最強黒魔導士によるウマ娘育成のススメ 作:エビフライ定食980円
「トレーナーさん! ……テイオーの骨折って本当なの!?」
中央トレセン学園の職員室と校長室の間にある秘密の扉。そこは男の隠し部屋へと続く場所。
ナイスネイチャは以前と同様にマムシの粉を使って、この場所に侵入を試みた。彼女が中央でこの男と相対した時間はあまりにも短い。だからこそ、心当たりのある場所と言えばここしか無かったわけだが、ナイスネイチャは運よく偶然を引き当てたと言えよう。
しかし今の彼女には、そんなささやかすぎる幸福に喜ぶだけの余裕は無かった。
「ああ。事実だ。
トレーナーやここの職員には既に通達もあった。全治4ヶ月らしいな」
トウカイテイオーの骨折が治癒すると医師が判断した時期は4ヶ月後――6月初頭に入ったことも勘案すれば、つまりは10月。
「……菊花賞っ! ねえ、これって10月末だったよね!? テイオーは菊花賞に出られるんだよね!?」
結局のところ、ナイスネイチャが一番聞きたいところはそこであった。テイオーの三冠目への出走の可能性。恐らくこの国民的行事であるレースへの出走の可否への疑念こそが、日本中の総意でもあっただろう。
言葉上で言えば10月には治るのだから10月末には、出られそうである。無論、何事も無ければ、という注釈は当然つくだろうが。
「考えは割れるだろうな。
完治とはあくまで『怪我が治るまで』の期間だ。『元通りに走れるまで』の期間ではない。だからこそ『完治4ヶ月』という言葉を素朴に受け入れるのであれば、怪我は治る。
だが、菊花賞には間に合わないと俺は考える。そこまでに体力や脚力を取り戻すのはリハビリを並行させても厳しいだろう。
だから、俺が仮に決定権を握る立場ならば、確実に菊花賞には……出さない」
「そんな……じゃあ、テイオーは……」
「だが。同じ判断を果たしてトウカイのトレーナーがするかは微妙なところだ。そしてどのような判断を下したとて、俺はそれを愚かであるとは考えない。
それが出走させるにせよ、断念させるにせよだ」
全治
一見、間に合うかのような希望が見え隠れする数字。だが、常識的な尺度で捉えるのであれば、絶対に間に合わない。
だが『非常識』で言えば、間に合せることも可能に出来るかもしれない時間でもあった。
一概に不可能と断ずることが出来ないラインが、問題を更に複雑化させている。
「トウカイは想像するまでもなく『出る』というだろう。
そしてファンも『出て欲しい』と願うはずだ。
だが現実問題として『出れる』かどうかは非常に疑わしい……が、俺として関心があることは別にある」
「……? どういうこと……」
「イスネイ、貴様のこれからの行動だ――」
男から再度ナイスネイチャが置かれている状況が整理のために説明される。
まず現在は日本ダービーが終わっての月曜日。6日後には安田記念を控えているという中々に切羽詰まった時期である。
しかし、まだギリギリナイスネイチャの所属は、ホッカイドウトレセン学園であり。今週の金曜日の授業までは門別で受けることに決まっている。今日はそのための移動日だ。
レースだけ見ればそんなに北海道と東京の移動を頻繁にしなくても……と思うかもしれないが、だが一方ではこの1週間はナイスネイチャが1年以上親しんできたホッカイドウトレセン学園に通うことの出来る最後の1週間、という側面は見逃してはいけない。忙しくならないうちにとお別れ会自体はやっているものの、向こうでの友と過ごせる僅かな時間であることには変わりない。
当然、ナイスネイチャは日本ダービーがこのような結果を産むだなんて、想定すらしていなかった。だから。
「……トウカイの病室に行く場合、貴様が取っている航空券の飛行機の便には、公共交通機関を使っては間に合わないだろう。
予定通りに事を進めるのであれば。今すぐ、空港へ向けて出立することを俺は薦める」
「そんなこと言っている場合じゃ――」
「いや。俺にとって大事なのは。
貴様が今日、トウカイと会うのと会わないこと。そのどちらが、より安田記念でパフォーマンスを発揮できるかで、それ以上でもそれ以下でもない。
そしてその判断をするのは俺ではなく、貴様だ」
感情の通わぬ厳しい言葉に直面したナイスネイチャは、そこで冷や水を浴びたかのように却って冷静さを取り戻した。
