真・恋姫†無双 妄想伝   作:コイル

12 / 24
第12話  意志、胎動す

 人生において、これほどまでに明けくれるなと(こいねが)った夜があっただろうか。静寂の中に響く己の息遣いがこんなにも耳障りな夜があっただろうか。眠ってしまうことがここまで恐ろしいと感じた夜があっただろうか。

 丑三つ時を過ぎてなお、未だに横になることもできない体は悲壮感に包まれ、一刀は宛がわれた部屋の寝台上で膝を抱えていた。

 

「…………」

 

 これはまったくもっての愚行だ。今は思い悩んでいる時ではない。明日という日の重要性を鑑みれば、無理やりにでも瞳を閉じて、少しでも英気を養うべき。明日の決戦で敗れるようなことがあれば、未来のすべてを失ってしまうかもしれないのだから。

 しかし、だからこそ、一刀はどうしても恐ろしいかった。横になり瞳を閉じているうちに、知らず知らず眠りへと誘われ、次に目が覚めた時にはもう、夜が明けてしまっていることが。

 

「……くそっ」

 

 皆と一緒にいる時はまだマシだった。恋たちの手前ということもあり、(いくさ)の話をしていても、まだ前向きでいられた。明日こそは戦場に立たなければならないという現実も、まだ受け止められた。覚悟を決めなければという気概を持てていた。

 ところが、軍議を終えて、いざ月明りだけが差し込む真っ暗な部屋でひとりになればこのざまだ。

 不安がどうしようもなく胸を締め付ける。焦燥感が心の安定を常に惑わす。

 怖気づくとはまた違う。もっと混沌としていて、それでいて得体の知れない不快な何かが肌に纏わりつくような感覚だ。

 おそらくは戦場というものを知識としてしか知らず、何一つ実感を伴わないことが要因のひとつなのだろう。

 

「戦、合戦、戦争……」

 

 言葉でならいくらでも表現できる。想像だって膨らませられる。理解もできる。なのに、その核心に触れることはどうしてもできない。

 半年前まで平和な現代日本で暮らしていた者にとって、命がけの戦場など非現実側の出来事だ。そこにはただ漠然とした概念が転がっているばかりで現実味がまったくない。すべてがぼやけていて、実体は掴めず、実感が何ひとつ伴わないのだ。

 しかし、わからないからこそ、逆にはっきりしていることもある。

 それは、この夜が明ければ、一刀は我が身をもってその真髄を味わうことになるということだ。

 

「――嫌だッ! いやだ、いやだ、いやだ、経験なんてしたくない。見たくない。知りたくない。ずっとわからないままでいさせてくれよ!」

 

 嘆きは呆気なく闇に沈む。

 どれだけ強く願っても、時は止められない。水が高きから低きに流れるように、必ず時は訪れてしまう。残酷なまでに平等だ。

 

「……みんな今頃どうしてるのかな」

 

 不意にかすめた、現世の記憶。やはり、今宵は眠れそうもない。

 一刀は強く膝を抱えて、明日が来ないことを祈り続ける。窓から覗く、東京では絶対に拝むことのできない美しい煌星たちを、憎らしく見上げながら。

 

***

 

 翌朝は眩いほどの快晴だった。

 青光を取り込む虹彩が痛みを錯覚するほどの見事な秋晴れ。戦日和、と言っていいのかはわからないが、少なくとも両軍は持てる力を遺憾なく発揮できる天候に恵まれた。

 城下の朝は早い。

 戦支度は日の出と共に始まり、決戦に臨む緊迫感は刻一刻と高まっていく。

 負ければ終わりだ。敗北の先には間違いなく凄惨な未来が待ち受けている。悲劇的な結末を回避するためには勝つしかない。敵を力で捻じ伏せ、自力で勝利を奪い取るしかない。

 もはや倫理や道徳の出番は終わったのだ。人間同士の殺し合いがいかに不毛であろうとも、勝者と敗者の大原則は絶対にして普遍。

 死にたくなければ、殺される前に相手を殺す。それは戦乱の世において当然の理であり、人類誕生の遥か太古より連綿と受け継がれる自然の法則だ。

 もちろん不安はある。恐怖もある。未練だってある。どれだけ戦場が身近な時代であっても葛藤は生まれる。

 人の心とは、痛みに慣れはしても不感になるわけではない。多くの者にとって、戦とは忌避の対象であることは変わりない。しかし、闘争のくびきから逃れられぬ以上、誰もが強がるように、ただ勝利を求めるしかないのだ。

