最強黒魔導士によるウマ娘育成のススメ 作:エビフライ定食980円
『――怪我自体は大したことはないみたい。私もイブキからそう聞いているし。
でも、この時期だからダービーには絶対間に合わないって……』
「……そっか、ありがとソーエー。
アンタもダービー目前で忙しいのにわざわざ電話しちゃってごめんね?」
『まあ、私もネイチャの立場だったら同じことすると思うし……。
というか、ネイチャもネイチャで来週、安田記念だから、私のことを心配できる立場じゃないでしょ?』
「まー、それはそうなんですケド……」
その後、二言三言ソーエームテキと交わしてイブキマイカグラに言伝を頼んだ後に、ナイスネイチャは電話を切る。
イブキマイカグラ。それはナイスネイチャの世代にてホープフルステークスとNHKマイルカップの2つのGⅠの頂を手に入れた少女の名。
彼女は『皐月賞ウマ娘』のトウカイテイオーに対してGⅠ勝利数で上回った状態で、再戦を高々と宣言していたものの、この土壇場において怪我をしてしまっていた。
日本ダービーは一生に一度。
だから、もうイブキマイカグラにその挑戦権が巡ってくることは……二度と無い。けれども。そうであったとしても、骨折状態で出る判断は下さなかったし……何より、そのようなコンディションで勝てるほど、生易しいレースであるはずはない。
ナイスネイチャは男に出走レースを完全に委任しているが故に、その辺りの感覚を正確には理解することができない。確かにナイスネイチャが出走したNHKマイルカップも一生に一度しか出ることのできないレースではあったし、それを言うならJBCジュニア優駿や、栄冠賞……ペリドット特別ですらも同じ一生に一度きりのレースではある。
しかし、彼女自身がそれらのレースに特別な思い入れがあって出走したわけではない。『無敗の三冠ウマ娘』を掲げるトウカイテイオーにとって、皐月賞、日本ダービー、そして菊花賞の3レースは同じGⅠレースの中でも『一線を画す』レースであることは想像に難くない。そしてイブキマイカグラにとっては皐月賞での雪辱を晴らすために位置付けていた舞台が日本ダービーであった。そこまではネイチャも分かるのだけれども、それに出られなくなったイブキマイカグラの心境が完全には分からない。
絶望か、諦観か、やるせなさか、激情か。自分ならどういうリアクションを取るだろうと、彼女は思いを馳せようとするが、それも上手くいかない。
だからこそ、ナイスネイチャがソーエームテキとの電話の後に取った行動は、中央の知り合いでイブキマイカグラを知ってそうな面々に、当人含めて片っ端からメッセージアプリで連絡を取る、というものであった。
その連絡の返信の多くは『意気消沈としている様子』というある種当然のものだったが、特筆すべきは日本ダービーを3日前に控えているという同じ条件であったトウカイテイオーも、最終調整の合間を縫って短い時間だけれどもイブキマイカグラに会いに行っていた、という事実。
これをナイスネイチャは、トウカイテイオー本人のメッセージで直々で知った。
「……全く。テイオーは、ホントに……」
無敗の三冠を掲げた少女は自動的に日本ダービーに出てきたウマ娘は全て潰すと公言しているのも同義だ。そんな『帝王』が直々にダービーを断念せざるを得なかったもう1人の少女を訪問する、ということが果たしてどれ程『残酷』なことかをトウカイテイオーは一切考えていないだろう。
……そして、同時に。
それが、場合によってはどれ程の『救い』となることかも、きっとトウカイテイオーは考えていない。
「そうやって、誰であっても『キラキラ』で塗り替えようとするのはテイオーも変わらない……って、ちょっと違うか。
……ううん、
ただそんなトウカイテイオーが変わったことがあるとするならば。良くも悪くも周囲に目が行き届くようになったことだろう。本来、彼女の目にはシンボリルドルフ……否、『皇帝の偉業』しか見えていなかったはずであった。
それは、決して悪いことではなく、むしろ彼女の根源的な強さやエネルギーと結びついていて、ある種の相乗効果を生んでいた。
が。トウカイテイオーは、この時点――日本ダービー前夜にして既にある程度変わっている、とナイスネイチャは感じたのだ。それは根拠の無いものであったが、確かにテイオーという名の少女は、少なからず同期のウマ娘の影響を受けていた。
