真・恋姫†無双 妄想伝   作:コイル

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第16話  転校初日は命がけ

 郷に入っては郷に従う。

 新しい環境に属する時は、そこの習慣や規律に従うべきだという童子教の一節だ。新天地に挑む一刀にとって、まさに打ってつけの教訓だろう。

 ここから、また始まる。

 北郷一刀としての、天の御遣いとしての、曹操軍麾下としての、新たな日常が。

 幽州の辺鄙から始まった流転の旅は次なるステージへ。

 もちろん成り行きを考慮すれば、不安はあるし、不満もある。だが、だからと言って後ろを振り向いてばかりもいられない。

 しっかりと前を見なければ。堂々と。目を逸らしてはいけない。そう。たとえ――めちゃくちゃ歓迎されていなくとも、だ。

 

「気のせいかな。なんかさ、さっきからガン見されてない? つか、睨まれてない?」

 

 ここは陳留、宮城内にある謁見の間。

 濮陽の戦いから一週間が経過し、一刀たちは今、お披露目の真っ最中だった。

 一刀の隣には霞、恋、陳宮が並び、背後では玉座から今日もやたらご機嫌な少女――もとい陳留太守の曹孟徳が、いつになく饒舌に、これまでの経緯と今後の方針について語っている。

 一刀はヒソヒソ声で、右隣の陳宮へ話しかけた。

 

「なあ、やっぱ、睨まれてね? 怖くね?」

「当たり前なのです。ここは百合の国なのですよ」

「百合の国? なにそれ?」

 

 そんなこともしらないのですか? と呆れ顔の陳宮は、それっきり閉口。代わりに、左隣の霞が会話に混ざる。

 

「ウチは注目されるん嫌いやないで。なんかこう、あがるやん」

「いや、なんか、そういうのとは違う気がするんだ。もう殺意が混じってる気がするんだ。鳥肌が止まらなんだけど」

「殺意て。考えすぎや。ちゅうか、そない白光するけったいな服着とれば、目立つに決まってるやん。なぁ、恋?」

「……眠い」

 

 んんっ、とお目付け役である夏候惇の咳払いが飛んできた。

 一刀は姿勢をただし、目だけを左右にキョロキョロと動かす。

 向いに並ぶのは、曹操軍の名だたる武将たち。全員女性であることにはもう、さほどの驚きはないが、さまざまな種類の鋭い視線がバシバシ飛んできて針の(むしろ)状態だ。

 中には露骨な敵対心まで含まれていて、正直、つらい。場違いなのは誰よりも理解しているつもりだが、これは勘弁してほしい。

 

「転校生ってこんな気分なのかな」

 

 小六の時に転校してきた新田くんに、もっと優しくしてあげればよかったと、今更ながらに反省していると、ようやく、主人の長話は終わり、

 

「――というわけで、彼女たちが新たに私の配下に加わる三名とおまけよ」

 

 いきなりのおまけ呼ばわりに文句のひとつも言いたくなるが、そんな間もなく、さっそく自己紹介と挨拶が始まる。

 霞や恋が名乗ると、歓声に近いざわめきが起こるのは、やはり、それだけ二人の武名が高いからなのだろう。さすが後世に燦然とその名を轟かす英傑だ。三国志にそこまで詳しくない一刀ですら、二人の活躍は知っていた。有名人は凄いなと、どこか誇らしげに見守る一刀。しかし、この直後、その二人を軽く超えるどよめきを自らが起そうとは思いもしなかった。

 

「次」

「はい」

 

 夏候惇の呼び出しに従い、一歩前に出た瞬間。名乗りすら上げる前に、それは起きた。

 おー、わー、ぎゃー。驚きから悲鳴まで入り混じりのどよめきが、たちまち広間に飽和する。

 

「お――、おおおっ、男!!! 男がしゃべったあああああーーーッ!?」

 

 中でも、緑の猫耳型頭巾を被る女性は、こちらを力強く指を差し、汚らわしい! と声を張り上げていた。

 

「えええぇぇ……」

 

 自ら望んだわけでもなく、半ば強引に連れられてきたというのに、この仕打ちは酷すぎないだろうか。

 確かに、この空間にいる男は一刀だけだ。どういうわけか有名武将は女性化しているので、当たり前といえば当たり前なのだが、それにしたって女尊男卑が露骨すぎる。郷に従えと言われても、性別まではどうにもならない。

 

「何の罰ゲームだよ……」

 

 鳴りやまない野次の中、助けを求めて振り返ると、恋は不思議そうにきょとんとしていて、霞は必死に笑いを堪え、陳宮は何故か一緒になって野次ってくる始末。何より、玉座の主が一番楽しそうに笑っていた。

 

「えええぇぇ……」

 

