最強黒魔導士によるウマ娘育成のススメ 作:エビフライ定食980円
「――各ウマ娘、そろってキレイなスタートを切りました!」
「おっと、ナイスネイチャが綺麗にスタートを切ってポンと前に出てきていますが……ハナは譲るようです。落ち着いていますね」
「そうなりますと、真ん中の方から8番アップツリーが出ていきます。アップツリーがすっと前に並びかけてきて……イイデサターンとネレイドランデブーも好スタートです――」
東京芝1600mのスタート地点は、バックストレッチの直線をフルで使える位置。だからこそ、第3コーナーまでの長い長い道のりで集団のどこに自身が収まるか、ということに時間を使うことができる。
スタートの反応が良かったナイスネイチャは内枠であったこともあり、序盤の主導権争いに絡めるポジションを期せずして確保していたが、先頭の景色を情報収集にだけ用いた後は、その有利な位置取りを早々に手放して後退する。
(……何か、めっちゃスタート上手くいった……。ってか逃げの子たちの加速めっちゃ速っ……! これは、ついていけないわ……)
ナイスネイチャの構想には、序盤で加速するというビジョンは一切無いし、そういったトレーニングも積んでいない。だからこそ、GⅠレベルの逃げウマ娘による序盤のハナを巡った争いに、介入するだけの経験は不足している。
無論、不可能というわけではない。ナイスネイチャの持ち味は爆発力を兼ね備えた末脚だ。それを転用すれば十二分に競えるが……ただし、可能なだけだ。それは『掛かり』よりも酷いものになりかねない。
「さて先頭はアップツリー……それをここでネレイドランデブーが抜かしていくが、これはちょっと掛かり気味か。
その後ろに2番人気・イイデサターンはこの位置。ヴァイスシーダーやセトホーライがこの後ろに続いて、そこから1バ身2バ身後方に2人固まって、その後ろにナイスネイチャ。ここまでが先頭集団ですが……。
……おや? 後方集団との開きがかなりありますね。ナイスネイチャの後ろは5バ身ほど離れております。前のペースが速い、ということでしょうか?」
「200mから400mのハロンタイムは10秒6、確かに速めのペースでありますが、例年もここでペースが上がることも多いので極端な展開というわけではないですね。
むしろ、後方のウマ娘たちが無理をせずにレースを見ている、と言った方がいいかもしれません」
逃げ・先行の前方集団と、差し・追込の後方集団が5バ身差ほどの大きな分断が生じたレース展開。
スタートが良かったために後ろに下がり気味で付けていたナイスネイチャであったが、それでも前方集団の最後方の位置であった。
順位で言えば8番手の位置に収まったはいいものの、中団が存在せず、中がぽっかりと空いてしまっているがために、差しの子たちとはやや距離がある。
この区間は、スタートから下り坂をするするっと降りた先に、上りの急坂があるという場所。だからこそ前の子たちは、スタートからの加速局面で蓄えたスピードのままに坂を越えようとすることもある。その結果、ややハイペース気味になりがちとなった。
しかし、ネイチャは急坂でもその前の下り坂でもあまり速度を大きくは変えずに後ろに付けようと走ったことで、先行集団の最後方の位置まで潜ることには成功した。
(けど……。ちょっと後方集団が後ろ過ぎる、かも……。
下がっていくときに、ソーエーもマイカグラも居なかったし……どっちも後方集団なのは確定、なんだけど)
ここまでナイスネイチャはミスを犯していないどころか、むしろ冷静に判断をしながらレースを進めている。しかしペーパーテストではないのだから『正しい判断』を重ねるだけで勝利できるとは限らない。
残酷だが、今日のNHKマイルカップのレース展開においては、それが如実に出ていた。
依然、向こう正面のまま。第3コーナーカーブも少し先の現状――何より、最終直線距離が長い東京レース場においては、まだ仕掛けるには早いポイントだ。だからこそ、更に退く選択もある。
一方で、速くしたり遅くしたり小刻みにペースを変えるよりも、一定のペースで走った方がスタミナの計算はしやすい。加減速というのは想像以上に体力を使う……というか体力よりも気力をごっそりと持って行く。
更なるペース下げか、維持。
どちらも一長一短という厳しい選択が再びナイスネイチャに襲い掛かる。
(ここは……下がれない。
今更、ソーエーたちのところまで下がったら序盤ハイペースだったアタシが不利になる)
「さあ、再びここから第3コーナーの中ほどまでは緩やかな下り坂となります! ネレイドランデブーが先頭をキープ! 彼女がレースを引っ張ります。イイデサターン現在2番手。3番手は、内の方を通りましてアップツリーが進んでいきます。
前の方の順位変動は少なくやや安定したレース展開になっています――」
「先頭のネレイドランデブーがペースメーカーの役割を果たしているようにも見えます。先ほどまでと打って変わって、締まったレース展開へと持って行きましたね」
「こちらの時計では、1ハロンあたり1秒近く遅く、ペースを落としております。……これは、走っている彼女たちも気付くものなのでしょうか?」
「一概には判断し難いですが……。そうですね……これだけ順位が変わらないとなると、前方のウマ娘たちが気付いて示し合わせている、という可能性はあります。
……が、偶然かもしれませんし、やはりなんとも言えないところです」
――前方のスローペース化と、展開の膠着化。
ナイスネイチャ、そして他の競走ウマ娘にとっても、更なる難局が続くこととなる。
*
(前との差がちょっと詰まった、のかな……?)
