牧場としての『浦野牧』に、久々に家畜販売の注文があった。発注元は長野県の北部にある戸隠神社で、輸送・農耕の労働力として牡馬・牝馬を各1頭ずつ。DDS-netを経由しての依頼となる。
「こう言うとアレだが、まさか売れるとはなぁ……」
牧場で飼育している馬を見繕いながら、馬ニキが独り言ちる。
そもそも『浦野牧』は【終末】後に文明レベルが大きく下がることを予想してその備えとして立ち上げた牧場である。しかしショタオジの頑張りにより終末後も(少なくとも【黒札】が運営するシェルターは)日本の文明レベルはそれなりに維持されている。
自動車については多脚戦車の技術をベースとした車両と【オボログルマ】をベースにした終末対応改造車*1の2種類の技術ツリーが存在し、自動車を失った人々が馬という家畜労働力に戻るという想定は覆された。
現在、馬を欲しがるというのは、単なる趣味か、【ガイア連合】が開発するオカルト技術ベースの車両を購入・維持できない弱小シェルターのどちらかでしかない。
今のところ『浦野牧』では【覚醒馬】*2は産まれておらず、また【鶏加護プログラム】*3も亜種である【馬加護プログラム(試作品)】も消費マグの割に
売り渡す2頭を選び出していったん厩舎に入れ、さて納品の日付や段取りをどうしようかと馬ニキが事務所に戻ったところで、『浦野牧』シェルターの【金札】
「戸隠神社について簡単な調査が終わりましたのでご報告を」
「俺は、特に黒札とは紐づいていない【多神連合】系の組織としか知らないけど、何かあった?」
「このご時世、黒札と繋がりを持とうとするのは当然ですが。"ブラウニキ"さん*4が出された据え膳を美味しく頂いたものの、
「馬を買うのは
「
宮下周は露悪的に顔をしかめてみせ、性根が甘ちゃんの黒札に警告する。
「取引の初回からガイア連合にぶら下がって甘い汁を吸いたいなどと言い出すことはないでしょうが、馬の蹄鉄メンテナンスだなんだと、定期的に呼び出すつもりでしょう」
「お隣さんと定期的に顔を合わせるのは別に悪いことじゃないと思うけど」
「基本的に、呼びつける方が格上で、出向く方が格下ということをお忘れなく。【トラポート】が使えるとはいえほいほい出向くようでは軽んじられます。舐められたら負けですぞ」
宮下周にギロリと睨まれて首をすくめる馬ニキ。
舐められたら負けってまるで鎌倉武士的な思考だが、いやまぁ終末後だしね。仲良し小好しではやっていけいないと言われたら、その通り。
「
かつて新潟・魚沼支部の田舎ニキ発案で新潟から山梨までの街道計画*6が立ち上がったとき、長野県のルートを仕切った*7のはガイア連合上田市派出所長としての馬ニキだった。
「十日町市は田舎ニキのお膝元・魚沼の隣だし、そこしかルートはあり得ないでしょ」
「ガイア連合内の視点ではそうなりますな。あちらとしては自分たちが無視されたと思っているでしょう。あちらもガイア連合に堂々と敵意を示すとは思えませんが、要らぬ言質を取られたりしませんように」
*
戸隠神社の位置する戸隠地方は、彼が仲魔にしている鬼女紅葉と縁深い土地である。鬼無里村、鬼女紅葉伝説における彼女の終焉の地。そこに赴くことで彼女のパワーアップに繋がるイベントが発生するとか、捕らぬ狸の皮算用をして浮ついていたのだから、身内の金札からしっかり釘を刺されてしまった馬ニキも自業自得であろう。
善光寺跡地まではトラポートで瞬間移動し、そこから戸隠神社までおそよ20km。覚醒者と悪魔(黒札専用シキガミ)と馬のグループであれば、一番足が遅いのは単なる動物である馬になる。それでも坂道山道を時速5kmほどで移動し、お昼ちょい前には戸隠神社へ到着できる。
事前の取り決め通りに荷役馬を引き渡し、厩舎の人間に簡単な世話のレクチャーをしたところで、戸隠神社の人からお昼ご飯に誘われる。
「いよいよ腹芸の時間か……」
周りに聞かれないように声に出さず呟き、内心で覚悟を決めて馬ニキはお座敷へと案内される。色仕掛けを警戒して、相棒たる黒札専用シキガミの<ヒメ>も同席させるが、馬ニキの緊張を解すかのようにまずは食事を、と勧められる。
「戸隠といえば蕎麦でしょう」
そう言われて出されたのは、温かい汁の香りがふわりと漂う、何の変哲もない鴨南蛮蕎麦。
「……いただきます」
まずは丼を持ち上げて汁を一啜り。醤油と味醂と、ダシはキノコと川魚の焼き干し。焼き色のついたネギに比べ、肉は家禽でなく野鳥を狩ったのだろうか、脂という点ではやや物足りない。醤油と味醂は醸造蔵を自前で持っているのか、他所からの輸入品か……
箸で麺を少量摘まんで一口、これは二八、いや一九か? 小麦の割合が少ないのは
ああ、『何の変哲もない』は終末前の基準で、これは終末後においては贅沢な逸品だ。ガイア連合所属ではない
「美味しいですね。……だからこそ、惜しい」
馬ニキは懐から片手に隠れる程度の缶を取り出した。
「それは、八幡屋磯五郎?!」
「入れ物だけで、中身はオリジナルブレンドですけどね。マイ七味を、こう、ぱらっと」
八幡屋磯五郎は日本三大七味唐辛子と謳われた、善光寺門前の銘品である。終末後の長野市・善光寺は滅んで無人の地となり、八幡屋磯五郎も絶えてしまったのだが、原料は分かっているのでガイア連合の料理人ジャンニキに依頼して調合してもらったのだ。
しかも素材がスパイス・生薬なので、ガイアカレーと同じく医療としても役に立つ。ただしガイアカレーと同等の薬効を引き出すためには七味唐辛子を山ほど使わなければならないので、辛党以外にはお勧めできない。
ガイア七味を一振りすると、丼が一瞬光ったかのような錯覚を覚える。改めて汁の匂いをかぐと、香ばしさが段違いだ。
ガイア七味を隣の<ヒメ>に渡すと彼女も一振りし、接待役の人にも無言で渡す。接待役も釣られて一振り。そして。
「「「んまーい!」」」
それ以上の言葉はいらない。美味いものを食うと、食うのが忙しくて喋る暇がない。
食べ終わった後も余韻にひたり、そのまま満足して軽い世間話に終始する。
……腹芸? なんかあったっけ?