 なんかもう、本当に泣けてきた。

 こういう時に守ってくれるのがトップの役目なのではないのか。というか三人のうち誰かひとりくらい親身になってくれてもいいのではないか。それを寄ってたかって。同調圧力反対。いじめかっこわるい。

 一刀が軽い人間不信に陥りかけていると、ややあって、主人からパンパンと二度、手が打たれる。

 周囲は一斉に静まり、

 

「桂花。私の決定が不服なの?」

 

 その一言で、桂花と呼ばれた例の猫耳娘が血相を変え、片膝をついた。

 

「――ふっ、不服などと決してそのような! ただ私は、その、そう! あのような薄汚い男が華琳さまの配下として相応しいか疑問なんです!」

 

 それに関しては、一刀も全面的に肯定したい。本人だって未だによくわかっていないのだから。ただ、薄汚い扱いは大変、遺憾だ。

 それにしても、何故にここまで嫌われているのか。彼女に限ってはもう拒絶反応に近い気がする。生理的に無理! のアレだ。

 以前、陳留の空き地で出会った時も、こっちを目で殺さんばかりの勢いで睨んできたが、何がそこまで気に障るのやら。一刀はまったくわからない。

 そんな心情を汲んでくれたわけではないだろうが、主さまも、一応はフォローを入れてくれて、

 

「一刀に関しては先程、濮陽の防衛に貢献したと伝えたはずだけれど?」

「はい、華琳さま。しかし、それはあくまで伝聞で、華琳さまご自身も直接、確認にしたわけではありません。呂布ら三名は先の虎牢関で力量を知る機会がありましたが、やはり、そこの穢れについては疑問が残ります」

「言われてみれば、確かにそうね……」

 

 納得してんじゃねえよ、と思わずツッコミそうになったが、入れたら入れたで処分対象違いなしなので我慢。

 すると、玉座から何やら不穏な流し目が向けられ、

 

「なら、皆で確認してみることにしましょう」

「――え゛っ」

 

 わっと沸き立つ歓声の中、すぐさま霞も反応し、

 

「ええなっ、それ! 実はウチも気になってたんや!」

「ちょっ……」

 

 まずい。本当にまずい。この流れは絶対にまずい。

 

「なら皆、中庭に場所を移しましょう」

「いや、待って!」

 

 しかし、一刀の焦りとは裏腹に、段取りはどんどこ進んでいく。

 せめて形式だけでもいいから、こっちの了解を求めて欲しいところなのに、まったくの無視。あれよあれよと事態は進んで、謁見の間には今や一騎打ちの大合唱が巻き起こる。

 

「華琳さま、相手役は春蘭がよろしいかと思われます」

「そうね。春蘭」

「はい! お任せください華琳さま!」

「……おわった」

 

 死刑は宣告された。

 まだ自己紹介もしていないのに。挨拶もしてないのに。絶体絶命だ。冤罪だ。

 猫耳娘がしてやったりとほくそ笑んでいるのを見て、涙がちょっとでた。

 

「じいさん……、こいつら人の話に耳を貸すどころか、話すらさせてくれねえよ」

 

 悟った男の虚ろな眼差しは遠く。ここにはいない管輅へ向けて。

 拝啓。僕は、さっそく死にそうです――と。

 

***

 

 一方、その頃。管輅はというと、馬のたてがみに揺られながら一路、平原へ。一刀の危機など知る由もなく、彼は帰宅の途にあった。

 殺風景なだだっ広い平地を、行きとは違いひとりきりの帰り路だ。無駄口が大好きだった愛弟子はおらず、久々の静かな時間を妙に持て余す。

 これまで一刀と過ごした数ヶ月、出会いから別れまでを、管輅は何気なく振り返っていた。

 

「そろそろ陳留に着いた頃かのう」

 

 その者は文武の才に恵まれていたわけでも、類稀な強運を持ち合わせていたわけでもなかった。

 所謂、凡人だ。目を引く何かは特になく、予言がなければ見向きもしなかっただろう有象無象のひとりにすぎない。

 それでも強いて特徴を挙げるなら、馬鹿がつくほどのお人好しで、世迷言のような理想を妄執する大馬鹿者だ。何度その向こう見ずな行動に巻き込まれたかことか。今、思い出してみても、苦いため息が出てくる。

 だが、そんなはた迷惑な男を知らず知らず、受け入れてしまった己がいることも事実で。情が移ったわけではないが、気がつけば、馬鹿は馬鹿でも大馬鹿になら賭けてみる価値はあるのでは、と思わされてしまっていて。

 

「……諦めずただ頑張るだけ、か」

 