ナイスネイチャは違和感には気付いた。それは自分自身ではペースを大きく変えていないのにも関わらず、6番手・7番手の子たちとの間にあった差がほとんど無くなっていたということに。
その理由は最先頭を走っていたウマ娘が、実況席目線ではやや掛かり気味だったところから、一気にレースを引き締めた結果、前方集団全体がスローペースになったから。
しかし、それを走りながら把握するのは困難を極める。
まず第一に、ナイスネイチャは一番前の子が、掛かっていると言われていたことを知らないし気付いていない。
そして、ナイスネイチャ自身はそのハイペースだったときの先団のペースに合わせていない。
だからこそ、迷う。
(これは前のペースが落ちた……? いや、でもずっと下り坂だし、普通ペースは上がるものなんじゃ……?
じゃ、じゃあ、アタシが知らず知らずのうちに『掛かってる』……?)
前を見れば、確かに詰まってきている。
しかし、それは今彼女が悩むどちらの理由かを特定するのに足る情報ではない。
ましてや自分が掛かったかどうかなんてものは、把握できるものではない。では、どうするか。
(……っ! 後ろっ!)
ナイスネイチャは後方集団の様子を軽く振り返って伺う。
「――さあ、1番人気・イブキマイカグラはまだ後ろ……この位置です。一番後ろから行きますイブキマイカグラ、外から少しずつ上がって行こうかというところ。
これから第3コーナーに入ろうかというところで、イブキマイカグラはまだ後方……ですが、各ウマ娘、隊列が大分固まってきましたね」
「前から後ろまでほぼ一団となりました。ある意味では、今の状況はフラットと言えるでしょうね」
後方のウマ娘はナイスネイチャにもうすぐ傍まで迫ってきていた。
(……ってことは、前が遅いか後ろが速いか。なら、さっきのことも踏まえれば、前が遅い!
というか、外にソーエーの姿もあるし!)
ソーエームテキは内を走るナイスネイチャから見て斜め後ろのやや外気味に走っていた。つまりは、これで同じ条件となった。
先ほどまでナイスネイチャは『ソーエームテキの位置まで下がったら自分が不利』と考えていたために、その姿を見て一瞬『間違えたか……?』と身構えたが、それもすぐに払拭する。
なんてことはない。ネイチャだけが敢えてペースを落として下がったのではなく、ソーエームテキら後方集団が相対的に上がってきたのだから。
実際のところ前方集団のローペース化とともに後方集団は逆にやや高速化していたという側面はある。大きく差が開いていたときには前方と後方の集団の幅は5バ身差で、これはタイムにすれば1秒程度の差。
そして、先頭を行くネレイドランデブーがタイムを1秒遅くした……ということは『後方集団がそれまでの先行集団レベルのハイペース』である場合に限り、この差は縮まる。ということは、それまで抑えていたのだから後方集団がペースアップしていることに繋がる。
しかし、ナイスネイチャはそこまでの複雑な理解の過程を経ずに状況証拠だけで置かれている状況を推測した。
そして咄嗟の考えが全てを左右しかねないレースという瞬間の判断力が重要となるレースの場においては、大きく誤った判断でさえなければ、無理に正確性を突き詰めない方が良い結果を産むことはしばしば起こりうる。
策士だとかトリックスターのごときウマ娘でも無ければ、状況を支配しコントロールすることなど不可能なのだから、深い洞察というのは二の次になる要素と言えよう。
しかし、全くの感性頼みのレースでは、己の直感の鋭さに左右されてしまう。それはそれで不安定になりかねない。
そういう意味では、ナイスネイチャという『中庸』なウマ娘は、実にバランスよく仕上がっていた。
研ぎ澄まされた思考があるわけではない。
抜群の感性があるわけでもない。
しかし彼女は、思考と感性のどちらも重用していた。
その取捨選択の判断能力は――この場におけるどのウマ娘よりも優れているのかもしれない。
*
「大ケヤキを越え第4コーナーに入りまして、先頭は依然ネレイドランデブー! イブキマイカグラは後方2番手でややバ群に囲まれているといったところ! この位置から届くのでしょうか!?」
