真・恋姫†無双 妄想伝   作:コイル

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第24話  北の激動

 易京城より出陣した白馬義従はその数、三千。

 敵軍の徹底掃討を謀るために軍を二分し、両翼を左右に広く展開する。

 対して、所属不明の敵軍はその数、二千。

 こちらの接近にもなんら動じる事も無く、依然として荒野のど真ん中に方陣を敷いたままだ。

 馬上からその光景を観察する星は、そこに奇妙な違和感を覚えずにはいられなかった。

 

「どういうことだ……?」

 

 ないのだ。

 距離にしておよそ一里(四百メートル)。眼前の敵軍は明らかに様子がおかしく、そこにはあって然るべきものが全く感じられない。

 熱だ。

 通常、戦場には勝利への意思や死への拒絶といった、戦意という名の熱が渦巻くものなのだが、この敵はどうも様子が違う。彼らは何も発していない。昂揚も緊張も焦燥も恐怖も何もない。まるでぶらりと近所に出かけるような無心さでそこに存在している。異様な感覚だ。

 無論、過去の戦場の中でだって感情を捨て去り無心で人斬りを続ける輩を目にしたこともある。だが、それと今、目の前で起きている現象とでは話がまったく別だ。それはあくまで個々の話であって集団には及ばない。まして窮地にありながら、一軍総じて無心でいられるわけがないのだ。

 

「ならば、この敵は現状を窮地と考えていないのだろうな」

 

 とどのつまり、この様相には裏があり、敵には逆転の策があるのだろう。もしくは、そう装う事で何らかの優勢を築こうとしているのかもしれない。どちらにしろ、何かよからぬ企みが隠されている公算は極めて高いと言える。星は静かに、しかし、注意深く敵陣を窺った。

 

「…………」

 

 思案のしどころだ。見極めなければならない。どんな小さな変化も見落とすまいと視神経には気が籠もる。

 と、その集中を遮るように背後から蹄と(くつわ)の絞る音が鳴った。何者かが近づく気配が続き、

 

「失礼します、趙雲将軍。厳鋼将軍より伝令です」

「ご苦労。して将軍はなんと?」

 

 星はすぐに意識を切り替え、視線を向ける。

 が、対称的に跪く伝令兵は何故かばつが悪そうに視線を逸らす。それから二度と三度と口篭りながら、

 

「えー、それがその、将軍は一言、"こいつら気持ち悪い"とだけでして」

「…………」

 

 そのふざけた伝言に星の警戒心はより強まらざる得なかった。

 敵陣の佇まいに違和感を覚えたのはどうやら左軍の鬼灯も同様だったらしい。疑惑はより確信に近づく。

 ただ、そんな焦燥感とは別に、いかにもな鬼灯らしい物言いに、つい笑みがこぼれてしまい、

 

「ふふ、それにしても気持ちが悪い、か」

「はい……」

 

 気の毒な伝令兵を見下ろしながら星は思う。

 おそらくこれは鬼灯お得意の直感で、論理的思考は欠片も介在していない筈だ、と。ただ、それだけに不純がなく、妙に核心へ迫っているような気さえする。

 それに鬼灯の性格からすれば、この伝令には続きがあったことだろう。部下の手前、あれなりに気を遣って飲み込んだのだろうが、きっと面と向かっての会話ならこう言われていたに違いない。

 ――なんとかしろ、自力で! だな。

 鬼灯の横柄な態度がありありと目に浮かび、もう一度、星は口元を綻ばせる。

 おかげで不遜に濁る目が晴れた。知らず知らず万全を期すあまり、過剰に損失を恐れ、戦場のすべてを把握しようとしていた。

 初歩的な過ちだ。戦場とは刻々と変化し続ける生き物ようなもの。敵味方双方の思惑はもちろん、時、地形、天候、風向、気温など、さまざまな要素が作用する戦地においては、不定こそが常道。自ら思考で凝り固まって身動きが取れなくなるなど愚の骨頂だ。

 ――兵に常勢なく水に常形なし、か……。

 孫子の一節を思いながら星は返答待ちの伝令兵に告げた。

 

「伝令、確かに承った。さすれば急ぎ戻り将軍殿にこう伝えられよ。これより我ら、直に敵の腹を探りに参る、と」

 

 そして星はそのまま馬首を返し、愛槍・龍牙が空を切る。

 遠離に映る敵影をなぎ払い、龍の(あぎと)を模した赤き線型の切っ先が、改めて突き狙うは敵陣のど真ん中。深紅のきらめきに導かれ、右軍は進軍を再開した。

 

 

***

 

 

「……ったく。やっと動きやがったか」

 

 左軍の中央。戻ってきた伝令兵の報告を聞きながら、星の進軍を見送る鬼灯はすっかり焦れていた。

 もともとあれこれ考えるのは苦手で嫌いだ。特に戦場では勢いと直感に身を任せるのが信条。ウダウダやっている理屈屋たちを見ていると背中から蹴り飛ばしたい衝動に駆られる。

 とはいえ、国を治めるには、戦略や戦術なんてものが必要なことも緩ぅ~くは理解している。だから(あるじ)不在の軍議にも一応出席するようにしているし、それなりに話を聞くフリはしているし、根暗()陰険()が決めた事なら超我慢でなるべく従うことにしている。要するに、今、鬼灯を苛立たせているものはそういった理由とは無関係なのだ。

 鬼灯はどうにも気になっていた。遙か前方に広がる黒尽くめの集団が。

 

「……ちっ」

 

 霧の中、始めてあれを見た時からそうだ。無性に胸騒ぎがした。何故そう思うのかを上手く理由付けはできないが、とにかく落ち着かない。

 考えるのは苦手だ。鬼灯には学がないし、口下手ときている。それに、ない知恵をないなりに振り絞って考えてみても薊や星の推測にはやはり異論を見つけられず、結局、奴らは残党紛いの雑魚という結論に至ってしまう。

 

「でも、――違うな」

 

 絶対に。それだけはハッキリとしていた。そこには名状しがたくとも何か決定的な相違があり、奴らは決して残党なんて可愛らしい代物ではないと鬼灯は確信を持っている。

 だが、それを感覚的に理解はしていても、どう伝えればいいのかがわからず、鬼灯は苛立ちから乱暴にワシワシと髪を掻き毟った。

 

「ああくそっ!」

 

 もどかしい。頭の悪さが恨めしい。もう少しこの出来損ないの脳ミソに智謀や知略というものが備わっていれば、もっともっと主の助けになれるだろうに。

 

「アイツと違って、何でこんなにバカなんだよオレ……!」

 

 だからだ。羨ましいのは。

 いつもカッコよくて、強くて、綺麗で、頭の切れるアイツが。

 要領よくあっという間に溶け込んで、新参者のくせに白蓮姉さまの信頼も厚く、なんでもお見通しヅラで先輩風を吹かせてくるアイツが。

 自分が欲するモノをすべて持っているアイツが。

 鬼灯はぼそりと呟く。

 

「……ムカつく」

 

 と、その時だ。

 憧憬と嫉妬の先で変化が生じる。いよいよ敵軍を射程距離に収めた趙雲部隊が行軍速度をわずかに緩め、射撃体勢に移行しつつあった。

 

「お、まずは騎射か」

 