 たとえどんな犠牲を払おうとも。隣に並ぶ者と今生の別れになろうとも。己が命が尽きようとも。友のために。愛する者のために。家族のために。生きる居場所を守るのために。綻びそうになる決意をそういった様々な理由で雁字搦めにして、己が心を一振りの刃として研ぎ上げていく。

 余計な感情や道理は削ぎ落とし、勝利を得ることだけに徹していく。殺す覚悟と殺される覚悟を練り上げていく。兵士も民も。男も女も。老いも若きも。濮陽に住まうすべての者たちがそうやって戦支度を整えていく。

 そして、ついにその時はやってくる。

 先ず動くのは黒山党軍。彼らは部隊を三つに分け、前日と同様に西門と南門へ、睦固と白繞の軍勢各一万が進軍を開始。残る約三万の本隊は干毒自らが率いて東門へと進む。

 一方、これに対する濮陽軍の布陣は、西門に霞の兵三百。南門に恋の兵百。そして、東門に一刀と管輅の兵四百となっている。つまり現時点で東門における戦力は四百対三万。比率にして七十五倍にも及ぶ圧倒的な差だった。

 巳の初刻(午前九時頃)、東門を目指す于毒軍は一斉に渡河を開始した――。

 

***

 

 一刀は見ていた。

 対岸の河原を埋め尽くした敵兵が、河の流れを堰き止めんばかりの勢いで次々と飛び込み、胸元まで水に漬かりながらも、手にはそれぞれの得物を握り締めて水中を進む光景を。

 そのおぞましさは筆舌に尽くし難い。なにせ眼下に蠢く万の人間は、例外なくすべて自分たちを殺すためにやってくるのだ。

 人が人を殺すために団結し、行動する。それもこれだけ巨大な殺意が存在することに、彼の身体は芯の芯から戦慄していた。

 敵の軍勢が河の中ほどまで進んだ。

 動き出した戦場はもう止まらない。恐怖によって緊縛された男の頭上を、矢音の一団が飛翔する。

 

「――放てええええ!!」

 

 部隊長の命に従って、敵の進軍を阻むため次々に放たれた矢群は天空に大きな曲線を描く。上空から落下の速度を加えたそれは、水中で動きの鈍った敵兵に容赦なく襲い掛かった。

 

「――――」

 

 矢の雨が、水面と敵兵を打つ。

 何人もの人間が一斉に動かなくなる。水流を赤く濁す屍が一瞬で量産された。それでも彼らは誰一人として前進をやめようとしない。

 味方の血を掻き分け、死体を押しのけ渡河を続ける。そこに再び五月雨の矢が降り注ぎ、また人が死ぬ。その繰り返しだ。

 何度も再現される死。人が死ぬ。この一瞬にも何十人もの人が死に、次の瞬間にはより多くの命が失われる。これは紛れもなく無残な所業のはず。なのに戦場では誰も人の死など一顧だにしない。

 初陣の一刀にしてみれば、その光景こそまさしく狂気。城壁から見下ろす現実は、夜通しかけて想像したものとは大きく異なっていた。

 ――く、狂ってる……。

 あまりに呆気ないのだ。人が死ぬにしてはあまりに淡白で無造作すぎる。もっと重たいはずであろう人の死が、道端の枯葉と大差なく散乱している。

 そこには命の尊厳や誇りもなく、劇的な何かが絶対的に足りていない。特別であって然るべき人の生死がこんなにも雑多に転がっていていいのか。いや、これではダメだ。人の命は崇高。ゆえに死は特別あるべき――そう思い込み、死を遠ざけることで精神の安定をはかっていた男には、到底、受け入れがたい現実だった。

 ――これが戦……?

