リヤカー2台を連結して馬一頭御者一人の、商隊としては最低限の構成。それが時速60kmで移動するとなれば、さぞかし周囲からの注目を集めると思いきや、馬ニキ一行は上田市の『浦野牧』を出てから長野市まで誰ともすれ違わなかった。それも当然で、【終末】後における新潟・山梨間の霊道は利用頻度がそれほど高くない。整備された霊道といえども道中で野良悪魔に襲われる可能性があり、【未覚醒】者は備えなしに通ることなどありえない。
覚醒者でも護衛をしっかり用意して大規模な輸送部隊を編成するのがほとんどであり、新潟ではマザーバンガードによる空路輸送も頻繁に行われる*1し、長野県の月架手シェルターは地中を移動可能な揚陸艦・土隠れあきつ丸號を保持する*2など、陸路以外の選択肢もある。
馬ニキは
すると千曲川の水面が揺れて、河童がひょいっと顔を出した。
「馬の旦那、ご苦労様です。ここらに異変はありませんぜ」
「ご苦労さん、いつもありがとう」
この河童はかつて馬の姿の馬ニキを川に引きずり込もうと悪戯して逆襲され、以降は馬ニキの子分となっている。もっとも主従関係を明確に結んだわけではなく、現地協力者というポジションだが。
「そういや旦那、千曲川を遡上する鮭が年々増えているみたいでね」
「わかっているとも。夏の終わりにキュウリを植えても秋の収穫に間に合う*3から、鮭とキュウリの交換で良いか?」
「へへっ、旦那は話の分かるお方だ」
長野県では千曲川、新潟県になって信濃川と名前を変える一級河川。平安時代から全国屈指の鮭の産地であり、かつては上田・松本・上高地まで遡上した記録が残っているが、1940年以降はダムや水力発電の影響で鮭の遡上は消えた。それがアラハバキの『自然に帰れ』ビーム*4により状況は一変したのだ。
馬ニキは『自然に帰れ』ビームにより相当な被害を被ったが、こうして海の幸が山奥でも楽しめるというなら、あの時の苦労も報われたのだと嬉しくなった。
*
川中島で一息ついた後は、『隠れキリシタンの聖堂・善光寺』異界周囲に配置した式神・
かつて荷役馬の納品に一度出向いたことがあるので、戸隠神社への道のりに不安はない。それどころか、戸隠神社が新潟・上越までの霊道敷設計画に着手したのか、長野市内から戸隠神社までの道中に修繕箇所がところどころ見受けられる。戸隠神社が【ガイア連合】の支援を受けるにしろ最低限の実績は作っておきたいという意図なのだろうか。
戸隠神社に到着し、ガイア連合製浄水器を荷下ろしして納品書にサインを貰い、戸隠産のそば粉をリヤカーに積む段取りになったところで、誰しもが振り向くような美女が自称・交渉担当者として現れた。
『あの方は』
『戸隠神社の祭神の一柱、アメノウズメだな。自衛隊ニキネキのショーでバックダンサー*6をやっていた顔に見覚えがある』
『主様が若い男だからって、女を交渉相手にするのは安直ですわ!』
式神の<ヒメ>と視線で会話しながら、変に色仕掛けで無理難題をふっかけられないよう内心で対策を練る。
まずは挨拶しようか、大事なことだ。
「ドーモ、アメノウズメ=サン。平田維茂です」
「……丁寧な挨拶、痛み入ります。火之御子社を預かるアメノウズメでございます」
おかしいな、古事記にも記されている奥ゆかしいお辞儀の作法のはずだが、彼女のひきつった笑顔を見ると通用していない?