「ホントはね、こんなの嫌だったんだ」
目の前で片手にボールを握ったまま、幼馴染の少女がニヒルな笑みを浮かべた。
きゅ、と手を握りしめる。少女にそんな顔をさせてしまったことを、このバトルの始まりからずっと後悔し続けていた。
「昔は楽しかったよね……二人で一緒にただ無邪気に遊んでいられたころは」
そんな少女の言葉に頷く。
ああ、そうだ。楽しかった、まだ幼かった頃、幼馴染の少女と共に親からもらったボールに初めて手に入れた『トモダチ』と一緒に遊んでいた記憶。
ただ技を出すだけですごいすごいとはしゃいでいて。
互いに『トモダチ』を対峙させるだけでまるで本物のトレーナーになったかのような錯覚すら覚えて高揚した。
「いつから、なんだろうね、楽しくなくなっちゃったのは」
ああ、本当にいつからだっただろう。
「いつから……なんだろうね。こんな風になっちゃったのは」
いつから、なんて尋ねたところで、結局のところそれは過去でしかなく。さらに言うならば、きっとどうやったところで自分と少女はこうなっていただろう、不思議とそう確信できた。
「何がダメだったのかあ……どうして上手くいかないんだろう。私はこんな風になりたかったわけじゃないのに。どうしてこうなっちゃったのかなあ」
何がダメだったのか、なんて問う少女の言葉はまるで暗に自分を責めているようだった。
きっと少女にそんなつもりは毛頭ないのだろう。逆に言えばそれを聞いている自分がそう感じているのだ。
自分の中にある罪悪感のようなものが、チクチクと自らを苛んでいる。
ああ、本当は分かっている。
そんなもの簡単すぎるくらいに明白で。
結局のところ。
やる気も無いのに
そんな少女と比べた時、自分が余りにもちっぽけだった、それだけの話なのだ。
* * *
昔は良かった、なんて言葉が口癖のように出てしまう度に周囲は、まだ若いのに、と呆れたように返してくる。
ガラル地方における一般的な成人認定は基本的に十二歳を指すが、実際に十二歳になったからと言ってすぐさま社会に出ることができるか、と言われればまた別の話。
実際に社会の中で明確な役割を持てる人間というのはもっともっと歳を取り、大人になってからの話であり、それまでの間、子供たちはそんな大人たちの背中を見ながら何年も何年も経験を溜める。
下積み、スキルアップ、言い方は何でも良いが結局やってることはアルバイトの連続だ。
そもそも最近はポケジョブと言ってポケモンすら汗水流して働く時代だ、人間の役目は監督や管理などの上役かもしくは芸術や職人芸などのクリエイティブな方面が主になり、単純な労働力というものの必要性はどんどんと減っていっている。
そもそも自分が何になりたいのか、そういう明確なイメージすら無いままに社会経験を積むと言い訳をしながらアルバイトで食いつなぐような今の生活に一体何の希望を見いだせというのか。
昔は良かった。
昔の自分には夢があった、希望があった。
今よりずっと不自由で、今よりずっとできないことは多かったけれど、確かに活力に満ちていた。
いつからこんな人間になってしまったのだろう、なんて疑問を抱いたところで口を吐いて出るのは自嘲だけだ。
街頭のオフィスビルには巨大なスクリーンが設置されており、今もアナウンサーがガラル中のニュースを読み上げている。
『先日行われたガラルチャンピオンカップで見事優勝を飾りましたのは―――』
スクリーンモニターに映る少女の浮かべる笑み見やり、随分と差がついたものだとニヒルに笑う。
チャンピオンユウリ。三年前のガラル地方におけるポケモントレーナーの一大イベント『ジムチャレンジ』に初参加ながらにして見事その全てを突破し、さらにチャンピオンカップセミファイナルトーナメントにて全てのジムチャレンジャーを撃破しファイナルトーナメントに進出、怒涛の勢いのままガラル最強のジムリーダーたちを破りついには不敗神話のチャンピオンすらも降して優勝、プロトレーナー一年目にしてガラル最強の地位を手にしたガラルで最も注目されていた少女。
そして自分の幼馴染だった少女。
今となっては自分と少女とその家族以外誰も気にも留めないような関係性だろう。
いや、少女すらもう気にも留めていないかもしれない。
片やガラル全土において最強のチャンピオン。
片やガラルの片隅の田舎町でアルバイトで食いつなぐバイト戦士。
まさに