 強張る表情をぐしゃりと歪め、一刀は顔をそむける。だが、

 

「――目を逸らすでない! しっかり前を見んか! いいか一刀、これはおぬしが自ら首を突っ込んだ結果じゃ。この光景を責任もってその目に焼きつけよ」

 

 冗談じゃなかった。誰がこんな未来を望んだというのか。

 どこに責任がある? なぜ勝手に殺し合い勝手に死んでいく者を見届ける必要がある? そう反論しようと顔を上げた一刀だったが、寸前のところで自分の誤りに気づいてしまい唖然となる。

 ――死んでいく……? 馬鹿か俺はッ! よく見てみろ。()()()()()()()()()()。これは俺たちが、俺が……、()()()()()()()

 どれだけ受け入れがたい光景であろうとも、今、一刀は戦場に立ち、そして直接手を下さずとも、殺し合いをしているのだ。傍観者を気取って実感を拒絶しても、その事実から逃れられはしない。

 戦場の音。戦場の臭い。戦場の色。戦場の風。戦場の味。いくら無視しようとしても五感を通して流れ込んでくる生々しい現実はもう誤魔化しようがなく、その瞬間、不意に頭を過ぎったのは管輅に教えを乞うたあの夜の記憶だった。

 

「……ホント馬鹿なんだろうな俺」

 

 あの時、なぜ不殺の誓いを笑らわれ、老人の顔が一瞬だけ寂しげに見えたのかが、今ならよくわかる。

 その信念こそ戦場にはもっとも不要な異物だからだ。

 見ての通り、人なんて戦が始まってしまえば、理由がなくとも簡単に死ぬ。ここには映画や小説の登場人物のような気の利いた演出は一切ない。ただ殺し、ただ殺される。力なき者から消えていき、運を掴んだ者だけが生き残る。

 当然だ。戦場を支配しているのは、やはり狂気なのだから。

 

「…………」

 

 今更ながらに痛感する己の甘さ。一刀は見つめる情景にきつく唇を噛み締め、

 ――それでも俺は……。

 嫌だった。戦場の空気に触れてもなお、直接的に人を殺めることはどうしても憚られる。と同時に、それがどうしよもなく卑怯な思考だということはわかっていた。不殺とは所詮、自分の手を汚すのが嫌だから他者に押し付けているだけ。ただの我がままだ。

 ――くそっ!!

 なにより、これから成さねばならないことを思うと、自己嫌悪の感情はより加速していく。情けない。ただ情けない。結局、北郷一刀という人間の本質は何も変わっていなかった。そのことが心底情けなくて涙が出そうだった。

 だが、彼にはもう長々と感傷に浸っている暇はない。

 決死の敵兵は続々と河を渡りきり、雄たけびを上げながら城門を目掛けて殺到している。不本意だろうと何だろうとこれを止めなければ、こちらが終わる。ならばどうするか。

 

「さあ、くるぞ一刀!」

 

 とうとう、先頭の一団が城門に取り付く。

 一刀は腰から宝剣を抜いた。それは明確な戦闘の意志。誰を守り、誰を殺し、誰のために戦い、誰の命を生かすかの選択。

 

「……わかってるさ」

 

 周回遅れの覚悟をようやく固めた男が、相変わらず鞘の抜けぬ宝剣を敵に突き立てる。

 ――ごめんなさい……。

 一刀は命令を下した。

 

「――開門ッ!!」

 

 号令にしたがって、鉄城門が自重の軋みをあげながらゆっくりと開かれていく。思わぬ事態に居合わせた敵兵は呆気に取られ、止まった足で何事かと顔を見合わせる。

 戦場に訪れた不意の停滞。敵味方双方の視線を一手に集めて開かれる城門。やがて、人ひとり分の隙間が開くと音も止み、そこから現れたのは思いもよらぬ人物だった。

 

「――りょ、りょりょ、呂布だァァアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 それは方天画戟を担ぐ死出の告げ人。本来ならば東門にいるはずがない恋の姿。彼女の持ち場は南門で、開戦間もないこの時に、ここにいてはならない者だ。

 

「なっ、なんであの化け物がこっちにいるんだよ!! 南門にいるのは確認していたんだろうッ!?」

「ま、まさか、もうやられちまったってのかよ!?」

 

 否だ。この場にいる者たちには確かめようもないことだが、南門の敵軍は事前の方策通りに本格的な交戦を避け、一定距離を取ったまま牽制役を務めている。それにいくら恋が天下無双とはいえ、これほどの短時間で万の敵を平らげ、東門に移動するのは不可能だ。

