真・恋姫†無双 妄想伝   作:コイル

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第6話  痛み

「――ちっくしょおオオ!」

 

 一日の始まり。今日も元気に、相も変わらず空を飛ぶ男。椿との出会いから一週間が経つ朝である。

 変ったことと言えば、彼女の管輅邸に通う頻度が増したことと、一刀の受け身が上手くなっことくらいだ。

 

「ちっともマシにならんのぉ? 才気が毛ほども感じられん」

「うるさい。俺は大器晩成型なんだよ! もういっちょ!」

 

 付け加えよう。負け惜しみが増えたことを。

 典型的な捨て台詞の中に、せめてもの強がりを見せてはいるが、一刀自身、正直この先すぐにどうこうなるとは思っていない。近づいてみて初めて知る頂の高さだ。二人の実力差は登山に例えられるほど大きかった。

 ところが、意外にも一刀に悲観的な様子は見られず、長期戦も辞さない構えだ。まあ、もとより諦めるという選択肢が存在しないとも言えるのだが、それとは別に、いつか必ず一泡吹かせてやると粘っこい意地が感じられた。

 さりとて、気持ちだけでは何ともならず、

 

「ぎゃふんっ!!」

「やれやれ」

 

 夢見る一泡とはあと何千泡を喰った先にあるのか。

 頂は遙か雲の上。地べたに大の字、青空を拝む男にはまだまだ遠く、視界の端にも入っていなかった――。

 

 昼食後、一刀は管輅と共に平原の中心街へと足を運ぶ。

 平原にはこれまでも何度か買い出しのため訪れたが、南皮にも劣らず大きな街だ。活気も人も溢れ、数多の店が軒を構える。が、そこには明らかに南皮とは異なるモノを感じる。

 人々の冷ややかな視線だ。それは決まって管輅を向き、時には露骨な嫌味を言われることも。今日もさっそく一軒目の商店で味わってきたところだ。

 もっとも、その嫌われ者と現在進行形で、一つ屋根の下に暮らす一刀としては、やぶさかではない。

 街外れに好んで住み、他者との接触を嫌う偏屈老人。それだけで十分だろう。

 

「煙たがれる条件ばっちりだもんな」

「ん? なにか言うたか?」

 

 別にと誤魔化し流す視線。だが、そこで偶然捕らえた光景は、別にで済まされるものではなく。目の色が変わる。

 

「あれ……椿さんじゃないか!」

「……そのようじゃの」

 

 映るもの。それは三人組の男に絡まれる椿の姿であった。

 

 

***

 

 

「離してください。困ります」

「困りますじゃねーよ。ぶつかって来たのはてめぇだろ?」

「それはきちんと謝ったではありませんか。お願いです離してください……」

 

 ぶつかったと言っても、すれ違い座ざまに肩が軽く触れた程度のこと。相手は真昼間から酒の匂いを漂わせ、赤生地に黒の花刺繍がされた羽織を着る、見た目からしてガラの悪い男だった。

 ――困ったことになってしまった。女将に言い渡されたお使いもまだ途中だと言うのに……。

 きつく掴まれた腕。いくら振り解こうと引いても、ひ弱な椿の力ではとても払えそうにない。

 

「それが人に謝る態度かよ? ほんと、あの死にぞこないに関わりがある奴はろくなのいねーな」

「――――」

 

 椿は重々承知している。こういう輩に熱くなるのは逆効果。適当に謝っていればそのうち飽きて解放されることを。また、いつもそうしてやり過ごしてきた。

 それでも、その台詞は彼女にとって見過ごせるものではなかった。

 自分のことなら何を言われようがいくらでも我慢できる。しかし、自分の落ち度で管輅が侮辱されることだけは許せない。

 『死にぞこない』――彼女の優しい瞳に怒りが灯った。

 