 それがどれだけ苦難の道かを、彼はまだ知らない。

 この乱世において、諦めないことがどれだけ困難で、ただ頑張ることがいかに残酷かを、彼は知らない。

 あまりに愚直な彼の姿を見ているうちに、否定することができなくなってしまって。

 いじらしい。そう思わされたのかもしれない。せめて彼自身が自分で気づくまでは応援してやりたい、見守っていたい、と。

 おかげで、今ではすっかり影響されて、この先どんな馬鹿(ゆめ)が見られるのかと、年甲斐もなく胸が躍ってしまって。

 予言なんて関係ない。いや、むしろ、予言を超えた何かを見せてくれるのではないかという期待感すらある。

 ゆえに、管輅には気がかりというか、どうにも腑に落ちない、ひとつのわだかまりが残っていた。

 

「閃光は月夜の闇と大差なし。ならば、貴殿はどのような光へと一刀を導くつもりなのじゃ?」

 

 なぜ覇王たる者がちっぽけな凡を欲したのか、だ。

 彼女は言った。“興味が沸いた”と。なら、その源泉はどこにあるのか。

 天の御遣いとして――というのは皆無と言っていい。彼女自身が興味なしと明言している。おそらくは偽らざる本心だろう。

 それに、予言を信じるかどうか別にして、彼女が一刀を天の御遣いだと明確に意識したのは臣下の礼を取らせた後のこと。これでは順序が逆だ。

 

「かといって、拙いアレの武技に興味を抱くわけもないしのう」

 

 以前と比べれば幾ばくかは使えるようになったが、それでも一刀の力量は並以下。あれくらいの使い手なら、世にごまんと存在する。

 

「だとすると、やはり呂布や張遼といった強者と友誼を結んでおるくらいか……」

 

 確かに、一刀を上手く使えば、今はまだ心から服従しているわけではない両者の操縦に役立つかもしれない。

 しかし、それだけではどうにも動機として弱い。というより、その程度のことなら、彼女は自力でなんとかしようとするのではないかと思えてくる。

 さらに言えば、一度は断ろうとした一刀を、半ば強引に手元へ置こうとまでしたのだ。それも客将待遇のおまけつきで。

 これはどう考えても異常だ。今一度、冷静に考えてみるとどうにも解せない。

 彼女は一体全体、一刀のどこにそこまでの価値を見出したというのか。

 仮に、本当にただの気まぐれで、単なる物珍しさから興味を引かれただけとする。ならば、せいぜい従者なり、小間使いとして身近に置けば事足りるのではないのか。なぜ彼女はここまでの好待遇を用意したのか。まさか、ひとりの女性としてあれに好意を抱いたわけでもあるまいし、なにがなんやら。

 わからない。どうにも意図が見えてこない。考えれば考えるほど、管輅にはありえない取り合わせのように思えてくる。

 ただ、管輅にも彼女の心情を正確に推し量れるほどの親交はなく。また、老婆心が過ぎると俯瞰よりぼやく己もいる。何より、二人には邂逅の節があった。だったら、その出会いが鍵になっている可能性も否めず、あるいはもっと別の何かがあるのかもしれない。

 いずれにせよ、管輅はここで思考を止めた。

 

「……詮無きことかのう」

 

 これ以上はどれだけ脳髄を捻り出そうが想像の域を脱しない。答えのない領域だ。

 結局、託した側としては今後の行く末を、注意深く見守ることくらいしかできないのだろう。

 

「ふむ」

 

 嘆息。

 そして、記憶巡りは最後の場面へと移る。

 

『お世話になりました。ありがとう……師匠!』

 

 それは別れ際に一刀からの不意打ちの台詞だった。

 これが今生の別れというわけでもないのに、妙に緊張した面持ちで、師匠だなんて。

 

「……まったく。あれには驚かされたわい」

 

 少し泣きそうになったことは、墓場まで持っていかねばならない。年を取ると涙腺が緩んで困る。万が一にも涙なんて見せようものなら、今後、合わせる顔がない。危なかった。

 

「最後まで迷惑な奴じゃったのう」

 

 憎まれ口を叩きながらも、ひとりきりなのをいいことに、管輅の頬は自然と緩み、しかし、すぐにその表情が硬くなる。

 いつしか本当の家族同然になっていた彼がここにはいない。愛弟子の巣立ちが嬉しくも、やはり、どこか寂しくて――などという感情とは一切、関係なく、一刀が最後に残した言葉が大問題だったのだ。

 

『椿にもよろしく言っといてね』

 

 泣きたかった。

 

「――ワシに何をどうよろしく言えというんじゃ!! とんでもない土産を置いていきおって、馬鹿者が!!」

 

 今、彼の脳裏によぎるのは、平原の火災後に見た本気で怒った椿の姿だ。

 もし一刀が帰ってこないことを知ったら、椿はどんな反応を示すのか。想像するだけで恐ろしい。普段が貞淑なだけに倍怖い。というか同一人物だと信じたくない。

 