 ではなぜ恋がここにいるのか。答えは単純明快。敵軍が到着する前から恋は東門にいたのである。つまり、敵が偵察で確認した南門の恋は偽装。すべては陳宮の策だった。

 彼女は前日の戦闘中から既に、城内の者から恋と張遼の影武者を務められる者を探していた。

 緒戦で圧倒的な恐怖を植えつけられれば、以後、南と西ではまともな戦闘にならないと戦況を読み、またそうならなければ勝利は得られないと考え、だからこそ大勝利を求めたのだ。

 あとは二人の服を着た影武者をただ城壁の上に立たせておけば十分だ。その上で、念のため敵の動向が掴めるまでは、本物も隠れてそれぞれの門に待機させておき、敵本隊の動きに合わせて移動すれば、策は成る。

 そして、すべて陳宮の思惑通りに動いた戦場では、恋の剛撃を食らった敵兵が順次、吹き飛ばされていた。

 

「――ウギャアアアァ!?」

「に、逃げろおおおおおおおおおおお!!」

 

 城門前は瞬く間に悲鳴の渦となり、押し寄せる敵兵の波がビタリと止まる。それどころか恋が一歩踏み込めば、それに合わせて人波も引く。戦線はたったひとりの人間の登場で文字通り形を変えた。

 そのあまりに超絶な戦いぶりに、上から眺める管輅と一刀は口をあんぐり。

 

「……ワシも長いこと生きておるが、これほど人から外れておる武は初めて見るわい。信じられん」

「……ハハハ。な、なに、あれ? 人がピンポン玉みたい飛んでくんだけど……嘘でしょ……?」

 

 確かに強いとは聞いていた。緒戦の結果を鑑みれば、関羽さんと同様に並々ならぬ力を持っていると、一刀も思っていた。

 しかし、これはもうモノが違う。目にした恋の強さは想像の遙か彼方。想定外の規格外。というよりフィクションの領分だ。

 

「――ヒィッ、こっちにくるなァ! う、うわああああああああああ!!」

「い、いやだァアアア!! 俺はまだ死にたくな――ガッアァ!?」

 

 その人外と予期せず鉢合わせた敵兵はたまったものではないだろう。決死の渡河を完遂した後、目の前にいきなり武神が登場すれば誰だって狼狽もする。戦意を完全に挫かれた前線の渡河部隊は折角渡った河に自ら飛び込み、死に物狂いで我先にと逃げ出していた。

 しかし、河中には渡河の最中で立ち往生している者が既に多数あり、水中はあっという間に混乱と混雑でごった返し、溺死者が出るほどの惨状と化す。

 

「よし、そろそろワシらも移動じゃ」

「あ、ああ、うん」

 

 一刀は頷きつつ、敵軍をたったひとりで圧倒する恋の背に視線を向ける。

 

「恋、ありがとう。……頑張って」

 

 北郷隊三百名は事前の作戦通り移動を開始した。

 

***

 

 于毒は驚きを隠せなかった。

 

「どうなっている……? なぜだ? なぜここに呂布が……?」

 

 彼女が南門の守備に就いているのは斥候に確認させた。ならば、どうして対岸の兵士たちはその呂布に蹂躙されているのか。

 

「ふざけるな……! なんのために東門までやってきたというのだッ!」

 

 渡河という厄介を了承したのは化け物二人を避けるため。渡河で被る損害の方がまだマシだと判断したからだ。

 なのに今、目の前にある光景は渡河と呂布という最悪の組み合わせ。なにより、あの強さは一体なんなのか。あれは本当に同じ人間なのか。自軍の兵士たちが紙屑同然に蹴散らされていく様は、悪夢でも見ているかのようだった。

 

「こ、これほどまでとは……」

 

 天然の要害に人外の武まで加わるこの地は、垣根なしの死地と言えよう。張遼もこれと同等の武だというなら、なるほど。二人の腹心があれほど怯えるのも無理はなかろうと、干毒は認識を改める。

 すぐに指示を出した。

 

「くっ、後退だ! 渡河途中の者も全員、直ちにこちらの岸に上げさ――」

「おっと、それは悪手です。いけませんよ将軍」

 

 しかし、隣に立つ黒衣の外套がそれを止める。いつの間にそこにいたのか。彼は薄気味悪い笑みを口元に浮かべながら、

 