「……訂……くだ……い」

「あ? なんだって?」

「訂正してくださいっ! 死にぞこないと言ったことを!」

「はあ? あはははは! 何を言うかと思えば、死にぞこないは死にぞこないだろ? あんな奴に媚び売りやがって、そういう態度がムカつくって言ってんだよ!」

 

 普段の彼女からは想像もつかない強い声だ。がやはり、その必死さは男たちの嘲笑を誘ってしまう。囲む二人の男も続いて笑う。面白がり、死にぞこない、死にぞこないと騒ぎ立てる。

 酷くなる侮蔑に椿の肩は小さく震え、見た男は赤い顔を突き出し、酒臭い口臭を吹き付けるように、死にぞこないと吐いた。

 途端――鳴る。笑い声を裂く頬打つ肌の音が。椿は反射的に男の顔へ平手をあびせていたのだ。

 笑いが消えた。

 

「……て、てめぇ女だからって優しくてりゃつけ上がりやがって!!」

「きゃっ!?」

 

 思いがけない抵抗に、顔が歪む男は掴む腕をギリッと吊り上げ、力任せに払い投げた。

 男の膂力だ。椿に為す術べはなく、舞い散る枯葉のように飛ばされる。

 勢いの強さに体の平衡感覚が保てない。彼女は恐怖に目を閉じ、ただ衝撃を待つだけだった。

 襲う制御不能の衝突。それは冷えた地面――の寸前、割り込んだ。

 

「――危ないっ!!」

「え……?」

 

 包まれる暖かさ。背中に感じる感触と聞き覚えのある声。椿は急いで見上げる。

 

「大丈夫、椿さん?」

「ほ、北郷さま!?」

 

 心配そうに覗き込む一刀だ。それもどこかいつもと違う、と椿は思った。

 確かに今までこんな間近の対面したことはなかったが、その真新しさを差し引いても、一刀を男らしく感じる。

 女ひとり、いくら気丈に振舞っていても見ず知らずの男に囲まれれば、不安も恐怖も当たり前に存在したのだ。その驚きと安堵感は異性の腕に抱かれているという事態も思考の外へ。単純に嬉しかった。

 

「いきなり現れて、なんだてめぇ? なんだその目は? あ?」

「あんたらこそ、女の子相手に何してるわけ?」

 

 しかし、それも束の間のこと。気がつけば、男たちの矛先があろうことか一刀へ向いてしまう。

 その恐怖は先ほどまでとは比べ物にならない。

 ――このままではいけない!

 椿が慌てて突き放そうとしたその時だ。この上ないタイミングで『死にぞこない』はやってくる。

 

「荷物をほっぽり出して何しとるんじゃ」

「管輅さま!?」

 

 これには椿ばかりか男たちも驚きを隠せない。それどころか、今まで見て見ぬフリを続けていた周囲の人間までざわつく。取り巻く雰囲気が一瞬で塗り変わる。そして、それまでだった。

 

「ちっ……おい、行くぞ」

 

 あれだけの威勢はどこへやら。苦虫を噛み潰したような刺々しい視線だけを残し、赤羽織を先頭に男たちはそそくさと場を後にする。合わせるように野次馬たちも散る。人々は管輅を忌み嫌う以上に、彼を恐れていたのだ。

 こうして、管輅の登場からものの数秒、騒ぎは収束するのであった。

 

 

「大丈夫? どこか怪我はない?」

「はい、平気です。ありがとうございました」

 

 問いかけに、椿は着衣の乱れを直しながら、短く頭を下げる。その態度は周囲を気にしてか、どことなく余所余所しい。別段、今になって先ほど痴態を思い出したというわけでもない。

 椿はただ申し訳なかったのだ。

 ――私の不注意でお二人を巻き込んでしまった

 悪いのは間違いなく男たちのはずなのに、椿は負い目を感じてしまう。

 今回の騒動は避けられた。もっと気をつけていさえすれば、そもそも絡まれることもなかったはず。だから、これ以上は絶対に甘えてはいけない。そう考えていた。

 そこへ、

 