「あぁ……そろそろ平原が見えてくるのう」

 

 間もなく審判の時がやってくる。

 弁明は果たして聞き入れられるのだろうか。許される道があるのだろうか。絶体絶命だ。冤罪だ。

 管輅は無意識に手綱を引いて、馬の歩を止める。思いっきり回れ右したい。が、おそらく濮陽での騒乱を伝え聞き、心配しているであろう椿を思うと、一刻も早く家に帰らなければならず……。

 これはいよいよ年貢の納め時か、と管輅はゆっくりとまぶたを閉じた。

 

『一刀さまが無茶なさらぬよう、しっかり見張っておいてください』

 

 脳内に甦る椿の記憶に、管輅は生唾をごくり。

 薄く開いた目で天を仰ぎ、ここにはいない弟子へ呟く。

 

「一刀よ。ワシはもう長くないかもしれん……」

 

 場所は違えど時同じくして、師は師で大危機を迎えていた。

 

***

 

「準備は済んだようね? なら適当に始めて」

 

 場面戻って、ここは陳留、宮城内の中庭。

 すごく雑に一騎打ちの開始を告げられた男は、溌剌に大剣を構える化け物を前にして硬直していた。

 ――え? コレと戦う? いやいや、ご冗談を。戦えるわけないよね? 死ぬよね? 俺怪我人だよ? 万全でも無理だよ? てか、死ぬよね? いくら刃を潰した模擬刀だからって、そんなの関係ないよねアレ? 当たったら死ぬよね? どう考えても――死んじゃうよねッッ!?

 棒立ち。涙目。蒼白。

 周囲からは急かすように、声援なのか野次なのかよくわからない歓声が上がっているが、一刀は一向に構えようとせず。というか、構えたら最後で、剣を交えたら一巻の終わりだ。

 どうした? と夏候惇が少し戸惑ってる今が最後のチャンス。この猶予になんとか打開策を見出さなければ、遠からず潰れたトマトの未来が待っている。

 ――いーやーだー!! そんなグロテスクな死に方いやだああああああああ!!

 脱出の糸口はいずこか。全開で脳を働かせる。が、いくらない知恵を総動員したところで結局は徒労。何も浮かばない。自力は無理。

 藁にも縋る思いで、一刀は助けての視線を周囲へ向ける。

 

「一刀~~~気張りや~~~♪」

 

 霞は駄目だ。

 陽気に手なんか振っている。なんなら一番ノリノリで楽しんでおられる。

 次。

 

「……すぅ~……すぅ~……」

 

 恋も望みなし。

 彼女は健やかな寝息をたて、木陰でお昼寝の真っ最中。かわいい。

 となれば、もう彼女しかいない。一か八かの陳宮にすべてをかける。

 

「………………」

 

 が、帰ってきたのは沈黙だ。

 彼女は無表情で、ただじっとこちらを眺めている。

 完全におわったと、項垂れる一刀。しかし、あることにすぐ気がつく。

 

「こっちは見てた……?」

 

 そう。彼女は無言だったが、無反応ではなかった。こちらの視線をちゃんと認識していたし、その上で逸らしもしなかった。

 もう一度、陳宮へ視線を向けても、やはり、彼女はじっとこちら見つめている。さらに、そのままよーく観察していると、彼女の口元がわずかに動いていることを発見し、

 ――これは……ま、まさか陳宮が俺に秘策を!?

 溺れる者はついに藁を発見。是が非でも縋るべく必死の読唇を試みる。

 その結果、読み解く一縷の希望は『あ』『き』『ら』『め』『る』『の』『で』『す』の八文字と判明。

 つまり、

 

「諦めるのです」

「何をだよーーっ!? 抵抗か? 命か? 人生か! どうせ大した人生じゃないからいいって? ほっとけコンチクショーッ!」

 

 藁はやっぱり藁だった。必死に掴んだはいいが、クソの役にも立たず、

 

「ええい、何をブツクサと。どうした北郷! かかって来ないならこちらから行くぞ!」

「え? いや、ちょ、まっ――」

「断わる! もう待った!! でっりゃぁぁあ!!」

「ぎゃあああああああああ」

 

 お構いなしの気合一閃。夏候惇は力強く大地を駆り、大剣が上段から振り下ろされる。

 

「――っ!?」

 

 無防備を突かれ、退避行動は欠片も取れない。ここから避けることなど不可能だ。

 一刀はほとんど反射的に宝剣を腰から抜き、先端と柄を握り水平に構えると、剣閃の軌道上に突き出していた。

 だがそれは、夏候惇の剛力を真正面から受け止めるという愚の骨頂。

 触れた瞬間――途方もない衝撃が軋む金属音と共に全身を貫いた。

 

「――――」

 

 手が痺れるだの、重たいだの、そんな生温い威力ではない。

 雷だ。電流のような衝撃に打たれた。体ごと剣圧にもっていかれる。押し潰される。

 支える宝剣からは腕をへし折り、剣を砕き、すべてを木っ端微塵に吹き飛ばす、と鮮烈な破壊の衝動がコンマの刹那に伝播する。こんな法外をこれ以上は支えられない。それが一刀の限界だった。

 ――ぐぅッ! 逸らせ、いなせ、なんとか力を逃がせ――ッ!