「今部隊を下げてはなりません。それこそ敵の思う壺です」

「馬鹿な!? ならば貴様はあの化け物と真正面からやり合えというのか!! どれだけの損害がでると思っている!!」

「いえいえ。私は兵を下げてはならぬと申しているだけで、やり合えとは申しておりません」

「……なに?」

 

 つまり、と男は言った。

 

「今にして思えば、わざわざ城壁の上に立っていたのは、こちらに存在を確認させやすくするため。南の呂布は我らの心理を読みきった上での偽装だったのでしょう。とすると、あるいは西の張遼も偽装やもしれませんが、まあ、いずれにしろ、呂布と張遼が本当に増えたわけではありません。ここに本物の呂布がいる以上、南と西どちらかは必ず当たり。そうと分かれば将軍はここで呂布に城内へ戻られない程度に牽制をしつつ、西と南の各軍に攻撃開始の命令を出すというのはいかがでしょうか? 本物の張遼をひいた方にも多少の被害はでるでしょうが、許容の範囲内かと」

 

 何がそんなに愉快なのか。男は終始、くつくつと薄ら笑いを浮かべて対応策を提示する。その様子は非情に不愉快だが、しかし、言っていることの正しさはわかる。

 

「……よし、伝令だ! 両将に攻撃を開始するように伝えろ!」

「ふふ、ご健闘をお祈りします」

 

 攻防戦は次の局面へと進む。

 

***

 

「行け、おめえたち! 化け物はいねえんダ!! とっとと突っき破レエエエエエエエッ――!!」

「「おおおおおおおおおおおおお!!」」

 

 白繞の野太い声と喚声が響く南門は、一刀の到着に間髪いれず猛攻が始まった。

 敵は四尺(五メートル)はゆうにあろう丸太を数人で担ぐ破城槌部隊を中央に縦列で並べ、その両脇に梯子部隊を広く展開させている。

 対して、防衛側は城門前にあらん限り矢の弾幕を張りながら、間隙に差し込まれる無数の梯子から登ってくる敵兵と格闘だ。

 兵数の差は圧倒的。陳宮のおかげで相手取る敵は三万から一万に減ったものの、こちらはわずか四百名。怒涛の攻めを水際で懸命に食い止めるその働きは、既に奮闘と呼べる戦いぶりだった。

 

「な、なんだよこれ! いくらなんでも数が違いすぎるだろ! くそ、くそっ!!!」

「無駄口叩いとらんで、手を動かさんか!!」

 

 一刀と管輅も城壁に立ち、無限に伸びる梯子を倒し続けている。ただ、実戦経験の乏しい二人の動きは緩慢だ。

 敵も必死なのだ。こちらの動きを阻害しようと下から無数の矢が飛来する。少しでも気を抜けば命を失いかねない状況に身が竦む。

 南門の防衛戦は早くも正念場を迎える。

 息つく暇もない。二十五倍の兵量差を埋めるには、苦しくても全員が全力疾走を続けるしかない。

 時間経過で削られていく体力と気力は膨大だ。極限の緊張感の中、互いを励まし合いながら、なんとか防衛線を維持しているが、敵の攻勢は一向に衰えを見せない。

 被害の数なら明らかに敵側の方が多いものの、その割合がまったく違う。交代の人員を新たに後方から投入できる敵方とは違い、一刀たちに余力は皆無。ひとり誰かが倒れるごとに、その負担がそのまま全体に重くのしかかり、消耗度はこちらの方が何倍も激しい。このままではどちらの限界が先に訪れるかなど誰の目にも明らかだ。

 しかし、それでも彼らは愚直に耐え続けるしかなかった。

 もう策がない。陳宮からの最後の指示は南門を死んでも守れ、それだけだ。守将が初陣のド素人なのだから、現場での臨機応変な采配も望むべくもない。

 戦闘開始から半時あまり過ぎると、北郷部隊には変調の兆しが見え始める。

 戦線を維持できない。決壊の時はすぐそこまでやってきている。それでも彼らを支え、突き動かしていたものは、北郷一刀という名の希望だった。

 

「――諦めるな!! 我らには北郷さまがついておられるんだ!!」

「そうだ! 天の御遣いさまに続けええええ!!!」

 

