エルデの王は迷宮で夢を見るか? 作:一般通過あせんちゅ
今度こそ人のいない廃屋を見つけた褪せ人は、そこにおいてあった椅子にラニを座らせ、自分は床に座り込んでいた。
「ラニ、私の名前どうしよう」
「エルデの王では不便か?」
「自己紹介にはあんまり……使いにくくない? この地の人にはエルデがなにかわからないでしょ?」
狭間の地では意思疎通が取れる相手が少数しかいなかったために、あまり問題にもならなかったが、人と接する機会が多くなるオラリオでは、名前があったほうが便利であるのは間違いない。
「ふむ……私が名前を決めてやろう」
「エルデの王だから、偽名はマリカとか……すいません、二度と言いません」
月の王女ラニ、その本気の殺意が籠った視線を向けられたエルデの王はすぐに謝った。彼女にとって女王マリカの名は禁句に近いものである。くだらない冗談を言う伴侶に呆れたため息を吐きながら、ラニは少し考えるような仕草を見せた後、薄く笑みを浮かべながら口を開いた。
「お前はこれからミストルテインと名乗ればいい」
「わ、わかりました」
その名前に込められた意味をエルデの王は知らない。それでも、薄く笑みを浮かべているラニの表情は、なにか嫌らしいことを思いついた時と同じである。
「でも、ミストルテインだと長いよ」
「ではミスト、私はそろそろ眠るぞ」
「自然に略した……」
「私はお前のことを名前で呼ぶことは金輪際ないぞ。偽名を名乗るのは私以外にしておけ」
「それは別にいいけど」
ミストルテインと名付けられたエルデの王は、ラニがゆっくりと自分の方に向かってくる姿を見ながら考え事をしていたが、いきなり腕の中に突撃してきたラニにそのまま押し潰された。
「ラニ?」
「……お前は私の下で寝ていろ」
最後に言葉を残して反応しなくなったラニに苦笑しながら、ミストは抜け殻の様に力を無くしたラニの身体を抱きしめて目を閉じた。ラニの身体は人形であり、熱を持つことはない。しかし、ミストは新たに与えられた名前を心の内で言葉にするだけで、不思議と身体が温まっていた。心地の言い身体の熱を感じながら目を閉じたミストは、意識を夢に持っていかれる直前に、唇へ何かが触れた感覚を味わった。
翌日、寝た場所の関係で身体の節々に痛みを感じながら起き上がったミストは、流石に眠る場所にはなにかを敷いておいた方がいいかと考えていた。身体の上で寝ていたはずのラニは既に姿を消している。いついなくなったのかは知らなくとも、ミストはラニが持つ律の力は身近に感じていた。
「今度こそダンジョン探索でもしてみるかな」
「行くのか?」
「いたの?」
「私は常にいる」
ラニがいないと思い込んでいたミストは、唐突に聞こえてきたラニの声に少し驚きながらも、常に傍にいると言われて嬉しそうな表情を浮かべていた。ラニは咳ばらいを一つしてから、ミストの前に手をかざした。
「これって……」
「祝福、のようなものだ。お前は既に女王マリカの祝福も、黄金樹の導きも失っている……お前が両方とも消したのだから当たり前だがな」
廃屋の真ん中に生まれた祝福は、ミストが褪せ人として狭間の地を走り回っていた時に何度も利用した祝福によく似ていた。黄金樹ではなく、月の女王ラニのもたらす祝福は冷たい水色をしていた。
「お前に死なれると困る。だからという訳ではないが……死んでも死なせん」
「ありがと」
ミストは、狭間の地に幾人も存在した褪せ人の中でも異端中の異端である。なにせ彼女は不死を体現した存在なのだ。厳密にいえば、彼女の不死は死なないのではなく、死んでも元の形で蘇るのである。たとえ重力魔法によって押し潰されようが、ダンジョンの罠によって細切れにされようが、刃物で真っ二つにされようが、彼女は死んだ瞬間に最後に訪れた祝福から蘇る。
「私の孤独の道についてくると言ったのだ……途中で放り出す真似はさせんぞ、私の王よ」
「任せて」
ラニとしてはあまり彼女をこうした律の力で縛り付けるようなことはしたくなかったが、伴侶を守る為ならば許容範囲内である。
祝福によって憂いを無くしたミストは、意気揚々とダンジョンの攻略へと乗り出した。再び坩堝の騎士、オルドビスのコスプレを始めたエルデの王は、重厚な鎧の音を鳴らしながらダンジョンの上層を彷徨っていた。
「……チャリオットは走ってない?」
地下に向かって続いていくダンジョンに対してあまりいい思い出がないミストは、周辺をつぶさに観察してチャリオットの車輪が転がる用の通路がないことを確認していた。英雄墓で何度も引き潰された記憶を思い出しながら、ゆっくりとダンジョンを進むミストの前に、壁からコボルトが2匹湧き出した。壁から生まれたコボルトは、ミストを認識すると鋭い爪を光らせてミストへと襲い掛かった。
大仰な鎧を着込んでいるとはいえ、無防備な姿のまま突っ立っているミストの命を刈り取ろうとしたコボルトは、己の横を通り過ぎて行った青い光へと目を向けた。己と共にダンジョンへと生まれ落ちたもう一体のコボルトが、身体を残して頭だけが消し飛んでいた。
「脆いなぁ……」
襲い掛かろうとした相手の手には、いつの間にか青い光で作られた大きな弓があった。既に矢は構えられており、コボルトが咄嗟に逃走を始めた瞬間にコボルトの左半身を消し飛ばした。残った右半身だけで這うように逃げようとするコボルトを見て、ミストは首を傾げた。
「怪物なのに恐怖心があるのかな?」
彼女が放った『ローレッタの大弓』はラニが扱うカーリア王家の魔術であり、その名の通り王家親衛騎士であったローレッタが最も得意としていた魔術である。
魔力の大弓による一射で完全に戦意を喪失させたコボルトを見て、ミストは興味なさげに左手の杖を掲げた。ラニの母親である満月の女王レナラの使っていた魔術王笏である『カーリアの王笏』から、青白い剣が一つ浮かび上がる。
「さようなら」
王家の魔術騎士が扱う基本の魔術『魔術の輝剣』によって無慈悲に頭を撃ち抜かれたコボルトを横目に、ミストはため息を吐いた。