真・恋姫†無双 妄想伝   作:コイル

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第8話  再来

「どうした一刀? もう限界か? ほれ、ほれ。なんじゃ、そのへっぴり腰は」

「すこし、はっ! 手加減、しろっての!」

 

 只今、二人は修練の真っただ中である。

 管輅は樫製で長さ五尺程(一メートル)の杖を振り、軽快な動きは指揮者のようだ。

 ひと振り毎に奏者を操り、ついていくだけでやっとの一刀は鞘の抜けない剣で奔放なタクトをひたすら弾き、ぎこちない音を鳴らす。

 防戦一方。そこには以前と真逆の景色が広がっていた。

 とはいえ。

 戦況まで逆転することはなく、空いた手で耳をほじりながら余裕綽々の管輅に対して、一刀は汗で染みる目を肩でこすり、息も絶え絶え。入れ替わったのはあくまで攻守だけだ。実力差は、むしろより際立っていた。

 杖は見る間につたない剣技をすり抜け、胸を突き、足をはたき、手首を打つ。骨まで響く鈍痛の痺れに、一刀は膝をつき、剣が手から落ちる。

 

「ぐっ……、くっそぉ。参りました」

「まだまだ無駄に力が入りすぎじゃ。力むから姿勢も悪くなるし、動きも堅くなる。もっと流れを意識して相手の力を上手く利用せい」

 

 言うは易く行うは難い。

 一刀は、はいはい、と答えるものの不貞腐れ顔。内心では、簡単に出来るわけないだろ

妖怪じじぃ、などとぶう垂れて。

 

「……よからぬことを考えておる顔じゃのう?」

「ソ、ソンナコト、アリマセンヨ?」

「そうかそうか。素振り千本追加と千本叩きどっちがええ?」

「げぇ……」

 

 管輅から本格的に剣術を学ぶようになって早、一月。

 一刀はあの事件から一週間ほどで体の自由を取り戻すと、多少の痛みはなんのその。毎日こうして修練に明け暮れている。

 修練の内容は主に二つ。

 ひとつは、先ほどのような実戦形式。加減はされていても、体には日々新たな青あざが増え続けている。これでも大分マシになった方だ。

 そして残るひとつは、素振り。

 剣に自らの思いを乗せ、ひと振りひと振り何のために力を振るうか胸に刻め。

 これが管輅の教えであった。

 余談だが、剣道では一般的な、すり足式の素振りを見た彼はふざけていると思い怒鳴ったらしい。

 と、そこに、

 

「一刀さま~管輅さま~、昼餉の支度が整いましたので休憩になさってください」

 

 縁側からひょっこり顔を覗かせるのは椿だ。彼女も今、管輅邸に住んでいる。

 しばらくは街に戻らない方がいいと管輅が判断し、共に暮らすことになったのだ。

 

「ありがとう椿、お腹ぺこぺこだよ!」

「おかわりもありますから、たくさんお食べください」

 

 同じ屋根の下、先の件もあって一刀と椿の仲が急速に近づいたことは言うまでもないだろう。

 互いの呼び名が変化したのもその現れなのだが……実はここだけの話、裏にはこんなエピソードがあったりする。

 

 まだ呼び捨てにと取り決めたばかりの頃だ――。

 

「椿()()ちょっといいかな?」

「…………」

 

 一刀はまだ気恥ずかしさと不慣れさで、今まで通り敬称をつけて呼んだところ、洗い物をする彼女に振り返るそぶりはなし。水音だけが返ってくる。

 聞こえていないと判断した一刀は距離を詰めながらもう一度呼びかけ、

 

「椿さん?」

「…………」

 

 が、またも彼女は振り向かない。

 伸ばせば手が届く距離だ。聞こえていないということはない筈なのだが……。

 不思議に思う一刀は横に回り込み、下から覗き込むよう椿の様子を窺うと、

 

「……呼びましたか? 北郷一刀さま!」

「――ひぃっ!?」

 

 抗議丸出しのフルネームと不意に重なった視線。一刀は、何でもありません! と一目散に逃げだし、後に語る。俺はあの笑顔に終焉を見た、と。

 それから彼が敬称をつけることは二度となかったと言う。

 

