最強黒魔導士によるウマ娘育成のススメ 作:エビフライ定食980円
――銅か、Copperと発音してください。
(ふむ……、これは素晴らしい名著であったな……)
日本ウマ娘トレーニングセンター学園の中庭ベンチに座る1人の男は、それまで読んでいた1冊の本を閉じ、その内容に思いを馳せつつ掛け値なしに評価する。
「やはり、芥川グレイタードラゴン之介が記した黒魔導論文には名著が多い。
よもや、金属精錬魔法を実戦に転用する手法を編み出すとは……」
読んでいる書の中身もさることながら、男の外見は更に常軌を逸していた。
全身を黒で纏ったかのような漆黒のローブからはいかなる肌の露出はなく。
顔はまるで中世のマスカレードで身に着けられるような仮面によって完全に覆われていて。
本を読んでいたはずのその男の手の内には、本は携えられておらず、ただ1本の杖のみを持ち、本は自立するかのように空中に浮いていた。
その男には、確かに名前はあった。が、しかし先の『グレイタードラゴン之介』が示すように、優れた魔導士は、討伐したモンスターの名を自身の名前に取り込むことが出来る……即ち、この男は破格の黒魔導術に通じていたために名前が長くなりすぎて常人ではとても記憶できるものではなくなってしまったのだ。
しかし当然、大脳皮質にプランク長ほどの大きさで直接記憶を焼き付けることのできる男にとって、その程度の己の倒したモンスター共の足跡を丸暗記するなどということは造作も無い。
だが、男がかつて栄華を極めたどこか別の世界では、誰よりも優れた黒魔導士であったことから単に『黒魔導士』と言えば、男のことを指し示す域にまで達していたことから、男も殊更に自身の名などというものに拘泥することは無かったのである。
「しかし……。バカみたいに大気中のマナを吸っているあの三女神像は、壊してはならないのか。あれでは、市井の魔法使いがまともに育たなくなるではないか」
男の呟きは、雲一つない青空の中に消えて行った。
*
「えぇー……。『中央』はウマ娘もキラキラしてるけど、まさかあんなに
選抜レースの当日。この日、ナイスネイチャは時間ギリギリまで商店街から駆けつけてきていた応援の声から身を隠すために、人気の無い場所を探してうろうろしていた。
だからこそ『何故か』誰も居ない中庭にこれ幸い! と、足を運んだ結果が、全身黒ずくめのいかにも怪しげな男が、何を考えているのか良く分からない有様で、本を宙に浮かせている現場と対面することとなったのである。
(うーん……背に腹は代えられない、とはいえ。流石に、こんないかにも『不審者』! って人に伝言を頼むのも……)
ナイスネイチャはしばらく立ち止まっていたものの『やっぱりないわー』との結論に至り、その場を後にしようと踵を返そうとすると、それまで一度も彼女の方に向き直ろうとしなかった男が突然口を開いた。
「……おい。そこの――『素晴らしい素質』よ」
声をかけられた瞬間は、彼女自身は完全に名前負けだと思っている呼び名であり、それを目の前の不審者が把握しているとは思えなかったためにスルーしようとしていたナイスネイチャであったが、まるで『魂』そのものを鷲掴みされたかのような錯覚を覚え、思わず脚を止めざるを得なかった。
「……それ、もしかしてアタシのこと言ってます?」
「ふっ……。貴様でこの俺に話しかけてきた小娘は……13人目だ」
明らかな不審者に対して意外と多かった。……トレセン学園のウマ娘にはお人好しが多いのである。
「いや、今ココにアタシたち以外誰も居ないし、そりゃアタシに話しかけられたって思うでしょ」
ナイスネイチャのジト目の突っ込みを軽く受け流し、男は語る。
「――問おう。貴様の名は何という?」
「……ナイスネイチャですけど、それが何か? というか、さっきの素質云々も気になると言えば、気になるかなって感じなのですが」