 彼らは一刀を信じて戦っている。天の御遣いという虚像に縋って散っていく。本当は何の力もない男に未来を託して。無能な男を守って死んでいく。

 今も一刀を庇うように立っていた兵士の首を、横から矢が貫いた。

 返り血を顔からまともに浴び、一刀の視界が閉ざされる。両手で急いで血を拭い、すぐに視界は回復したが、血濡れた真っ赤な手のひらと、鼻孔に充満する生々しい鉄の匂いで、一刀は嘔吐した。

 

「――う゛ぼっ」

 

 たとえ今日知り合った者でも、互いに命を預けて戦う同志。それが次々と目の前で死んでいく。白い聖フランチェスカの制服を赤く染めるのは敵の血ではなく、すべて戦友の血だ。

 ――お、俺は何をしてるんだ……?

 何もしていなかった。何もできなかった。一刀はどうしよもなく怖かった。

 死んでいく仲間の眼差しが。絶命の最中にも、希望を見つめて死んでいく彼らに対して、何も応えてあげれないことが――。

 

「何を呆けておるんじゃ!! まずいぞ一刀!!」

「ッ!?」

 

 気がつけば城壁上に侵入した敵兵が防衛線の一角を切り崩しにかかっている。敵兵は一点の穴から見る間に溢れ、今すぐ塞がなければ、南門はその勢いにたちまち飲みこまれてしまうだろう。

 だが、そうして梯子隊の迎撃ばかりに意識が集中してしまうと、今度は門への意識が薄れ、射幕がおざなりになったところを、破城槌部隊が一気呵成に攻め立てる。

 

「突き破れ!! もういっちょ!!」

「突けええええええええええ!!」

「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ」」

 

 こちらの行動は常に後手。ひとつの不利を挽回しようすれば更なる不利が生じてしまう。状況は加速度的に悪化していき、焦りが焦りを呼ぶ負の連鎖は、もはや、上も下も止まらない。

 

「――北郷さま!!」

 

 一刀は動けなかった。

 鼓膜には皆の救いを求める声がこびりついているのに、目だけは散りゆく者たちから離せない。 

 この決壊寸前で土壇場な状況でも、彼らはまだ諦めていない。北郷一刀を救世主だと信じて抗い続けている。

 いや、それは信じるというよりも、せめて希望を抱いて死にたいという願望に近いものかもしれない。

 だとしても、一刀にとめることなどできなかった。

 向けられる願いも。募る想いも。頬を伝う涙も。

 ――俺は何をしてるんだよ……!

 溢れる感情は怒りとは違う。こぼれる想いは悲哀でもない。

 どこまでも申し訳なくて。ただ情けなくて。必要だったからとはいえ、偽りの希望を語り、ノウノウと生きながらえている自分自身が悔しくて。

 ――俺に恋のような力があればっ……!!

 もしそうなら、救えるだろう。真の救世主として数多くの者を救えただろう。しかし、そんな力はどこにもない。いくら願ってみたところで叶わぬ妄想でしかない。一刀はただの無力な高校生なのだから。

 

「北郷さま! このままでは城門がもちませんっ!」

「――――」

 

 切羽詰まった兵士の声にも、一刀には返す言葉がない。

 結局、最後はこれだ。何度も何度も何度も味わってきた無力感。惨めに思い知らされる現実。また既知感だらけの結末かと一刀は力なく俯き、

 ――俺は何がしたいんだよ!!

 それでも、宝剣を握る手は焼けるように熱い。閉じた瞳からは(ほとばし)る情熱が止まらない。胸に(たぎ)る何かがもう抑え切れない――!

 

「……知るか」

 

 弾けた理性。踏み出す情動は涙を散らし、その身は戦場を駆ける。

 

「力があるかどうかなんて、もう知るかッ!!」

「――なっ、待たんか一刀! どこへ行く気じゃ! おぬし何を――!」

 

 管輅の制止を振り切り、一刀は走る。たとえ自分が何者であろうとも、やるべきことはたったひとつなのだから。

 ――ああ、怖い。漏らしそうなほど怖いさ。こんな所、本当はもう逃げ出したいさ!

