真・恋姫†無双 妄想伝   作:コイル

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第17話  踏んだり蹴ったり、叫んだりの日

 回廊がある。

 長い回廊だ。短いところでも一辺が百歩(約百十五メートル)は優にあろう中庭をぐるりと囲む。

 足元は地面よりも一段高く、御影石を矩形に敷き詰めた石畳で、柱と梁は濃い朱色に塗られ見た目にも鮮やか。

 また、それは単廊と呼ばれる造りをしており、中庭の景観を楽しむため内側に壁はなく、外側にだけ白漆喰の境がある。

 春蘭の剣がぶっ刺さったのはそこだ。等間隔で光を取り込む小窓の列に、新しく歪な穴が混じっているのが痛々しい。

 回廊は四方と連絡する。

 まずは南、宮城の玄関口から。

 それは門だ。一部を除き、出入りの際は誰もがくぐる門戸がある。脇には守衛の詰所と待合室が備わり、来訪者の審査と照合が行われる。その作業には何人たりとも例外はなく、中には、正規の登城にもかかわらず、運悪く一日中待たされる者もいるとか。ちなみに、そのうち九割を占めるのは春蘭絡みの用件らしい。"運悪く"を説明するのには最適解だろう。もはや名物になりつつある。

 そうして登城の認可が下りると、いよいよ回廊に入り、真っ直ぐ北へと進む道。しばらくすると突き当たりで二股に分かれる。

 遮蔽のない視界に広がるのは、草木に花。池に東屋(あずまや)。季節、時間、天気などで様々に変化する、これぞ庭園と呼ぶに相応しい見事な中庭のご登場だ。つい先ほど一刀が死に掛けた場所とは思いたくない。

 その絶景を前面に今度は東西へと伸びる回廊。

 先ではさらにそれぞれ分かれ道。一方はどちらも中庭の輪郭に沿い、もう一方はどちらも居住区へと続く。

 と言うのも、基本的に公務へ携わる者は城下への帰宅を許されていないのだ。

 なぜかと言えば、従事者が皆、宮城近郊に居を構えているわけではなく、とりわけ末端の者になるにつれ陳留の外となる傾向にあるからだ。他にも情報漏洩、警備面、等々の意味合いもあるが、いずれにしろ効率性を重視する結果。

 ゆえに帰宅が許されるのは、役職を問わず、一介の使用人から果ては将に至るまで五日に一度、休日だけ。家庭を持つ者にとっては軽い単身赴任となる。

 そのため東へ伸びる回廊の先には下僚(かりょう)、来客用の長屋が軒を構え、西にはそれより少々立派な高官用の棟が建ち、数多くの者が生活を営んでいる。

 少し戻って。

 中庭を囲う回廊。ちなみに、巷ではこの回廊を"遊歩回廊"と呼ぶ。

 由来は書いて字の如く、ついつい景観に目を取られ遊び歩いてしまうから。

 ここは将たちや華琳もお気に入りの場所で、中央の東屋ではしばしばお茶会が催されていたりもする。

 その遊歩回廊、最後は入り口の真向かいで合流すると道幅広く北へ直進。

 繋がるはお待ちかね、官邸兼政庁の本殿である。

 ここですべての政策が施行され、国の行く末が決められる神聖な場所だ。言わば、陳留の頭脳にして心臓部。

 建築の外観は質素で派手さはなくとも趣や落ち着きに溢れ、また木造特有のいかにもな荘厳感が漂っている。登城者は、さぞ身が引き締まる思いがすることだろう。ちなみに、王と将たちの寝泊りもここである。

 

 そして、今、まさにソレを味わいながら、本殿へと入ろうとする二つの影があった。

 

 

***

 

 

 着任は波乱の幕開け。大いなる歓迎、大盛況だった。死ねるくらいに。

 春蘭との相対をからがら終え、一刀がその身に思うことは生の安堵より先行きの不安。

 あの即死級行事が、まさか、あんな軽いノリで勃発しようとは。

 お手軽すぎた。ほんのお試し感覚だ。気軽に殺されかけては堪ったものではない。

 なのに、悲しいかな、こう断言出来てしまう現実が辛い。

 ――これからも、あんなのが日常的に舞い込んでくるんだぜ……? 

 恨めしい一刀の歩幅は狭く。足取りは重い。

 隅々まで手入れの行き届いている本殿の廊下を、さらに磨き上げるかのようにずり歩く。

 すっかり気分は滅入っていた。さながら修羅道を進むがごとしだ。

 なら、進まなければいい? 思ったところで、

 ――出来たらいいよね! 絶対、無理だからね!

 と一刀は自問に愚痴るという荒みっぷりで、前方へと視線を送る。

 数歩前。タイミングよくこちらに振り向くのは、

 

「何をモタモタしているの? もっと早く歩きなさい、置いていくわよ?」

 

 陳留太守、華琳さまである。

 そら無理だ。無理で何が悪い! と居直る一刀は、彼女のことをなんなら、地獄の閻魔大王より嗜虐的な人物だと思っていた。

 さらに、この状況。

 ――お次は、何を言い出すんすかね……。

 いくらお人好しで、能天気な頭にも危険信号が全点灯。

 警告音が"warning warning"とけたたましく鳴りっ放し。と同時に、

 ――なんで……、なんで俺だけ呼ばれたんだよ!

 猜疑心は叫ぶ。なぜ、二人きりなのか、と。

 集会の解散に、華琳は新参の後事を秋蘭へと預けた。しかし、なぜか一刀だけを別個に呼び出した。

 これ程まで嬉しくない特別扱いも中々ない。意図は一体なんなのか?

 いや。この際それはいい。それより、一刀が気にしているのは、

 ――どう考えたって何かが起こるよねコレ!?

 備えなければ。警戒しなければ。回避しなければ。

 さっそく降りかかろうとしている――続きましての無理難題を!

 そんなこんなで歩みはやはり遅く、床磨きも継続中。憂鬱は肩を落とし、嫌々進む修羅の道。

 なんでも、本来、六道輪廻とは生前の所業如何によって行き先が決まり、地獄道に落ちる者でもちゃんと理由があるらしい。まあ多少、不可解なのも混じっているがそれくらいご愛嬌だろう。

 なにしろ、こちとら華琳大王の心象次第という完全なる独断専行社会だ。多大に無茶苦茶だ。進む先には何が待っていてもおかしくない。心細さしかない。すごく帰りたい。でも、

 ――知っているか? 大王からは誰も逃げられない……! 