それは、同じ『皇帝』の異名を有する先達を憧れる少女――ヤマニンゼファーから受けた影響であり。
あるいは、先んじて『二冠』を達成した少女――イブキマイカグラのことかもしれない。
そして。
トウカイテイオーにとって未知の領域、未踏の景色という名の『魔法』を提供している少女――ナイスネイチャもそこには含まれていて。
噛み合わせが変わった歯車は、本来の流れに同期させようとしつつも確かに運命の旋律から不協和音を奏でている。
そしてナイスネイチャが、イブキマイカグラ本人に送ったメッセージにも返信があって。
――『私は大丈夫だから』
ただ、そう一言綴られたメッセージが、ネイチャが送った8時間後の午前3時に送られていた。
それにナイスネイチャが気付いたのは、翌朝の起きた後であったが、それを見た彼女がまず思ったことが、
「いや、その時間に返信している時点で、だいぶ大丈夫じゃなさそうだけど……」
という感想だったのは、致し方無いことだろう。
*
「――人は時として、非常に困難な選択を迫られることとなる」
そのイブキマイカグラのメッセージに気付いた朝の日。引っ越しの荷物受け取りのために東京に行かなければならないナイスネイチャにとっては移動日となる金曜日。ホッカイドウトレセン学園から新千歳空港までの車の運転を申し出たのは、ナイスネイチャのトレーナーである男であった。
それはトレーナーとして見れば普遍的な行動である一方で、異世界の黒魔導士という立ち位置で見ればあまりに異質なものであった。第一、購入したのが軽自動車とあっては全く彼の姿形とマッチしていない。黒ローブと軽自動車――実に絶望的な組み合わせである。胃もたれを起こしそうだ。
しかも男は最近になって運転免許を取得したようで、車には初心者マークすら付いていた。ナイスネイチャは内心で『マジで大丈夫か……』と不安に思っていたが、いざ乗ってみれば素人の運転技術とは思えない安定したものであった。
制限速度を1km/hたりともオーバーしない――しかも車のメーター上ではなく男が魔法で測った実測値から比較してのものである――異様な神経質さが垣間見えるものであったものの、よくよく考えてみれば、自称理論派であり、レースの選定基準からしても、そうした理屈っぽさはむしろ男らしいものであったと言えよう。
「どうしたのさ、トレーナーさん。急に人生相談染みたこと言ってきて」
だからこそ、男の会話の切り出された内容を軽口で応じたナイスネイチャは悪くないだろう。運転技術は申し分ないが、やっぱり黒ローブ姿のやつが運転席でハンドルを握っているのはシュール極まりなく、とても真面目な話が出来る空気が形成されていなかったためだ。
しかし、男はそういう『空気』というものを全く掴めていないからこそ、ネイチャの軽口に真剣に答える。
「確かに、イスネイの言うことに近いかもしれん。
人生相談……成程、言い得て妙だ」
男は『人生』という壮大なテーマに、『相談』というやや軽い印象を持つ言葉の合成語の響きに深く感銘を受けた、といった面持ちで返答する。
この辺りは異世界カルチャーギャップが久しぶりに出たと言えよう。魔法による暗殺が横行する一方で、自身の身体すらも容易に挿げ替えが出来る世界にて、『人生』というものは簡単に他者に『相談』できるような代物では無かったようである。あるいは『相談』などという切り口で語りあえるほどの関係を熟成するのが難しいということなのかもしれない。
「――例えば。この車と呼ばれる乗り物の窓越しに空が見えているだろう」
「あー……うん、雲が2つ見えておりますなー。それに、太陽も端っこの方で光っているねえ」
男が続けた言葉は、突然な話題振りであったが、ナイスネイチャもそんな剛速球による会話のキャッチボールに何とか返球をする。
「そうだ。その2つ見えている雲だが。
イスネイ、貴様の目に見えている『雲』がどのようにして『本物の雲』であるか考えている?」
「え、雲は雲でしょ? まさかトレーナーさんはこれが窓の汚れだ、とでも言う気?」
「……その雲の1つが、俺が複製した『幻覚』だと言っても、貴様は同じ反応を出来るか?」
「ははぁー……成程。この雲のどっちかが偽物、というワケですなー。
ま、トレーナーさんのやることだから、見た目で分かるような差なんて絶対無さそうだし……」
ナイスネイチャはこの時点で、既に『空に1つある雲をもう1つ幻覚で出現させる』魔法の存在の是非を疑っていなかった。