遠いところに行ってしまった幼馴染の少女の姿をスクリーン越しに見つめながら嘆息する。
最早少女は自分の知らない遠い世界に行ってしまったのだ。
遠い遠い、まさしく別の世界の住人になってしまったのだ。
自分とて今更少女との関係性をどうこうというつもりは無い。
もう関係の無い話だ、そう納得して幼馴染の姿から視線を逸らした。
* * *
アルバイト先のあるブラッシータウンからハロンタウンの実家まではそれほど遠くない。
田舎町だからそれなりに距離はあるのだが、田舎暮らしだからこそそれほど距離を苦にしないというか。
徒歩で二時間くらいまでならまあ近い、と思うのは都会に住む人間からしたらおかしいらしい。
道中の道は基本的に整備されていて、偶に野生のポケモンが歩いていたりするがそれほど狂暴なポケモンがいるわけでも無く、歩いてポケモンに襲われるなんてことは皆無に等しい。
まあそもそもこの辺りに出てくるようなポケモン程度なら余裕で撃退できるのだが。
腰に下げた一つのボールを見つめ、苦笑いが漏れる。
もうこれ以外なんて持っていないのに、いつまで経ってもこれだけは外せない。
未練だな、なんて呟いてもそんなこと自分が一番分かっているのだ。
一体何を期待しているんだよ、そんな自嘲染みた内心の呟きにまた溜め息が漏れる。
思考が鬱に入ってしまっていることを自覚して、意識的に思考を切り替える。
今日のアルバイトは中々給料が良かったので明日以降もありつければ少しは余裕もできるかもしれない。
そんなことを考えながら自宅への帰路を進み。
そうして。
そうして。
そうして。
「……あっ」
不意に、声が聞こえた。
無意識的に声のするほうへと視線を向けて、体が凍り付いた。
声の主もまた同じように目を大きく広げてこちらを見つめていた。
そこにいたのは昼間に街頭のスクリーンで見たのと全く同じ顔で。
そして、自身の記憶よりも幾分か成長してはいるがそれでも昔からずっと見慣れていた顔。
―――■■■。
止まった思考の中、口から自然と出た少女の名に、少女……ユウリの時が動き出す。
「久しぶり、だね」
こちらは未だに凍り付いたまま身動き一つできないのに、どこか自信なさげに視線を彷徨わせながらユウリが言葉を紡ぐ。
「ホントに、久しぶり」
何を話せば良いのか迷った様子で、どんな顔をすれば良いのか戸惑った様子で。
「えっと……元気、だった?」
違う、そんなことを話したいんじゃない、ともどかしそうに。
「今、何やってるの?」
違う、そんなことが言いたいんじゃない、と苦しそうに。
「何か……言ってよ」
僅かばかりに震えた声で、自身を見つめるその視線に思わず目を逸らしそうになって。
「こっち、ちゃんと見て」
許さない、とばかりの射抜く視線に体が固まる。
「逃げないでよ、逸らさないで、振り向かないで、こっちを見て」
何で、何で、何で、問いたそうなその表情。
それでも、体は動かなくて。
「―――嘘つき」
しばしの沈黙を破って、失望したように少女が呟き背を向ける。
そのまま去っていくその背を見つめながら、何も言えなくて。
―――嘘つき。
その言葉だけが、胸の奥に突き刺さって、どうしても抜けなかった。
* * *
ずっと昔の話。
まだ幼かった頃の話。
まだ無邪気に夢を追って
―――いつかすごいトレーナーになる。
そんな夢を抱いた。
ポケモンという存在が人の日常に中に当たり前にあるこの世界で、ポケモントレーナーというのはありふれた存在だ。
特にこのガラルにおいて、プロのポケモントレーナーというのはテレビにも放映される花形だ。
故にガラルに住む人間の多くは幼少に一度はトレーナーという職業に対して憧れを抱く。
故に初めてポケモンをもらった時は嬉しかったし、自分の指示でポケモンが技を出すだけでも大はしゃぎしたし、一緒にポケモンをもらった幼馴染とバトルの真似事をしてポケモンを対峙させるだけでも楽しかった。
いつかすごいトレーナーになる。
同じようにトレーナーに憧れる子供たちならきっと誰しもがそれを夢見ていて、自分もユウリもまた同じような夢を抱いていた。
まだ現実を突きつけられる前の自分たちは……自分は、そんな夢を本気で信じていたのだ。
十歳になるとポケモンスクールに通うことになる。
このポケモンスクールで優秀な成績を取れればジムチャレンジへの参加資格、『推薦状』をもらえるとあればトレーナーになりたい子供たちも必死になるというもので。