 と、どこかで聞いたような台詞を、一刀が自嘲気味にぼやいたその時だ。

 前方。足音が不意に止まる。

 代わりに声が、ここよ、と短く告げて、つられ上げる視線。

 華琳の後ろに扉が見える。

 それはゆっくり開かれ、彼女は言う。

 

「ここが私の部屋。入るわよ」

 

 

***

 

 

「――な、なんだこりゃ! すげっ……」

 

 入室早々。

 ご挨拶な呆け声を聞きながら、華琳はいつもの椅子に腰を下ろし、足を組む。

 いつものことだ。

 この部屋を初めて訪れる者は一様に似た反応を覗かせる。どれだけ豪華な室内を思い描いているのやら。毎度悩ましい。

 反面、此度は少し新鮮でもある。

 こうまではっきりと言われるのは初だ。普通はそんな心情を悟られまいと繕おうとする。一言、無礼だ。とはいえ、

 ――まぁ、言いたいこともわからなくはないし。

 一刀の視線に乗せられ部屋を見回した華琳は思う。改めて見ると酷い、と。

 映るのは書簡、竹簡、竹簡、書物。四方の壁一面に備え付けられている棚は隙間なくビッシリ埋まり、それでも入りきらぬ分が床積みになっている。ついでに、机の上にもしばらく城を空けていたツケが山積である。

 可愛げのない部屋だと我ながら思う。確かにこれでは領主の執務室と言うよりは、

 ――書庫と言った方がしっくりくるわね……。 

 けれど。

 華琳に改める気は毛頭ない。むしろ、こうあるべきだと疑わない。多少の整理は必要でも、公に無駄な飾り気は不要。ここが執務室ならそのための空間であればいい。彼女はそう認識している。

 一息。

 華琳は小さな頷きの中で、机の引き出しから竹簡を取り出す。

 正面、未だの呆け顔に、ふわり放る。慌てて掴む一刀に言い放つ。

 

「何でもいいから、あなたの意見を聞かせて。遠慮は無用よ? どれだけ見当違いでも今回は不問だから」

「い、意見?」

「ええ」

 

 それきり。華琳は山積みから書簡を手にして、己の政務に入る。

 ただ、一間置いてから、つられ鳴る乾いた竹音には一度だけ打見して、

 ――さあ、どう答えるかしら?

 報告書を読み流す速度はそのまま、並行して渡した竹簡にも意識を傾ける。

 そこには構想中のある政策が書かれていた。

 屯田だ。

 辺境の戦地において、兵士が農耕を行うことで、食料の現地調達を可能にし、駐屯軍の負担軽減を旨とする政策である。が、それはあくまで従来までの話。記されている屯田はまったくの別物で、華琳は前者を"軍屯"、後者を"民屯"と名づけ大別する。

 ならば、別物の民屯とは? 

 簡潔に述べるなら、手つかずになった田畑を再び人民に宛がい耕作させようという制度である。

 

 高祖劉邦が漢王朝の皇帝に即位してから約四百年。いかな英雄の血脈と言えど、十二代も数えれば、もはや面影もなく凡にも劣る。社稷を司るはずの天子は利権を貪る亡者の傀儡と成り果てていた。

 時の天子、霊帝には天を統べる器もなければ、意志もなし――。

 暗愚などと揶揄されるようになれば、幕引きは近かかったのだろう。そこへ拍車をかけるように度重なる飢饉、蔓延する疫病だ。力なき"天"に、"地"も乱れ、ならば残る"人"が惑うは必定。

 『蒼天已死』

 無尽蔵に高まるその気運。そこへある者がさらなる四文字を繋ぐ。

 『黄天当立』

 後世に言う――"黄巾の乱"の幕開けであった。

 

 太平道教祖、張角を頂点に史上類を見ない未曾有の大反乱が瞬く間に大陸全土を席巻。人々は農具を武器に持ち変え、虐げてきた者たちへと牙を剥いた。苛政からの脱却、新たな天を渇望し、育んできたその大地を血で染めた。蜂起した民は数十万人に上るとも言われている。

 しかしだ。

 皮肉なことに、戦乱のしわ寄せは上流から下流に押し流される土砂のように、なんら滞りなく、無情にも、より社会的弱者――民へと積もる。

 結果、数多の者が戦禍に追われ、流民とならざるを得なかった。とりわけ、華琳の治めるエン州は、人口流出の顕著な地域のひとつであった。

 そこで、国家存亡の危機に対して彼女が打ち出したのが民屯というわけだ。

 そして、その重要案件を吟味させることが一刀を部屋に招いた理由で、続きましての適正試験である。

 華琳は考えていた。

 どうせなら、文官としての資質も確かめておこう、と。それに、

 ――春蘭との相対で見せた"まさか"をここでも発揮してくれるかもしれないし。

 と安い期待感も胸にある。

 ゆえに、華琳は待つ。

 早くも精査し終えた一巻目の書簡を巻き直し、山の反対側へ置く。

 二巻目に手を伸ばす。急かすつもりはない。さすがに即答を求める程、理不尽ではない。

 ゆるりと待つ。楽しみに。なのに、だ。

 

「ど、……しよ……。絶対……、こ……っばい。処……さ……、マジ……れ……」

 

 何やら聞こえてくる擦れ声。気になり、何気なく見やった華琳は見た。

 

「――っ、ちょっと、何よその汗!?」

 

 竹簡を凝視したまま、湯水のように脂汗を噴射する"まさか"の男を。

 

 

***

 

 

 華琳の驚声に、一刀は勢いよく顔を上げる。

 流れ出る汗も二割増し、完全に焦っていた。なにせ、

 ――これっぽっちも読めないなんて言えねえええ――!!

 並ぶ漢字は半数以上が見覚えすらない。それっぽっちの情報量で文章を推測するのはいくらなんでも無理があり、何より、送り仮名も返り点もない真っさらな漢文をどうしろと言うのか。脳内、満場一致のお手上げである。

 となれば、

 ――これ処分じゃね? 間違いなくポイっじゃね? くそっ……誰だよ、漢文なんか勉強しても絶対死ぬまで役に立たないとか言ってた奴は! うん、俺だ! 俺の馬鹿ッ!!