「いつまで油売っとるんじゃ? 早く荷物を拾ってこんか。行くぞ」

「は? じいさん何言って」

「いいから来るんじゃ!」

「なっ――!」

 

 まるで、椿の心情を代弁するかのように、管輅が冷たく言い放つ。

 当然、面食らう一刀が食ってかかる。事情を知らない一刀に二人の機微は掴めるわけなく、なんだよその態度は! と詰め寄る。椿は胸が痛んだ。やはり優しいお方だと。

 しかし、喜んではいられない。一刀の腕を引き告げる。

 

「北郷さま。お気になさらずに。私も仕事もありますので」

「椿さん……でも」

 

 切なそうに眉を曇らす一刀。椿は笑顔を向けた。こうすると彼が何も言えなくなるのを知っているから。

 案の定、一刀は言葉を失くし、椿はもう一度、感謝を伝える。頷き離れる一刀の背を見送った。

 管輅も続く。その去り際、不意の耳打ちに心を引き裂かれた。

 

「しばらく……いや、もうワシに関わるでない」

「!?」

 

 言葉は抉る。鋭く。深く。

 椿は去り行く二人の背を見送ることしかできなかった。

 両の手は胸元をひたすらに押さえつけるだけで精一杯だった。

 

 

***

 

 

 買い物を予定通り、滞りなく終えた帰り道――。

 両手で荷を抱え、一刀は管輅の後を歩く。終始無言で、だ。

 椿の手前、大人しく引き下がってはみたが、(わだかま)りは消えるわけもなく。人影も(まば)らになると、おもむろに口を開く。

 

「あれ、どういうことだよ?」

「なにがじゃ?」

「椿さんがあんな目に遭ったっていうのに、なんだよあの態度! 心配じゃないのかよ!」

「…………」

 

 黙す。瞬間、関係ないと言い掛けはしたが、管輅は一刀の真剣な眼差しに口を閉ざす。

 しばし続く睨み合い。視線を逃がしたのは管輅だ。ふっと息を吐くと、観念したのかポツポツとその理由を語りだした。

 

「椿はの、ワシのせいで嫌われておるんじゃ」

「……どういう意味だよ?」

「ワシが街の者に嫌われておるのは気づいておるじゃろう?」

「さすがにあれだけ露骨だとね。けど、それと椿さんと何の関係が? まさか仲がいいから、とかそんな理由じゃないだろ?」

「もちろんそれだけではない。椿は……ワシが救った者だからじゃ」

「救った者……?」

「以前少しだけ話したであろう? 五年前の話じゃ」

 

 ――――それは遡ること五年。

 まだ管輅と人々の間に心の隔たりはなかった頃の話だ。

 当時は誰もが彼を敬っていた。それは平原太守の名を知らぬ者がいても、管輅の名を知らぬ者はいないと言わしめるほど。老若男女を問わず、彼は慕われていた。

 そんなある日、平原を悪夢が襲う。それは空を黒く、地を赤く染める。賑やかな街は突如として、火の海と化す。

 被害はあまりに甚大だった。

 街を覆う炎は激しく、鎮火に至るまでに街のおよそ半分を飲み込む大惨事となる。

 悲しみに暮れる人々は強烈な喪失感を受け入れられず、責任の所在を求めた。

 出火の原因? 統治者の不覚? 消化の不備? 

