真・恋姫†無双 妄想伝   作:コイル

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第13話  決着

「――なんやて!? もう抜かれた言うんか!」

「はい! 城内にどれほどの侵入を許しているかはわかりませんが、城門が破られたとの知らせです。張遼さま、いかがいたしますか? 援軍を送りますか?」

「……いや、あかん。このままや。御使いさんには悪いけど、こっちもそない余裕あらへんし、戦局を動かすんは音々の仕事や」

 

 城壁上からの知らせに、城門前で仁王立ちの霞は、眼前の敵陣へ鋭い敵意をぶつけていた。

 かの部隊が存命の内は、霞も軽々に動けない。少なくとも南の救援に向かうのは、これを退けてからだ。

 だと言うのに、肝心の敵軍は攻撃を仕掛けてきた思えば、僅かの戦闘後、元通り牽制の姿勢を維持している。おそらく、霞が城内へ戻れば、同じことが繰り返されるだろう。

 睦固という敵将が無能でないことは、これまでの戦闘でわかっている。いくら挑発しても無駄だし、打って出るわけにはいかない以上、寡兵のこちらとしては、膠着とは決して悪い状況ではなく、それは東も同様のはずだ。

 つまり霞も動けず、恋も駄目。濮陽軍に残されている駒は、宮城で戦況を分析し、各所に指示を送る音々だけだ。

 

「ここまでは音々の読み通りに進んどんのや。あとは……」

「――張遼さま!! 今、新たな知らせが! 東門の敵軍に動きあり。軍を割り、多くの兵士を南へ送ったと!!」

「…………」

 

 決定打にも思える知らせに、チッ、と霞は舌打ちを鳴らす。

 ここから先の策は霞も聞いていないのだ。というより、戦況に合わせて臨機応変に音々が対応することになっている。

 

「さあ、どないするつもりや音々?」

 

***

 

 一刀は死に物狂いだった。

 一、二、三、四――止まぬ斬撃を無心で逸らし、避けるのみ。もはや反撃の余力はない。いや、仮にあったところで、一刀は相手に致命傷を与えることができない。どうしても心がブレーキを踏む。

 戦場で敵に情けをかけるという呆れるほどの愚行だ。それが敵の激しい攻勢へと繋がっていた。

 死なずとわかれば恐れる必要もなし。一刀に対する警戒心もすっかり薄れ、敵は心置きなく殺到。城内に続々と侵入する。

 南門は上も下も敵兵で溢れていく。押し留めようにも数が圧倒的に違う。完全制圧されるまであと何分もつかもわからない。

 そして、それは一刀も同様だ。

 多勢に無勢。初めての実戦。敵が手にする得物はすべて真剣。

 鍛錬の時よりも、恐怖心から動作のひとつひとつが大きくなり、余計な力も入ってしまう。命を懸けた真剣勝負は体力、気力の消耗も著しく、あとどれだけ身体が動いてくれるか、一刀本人にもわからない。

 ――くっそ……負けるか! 死にたくねえよ! 死んでたまるか!

 そんな状況でも、一刀はよく戦っている。窮地にも心は折れず、時間稼ぎを懸命に続ける。逆を言えば、攻めに変な色気を出さず、全精力を生き長らえることに注ぐことで堪えられている側面もあった。

 珍しい剣技で誤魔化せているが、実のところ敵の兵卒と一刀の間に大した力量差はない。もし一刀が安易に中途半端な攻めを仕掛けていればとっくに斬られていただろう。すべての感覚を防ぐことだけに集中しているからこそ、瀬戸際で踏みとどまっていられるのだ。

 しかし、それではジリ貧だ。絶望的な戦況を一変させるには、やはり圧倒的な力が必要で。このままでは、すぐに死なずとも必ず敗北は訪れてしまう。

 ――違う。弱気になるな。逃げるな。戦え俺! できもしないことは考えるな!

 ただ最善を尽くすのみ。そう自らを励まし、捌く剣に残る力を込め抵抗する。が、それがよくなかった。

 

「――ぅッ!!」

 

 芯に響く金属音と、腕に走る衝撃の振動。疲労と焦りから力んだ身は、振り下ろしの一閃を受け流しきれず、まともに伝導してしまう。

 生じた一瞬の硬直――。

 

「しまっ――」

 

 左肩から鮮血が舞う。

 突かれた槍に反応が遅れ、その矛が肉を切り裂いた。

 一刀は飛び下がり、身を焼かれるような激しい熱を感じたそれを見る。

 ――き、斬られた……血が……血が!!