 一刀は懺悔する。国語のK先生ごめんなさい、と。

 だが、今頃、寝て過ごした漢文の授業を惜しんでも、K先生の後頭部がしゃもじに似ていたからシャモ、シャモと、からかったことを気に病んでも手遅れである。

 焦りの雫は華琳に気づかれているし、きっとK先生の心傷は簡単に癒えはしない。

 そして案の定、まさか、と問いかけられ、

 

「……読めないなんて、言わないでしょうね?」

 

 終わった。

 悟る男は実に穏やかな表情で、

 

「まっっったく、読めません」

「…………」

 

 待っていたのは不憫すら滲む冷めきった沈黙だ。

 華琳の左眉は数回上下に跳ねて、そのうち、湿度皆無のからっからな笑い声が聞こえてくる。

 一刀もとりあえず便乗して笑った。自棄だ。

 競い合い大きくなる声に泣きそうにながら、一刀は願う。

 ――ワンチャンスあってくれえええッ!

 が、あるわきゃない。ノーチャンスにノーヒューチャーだ。

 次の瞬間、机を叩きつける強烈な打音が鳴り、

 

「――何をヘラヘラしているの! 呆れて物も言えない。読み書きくらい春蘭でも出来るわよ!!」

「――――」

 

 希望は跡形もなく粉々に砕かれた。どころか。貫通してプライドにまで亀裂が走る。

 それはもはや、漢文が読めない云々の問題じゃなかった。

 聞き捨てならない文言が含まれていた。尊厳が懸かっていた!

 

「か、夏侯惇……だと……ッ!?」

 

 春蘭>一刀。この構図。

 脳筋まっしぐらの、知力を数値化したら確実に一桁の、あの春蘭にも劣ると評されてしまった事実だ。あまりの衝撃に一刀は目眩を覚え、両手両膝をつき、

 

「なんてこった……。終わりだ……!」

「終わりも何も、始まってすらいないじゃない! それにその、夢も希望もありませんって顔は何! あなた、春蘭をなんだと思っているのよ?」

 

 と、華琳は諌めるが一刀も首だけ起こし、負けじと、

 

「……自分だって"でも"って言ったじゃん。明らかに最下級の例題として比較してたくせに!」

「わ、――私はいいの!」

 

 

***

 

 

「――はっ、くしゅんっ!」

 

 くしゃみ弾ける大通り。こちらは陳留市中である。

 発生源は人影の先頭を行く春蘭だ。後ろには、

 

「なんや風邪か? ぼちぼち朝晩は冷えてきよったしな。ウチ寒いの苦手やねん」

「寒いは……眠い」

 

 首根っこを抱えるように後頭部で手を組み、過ぎる町並みに興味津々の霞と、寝ぼけ眼をコシコシ、揺れながら歩く恋。新規の武官組である。

 二人は今、警邏の真っ最中。秋蘭から教官に抜擢され、すっかりその気の春蘭を先頭に、だ。

 で、くしゃみに二つの意味で腰を折られた教官殿は、

 

「ははは、何を言うか? "教官"の私が風邪など引くはずないだろう? この通り鍛えているからな! さすが"教官"だろう!」

「いや、そないに胸張られても……風邪と教官関係あらへんし……」

「ぬぅ、一度もだぞ? 今まで一度もないんだぞ! どうだ!」

「どうだて……ま、まあ、すごいんちゃう、か?」

「ふははははっ、そうだろそうだろ? 二人とも"教官"の私を存分に習うといい」

「……はい、教官」

 

 霞は思う。馬鹿が風邪ひかんってホンマの話なんや、と。

 今日も春蘭はとっても元気だ。

 

 

***

 

 

 戻って、華琳の執務室。

 そこにはもう、四つん這いの男はいなかった。

 代わりに、

 

「――だいたい! 俺、こっちの世界来てからまだ半年くらいなわけでぇ、だから現時点の語学力で単純に比較されても困るって言うかぁ、心外って言うかぁ。とにかく! あの夏侯惇以下って判断はおかしいと思いますぅ!」

「…………」

 

 机の上へ身を乗り出さんと懸命な異議申し立てをする男と、あまりの必死さに若干、引いている女がいた。

 華琳は思う。よっぽど不服なのだろうな、と。

 捲くし立てる言葉の節々には暑苦しいほどの執念すら感じられる。

 それと、深く突っ込む理性も警告している。

 だから、というわけでもないが、彼女は珍しく言われるがまま。一刀の言い分を黙って聞き続けている。

 しかし、それもまたここまで。今、新たな関心を得てしまう。

 ――まだ半年……、天の御遣い。

 思い出すのはあの夜、盗み聞いた管輅との会話だ。

 あの時、彼女はこう思っていた。

 一刀が御遣いか否かはどうでもいいけれど、天下を安寧に導くなど笑止、天下を治めるのはこの曹孟徳を置いて他になしだと。

 されば、本人の口から御遣いだと仄めかす発言が出た以上、確かめておかなければ。

 

「ねえ一刀。あなた……本当に天の御遣いなの?」

 

 細めた瞳は彼の挙動すべてを捉えようと深く覗く。

 対して、一刀も空気の変化を感じ取ったのか、荒れる鼻息を抑え、慎重に言葉を選び、

 

「それは救世主とかって意味かな? だったら俺にはないよ。そんな自覚」

「なら、どんな自覚はあるのかしら?」

「えーっと、そうだなぁ。この時代、この世界に迷い込んだ者、ってとこかな?」

「……そう」

 

 もし、一刀が先程までの調子で、救世を語りでもした日には部屋から叩き出されていたことだろう。いや、言動次第では斬り捨てられることもあった筈だ。

 それ程、天とは重い。重くなくてはならない。

 天を想うは自由でも、天を語るには相応の覚悟がいる。少なくとも、華琳はそう考えている。

 ――だって、そうでしょう?

 確かに天とは不可視で、あやふやで、不定形かもしれない。だが、天の下には数え切れない生が息づく確かな場所なのだ。その壮大な営為の一端すらも想像出来ぬ輩に天を語る資格はない。

 ゆえに、予言を根拠に救世を語るなど以ての外。それこそ天下万民に対する冒涜。

 そして、彼は異世界を語る変わり種ではあっても、天を無暗に語る不逞の徒とは違うと華琳は結論づけ、部屋を真っ赤にしなくて済んだことに安堵する。片付けるのが大変だ。

 と同時に、少し困ってもいた。

 あんな問い方をしたせいで、珍問だけが残ってしまったのだ。

 現在進行形で、信じてくれますか? と無駄につぶらな瞳が見つめてくる。

 こうなると対処は良識に従うか否か。超常を認めるかどうかになってくるわけで、そんなモノ考えたくもない。

 どうしたものか。

 寄る眉間は浅い谷を掘り、

 ――これは、いっそ……。

 いっそ笑い飛ばして、有耶無耶にしてしまおう。

 そう思った時だ。

 正面。不意に、一刀から声が上がり、

 