 いいや、どれも違う。彼ら口々に管輅を責めた。

 なぜ火災を予言してくれなかった? なぜ自分たちを助けてくれなかった? と。

 しかし、管輅の予言は何もかもを見通すことのできる完全なものではない。先に起るであろう断片だけを、偶発的に覗き見る不完全なもの。つまり、彼は予言をしなかったのではなく、できなかったのだ。

 それでも友を、家族を、愛する者を失った人々は管輅を責め続けた。管輅もまた何も語らず、ただ己の無力さを嘆き、悔いるだけ。

 こうして互いの溝は深くなっていったのである。

 

 椿もそんな被災者のひとり。

 家を、両親を、さらには記憶までも火炎に焼き尽くされた。彼女には何もなかった。残されたのは己が身ひとつ、真名すら失くした孤独な少女。

 彼女が生きていくにはこの世は厳しすぎた。それこそ犯罪に手を染めるか、身を売るかくらいなものだろう。どちらにせよ、待っているのはどん底の未来。

 そんな時、手を差し伸べたのが管輅だった。

 そこには贖罪の意味もあったのだろう。以前から椿のご両親と交流のあった管輅は彼女を引き取る決意をする。

 また、管輅の贖罪はそれだけに留まらず、当時は平原の街中に屋敷を構えていたが、運よく被災を免れたそれを残らず売却すると、復興のために全額を寄付。今の家へと移った経緯でもある。

 しかし、私財を投げ打つ管輅に対して、人々は感謝するどころか金で解決するのか? 今頃何だ白々しい! と不快感を露に。

 一度違えた感情は容易に戻らず。結局、その行為もより激しい怨嗟の引き金にしかならなかった。

 そうして暴走する怨恨はいつしか共に被災者であり、なんの罪もないはずの椿にまで及んでしまう。

 管輅が特別に接する者。救われた者として……――――

 

「ワシが椿を助ければ助けるほど、街の者は憎しみを募らせていくのじゃ」

「だからって……間違ってるだろそんなこと!」

「誰が正しいわけでも、何が間違っておるわけでもない。人とはそういうものじゃ」

「…………」

 

 達観する物言いに、一刀は言葉が見つからない。冗談じゃない、馬鹿げていると否定だけなら簡単にできるが、それでは何の解決にもならないとわかっているから。

 ふと、別れ際に見た椿の笑顔が頭を過ぎり、一刀は無性に腹がたった。

 

「椿にはもうワシに関わるなと言っておいた。これで理不尽な目に遭うこともないじゃろう」

「なっ!?」

 

 ――ふざけるな! 

 これのどこが解決なのか。心で叫ぶ。

 どうしたらいいのかなんて一刀にはわからない。何が正しいかなんて答えは出せない。

 けれど、椿の気持ちを思えば、これが間違っていることだけはハッキリわかる。

 実父のように慕う管輅から、関わるなと言われた彼女の痛みは、どれほど痛烈だっただろうか。

 それを思うと、一刀は居ても立っても居られず、荷物を地面に置くと街へ踵を返した。

 

「待て一刀! おぬしどうするつもりじゃ!」

「……しるかよそんなこと」

「おぬしに何ができる? とにかくこれ以上首を突っ込むでない!」

 

 制止は無駄だ。言葉を聞き入れる冷静さなどとうに失っている。一刀は駆け出していた。

 

「馬鹿者め……」

 

 とにかく椿と会う。一刀にはそれだけで十分であった。

 

 

***

 

 

 全速力で通りを駆ける一刀は、椿の勤めている宿屋に到着。も、彼女は仕事中だ。

 

「……そりゃそうだよな」

 

 熱くなると、どうにも周りが見えなくなると反省して、一刀は宿屋の番頭に伝言を頼み、時間を潰すことにした。

 とくにこれといった行き先もなく、見慣れた街を人波に身を任せ練り歩く。

 そのうち、一刀は見落としに気がついた。何度も目にした景色の中には、意識を少し変えただけで見えてくるものがあった。

 そこには確かに残っていた。あの痕跡が。

 

「五年前の大火災、か……」

 

 大切な物、掛け替えのない者を焼失する。それはどれだけの痛みなのだろうか。

 きっと陳腐な想像など遥かに超える苦しみに違いない。と一刀は思う。

 それでも

 