ネイチャは警戒心を露わにしていたが、やはり黒魔導士たる男にはそれは全く通用しない。
しかし、ナイスネイチャはこの瞬間に、男の漆黒のローブの胸元辺りがちらりと光るのを見る。最初は黒光りかなにかだと思っていたが、それが太陽光の反射であると分かり、その部分に注目してみると真っ黒なローブにトレーナーバッジを付けていた。
(……あ。この人、トレーナーさんだったんだ。てっきり今日の選抜レースの応援に来たお客さん、という名目で学園に侵入して目立とうとした不審者かと……)
そして、曲がりなりにもトレーナーがデビュー前のウマ娘に名を聞く。それがどういう行為を指し示しているのかは、ナイスネイチャも実感は無いが朧気ながら理解はしていた。
「やはり、か。俺の見込んだ通りだ。
かの『イスネイ』を倒した……となれば、それだけの黒魔術的素質にも納得がいく。
イスネイを倒し者よ……共に、グレイタードラゴン討伐へ赴き、師を越えようではないかっ!」
「――『イスネイ』って、誰ぇ!?」
*
「『イスネイ』で切り抜くと、最初に不自然に『ナ』だけ残るんですけど!?」
「……この世界では女性の名前にするときに『ナ』と付けることもあるのだろう? 俺はそうした世界間の『カルチャー・ギャップ』にも詳しいからな。……ほら、エカテリーナとか、カトリーナとか、清少納言とか」
男は、世界と世界の間にはカルチャー・ギャップが存在することは、これまでの経験から知っている。だからこそ、このようにしっかりと文化的な差異も研究して把握してから現地人とのコンタクトを取っているのだ。
「いやー……前2つと清少納言は無関係だと思うけど……。それに百歩譲っても『ナ』単品で名前を付ける文化はきっとこの国には無いかなー……」
……なお、この更なるどこか別の世界では昭和6年生まれの『ヤ』という名前の競走馬が居るので割と紙一重の話だったりする。
男は更に続ける。
「それに、この世界のウマ娘には名家というものがあるのだろう? メジロ然り、シンボリ然り。
貴様も『チャン家』の一族ということだからすぐに分かったぞ」
「あのー……『ナイスネイチャン』ではなく、ナイスネイチャなんですけど」
「――なにっ!? では、カレンチャン、アストンマーチャンに続くチャン家の系譜では無いのか!?」
漆黒の男は仮面の向こうで瞳を大きく開いて驚く。
男のことを擁護するのであれば、彼はトレセン学園に赴任するにあたって全てのウマ娘の名前を記憶していた……先の大脳皮質に焼き付けるという手書き魔法で。
数千はいようかという現在の在籍生徒の名を1人1人手書きしていたのだから、その中でどうしても誤字・脱字が出てしまうのは、如何に男が黒魔導士として優秀であっても致し方のないことであろう。
しかしその単純作業を行った恩恵として、様々な生徒名を書き連ねていくうちに、共通項を見出した。それが『名家』を示す共通の肩書きであり、複数居た『チャン』と名の付くウマ娘たちと共に、『ナイスネイチャン』と誤認していたからこそ生まれた勘違いであったということである。まあ『チャン家』は男の脳内にしか存在しないが。
つまり、男からすれば、目の前のウマ娘は『ナ・イスネイ・チャン』と認識していた。
「ナ・イ・ス・ネ・イ・チャ、だ!
……チャンでもイスネイでもなく、ネイチャって呼んでください!」
「ナイス」
「……えっ、そっち!?」
「――ナイスナイスナイス!」
「だぁっー!? 3回続けるとなんだか別の子の名前に聞こえるからやめて! ネイチャです! ……というか、それだったらまだイスネイのがマシ!」
「……そうか。ならばイスネイよ。
……時間は大丈夫なのか。もう選抜レースは始まっていると思うが」
黒魔導士がそう言ったので、ナイスネイチャは校舎の時計を見ると、既に自身の出走する芝・2000mの模擬レースの予定時刻から5分越えていた。
「えっマジ!?