「あっ、そうだ! すぐ戻るから、ちょっと待ってて!」

「え?」

 

 告げるなり、いいこと思いついた顔は返事も待たず翻る。

 華琳も思考の隙をつかれて反応が鈍く、制止を発した時にはもう遅い。

 

「待ちな――」

 

 でバッサリ。乱暴に閉められた扉の音に"さい"はかき消され、廊下を叩く乱雑な音は足早に遠ざかっていった。

 

「……説明くらい、してから行きなさいよ。もうっ」

 

 

***

 

 

 所変わって中庭。とっくに閑散とするその場所には女性がいる。

 半ば放心状態。足をハの字に崩し、地べたにへたり込むのは桂花だ。

 彼女は皆が去った後もひとり、未だ動けぬままだった。

 

「そんな……。私が……、私が男なんかに助けられたとでも、言うの……?」

 

 桂花は見ていない。

 決定的なその瞬間には頭を抱え、目を閉じていたから。

 落下物に驚き目を開いた頃にはすべて終わっていたから。

 目にしたものと言えば、頭上から降ってきた剣と、空手の春蘭。驚きに静まり返る観衆と、無傷の自身。そして、あの男……。

 なら、見ていなくとも推測は楽な話だ。

 どうやったかは知らないが、あの男が春蘭を止めたのだと。つまり、自分は男に助けられ――、

 

「だからなによ! 元はと言えば、あの男が……! そうよ、あの男がっ!」

 

 気に入らない。何もかも。

 まして、華琳の前で醜態を晒した挙句、救われたなどとは何があっても認めたくない。

 桂花は脳裏を過ぎる不快な意識を遮断するため、頭巾を両手で強く目深に被る。黒塗りの視界で、どうにか否定のロジックを再構築しようとする。

 だが、どれだけ言い訳を並べたところで、男が主のお覚えめでたくなった事はどうにも変えようがなくて、

 

「男のくせに……、男の分際で……、男なんて……!!」

 

 沸々とこみ上げる感情。それは、

 

「……よくも、よくもよくもよくも! よくも恥をかかせてくれたはね、北郷、一刀――ッ!!」

 

 純然たる屈辱感、感謝どころか怨念である。それも、やたら粘着質なヤツ。それでこそ桂花だ。

 何を隠そうこの猫耳、軍師という立場にありながらも、男の事となると見境がさようなら。風通し抜群の良心は正も邪も入り乱れてこんにちは。軍師という立場をいい事に遺憾なく暴走がおっ始まる。知る人ぞ知る、職権乱用の申し子である。

 つい先日も、書庫の役人(二十五歳、男性)がその犠牲となり、城を追われた。

 左遷理由は多く語られていないが、ある関係者によると、提出された桂花の書簡は全五巻にも及ぶ長編で、そこには細かな字で、隙間なく、綿密で、緻密かつ、論理的でありながら、容赦なく、徹底的に、これでもか、と役人の過失が書き綴られていたそうだ。さすがの華琳も言葉をなくしたという。

 と、まあ真性ガチの桂花さん。

 ネバネバを原動力に放心から覚めると、さっそく一刀撲滅策を模索し始め、

 

「……あっ」

 

 思い出す。

 華琳が中庭から去る時に口にした、『一刀は私についてきなさい』という極めて重大なお言葉を。

 途端、桂花の顔色が変わる。

 頭の中ではすぐさま、春画よろしくの、あんな事やこんな事がそんな事に!

 

「――ご懐妊あそばせ――ッッ!?」

 

 豊かな想像力はこの短時間でどこまで辿り着いたのか。とりあえずK点越えだろう。触れたくない的な意味で。

 さておき。

 一生の不覚と大慌ての桂花は重い腰を上げ、直ちに主の部屋を目指す。

 二人きりなど看過できるか! 色魔、討つべし! 駆ける! 

 筈が。

 

「――あ、あれ? ちょっと? え? なによこれ! あ~~ん、もうっ、嘘でしょう? 力が全然……!」

 

 入らないのだこれが。

 残念ながら下半身に溜まった乳酸は抜け切っておらず、あっちへフラフラ、こっちへヨタヨタ。日頃の運動不足がもろ祟り、枷付きの足は思い通りに定まってくれない。

 だが、なんのこれしき!

 桂花は力強く顔を上げ、私の忠誠(あい)は誰にも止められない! と、へっぴり腰の分際で、襲い掛かる獣から可憐な主人を颯爽と救出! さすが桂花と褒められて――の図を妄想しながら、笑う膝を、にへらと笑いながら前へ!

 

「華琳さま、あなたの桂花が今、参ります!!」

 

 

***

 

 

 一方、桂花が生まれたての牝馬走法で向かう、その執務室。

 戻った一刀は華琳にある物を見せつけていた。

 

「けいたい、でんわ……?」

 

 そう、携帯だ。左手は腰に、右手で携帯を高らかに掲げている。

 さながら、某猫型ロボットを踏襲したようなポーズである。未来の道具的な意味でもバッチリ。このために走って取りに戻ったのだ。

 余韻十分。

 一刀は、黒色、二つ折り型の携帯を机越しの華琳へと差し出す。

 スマートフォンが本流の現代では、やや時代遅れの感もある旧型と呼べてしまう代物だ。が、この世界においては、超、超、超、超絶の最先端。ぶっちぎりの超科学。オーパーツだ。

 耳馴染みのない名、見憶えもない光沢を放つ掌大の物体を前に、華琳の好奇は吸い寄せられ、一刀は少しばかり得意気である。

 彼は口の端に笑みを持って、質問に答えた。

 

「携帯は俺の世界じゃほとんどの人が持ってる物で、なんと、どれだけ遠く離れていても、会話することが出来るんです!」

 

 さも己が発明したかのような口ぶり、胸を張り、賛美を待つ男。

 例えるなら、平均点は九十五点の試験で、八十点の答案用紙を堂々親へ見せる小学生に近い。バレなきゃ平気の精神だ。

 だが、華琳の反応は期待値には程遠く、子の浅知恵を容易に看破する母親と同じ、

 

「へぇ……」

 

 の、一言。

 途端、あれ? っと右肩を落とす一刀だが、彼女の反応は正常と言えよう。

 華琳は一切を知らないのだから。

 携帯が携帯となった進化の過程も、音声を電波に乗せる技術も、通話という概念さえも知らない。まさか、会話が実時間で行われるなどとは思いもしない。

 彼女には、"携帯を使うと遠くの者と話が出来る"という言葉の意味を理解することは可能でも、事象そのものを想像することは全くの不可能だ。それこそ、赤子に携帯の凄さを説明しているのと大差ない。

 どのように携帯を使用するかも知らず、想像も出来ない。だから価値にも気づくことがない。そういうわけだ。

 だから、

 

「とりあえず、やって見せなさいよ?」 

「あ~……。んとさ、そうしたいのは山々なんだけど、相手もこれ持ってないと無理なんだ」

 

 何気なく飛び出す無垢な問いは軽く超えて行った。

 

「……何を言っているの? 天の国では皆、"けいたいでんわ"を持っているのでしょう?」

「え……、あれ?」

 

 現代科学の限界を。壁を。粋を。

 左右に結った螺旋の髪を指先でくりんくりんしながら、ほら早くと。

 たまにあるだろう?

