綿毛のような白い結晶が、ちらりと視界の端に映った。持っていた単語帳から顔を上げてみると、灰色の空から、ふわふわと冷たいものが落ちてくる。
駅のホームに立っている彩は、ちょうど試験会場に向かっているところだった。
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「お疲れ様です!」
スタッフのその声で、彩はヘッドセットを外した。
「お疲れ様でした!」
機材を片付け始めたスタッフさんに声を掛けて、彩はまだ熱気の残るスタジオを出た。
「丸山さん、お疲れ様」
スタジオを出た彩に、横から労いの言葉が掛けられる。
「お疲れ様です。倉本さん」
事務所スタッフの倉本だった。縁なし眼鏡を掛けた強面の男性スタッフで、パスパレのスケジュール管理を一手に担っている人物だ。
「残りの今日の予定はミーティングだけだから、控え室で少し休んでいて。これから打ち合わせがあるので、事務所に戻る時は呼ぶからよろしく」
「はい。わかりました」
倉本の指示を受けた彩は、控え室へと向かう。
(ひとつでも、単語を見ておかないと……)
歩いている彩の頭の中は、二週間後に迫った大学入試のことでいっぱいだった。
控え室のドアを開けた彩は、部屋に備え付けてあるロッカーから自分のカバンを出した。英単語帳は、すぐに取り出せるようにカバンの横に差し込んである。彩は、鏡台の前の椅子に座って単語帳を広げた。自分でチェックを付けた単語をブツブツと発音したり、指で単語の綴りを書いてみたりということを、何度も何度も繰り返していく。
(うーん。この単語、やっぱり間違えちゃうなぁ)
何度覚え直しても、綴りを一文字間違えてしまったり、意味を覚えきれていなかったりする自分に辟易する。どのくらい時間が経っただろうと、壁掛け時計を見ようと単語帳から顔を上げる。すると、鏡に映る自分の後ろに大きな身体が映っていた。
「うわっ! ……あぁ倉本さんか。びっくりした……。いたなら言ってくださいよー」
倉本が彩の後ろに仁王立ちしていたのだ。身長が一八〇近くあり、さらに強面ときている倉本が見下ろしてきているのだ。おそらく、はじめて会った人なら泣いてしまっているだろう。(彩は倉本と初めて会った時、泣きそうになった)
「すまない。ノックしても返事が無くて、入ってみたら集中しているようだったから……」
「あっ……。気づかなくてごめんなさい!」
「いやいいんだ。受験まで後少しの時期だろうから……。うちの倅と一緒さ」
「息子さんも、受験生なんですか?」
左手薬指には指輪を嵌めていて、仕事現場で「うちの嫁が……」と言っているのを聞いたことがあったから、結婚していることは何となくわかっていたが、倉本の息子が同級生とは知らなかった。倉本はもう六十代に近いと聞いたことがあったから、子どもはもう独立していると思っていた。
「私はこの通り顔がこんなだったから、晩婚でね。子どもも倅一人だけだよ。……最近は夜遅く帰っても倅の部屋には明かりが点っていてね。よく、こっそり覗いては勉強している姿を見ているよ」
彩は、倉本にバッチリ心を読まれて申し訳なくなった。怒らせてしまったのではないかと。しかし、いつも修羅のような雰囲気を醸し出している強面の主は、柔らかい微笑みを彩に向けていた。
「丸山さんも、もうひと踏ん張り。頑張ってね」
その優しい一言が、胸の奥にスーッと染み渡っていった気がした。
「……はい!」
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試験を前日に控えた彩は、パスパレのグループへメッセージを入れた。誰かに聞いてもらわなければ、胸の奥から湧き上がってくる不安で押し潰されそうだった。
メッセージを入れてみると、彩と同じく明日に受験を控えている麻弥も不安を抱えているとのことだった。彩は、麻弥もそう思っているんだと同情しつつも、自分の一言が麻弥の不安を更に煽ってしまったのではないかと心配になった。
日菜がグループ通話を開いてくれたのは、彩がそんな思考の雁字搦めに遭っている最中だった。
「みんなでお喋りしよー!」
通話を開いた日菜の第一声は、これだった。日菜も明日に受験を控えているはずなのに、その声はいつも通り明るい。
「全くもう……。日菜ちゃんはほんと急ね……」