 騎射とは騎乗したまま弓を射かける白馬義従の代名詞とも言える得意戦法のひとつだ。様子見の意味合いでも無難な選択だろう。

 一連の動作に淀みはなく、目一杯まで弦を引かれた弓が揃って天を向く。そして次の瞬間、千の矢が一斉に天を衝いた。

 放たれる。

 天空には黒針の直線が幾多も描かれ、寸刻の後、その軌道は弧に変わる。失速した矢は天上に届かず、しかし、再度加速しながら落下。黒の一団を目掛けて殺到し、文字通り、矢の雨となって降り注いだ。

 

「――――」

 

 直撃する。

 非情なる驟雨(しゅうう)は敵軍をまともに穿つ。次々と。絶え間なく。無差別に。多くの敵兵が糸を断たれた傀儡のようにその場で事切れていく。十分な戦果だ。敵の戦力だけが一方的に削れていた。

 だが、この時。戦況を見つめる鬼灯はまったく別の感想を抱いていた。

 

「――おいおい! な、なんだよアレ!?」

 

 それはあまりにも()()過ぎたのだ。

 敵軍の損害が想定を遙かに超えている。しかもその要因は敵側にあり、敵兵は絶命の瞬間にも身じろぎどころか悲鳴ひとつ上げず、完全なる無抵抗のまま倒れていき――、

 

「ど、どうなってんだよっ!?」

 

 全身を薄ら寒い悪感が駆け巡り、鬼灯は鳥肌が止まらない。

 眼前の戦場には、もはや言葉にする必要のない、決定的な異常が広がっていた。

 

 

*** 

 

 

 冀州、(ぎょう)

 その宮城内には長い廊下がある。

 床には幾何学模様の豪奢な絨毯が惜しげもなく敷き詰められ、幅広な通路の両脇にはこれみよがしに高級調度品が並び、柱や梁、格子窓にはこれでもかと自然美の彫刻と煌びやか装飾が施されている。

 通称"我侭廊(がじんろう)"と呼ばれるそこは贅に満ち溢れていた。初めてこの場を訪れる者なら、さぞその絢爛さに舌を巻き、思わず足を止めて見惚れてしまうことだろう。

 だが、残念ながらこの通路は城内の最奥に位置するため、極めて一部の者しかそもそも使用機会がない。ありていに言えば身内専用である。そこに加えて、ここは陳留にあるという遊歩回廊なるものに対抗するためだけに造られたという裏事情もあり、我侭などと呼ばれるのもそのため。おかげでここを通る良識ある身内は見惚れるどころか複雑な感情を抱くのが関の山。現に今も、優美とは程遠い苛立ちの音が廊下に響いていた。

 

「ああもう! やっぱり大変なことになっちゃいましたよぉおお」

 

 それは袁紹軍司令長官兼、参謀長官兼、政務長官兼、近衛長官の顔良将軍。真名を斗詩という女性からで、現勢力の要職を軒並み兼任する彼女は、これから行われる緊急軍議のために、目下、全力で主を捜索中だった。

 当然、周りの景色に意識を向けるゆとりなどひと欠けらもなく、

 

「うぅー、これじゃまた田豊さんや沮授さんに愚痴られちゃうじゃないですかぁ!」

 

 文官たちの嫌味とは論理的かつ執拗なのだ。これまで何度泣かされそうになったことか。

 ただ一方で、これはこれで仕方がない部分もあると斗詩は考えている。というのも、彼女の主である冀州刺史・袁紹は基本的に制御不能の問題児。さらに本来なら斗詩にとって最大の理解者である筈の文ちゃんこと文醜も槍働き以外はとんとやる気なしときている。

 幸いここ鄴には袁家の名声を頼り、大陸各地から数多くの人材が集まってくるため、今のところ行政面でさして大きな支障は出ていない。が、それも側仕えの人材となればまた別だ。

 麗羽はみだりに人を信用したりしない。あれで一応は名門袁家の令嬢なのだ。幼い頃より、周囲には権力に取り入らんと擦り寄ってくる者が後を絶たなかったし、そういった輩の多くが取るに足らない下種だということを、嫌というほど目にしてきている。そこに元来の気難しさも相まって、麗羽から信頼を得ることは並大抵のことではない。多くの家臣団の中、主の真名を許されているのは斗詩と猪々子だけなのだからその難易度が窺い知れよう。

 そんなわけで、麗羽への陳情の窓口は二つしかなく、そのうちひとつはやる気なしなのだから、斗詩に集中するのは自然な流れ。もっとも、これには強力な権力と権限を有する者への監視の意味合いも含まれていて、不要な接近は避けて適度な距離を保とうとする文官たちの配慮であることも、斗詩は重々理解しており、

 

「だから結局、何言われても言い返せないんですよねぇ」

 

 つい先週も主絡みの悶着があったばかりだ。

 あの時は最終的に少し短く切りすぎた前髪について散々いじり倒され、

 

「でも、だからって皆してあんなに笑うことないですよねぇ……」

 

 ともあれ、斗詩は麗羽を探す。

 陰湿な口撃からの保身も多分にあるが、しかし、今回はそれだけではない。ことは麗羽にも責任が及ぶ。この軍議にはそれなりの意識で臨んでもらわなければ困るのだ。

 と、そうこうするうち、早足が止まる。

 

「……さて、と」

 

 我侭廊の突き当り。斗詩は襟を正す。

 辿り着いたのは、麗羽の私室であった。

 

 

***

 

 

 ひと息吸って、斗詩は無遠慮に扉を開いた。

 

「麗羽さま!」

 

 するとそこには人の気も知らないで、暢気に二人仲良くお茶しながら流行草子『美美』を覗き込む主と親友の姿が――、

 

「って、なんで文ちゃんまで一緒になってくつろいでるの!?」

「よお斗詩。あ、言われた通り麗羽さま見つけたよー」

「今報告!? もう、なんで見つけたなら連れて来てくれないの!」

「えー。だって探してって頼まれはしたけど、連れて来いとは言われてないし。それにさ、せっかく麗羽さまを口実に軍議から逃げられたのに、連れてったりしたら、あたいまで参加しなきゃいけなくなるじゃん?」

「文ちゃん自分に素直すぎだよお!?」

 

 道理で珍しく自発的に、麗羽さま探すの手伝う、とか言い出したわけだ。やられた。

 しかし、今はそれどころじゃない。不真面目な親友のことは後にして、まずは主をここから連れ出すことが先決だ。

 

「と、とにかく麗羽さま! 皆待ってますから行きますよ!」

 

 が、麗羽は未だ草子を読みふけり、

 

「嫌ですわ。どうせいつもの地味で退屈な軍議なんでしょう? そういうのは斗詩にお任せしますわ」

「何言ってるんですか! 緊急ですよ! き・ん・きゅ・う! 参加してもらわないと困りますって!」

 

 斗詩は上の空の麗羽から草子を取り上げ、バシンと強めに卓上に置く。

 麗羽はムッと不機嫌そうに目を細めるが、すかさず猪々子が、まぁまぁ、と間に入り、

 

「そう目くじら立てるなって斗詩。麗羽さまの地味嫌いは今に始まったことじゃないんだし」

「けど、今日だけはどうしても――」

「わかってるって。大丈夫。麗羽さまのことはあたいに任せな!」

「文ちゃん……」

 

 猪々子はドンと自分の胸を叩き、耳元に顔を寄せると小声で、

 