 ちょっと自慢したくて、これいくらで買ったと思う? なんて尋ねたら、価値を知らぬがため、とんでもない額を言われてしまい、もう答えられなくなるアレだ。

 さすがに異世界通信などハードルが高すぎる。グローバルの意味が違う。圏外だ。

 それに、もし、それが叶うなら、一刀もどんなに嬉しいことか。

 どれだけ救われたことか。

 幾夜、繋がれと願ったことか!

 

「――世の中にはな、言って良い事と悪い事があるんだよ! ちくしょう!」

「……え?」

 

 

***

 

 

 これは何事なのだろうか。

 華琳は理解に苦しむ。

 己としては当たり前の疑問を、当たり前に問いかけただけの筈なのだが、"けいたいでんわ"なる物を自信満々に振りかざしていた男は一転、黙りこくり、力なく、静かに、机の陰へと沈んでいった。

 何が悪い事だったのだろうか。

 思い当たる節もないが、椅子から少し腰を浮かせて様子を覗くと、そこには悲しみを背負い、暮れる男がいる。四つん這いで。

 

「な、……なんなのよ?」

 

 さっぱりだ。華琳は訳がわからない。

 なぜ落ち込んだのかも。どうして"けいたいでんわ"を見せびらかしていたのかも。なにゆえ、聞き取れるか取れないかくらいの小さな声で、

 

「他人事だと思って……! くそっ圏外が憎い!」

 

 と意味不明な泣き言を言われなきゃいけないのかもだ。

 ――どういう状況なのよ、これ!

 華琳は小鼻を膨らまし、背もたれに深くその身を預けた。

 直後。一刀の体は椅子に連動でもしているかのように跳ね起き、

 

「――って、見せたいのそこじゃなかった! あっぶね!」 

 

 と、またも復活。

 本番はこれからだと何やら勇み、椅子から立つよう促してくる。

 加えて、今回はしつこい。こちらがいくら理由を尋ねようがお構いなし。繰り返す言葉は、

 

「いいからいいから、ほら立って! すんごいから」

 

 の一点張りである。

 何がいいのか、なぜ立つのか、何が凄いのか。

 ただ、そのもったいぶったニヤケ面は、どうにも気に入らないのは確かだ。癇に障る。

 ゆえに、華琳は受けて立つ。

 

「わかったわよ。これでいいんでしょ? で、なに?」

 

 肘掛に手を突き、腰を上げ、左の眉も立っている。

 理由はもう聞くまい。ただし、これでまた先刻と同じ展開ならどうしてくれようか。

 ――お仕置きが必要、よねッ……!

 精神形体も完全に嗜虐へと変更済。修羅の王、ここに降臨である。

 が、さしもの彼女も今度ばかりは勝手が違った。

 一刀は、一歩、二歩と後ずさり、黒い物体を縦に開く。顔の前まで持っていくと、

 

「じゃあ、そのままこっち見てて。そうそう、ああっ動かないで! じっとして。……よし、いくよ?」

「……行く? どこへよ?」

 

 代わりに呪文を一言。

 

「はい、チーズ」

「――――」

 

 そして、その瞬間。

 『すんごい』が訪れた。ぐうの音も出ない程の"まさか"となって――。

 視覚に、聴覚に、かつてない衝撃を覚える。

 瞬く白光は神々しくもあり、響く得体の知れぬ音に恐怖すら抱く。

 華琳は不覚にも顔を背け、らしくない、いかにもな悲鳴を上げてしまい――、その意表を少しでも埋めるため、瞬時に動いていた。

 

「あはは、驚いたでしょ? これは、って――ッ!?」

 

 判断したのだ。これを、なんらかの攻撃である、と。

 机を迂回した華琳、まずは"けいたいでんわ"を持つ右腕を掴むと、身を屈め、自身の回転をもって捻り上げつつ背後を取る。その際、すかさず膝裏に前蹴りを置く。

 途端、バランスを失う一刀は、膝から前のめりに崩れ、されど、右腕は絞ったままだ。決して放さない。そこへ、まだ頭が高いと、右足で背を踏み倒せば、あっという間に、

 

「いぎィっ――!!」 

 

 地面へ敷かれ、右腕を決められる男の完成である。

 これで二発目の脅威は去った。だったら、次だ。確かめなければ。

 思う華琳は強く問い詰めた。

 

「今のは何っ! 私に一体、何をしたッ!」

「――ま、待って! 何もしてないから! 今のは写メを撮っただけで――がッッ!?」

「しゃめ? わかるように説明なさい!」

「わか、わかった説明する! するからとりあえず放し――てィタタァァ!? 捻るのは駄目!! ごめんなさい!! もう余計なことは言いませんから! てかもう、これ見て、これッ! 見ればわかるから!! お願いだからッ――!!」

 

 これとは、どうやら"けいたいでんわ"を指すらしい。

 ほとんど動かないはずの右腕、その手首から先だけが、忙しく前後運動を続けている。どうか見てくださいと。だが、

 

「フンっ……!」

 

 華琳がおいそれと覗き込むことはない。むしろ、疑いの眼差しは足元の、苦痛に歪む横顔を捉え、それ以前に、

 ――冗談じゃない……。あんな、街娘のような……この私が『きゃっ』だなんて……く、屈辱だわッ――!!

 甚くご立腹です。

 華琳は右腕をさらに内側へ絞り、とうに目一杯、軋む腕にさらなる可動と答えを要求! すなわち、

 

「言わないと……、もぐわよ?」

「――も、もいじゃ駄目ぇぇッ――――!?」

 

 堪らず、黒の物体が一刀の掌から零れ落ちた。

 床を打ち、硬質な音を立て弾み、偶然にも華琳の左足、つま先に触れ止まり、

 

「――っ、――な!?」

 

 華琳は見た。

 こちらを向く、"けいたいでんわ"の表側を。裏側とは違う何やら数字が割り振られた不可思議な構造と、まるで鏡のように滑らかな表面部分を。そして、そこには、鏡とは異なり縮小された自身の姿が映り出されていることを。

 しかもだ。

 目を凝らして見ると、その姿は机の奥にいるではないか!