「隊列は7バ身から8バ身ほどですから、直線一気の勝負を狙っているということでしょう。まだ分かりませんよ――」
丁度集団の中央に位置するナイスネイチャのすぐ外にはソーエームテキが併走するような形で、最後のカーブ。
しかし、このカーブが終わっても尚525.9mの最終直線を残している。だからこそ、まだ誰もスパートを切ろうとはしない。
門別レース場にて2度対戦したソーエームテキ。その2度目の対戦、イノセントカップではネイチャはロングスパート勝負を仕掛けて、ソーエームテキは先頭をこの第4コーナーでは走っていたのだから、今の状況はまるで好対照である。
「さあ、隊列は横に大きく広がりながらも、直線を向いた! ネレイドランデブー、ネレイドランデブーが先頭! 外からはイイデサターンも上がってきております――」
まだ距離はある。仕掛けどころは坂の後のラスト300mとなれば、気を付けるべきは位置取り。幅員が充分に確保されている東京レース場だからこそ、既に横に大きく広がっていた。
そしてネイチャも、既にやや外に膨らんでおり前の視界は開けていて、その更にすぐ外にはソーエームテキがしっかりと付いてきている。
仕掛けるべきは――坂の後。
だからこそ。
勝負どころは最終局面にもつれこむ――というのは。
この東京レース場でのセオリーだ。
……そう。
それは。
『東京』でのやり方なのだ。
「……おっと、ソーエームテキとナイスネイチャが同時にここから仕掛けます! 勝負どころと言うのには、やや早い位置ですがこれは――」
「ロングスパート、ということでしょうね。後方のウマ娘はこの2人をここでは無理には追いません」
「早い位置からスパートをかけたソーエームテキとナイスネイチャ! 既に何人も躱して先頭へと躍り出る勢いだぞ!?」
(……ソーエーめ。
やっぱり、同じこと考えていたか)
ナイスネイチャとソーエームテキの2人の表情は、同じようにして笑っていた。
本来のセオリー外の位置からのロングスパートによる強襲、即ち。
門別のジュニア級の覇者であり、この2人が届かなかった――ナスノホシジョーの走法であった。
このGⅠ・NHKマイルカップのターフの上の18人のうち、その少女の走りを知る者は、ナイスネイチャとソーエームテキ以外に存在しない。
*
「――さあ、坂にかかりまして、ソーエームテキとナイスネイチャが共に先頭! この2人がすぐ横に並んだまま素晴らしい勢いで坂を上っていきます! 残り400m!」
2人で先頭には出た。後は、このまま順位を維持すれば――勝利。
そして彼女たちにとって追い風となったのが、途中で一旦ペースを落ち着かせたとはいえ、序盤はハイペースであったこと。だからこそ、前を進んでいた先行集団のウマ娘らは軒並み垂れ始めていた。そうでなくてもここからスパートをかけて『逃げて差す』などという芸当はとても出来そうにない。
「GⅠの舞台で、誰が予想したでしょうか!? 元北海道ウマ娘のソーエームテキと、唯一の北海道からの登録ウマ娘、ナイスネイチャ! この2人の地方からの刺客が、2人だけで最終直線で先頭を争っております!」
それは――まさしくあり得ない光景であった。
GⅠの舞台でこれまで活躍した元・地方のウマ娘は居た。GⅠを勝利した者も居る。
しかし。
かつては同じ地方トレセン学園の所属で……しかも、同じルームメイトであった2人のウマ娘がGⅠレースという舞台において、優勝争いをするというのは――前代未聞であった。
今日、東京レース場を訪れた観客が。テレビや携帯端末などの画面越しに見ている視聴者が。
この瞬間を目撃している者全てが魅了されていた。その情景に。そして2人が込めた『想い』に。
まるで。
神がかり的な光景がターフの上に広がっていた。
だからこそ……なのだろう。
その幻想を終演へと導く走りが、神々の鎮魂を司る――神楽の舞であったのは。
*
「坂を越えて残り200m! ソーエームテキか!? それともナイスネイチャか!?