 敵が死ぬ。味方が死ぬ。人が死ぬ。当たり前のように人が人を殺し合う世界。平和な日本に住んできた男の常識を軽く飛び超える世界。ここはそういう世界だ。

 ――でも、俺は今までこんなにも生きるってことを実感したことはなかった!

 平和な日常を漫然と過ごし、一日一日をただ生きる。そこは何もしなくたって生きていける世界だった。

 だから生が揺らいでいた。意識する必要もないほど守られていたから。

 だがここは違う。乱世では、ただ生きることにも覚悟が必要だった。

 ――逃げてきただろ。元の世界でも。この世界でも。散々、流されて生きてきただろ!

 時に力がないと諦め、覚悟が足りないと目をつぶり、都合のいい情に流され、最後は嘆くだけで、誰かの助けを待つ。この繰り返しだ。

 じいさんや恋たちを巻き込んだ今もそう。椿を傷つけた時もそう。劉備さんの誘いを断った時もそう。才能がないからと竹刀を捨てた時もそうだった。

 ――誰の人生だよ。たまには自分のケツくらい自分で拭けよ! それともあれか? これも天の御遣いとかいう訳のわかんない何かのせいだってか!!

 違う。もう卒業すべきだ。したり顔で悲劇を理由に己を正当化して、動けないフリをすることからは。

 胸には託された想いがあるはずだ。死んでいった人々の尊い願いが詰まっているはずだ。偽りだろうが何だろうが、夢を見せたのは一刀なのだ。だったら、彼らの意志を蔑ろすることは決して許されないはずだ。

 ――無謀? 無知? 力不足? ああ、そうだよ。その通りだよ。そんなこと俺が一番わかってる! けど、だから何だよ!!

 戦場で果てる命に理由はなくとも、無意味じゃない。意味はある。絶対に無駄にしてはいけない。それが一刀の背負うべき責務。それを知ってしまったから。だから――もうここまでだ。

 

「これが俺の、北郷一刀の意志だ――――ッ!!」

 

 決意の咆哮に重なったのは鉄がねじ曲がり、木材が割れる一際大きい粉砕音。そして、無残にこじ開けられた城門の奥には男が立っていた。

 たった一人で。立ち塞がるように。手には鞘の抜けぬ宝剣しっかりと握り。正面だけを見据えて。積み重ねた鍛錬を無我夢中で思い出して。震える膝を無理やりとどめて。

 一刀は微かに笑う。

 後悔はない。強がりは……多分にあるが、今は少しだけそんな自分が誇らしく、初めて踏み超えた一線にやっと胸を張れそうだから。

 さあ、沸き起こる突撃の鬨に向けて啖呵きろう。

 

「ここは、通さない」

 

 一世一代の時に格好つけて何が悪いと、今度は確かに笑い――、一刀は動いた。

 まずは迫る正面からの斬撃を剣の腹で左へ受け流し、態勢が崩れた敵兵に脇腹への横蹴りを一撃。

 そのまま流れに逆らわず回転し、右から斬りかかる男を掻い潜り、すれ違いざまに抜き胴の二撃。

 途切れず左から襲ってくる槍の刺撃には、切っ先でわずかに軌道をずらし、掠める矛先を髪に感じながらも鋭く踏み込み、諸手突きの三撃。

 咄嗟の迎撃で一刀は先頭の三者を三様に返り討ちにしてみせる。

 途端、味方の歓声と共に敵の出足が急激に鈍った。彼らにしてみれば、城門でたったひとり相手に迎撃されるという展開は前日から散々、味わされている。おそらく恋たちに植えつけられた恐怖心が必要以上に一刀を警戒させたのだろう。

 その隙に一刀は深い息を吐く。

 生まれて初めて味わう武者震い。人を殴り飛ばした不快な手ごたえとは別に、剝き出しの生と、身を切るような緊迫感に痺れていた。




読んでいただきありがとうございます。

なんだかもう、加筆&修正の次元から離れ、全面改装になっています。
話が進むごとにその傾向が顕著になってきて、今回はもうほぼ全部書き直したような……。
内容はほとんど変わってないんですけどね。

それだけ以前の物がひどかったとも言えるんですが、更新速度が落ちて落ちて。
前サイトでは31話まで投稿していたのですが、追いつくまでに年を跨ぎそうな気がしてなりません。阻止せねば!

ご感想、ご意見お待ちしてます。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。