 明らかに場所が違う。構えが違う。今を映していない。これは一体――

 

「なっ、なんなの? どういうこと?」

 

 問いの先。驚きのうちに拘束を解かれた男は、いつつ、としかめっ面。肩を揉みながら答えた。

 

「それが写メだよ。なんて言えばいいのかな……んと、一定範囲の空間を、まんま記録することが出来るんだ。瞬時にね」

「空間を記録……? それも瞬時にって、そんなことが……。信じられない」

 

 が、事実、映っている。小さな鏡の中には、言われた通りの光景が。違うと言うならこれはなんだ? その説明の方がよっぽど難しい。

 ――だとしたら……。

 華琳は、もはや躊躇なく"けいたいでんわ"を拾い上げていた。

 ごくりと喉を鳴らし、両手で花でも愛でるように包み、存分に覗き込む。

 好奇の虜となっていた。

 

「ねえこれ、どういう仕組み?」

「どうって言われても、さぁ? 専門的な知識がいるから俺にはわからないよ」

「……そう。なら、さっきの光と音はなんだったの?」

「あぁ、あれはフラッシュとシャッターだよ」

「ふ、ふらっしゅ? しゃったー?」

 

 質問攻めは続く。

 

 

***

 

 

「"しゃめ"……あぁ、何度見ても素晴らしいわ」

 

 何、なぜ、どうしての雨あられ。

 一刻にわたる好奇の集中砲火がようやく降り止み、一刀は大きな嘆息をひとつ。

 その横では、とりあえずの疑問を食いつぶした華琳さまが、延々と賞賛を呟きながら、うっとりと携帯を眺めていらっしゃる。

 ああして、嬉しそうに携帯と向き合う分には、ただの可愛らしい少女だと言うのに、彼女の飽くなき探究心にはほとほと驚かされた。

 真顔で『中が見てみたいわ、開いて』なんて言い出した時にはかなり焦ったし、とんだやる気スイッチを押してしまったと、一刀は後悔した。

 まあ確かに、女性とは多面性の生き物だと言われている。特に出来る女とはそうらしい。

 しかし、それにしたってこれは、

 ――振り幅が大きすぎじゃね……?

 威厳溢れる為政者に、オタク顔負けの好事家と、超一級の美少女。普通は同乗しないだろう。そこへきて、サド満開の武道娘ときたもんだ。

 ――めっちゃ痛かったもん。めっちゃタップアウト連打したもん。本気でもげると思ったもん……。

 ほんの些細な気持ちで、ちょっと驚かしてやろうくらいの悪戯が悲劇を生んだ。

 先入観と外見にもまんまと騙され、実務派? とんでもない。バリバリの実戦派。ハイブリットだった。あんなに強いとは夢にも思ってもいなかったし、怖かった。

 痛々しい回想に、一刀は誓う。以後、華琳の取り扱いには細心の注意を払おう、と。二度深く頷き、心に刻む。視線を取扱注意へと戻すことにした。

 

「ふふふ、本当に寸分違わず映っているのね」

 

 相変わらずご機嫌そうで何より。今は手鏡と写メを見比べているようだ。椅子から垂れる白い足が嬉しそうにタンタンと床を弾む様子はなんとも微笑ましい。

 なんて口が滑ろうものなら余裕で締められるんだろうなぁ、と考えたその時である。

 どうしたことか。

 今の今までの絵に描いたような上機嫌がピタっと止まる。足音から賛美からまばたきまで全部だ。そして、携帯にぐぐっと肉薄、細めるその目つきは徐々に険しいものへと変わって行き……。

 ――なんか女心が秋の空しているですけどッ!?

 ピーカン空に突如、暗雲が立ち込め今にも振り出しそうだ。……血の雨っぽい何かが。

 こんな急激な天候の変化、遠足で登った高尾山ですらなかったわ! と一刀は心でツッコミを入れるが、それじゃ憂さも晴れやしない。

 ひとまず雨宿りを優先しなければ。血染めのゲリラ豪雨なんてまっぴらだ。

 手がかりは"鏡と見比べ始めたら"。浮かぶのは、

 ――写メ写りが気に入らない、とか……?

 が、それならもっと早く兆候があってもおかしくない。と一刀はすぐに首を振る。第一、あの写メに映る華琳は表情こそ無防備だが、取り立てておかしなところはなく、むしろ可愛いかった筈だ。

 なら、何が?

 頭を捻る一刀。その答えは、単純だが恐ろしく難解なモノだった。

 

「何よこれ……。よく見たら、右の巻き毛が二分程、歪んでいるじゃない! こんなの認められないわ!」

「――どんな拘りだよ!? わかるかッ!」

 

 自戒も忘れ、ツッコミを入れずにはいられなかった。

 

 

***

 

 

「――み、認められるわけないだろう! ちょっと目を離した隙に、こんな所で何をしているんだ貴様らは!」

「まぁまぁ、そないに大きな声出さんと、教官もこっち来て、恋の隣に座りぃて」

「これ、もう一皿」「あ、ウチ酒のおかわり!」

「注文するなァ!!」

 

 こちら陳留市中警邏組。……改め、酒場で酒盛り組。

 四人掛けの卓には料理や酒が並び始め、春蘭は強引に席へと座らされる。

 始まろうとしていた。悪戯猫の悪巧みによって、警邏の途中になぜか宴会が。

 霞は悪びれもせずに言う。

 

「ええやんかぁ。ほら、よぉ~考えてみ? ウチも恋も今日が初めてなんや。なら、歓迎会くらいあってもおかしないやろ? これからは仲良ぉやっていかなあかんのやから、最初が肝心やん?」

「そ、それはそうかもしれんが、何も真昼間から酒盛りを始めることは――」

「甘い!!」 

 

 霞は叫び、手にした酒杯をぐいっとひと煽り。

 旨い! と叫んで、一気に飲み干したそれを春蘭へと突き出し、

 

「何言うてんねん! これはな、教官の祝賀会でもあるんやで!!」

「な、なんだとう――!?」

「ウチは……今、感動しとる。あないに見事な警邏見たことあらへん。さすが教官や、こないな教官に教えを請えるなんてごっつ幸せやて感激しとる! なら、この思いを今祝わんでどないするん!? ちゃうか教官!!」