 さて、そんな急接近を遂げた二人だが、快く思わない人物もいることを忘れてはならない。言わずもがな、管輅である。

 椿を実子のように思っている彼のことだ。どんな妨害工作に打って出るのかと思いきや、老人は意外にもそれを黙認。

 これがもし、一刀からのアプローチだったなら話は別。修練と称して徹底的に追い詰められていただろう。色んな意味で。

 だが、実際は逆で、管輅は気づいてしまう。一刀を見つめる椿に恋花の淡い芽吹きを。

 そうなったらもう、しぶしぶだろうと折れる以外に選択肢はなく、

 

「一刀のどこがいいんじゃ。まったく」

 

 応援だけはしない! とへそを曲げるくらいがせめてもの抵抗で。

 小さな卓を囲む三人はそれなりに愉快な人間模様を描いていた。

 

 

***

 

 

 昼食後、三人は揃って買い出しへ出かけることに。

 戸締りを確認して、最後に屋敷を出た椿は珍しく願い事を口にする。

 

「あの管輅さま。僅かの時間でかまいません。女将さんにお会いしたいのですがよろしいでしょうか? せめて一言、ご迷惑をおかけしていることを謝りたいのですが……?」

 

 もっとも、内容を聞けば実に彼女らしい健気なものだが。

 あの日を境に椿も一刀も中心街には足を踏み入れておらず、彼女ならこれまで散々世話になっている宿の女将にまずひと目と考えるのは自然の成り行きだろう。

 管輅もその辺りは承知済みで、

 

「そうじゃのう。ならば、まず宿に寄るとしようかの」

「ありがとうございます!」

 

 快諾。椿の顔にはパッと明るく花が咲き、頭を垂れる。

 よいよい、とこちらも笑顔の管輅。

 これまでは敢えて突き放していただけに、ここ最近のデレっぷりは目に余り、立派な子煩悩だ。

 反面、一刀に対する風当たりは心なしか強くなっているようで、先日などは、椿が自発的に一刀の傷の手当をしていたところにやってきて、嫁入り前の娘に肌を晒して何をしている!! と怒鳴るという一幕も。

 そんな天然チックなボケが大小様々横行するおかげで、一刀のツッコミ回数は右肩上がりである。

 今も、二人だけで盛り上がり、一刀など放っておいてと言わんばかりに進んでいく老人に対して、さっそく一発入る……筈なのだが、なぜか間は逸する。

 というのも、一刀は聞いていなかったのだ。

 一切を気にも留めず、一点を見つめていた。唖然と、目にするモノの意味を何度も確かめ、空を指差し、

 

「なあ、じいさん……。あれって……」

 

 促され、移る二人の視線。

 

「「――――」」

 

 その途端。両者から表情が抜け落ちた。 

 息を飲む先。夏晴れの空をおどろおどろしく立ち昇る黒龍の姿があった。それも二本、三本と。

 見忘れるはずがない。五年前にも見た忌まわしき凶兆だ。

 甦る火災の記憶に管輅は膝から崩れ、

 

「ワシは……、ワシはまた予言できなんだのか……? なぜじゃ? なぜまたこの街を火災が襲う? なぜワシは止められないんじゃ!?」

 

 茫然自失。管輅さま! と支える声にも、とにかく街へ急ごう、と急かす言葉にも首を横に振るだけ。うわ言のように無力を嘆くだけ。再来した悲劇に管輅の心は折れかかっていた。

 見かねた一刀は、

 

「んなこと言ってる場合じゃないだろ! いいのかよこのままほっといて! あ~~~もうっ!! 椿、じいさんのこと頼んだ!」

「え? あっ、一刀さま!」

 

 自責に押し潰される管輅を残し、一心不乱に走り出していた。

 

 

***

 

 

 煙と熱と喧騒に飲み込まれる街がある。

 穏やかな昼下がりは、瞬く間に恐怖が彩り、人々の悲鳴が混乱に拍車をかける。

 一軒の食堂から出火したと思しき炎は、気づいた時には火柱となり、生半可な消火では侵食を止めるにも至らず。炎は周囲のありとあらゆるものを取り込みながら膨れ上がり、今では近隣の棟を丸ごと喰らう程の巨大さを誇る。