「……誰かのせいにするのは間違ってる」

 

 たとえ、それ以外に悲しみを紛らわすことができなかったとしても。どんな理由があろうとも。なぜ椿が背負わなければならないのか。

 救われた者だから? 馬鹿らしい。彼女はちっとも救われてなどいない。それどころか、今も被害者だ。

 募る憤りに一刀は足を止める。

 すると、背後から足音が近づいていることに気がついた。

 

「よお、にいちゃん。おめえ管輅の関係者だったんだな?」

「あんたらさっきの……。ああ、そうだけど?」

「ちょっとツラ貸せ」

 

 男は一刀の肩に腕をかけるとアゴをしゃくり路地裏へと誘う。

 一刀は言われるまま、抵抗することなく路地奥へと歩き出す。

 最奥。人ひとりがやっと通れる細い通路抜けると、そこは少しだけ開けていた。日差しは建物に遮られて薄暗い。通りからは目でも凝らさない限り、まず気づかないだろう。

 淀む空間は、あたかも平原が抱える闇を見ているかのよう。とするなら、この三人組はさしあたり、闇の小間使いと言ったところか。彼らは一刀を囲み、胸糞悪い笑みを浮かべていた。

 

「おめえ他所者だろ? あのじじいに関わってると、ここじゃ生きていけないぜ?」

「なぜですか?」

「なぜ? はっそれはな……殺してやりたいほど憎いからだよ!」

「ぐぁ――ッ!?」

 

 言い終わりと同時、男の拳が一刀の顔面を捉えていた。

 一刀は半歩退いた足をなんとかその場に踏みとどめ、ジクジク痛む頬へ手をやる。

 口中に鉄の味が広がった。それは口の端からだ。手の甲で確認しながらふき取ると、一刀は視線に力を込めた。

 

「憎い……それは五年前の大火災の話ですか?」

「なんだ。知ってたのか」

 

 思った通り。彼らは火災の痛みを管輅へ押し付けている。

 

「あの野郎はな、わざと俺たちに火災が起きることを教えなかった」

「それは違う。じいさんは予言できなかったと」

「できなかった? ふざけたことぬかすんじゃねえ!!」

「――――」

 

 再びの殴打。折れかけた膝は懸命に伸びる。

 こんな奴らに屈するわけにはいかない、と。

 都合の悪い現実は遮断して、八つ当たりを繰り返すこんな奴らに負けるか、と。

 浮かぶ、あの笑顔に申し訳ない――と。

 

「ぐっ……つぅ……だからこうして俺を殴り、椿さんを嫌うのか?」

「あぁそうだ。それの何が悪い?」

 

 そうだ、そうだと後ろの二人も相槌を打ち、せせら笑う。

 虫唾が走る笑い声に、怒り、哀れみ、悲愴。感情が一挙に渦巻き、一刀の心はぐちゃぐちゃだ。本人でもよくわからない。

 ただ、体だけは考えるより先に動く。左の軸足は大地を噛み、突き出す右拳が正面の男を勢いよく打ち抜いていた。

 

「そんなもん全部に決まってるだろッ! くそッ!」

 

 倒れた男に慌てて駆け寄る二人を横目、一刀は拳に残る不快な感触に顔をしかめる。こいつらはこんなことをして何が楽しいんだ? これで何が解決する? と。

 放つ言葉に空しさが透けていた。

 

「おっさんたちはそうやって逃げているだけだろ?」

「なん……だと?」

「火災が起きたのはじいさんのせいか? そうじゃないだろ!」

 

 そうだ。管輅が放火したわけではない。すでにここから間違っている。

 

「確かにあんたらは多くを失ったのかもしれない。けどそれはじいさんのせいか? 違うだろ!」

 

 もし仮に、管輅が火災を事前に知っていたとしてもだ。火災の責任は管輅にないはず。

 