「そ、そこまで私のことを……っ、しかし……」

 

 霞はここで、一心不乱に肉を貪る恋の肩をそっと叩き、ほらさっき教えたアレ、と口パクで合図する。リスのように頬っぺたぱんぱんの恋はこくりでごっくん。言う。

 

「……教官、かっこいい。教官、素敵。教官、最高」

「!?」

「そうかそうか。恋もそう思うか? でもな、教官はあかんて言うんや……。ウチもこの喜びを一緒に祝って、教官と絆を深めたい思って……。けど、しゃーないな。確かに今は勤務中や。さあ、恋出る準備しぃ? 教官を困らせるわけにはいかん、ここは涙を飲んで……」

「――飲むぞおおおおおおお!! 座れ二人とも! 無下にするわけなかろう! "教官"の私が、二人のその思いを!!」

「きょ、教官!!」

 

 春蘭は、貸せっ、と霞の杯を握り、なみなみと酒を注いでひと呑み。

 いよっ! 陳留一の飲みっぷり! などと合いの手が入るといよいよ止まらない。

 

「ふはははは、よぉし好きなモノをじゃんじゃん頼むがいい!! 今日は"教官"である私の奢りだ!!」

「いよっ、大陸一♪」

 

 霞は思う。馬鹿と教官は使いようや、と。

 しかし、知らぬが仏。春蘭は変わらず快晴模様である。

 

「……大陸一の、馬鹿?」

「コラ。それは言わんでええ奴や。黙ってこれ食べとき」

 

 まあ、それも財布がすっからかんに干からびるまでのことだ。

 きっと、ど叱られるさ。秋蘭に。

 

 

***

 

 

 そして、とっくに荒れ模様だったこちら。

 いいからやり直しなさい! と胸部に一撃。グーパン気味に携帯を押し付けられたことを除けば、意外にも穏便に進み、

 

「……完璧ね」

 

 機嫌も晴れ間。華琳は撮り直した写メに舌鼓を打つ。

 そこには、右足をやや下げ、斜めに構えて顎も気持ち引き、伸ばした指先を胸の下でそっと重ね、口許はお上品な微笑。さらには立ち位置や背景にまで気を配る凝りようで、わずか二カット目にして写メの真髄を見極めた完璧な佇まいの彼女が映っていた。

 これも多面性のひとつなのか。はたまた、極小単位の変化に拘る乙女心の成せる業か。どちらにしても一刀には、いや。男には理解不能である。

 ともあれ。

 これにて写メ騒動はひと段落。

 長い寄り道を終えて本筋に戻り、机を挟み二人も再び向かい合う。

 華琳はすっかり王たる顔つきだ。浅く腰掛け、机上に手を組み、緩やかに見上げる。

 視線の先。

 返却された携帯を折り畳む一刀は、その小気味いい閉音をきっかけに口を開く。

 

「これで、少しは信じてもらえたかな?」

「……ええ。この"しゃめ"の素晴らしさは大陸の技術から大きく逸脱しているわ。これだけの代物を見せられたら、否定の余地なんてないわよ」

 

 とは言ったものの、華琳から完全に疑いが払拭されたわけではない。

 事が事だ。そう簡単には割り切れず、いくらかの疑心は残っている。ただ、それでも現時点でどちらが合理的かと考えれば首を縦に振る他なく。

 その頷きに、一刀の面持ちは喜びが広がり、すかさず、

 

「だよねだよね! よっし、じゃあ今すぐ『夏侯惇でも』発言の撤回を――!!」

 

 要求した。実に快活な声で、握りこぶしまで付けて。

 ――そう言えば……、始まりはそんな話からだったわね……。

 思い出すなり華琳はげんなり。脱力で首はかっくり。垂れる額を組んだ手が支え、溜め息混じりに、ぽつりと嘆く。

 

「……まったく。これ何度目の"まさか"なのよ」

 

 ただ、伏せるその口許は呆れを覗かせる口調とは裏腹に三日月が浮かび、しかし、それも瞬時に雲隠れ。

 

「それについては、留保します。撤回を望むなら春蘭より優秀だと直に示して見せなさい。その時、改めて判断してあげるわ」

「えぇ~……」

 

 彼女は含みをもって結論とし、ついでに不満声は半目で黙殺。

 途端。ごめんなさいごめんなさいすいませんごめんなさい! と机に叩頭しだす大げさな男は非常に喧しい。華琳は平然と、

  

「やめなさい。机が痛んだらどうするのよ? ……だからって、壁も床もやめなさい。血が付着したら汚いでしょ」

「じゃあ、俺はどこに頭を打ち付ければ――」

「誰も打ち付けろだなんて言ってないわよ!」

 

 どこまで、ままならない男なのか。

 つい張り上げた己の声に華琳は思う。どうしてこうも一刀の調子に乗せられてしまうのか、と。春蘭も桂花もそうだ。いつの間にやら騒ぎに巻き込まれあのザマ。

 ――きっと、これが一刀の才、と言えるのでしょうね。

 人を混乱に巻き込む天才。なんて傍迷惑な能力なのか。

 ただ、少し見方を変えれば、それは他人との距離を縮めるのが抜群に上手いとも言える。相手にも悟られぬうちに懐へと忍び込む才能だ。

 なるほど。呂布や張遼が真名を許した要因はそこにあるのかもしれない。と華琳は妙に納得。なら、と後押しでもされたかのように、躊躇いなくそれを告げる。

 

「今後、私のことは華琳と呼ぶように」

 

 さあ、嵐の時だ。

 

 

***

 

 

「はい呼びます! いくらでも呼びます! 喜んで――って、か、りん……? 華、――琳ぅえぇッッ――――!?」

 

 一体全体どんな脈絡なのか。突然の真名発言に一刀はそりゃ驚愕だ。

 対して、喚声を心地よく浴びる華琳は、わざとらしいしなを作り、

 

「あら、天の国では臣下に真名を預けるのがそれほど不思議なこと?」

「――そ、そういう問題じゃ! って、あれ? 普通なの? 真名ってそんな感じなの……? 俺はてっきり、相応しくないっていうか、荷が重いっていうか、むしろ怖いといか……」

「結構なことじゃない。そう思うなら精々励みなさい。分不相応の自覚があるなら相応になって見せなさい。それとも、それは口実で、私の真名は受け取れない、と?」

 

 言うや否や、怪しく灯る眼光に一刀の判断は物凄く早かった。

 