 不快な燃焼の響きと香りを上昇気流に孕ませて、おびただしい数の火の粉が宙を舞う。

 貪欲に、なおも広がり続けている。

 その光景に誰もが五年前の大火災を重ね、迫る火の手から懸命に逃げる。

 幸か不幸か、彼らは嫌と言うくらい知っているから。囲まれれば終わりだと。侵攻の速度は想像を超えると。

 恐れる者も叫ぶ者も。惜しむ者も顧みぬ者も。手を引く者も掴む者も。ただ走る。

 そうして、からがら安全圏に避難を終えた人々は、燃え行く街をじっと見つめ、

 

「俺たちの街が……」

 

 漂う気配は諦めだ。まるで物語のエンドロールを惰性で見続けるているかのように。あるいは、祭りの後の営火でも眺めているかのように。

 それも火災に対してではなく、救われなかったことに対して。

 人々は口々に言う。

 

「また、私たちは見捨てられたのね……?」

「なんで、なんで管輅は助けてくれないんだよ!」

 

 五年前と変わらず、矛先を管輅へと向けて。理不尽な結末を誰かに転嫁して。

 さらに。

 

「そ、そう言えばこの間、管輅家の者を襲った奴がいるって聞いたぞ」

「その噂なら俺も聞いた! 確か襲った奴らは……」

 

 今回は管輅に明確な敵意を向けた者がいる。ゆえに我らは見捨てられたのだ、と。

 思い込みもここまで来ると、もはや狂信に近い。すべての災厄を祟りだと恐れるのとなんら変わらない。

 そんな思わぬ形で人柱として白羽の矢が立った三人組は、集まる視線に、ふざけるな! と叫び、

 

「あいつは五年前に俺たちを見捨てたんだ! 今更、俺たちを救うわけがないだろ!! 俺たちのせいなんかじゃねえっ!」

「だが、お前たちが管輅に手出ししなきゃ、今度は救ってもらえたかもしれないだろう! なんてことをしてくれたんだ!!」

「う、うるせえよ!! どいつもこいつも似たようなもんだろうが! いつも陰でなんて言ってやがる?  奴の顔を見ればどんな目してやがる? てめえらだって同じだろうが!!」

「な、なんだと!?」

 

 今まさに灰塵と化す街を背に、彼らは何をしているのか。

 大の大人が雁首揃えて何の相談をしているのか。

 馬鹿馬鹿しいなんて生易しい表現ではあまりに不足。どこまで浅ましく滑稽な争い。

 その間にも燃え盛る炎は空を焦がし、黒煙がたなびく雲のように覆い、人々の心に闇を落とす。

 勢いは増すばかりだ。どちらも。

 ある者は管輅のせいだと喚き散らし、ある者は管輅に敵対した者の責任だと泣き叫ぶ。

 誰ひとりとして、悲劇の結末を変えようとする者はいなかった。

 起きた不幸を呪い、嘆き、悲しみ、ただ救われることを諦めていた。

 だから。

 こんな聞くに堪えない論争をひとりの男が貫く。

 

「――こんな時に、何してんだよッッ!!」

 

 締め付けられる胸を握り、一刀はありったけを叫ぶ。

 それは少し前の己を見ているよう感覚だった。

 

 

***

 

 

 突如の乱入者に人々は振り返り、一斉に口を噤む。

 気迫に驚いた者。何事だと様子を窺う者。一刀に見覚えがある者。反応は多々あるがそれぞれの理由から静まり、乱入者を見守る。

 その中でいち早く開口するのは、怒りを覚える者だった。

 

「お、お前は!? 何しに来やがった。わざわざ俺たちを笑いにでも来たか? ざまあみろとでも言いに来たのか!! ふざけやがって……覚悟は出来て――」

「いい加減にしろッ!! そんなくだらないこと言ってる場合かよ!!」

 

 再び一刀は叫ぶ。

 雑言を振り払い、喉が裂けそうなほど声を張る。

 一刀は願っていた。この声が、この場にいるすべての人に届いてくれ、と。

 ――目を覚ましてくれ!!