 じくじくと止め処なく溢れる液体は信じられないほど綺麗な赤だ。腕を伝い左袖をあっという間に染めていく。

 

「いやだっ……」

 

 死への恐怖は動揺を生み、動揺は弱さを生む。そして戦場で弱みを見せれば、敵はここぞとばかりに牙を剥く。

 

「――ッウワアアアアアアア!?」

 

 左腕はまともに力が入らない。一刀はほぼ右腕一本で無理やり迫る白刃を受け流し、弾き、叩く。だが、両手でやっとだったものを、片手で、さらに冷静さまで欠いた状態で捌ききれるわけがない。

 とにかく一度、間が欲しい、ひと呼吸でいいから吐きたい。そんな弱気に流れた心は、あろうことか彼を攻勢へと駆り立てる。

 

「くるな!! くるなああああああああ!!」

 

 一刀は周囲の敵を払いのけるように剣を振り回すが、そんなもの当たるわけがない。いや、むしろ自殺行為に等しく。

 生まれる隙。不可避の死角。袈裟の激痛が背に走る。

 

「――ぐァッ!?」

 

 今止まれば――死ぬ。

 そう直感した一刀は、奇声をあげながら、やたらめったら剣を振る。出鱈目でも不恰好でも何でもいい。愚直に死線を越えるしかない。

 それが幸いした。あまりの狂乱に怖気づいた敵兵は攻勢を緩め、包囲が少しだけ遠巻きになる。ようやくひと呼吸できた。

 荒れる息をわずかに整え、一刀は背中を伝う血の感触に顔が歪む。

 血が暖かいのだ。痛みより温もりを感じられる。己の血潮に鳥肌が立つ。

 それは有限だから。定量を超えれば、例外なく死が訪れる。滴る血の一滴は死への導火線なのだから。

 

「……死んでたまるかよ!!」

 

 しかし、無情にもそれは着実に迫っていて。

 不意に包囲が割れた。

 

「どけ、あとはオラがやるダ」

  

 奥から巨躯が現れる。手巨大な木製の棍棒を腕鳴らしとばかりに軽々と振り鳴らして。

 おそらく、あれは白繞というこの部隊の将軍だろう。

 恋にさんざんっぱら恐怖を植えつけられたせいか、ずっと姿を確認できなかったが、ここにきての登場だ。その顔には、これまでの鬱憤をすべて晴らしてやるとばかりに、やる気の色が浮かんでいる。

 

「いやいや……、それはないって、さすがにきついって……ハハ」

 

 一刀がひきつり、ぎこちなく笑うのは単なる開き直りだった。

 こちらは既に満身創痍な状況で、あんな超重量の得物を片手でブンブン振り回す怪力をどう相手しろというのか。

 ストレス発散代わりに殺されるなんてまっぴらだが、一刀はひと目で悟った。勝てないと。勝てるわけがないと。

 それでも、意地だけが両膝を支え、剣を構えさせる。

 白繞が、棍棒を振り上げた。

 最後の瞬間まで足掻けと思考を動かす。

 ゆうに五十斤はあろう巨塊が、一刀を目掛けて振り下ろされる。

 

「潰れろオオオオオオオ!!」

「――!?」

 

 受け流そうと合わせた宝剣は、一切の抵抗も許されず弾かれる。白繞自身の力も加わる棍棒が生み出す破壊力は、到底、一刀が太刀打ちできる代物ではなかった。

 宝剣は甲高い音だけを残して宙を舞い、死の破壊が直撃する――かに思われたが、前髪を掠めた棍棒は大地を叩く。

 迫力に負け、初めから逃げ腰だったのが幸いした。そのままバランスを崩して一刀は尻餅をつく。

 

「おい! よけるんでネェ!!」

「…………」

 

 次は避けられない。

 痺れの残る右手に宝剣はなく、左腕は痛みで力が入らない。流した血と極限の緊張で体力も底をついた。

 棍棒を構えなおす巨漢の男を、もはや、ただ悠然と見上げることしかできない。

 生きていたい。死にたくない。こんなところで諦めたくない。なのに、体はもう応えてくれない。

 白繞が両手の棍棒を見せつけるように高々と振り上げる。

 

「……上出来でしょ? 俺にしては」

 

 涙で滲む視界に、破滅の一撃は落ちた。

 

「――――」

 

 即死だ。痛みを感じる暇もない。頭蓋は粉々に砕かれ、きっと見るも無残な死体が出来上がってるんだろうなぁ――と一刀は思い、まだ死んでいないことに気づく。

 

 

「……は?」

 

 恐々と目を開き、ゆっくりと顔上げると、華奢な腕が棍棒を素手で受け止めていた。

 

***

 

 東門、呂布が城内へ姿を消す――。

 対岸に布陣する于毒は忌々しくその一部始終を見つめていた。

 ――まだ生贄をよこせというのか、化け物め!!