「――滅っ相もございません! ありがた~く頂戴させていただきますです!! 相応の権化になってみせます、はい!!」

「それでいいのよ。だったら。次は一刀、あなたの真名を聞かせてもらえるかしら?」

「――お安い御用です! 俺なんかの真名でよろしければ喉が枯れるまで――って、……えっ? 真名、え? 真名……、まな……、まな、ざし?」

「誰が見つめろなんて言ったのよ! 勝手に付け足さないで。聞かせてと言ったでしょうが」

「デ、デスヨネー……」

 

 片言は知る。

 真名とは互いに預け合うものなんですね。と。

 いくら馴染みがないとは言え、少し考えればわかりそうなものを。今知った。

 よって、一刀は知らない。

 主従にあっても真名を預けない者も例外的にいることを。管輅がそれだと。彼は易者の掟によって、他者に真名を明かすことが禁じられているのだ。

 逆に華琳は、掟や仕来りに縛られ真名を明かせぬ者が稀に存在することくらい重々承知だ。むしろこの場合、掟のひとつや二つあっても、と予防線を展開済みである。

 しかし、一刀はやっぱり言えない。言えっこない。言えば、何をされるかと怖くて怖くて。

 沈黙。

 必死の別解探しだ。涙目だ。汗ダラダラだ。

 なんせ、無言を通すうちに目前、華琳の表情が見る見る強張っていくのだから。

 より焦る。さらにまごつく。一層、怒りを買う。おぉ、なんて完璧な連鎖……!

 言ってる間に、

 

「……ッ、一刀ッ――!!!」

「ひゃぃ!? って、ま、待って! 席立たないで! 違うの、嫌とかそういうんじゃなんだ!」

「ならどういうこと!! 黙っていてはわからないでしょう!! 理由があるならきちんと説明な」

「――ないんだよ! 俺には真名が!」

「なッ――――」

 

 ない。

 言えないではなく、真名がない。

 無だ。

 丁寧語なら、ありません。

 もっと丁寧なら、ございません。

 これには予防線も無意味。華琳は言葉もないし、あり得ない。

 絶句だ。

 あれだけ鮮烈だった写メ体験も今なら温い。瞼を引っ切りなしにしばたたかせ、呆然と立ち尽くす。

 再起動までは残り、三……、二……、一……。はいどうぞ。

 

「ハァァ――――――ッッ!? ま、真名が、ないですってぇッ!?」

 

 悲鳴にも似た絶叫はお腹の底から突き抜けて。

 これでもかと大きく見開いた瞳が、あまりの常識はずれっぷりを如実に物語っている。この世界での真名の意味を考えれば、当然そうなる。正常だ。

 かたや、本当に悲鳴を上げそうな非常識の塊は、鞭打ちも辞さない勢いで首を縦に振り、

 

「はい、ないんです! 俺の世界じゃ、真名の風習そのものがないんです! だから俺には"北郷一刀"、これだけなの! 嘘じゃないからね? ねっ!?」

 

 その姿、どこぞの祈祷師である。

 部屋の中央で両膝を床につき、両手は組んで胸の前。

 荒ぶる神よ鎮まり給えぇぇ、だ。どうか、どうか腕をもぎ取るのだけはお許しくださいぃぃ、だ。眉間に手を当て、信じられない、と漏らす華琳はすっかり台座の邪神である。

 と、そこに突然、音が生まれる。祈祷の返答は短く低い風切りの音だ。

 音は一刀の鼻先を掠め、前髪の一部を払い、髪がぱさりと床に落ち……神託が下る。

 

「"けいたいでんわ"や"しゃめ"を、先に見せておいて命拾いしたわね。……でなければ、飛んでいたのは首だったわよ」

「――いやあああああッッ!? って!? そ、そそそ、そんな物騒なもんっ、どっから出てきたんだよッ!」

 

 慄く一刀は尻餅ついて、背面走りで一気に後退。勢い余って、書棚に後頭部を打ちつけるがそっちのけ。

 がくぶるで指差す正面。そこには、いた。

 振り抜いた長柄の大鎌――"絶"を肩の高さで水平に携える華琳さまが。

 そのお姿は邪神と言うか、もう完全に死神。

 まかり間違って、最高神の召喚に成功してしまった祈祷師はちびりそうである。

 対して、死神。

 華琳は一息吐いて、表情と体から力を解くと"絶"を下ろし、失礼千万な男を眺めてこう考えていた。

 出会い然り。春蘭との相対然り。携帯然り。写メ然り。そして、真名のない天の国然り。かつて幾人いた? これ程まで、驚きを重ねた者が。悪い意味を含めたって両手あれば事足りよう、と。

 ならば。

 貴重な存在であることは間違いなかった。脅える姿も趣味に合う。面白い。

 彼女は改めて、私の目に狂いはなかった。思いがけない拾い物。さすが、我が彗眼だ。と無表情を崩して――――――――そこで、真実から目を逸らしてしまう。

 思いは至らず。届かなかった。

 なぜ、そんな()()()()()()感情を抱いたのかに――――。

 無論、本来なら歯牙にもかけない可能性で、絶無の感性だ。

 だが、それでも、聡明な彼女なら。あと少しで気がついたかもしれない。

 否。彼女ならば、あの日、あの時から過ちの完全排斥を誓う、頑なまでの完璧主義者ならば()()などと笑みを見せることに異常を感じ取れた筈だ。

 あとほんの一押しで、なぜ彼に、()()()()()のか、その本当の起因に至ったはず――――。

 しかし、時間切れだ。

 運命の歯車はなんの因果か、寸前で別の未来を紡ぎ出す。

 扉が開かれようとしていた。ブチ破りそうな勢いで。

 

「――華琳さま!! ご無事ですかァ――!!」

「け、桂花!?」「うぉお!?」

 

 もし、もしもだ。

 もし、まだ見ぬ未来の結末、幾多の分岐を経て辿り着いた最終地点が、もしも、悲劇だったとしたら。

 それはこの時――すでに、決していたのかもしれない。




17話読んでいただきありがとうございます。
というか、更新遅すぎて申し訳ありませんでした!
とんでもなく今更ですが、今年もよろしくお願いします……。

さて、注釈というか補足というか本編について少しだけ。
一刀くんの携帯についてです。
そう、なんで半年も経っているのに電池残ってんだよ! についての後付け的な説明です。
あれは、一刀くんが携帯充電器(太陽光でいけるヤツ)を持っていたからということでご理解願えたらなーっと。はい。

それでは感想、ご意見お待ちしてます。
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