 思いは言葉を作り、

 

「いつまで人のせいにして逃げてる気だよ? 見捨てられた? あんたら、いつまでじいさんに頼る気だ? 一から十まで予言してもらわないと生きてもいけないのか! 今も街は燃えてるんだぞ? ここは誰の街だよ? あんたらの大事なもんがこうしてる間にも灰になってるんだぞ!? ぐだぐだ嘆く前にやれることがあるだろ!!」

「な……そんなことお前に言われなくたって――!」

「だったら!! こんな所で何してんだよ? 皆で仲良く消し炭の鑑賞会か? ふざけてるのはどっちだ! そんな暇があるならな、少しでもいいから火を消せばいいだろ!!」

 

 誰かに頼る前に出来ることをしてみないか?

 一刀はそう全霊で訴えかける。なんの打算もない真っ直ぐな感情で。

 痛い程わかるから。

 望まぬ未来の苦しみを誰かに押し付けたい気持ちも、それじゃ何も変えられないことも。

 一歩踏み出せば何かが変わるなんてご都合を説くつもりはないが、それでも自ら進むしかないのだから。

 本当は皆もわかっているんだろう? と。

 だが。届かず。

 思いは空しく、人々は戸惑いを見せるだけだった。

 無言。

 賛同も批判もない。答え出る者はおろか、誰ひとりとして視線すら合わせようとしない。

 口を結び、目を逸らし、心を閉ざす。

 彼らにとって一刀は所詮よそ者。若造の戯言だ。どれだけ正論を振りかざそうが、“何も知らないくせに”の一言で片がついてしまう。決して、芯を揺さぶることはないのだ。

 ――ならどうしろってんだよ……! 何を言っても伝わらないのかよ!?

 虚ろにも映る彼らの姿。轟々と燃え行く街。五年という歳月に塗り固められた悲傷の情。

 いつの間にか握り締めていた拳から力が解けていく。

 募る歯がゆさとは裏腹に、一刀にも無駄なのかもしれないと諦めが過ぎり、しかし、そうではなかった。

 無駄などない。思いは届いていた。たったひとり、彼だけには――。

 

「顔を上げい、俯くな一刀。おぬしの言う通りじゃ。ワシらにはやれることがある」

「じ、じいさん!」

 

 遅れてすまなんだ、と管輅は肩を叩き、すぐ後ろには頷く椿の姿もある。

 そして、そこからさらに一歩。予期せぬ登場にざわめく民衆へと踏み出す管輅は、おもむろに頭を下げ、

 

「すまん。ワシが不甲斐無いばかりにまた止められなんだ。じゃが、すべてが燃えてしまったわけではない。やれることがまだある。ならば、この通りじゃ! この老いぼれに皆の力を貸してくれんか?」

 

 ある種で神格化までされている者の懇願だ。

 人々にとってそれはさらなる驚き。これまで塗り重ねてきた虚像とはかけ離れた実像だ。

 なんてことはない。

 そこにあるのは、冷酷な裏切り者でも凶悪な背徳者でもなく、ただの痩せた老人だった。

 その姿に心が揺れない筈がない。剥がれ落ちる。

 恐る恐る、娘を抱きかかえるひとりの街人がついに、

 

「何を、何をしたらいいんですかい?」

「お、おい! てめえ何言って――」

「嫌なんだよ……! 俺も、あの青年や管輅さまが言う通り、見ているだけなんてもう沢山なんだよ!」

 

 それが契機。

 過去の楔から解き放たれた人々は、俺も、私も、と、次々に声を上げる。

 ようやく届いたのだ。

 

「……よし! じいさん、じゃあ火を消しに」

「待て一刀。消火はとりあえず後じゃ。それよりまず、男衆は延焼を食い止めるぞ。これから燃え広がりそうな箇所に水を撒き、砂をかけ、可能ならば壊してしまえ。その間並行して逃げ遅れた者がおらんか見て回るんじゃ。女衆は椿に従い、怪我人の手当てと井戸の水を汲み上げ集めておくんじゃ」

 

 迅速な指示に思い思いの返事が混じり、一同は一斉に作業へと取りかかる。

 その光景に、一刀の胸には熱くこみ上げるものがあるが、まだ何が終わったわけでもない。

 ――そうだ。ここからが本番……!