自分もまた必死になってバトルのイロハを学び、バトルの腕を磨き、ポケモンを育てた。
多分薄々気づき始めたのはこの頃だろう。
まだお遊びの範疇だったはずのバトルを本気で学び始めたこの頃なのだろう。
スクールでの授業は楽しかった。
自分の大好きなポケモントレーナーの勉強をするたびに自分の夢に一歩近づいていると思えたから。
何よりこれまでずっと一緒だった幼馴染が、スクールで新しくできた友人が、共に隣で切磋琢磨しているのだ。こういうのをライバル、と呼ぶのだろう……そう思っていた。
けれど月日を追うごとに少しずつ差が生まれ始めた。
同じ月日を共に過ごしてきて同じ学び舎で同じ内容を学んでいるのに。
自分と幼馴染、そして友人の実力は少しずつ少しずつ離れていった。
スクールに入学したての頃、まだ互角だったはずのバトルの腕は気づけば負けが増えていた。
一年目の終わり、まだ勝っていたはずのテストの点数も、二年目の半ばには逆転され。
スクールの放課後、幼馴染や友人と共に勉強の息抜きに遊びながらも焦りを感じていた。
初めてテストの点数で幼馴染に負けた日から放課後に遊ぶことを止めた。
必死になって勉強をし、それでも幼馴染を超えることはついぞ無かった。
スクールは二年制であり、二年目の終盤になる頃には卒業を間近に控えた最後のバトルがあった。
そこで優秀な成績を出せば『推薦状』を与えられる。
幼馴染や友人はすでに優秀な成績を残しており、『推薦状』を間違いなく獲得できるだろうと思われていた。
自分は……ギリギリだった。
チャンスが無いわけでもない、だが楽観できるほどでもない、そんな微妙な成績。
このバトルが最後のチャンスだった。
そのために幼馴染や友人と疎遠になっていることは自覚していたが、なりふり構っていられなかった。
必死になって勉強し、必死になってポケモンを育て、そして当日決死の覚悟でバトルに臨み……。
見事『推薦状』を獲得した時、狂喜した。
ようやく幼馴染たちに追いつけたのだ、とそう思ったのだ。
ああ、ホント、馬鹿みたいな話だ。
* * *
「お前……■■■■か? 久々だな!」
幼馴染と実に数年ぶりの再会を果たした翌日。
ブラッシータウンで声をかけられ振り向けばそこにいたのはスクール時代からの友人だった。
もう三年以上会っていないはずの友人なのに、幼馴染に再会した翌日に会うだなんて、何の因果だろうか。
それはきっと単なる偶然なのだろう。
友人はこのブラッシータウンの研究所で働いており、実家は自分たちと同じハロンタウンなのだ、寧ろ生活圏は被っていると言って良いのに一年以上出会わなかったことのほうがおかしいのだ。
否、おかしくはないのだろう。
意識的か無意識的か、友人と出会うことを自分が避けていたのだろうから。
そう、避けていたはず……なのに。
―――嘘つき。
昨日のユウリの言葉がずっと胸の内に突き刺さって抜けない。
きっとそのことで頭がいっぱいになってしまっていて、他のことが抜けていた。
だから出会ってしまったのだろう。
こんなにも簡単に。
逆に言えば、今までどれだけ必死になって逃げていたのだろうと自嘲しそうになる。
目の前で嬉しそうに自分を見て語り掛ける友人の顔を直視できないくらいに。
―――■■■。
友人の名を呼べば、友人……ホップがどうした? と首を傾げる。
悪いが仕事があるんで、と告げれば同じく働く身であるホップも無理には引き留めはしなかった……が。
「今日時間あるか? こっちはレポートもひと段落ついて何日かは時間あるし、後で会わないか?」
話したいことがたくさんあるんだ、と嬉し気な表情で告げるホップに咄嗟に拒絶しそうになり、けれど上手く断る口実も見つからずに、まあ時間があれば、とだけ返してホップに背を向け歩きだす。
「夕方にいつもの店で待ってるから、時間ができたら来てくれよなー!」
その背に呼びかけるようにホップが大声を張り、振り返れば手を振っていた。
ずきり、と軋む胸を抑えながらも引き攣ったような笑みを浮かべて小さい手を振り返し。
気のせいか先ほどよりも重くなった足取りのまま、そのままアルバイト先に向かうのだった。
* * *
その才能に嫉妬したのはいつの話だっただろうか。
自分の間抜けさに気が狂うほどに怒りを覚えたのは、いつの話だっただろうか。