「だからさ、ここは一端、麗羽さまと二人っきりにしてもらえないか?」

「え、二人っきりに……?」

「うん。そっちの方が話がし易いっていうかさ。ほら、麗羽さまってすぐ意地になるじゃん? だから斗詩にはとりあえず先に行ってもらって軍議を進めといてもらう方がいいかなって。なぁに麗羽さまはあたいが必ず連れて行くからさ」

「……そっか、わかった。じゃあここは文ちゃんに任せて――」

 

 と簡単に猪々子を信用するほど、斗詩も能天気ではない。

 斗詩は大きく目を見開き、

 

「って、なるわけないよね!? もう騙されないんだから! どうせ今度は、いつ連れていくかは言わなかった、とかいって、軍議が終わってからくるつもりでしょう!?」

「たははー、ばれたか!」

「バレバレだよ! もう文ちゃんのバカ!」

 

 うわーん斗詩がこわーい、とか嘘泣きする親友は完全に無視した。

 二人とも誤魔化しと屁理屈だけは一級品だ。いちいち付き合っていたら切がない。斗詩は毅然とした態度を崩さず、

 

「なんと言われようが誤魔化されませんから! ほら、行きますよ!」

 

 その様子にさしもの二人も何か感じ入ったようで、こちらには聞こえぬよう何やらヒソヒソと耳打ちを始め、ややあってから、

 

「……わかりましたわ」

「えっ!? そ、それって……」

 

 ひょっとして熱意が伝わった!? ――なんてことはやっぱりなく、何故かこちらを憐れむように微笑む麗羽は言う。

 

「まったく斗詩ったら。先ほどからやけに騒々しいと思えば、この前のことをまだ拗ねていらしたのですわね? もう、少し仲間外れにされたくらいでムキになって。案外、子供なんですから。猪々子もそう思いませんこと?」

 

 猪々子は、うんうん、と大きく頷き、

 

「でもそこが斗詩のかわいいところなんですよ麗羽さま」

「――か、勝手に変なまとめ方しないでよ! だいたい、いつ私が拗ねたんですかあ!」

「まぁまぁ、大丈夫だって斗詩。あたいはちゃーんとわかってるから。斗詩は寂しかったんだよな? 悲しかったんだよな? それにほら、黒すけは男だし。もしかしたら私の麗羽さまを取られちゃううう、とか心配で、それで陰湿ていうか小姑っぽい嫌がらせに――」

「文ちゃんは本当に黙っててってば!!」

 

 うわーん斗詩が冷たーい、とかぐずり始める親友は捨て置く。少しだけ悪い気もするが、後で甘味を与えればきっと平気だろう。それよりも今はこの好機を生かそうと斗詩は思った。

 色々と酷い誤解含みではあるが、わざわざ向こうから本題に触れてくれたのだ。なら、ここは敢えてその流れに乗り、

 

「麗羽さま」

「な、なんですの? 急に怖い顔をして」

 

 斗詩は冗談や戯れを一切排除した、真剣な眼差しで問うた。

 

「あの約定のことを覚えていますか?」

「約定? ええっと、わたくし、斗詩と何か約束事をしていましたっけ?」

「いいえ。私とじゃありません。彼と、張郃(ちょうこう)さんと交わした約定のことです」

「張郃……、あぁ、あの」

 

 張郃。字は儁乂(しゅんがい)

 出身は冀州河間郡で、反董卓連合の後、前冀州刺史・韓馥の推挙で屯長に就任。背はやや長身で、細身。性格は至って勤勉で、周囲の評判は上々。部隊兵からの信頼も厚く、身につける衣装が黒一色という悪趣味を除けば、優等生を絵に描いたような男だった。――ただし、それもつい先日まで話だ。

 男はあの日を境に突如として、隠していた野心を露にしたのだ。

 

「確か、易京攻略の暁には然るべき役職を用意してほしい、とかいうアレのことですわね?」

「はい」

 

 あれは韓馥の来訪日のことだった。

 韓馥は先代より袁氏に仕える忠臣で、以前、麗羽が就任していた渤海太守の上役にもあたった縁深い人物である。後にその冀州刺史の職を麗羽に譲り彼女自身は一線から退くことになるが、それでも二人の交流は以前と変わらず続いており、あの男はそんな関係を利用した。

 当日、韓馥の先導役を務めたのは張郃だったのだ。彼は本来なら覗き見すら叶わないだろう天上人の私室に案内人として足を踏み入れ、一礼から退室までの瞬刻、本来なら声を発する事も憚れる場で平伏もせずに大言壮語をぶち上げる。

 彼は言った。

 自分には一週間で易京を陥落させる策がある、と。しかも兵士、糧秣、支度金の供出は必要なしに、だ。

 そのあまりにも大胆な行動と発言に、一瞬、皆が時を失いかけ、しかし、いち早く反応を示したのは、たまたま部屋に居合わせた猪々子だったと聞いている。

 猪々子は"そんだけの大見栄を切ったからには、それ相応の覚悟があるんだよな?"と恫喝を込めて問う。が、張郃は微塵も気おくれを見せず、それどころか不敵に笑ってこう答えたらしい。

 "生憎と私には失敗の覚悟などまったくありません。ですが、己の策に殉じてもいい程度の自信なら掃いて捨てるほどあります"と。

 直後、以前より彼を買っていた韓馥は"ぬしは大した自信家よな"と手を叩いて大笑いし、事の重大性を認識していない麗羽も張り合うようこれに追従。不遜極まりない越訴はまかり通ってしまい、すかさず張郃はあの約定を取り交わして部屋を後にした。

 この時、斗詩は別室で文官たちとの会合に臨んでいたため、ことの次第を聞かされたのはさらなら後。知った頃には既に張郃の姿は宮城になく、そのため本人から事情を聴取することも、策とやらのあらましを検めることも出来ず仕舞い。もっとも、これ以上この件を追求しようとする声も他になかった。

 それは、そもそも軍の必要もなしにあの要塞を一週間で攻略するという、彼の発言の荒唐無稽さ故。誰もが咄嗟の狂言だろうと軽視し、悪い意味で麗羽に仕える者は騒動に慣れていたのである。だから張郃が本当に易京へ攻め上るなどとは誰も考えず、どうせ今頃、後悔の逃避行中だろうと高を括った。

 

「けれど、わかりませんわ。斗詩はどうして今頃になってもまだあのような茶番を気にしていますの?」

「いいえ麗羽さま。あれは茶番なんかじゃなかったんです」

 

 ただひとり、斗詩だけを除いて。

 斗詩は違った。いや厳密に言えば、あの時点では周囲とさほど大差なかった。しかし、何事にも慎重を期す性格の斗詩は、念のためにと張郃について探りを入れる。

 具体的には、彼の人となりを知るであろう者から、急ぎ聞き取り調査を実施。そして、集められた報告からは思いも寄らぬ事実が判明した。

 ないのだ。

 彼には不審な点がまったくない。それも二百を超える報告の中に、悪い噂はおろか彼に()()()()()()()()がひとりもいないという異常な完全さで、である。

 古今より、たとえどんなに高潔な聖人であろうと、これを嫉み嫌う者がひとりやふたりいるもの。むしろいない方が不自然とも言える。所詮、万人に愛されるなどという現象は、建前上かそれこそ絵空事の上でしか成立し得ないものだろう。