――いや! 大外からイブキマイカグラが一気に来ている! これはすごい脚だ!? 直線に入ったときには後方2番手でありましたイブキマイカグラが先頭争いに絡んできた……いや、そのままイブキが行く! イブキマイカグラ、そのまま先頭!
これは強いぞ、強いぞ! イブキマイカグラ! そして、そのままゴールイン! GⅠ、2勝目! イブキマイカグラ、1着!
2着にはナイスネイチャか!? あるいはそれから14番のソーエームテキ――2着は微妙ですが、見事に勝ったのはイブキマイカグラ――」
――確定。
1着、イブキマイカグラ。
2着は1と1/2バ身差で……ソーエームテキ。
3着、ハナ差でナイスネイチャであった。
「うひゃー……、惜っしいなー……これ。
ネイチャさん、てっきりイケる! って思っちゃいましたもん」
「あれでダメなら、しょうがないよねー……」
「結局ソーエーとの対決は、またまた2着3着となっちゃいましたなー……っと、ソーエーそんなに落ち込まないように、ね。アンタは次、日本ダービーなんでしょ……っと、わお。すごい歓声」
ゴールして少し惰性で走った後にゆっくりと立ち止まってから、すぐ隣に居たナイスネイチャとソーエームテキは話していたが、その話し声すらも遮るような大きな歓声でレース場が揺れていた。
その震源地を探し求めれば……1着、イブキマイカグラの姿へとたどり着いた。
「……イブキマイカグラ2本指を上げるパフォーマンス! これは、ホープフルステークスとNHKマイルカップの2勝を指しているということでしょうか!?」
「……え、あ、はい。そうだと思いますが……このパフォーマンス。皐月賞で1本指を上げたトウカイテイオーへの意趣返しかもしれませんね。
しかし、イブキマイカグラ……彼女の視線がどうにも観客席の1ヶ所に集中しているような……?」
「放送席からではちょっと分かりませんが……えっと、少々お待ちください。
……えー、はい!? あそこの最前にトウカイテイオーが居る!? ということは、これは……」
「――トウカイテイオーへの宣戦布告、ということでもあるのでしょうね。恐らく、次の激突は……日本ダービー、ということになるでしょう」
皐月賞4着であったが、GⅠ勝利を2勝へと伸ばしたイブキマイカグラと。
皐月賞ウマ娘――無敗のトウカイテイオー。
その2人の再戦を想像しての盛り上がりであったのだ。
*
「……トレーナーさん、ありがとね。
こんなアタシを、GⅠなんて大舞台まで連れてきてくれて。ちゃんと約束を果たしてくれて。
トレーナーさんの言っていた最高峰の世界――『キラキラ』が、見れたかも――」
控え室に戻ってきたナイスネイチャは、開口一番に男に対して感謝の言葉を述べる。
確かに、この時期のNHKマイルカップにナイスネイチャを出走させることを可能としたのは、悔しいがこの黒男の手腕であることを認めざるを得ない。
そしてナイスネイチャは。最終直線で『キラキラ』を、魅せたのだ。
『勝利』とは全く異なる、しかし誰しもが想像し得なかった幻想的な光景、それの立役者がナイスネイチャであったことはもう誰の目をも誤魔化すことのできない事実となった。
だからこそ。
ナイスネイチャの物語は、ここで一度終幕を迎え――
「イスネイ。貴様何をごちゃごちゃと言っている?」
「ほぇ……?」
「そんなことよりも大事なのは、今日の貴様の順位だ」
「順位って……。もう、3着でしょ? 確かにソーエーとは競り合ってギリギリだったけど――」
「そうだ。貴様は3着だ。……即ち。
――
そう言い放った男の杖から1枚の紙が飛ばされる。
「……トレーナーさん、その紙を魔法で飛ばすの好きだよね。
えっと……。
――地方所属ウマ娘でNHKマイルカップ3着以内となったウマ娘には、『安田記念』への優先出走権が与えられる。
……え!? えっと……これ……!」
「俺が貴様に高々1回しかその機会を与えない、と思っていたならば、随分と見くびられたものだな」
ナイスネイチャの次走は、安田記念。
そう。次の舞台はクラシック級とシニア級の混合GⅠとなる。