だからこそナイスネイチャは気付く。この冷徹な言葉に内包されているものが、本質的にはNHKマイルカップ以前に言われたこととそう大差ないことに。即ち――レースまでの時間の使い方の問題だ。
ナイスネイチャが今置かれている状況をどうやってレースに活かすのか。
あるいはその思考が今必要とされているものなのか。
そして、その自己判断の正しさの評価まで自分で行うこと。
結局は、この安田記念においても男が要求してきているもの自体は同じであった。……ただ、そのナイスネイチャを取り巻く環境や外的要因が以前よりも劇的に悪化している中で『同じこと』を求められているというわけなのである。
そこまでのことに考えを巡らせてナイスネイチャは思い出す。
安田記念に出走するクラシック級ウマ娘が自分だけであるということに。それは即ち、トウカイテイオーに最も近しいウマ娘は彼女自身であり、次走においてテイオーの近況のことに同情するウマ娘は多くても、この事態に『動揺』しているウマ娘はきっとナイスネイチャだけ、少なくとも彼女が最大のダメージを受けているということ。
現段階においてナイスネイチャは安田記念に出走を予定しているウマ娘の中で最悪のコンディションのまま挑む確率が極めて高い。
そこまで分かっているからこそ、この黒ローブの男が厳しい言葉をナイスネイチャにかけていることまでは分かった。
……分からないことは。
「……1つだけ、聴かせてトレーナーさん」
「なんだ?」
「トレーナーさんの魔法でさ……テイオーの怪我って、どうにかならないの?」
全治4ヶ月とは、現代医学が判断した治癒期間。ということは、そこに男の世界独自の代物である魔法による治療手法があれば、トウカイテイオーはもっと早い段階で治るのではないか……と、ナイスネイチャはこの男に中々に染まってきた提案をしてきた。
それに対して、男はこう答える。
「――これは、トウカイが背負っているある種の……『呪い』だ」
「『呪い』……。それって、日本ダービーで怪我をすることが? それとも無敗三冠に障害が立ちはだかること?」
「さあな。俺から言えることは、これは『トウカイテイオー』という名が背負う――呪いであり、栄光であり、奇跡であり、挫折であるということだけだ」
――だからこそ。
男は、初期のナイスネイチャに対して放ったものと同じ内容の言葉を言い放つ。
「『呪い』は当事者同士の契約に近く、解呪の難易度は高い。
……それは貴様にかかっているものと大雑把に言えば同じ質のものだ。だからこそ。
今後トウカイに先着する予定のすべてのウマ娘の魂を、供物として代償に捧げるのであれば、俺が解くことも恐らく可能だろう」
「……そう、来たか……」
トウカイテイオーに先着するすべてのウマ娘の魂。
これはつまりトウカイテイオーが『生涯無敗』で現役を終えるのであれば、その犠牲はゼロとなる。
つまりはナイスネイチャにとって、本当にトウカイテイオーが誰にも負けることが無い、と確信していればきっと迷わず男に解呪を頼むこととなっただろう。
しかし、ナイスネイチャは躊躇した。それを認めることは――自分自身がトウカイテイオーに勝利出来ないことを認めることになるから、そして。テイオーを追っているソーエームテキも、イブキマイカグラも、あるいはヤマニンゼファーやツインターボなどのあらゆるウマ娘の気持ちを無下にすることに直結しているから……彼女は、その『二者択一』を即断で選ぶことが出来なかった。
それを選択することは、トウカイテイオーにとっても、他のウマ娘にとっても、そして自分自身にとってもフェアではない。
目先の順位に一喜一憂しない、3着の重みを知ったナイスネイチャであるが――それは別に『将来的にトウカイテイオーに勝ちたい』気持ちまで放棄したことには繋がっていないのだから。
「……イスネイがそれでも治したいと願ったところで、俺はトウカイの呪いを解くつもりはないがな」
しかし、幸いにも男の空気の読めぬどんでん返しによって、ナイスネイチャはその選択をしないことを選ぶことができた。その安堵と同時に、無償の奉仕でテイオーを治すという判断を下せなかった『自己嫌悪』が入り混じりぐちゃぐちゃの感情になったネイチャは、か細く『どうして……』とだけ呟いたのみであったが、どうやらそれは男の聴覚に届いたようであった。