それは、今までにそれに類するような使い道の無さそうなしょうもない魔法を沢山見せつけられていたために、今更その部分に関して疑う余地が無かったためである。
色付きの瓶を無色透明とする魔法、あるいは豆腐のタッパーの水を零さずに開封する魔法、それらはナイスネイチャにとってどうしようもなく『無意味』な魔法であった。
高々雲を1つ多く増やしたかのように見せかけるだけの魔法というのは、何ともこの男のやりそうな黒魔術だと、ネイチャは考えていた。
そうした懐疑の目で再び2つの雲を見る。左右いずれも全く偽物であるようには見えず、本物の雲にしか見えない。
その2つの雲のうち、いずれが『幻覚』か。それは確かに、困難な選択と言えた。
同時に男の黒魔術の卓越した実力は、専門外であるナイスネイチャにとっても薄々察しがつくくらいには秀でたものなので、視覚的な情報だけで到底判別は不可能だと思っていた。だからこそ別の突破口が必要であった。
「……つまり、『判断不能』な2つの雲を比較して、どっちかを偽物かと決めなきゃいけないってこと?」
彼女が切り出した突破口は、会話でもって手がかりを増やそうというある種オーソドックスなやり方であった。
「概ねは正しい。
だが、イスネイ。見落としがあるな。
――俺の『黒魔術』が虚言で、あの2つの雲は、どちらも本物、というのもあり得る」
「あー、確かに。その発想は無かったわ。
……けど、さ。トレーナーさんが、魔法のことであんまりウソを言うとは思えないんだよねえ。だから、そうした『雲の幻覚を見せる』魔法自体はあると思う。
とはいえ、その存在があることが魔法を使ったってことにもならないしねえ……」
ナイスネイチャはあくまで空港までのドライブの時間つぶしとしてこの設問を捉えていた以上、逆にそこそこ真剣に考える。男の性質的に『虚偽の魔法』自体の申告がなされたことは無かった。だから男の言い出した魔法自体は実在すると考えている。
とはいえ、その魔法を行使するかどうかは別問題であるから結局は選択肢を潰せてはいない。
そしてナイスネイチャは充分に長考して、1つの結論を導き出す。……ここで、迷いながらも答えを出す辺りは、大分律儀と言えた。
「……アタシなら、空に見えている2つの雲――それでも、どっちも『本物』だって考えると思う。
だって、アタシには本物にしか見えないし」
「……成程な。あくまで己の感性に従う、という訳か。
貴様の判断について理解した――」
「いや、ちょっとちょっと。理解した、とかそうじゃないとかそういう問題じゃないでしょ、これ。
で、実際のところ答えは、どうなのさ、トレーナーさん」
「さあな。
……そもそも、これは俺の『人生相談』として投げかけた問いであっただろう? 答えなどあるはず無かろう」
「そういえば、そーでした……」
そこまで告げられても、ナイスネイチャはこの問答で男が何を得て、どこを人生の糧とするのか皆目見当がつかなかったが、本人がそう言うのであれば最早答えは見込めないなと諦める。
同時に、ふとナイスネイチャはこれまで男から『相談』のようなことを受けることは無くて、きっと初めてだったな、ということに気付く。
それはまさしく、男がナイスネイチャに対する評価をNHKマイルカップの前夜の段階にて上方修正した現れであり、少なからず『信頼』が返ってきている点が垣間見えるものだった。
そのことに満足したナイスネイチャは、それきり空の雲から意識を離す。
「――時に、イスネイよ」
「……ん? 今度はなに、トレーナーさん?」
「……引っ越しの後、時間があると思うが。
ダービーの前日に、イブキマイカグラには会うのか?」
「……ん、会わない。
多分、メンタル的には大丈夫じゃなさそうだけども、今アタシがお見舞いに行ったって虚勢を張るだけだと思うし……。
心配だけど、さ。でも、1年以上学校からして違ったアタシが慰める……ってのも変な話だから――」
「……そうか」
そんな空には。
――雲1つ無い青空が広がっていたのであった。
*
そして。
――日本ダービー、当日。
「――トウカイテイオー抜けた! トウカイテイオー抜けた!
トウカイテイオー抜けた、3バ身から4バ身! これは文句なし、これは文句なし! 大外不利もなんのその、トウカイテイオーが突き抜けた!
……トウカイテイオー、日本ダービー制覇っ!! 二冠達成、まさに横綱相撲!