 一刀は直感的に重心を後方へ引き、体幹から衝撃を外す。一直線だった加圧の進路が多少でも湾曲する。

 それが契機となり、体は歪んだ力場から弾かれるように後方へ勢いよく弾き飛ばされた。

 距離にして四、五メートル。受身も何もあったものじゃなく、もんどり打って地を転がる。

 それでも、叩き潰されるよりかは遙かにマシで、徹頭徹尾、奇跡の生還だった。

 

「……ほぅ、やるではないか」

 

 振り切った大剣を視線で撫でながら、夏候惇もまるで奇術を目撃したかのようにそう漏らす。

 手に残る感触を確かめながら、柄を握りなおすと、

 

「……実戦ではないとはいえ、男に私の一撃を防がれたのは初めてだな。ふっ――ふ、あはははははっ!」

 

 どうやら武人の好奇を焚きつけてしまったらしい。

 やる気に満ちた大笑いを耳にしながら、一刀はゆっくり立ち上がる。

 今のをもう一度やれと言われても、出来ない相談だ。今のは完全なまぐれて、両腕は痺れてもう満足に力も入らないし、濮陽で負った傷口が自己主張を始めた。

 だというのに。眼前の化け物は期待していると言わんばかりに目を輝かせ、

 

「……かんべんしてくださいって」

 

 背筋を走る薄ら寒い感覚に、足は一歩二歩と後ずさり。笑えないにも程がある。

 彼女の隻眼が雄弁にこう伝えてくるのだ。 

 次は、本気だ、と。

 

「いくぞ」

 

 夏候惇は常識外の脚力で跳ぶように間合いを詰めた。

 すでに、これが実力を試すための場なんて名分は、頭からすっぽり抜け落ちていることだろう。

 迫る全力の大剣。垣根なしのド迫力に一刀はたたらを踏み、

 ――こ……、殺されるッ!!

 再びの奇跡など夢のまた夢だ。立ち向かえるわけがない。留まれるわけがない。

 当たり前だ。こんなもの誰がどう考えたって、

 

「――無理に決まってんだろおおーーーッ!」

「なっ、にぃ!?」

 

 絶叫。くるり。脱兎の如く。

 一刀は左に大きく飛びのきながら反転すると、全速力で逃げる。試合放棄だ。

 この行動に驚いたのは夏候惇だけではなく、その場に居合わせた全員が呆気にとられる。

 曲がりなりにも曹の旗印のもとに名を連ねようとする者が、こんな暴挙にでようとは誰も思いもしなかったのだろう。

 思わず足を止めてしまった夏候惇は、すぐに追いかけてくる。

 

「――に、逃げるやつがあるか! 待て!!」

「いやだ! 逃げる! こちとら怪我人なんだぞ! 本気なんか出されたら百回死んでも足らねえよ!」

 

 自己紹介に二度も命をかけられるかと、一刀は必死で逃げる。

 

「え~いっ! ちょこまかちょこまかと、止まらんと斬るぞ!」

「"止まっても"だろうが! 誰か助けてぇえええええええ!!」

 

 一騎打ちの模擬戦はあっという間に追いかけっこへと様変わり。

 そして、ここから一刀は予想外の健闘をみせる。

 脚力の差は歴然にもかかわらず、緩急に前後左右の揺さぶりを加えた牽制(フェイント)を繰り出し、器用に猛追をかわしていく。

 エンジン性能では敵わなくとも、小回り性能では一刀に分がある。ことごとく牽制にひっかかる夏候惇に助けられている面があるとはいえ、思わぬ才能を見せる。

 すると呆気に取られていた観客たちにも次第に変化が訪れる。

 ある者は必死な姿を(はや)し始め、ある者は笑い混じりの声援を、またある者は心配そうに見つめていたり。

 肝心の主さまはというと、観衆の中央、肩を並べる夏侯淵と何やら話しながら、それなりにご満悦なご様子。どうやら即処分は免れたようだ。

 となると、問題はこの追いかけっこをどう終わらすかと、明らかに逸脱しているひとつの歓声にどう応えるかだ。

 

「何やってるのよ春蘭! そんな汚物、早く切り捨てちゃいなさいよ!」

 

 荀彧文若。真名を桂花。緑の猫耳フード娘だ。

 