あー……、もう手遅れ、か。
3着、どころか……まさか、出走すら出来ないとは、ねえ……」
ナイスネイチャは初めての選抜レースに参加できなかったことに気付いてしまい気落ちを隠せない。
まだ選抜レースは何回も開催されるけれども、流石に大事な一戦を意図してではないとはいえ、無断ですっぽかしてしまったこと……そして、商店街からわざわざ足を運んでくれた人たちも居たのに、その厚意を無下にしてしまった罪悪感でいっぱいとなってしまって思わず自嘲する。
黒魔導士の男は、半ばこの事態を引き起こした主犯であった。
だからこそ、そのキモいほどに黒光りをするローブを土で汚して、土下座をしてナイスネイチャに許しを請わねばならない場面であった。
しかし、男はそのように悪びれることもなく、こう言い放つ。
「では、時を戻すか」
「……へ?」
男は懐から取り出した、どこにでもありそうな変哲もない『目覚まし時計』を取り出すと、それに魔力を込めそのまま地面に投げつけ叩き割った。
⏰
「……時計は戻ってる、けど」
学園校舎の時計の針は先ほどの時間から10分ほど巻き戻っている。ただ、それ以外の光景は、壊れた目覚まし時計が眼下にあることを除けば何も変わらなかった。
「一応、元の魔道具では記憶は継承されないはずであったが、そこは俺の魔法で調整して……いや、今はそれは良いか。
とにかく、俺が引き起こしたことを信じるか否かは別にどうでも良いが、取り敢えず選抜レースの会場に行った方が良いんじゃないか、イスネイよ」
「あ、やばっ! ええと……ありがとうございます……で良いのかな? では、そういうことで!」
そう言って走り去るナイスネイチャ。男はその姿をしばらく眺めていたが、すぐに飽きたかのように懐から新たな本を取り出す。
「『Wizの踊り子』――これも、ずっと気になっていた魔導書だ。
さて、また時間を巻き戻して読むか……おっと」
男は気付く。
先ほど使用した『目覚まし時計』が最後であったことに。
とはいえ、男はそれを惜しまない。何故なら、この魔道具は、男がこの世界に降り立ったときに右下のプレゼントボックスに入っていただけの代物で、無くなったところで男の懐が痛むわけでは無いから。
加えて言えば、別に男も黒魔法で時間を遡る手段自体は確立しているからである。ただ……読書という手段のために魔力を浪費するのは、少し惜しいと思うくらいには高度な魔法であった。
男は、収納魔法を無詠唱で使用して、2冊の本を異空間へとしまう。そして、小さく溜め息を吐きながら、
「……行くか」
と、つぶやくと、その次の瞬間には男の姿は中庭から完全に消失し、ナイスネイチャの出走する選抜レースが開催されるグラウンドへと瞬時に移動したのであった。
*
「しかし――惜しくも届かず!
ナイスネイチャ、3着でゴールインっ!!」
鋭い末脚をナイスネイチャは魅せたものの、しかしそんなネイチャと同格かそれ以上の生徒が全国から集まるのがこのトレセン学園で。
「ま、こういうオチですよねー。
……わざわざ時間を戻してもらって出走しても、3着……か」
そう言ってターフの上で息を整えているナイスネイチャを、じっと見つめる黒ずくめの男。傍から見たら不審者そのものでしか無かったが、胸についているトレーナーバッジが何とか周囲の人間の110番通報を押し留めていた。
やがてナイスネイチャが、グラウンドから離れて寮への帰路へと就こうとしているのを見届けて、男は再度転移魔法を使用する。
「なあ。イスネイよ」
「へ……へぇぇ!? さっきの黒コートのトレーナーさん!?
え、えっと……今、どうやって此処に!? というか、目の前に急に出てきたよね!?」
「ん? ……ああ、転移魔法のことか。
別に大したことはしていない。一旦分子レベルで自分の身体を分解して、移動先で再構築しているだけだ。足りない分子は別の原子のプロトンをぶつけて作っているから、別に危険なものではない」
「いや……そういうことを聞いているんじゃなくて……」
「?」
男の『転移魔法』の説明では、つまり核融合反応に準ずる反応が起きていることになり充分に危険ではあるのだが、とはいえ、拾った魔道具で『時間の巻き戻し』という光速度不変の破壊を既に行っている以上は、確かにまだ大人しい部類の魔法ではあった。
そしてナイスネイチャは、そのような魔法の原理を聞いたわけでは無かったのだが、でもピントのずれた回答を聞いて、かえって平静を取り戻す効果はあった。
「……というか、アタシに何か用があるかもしれないけどさ。
こんなところで、油売ってるとテイオーがトレーナー決めちゃうかもだよ?」
「テイオー……? ああ、トウカイのことか。
アレもまあ、気になるところはあったが、今はどうでも良い。それよりも――」
「……へ?」
「イスネイ……レースを見て確信した。
――貴様、何故かは知らないが、呪われてるぞ」
「えええええぇぇぇぇーっ!?!?」