 先陣で渡河を終えた第一部隊は、既に半数以上を食い破られ壊滅状態だ。それでも撤退を許さず城門前に残しているのは、あの化け物をこの場に釘付けにしておくための餌が必要だからだ。

 しかし、捨て駒にされた兵士たちが大人しく餌役をこなすかといえば、そうではない。

 当然、逃げる。少しでも離れようとする。必然的に餌は遠巻きになり、化け物は巣穴に戻ってしまった。引きずり出すには、またひとあたりするしかなく、無数の死者がでるだろう。

 忌々しい。一刻も早く、こんな馬鹿げた戦を終わらせたい。そこで于毒は軍は二つに分けることにした。

 一方はこのまま東門の抑えとして残す五千。残る二万以上の兵士はすべて南門への増援としたのだ。

 これならば南は白繞の部隊と合わせ三万以上の兵力になる。渡河の必要もなく、呂布、張遼のいない城門ならあっという間に攻略できるはず。

 名案だと頷く于毒はすぐに軍を動かす。そして、残した五千から二千の兵に渡河を命じた。

 城壁からの矢幕は変わらず続くが、当初と比べれば半数以下に減っている。おそらく守兵の多くは南に移動したのだろう。

 いくからの死者を出しながらも、比較的容易に先頭が対岸に到達する。

 

「おかしい。城門が開く様子もなし……か。ということは、まさか、は、はは! 呂布め日和ったか?」

 

 渡河を終えた部隊が先陣と合流し、ついに攻城を開始しても、やはり呂布は姿を見せない。

 ここで于毒は確信する。ここにあの化け物はもういない。こちらの動きに合わせて、南の救援に向かったに違いないと。

 勝機だ。

 これまで死地だったこの場所が、逆に最大の狙い目になった。ならば進むしかない。

 

「全軍、前進だ!!」

 

 于毒は高々と右腕を掲げ、進軍を指示する。既に攻城を続ける前線に、待機させていた後続を合わせれば、碌な守将もおらず百にも満たない守備兵に、自ら率いる五千の軍勢が何を恐れる必要がある?

 于毒は河に飛び込んだ。後続を先頭で引っ張り、だが、次の瞬間。

 

「――今なのです!」

 

 敵の号令を皮切りに、城壁に溢れんばかり立ち上がる伏兵。攻城中の味方の頭上から、石やら瓶やら包丁やら様々ものがおびただしく降り注いだ。

 

「なっ、なんだあれは!?」

 

 腰まで河に浸かったまま驚愕する于毒。彼の目に映ったものは千を超える濮陽の民たちの姿だった。

 

***

 

 第一の策は偽装で敵の裏をかき、最大勢力の部隊に恋をぶつけることが目的だった。しかし、陳宮はわかっていた。それは所詮、その場凌ぎでしかなく、成功しても敵は必ず恋との戦闘を避け、一刀が守る南門が危うくなることを。

 そこで準備したのが第二の策である。彼女は来るべき時のために粛々と義勇兵を募っていたのだ。

 その来るべき時とは二つ。

 ひとつは城門を突破され、陥落となった時。いよいよとなれば、陳宮はできる限り多くの人命を救うために民と宮城に立て籠るつもりでいた。義勇兵には犠牲がでてしまうが時間さえ稼げれば、前線から恋と霞を呼び戻せる。そうなれば街への略奪行為は止められなくとも、城外への脱出は図れるかもしれない。

 それから、残るもうひとつ。こちらは起死回生の時である。ただそれには二つの条件があった。

 第一に、東西門どちらかの敵部隊がかなり消耗していること。

 第二に、それまで南門が持ちこたえていること。

 以上が満たされた時にだけ発動する秘策。音々は義勇兵を率いて、霞または恋と守将を入れ替わる。そして南門に羅刹を投入し、一気に戦況を塗り替えるというもので、これが陳宮の描いた勝利へのか細い軌跡だ。もっとも、乗り越えるべき条件が高すぎて、機会は訪れないだろうと踏んでいた。

 まず第一条件からして、他力本願的な要素が大きいのだ。今回のようにわざわざ軍を割ってくれるか、無謀にも真正面から恋、霞に特攻してくれるのを期待するだけ。だから陳宮はこの策を味方にも伏せた。薄氷の希望に縋るより、もう後はないと奮起を煽る方がよほど建設的だと判断したのだ。