トウカイテイオー、日本ダービーを制し、シンボリルドルフ以来! 無敗での二冠達成です!」
トウカイテイオーの順位が入線通り1着に確定すると、場内は大きな歓声によってどよめき、そして間もなく『テイオー』コールが起こる。
そして、ソーエームテキの着順は……5着であった。
「うひゃー……すっごい盛り上がり……。やっぱりテイオーの人気はすごいわ……。
でも、ソーエーもギリギリ掲示板には入った、か。いや、テイオーと同じくらいの末脚はあったように見えたけど、流石に位置取りが後ろ過ぎたよねえ……でも」
ソーエームテキのほぼ最後方と言える位置からの最終直線での急襲。それは、前走・NHKマイルカップでのイブキマイカグラが魅せた爆発的な追込に似ていて。
また、本日の勝者・トウカイテイオーもまた。二本指を高々と観客席に掲げるパフォーマンスを行った。それは、勿論無敗での二冠制覇を意味したものであったが、少なからず同様の振る舞いをNHKマイルカップで行ったイブキマイカグラを意識してのものでもあった。
その後に、テイオーはソーエームテキを含めた今日の対戦相手1人1人に声を掛けに行っていた。
「……変わったね、テイオー」
ここにきてナイスネイチャはようやく確信に至る。レースが終わった後に、それまで戦ってきた相手とコースの上で仲睦まじく話す。
……それは、JBCジュニア優駿にてナイスネイチャが、トウカイテイオーに見せていた情景であったことに。
それは、ある意味ではトウカイテイオーとしての完成に近い姿であって。
――その姿を、苦々しい表情で見つめる1人の男が。ナイスネイチャの隣に居た。
「……どしたの、トレーナーさん? そんなに禍々しいオーラを出してさ。ただでさえ目立つんだからやめてよねー」
「イスネイよ。
――帰るぞ」
「えっ!? ……ちょっと、急にどうして――」
ナイスネイチャの声が全て届く前に、場内アナウンスが通達される。
「東京レース場よりご来場の皆様にお知らせいたします。
……只今、気象庁の発表により今まで観測されたことのない記録的な積乱雲の発達が、東京上空で起きていると発表がありました。つきましては次走・第10レースのシニア級1勝クラスレースは予定通り開催いたしますが、皆様と競走ウマ娘の安全を鑑みまして、本日のウイニングライブについては中止とする決定が下されました。
また、それに並行して府中市からの要請にて本レース場は今の時刻より『広域避難場所』として被災者や帰宅困難者の受け入れを――」
その放送が流れ終わる前に、会場はブーイングと不満の声が露わとなる。今、この瞬間に勝敗が決定した歴史的な日本ダービーのウイニングライブが開かれない、と決まったのだからそれはある面では致し方無いと言えよう。
「ちょっと、トレーナーさん! これどういうこと!?」
ナイスネイチャは困惑しつつ黒ローブの男を問い詰める。
男は若干逡巡したかのように迷いつつも、言葉を選びながら次のように語った。
「……どういうことも何も、今のアナウンスの通りだが?
俺が帰ると言ったのは、先ほどトレーナー向けに携帯端末に連絡が入っていて、今東京レース場に居る中央・地方のトレセン生は所属問わず、混乱を避けるために一時中央トレセン学園に送るように、と来ていたからだ。
……多分、イスネイ。貴様の方にも連絡がいっているはずだぞ」
「へ……マジ? ……あ、ほんとだ」
ナイスネイチャはスマートフォンを慣れた手つきで操作すると、確かに学外に居る生徒への帰宅命令が出されていた。
「この状況だ。恐らくソーエームテキもトウカイも……トレセン学園へと戻ることになるはずだ。
別に最終レースに知り合いが出る訳でもあるまい? であれば、指示通りに動くべきだ」
「確かに。そうだねえ……」
ナイスネイチャはふと、空を見上げる。
そこには確かに、重々しい雲が一面を覆っていて、いかにも不気味な様相を醸し出していた。それなりの雨でも中止されないのがレースであるが、とはいえ台風では中止になることもあるのだから、観測史上初の積乱雲の発達を前にしては大事を取るという考え方もあるだろう。
「ま、ソーエーもテイオーも学園で待っていれば来るはずだし。その時、改めて話はすればいっか」
そう言いながらナイスネイチャは、東京レース場を後にした。
しかし、その日。
……トウカイテイオーが、中央トレセン学園へ戻ってくることは無かったのである。
*
『トウカイテイオー 骨折
全治
結局、気象庁の注意喚起に反して一雨も降らず。