「あーもう、なんのためにあなたを相手役に指名したと思っているの! 取り柄なんか馬鹿力だけでしょ!!」

 

 さっきから模擬に(かこつ)けて一刀の暗殺を企てたことを大声で自供している。なんとなく、そんな気はしていたが、ここまで堂々とされたら、さすがに見過ごせない。ホントにもう、どうしてくれようか、これ。

 

「あんたもいつまでも逃げてないで、さっさとやられなさいよ!」

「――――」

 

 途端、一刀は直角に進路を転換した。行き先はもちろん、荀彧だ。

 

「てめえええええええええ!!」

 

 一刀は残る体力のありったけを注ぎ込んで駆ける。

 

***

 

「――!?」

 

 突然の異変に桂花は声を詰まらせ、身を強張らせる。

 こんな展開、彼女の筋書きにはなかったからだ。

 春蘭の一撃を男ごときがまさか切り抜けようとは。無能な男が小癪にも逃げ足だけは一丁前で。ましてやこんな手段で反撃に打って出ようとは。予定外もいいとこだ。

 男嫌いの桂花からすれば、迫りくるその姿は暴漢そのもの。荒い息切れは興奮する変質者にしか見えず、引きつる表情の彼女は、すぐさま周囲に助けを求めようと首を振る。が、敏い仲間たちは首振りに合わせ、さっと左右へ距離を取り、誰も当てにできそうもない。

 

「――っしゅ、春蘭! 早くそいつを……そいつをっ――!!」

 

 もはや頼みの綱は春蘭だけだが、相変わらず、わざとやっているのかと疑いたくなるほど無様に翻弄されている。

 もう間に合いそうにない。

 男が間近に迫ってくる。近い。近い近い。

 残された手段はひとつしかなかった。

 

「い――いやあああああああああああああ~~~ッ!!」

 

 桂花は走る。女の子走りで。

 

「ようこそ! 歓迎するぜ荀彧ーッ!」

「いやあああああああ、こっちに来ないで変態っ!! だ、誰か助けなさいよ~~~!」

 

 春蘭は男を追い、男は自分を追い、桂花は逃げる。

 完全に巻き込まれてしまった。

 

「なんで私が、こんな目に遭わなきゃいけないのよっ!?」

 

 よりにもよって、走るというもっとも苦手な行為を、もっとも疎ましい生命体に強要されようとは。それも華琳さまの目の前で。屈辱だ。

 それもこれも全部、もたもたと手こずっている春蘭が悪い。

 

「ん、桂花? 何をしている?」

「何が"何をしている?"よ! あなたがさっさと始末しないからでしょ! このウスノロ筋肉馬鹿!」

「――なっ!? 誰がウスイロササキリバッタだ! あんな軟弱者と一緒にするな! だいたい、私はトノサマバッタ派だぞ!」

「し、知らないわよ! 何その派閥! どう聞き間違えたらそうなるわけ!? ていうか、馬鹿のくせにバッタなんかで貴重な脳みそ使うんじゃないわよ!」

 

 そして事態はさらなる混沌へ。

 しまったと思っても、もう遅かった。

 

「な、なんだとぅ! 言わせておけば、貴様らッーー!!」

「キャ~~~!!」「何で俺までえええええッ!?」

 

 桂花はとにかく走った。後ろを振り返っている余裕はない。追手は二人に増えたと思って間違いない。

 ただ、なかなか追いつかれないことから推察するに、春蘭の標的はあの男と自分の両者で、優先度はまだ男の方が高いはず。二人が後ろでいい感じに小競り合いしていてくれるおかげで、足の遅い自分でもなんとか逃げおおせているという構図が成り立っているのだろう。

 つまり勝利条件は、後ろの男が春蘭に叩き潰されるまで粘り続け、それから春蘭を説得するしかない。

 ――で、それっていつまでこうしてればいいわけ!?

 桂花は勇気を振り絞って、一瞬だけチラリと首を振る。

 

「まだまだああああああああ」

「ひいいいいいいい」

 

 男が笑いながら追ってきていた。なんだか先ほどより元気になっているのは気のせいだろうか。

 単細胞の春蘭もまったく役に立たず、同じ手段で翻弄され続けているようだ。

 ――これだから力しか取り柄のない山猿は嫌いなのよ!!

 募るイラ立ちのせいか早くも足が重くなり、思うように動かなくなってきた。呼吸も苦しくて肺が破裂しそう。これはいよいよまずい。

 さすがにそろそろ助けてくれるはずだと、桂花が主へ視線を向けると、予想通り、秋蘭と何やら会話をしている様子。大盛り上がりの周囲とは雰囲気が違う。

 おそらく、こちらの限界を察して、秋蘭に指示を出しているのだろう。さすが華琳さまだ。 

 ――た、助かった! ざまあみなさい、この汚物!