問いかければそれは明確な答えとなって返ってくる。
ジムチャレンジ、開会式での話だ。
その時自分は初めて知ったのだ。
幼馴染と友人がスクールにおける『推薦』を蹴ったことを。
その代わりに友人の兄たる『チャンピオン』にポケモンバトルの腕を認められ、二人がチャンピオン直々の推薦を受けたことを。
その時自分は初めて気づいたのだ。
二人がスクールの『推薦』を蹴ったのが『推薦』ギリギリだった自分を慮ってのことだったのだと。
あれだけ必死になって、あれだけ決死になって手に入れたものは幼馴染たちが『譲ってやれる』程度のものでしかなく。
それこそがそのまま二人と自分の『絶対的な差』を示しているようで、惨めさに気が狂いそうだった。
共に旅してジムチャレンジを駆け抜けるなどできるはずも無かった。
二人より一秒でも早くジムチャレンジを終わらせる、そんな覚悟と決意を持って旅へと踏み出して……。
―――ぽっきりと折れた。
最初のジム、ターフタウンジムで3度、次のジムであるバウタウンジムで2度……そしてエンジンシティジムで5度負け、その度に挑戦し、そうして辛うじて勝利を収めた。
その間にも幼馴染と友人は一度も敗北することも無く駆け抜けていき、すでに届かぬ先へと進んでしまっていた。
折れた心のままにそれでも戦って、戦って、戦い抜いて。
―――まあ健闘は認めるが、残念ながら時間切れってやつだ。
最後のジムリーダー、キバナを前にして膝を折ることとなった。
その後、セミファイナルにすらたどり着けずに終わってしまった自分と比べセミファイナルを勝ち抜いていく幼馴染と友人。
そうして激突する二人、その試合をスタジアムで見ながら認めたくない事実をそれでも少しずつ少しずつ突きつけられていった。
勝者となった幼馴染の少女はそのままファイナルトーナメントへ進み並み居るジムリーダーたちを次々と撃破していき、ついにはチャンピオンとのバトルへとたどり着いて……。
そう、そこで見たのだ、見てしまったのだ。
本当の才能というものを。
そうして、絶望したのだ。
―――チャンピオンすら勝てなかった伝承の怪物を相手に伝説の騎士たちと共に戦う幼馴染と友人、そしてそれを見ていることしかできなかった、戦いの舞台に立つことすらできなかった自分。
それは余りにも分かりやすく、余りにも克明に突きつけられた現実だった。
* * *
一歩、歩を進めるごとに重くなる足を引きずりながら目的地の喫茶店にたどり着く。
昔幼馴染と友人二人と共に放課後を何度となく過ごした店だ。
いつもの店、と言われて真っ先に出てきたのがこの場所で、そしてそれを裏付けるかのように窓辺の席で頬杖を突く友人の姿を認め、友人と自分との間に未だに繋がりがあることを自覚して心が軋んだ。
「おーい、■■■■。こっちだぞ」
自分に友人が手招きする。
歩を進めるたびに体が震え、呼吸が荒くなり、眩暈がした。
それでも席にたどり着き、座ると友人がメニューを差し出してくる。
「久々だし、オレが奢るぞ。何でも頼んでくれ」
そう言われても緊張で食欲も無く、喉はからからなのに水すら喉を通らない。
こんな状態で何も頼む気にもなれず、黙っているとそれを知ってか知らずか友人が店員を呼びいくつかの注文をした。
「取り敢えず適当に頼んだから、一緒に摘まみながら話そうぜ」
楽しそうな友人に、けれど自分は顔を伏せて何も言えない。
「どうした? 体調悪いのか? やっぱり今日は止めるか?」
そんな自分の様子を見て取った友人が心配そうに尋ねるが、首肯も否定もできずにただ立ち尽くす。
しばらく考え込んで、やがてはっと何かに気づいた様子で。
「もしかして……もうオレたちのこと、嫌いになったのか?」
こちらの意思を探るかのような視線に、口元が硬く結ばれる。
それは違う! と言いたくて、けれど声が出ない。
まるでそれが間違いではない、というかのように。
否定しないことを肯定であるというかのように。
だから、必死になって首を振る、そうじゃない、そうじゃないのだ、と必死になって伝える。
「違う、のか。じゃあ、どうして」
どうしてそんなに苦しそうなんだ、そんな友人の言葉にまた心が軋む。
違うのだ、そうじゃないんだ。
そう言いたいのに言葉が出なくて。
だったらどうして、なのにそう尋ねれられればきっと答えに窮するのだろう。
どこまで行っても無様な自分に引き攣ったような笑みすら零れる。