「どうして救ってくれなかったと嘆くだけならまだいい。でも全部じいさんのせいにして恨んでどうすんだよ! 椿さんに当たるなよ!!」

 

 必死に、真摯に訴えかける。こんなことをしても何も報われないと。もう誰かのせいにするのは終わりにしようと。正しきを正しく論じる。

 だが、

 

「……言いたいことはそれだけか?」

 

 正論は彼らに届かず。いや、正論だからこそ響かなかった。

 彼らにしてみれば、そんな葛藤は何周も前に済ませたこと。結果、どうにもならない現実から逃げ、正しさを拒み続けたのが今なのだから。

 

「他所者のお前に、何がわかるッ!!」

「――――」

 

 噴出す闇、男たちは一斉に襲い掛かる。

 顔を、腹を、腕を、足を。いたる所を殴られ蹴られ、一刀は崩れ落ちるしかなかった。

 

「あいつはな……俺たちを見捨てたんだよ!」

 

 激情はそれで終わりとはいかない。

 男たちは一言吐き捨てるたびに、(うずくま)る一刀へ痛みをぶつける。

 

「管輅が予言してくれてればなあ! うちの女房は死なずに済んだんだ!」

「ごッ――(だからそれが間違ってるんだよ!)」

「お前に俺たちの気持ちがわかってたまるか!」

「ぶふッ――(あぁ、わからない。わかりたくもない!)」

 

 血反吐を吐き、激痛に視界が歪もうと一刀は男たちから決して目を逸らさない。

 それはお前らとは違うと誇示するように。だから男たちも手を緩めない。気に入らないのだ、引けないのだ。

 骨を打つ鈍い音が鳴り続ける。一体どれだけの暴力が注がれるのか。いつ終わりが来るのかもわからない狂乱。一刀は耐え抜いてみせた。

 遠ざかる意識を意地だけで引き戻し、次第に男たちの息が上がる。先に心が折れたのは彼らの方だった。

 ついに止む。一刀は揺れる体をなんとか支え、膝に手を掛けゆっくりゆっくりと立ち上がる。

 

「だから……おっさんたち……は大事な…………失った悲しみを……くっ、じいさんや椿さんに、押し付けて……現実から目を……逸らしてる、だけだろ?」

「っま、まだほざくか……!」

 

 まぶたを大きく腫らし、片目は完全に閉じている。残る片目もほんの僅かに開いているだけ。鼻血も涙も涎も混ざり合い、見るも無残。左右にブレる体はいつ崩れてもおかしくない。

 しかし、男たちはそんなボロボロの一刀に気圧された。その僅かから覗く瞳の色に、真っ直ぐな執念に尻込みする。縋るものはやはり暴力だった。

 狂乱の再会に一刀は歯を食いしばる。その刹那――目の前にひとつの影が立ち塞がる。

 

「やめてっ!」

 

 両手を広げ、一刀を庇うように立つ後ろ姿。それは紛れもなく椿であった。

 

「椿、さん!? ダ、ダメだ、早く――つぅッ」

「北郷さま!」

 

 あってはならない登場に焦る一刀は一歩動いただけでこのざまだ。

 傾く体を抱き支えられ、やっと立っていられる状態。椿はどうしてこんな、と腫れる頬を撫でた。

 

「もうやめてください! こんな酷いことっ!」

「邪魔するな姉ちゃん。そいつに用があるんだ」

 

 悲痛な叫びも彼らには意味を持たない。だが、引き下がるつもりがないのは椿も同じだった。

 支える手に力を込め、首を横に振る。

 

「……そうか。邪魔するってんならしょうがねえなぁ。姉ちゃんは管輅の関係者とはいえ、俺らと同じ痛みを持つ者。だからこれまでは大目に見てきたんだが、おい!」

 

 ――まずい! 