 裏を返せば、陳宮はいざとなれば一刀や管輅を捨て駒にすることも想定していたとも言える。無論、恨みつらみや、好き嫌いの話ではなく、あくまで戦略的観点からの判断だ。

 軍師という人種はどこまでも冷徹で、臆病な生き物。常に最悪を想定して動くのが性。その最悪を回避するための優先順位において、一刀の価値は相当に低かった。

 けれど、そんな軍師の想定を見事に裏切って、一刀は薄氷を渡りきり、ここに策は成る。

 

「な、なななな、なんでおめえが!!!」

「ユルサナイ」

 

 恋、来る。

 しかも表情だけは戦闘中でもおっとりとしていたはずの彼女が、今は敢然たる殺気をぶっ放している。それも敵のみならず、味方ですら身が竦むような特級の殺意をだ。

 棍棒を挟み、恋の半身と対峙する白繞は、許容量を遙かに凌駕する恐怖に震えながら、これでもかと腕を引く。自らの手を放せば、とりあえず逃げられることにも気づかず。放せ、放せ、と錯乱する男は軋む棍棒を目一杯引くがビクともしない。それどころか、次第に木が割れる乾いた音を立てながら、あろうことか恋の指が棍棒にめり込んでいき――ついには片手の握力のみで、棍棒を毟り割る。

 支えを失った反動で白繞は大きくよろめき、後方に倒れた。

 

「ひいい、ひ、ひアアアアアアアアア」

 

 冷酷に見下ろす恋の瞳は、普段の愛らしさを欠片も残していない。激する感情とは逆に、より無へ。純然たる殺意だけが瞳を覆う。

 足取りは余命を宣告するかのように、ゆっくりと大地を踏み固めて、正確に、確実に、距離を潰していく。右手の中で抉り取った木片が、さらに砕かれ粉々に散った。

 戦場の空気を一変させる超常の武威。一刀は固唾を飲んで、通り過ぎていく恋を見守っていた。

 ――これが、恋……?

 間近で触れる圧迫感は、とてもひとりの人間が放っているものとは思えない。大自然を前に霊験灼然だと感じるのに近い感覚だ。もはや大小を意識する次元ですらない。

 そんな馬鹿げた規模の威圧と余儀なく対面する白繞は、倒れた体勢のまま、駄々をこねる子供のように手足をばたつかせて摺り下がることしかできず、

 

「あ」

 

 何の前触れもなく、肉厚の胸板に方天画戟が突き刺さる。強烈な踏み込みと同時に穿つ刃は、巨漢を浮き上がらせ、易々と貫通して見せた。

 

「――ア、アア゛ァ゛ァァァアアア」

 

 大量の吐血でむせ返る男の野太い悲鳴が、その場にいるすべての人間を縛り付ける。誰もが凄惨な光景に目を奪われる。画戟を強引に抜き、噴出した返り血で、深紅に滴る恋の姿に震撼する。

 

「れ、恋……?」

 

 恋が得物を両手に持ち替えた。白繞が一刀に対してそうしたように方天画戟を高々と振り上げる。

 力なく天を仰ぎ横たわる白繞へと、躊躇なく一直線に振り降ろされた渾身の一撃は、彼の胴体を腹部で両断した。

 

「――――」

 

 遥か後方の空間まで断絶するような凄まじい一閃。切り離された白繞の体は、切り口から血を吐き出し、赤池を作り上げる。

 まさに圧倒的。まさに不条理。敵兵は白繞の無残な最期を目の当たりにして、完全に戦意喪失。恐慌の叫喚が奔流となり、一斉に城外へと飛び出した。

 そして、一度傾いた戦況は東門から到着した敵の増援も一気に攫う。

 白繞討死と呂布出現の報により、戦線は瞬く間に崩壊。彼らは東門で先ほどまで恋と相対していただけに、よもやの再会となれば、混乱具合は凄まじい。落ち着けという方が難しいだろう。

 約二万もの軍勢が、たったひとりの人間を恐れをなし、散り散りになって逃げ惑う。

 しかし、怒れる武神は甘くない。何より、これまでとは決定的に状況が異なる。それは恋が城外への追撃が可能という点だ。

 これまでは各城門の防衛が最優先事項だったために恋、霞、一刀がそれぞれを担当し、持ち場を放棄しての追撃は不可能だった。が、今は義勇兵と陳宮が防衛の一翼を担っている。ゆえに、恋が怒れるまま攻勢にまわっても何も問題がなく。

 