ああ、ホントに、なんて馬鹿らしい、なんて阿呆らしい、なんてくだらない。
本当に、本当に、本当に。
なんて惨めなんだろうか、自分という存在は。
未だにガラルで語られる暗い夜のことを今でも覚えている。
戦った幼馴染と友人。戦えなかった惨めな自分。
あの日から決定的な壁が出来たのだ。
あの時から、確定的な違いを理解させられたのだ。
あの瞬間から、どうしようも無いほどの差を思い知らされたのだ。
結局のところそれは劣等感だ。
自分と目の前の友人が対等ではないと何よりも自分が一番思い知らされていて。
なのに、友人はまるで自分たちが対等であるかのように接してきて。
それがより惨めだった。自分が何よりも気になって仕方ないことを、まるで何でもないことのようにしてしまう友人との差が。
決定的に劣ってしまっている、それを認めてしまった時、もうその人とは決して対等ではなくなってしまうのだ。例えそれが友人でああっとしても。
そのコンプレックスを跳ねのけるだけの何かがあれば、また話は違ったのかもしれない。
だがそれはあり得なかった
自分が熱望したもの全てにおいて自分は幼馴染や友人に劣っていると気づいてしまった時、理解してしまった瞬間。
もう自分と彼らとの関係は決定的に壊れてしまったのだ。
* * *
街で偶然見つけた時、本当に嬉しかったのだ。
数年ぶりの友人との再会。
かつてトレーナーとして切磋琢磨したライバル。
ああ、けれど分かった、分かってしまった。
目の前で青い顔をして、首を振る友人の姿を見てホップは気づいてしまった。
彼もまた自分と同じ、いや、より酷いかもしれない挫折を味わったのだと。
そしてよりにもよってそれは、今やチャンピオンとなったもう一人の友人である少女と、そして他ならないその少女との差に気づき挫折してしまったはずの自分こそが与えてしまった絶望なのだと。
―――昔は良かったんだぞ。
思わず心中で呟いてしまったそれは、結局のところ後悔なのだろう。
兄に憧れトレーナーを目指し、スクールで同じ目標を持った
傍から見ればそれは輝かしい経歴だろう。
自分もまた最良とは言わないが悪くない過去だと思っている。
だが結局、そこには多くの挫折があって、後悔があって、妥協があって、そして今がある。
実際過去を振り返って最も幸せだった時期を考えれば一つの結論に至る。
スクール時代、友人二人と競い合っていたあの頃が一番楽しかった、と。
だとすれば、一体どこで間違えてしまったのだろう。
どうすれば良かったのだろう。
「どうしてこうなっちゃったんだろうな」
蒼褪めた表情で、震えた体で、重い足取りで去っていく友人を窓から見やりながら嘆息する。
きっと自分は何かを間違えたのだ。
けれどその何かは、どれだけ考えたって分からないのだ。
「オレたち、なんでこうなっちゃったんだろうな……ユウリ」
* * *
―――オレはもう別の道を決めたんだぞ。
最悪だった。あの友人が、あの自分を嫉妬させ、渇望させ、そして絶望させた才能の持ち主すらも折れてしまっていたという事実。
そしてそれをなしたのが自分の幼馴染の少女であるという事実。
―――なあ、ユウリはお前のこと、今でも待ってるんだぞ。
無茶を言うな。無謀を通り越して無理だ。不可能だ。
友人にすら届かなかったのに、今更自分に何ができるというのだ。
無理だ、無理だ、無理だ……自分にはできないのだ。
―――嘘つき。
そんな幼馴染の失望の浮かんだ顔と、そして投げかけられた言葉。
心臓が痛い、心が軋む。頭の内側を虫がはいずり回っているような不快感に何度も何度も頭を掻きむしる。
それを一言で言い表すならば。
焦燥感、だろうか。
なんで今更こんな感情を覚えなければいけないのだ。
もうとっくに諦めたのに。
もうこんな惨めな思いはごめんだ、と。
もうこんな苦しい思いは嫌だ、と。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も思い知らされて、痛感させられて、刻みつけられて。
逃げて、逃げて、逃げ続けて。
目を逸らした、背を向けた、見ない振りをして、賢く生きようとして。
なのに、何でこんなにも辛いのだろう。
自分は、自分は、自分は……。
その時。
視線が。
腰へと。
そこにあったのは。
たった一つ残された。
モンスターボール。
自分の……
そうだ、そうだ、そうだ……!