 思ったところで一刀の体は自由に動かず。

 合図を皮切りにあっさり蹴り飛ばされ、残る男に椿を奪われていた。

 

「――――」

「北郷さまっ!? は、離して!」

 

 甲高い声を仰ぎ聞く。その悲痛な表情を見たら、暢気に転がっているわけにはいかなかった。一刀は笑う膝で壁を這いずり立ち上がる。なんとしても彼女だけは逃がさなければ。

 

「椿さんを……はな、せ……彼女は関係……ない、だろう」

「関係ないだ? こいつも管輅の立派な関係者だろうが!!」

「違、う。俺だ…………俺を、好きなだけ、殴れ」

 

 もはや自分の身がどうなろうと知ったことじゃない。

 どうでもいいのだ。二の次、三の次だった、そんなこと。

 ともかく、

 

「……彼女を離して、くれ」

「いけませんそのような――!!」

 

 椿さえ無事ならそれだけでいい。それさえ叶えば何でもいい。一刀の思いはそれだけだった。

 だが、男たちにとっては恰好の材料だ。折れない男をへし折るためには。

 

「――ダメだな」

「なっ……」

「気に入らないんだよ! 管輅の関係者全員な! それにこの姉ちゃん……顔は俺の好みだからな」

 

 鬼畜無情。願いは脆くも砕かれ、事態は最悪の状況に陥っていた。

 

「きゃああ! いや、やめっいやああ!!」

「やめろォオオオ!!!」

 

 男は無理やり椿の胸元に手を突っ込もうとしている。

 ――ダメだ。ダメだ。ダメだ。こんなことあってたまるか!

 胸を突き破る衝動に一刀の理性も擦り切れた。沸き立つ激情は邪魔な痛みを忘却の彼方へ。ガクガク揺れる脚を駆り、力一杯手を伸ばす。

 彼女が何をした? なぜこんな目に? 必ず助けてみせる! ――が、

 

「おめえは寝てればいいんだよ!」

「――!?」

 

 想いは届かず。後頭部を殴打された一刀は地面に崩れ、その手に掴んだものは乾いた砂だった。

 ――まず……い…………意識……がぁ…………っっダメだッ!

 たまたま口元にあった二の腕を出血するほど思い切り噛み、なんとか意識は繋いだ。が、体は完全に脳からの指令を遮断している。電池の切れたガラクタは全く動こうとしない。

 ――ちくしょう! 動けよ! 彼女を助けなきゃいけないんだよ! 俺は天の御遣いなんだろ? 救世主なんだろ? だったら動けよくそったれ!

 目を、耳を覆いたくなる現実。一刀は我武者羅に力を求めた。無力な己を否定して、天の御遣いたる何かに縋る。なんでもいいから彼女を救ってくれと。

 そして気づく。それは、それでは一緒だと。

 ありもしない予言に縋り、直面する痛みを否定する彼らと何も変わらない。

 ――何考えてんだ! 俺がやるんだ。俺が助けるんだ。それしかないんだよ!!

 しかし、体はピクリとも動かない。どれだけ強く願っても、足掻いても、首から下は動かなかった。

 

「ふざけんな……よ……頼む……から……ぅ……動いて……くれ……よ」

 

 一刀は泣いていた。不甲斐無さに。

 

「ち……く……しょう……ぉ……」

 

 涙が止まらなかった。己の無力さに。

 我慢も限界だった。

 気力だけで繋ぎとめていた意識が今、途切れようとしている。

 霞む耳は、もう彼女の悲鳴も聞き取れない。

 薄れる視界は、もう彼女の姿を捉えられない。

 もう、何が起きているのかわからない。

 

「――うぎゃアアァァア!!」

 

 男の悲鳴が聞こえた気がする。

 

「北郷さま! しっかりしてください!」

 

 呼ぶ声が聞こえた気がする。

 

「じゃから首を突っ込むなと言うたんじゃ……馬鹿者め」

 

 意識が潰えるその瞬間、一刀は管輅の声が聞こえた気がした。




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