 浮かれる心を二度叩き、覚悟を呼び起こす。遅れまいと炎の街へと駆けた。

 

 

***

 

 

「よいか! まず水を被ってからじゃ。それから単独行動は避け、必ず何人かで行動を共にするんじゃ!」

 

 管輅の指示が飛び交う中で、男たちは手分けして持ち場につく。

 そこに、見慣れた街並みの姿はなく、赤の世界が広がっていた。

 うねる赤は家屋の倍近くの高さまで達し、こちらを威嚇するように膨大な熱量を叩きつけてくる。

 額からは拭った端から玉のような汗が湧き出し、身動きする度に、普段の何倍もの体力と気力が奪われていく。

 ひとえに圧倒的。劣悪で過酷な環境だ。

 皆、表情には苦痛が覗き、しかし、周囲から聞こえてくるのは励ましの声で、弱音などではなかった。

 負けてなるものか。これ以上失って堪るか。守ってみせる。

 先ほどまで痛みのなすり合いを演じていた者たちが歯を食い縛り、ひたすらに為すべきことを為す。

 ならば。

 ――俺だって、負けてられるか……!

 一刀も意気込み、作業に取り掛かる。

 だが、出来ることは限られていた。

 “消化は後回し”の意味がよくわかる。これにいくら手桶で水を見舞っても、それこそ焼け石に水。一軒消す間にすべてを焼き尽くされかねない。

 よって、今出来ることは、

 

「よし、皆で一斉に引くぞ? そぉれ!!!」

 

 平屋の柱を通した縄、それを力いっぱい引っ張ること。

 風下の家屋を中心に破壊し、無理やり火の手と距離を取るために。封じ込めだ。

 とても倒せない建築物は、迫出している部分だけを破壊し、周囲には水、砂を撒く。

 しかし、出来ることは少なくといえ、やらねばならない範囲は広大だ。

 無限にも思える延焼作業に皆、焦りと疲労感から声も小さくなり、

 ――不味いな……。

 思ったその時だった。

 一刀は気づく。

 風上。炎の中に人影があるのを。

 おぼろげな足取りでこちらへ近づいてくる女性の姿だ。

 一刀は今にも倒れそうな彼女に駆け寄り、抱きとめ、

 

「大丈夫ですか!?」

「お、お願いです! せがれを! まだ、私の! 助けて!!」

 

 錯乱気味の声と縋りつく腕の力強さに戸惑う。

 が、すすに黒く汚れた体で、胸元を手繰る手肌には火傷を負い、涙に濡れる瞳。

 意味を知るにはそれだけで十分、

 

「息子さんはどこですか?」

 

 女性が指さす先、そこには轟々と炎上する民家が見える。

 ――あ、あの中に……?

 一刀は大きく息を飲む。

 あの中に飛び込むことが何を意味するのか。生きて戻れるのか。自分がやることなのか。そんな常人の、当然の感情が胸を襲う。

 しかし、

 

「中にまだ! お願いします、どうか、どうかッ――!!」

 

 痛みが感じる程腕を強く握られ、死に物狂いの哀願を前にすれば、瞳の色から弱さは消える。消し得る。

 舐めてもらったら困るのだ。

 

「……俺が、息子さんを助けます」

 

 筋金入りのお人好しを。

 臆病風など揉み潰し、一刀は女性の手を外すと、近くの桶水を頭から被る。

 こうなったらもう止まらない。止まれない。止まれば、心が揺れてしまう。

 行く。

 助走は、徒歩から駆け足に変わり、

 

「どうした一刀? ま、待て、何をしておる? おぬしまさか、あの――待たんか!!」

 

 事態に気がついた管輅の制止も無視してトップギア。そのままで、

 

「――どっりゃあああ!!」

 

 雄たけび一発。一刀は半開きの戸口を豪快に蹴破り、炎の中へ飛び込んだ。

 

 

***

 

 

「――ぐッッ!? あっつ、くないッ!」

 

 そこはまさしく火の海。大げさでもなんでもなく、オーブントースターの中を体験している心地だった。

 呼吸するだけで肺を焼かれるような感覚に、咄嗟で右肘の内側で口元を隠し、こもる煙に目を細める。

 水分を含み損なったむき出しの体毛は、途端に熱で縮れ焼け、突入から数秒。舞い戻った臆病風は引き返せと囁く。ここは生ける者がいる場所ではない、と。

 だが、一刀は頑として跳ね返す。

 ――今諦めたら、確実に子供は死ぬ。約束したんだ。俺が助けるって!