 だというのに、張郃という男は親類縁者に始まり、故郷の知己、職場の関係者、果ては近所の顔見知りに至るまで、およそこれまでの人生で関わりあったすべての人間から好意を持たれていたのだ。いくらなんでもこれは不自然すぎる。

 ゆえに斗詩はこの報告を何らかの作為があったと見なす。

 事前に不都合な証言を隠蔽したか、あるいは、報告書そのものを改竄したのか。いずれにしろ、彼は非常に用意周到な性格で、突発的に奇行へ走るような男ではなく、なおかつ、秘匿しなければならない過去があった、とこれを読み解く。

 不審の材料はそれで十分だった。斗詩が張郃の本格的な捜索を指示したのは数刻前のこと。が、その矢先。彼の行方に関する情報はあっさりと見つかることになる。

 つい先ほど、幽州方面の国境守備隊から早馬の報せが届いたのだ。

 緊急軍議が開かれるのもそのためで、その内容とは、

 

「……昨日、幽州との国境付近で易京方面へ向かう黒尽くめの一団が確認されたそうです」

「黒尽くめ?」

「はい。数は二千ほど。おそらくですけど、張郃さんが関係していると思います」

 

 ここまで聞けば、さすがに麗羽と猪々子の目にも幾ばくかの真剣みが宿る。だが、それもあくまで多少興味を引いた程度のもの。

 

「へえ。逃げたんじゃないんだ。やるじゃん黒すけ」

「そうですわね。ただのホラ吹きかと思っていましたけど、心意気だけは本物だったようですわ」

 

 とまあ、依然として二人の感想はその程度のものだ。

 まさか易京が陥落するとは夢にも思っていないし、そんな彼の行動が大勢に影響を及ぼすとは考えもしない。

 ところが、実際には影響大あり。ことはそう単純な話ではない。

 まず彼が二千もの軍勢をどこから集めたのかが焦点のひとつだ。

 彼の地位はたかだか屯長。管理していた部隊員は五百にも満たない。その上、かの部隊からは誰ひとりとして同調者が出ていないことを確認済みとあらば、彼は己が領分を大きく超えた軍勢をどうやって得たというのか。さらに思考を推し進めるなら、裏の協力者は如何なる勢力なのかを疑うべきだろう。

 それに関連して、もうひとつの焦点が今回の進攻が明らかに義に劣る点である。

 これまで公孫賛とは何度も小競り合いを繰り返してきた経緯はあるものの、未だ本格的な開戦にまでは至っていない。双方、互いを憎しとわかっていても、表面上はあくまで中立を保っている。それを盗人猛々しく宣戦布告もなしに侵略したとなれば、義は公孫賛の下に転がり込むことになる。

 何より、これでは我が軍は賊徒のごとく他国を侵略しますと喧伝しているようなものだ。周辺諸侯に対する印象が悪すぎる。そのあたりの対処については今後の軍議でも大いに議論がなされるであろうが、仮に張郃の独断と無関係を貫くにしても、彼が生きて捉えられ、麗羽との約定の存在を知られれば政的利用されるのは目に見えている。そうなれば、いよいよ苦しい立場に追い込まれるやもしれず、延いては名門袁家の信頼失墜に繋がり、今は袁家に恭順的な勢力でさえ反旗を翻す危険性まである。最悪の場合、董卓がそうであったように、大義の名の下、大包囲網を形成されかねない。それだけは絶対に避けなければならない事態だった。

 

「だから納得したなら行きますよ、二人とも」

 

 斗詩は焦燥を隠すため、努めて明るく呼びかける。

 

「今日の軍議はきっと長くなりますから、今のうちにしっかり覚悟しておいてくださいね!」

「「えー」」

 

 清々しいほど不貞腐れる二人の背を押しながら、斗詩は不意に視線を落とした。

 それはある種の予感。おそらく今回の一件は大陸に吹く新たな風となるだろうという思い。果して、その風が大陸に住まう者とっての吉兆であるのか、はたまた凶兆であるのかはわからないが、ただ、胸には言い知れぬざわめきがある。

 ならばこそ。この先にどんな未来が待ち受けていようとも二人だけは守ってみせると斗詩は密かに誓う。

 ――必ず……!

 だが、皮肉なことに斗詩は既に大きな失策を犯していた。

 誰よりも注意深く事を進めてきた斗詩でさえ見逃していた。

 実は張郃の部隊から逐電はあったのだ。ただし、それは者ではなく物。袁家の旗幟が数本持ち去られていたのである。

 この後、軍議は日が落ちてもなお続くほどの長時間に及ぶことになる。しかし、翌日にはそのすべてが水泡に帰そうとは、この時はまだ知る由もなかった。

 

 

***

 

 

「――誰が手を止めていいと言った! ひとりでも敵が立ちはだかる限り、休まず矢を射掛け続けよっ!!」

 

 戦場に星の檄が飛ぶ。いつも冷静な彼女には珍しく、その端正な顔立ちを苦々しく歪めて。

 無理からぬことだ。今、目の前にある現実は大幅に常軌を逸している。理解の範疇を超えている。

 自陣のどこからともなく、当惑の声がした。

 

「ふ、普通じゃねって、こいつら」

「なんなんだよ、これ」

「こんなの……、戦じゃない!」

 

 兵士たちの動揺は計り知れない。が、それは星とて同じだ。この光景をどう判断していいかがわからない。この行動になんの意味があるのか検討もつかない。

 ただただ、人の命がなんの感慨もなく、事も無げに打ち捨てられていくのだ。

 彼らは隣の者がどれだけ無残に崩れ落ちようとも誰ひとりとして声を発することもなく、喉元を矢尻に貫かれおびただしい鮮血が宙を舞おうとも顔色ひとつ変えず、いくら仲間の血で大地を赤黒く染めようとも無関心を装っている。鉄仮面のごとく表情を凍りつかせ、声も、感情も、熱もなしに、しかし、不退転の意志だけを残して屍へと変わり果てていく。

 無抵抗の徹底抗戦とでもいうべきか。

 一方的な命の蹂躙は狩ですらない。もはやこの戦場には、戦の矜持や武の誇りなどありはしない。ただただ、無意味な死が繰り返されていくだけ。自らの武に一寸の曇りもない星でさえ、この殺戮には胸糞の悪さを禁じえない。

 さりとて、殲滅は主命の内。どんなに気乗りしなかろうと動きを止めるわけにはいかない。

 鈍りかける攻勢に、星は再びがなり立てる。

 

「まだだ! 敵は生きている、矢をつがえよ! 矢筒が空になるまでひたすらに打ちだせ!」

 

 向けどころのない憤りが滲む声は、不気味に静まり返った戦場へ飲みこまれるように溶けていく。いったい何人の兵士が今の命令に納得できただろうか。それでも弓は引かれ、矢が放たれ、人が死ぬ。

 呆気なく新たな骸が地面に転がり、その度、こちらの熱まで奪われていくような感覚に襲われた。

 

「っ」

 

 もしこれが玉砕覚悟で突撃してくる者たちなら、ここまで思い悩むこともなかっただろう。敵の死様に見事と賛辞を贈ることはあっても困惑などなかった筈だ。

 あるいは、もう許してくれと逃げ惑う者たちであったなら、憐憫の葛藤で心を痛めることはあるにせよ、震えるほどの不快感を抱く事はなかっただろう。

 しかし、現実として目の当たりにする光景は不可解な死。彼らは何を思い、何に殉じ、何のために散っていくのか。

 既に半数近い同士を失いながらも、ここから一歩たりとて退かぬと、まるで巣穴の我が子を命がけで守る獣のような振る舞い。そこに何の意味があるのか。

 もう見たくない。早く終わってくれと誰もが願った。たったの二千と侮っていた敵兵が今になって凄まじい数にも思え、星の脳裏に『こいつら気持ち悪い』という鬼灯からの伝令が不意に過ぎる。