「逃げ、逃げろオオオオオオオオオォ!!」

「うわあ!? いやだ、こっちに来るなああ、たすっ、助けてくれええええええええ!」

 

 驚異的な脚力で間合いを潰し、殺意を込めた一撃は、敵兵を斬るというより破砕する。遠目からは血しぶきが爆散するかのように吹きあがり、恋の位置が探さなくても一目でわかる。

 文字通り、地獄絵図と化した南門は、恋の執拗なまでの蹂躙が続いた。そのさまはただの殺戮。子供が虫を追いたて、無慈悲に踏む潰していくのと変わらない。

 無垢がゆえの残虐性とでも言えばいいのか。鳴り止まぬ悲鳴の中、味方の歓声はどこにもない。

 一刀の声も、今の彼女には届きそうもなかった。

 

***

 

 濮陽から南東に十里。東門からなんとか撤退した于毒は、林中に身を潜め、束の間の休息を取っていた。

 

「まさかこれ程とは……おのれぇ濮陽の連中め!!」

 

 大敗だ。

 南門では白繞が討死、部隊は送った援軍も合わせて壊滅。西門は白繞の死を知るや否や即撤退。最後まで交戦を続けた干毒も、張遼が現れて撤退を余儀なくされた。

 忌々しい記憶が何度も何度も甦る。

 于毒は無理やり溜飲を下げるため竹筒の水を乾いた喉に流し込むと、クソッ、と最後に吐き捨てた。

 悪態をつきたくなるのも無理はない。失意の瞳に映る光景は、戦前に思い描いてた結末とはあまりにも程遠いのだ。

 そこにあるのは五万の軍勢による勝利の喝采ではなく、地べたに倒れこみ、心身ともに疲れ果てた兵士たち。その数も今や千にも満たない。

 何が悪かったのか。どこで間違ってしまったのか。誰のせいなのか。

 自分以外の何かに原因を求め、不毛な追及が加速していく。

 歯軋りが止まらない男の前に、音もなく黒い影が現れたのは、そんな時だ。

 彼は確かな嘲りを滲ませていた。

 

「おお、これはこれはご無事でしたか将軍殿」

「――ば、盤古(ばんこ)!! 貴様ァ、よくもノウノウと……!! この責任をどう取るつもりだ!!」

「責任? はてさて、何をおっしゃっているのですか? 濮陽軍なぞ吹けば飛ぶような代物だったではありませんか?」

「どこがだ! 呂布と張遼、それに兵士や民たちの抵抗も、貴様の話とは何もかもが違ったではないか!!」

「おやおや、これは異なことを。それにつきましてはきちんと対応策を示したはずですよ?」

「ハッ、あれが策だと!? 笑わせる。この有様を見てみろ! この役立たずが!!」

 

 干毒は盤古にすべての責任があるとでも言いたげに声を荒げ、顔先までにじり寄る。

 盤古の纏う気配が鋭く変化した。

 いつもの薄ら笑いは消え、はじめて感情らしきものを垣間見せ、

 

「……愚かな。責任転嫁は関心しませんよ将軍」

「なんだと!!」

「私は、東門で呂布を足止めしてほしい、とは言いましたが、軍を分けて南に送るなどという愚策を指示した覚えはありませんが?」

 

 言葉遣いこそ変わらないが、声色には明らかな侮蔑が篭っている。無能なのはお前だ、と。

 その不気味な迫力に、干毒はやや気勢を落とし、

 

「そ、それは……」

「それに北郷一刀が多少なりとも力の使い方を身につけていたことには、私も驚きましたが、それでも解放に至っていたわけでない。そんな彼に手こずったのを、私の落ち度にされても困ります」

「……解放だと? 貴様、一体なんの話をしている」

「おっと、これは少ししゃべりすぎましたか。まあ、将軍には関わりのないことなので、どうぞお気になさらないでください。それに、どうやら楽しいおしゃべりの時間もここまでのようですから」

「なに? どういう意味――」

「すぐにわかりますよ。あ、そうでした。最後に一応、礼を言わせてください。あなたは実に無能でしたが役立たずではありませんでした。ありがとうございます、無能でいてくれて。それでは」

「な――ふざけるなッ!! おい! 貴様、さっきから言いたい放題、待たんか!」

 

 人を小馬鹿にするように、木の裏側に隠れる盤古を于毒は追う。

 しかし、太い幹の反対側に彼の姿はない。そんなはずはないと、ぐるりと一周しても、やはりどこにも見当たらず。周囲の兵士に聞いても誰も彼の姿を見た者はない。人がひとり影も形もなく忽然と消え去ってしまった。