これだ、これがあるから……こんなものがあるから。
そうだ、これは未練だ。未練なのだ。
トレーナーに対する未練。
幼馴染との最後の繋がり。
これを捨ててしまえば、終わる、何もかも終わる。
どうせもう他は全て逃がすか、別の誰かに託してしまったのだ。
もう必要のないものだ、だから捨ててしまえば良い。
そう、それで終わる……ようやく終われる、解放されるのだ。
この苦しみからも、この焦燥からも、この劣等からも。
トレーナーとしての劣等感さえないなら、きっとまた元の友達に戻れるかもしれない。
ただの幼馴染、ただの友人、そんな関係に戻れるかもしれない。
それは希望だろう。
自分の黒く暗い人生に差した光。
これを捨てることでようやく自分は始まるのだ。
ああ、そうだ。
これは決別。
自分の人生との。
自分の夢との、決別。
だから、だから、だから。
―――バイバイ、
* * *
片手に握ったボールを見やり、嘆息を吐く。
どうして……何度と繰り替えした問いに、けれど答えは出ない。
―――嘘つき。
あの日、数年ぶりに再会した幼馴染に失望して出てしまった言葉を思い出し、また溜め息が出る。
―――いつかすごいトレーナーになる。
幼い頃、幼馴染が掲げた夢に乗っかるように自分もまたこの道を共に歩みだした。
曖昧で、漠然としたその目標を当時の自分たちは明確に思い描いたことは無かった。
すごいトレーナー、とは一体どんな存在なのか。
チャンピオン、という今の自分の地位はきっとその一つの答えなのだろう。
初参加のジムチャレンジ、当時は自分も必死だった。
控えめに言っても自分には才能というものがあった、だが相手は何年、何十年とこの世界で生きてきた本物のプロトレーナーたちだ。
そうやすやすと勝ちを譲ってくれる相手ではない。
結果だけ言えば全戦全勝とは言え、言葉ほど簡単に勝てた相手たちでは無かった。
ジムチャレンジからチャンピオンカップまで、大よそ半年ほどの間の出来事。
本当に激動のような半年。
さらにその後も昔のガラルの王族だの、ヨロイ島だのカンムリ雪原だのとあちこちに向かって……だからだろうか。
ずっと一緒にいたはずの幼馴染の変化に気づけなかったのは。
共に戦ってきた友人の変化に気づけなかったのは。
ずっと昔から一緒だったはずの幼馴染は、気づけば別れの言葉すら無く姿を消し。
いくつもの事件で共に戦ったはずの友人は、トレーナーを辞し、研究者としての道を進んだ。
幼少の頃から二人で走り続け、スクールに入ってからは三人となったはずのグループは……気づけば自分一人となっていた。
―――いつかすごいトレーナーになる。
そう言ったはずの幼馴染は、そんな言葉で自分に夢を共感させたはずの幼馴染は気づいた時にはすでに隣から居なくなっていた。
―――ユウリ、オレ夢ができた! 世界中の困っているポケモンを助けてあげられる……ポケモン博士になりたい!
まどろみの森でバトルをした後、友人はそう言って吹っ切れたように笑みを浮かべ、隣から去っていた。
それから一年が経ち、二年が経ち……未だに自身はこのガラルにおける最強のトレーナーであり続けていた。
たった一人で。
たった独りで。
「私、何のために戦ってるんだろう」
片手に握るボールへと視線を落とし、呟く。
ボールが答えるはずも無い、がその中にいる
何のために、と聞かれればそれが『義務』だからだ。
このガラルにおけるトップトレーナーたちはその全員がエンターテイナーであり、エンターテイメントのキャストだ。
ポケモンバトルと商業が密着し、トレーナー同士のバトルが『興行』と化したこのガラルにおいて、トレーナー業とは立派な職業だ。
つまり自分とてリーグ委員会に雇われて給料をもらって生活するプロトレーナーである、ということだ。
チャンピオンとは地位であり、名誉であり、けれど同時に役職なのだ。
故にユウリは戦わなければならない。プロとして、バトルし勝利することがユウリの『役割』なのだから。
だから戦っている。いつか負けるその日まで、
それが今の地位にいるユウリの役目で、役割で、責任で、義務なのだから。
例え共に走る仲間がいなくなって。
例え勝利することに意味が見出せなくても。
負けるまで戦い続けることがユウリの為すべきことであり……。
そしてバトルをすれば決して負けさせてくれないのがユウリの
「……はぁ」
嘆息一つ。
全身が気怠い。
それでも立ち上がらないわけにはいかない。
これから次の試合が待っているのだ。
どれだけやる気が出なくても。
どれだけ勝つ気が無くとも。
それでも戦わなければならない……チャンピオンである以上は。
「……昔は良かったなあ」
また溜め息一つ、と共に飛び出したのはそんな台詞だった。
* * *
――――■■■■。
誰かが自分を呼んでいた。
否。
それはいつからだったのだろう。
最早自分でも分からない話。
幼馴染と友人が伝承の怪物を相手に戦ったその日から?