 しかし、その安堵がよくなかった。

 

「えっ」

 

 緊張感が緩んだことで足が縺れ、突如、桂花は転倒。前のめりに思いっきり地面に倒れ込む。

 一瞬、本人にも何が起きたのかわからなかったが、先ほどまで異様に盛り上がっていた周囲の雑音が一切、聞こえてこないことで、嫌というほど事態を把握できた。

 己の状況を理解した桂花は、急いで後続を見やる。

 男が、突進してきた。

 

「ひ」

 

 恐怖で固まる桂花は、強く目を閉じ、その場で縮こまることしかできなかった。

 

***

 

 全力の急停止も間に合わず。

 方向転換も難しく、体はバランスを崩してつんのめるが、荀彧へ覆いかぶさるように手足を地面に突き、一刀はなんとか玉突き衝突を回避する。

 ただ本当の問題はここからだ。振り向けば、やはり、後続は止まる気などさらさらなく、むしろ、ここぞとばかりに速度を上げて突っ込んでくる。

 

「ハァァアアアーーーッ!!」

 

 完全に()る気満々だ。

 唐突な好機到来に、夏候惇は完全にこちらしか意識しておらず、荀彧の存在はすっぽり抜け落ちているように思える。

 

「――待ちなさい春蘭!!」

 

 主の制止も届かず、大上段から極大の一撃が今、放たれようとしていた。

 

「くっっらぇえええーーーッ!!」

「――――」

 

 急転直下。

 荀彧の転倒をきっかけに、一刀は性急な決断を迫られる。

 逃げるか、迎え撃つのかの二択だ。

 今避けてしまえば、蹲ったままの荀彧は直撃を免れないだろう。

 アレをまともに喰らったらどうなることか。大怪我で済めば御の字だ。最悪の事態も想像できてしまう。

 なら、逃げられない。いくら憎らしい相手であっても見捨てるわけにはいかない。女性でもあるし。

 一刀は痺れの薄れた両の手で宝剣を握り締める。

 これしか手段が浮かばなかった。

 無茶でも何でも、大剣の軌道をずらすためには賭けにでるしかない。

 受けては駄目なのだ。

 とても耐えられる代物じゃないことはすでに体感済み。それでは二人揃って潰されるだけ。まったくの無意味だ。

 だったら、受け流せばよい話なのだが、これもまた難しい。

 一刀の剣技は管輅のそれにはまだまだ程遠い。夏候惇の一撃を吸収、無効化するような剣捌きは不可能と言い切れる。もしも、万が一、いや、億が一、奇跡の再現ができたとしても、不完全な技では先ほど同様に吹き飛ばされるのが関の山だろう。それでは荀彧の被弾を防げない。これではやはり無意味だ。

 なら、もう残された手段は押すしかない。物理的に、純粋に力で弾くしかないではないか。

 成功率の低さには目をつむり、なんとかなると己を奮い立たせ、一刀も渾身の一撃を打ち出すしかない。

 打ち落とすなどと十全は追わず、手元の角度が十度、いや五度でも動いてくれればよし。それなら致命は避けられよう。肩なり腕なりに直撃することはもう致し方なしだ。一刀もそこは甘んじて受け入れ、

 ――少しでいい。致命傷を避けれるだけでいいんだ。意地でも――、ずらせッ!

 立ち上がりざま、下弦を描く白銀の剣閃へ、野球のスイングのように横から宝剣を振り抜いた。

 弾けるは激しい打突音。金属特有の鋭利な反響が鼓膜を突く。大剣の横っ腹を撃ち抜いた宝剣は、そして、僅かだが軌道を揺らすことに成功する。

 どんなに強力無比な剣撃であろうとも、別方向から力を加えてやれば、意外な脆さを露呈するもの。いかに夏候惇であっても物理の法則からは逃れられない。

 ここまでは目論見通り。

 あとは激痛に耐えさすれば、

 ――いける! 食いしばれーーッ!!

 が、奥歯を砕きそうな勢いで食いしばったその時、身を襲ったものは痛みではなく、ある種の違和感。

 おかしいのだ。手応えが軽すぎる。大剣の軌跡がなんら抵抗もなく、予想以上に大きくそのまま横へ流れていく。まるで、意図的にそうしているかのように。

 ――しまっ――!