 あまりに突拍子もない現象に、于毒は狐につままれたような心境で、盤古が最後に立っていた場所をぼんやり眺める。

 いっそ今までのことがすべて夢か幻だったら――そんな悲しい妄想を、すぐに苦々しい現実が打ち壊した。

 

「――ほ、報告します! 前方より砂塵が!!」

「睦固か!」

「いえ、それが、掲げられている旗が将軍ものではないと……」

「な、なん、だとッ!? まさか新たな敵だというのか!?」

 

 “すぐにわかりますよ”

 甦る盤古の台詞に、于毒は立ち眩みがして、近くの幹に寄りかかる。

 慌てて駆け寄る兵士を手で制し、天を仰ぎながら大きな息をひとつ吐くと、地べたに腰を落ろす。

 そして考えることを止めた。

 思い出したのだ。奴が続きの台詞で“最後に”と告げていたことを。それが何を意味するかは考えるまでもない。

 指示を待つ兵士たちに、戦の準備をしろ、とシワ枯れた声で命じると、背中の幹にどっしりと体重を預け、力なく開いた口に竹筒を傾ける。

 水は空だった。

 クソ、と竹筒を投げ捨てると、于毒は眼を閉じた。

 

***

 

「――いっつうッ!」

「こら動くでない! 全く。無茶しよってからに、馬鹿者め」

 

 宮城、執務室にて。上半身裸の一刀は管輅から傷の手当てを受けていた。

 幸いなことに、一刀の追った傷は腱や神経に達するまでは至らず、自然治癒で完治を望めるものだった。まあ、それでもしばらく安静が必要なくらいには、十分な負傷者である。一刀は管輅の治療を受けるために、背もたれを抱き抱える形で椅子に腰かけていた。

 治療の間、老人の小言が永遠に続く。

 やれ思慮が足りないだの、やれお人よしだの、やれ無鉄砲だの、やれ少しは師の言うことは聞けだの。驚くほど流暢に小言が溢れてくる。

 よくもまあここまで口が回るなと感心しながらも、すべて耳タコなので適当に聞き流していると、唐突に執務室の扉が開いた。

 

「御使いさん、生きとるか!」

 

 部屋に勢いよく飛び込んできたのは張遼だ。

 扉を開けるなり、ちょうどパックリ開く背中の傷口を目にした彼女は、わちゃーと顔をしかめる。

 その顔色に一刀もつられ、

 

「え、そんなに酷いの……?」

「ん、あー、まぁ別に酷くはないで? なんちゅーか綺麗なもんや。美味そうな桃色しとるし」

「いや美味そうって。別に傷口の見た目とか聞いてないから。変な気使ってくれなくていいからって、それより、そっちこそ怪我……は、うん。なさそうだね」

「ウチが賊ごときに遅れをとるわけないやろ。そんなんええから、今は自分の心配だけしとき」

「うん、でも大丈夫。痛みはあるけど、なんとか――あおうッ!」

「動くな。ちゃんと前を向いとれ。これから傷口を縫い合わせるんじゃ。泣き叫ぶのは勝ってじゃが、じっと我慢せよ」

 

 容赦なく針が皮膚を貫くと、一刀は目を見開いて背もたれにしがみつく。今度は張遼の方が感化されて顔を背けた。

 一刀の額には脂汗が浮き上がり、痛みから鳥肌が立ち、体が震える。強く奥歯を噛んで懸命に悲鳴を堪える。麻酔がどれほど偉大な発明だったかを思い知りながら、そうして耐えること五分。縫合が終わった。

 

「よし、あとは薬草を塗って終いじゃ」

「……ハ、ハハハハ、斬られた時より痛かった気がするよ」

 

 わかるわー、と張遼が深く頷いているのを見ると、どうやら今のは戦あるあるだったらしい。

 涙目男の気分を紛らわそうとしてくれているのだろう。張遼が会話を続ける。 

 

「そうそう、御使いさんの武勇伝聞いたで。男を上げたみたいやん?」

「男を上げたって……、そんな大層なもんじゃないよ。結果はこの通りだし。恋がいなきゃ絶対死んでたし。皆の活躍に比べたら俺なんてさ」

「何いうてんねん。御使いさんは御使いさんや。全力を尽くしたんやろ? そないな傷おっても諦めんと生き抜いたんやろ?」

「……まあ」

「なら、この傷は誉れの証や」

 

 そのまま傷口を軽くツンツンされ、イター!、と叫んで首だけ振り向くと、彼女は悪戯が好きそうなネコ目でこちらを覗いていた。

 

