふと笑う。そしてゆっくりした足取りで、手を伸ばせばぎりぎり馬ニキに触れられる距離で縁側に腰掛ける。
その女は、年のころは二十歳と少し。身なりは太夫か傾城か、江戸時代の遊女の最上級と思わしき服を着て、金細工の簪が豊かな黒髪に映える。
「激しい鍛錬でさぞお疲れになったのでしょう? 疲れを抜く良い霊薬があるのですよ?」
どこから取り出したのか、銚子とお猪口の乗ったお盆を二人の間に置き、彼女はお酌のジェスチャーをする。にこりと微笑む彼女に釣られて返事しそうになった馬ニキだが、そこでぐっとこらえて、落ち着いた声で誰何する。
「……君は、誰だ?」
「あら、魅了の術にかからずとは。その益荒男ぶり、気に入りました」
「過去に鬼女に酔い潰されそうになった経験があるのでね。で、私は君のことを何と呼べばいいのかい?」
「如月、と申します」
満開の牡丹の花のようにふわりと笑う彼女だが、その色気は馬ニキに通じなかった。
「如月、如月ね……」
馬ニキは少し考えこみ、横にいる彼女を正面に捕らえるように向き直った。
「飲みながら語らうなら、君でなく妹さんの方がいいな。その、梅園とか、小蝶とか」
すると、如月はすっと愛想笑いを引っ込め、馬ニキと視線をぶつけ合う。二人はしばらく見つめ合っていたが、先に折れたのは如月だった。
「……手練手管が通じぬとは、流石は又従兄弟どの」
「やはり滝夜叉姫か」
山東京伝の読本『善知安方忠義伝』を機として有名になった滝夜叉姫。将門公の娘・五月姫は一族郎党が滅ぼされた恨みから貴船明神の社に丑三つ時に参るようになり、満願の二十一夜目に貴船明神の荒御霊から妖術を授けられ、滝夜叉姫となった。他にも、筑波山の蝦蟇の精霊・肉芝仙から妖術を授かったともされる。
平将門の他の娘としては、近松門左衛門の人形浄瑠璃『関八州繫馬』に小蝶が、歌舞伎『楪姿見曽我』では梅園が、それぞれ登場する。どちらもマイナーな物語であり、単独では【悪魔】として顕現できず、滝夜叉姫に習合する形となっているようだ。
なお、滝夜叉姫は女神転生シリーズのうちコンピューターゲームには登場していないが、TRPGシナリオのストーリーボスとして存在している。
「俺は大宅光圀じゃないけど、どうしてここに?」
馬ニキは、滝夜叉姫の用意した怪しげな酒ではなく、寝る前に放置した麦茶のグラスを手に取る。氷が解けて生温くなった水が少しだけ残っているそれを、ぐいっと飲み干して、緊張で乾いた喉を潤した。
歌舞伎『忍夜恋曲者』では、相馬の古御所に起きるという怪異の噂を聞き付けた大宅太郎光圀が微睡んでいると、京島原の傾城・如月に呼びかけられて目を覚ます。二人が語らううちに光圀は如月の正体を見抜き、如月はとうとう滝夜叉姫だと名乗りを上げる。文武に優れた光圀を味方にしようと考えた滝夜叉姫がそれは敵わず、二人は大立ち回りの末に、滝夜叉は蝦蟇に乗って崩れた大屋根の上に現れて光圀をきっと見下ろして幕となる。
馬ニキの前世にして守護霊【英傑】平維茂は、歌舞伎『紅葉狩』において【鬼女】紅葉に酒宴で持て成されるが、神仏の加護により酔い潰れることなく鬼女討伐に成功している。
この故事から、滝夜叉姫の魅了に引っ掛からずに済んだのだろう。
「先程申したであろう、又従兄弟どの、と。親族に挨拶するのが不自然かえ?」
「本当に挨拶だけか?」
滝夜叉姫の父・平将門と、平維茂の父・平貞盛は、どちらも平高望を祖父とする従兄弟である。そのため親族、又従兄弟という彼女の言は間違っていない。
だが、彼女が単に挨拶しに来ただけとは到底思えない。馬ニキが視線に力を込めると、滝夜叉姫は視線を外して月を見上げ、寂しそうに呟いた。
「伝承により成立した【
触れれば壊れてしまいそうな儚い雰囲気の滝夜叉姫に、馬ニキは根拠のない慰めを口にしようとして、止めた。迂闊なことを口走って言質を取られてはいけない。それは平氏の末裔と見栄で嘘ついて痛い目にあったばかりだ。
滝夜叉姫は、馬ニキが乗ってこなかったことに小さく肩を竦め、夜空を見上げたまま言葉を紡ぐ。
「
「将門公が神田明神に祀られた時点で名誉回復と言えるだろう。家門復活は…… 武蔵国の三田氏は将門公の後裔を名乗っていたはずだけど」
滝夜叉姫は小さく頷くと、視線を再び馬ニキへと向けた。
「そう、それは既に成されておる。だから、二に、一族郎党を根絶やしされたことへの復讐。つまり体制転覆、よ。有力な親族に手伝って貰いたく、まかり越した」