幼馴染の少女がチャンピオンとなったその日から?
それとも、もっと前……スクールの頃から?
分からない、分からない、分からない。
分からないのだ。
何も分からない。
果たして自分はどんな一人称を使っていたのだろうか?
果たして自分はどんな人間だったのだろうか?
何よりも。
自分の名前は一体何だったのだろうか?
幼馴染が、友人が、記憶の中で自分を呼ぶ。
―――■■■■。
けれどその名前を自分が認識することができない。
見失ってしまったから、自分を、自分という存在を。
誰でも無い、誰か。
それが今の自分。
いつも俯いて、ぼそぼそと聞こえないような声で喋って、自分以外の誰かに常に怯えている。
毎朝起きて顔を洗う。
洗面所には大きな鏡があって……そこには顔の部分が黒く塗りつぶされた『誰か』がいる。
顔だけではない、手も、足も、服を捲れば体だって……何一つとして自分には色が無い。ただひたすらに黒い何かに塗りつぶされている。
まるで推理漫画の犯人のように。
おはよう、そんな両親の挨拶にぼそぼそとおはようと返す。
いや、返しているつもりだ。
多分返しているのだろう……そう認識できないだけで。
自分の声はどんなものだったのか、少なくとも自分はもう覚えていない。
どれだけ声を張ったところで、脳がそれを理解できない。
果たしてどんな声をしているのか、ちゃんと発声できているのかすら分からず、気づけはぼそぼそと喋るようになった。
こんな厄介過ぎる自分をそれでも我が子として愛してくれている両親には感謝の念しかない。
そうして今日も仕事のために家の外に出れば……待っているのは地獄だ。
自分が分からない。
自己喪失、とでも言うべきか。
対人関係でこれほど恐ろしいことがあるだろうか。
人というのはそう単純な精神構造をしていない。
自我という精神にはたくさんの要素……色々な側面があって、人間は常に対面する相手によって最適な自分の一面を表に出す。
コミュニケーションの第一歩だ。
なのに自分には対面した時に出せる一面が無い。
心を守るための『人格』という鎧が酷くあやふやで脆い。
だから他人が怖くなる。何気無い言葉でも、些細な悪意だろうが、けれど自分にとってはそれを受け止めることができない。『気にしない』『スルーする』という行為ができないのだ。
悪感情はひたすらに心の中で渦巻き続け、上手く吐き出すまでにかなりの時間を要する。
その度に心が軋むように胸が痛くなる。
それが苦しくて、それが痛くて、それが辛くて。
だからいつしか全部投げだした。
見失った自分を探すことも止めて、辛い現実からも逃げて、失った絆を取り戻すことも諦めて。
惰性だけで生きていた。
ただ虚無的に、空虚に、ただ生きるという義務だけを果たすかのような何も無い空っぽの人生を数年過ごしてきた。
いつかこの症状も回復するのかもしれない。
時間だけがこの傷を癒してくれるのだろう。
そう信じて……いや、都合の良いように解釈して。
でもきっと本当は分かっていたんだ。
時間がこの傷を癒やしてくれることなんて無いのだと。
自分が自分であり続ける限り、今の自分である限り、永劫このままでしかないのだと。
けれどだからって簡単に変わる、なんて言えるはずがない。
言ったところで本当に変わろうとする意思が無ければ何も意味が無い。
自分というものが無いのに、そんな意思が芽生えるはずもない。
だからきっと自分は生涯このままなのだろう。
惰性のまま、流れされるように、空虚に生きて、空っぽのまま死んでいく。
この先の人生に希望は無い……故に絶望。
果たしてこんな人生を生きる意味はあるのだろうか。
そんなことを考えたところで自殺を決意するほどの意思も無いのだから自発的に死ぬこともできない。
そうして漫然と生きていた。
生きて……
* * *
―――馬鹿らしい、阿呆臭い。
自嘲染みた言葉を漏らした……つもりだ。
自分の声が聞こえないから本当にそう言っているのか分からないけれど、少なくとも自分ではそう言っているつもりだ。
手の中で
―――どうして、何で……こうなってしまったのか。
そんなことを考えても、答えは出ない。
何せ自分のことなんて自分が一番分からないのだから。
それでも、今までの自分ならこんなことはしなかったはずだった。
―――おまえのせいか? トモダチ。
「―――■■■■■■■? ■■■■」
「ピーカァ……」
しっかりしろよ、
自室のベッドの上に座り込みながら、手を伸ばせば小さな体躯はあっさりと抱えることができる。
生きている証とばかりの体温、そしてふさふさとした黄色の毛並み。
縋りつくように抱きしめれば、仕方ないなあ、とばかりに相棒が頬をこすりつける。
「ピカ、ピカピカ」
慰めるようなその行為に、どこか安堵している自分がいて。
そして気が抜けた拍子に、心の奥底に溜まった本心がぽろっと零れ落ちる。
―――どうすればいいんだろう?