「ウチの地元の風習やねん、これ」

「うそつけ!」

「嘘ちゃう嘘ちゃう。ホンマやて。これやると傷の治りが早なるねんて」

「めちゃくちゃ顔が笑ってるけど!」

 

 悪びれもせずケタケタと笑う彼女に、一刀もつられて笑みがこぼれる。確かにこれが彼女流の励まし方なのかもしれない。

 ただ同時に、一刀は強い違和感も覚えていた。

 ギャップと言ってもいい。こうして見せる愛らしい一面と、戦場での彼女、いや、彼女たちの姿がどうも合致しない。

 鮮烈な体験を消化できずにいる。とりわけ悪鬼羅刹のごとく暴れまわる恋の姿が頭から離れない。

 あれをどう処理すればいいのやら。今は隣にいない彼女と、今後どう接すればいいのかを考えてしまう。

 恋は人間の持つ二面性が、あまりにも両極端すぎるのだ。静と動、冷静と情熱、理性と本能、普段の恋と(たが)が外れた恋。一刀は両者をすんなりと等記号で結ぶことができない。

 おもむろに口をついた問いかけは、そんなやりきれない感情からだった。

 

「ねえ、張遼さんはその、どうして戦うの?」

「はあ? なんやそれ?」

「職業軍人、って言っても通じないか。えっと、武将? 武官? になった理由っていうか、切っ掛けっていうかさ」

「……そら、その、ウチが最強になるためや」

 

 少しだけ恥じらいながら答える張遼。その初々しい仕草に一刀の意識は(はりつけ)にでもされた気分だった。

 まるで夢を語るように、どこか照れくさそうで、誇らしげな表情から紡がれた言葉の意味。根本的な部分で大きな思い違いをしていたことに、一刀は気づかされる。

 これまでの経験で、ここがどういう世界なのかを多少は理解したつもりでいた。

 平時と戦時との距離感の違いだ。ここは元の世界より、ずっと身近に戦があり、生と死がある。そう解釈をしていた。

 だが、そうではない。近いとか遠いとかの問題ではなかった。

 彼女の顔を見れば一目瞭然だ。瞳を輝かせながら無邪気に最強を語る。それは幼き頃の自分と重なる。

 二人の違いは、剣道というスポーツの場でそれを目指すか、命をかけた戦場で示すかの違いだけ。つまり、彼女には平時と戦時なんて隔たりがそもそも存在しないことがわかる。

 この世界の人々にとって、戦とはあくまで日常の一部にすぎず、衣食住の中に溶け込んでいる。ゆえに、止むに止まれぬ事情があって、仕方なく戦場に身を置いている――などという希望的観測は蒙昧に過ぎる。

 少なくとも彼女は自らの意志で戦っているのだから。

 

「戦が、好きなんだ?」

「そら戦は武人の晴れ舞台や! 血踊り肉沸くってもんやろ?」

「……そっか」

 

 否定なんて、できるわけがない。

 しかし、肯定することもできない。今はせめて悟られないように、茶化すことで精一杯だった。

 

「けど、最強ってどうなの?」

「な、なにがや! 最強ええやん! かっこええやん!」

「いや、さすがに子供っぽいでしょー。そこはほら、自分の限界に挑戦したいとかさ、武の頂に少しでも近づきたいとか色々言い方があるわけじゃん? なのに最強って、いかにもすぎだって。じいさんもそう思わない?」

「これ一刀。人の夢を笑うものではない。たとえどれだけ単純でもじゃ」

「――誰が単純でおめでたい奴や! なんや二人して……自分かて天の御使いとか痛い肩書名乗っとるちゅーか、え、わろたんか?」

「まさか。笑ってない笑ってない」

「嘘や、わろたんやろ! じいさん言うてたやん!」

「笑てないってば、ふふ」

「あー!! やっぱり、わろてるやん! ムキー!!」

 

 耳まで赤くして必死に言い返してくる姿は可愛らしいが、これ以上怒らせるのは身の危険を感じる。

 ごめんごめん、と一刀は素直に謝り、

 

「それより張遼さんさ、言うおう言おうと思ってたんだけど、俺のこと御使いさんって呼ぶのやめてよ。あれ色々ときついから。一刀でいいから」

「なら、その張遼さんってのもやめーや。むず痒いねん。ウチのことは霞でええ」

「うん、わかっ…………はい?」

 

 あまりにも自然な流れだったため、一瞬、そのまま受け入れそうになってしまうが、その名は彼女の真名のはず。ということは……。

 

「いやいやいやっ!! だってそれってあの、えええ!?」

「かまへん。ウチも真名を預けることにした」

 