「まず俺は貴様のトレーナーであり、断じてトウカイのトレーナーではないということ。
そして度外視したとしても、解呪の判断を行うのは貴様ではなくトウカイのはずだ。
当事者ですらない貴様が出来るのは精々、トウカイに俺が告げた言葉を提案するか否かだけだ。実際の決定に介入できる権利は貴様に無い。
……さて、改めてもう一度聞こう。
イスネイ、貴様はそれでもトウカイの見舞いに行くつもりか?」
「アタシは……」
今のナイスネイチャに出来ることは極めて限られている。限定的だ。
しかも、自分自身のこともあるのに、他者に手を伸ばしている余裕なんてない。
そんな合理的判断は理解していたし、男からも痛いほどに伝わってきた。
「……行く。テイオーの病室に……アタシは今日、行くよ」
しかし、ナイスネイチャは人一倍のお人好しであったのだ。
その決断に男は淡々と答える。
「そうか。であれば、飛行機はどうする?」
「――トレーナーさんの瞬間移動。アタシにとっては、今が非常時だから……それで帰――」
「不正解だ。
……俺が航空券の予約変更をしておく。当日であっても出発前なら変更は可能だ。
夕方の便に変えておくから、昼過ぎには空港に必ず行け」
男はナイスネイチャの判断を尊重しつつも、修正点を提示した。
基本的にナイスネイチャの行動に修正を加えることを滅多にしなかったこの男にとっては、珍しい提言であったかもしれない。
「……トレーナーさん、ありがと」
そしてナイスネイチャは、トウカイテイオーの入院している病室へと急行するのであった。
*
「もー! ネイチャも来るなら事前に言ってよねー! ボク、誰か来るとか思ってなかったからさっきまで寝てて、髪とかボサボサなんだけどー!」
「あはは……ごめんごめん、テイオー」
病院に着くと、待合室に偶然居たトウカイテイオーのトレーナーを見かけて話しかけたことで、ナイスネイチャは幸運にもすんなりとテイオーの病室まで辿り着くことができた。
そのテイオートレーナーの様子は、明らかに憔悴していて一睡もしていないことがありありと分かるくたびれ方であったが、ネイチャとしてもあるいはそのトレーナー自身としてもそこに突っ込むだけの余裕はないために、お互いにスルーをしてそのままテイオーに顔を合わせた後にはトレーナーは一旦退出した。大人が無理に聞き出す話でもないと判断したのだろう。思えば、JBCジュニア優駿のときもネイチャ控え室に入って来なかったのがこのトレーナーであった。
そして、出会ったトウカイテイオーの第一印象は。
(……思ったよりも、元気そう)
ナイスネイチャは、そう感じて一瞬は安堵する。……が、すぐさまその左脚に付けていたギプスと、テイオーの目元が明らかにいつもより『腫れている』点から、
(……そりゃ、そうだよね。昨日の今日で全部が全部割り切れる訳もない、か……)
と考え直す。
しかし、ネイチャの目線がギプスに行ったことは、テイオーにも分かったようで、
「……ボク。諦めるつもりはないから。
絶対っ! 菊花賞までには治すからねっ!」
その断言は、事前に『間に合わない』と自身のトレーナーから言われていたナイスネイチャでさえも『何とかなるんじゃ……』という希望を抱かせるのには充分な強さを持った言葉であった。
「あー……とにかく。まずは、ダービー優勝おめでと、テイオー。
何か色々とタイミングが無かったから、ちゃんと言っておかなきゃと思ってた」
「はっ! 確かにボク、ダービー勝ったのにお祝いの言葉をほとんど貰ってない!! もー、皆酷くないー?」
それは仕方の無いことではあったけれども、ナイスネイチャは『……後でテイオーは褒めて欲しいって、絶対みんなに伝えておこう』と決心する。
しかし、それよりもナイスネイチャは限られた面会時間でトウカイテイオーに話しておくことがあった。
「……あの、さ。テイオー」
「……なに、ネイチャ? 急に改まっちゃって。もしかして無敵のテイオー様に告白でもする気ー?」
にやにやしながら軽口を叩くトウカイテイオーだったが、尋常ではない様子のナイスネイチャに、自然と真剣さを取り戻す。
「……本当に、何なのさ、ネイチャ」
「アタシのトレーナーは、さ。あんな格好しているから分かると思うけど、魔法とか使える訳じゃん?