「―――■■■■■■■■■■■?」
零れ落ちたそんな自分の本音に、相棒が一瞬考え込み。
「ピカチュウ!」
分かってんだろ?
まるでそう言っているように、ぽん、と自分の頭に手を置いた。
そうだ……分かってる。分かっている。本当は分かっている。
全部捨てようと思ったのに、全部投げだそうとしたのに、全部全部切り捨てようとしたのに。
それでも
自分は結局捨てられなかった。
あれだけ願ったのに。
あれだけ苦しんだのに。
まだ足りないのか?
折れた心の奥底に、もうとっくに鎮火してしまっていたと思っていたはずの夢が熾火となって残っていたことを今更自覚した。
何で今更なんだ。
ジムチャレンジの直後にそれに気づけていれば……そう思っても意味なんて無いのだ。
進んだ時は戻らない。
過去は変わらない。
それでも捨てられない。捨てられなかったのだ。
未だに消えていなかった
―――もっと苦しんで、もっと焦がれて、もっと足掻け。
心がそう叫んでいるのだ。
「……苦しいなあ」
自分と相棒しかいないはずの部屋の中で声が聞こえた。
驚き視線を上げる、周囲を見渡せど誰もいない。
なら今の声は誰の声だ?
考えて、考えて、考えて。
「……ああ、そっか」
ようやく気付く。
「こんな声だったんだ」
それが自分の声だったことに。
* * *
「ホップ」
昨日の今日。なんて言葉があるけれど、本当にその通りの意味で使われたのはホップをして初めての経験だったかもしれない。
昨日青い顔をして別れて行ったはずの友人が、自ら研究所に自分を訪ねてやってくるなど想像もできなかった。
「大丈夫か? 無茶したらダメなんだぞ」
下手をすればもう会う事も無いかもしれない。
いや、会わないほうが良いのかもしれない。
なまじ同じ痛みを知っているホップだからこそ、今の友人の状況が分かってしまっていた。
自分やもう一人の友人との邂逅が目の前の友人にとっての痛みになることを。
だとすればどうしてやってきた?
そんなホップの疑問にも答えず、友人が相も変わらず青い顔で、苦悶の表情を歪めて。
「ユウリに、会いに行く」
端的にそう告げた。
―――なあ、ユウリはお前のこと、今でも待ってるんだぞ。
確かに昨日、友人にそう告げたのは自分だった。
もう一人の友人……ユウリはずっと友人を待っている。
この地方の頂点でただ独り、孤独に身を打ちひしがれながら、かつて約束した友人を。
本当は友人だけじゃない。きっとホップのことも。
それでもホップはユウリと共に戦い、あのまどろみの森の一件で一つの決着をつけた。
だからきっと
もうホップがトレーナーとして戻って来ることは無いと。
実際ホップももうトレーナーに戻るつもりは無いのだからそれは間違いではない。
それでも、戻ることは無いと理解をしていたとしても。
けれどそれはもう叶わない願いであることも分かっていて……だからホップは見ないフリをした。知らないフリをして、気づかないフリをして、友人に別れを告げた。
改めて考えてみれば、目の前の友人と自分は何も代わりはしないのだ。
折れて、逃げ出して、そしてユウリを置き去りにした。
思うところが無いわけではない。だってユウリは確かにホップの友達なのだ。
けれどことは自分の一生を決める『生き方』の問題だ。
ユウリはホップの友達ではあるが、それでも自分の一生を賭けることのできる相手かと言われれば首を傾げるし、ユウリだってきっとそこまでホップには求めていないだろう。
スクール時代の、いや、せめてジムチャレンジ中のホップならともかく、あれから数年、今のホップには他に大切なものがたくさんあるのだから。
今のホップの居場所はこの研究所であり、自らの居場所を投げ捨ててユウリの元へ赴くということはもうできはしなかった。
そう、だからこそ。
「ユウリに、会いに行く」
友人のその言葉に驚いたし。
「助けて欲しい」
その言葉に一も二も無く頷いた。