 腰に手を当て、彼女は大きく胸を張る。ただでさえサラシで巻いただけの露出度高めの豊胸が強調され、一刀は目のやり場にこまるが、それどころじゃない。

 事が事だ。

 今は、うわーすっごいバインバインだなーとか、柔らかそうだなーとか考えている場合ではなく、

 

「で、でもなんで急にそんな、真名なんて――」

「急ちゃうやろ。そら出会って日は浅いけどや、もう戦友やん? 最後まで()った仲やん?」

「いや、凄い誤解されそうな言い方するのやめてくれませんか」

「それに恋かて懐いとるし。十分信用できる男やと思ったんや」

「……そう言われましても」

「なんや、ウチの真名は受け取られへん言うんか? 初めてやったのに……。怖かったけど勇気出したのに……。ウチは本気やったのに……酷い」

 

 顔を伏せて、よよよと、床にしなだれる彼女は今にも泣き出しそう。

 ふんだんに誤解を招きそうな言い回しはともかく、よくよく考えれば、命と同じくらい大切な真名を受け取り拒否とは、どうなのだろう。もしかしたら断るにしてもそれ相応のやり方があるとか。いや、それ以前に物凄く失礼な事なのかもしれない気がしてきて、

 

「わわっ! もう、わかったよ! 受け取ります! 謹んで頂戴いたします! だから立ってほら!」

「うぅぅ……ほんまか? 嘘やない?」

「もちろん本当だよ、霞さん!」

「……"さん"いらん」

「え、あ、じゃあ、霞! これでいい? ね?」

 

 すると霞は何事もなかったように立ち上がる。覗かせる顔に涙の痕跡はなく、霞は笑う。

 

「にっしっしー」 

 

 完全なる嘘泣きだ。やられた。

 これが女の最終兵器かとモヤモヤした気分ながらも、なんとなくそんな気はしていた。それにやっぱり一刀はどこか嬉しくて。

 美人は得だなと再認識しつつ、よろしくね、と手を差し出すと、霞は少し照れながら握手に応えてくれる。

 背中を少し強めに叩かれた。

 

「いっ――――!!」

「処置は済んだぞ。いつまでもニヤけとらんで、上着を着んか。着替えは机の上じゃ」

「く、口で言えよ! 傷口開くだろが!!」

「やかましい。それより張遼殿よ。残りの二人はまだ戻っておらんのか?」

「ああ、音々は戦の後始末や。念のため周辺に斥候飛ばすていうとった。恋の方はやっと落ち着いた思たら、散歩いうてフラフラどっかに消えてもうた」

「ふむ」

 

 と、その時。執務室の部屋が外れそうな勢いで開かれ、ちょうど話題の二人が部屋に飛び込んできた。

 血相を変えた陳宮は、そのまま霞の腕を掴み、

 

「――霞! す、すすすっ、すぐにここから離れるのです!」

「なんやそない慌てて。まさか黒山の奴ら戻ってきたんか?」

「違うのです! もっとやっかいな奴が来たのです!」

「もっとやっかいな奴? ……誰や?」

「曹操です! 曹操軍が現れやがったのです!!」

「――げぇ、それはあかん!」

 

 何やら騒がしい二人を横目に、一刀の傍には恋がやってくる。

 両手一杯に野草を抱えて。恋はそれをそっと差し出した。

 

「これで治る?」

 

 そこにはどう見ても薬草になりそうもない草葉も混ざっているが、そんなことはどうだっていい。恋の気持ちは痛いほど詰まっている。

 一刀の返事を待ち、小首を傾げるいつもの愛らしさこそが、何よりの良薬だ。

 

「ありがとう、恋」

 

 一刀は野草を受け取る。

 腕の中にある深い緑たち。子供の頃によく嗅いだ懐かしい香りがした。

 こぼれ落ちないように少しだけ顔を埋める。

 ――ほんと、馬鹿だよな俺って。

 恋は恋なのだ。

 戦場での恋も。今の恋も。

 二面性のどちらを好むかは一刀の問題だが、好まざるを否定するのは、あまりに身勝手で愚かだろう。

 どちらかが本性ではない。どちらも彼女であり、どちらも一面にすぎない。だから、ありのままを受け入れればいい。

 誰にも聞こえない声でごめんねと呟き、野草の中から顔を上げると、恋は可愛らしく小首を傾げたままだった。




読んでいただきありがとうございます。

随分更新が滞ってしまいました……。
ちょっとテンポアップしなくては。

それでは感想、ご意見お待ちしてます。
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