 

「――――」

 

 その瞬間、悪寒が背筋をぞろりと撫でた。

 思考の端にわずかな引っかかりを覚えたのだ。

 失念と言ってもいい。星は戦端をひらく直前まで確かに疑っていた。敵の行動には裏がある筈だ、と。

 だが、無抵抗の死という慮外の事態に直面し、いつの間にかそのことばかりに目を奪われ、そればかりか、敵の心境を慮るかのように憤ってすらいた。

 気持ち悪い。そう、気持ち悪いのだ。敵の不可解に、ではない。あれだけ裏があると疑っていたにもかかわらず、今の今まで敵の死が無意味だと思い込んでいた己の不可解に対してだ。

 急速に思考が氷解を始める。

 

「……そうだ。そも、奴らはなぜ何の行動もしない? 時間も機会もあったはず。にもかかわらず進みも退きもせず、……いや、動けなかったのか? 巣穴を守る獣はそこから離れられぬのと同様に、奴らはそこを守って――」

 

 と、そこまで思考が至ったところで、星はある可能性に気づく。

 逆だ、と。

 釣り出されたのは自分たちではないのか。この場合、巣穴とは易京、立ちはだかる獣は星や鬼灯、守るべき子とは白蓮を指すのではないか。そちらの方がよほどしっくりくる。

 つまり、敵の無抵抗は単なる時間稼ぎ。こちらをこの場に釘付けにするための囮。だから時が稼げない玉砕は選ばず、ややもすると巣穴に戻られかねない逃走も彼らは選ぶことが出来なかった。その場にとどまり、心を殺して時を待っていたのではないか。

 しかし、そうなると星にはどうしても解せないことがあった。

 邪魔者を巣穴から遠ざけ、時を稼ぐ理由といえばひとつしかない。子の奪取、すなわち本拠強襲だ。そこまではいい。

 問題なのは、どうやってそれを成すかだ。周辺には兵を伏する場所はなく、また、敵増援の知らせはどこからも届いていない。少なくとも易京一円に他の軍勢は存在しない筈だ。ならば、如何にして子を奪うのか。しかも易京はただの巣穴ではない。五重の大城壁と百の城楼が行く手を阻み、城内には三万強の兵が詰めている。仮に奇襲を成功させたところで、白蓮の下に到達するのは並大抵のことではないだろう。これでは最後の最後で辻褄が合わない。

 

「……どうするつもりだ?」

 

 わからない。すべては杞憂なのかもしれないと気弱な迷いも脳裏をかすめた。が、星とて同じ轍は二度踏まない。

 塞ぎがちだった身を起こし、星は大胆にも考えることを一切放棄。わからぬものはいくら考えてもわからぬときっぱり開き直り、

 

「――打ちかたやめえい! もはや趨勢は決した。一気にかたをつける。全軍抜刀! 突撃用意!」

 

 そして、この判断は正着の一手だった。この時、敵軍は星の読み通り、反抗の刻を待っていたのである。さすがにそれがいつ、どこで、どのような形で成されるかまでは看破出来なかったものの、まず眼前の敵を排除しようという選択はまさしく英断だった。ただし――あと少し早ければの話だ。

 号令一気。星が龍牙を振り上げ、全軍突撃を敢行しようとした、まさにその時、それは起こった。

 

「「!!!!」」

 

 後方から腹の底にずしりと響く強烈な地鳴りが、なんの前触れもなく全軍を襲う。

 星は慌てて突撃を中断し、その元凶へ視線をおくるが、

 

「――なっ、い、一体、なんだあれは!?」

 

 驚愕の先。それは誰がどう見てもただことではない。本来なら堅牢な易京城があるはずの景色に、莫大量の砂塵が舞い上がっている。狼煙のように立ち上る砂の雲煙は城壁の高さを優に超え、城塞の半ばを覆い隠すように包み込んでいるのだ。

 星はほとんど無意識で手綱を引き、易京へと馬首を返そうとするが、

 

「お、お待ちください、趙雲将軍! て、敵兵が!」

「なにっ」

 

 傍らの兵士の言葉に慌てて視線を戻せば、そこには一本の白銀が瞬いていた。

 黒の集団の中央から挑戦的に突き立てられる剣。おそらくあれが敵軍の指揮官なのだろう。目許だけ残して顔を黒頭巾で覆った小柄な人物の剣に合わせ、敵はついに自らの呪縛を解こうとしていた。

 文字通りの反撃の狼煙を前に、不動に徹していた者たちがここに動く。

 進軍だ。

 不気味なほど揃った足並みが屍を踏み越え、手負いの身で血だまりの中を力強く踏みしめる。と同時に、敵陣の奥より数本の旗幟が掲げられた。

 黒の行進にあって、滑稽なほど鮮やかに浮かび上がる山吹色。躍る文字は袁の一字。それは紛れもなく袁紹麾下を示すもので――、

 

「な、なんだと!? 賊ではないというのか!!」

 

 この瞬間、戦場の前提は根底から覆されたことになる。

 軍量も。時期も。敵の動機も。出現の不可解さも。何もかも。袁紹軍ではないとしてきたこれまでの論拠が非現実的な現実を前にして粉々に崩れ去る。

 

「まんまと、してやられたわけか……!」

 

 星は脳髄に鈍器で横殴りされたかのような衝撃を覚えた。事ここに至れば、すべてが今に誘引するための偽装だったことは明白だ。

 己が不明を悔いる瞳には普段の美麗さとは程遠い過激な気炎が宿る。激情に身を焦がし、龍牙を握る手の震えが止まらない。

 常山の龍は猛っていた。

 逆鱗に触れた者を決して許しまじ。汚名を雪ぐためにもそのすべてを討ち果たさん、と。

 しかし、

 

「――――」

 

 星は逸りに任せることをよしとしなかった。歯を食い縛り、ギリギリで感情に抗う。星をして将たらしめるものが瀬戸際で蛮勇を踏み留めさせる。

 泰然自若。人を食ったような深い洞察力こそが星の武器だ。ゆえに、わかっていた。

 敵がここにきて旗幟を掲げた意味も。敵が偽ることをやめた事情も。ここから先、わずかな失着で滅びへ直結することも。

 迫る敵兵を睨みつけながら一度だけ大きく息を吐き、星は声を上げた。

 

「皆のもの、うろたえるな! まずは落ち着いて隊列を整えよ! そして、敵の正体も易京の安否も、――我らが案ずる必要はない!」

 

 小さくはないどよめきの中、構わず続ける。

 

「よいか? 敵が何者であろうと、いかな策を弄しようと、易京には白蓮殿と薊の指揮する三万もの軍勢がついている。さらに我らの後詰には鬼灯が率いる部隊もあるのだ。確かに易京の異変は軽々に捨て置けるものではない。が、しかし、それは彼らに任せておけばよい。ならば――」

 

 ならば、

 

「我らは、あの見事な敵を討つ! あの者らをこれ以上城に近づけな! 今ここで眼前の憂いを断ち切るのだ!」

 