 遅い。

 

「まっだァアアアアアアアッッ!!」

 

 轟く機先。夏候惇はケチのついた初撃を自ら捨てたのだ。

 袈裟へ流れた刀身は翻り、瞬時の転化。払い上げの連撃が繰り出される。

 

「――かッ、は」

 

 決死の硬直が徒となった。

 何の反応もできないまま、伸びきった腕は為す術なく押し返され、宝剣ごと胸部に叩きつけられる。

 めり込み、貫通する衝撃。

 体は簡単に地面から引き剥がされ、大剣に絡んだまま宙を引き摺られる。

 そして、桁外れの膂力を前に、必死で支える最後の防衛線も長くは持たず。夏候惇を半周したところで、ついに宝剣はその手を離れて空高く舞い上がり、凶刃を遮る物は尽きた。

 

「「――――」」

 

 しかし、その決定的な局面で、表情に歪みが生じるのは夏候惇もまったく同じ。

 強引に刃の向きを変えたせいで握りが甘かったのか、はたまた、自身で作り出した強烈な遠心力に負けたのか。いずれにしろ、幸運にも大剣も弾かれるようにその手から滑り抜けていた。

 同時だ。互いの得物がまったく同時に二手へ飛ぶ。

 大剣はそのまま真っすぐ回廊の壁に突き刺さり、宝剣は荀彧の目の前に回転しながら落下。彼女に短い悲鳴を上げさせる。

 そして豪快に吹き飛ばされ、地面を転がる一刀はピクリとも動けなかった。

 

***

 

 華琳は一刀に駆け寄る霞を視線で追う。

 仰向けのままの男は未だ微動だにしない。

 水を打ったように静まり返った中庭で、その声はよく通った。

 

「――か、一刀ッ! 生きとるか!?」

「……霞? ……俺、生きてる、よね?」

 

 反応アリ。とりあえず生きているようだ。

 怪我はないかと霞の触診が続いているが、この様子だと大きな怪我もなさそうだ。

 その事実に、周囲の者は一様に驚いている。

 もちろん、歩み寄る華琳もある意味、同じ感想だ。

 

「……よし、どっこも折れてはおらんようや。どっか痛むか?」

「……肩と背中が、ズキンズキンって」

「それは――今回のやあらへんっ♪」

 

 霞がツッコミ代わりに古傷をパシリッと叩くと、一刀は跳ね起きる。

 なるほど、元気そうだ。

 華琳もパシリとその背を叩き、痛いと叫ぶ男を鼻先で笑う。

 

「無事のようで何よりね。驚いたわよ、一刀」

「……驚いたって見事なやられっぷりにか?」

「ええ。見事に空を飛んだだけで済んだことによ」

 

 春蘭の行動には華琳も焦った。

 あれが計算なのか、その場の思いつきなのかはわからないが、すっかり騙されてしまった。

 あの時、春蘭は暴走に見せかけて、一刀を脅したのだ。

 貴様が避ければ、桂花がどうなっても知らんぞ、と。

 大剣の軌道が途中で大きく左に流れたことこそ、その証だ。

 わずかに軌道をずらされたくらいでは、彼女の実力なら瞬時に修正可能で、一刀の打ち込み程度で春蘭の剣閃を阻むことは本来、不可能なのだ。

 つまり、あれは最初からわざと左に流すつもり放ったもので、桂花に当たらぬよう配慮されたもの。言い換えれば、桂花を見捨てず立ち向かった時点で、一刀は課題をひとつ乗り越えていたことになる。

 華琳もこの点は素直に評価したいと考えている。捨て身の覚悟だったことも点数は高い。

 そして、本当の意外はここから。続く連撃を防ぎきってしまったことだ。

 もちろん脅しの一撃目よりある程度、加減されたものであったが、それでも相応の破壊力を秘めていた。現に一刀の体は軽々と宙を舞い、かなりの距離を吹き飛ばされている。まともに喰らえば、骨の何本かは折れていてもおかしくなかった。

 ところが、彼はそれを無傷で乗り切ってしまう。一見、春蘭の手から大剣が滑り抜けた幸運の結末だと思いがちだが、それは違う。春蘭の実力は不注意で得物をこぼすほど生易しくはないし、わざと投げたわけでもない。

 何かしたのだ。あの瞬間、一刀は何らかの方法で春蘭の大剣を弾いたのだ。それが狙った行動なのか、まぐれなのかはわからないが、いずれにせよ、今もじっと己の手を見つめている不満げな春蘭の姿が、その何かを体現している。

 

「……これはとんだ掘り出し物だったかもしれないわね」

 

 華琳は一刀の処遇を決めた。

 いいことを思いついてしまったのだ。

 おそらく当事者は不満だろうが、それはそれ。

 これはきっと面白いことになると、華琳は一騎打ちの終了を宣言する。

 二人の驚く顔を思い浮かべ、ひっそりと心躍らせながら。




読んでいただきありがとうございます。

いやー年末は何かと時間が取られ更新が遅くなりました。
申し訳ない限りです。
どうやら今年はこれで打ち止めのようです。
ここまで読んでくださった方々に感謝をしつつ、年を越したいと思います。
本当にありがとうございました。
それでは、また新年に。

感想、ご意見お待ちしてます。
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