ニタァと嫌らしく笑う滝夜叉姫は、アライメントNEUTRAL-CHAOSである鬼女に相応しい、凄惨な顔つきだった。
夜道でいきなりこんな顔に遭遇したら、並の人間はちびってしまうだろう。
「体制転覆って……」
それを聞いて馬ニキは額に皺を寄せた。【終末】後のこのご時世、日本政府などとうに消滅している。強いてあげれば【ガイア連合】が今の日本をリードしているが、あれも【黒札】が各自で好き勝手しており、個人間の緩い繋がりで連帯しているに過ぎない。いわば、黒札個人が戦国大名として各地域に根を張っているだけであり、政権としての統一体制とは言い難い。
「ぬふふ、又従兄弟どのは勘違いされておる。妾の恨みの先といえば、京の都よ。あそこを恐怖のどん底に陥れてこそ、妾の念願叶ったり」
「えぇー……」
馬ニキは首を捻る。京都は、葛葉キョウジが宮様のご家族保護という名目で頑張っており*2、魚沼支部*3を皮切りに、宮城支部*4*5、沖縄支部*6、兵庫支部*7、北神奈川支部*8、北上派出所*9、夜神シェルター*10、KSJ研究所*11といった錚々たるメンツから支援を引き出している。
そこへ下手に手を突っ込んで、黒札のメンツを汚したとなったら、まぁロクなことにならない。実際に騒動を引き起こした滝夜叉姫の分霊はボコボコにされるだろうし、霊界にいる本霊にすらヤキ入れの影響を及ぼす可能性すらある。
「なぁに、又従兄弟どのが直接手を下さずとも良い。今の京都は複数の黒札が葛葉キョウジという神輿を担いでいる状態であり、ちょっと黒札の足並みが乱れるだけで神輿はひっくり返る」
鼻高々といった態度で策を披露する滝夜叉姫。それを熱弁する姿が面白かったので、馬ニキは否定も肯定もせずに話の続きを無言で促す。
「又従兄弟どのは近々、京に昇って桓武帝に拝謁するのだろう? そこで検非違使あたり…… できれば京に常任するのではなく、年に一度、ちょこっとだけお仕事するような役目を貰ってだな、毒饅頭・獅子身中の虫になってくれれば」
思ったよりも他力本願でガバガバな策が出てきたので、馬ニキは笑いを堪えるために片手で口を覆う。それを真剣に思案していると勘違いしたのか、滝夜叉姫はここぞとばかりに猛プッシュ。
彼女はすらりと衣を片肌脱ぎにして、肩と二の腕を月光下に晒す。月明かりを受けて透き通る雪のような白い肌が淡く輝いた。
「今なら前払いで、妾の
パチコーンとウィンクして色仕掛けでにじり寄る滝夜叉姫。だが馬ニキは、小さく首を横に振り、彼女の背後── 縁側の奥、座敷部屋を指差した。
「そちらに何ぞ? ──!!」
滝夜叉姫が振り返ったその先には、二人の人型悪魔が彼女を食い殺さんばかりの勢いで睨みつけていた。どちらも馬ニキの仲魔、黒札専用シキガミ《ヒメ》と鬼女紅葉である。
この二体の仲魔はどちらも滝夜叉姫より高レベルのようで、威圧された滝夜叉姫は動きを止める。
「主様の周りをうろつく不埒な女悪魔は駆除します」
「平維茂の傍に侍る鬼女は妾ひとりで充分よ。ぽっと出の鬼女に割り込む隙などありやせぬ」
《ヒメ》と鬼女紅葉は、それぞれ右と左から滝夜叉姫の腕を掴み、ずるずると引きずっていった。
「さぁて、泥棒猫はどう料理すべきかな」
「同じ鬼女のカテゴリーですから、悪魔合体で紅葉さんの強化要素にしちゃいましょう!」
「そうだな、妾はローカル伝承から生まれた弱小悪魔だから、主の成長に置いて行かれないためにも霊器強化は必須。滝夜叉姫とやら、妾の糧になっておくれ」
ようやく事態に気づいた滝夜叉姫は、じたばた暴れて拘束から抜け出そうとする。しかしレベル差があるようで、振り解けない。
「ま、又従兄弟どのーっ! 助けて、助けてたもれーっ!」
「夜分に大声は近所迷惑です。おいたが過ぎると、
《ヒメ》がペチンとデコピンを喰らわすと、滝夜叉姫は脳震盪を起こしたっぽくカクンと静かになった。
「うわぁ」
滝夜叉姫も全国レベルのメジャー伝承ではないから、現在Lv60の馬ニキと肩を並べる黒札専用シキガミよりは弱いと思っていたが、想定より実力差があったようだ。
馬ニキが思わず漏らした声に《ヒメ》が振り返る。馬ニキはサムズアップで彼女に応え、滝夜叉姫はそのまま連行されていった。
縁側に独り、馬ニキが残される。彼はひとつ大きな欠伸をして、再びごろりと横になって目を閉じた。すやすやと寝息が聞こえてくるまで、そう時間はかからなかった。