 言うが早いか、今度こそ星の身は風に弾ける。

 馬の腹を蹴りつけ、龍牙を振りかざし、

 

「白き烈士たちよ! 私に続けええええええ――――ッ!!」

「「おおおおおおおおおおお!!」」

 

 鬨の声を引きつれて戦場の踊り子が先陣を切った。

 突き進む。

 精悍な男たちが後に続き、あっという間に、荒ぶる騎馬の奔流は歩兵の堰を押し流すように飲み込んだ。

 

「――寄らば斬るぞッッ!!」

 

 星が狙うは陣奥に消えた敵軍の指揮官ただひとりだ。

 雑踏の中で素早くその位置を目算して一気呵成。人馬一体の突進力を加えた龍牙の一撃は、常人の刃では交えることも許されず、進路上に居合わせた運なき者たちを瞬く間に切り伏せた。

 紅のしぶきが後塵を縁取る彩りかのようにほとばしる。

 一重、二重、三重と龍の牙は人の壁をいとも容易く食い破る。四重、五重、六重と鈍るどころか、より鋭さを増しながら。そうして視界と障害を切り開き、ついに標的を肉眼に捉えた星は、手綱を左手で何重にも巻き取り固定し、上半身を半ば宙へ投げ出すよう右に傾けると、右腕を弓につがえた矢のごとく目一杯引き絞り、

 

「貴公がこの軍の将とお見受けした! わが名は趙雲、いざ尋常に――」

 

 勝負!! という掛け声と同時。繰り出された必殺の刺突は一筋の紅光と化す。

 およそ人間業とは思えない一撃。しかし、戦場には激しい金属の衝突音と火花が舞い散る。さすがに敵も指揮官たる者だ。不可避と思われた一撃に辛うじて刃あわせていた。

 が、星の武技はさらにその上をいく。

 止まらない。

 刹那を刹那で刻む交叉の最中、龍の顎は鋼の刀身をか細い枝木のごとく粉砕する。さすがに槍先の軌道はわずかにぶれたが、それでも切先は右胸に届く。漆黒の皮鎧を裂き、肉を深く抉る確かな感触が槍を掴む手に伝わった。

 直後、敵将の身体が武威の高波に飲み込まれ、藻屑のように後方へ吹き飛んだ。

 

「「――う、うおおおおおおおおおおお!!」」

 

 後続の大歓声がその背に押し寄せる。

 星にも十分な手応えがあった。もはや手の届かない位置で転がる敵将には一瞥もくれず、素早く部隊を転進。深く突き刺した刃を返すように敵陣を削り取る。

 雌雄は決す。

 指揮官を失ってもなお、嘆きのひとつ出てこないこの敵は見事としか形容しようもないが、それでも遠からず瓦解が始まるだろう。

 ここから先は掃討戦となる。そう次の展開を読む星は、離脱から再度の突撃に備え、改めて馬首をめぐらす。

 が、そこで目にする光景は、またも彼女の予測を大きく裏切るものだった。

 

「なっ――」

 

 瞠目の瞳に映るもの。それは栓を失った胸からトクトク血を流しながらも、ゆるりと立ち上がる女性の姿。

 転倒の際に破れたのだろう。大きく裂けた黒頭巾からは波状に輝く銀髪を陽光の下にこぼし、露になったその素肌は病的にまで青白く、黒衣と織り成すその陰陽は、少年にも見えた容姿も相まって幻想的でさえあった。

 

「そ、そんな……」

 

 勝利の歓声は戸惑いのざわめきに変わっていく。兵士たちの表情には動揺が色濃く浮かぶ。星の強さをよく知る彼らには、およそ受け入れがたい光景だったのだろう。

 星とて自らの武に欺かれたような感覚に混乱は小さくなく、しかし、彼らが真に驚くべき事態はここからだった。

 

「お、おい……」

「じょ、冗談だろ!?」

 

 幻想的な女が砕けた剣をこちらへ向け、おもむろに振るっていた。

 黒は進む。

 今の正面衝突でさらに戦力を二割は失っただろうに。圧倒的な力量差をまざまざと見せつけられただろうに。それがどうしたと言わんばかりに。

 彼らは怯んで退くどころか勇んで間合いを詰めてくる。

 

「馬鹿な……」

 

 その異常な光景に、星を覆った感情は奇形の生物を見たときのそれに近い。

 薄気味悪い。得体が知れない。出来ることなら触れたくない。そんな潜在的忌避の情で思わず二の足を踏んだのはこちらの方だった。

 訪れる一瞬の傍観。

 と、突如、その間隙を切り裂くように無数の風切り音が空に鳴った。

 

「――あ、あれは」

 

 矢の雨だ。

 遙か後方に控えていたはずの左軍がいつの間にか敵軍の右前方に回りこみ、騎射をしかけながらこちらに向かってくる。その射幕に黒の進軍は鈍り、程なくして、

 

「なにボケかましてんだよ!!」

「鬼灯、何故ここに……?」

 

 疑問はもっともだ。鬼灯ならば白蓮の身を案じ、一も二もなく、たとえ味方を見捨てる形になろうとも部隊を返すと思っていた。それがまさかこちらを手助けするよう動くとは思いもよらず、だが、裏を返せば白蓮至上主義の鬼灯をしても、それを後回しにしてでも優先しなければならないだけの独自理論(かん)が働いたのだろう。

 案の定、すぐに鬼灯はおかしなことを言い始めた。進軍を再開した黒の一団を何か含みのある表情で見つめながら、

 

「……軍団長命令だ。今すぐ全軍退く。ついてこい星」

「全軍だと? まて」

 

 鬼灯は止まらない。馬上から全軍へ退却の指示を飛ばし、星の呼びかけを無視するように駆ける。

 

「どういうつもりだ鬼灯!」

「…………」

 

 答えのないまま、白馬義従は易京を目指して後退を開始した。

 

 

***

 

 

 一方、二人が向かう易京でも深刻な問題は生じていた。

 それはつついた蜂の巣さながらの大混乱。あの瞬間、聞こえたものは大気を破断する雷鳴にも似た轟音。感じたものは宮城全体が揺れるほどの激震。天変地異に襲われた易京では瞬く間に恐慌が蔓延し、直後、目にした光景が一同の悲鳴すらもかき消すことになった。

 そこには黄砂の大煙幕が窓枠を型にして切り取られていたのである。

 外界は粉塵一色。様子を知ることもあたわない。目隠し同然の状態に城内の者は総じて大きな不安に駆られ、無論、それは袁紹軍・軍師という立場にある者とて同様だった。

 いや、むしろ、彼こそがこの未曾有の事態に際し、もっとも危機感を抱いていただろう。軍師という役職上、常に最悪を想定するのはその役割のひとつ。薊の脳内には考えうる最悪の筋書きが構築されつつあった。

 しかし、彼はそんな陰気をおくびにも出さず、青ざめる主人の隣にただ侍る。

 この非常時に、現状把握もままならぬまま、軽挙妄動な行動を起こすわけにはいかない。そんなことをすれば混乱に余計な拍車をかけるだけだ。今は部下たちに状況確認を急がせ、脳内での作業を進めるのが最良。そうしていずれ集まる情報と描いた想定をかけ合わせれば、より現実的な危機も察知できる。今の彼に出来ることはそれだけだった。

 と、そこへ。

 

「も、申しあげます!!」

 