だからさ、対価はあるかもしれないけれども、もしかしたら――」
トウカイテイオーは最後までナイスネイチャの言葉を聞かずに、口を挟んだ。
「……『秘密兵器』」
「――え?」
トウカイテイオーは優しく、しかし毅然とした口調で告げる。
「『秘密兵器』とか『最終奥義』とか……。
そんなものはない、んでしょ……ネイチャ?」
「あ、それって……」
JBCジュニア優駿にてナスノホシジョーに対しての対策を他ならぬ、このトウカイテイオーから聞かれたときの答え。
いかにもファンタジー的な『必殺技』を仕込まれていると思っていたテイオーだったが、結局ナイスネイチャにそうした特別なものは一切なく、ただ彼女自身の実力のみでトウカイテイオーに対して『魔法』をかけていた。
だからこそ。……テイオーは、男の担当であるナイスネイチャにもそうしたファンタジー的な要素をレースの中に持ち込んでいないことを知っていたからこそ。ナイスネイチャの提案を聞くことすら拒絶した。
「……ホントに聞かなくて、良いの? テイオー……」
「……確かにボクは怪我を絶対治すつもりだし、その為にはどんな努力だってするけどさ。
ネイチャ自身がそういうのに頼っていないのに、関係ないボクがネイチャのトレーナー頼みになるのは……違う、と思うし……」
トウカイテイオーは、更に言葉を続ける。
「もし、それで治るならさ。
……イブキに見せる顔が無くなっちゃうよ、ボク」
「あ……マイカグラ……」
そのテイオーの言葉で初めてナイスネイチャは自身の矛盾に気付く。
トウカイテイオーの骨折を治そうとしているが、イブキマイカグラの骨折のときはそうした働きかけをナイスネイチャはしてこなかったこと。
あるいは。ナスノホシジョーの『ピーク』についてだって、男の黒魔術があれば何とかできる可能性はあったのにも関わらず、そこに思い至らなかったこと。
男は指摘しなかったが、今のナイスネイチャはトウカイテイオーをどうにかしようとするばかりに……『友達の選別』を無意識で行おうとしていた。
テイオー自身がイブキマイカグラの名前を出したことで、初めてその事実にナイスネイチャは気付いたのである。
「……ごめん、テイオー。
アタシが軽率だった……」
「……ううん。ボクのこと、そこまで考えてくれていたんだよね、ありがと。
……あ、そうだ! ネイチャ、ネイチャっ! そこまでボクに悪いって思っているなら、ワガハイはネイチャに賠償を要求するのだー!」
「ば、賠償……?」
「うむ! ネイチャはテイオー様に、来週の安田記念で!
ボクの怪我が吹き飛んじゃうような、最高のレースをすることっ! これがボクからの約束っ!」
トウカイテイオーはこのような状況になっても尚、ネイチャが来週レースがあることを忘れていなかった。
何故なら安田記念出走メンバーの中にクラシック級ウマ娘はただ1人。ということは、この同期の中では最も速くGⅠの舞台で同期ではないキャリアの長いシニア級ウマ娘と対決するのが、ナイスネイチャであったからである。
それは菊花賞まではクラシック級限定レースしか出走しない予定を組んでいたテイオーにとっての『未知』であった。更に言えば、もうナイスネイチャは安田記念出走時点で既に、テイオー含めた同期のウマ娘の中では『唯一無二』の存在となることを指し示していた。
「……テイオー。どこまでアンタは……『キラキラ』してるんだっての……。
でも……勝てるかは分かんないよ?」
「だいじょーぶ! ネイチャの勝っている姿、ボク、まだ見たこと無いし!」
「……まー、そりゃあアタックチャレンジも、ペリドットも、かささぎ賞も、テイオーのお気に召すレースでは無さそうだし、しょうがないけど……。
なんか、釈然としない……」
テイオーの発言は、1着ではなくてもネイチャの走りに魅了されていることと同義であったが、けれどもそれを素直に受け入れることも出来ないナイスネイチャがそこにはあった。
また6月を迎えたことで期間限定のオープンクラスウマ娘から、3勝はしているが収得条件的には『2勝クラス』ウマ娘であるナイスネイチャと、無敗の二冠ウマ娘であるトウカイテイオーの間には、格式的には大きな隔たりがあったものの、2人の関係はそんな条件の乖離に反比例するかのように近付いていたのである。