「えー、だって彩ちゃんも麻弥ちゃんもなんか思い詰めてるし。このままじゃ明日に響いちゃうよー」
「この時間がお二人の息抜きになるように頑張ります!」
「イヴちゃん……」
「その代わり、あまり夜遅くまで話し込んじゃダメよ。逆に明日に響いてしまうわ」
日菜とイヴの心遣いに彩は安心する。注意しながらも付き合ってくれる千聖にも。
「日菜さんも明日試験でしょう。緊張しないんですか?」
「うーん。緊張はしないかなー。どんな問題が出るかワクワクするくらいだし」
「日菜ちゃんは相変わらずだね……」
彩は顔を引き攣らせながらも、いつものことかと笑っていた。その時、不覚にも羨ましいなという感情がよぎった。
「でもね」
日菜は言葉を続けた。
「試験なんかより、その先……大学生になってからの生活とか、パスパレがもっと有名になることとかの方がもっと……もっと、るんっ♪ てくるから。先のことしか考えてない!」
「先のこと……」
彩は、先のことを想像してみた。大学生活と、パスパレのこの先を。
「たしかに……先にある楽しみなことを想像したら、少し気持ちが楽になれたかもしれません。……フヘヘ」
「ねー! るんっ♪ てくるでしょ! 彩ちゃんは?」
「わたし、は……」
彩の頭の中に、大学生になった自分と、パスパレのリーダーとして輝く自分が浮かばせる。しかし……。
「わたし、ドジだし、要領も悪いのに……これから先、大丈夫かな?」
それは、彩が元々抱えてきた不安だった。受験という精神をすり減らしやすいこの時期だからこそ吐露された、原初からの不安。たとえ、どれだけライブやイベントを成功させても、付き纏ってくる。その不安は普段、自分の行動によって、上から覆い隠しているに過ぎない。
「彩ちゃん」
千聖が口を開いた。
「この二年間、パスパレを……私たちを引っ張って来たのは、あなたよ」
「彩ちゃん、ドジだけど諦めないもんね」
「ジブン、いつも彩さんの一生懸命な姿に勇気をもらってます!」
「彩さんは……彩さんの道を真っ直ぐ突き進めばいいんです!」
千聖、日菜、麻弥、イヴ。それぞれが思い思いの言葉で、彩に声をかける。彩の心が、彼女たちの温かい言葉で優しく包まれる。
「みんな……。ありがとう!」
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電車を乗り継ぎ、試験会場に辿り着いた彩は教室に入り、指定の席に着席していた。机の上には、受験票とペンケースを除く筆記用具が置かれている。そして、隙間時間にいつも見ていた英単語帳を今も見ている。
「それでは、所定の時間となりましたので、試験での注意事項を説明します」
前の教卓周りに、今日の試験監督であろう人達がずらりと並んだ。受験票を机の右端に置くことや、試験中の体調不良の対応についての説明などがなされる。
「携帯、スマートフォンの電源をまだ切っていない方は、今のうちに電源を切り、カバンの中にしまって下さい。試験中に鳴ると、失格となります。電源の切れない電子機器類をお持ちの方は申し出て下さい」
そうだったと彩は自分のコートのポケットに手を伸ばす。スマホの電源を切ろうと電源ボタンをワンタップした。
「あ……千聖ちゃんとイヴちゃんから?」
二人からのメッセージを見てから切ろうと、メッセージアプリを立ち上げる。パスパレのグループに二人がメッセージを送ったようだった。電車の中では、ずっと単語帳を見ていたために気づかなかったのだ。
(ありがとう……。頑張るね!)
彩はスマホをカバンの中にしまう。
「今から解答用紙、問題用紙の配布を行います」
試験用紙が配られ始めた。もうすぐ、試験が始まる。
「試験開始まで、しばらくお待ちください」
時計の秒針が、一周、二周と回っていく。試験開始まで、数十秒。彩は、決意する。
まず、この場を借りて丸山彩生誕祭企画の主催者である咲野皐月さんに御礼申し上げます。そして、読者の皆様、この小説を最後までお読みいただきありがとうございます。
今回投稿させていただいたお話は、彩ちゃんの誕生日って大学受験の追い込みの真っ只中にあるなぁ、と。それに密接したお話を書かせていただきました。彩ちゃんがこんな風に、パスパレや周りのスタッフさんにも支えられながら、受験を迎えられたらいいなぁと思います!
彩ちゃん誕生日のお祝いと、彩ちゃんの志望校合格を祈願して。