 待望の情報をもたらすべく、ひとりの兵士が謁見の間に飛び込んだ。

 兵士は玉座に駆け寄ると膝を折り、

 

「いっ――、一大事です!!」

 

 が、薊は即座にそれを、まて、と遮り、

 

「そう声を荒げるな。状況の深刻さは城内の騒然で十分知れよう。ならばそこに報告者の昂揚はまったくもって不要だ。伝令は客観性と正確性を旨としろ」

「も、申し訳ありません……」

「わかればいい。それで、あの中はどうなっていた?」

 

 薊が指差す"あの中"とは、当然、砂塵幕の内側だ。

 伝令兵は、はい、と静かに受け答え、

  

「それが、まことに信じ難いことなのですが、大城壁の一部が崩落した模様です……!」

「「――――」」

 

 その報告に、広間は緊張とざわめきで溢れ返る。

 難攻不落の易京城塞。その象徴たる大城壁が崩れたとあっては動揺は免れない。あの城壁を建造するにあたって、どれだけの時と資金と労力が必要だったかは周知の事実だ。何より、そこに込められた君主の思いを皆は知っている。

 狼狽の狭間にはいよいよ悲壮感すら漂い始めた。

 

「ふむ」

 

 しかし、薊だけはこの雰囲気にもなんら飲まれることなく、冷静に淡々と事実を受け止めていた。

 薊にはどうしても確かめなけばならないことがあるのだ。己が描いた最悪と現実のすり合わせを行うためには。

 寸刻の思考の後、薊は伝令兵に問う。

 

「崩落は一部と言ったな。それは具体的にどこが崩れた? 何段だ? 損失規模は?」

「……はい。崩落は南の大手門から一直線上で、五段すべてに及んでいます。被害は早期復旧がとても見込めないほど甚大で、現在、易京城塞は外部に大口を開いているような状況です」

「そうか」

 

 再び高まるどよめきを無視して薊は頷く。

 今の報告によって明らかになったのは三点だ。

 ひとつ。易京を襲った変異は偶発的な事故や天災などではなく、明確な意図に基づいた攻城であること。

 ふたつ。城壁を破ったからには続く進攻の手筈が既に整っているだろうこと。

 みっつ。以上から今回の敵が"賊くずれ"などであろう筈がないこと。

 そして、いみじくもそれは想定した最悪にほぼ合致。薊の決断は早かった。

 

「――白蓮。今すぐ近衛兵を連れて城を出ろ。向かう先は北の易城がいいだろう。急げ」

「は、はあ? 待ってくれよ。城壁が壊れたくらいでいきなり城外に脱出っておかしいだろ? 鬼灯と星だってまだ戦っているっていうのに……っ、ま、まさか、薊は二人が負けるかもしれないっていうのか!?」

 

 薊は深く頷く。

 

「そうだ。より正確には、この戦、当初に描いていた我らの勝利はもはやどこにもない。ゆえにこちらもまず敵方の勝利を排除するのだ」

「……は? 勝利がない? 勝利の排除? ど、どういう意味だよ?」

「まったく。惚れ惚れするくらいの凡才ぶりだな」

 

 とはいえ周囲の者も、うっ、と唸る白蓮同様に困惑気味だ。

 薊は努めて普段通りに言葉を続ける。

 

「いいか? そもそもこの戦は賊軍を相手取り、いかに圧倒的な戦果を得るかが問われていた。勝つのは当然。重要なのは勝利に至るまでの過程。なにせ敵はたったの歩兵二千で、対してこちらは騎兵含みの四万だ。どこぞの凡人が何も考えずに指揮しても圧勝しそうな戦力差なのだからな」

「ううっ」

 

 白蓮が恨めしそうにこちらを睨んでいる。

 薊はまったく意に介さず、その瞳をしっかり見つめ返し、

 

「なら、もしそこでわずかでも苦戦すればどうなると思う? 最終的に敵兵をひとり残らず殲滅したとしても"公孫軍は数だけの無能集団"という謗りは免れぬだろうな。まして物の見事に城壁を潰されてしまった今、対外的な評価などとうに挽回不能。つまり凡人君主は新たな凡称号を得たと言うわけだ。ははは、喜べ」

「じょ、冗談言ってる場合か! それに今の話じゃ、やっぱり私が逃げるのは駄目だろう! 恥の上塗りっていうかさ、そりゃ確かに挽回は難しいんだろうけど、だったらせめて――」

「やめておけ」

 

 これまでとは少し違う緊迫感を声色に乗せ、何故、と食い下がる白蓮に薊は言った。

 

「そのやる気は方向性が間違っている。というより、今言ったのは敵が賊軍ならばの話だ。いくら平凡王とはいえ薄々感づいているのだろう? この敵は黒山の残党などではない、と」

「――――」

 

 白蓮の顔色があからさまに強張る。おそらく、気づかぬフリをすることで避けていた現実を突きつけられ困惑したといったところだろう。

 

「まったく。君主が臣下に容易く心情を気取られてどうする? まあいい。ともかく、この進攻は賊の手によるものではない。どこの誰かは謎だがな」

 

 とはいえ、ある程度の見当はついている。この目的遂行のためには死兵をも厭わぬ徹底した用兵術には心当たりがある。黄巾党の乱において、味方の部隊もろとも敵拠点と兵糧を焼き払い、たったの千で黄巾軍二万を見事に打ち破ったあの奸雄に重なるものがあるのだ。

 もっとも現段階では本当に曹操軍の関与があるのかどうかは定かでない。

 わかっていることは、敵が曹操と同等の切れ者で、少なくとも袁紹軍ではないということだ。

 かの軍にも切れ者はいくらか存在するが、君主袁紹を筆頭にこういった冷徹な策は嫌う傾向にある。いずれにしろ、不確定な憶測で不安を煽る必要はない。薊は敢えてそれを伝えようとはせず、

 

「それよりも今後重要なのは、いかに我らが敗北を回避するか、だ」

「敗北の……、回避?」

「そうだ。いいか? 先程も言った通り、この戦は前提から覆され、既に我らの勝利は存在しない。では逆に我らの敗北とは何か。凡人君主に問おう。それは星や鬼灯が敗れることか? それとも多くの将兵を失うことか? あるいは難攻不落の城塞が陥落することか?」

「そ、それは……」

「どれも違う。そんなもの些事にすぎん。我らにとっての敗北、それはたったひとつ」

 

 薊は白蓮の心許ない瞳を真正面から見据えて断言した。

 

「――お前だ、白蓮。お前が死ねばその瞬間が我らの敗北となる。兵や将や城なら後からいくらでも代えはきくが、お前だけはどうにもならない。お前は自身のことを無価値なお飾りだとでも思っているのだろうが、生憎、我らにすれば唯一無二の御旗なのだ。たとえそれがどれだけ飾り栄えがなく、みすぼらしい御旗であろうと、な」

「薊……」

「そして、その一点こそが敵方の真の狙いであり、この戦における奴らの勝利。まず間違いなく、ここを目指してくるぞ」

 

 薊には確信があった。そう考えるとすべての疑問点が新たな一本線となるからだ。

 敵が正体を伏せ、城壁崩しという強力な秘策がありながらもわざわざ寡兵で忽然と攻め寄せた理由。それはこちらに準備をされたくなかったからに相違ない。

 簡単な理屈だ。

 もし敵が所属を詳らかにして相応な軍隊で進攻してきたのなら、こちらは迎え撃つための戦力を易京に集結させる。仮に幽州の各地より限界まで兵を集めるとするならば現在の倍には軽く膨れ上がろう。

 それは敵方にとって都合が悪かった。勝敗云々の話ではない。単純な確率の問題。全体の母数が増えればそれだけ()()()()()()()()が下がってしまう。

 加えて、敵方には大戦を起こすにあたりもうひとつの大きな懸念があった。いや、むしろこれが決定的な理由なのだろう。それは、大軍同士の決戦の最中では、城壁崩落の策が標的の早期撤退を誘発してしまう可能性が高いという点だ。寡兵相手ならば先程のように白蓮も即座の抗戦を主張するが、しかし、これが大軍相手となれば事情が異なり、より慎重を期すのが一般的だろう。撤退まではいかずとも後退の選択は十分にあり得る。混乱に乗じこの地で白蓮を仕留めようと考えるのなら、敵方にとってそれは最も避けたい事態の筈。

 

「ゆえに白蓮、一刻も早く城を出ろ。お前が戦地に留まることは、もはや、不利益でしかない」

「…………」

「おいおい。何もそこまで深刻そうな顔をすることもないだろう。色々と不安を煽るようなことを言ったが、これはあくまで万が一への備えだ。それに考えてもみろ? もし敵方に厄介な策がまだ残っていたとしても、鬼灯や星の率いる白馬義従がそう易々と敗れると思うか? あり得んな。あの性悪どもが大人しくやられっ放しになどなるものか。易京に関してもそうだ。城壁が破壊されたといっても所詮は一部。なら対処は簡単だ。城壁が崩れたのならば代わりに人垣で穴を塞いでしまえばいい。その指揮は私が執ろう。案ずるな」

 

 その言葉にようやく白蓮はわずかな安堵を見せ、

 

「……本当だな? 本当に鬼灯も、星も、薊も、その、大丈夫なんだよな?」

「ああ。何も心配はない」

「……そっか。よし、わかった」

 

 強がるように微笑む彼女を見て、薊は内心で毒づく。

 ――何が大丈夫なものか……!

 嘘だった。

 薊はわかっていた。事態が一刻の猶予も許されないこと、を。

 敵がいかにして城壁崩落を成したかを考えればわかることだ。この先、この地は()()()()()()()()()()()()大混乱の坩堝へと叩き落されるだろう。であるからこそ、視界が悪く敵方も身動きが取り辛い今を逃せば、おそらく打てる手すらなくなってしまう。

 主君の命運を成り行き任せにするわけにはいかない。なら嘘だろうが不義理だろうが一向に構わなかった。後でどんな咎めを受けようとも望むところだった。白蓮を守れさえするのならば。

 幸いにも白蓮はこちらの言葉を鵜呑みにして、退出を始めている。それだけがせめてもの救いだ。

 ――とにかく、これでひとまず……。

 ひと息の心弛び。唯一にして最大の憂いから解消されるという緩和の脱力。

 無意識で堅く握り締めていた拳を薊はほどく。

 心の構造上、否応なしに一拍の無防備が生じ、張り詰めていた集中力もほんのわずかに緩む。

 だが天運は非情だ。急転直下の事態というのは得てしてそういう瞬間に訪れるもの。白蓮を先導する近衛兵のひとりが大扉を開いたその時――、薊の嘘は最悪の形で露見することになる。

 

「!?」

 

 突き出していた。不自然に動きを止めた近衛兵の背中から。血に滴る凶刃が。

 広間には人の崩れ落ちる音が鳴った。

 

「――――」

 

 あまりにも突然の出来事に誰もが息を詰める。何が起きたのか。目の前の現実に思考が追いつかない。ただただ広がる血の侵食を呆然と眺めることしかできない。

 流れる血はじんわりと床を這う。じくじく、と。雪解けの水のように。あるいは、理解が及ばぬ者たちを急かすように。止まらない。止め処なく。どこまでも流出する。そうして膨張する紅はいつしか異物と触れる。

 それは真っ黒なつま先。真っ黒な脚。真っ黒な男。真っ黒な集団で――、

 

「っ、進入を許すなァ――ッ!!」

 

 遅い。薊の叫声は誰よりも早く惨劇に凍りつく広間を打つが、兵士たちの反応よりも先に黒衣の蠢きが一気に内部へ雪崩れ込んだ。

 抵抗らしい抵抗は何もできぬまま、薊たちは瞬く間に取り囲まれ、玉座の間は黒の兵士たちによって制圧されてしまう。

 完全なる後手。それでも薊は、

 

「くっ、円陣! 白蓮には指一本触れさせるな!!」

 

 と続けざまに指示を出し、呼応する近衛兵は薊と白蓮を取り込むように囲む。

 だが、そこまでだ。

 なんとか瀬戸際で仮初めの均衡を作り出したものの、趨勢は一目瞭然。こちらは動けない。敵は動かないだけだ。せめてここに星か鬼灯のどちらかがいてくれたなら、その武をテコにして、いかようにも状況を打破できただろう。しかし、この窮地には主君の命運を託せるほどの将も、敵兵を押しのけるほどの兵力もないのが実状だ。

 

「はっ。今朝は鬼灯を鼠、鼠と散々揶揄してやったが、まさか私の方が本当に袋の鼠となろうとはな……」

 

 吐き捨てるように自嘲をこぼしながら、薊は懐より短刀を抜く。剣の腕前などこの中で最低だろうが、ないよりはマシだ。運がよければひとりくらい刺し違えることは可能かもしれない。

 慣れぬ得物を握る手は無様に震えていた。

 

「……?」

 

 すると、そんな生死が凌ぎあう静寂の空間に、石床を叩く静かな足音が聞こえてくる。コツ、コツ、と。真綿で首を絞めるようにゆっくりと近づき大きくなる。

 やがてその足音も止まり、

 

「失礼します」

 

 寒気がするほど穏やかな声と共に、絶望の使者がついに姿を現す。

 衆目の先、周囲の敵兵と同じく漆黒を身に纏った男が慇懃に一礼する。

 

「お初にお目にかかります、公孫家お歴々の皆様。私めは袁紹軍、()()()を務めさせていただくことと相なりました張郃なる者にございます。以後お見知りおき……は、失礼、必要ありませんね」

 

 下げた頭をゆるりと戻すと、参謀を名乗る男は目深に被っていた頭巾を脱ぎ、

 

「皆様にはひとり残らずここで死んでいただく予定ですので」

「――――」

 

 露になったその顔には、この世でもっとも不吉な笑みが浮かんでいた。




あけましておめでとうございます。
24話読んでいただいてありがとうございます。
前回の投稿からほぼ半年……申し訳ない限りです。すいません!
昨年中は何かと忙しくてですね、はい。言い訳すいません!
ただ、更新がどれだけ遅くなろうと未完で投げ出すつもりはないので、こんな駄文の亀更新でよろしければ今後もお付き合いいただけたら幸いです。

さて、物語の方はというと、易京の戦いが佳境に。
原作というかゲームの恋姫ではこのあたりさっくり進んじゃうんで、白蓮の生い立ちなんかも含めてきちんと描いてみたかったんですよね。
次話ではその辺を掘り下げつつ、おそらく決着となると思います。とっとと書きます。

それでは感想、ご意見お待ちしてます。
今年もよろしく!
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