 己を鼓舞し、闘志を奮い立たせ、火の道を進む。奥へ奥へと。

 一歩は重い。一歩は遠い。一歩が怖い。踏み出すその一歩に死を感じる。今ならまだ間に合うと引き返えしそうになる。

 それでも、一刀は進む。探す。

 すると、最奥。揺らめく炎の谷間に、倒れる男の子を発見。駆け寄り、

 

「息は……ある! 待ってろ、すぐにお母さんの所へ連れて行ってやるからな」

 

 押し当てた耳に生の息吹を聞いた一刀は男の子を上着で包み、抱き上げる。

 間に合った、これで救える。

 ――あとは、ここから脱出するだけ――!

 が、その時。

 後方で柱の砕ける轟音が響き、間髪入れず燃え崩る天井のへり。

 衝撃で舞い上がった噴煙の奥には、瞬く間に火の壁が出来上がる。誰が逃がすものか、と。

 

「――――」

 

 信じたくない光景だ。

 愕然と見つめる先は一本道の退路を断たれ、四方を囲う炎の牢。逃げ場など、もはやどこにもない。

 強行突破も不可能だ。出口まではそれなりの距離があり、火ダルマになっておっちぬのが落ちだろう。

 ――手立てが、ない……?

 が、ないのはそれだけに留まらない。

 灼熱の世界は酸素も薄く、思考力すらそぎ落していく。

 何より、時間がない。家ごと燃え崩れるのも時間の問題だった。

 それは死地に輪をかけ、ないない尽くしの絶体絶命。

 抜けるには常軌を逸した何かが必要だろう。

 普通なら、諦めるか神に祈るか。それでなくてもこの環境だ。思考を放棄しても不思議はない。

 だが、一刀は違う。絶望を突きつけられようと、噴出す汗を拭う寸暇も惜しみ、脱する手段を探し続けた。都合よく名案なんて浮かびはしないとわかっていても。たとえ、悪足掻きであっても。

 今、やれることを。

 しかし、であっても、頬を伝う滴は顎の先端から地に落ちて、無為無策の時を刻む。

 炎は嘲笑い、勢いを増して諸共焼き尽くそうと部屋を覆う。死への秒読みだけが加速する。

 ――ちくしょう……。

 そして、ついに極度の酸欠と熱で、いよいよ立ってもいられない一刀は膝を折り、

 ――結局、またこれかよッ……!

 胸をつく衝動は再三にわたり味わってきた無力感。

 最後はいつもこれだ。

 どれだけ努力しようが関係ない。過程はどうあれ、無能さに歯軋りする結末しか用意されていない。

 それは、無様な己を呪うだけの既知感に溢れかえる現実で、 

 

「ふっ、ざけんなァッッ――!!」

 

 認めない。絶対に諦めるか。口惜しさが天を衝く。

 が、炎は叫びすら容赦なく飲み込み糧とする。

 無慈悲にカウント“ゼロ”の合図が――鳴った。

 

「――!?」

 

 その瞬間。頭上から不吉な音が上がり、爆ぜる火の粉。

 走馬灯だ。

 極限まで引き伸ばされた体感時間で、両の目は絶望の映像をハッキリと捉える。

 燃えながら落ちる木片も、吹き抜ける気流に腕を広げる炎も、粉塵と混ざる火の雨も。

 残された時間は一秒にも満たない――。

 その刹那に一刀が見せた行動は、ただ男の子を強く抱きしめることだった。

 無論、この土壇場で体ひとつ盾にしたところで、無意味なことくらいわかっている。

 だとしても、他に出来ることなどもう何もなかった。なら、コンマ数パーセントでもいい。少年の生存率が上がるのならそれで十分、無様で結構。それが最後の最後まで抗った執念の証なのだから。

 そして、――奇跡とは、そんな思いが引き寄せるのだろう。

 世界は突然、光に満ちる。

 炎が彼らを飲み込もうとしたまさにその時、白く透き通る光が溢れだし部屋を照らす。あたかも二人を守り、包み込むように。

 硬く目を閉じ、(うずくま)る一刀はその異常事態に気づけず、

 

「……あれ?」

 

 さらに一間置いて、ようやく違和感にゆっくりと瞼を開けば、光はすっかり消えた後。

 直撃するはずだった落下物は一刀を避けるように散らばり、あれほど苛烈に燃えていた炎の壁は出口までの道しるべを示す。そこだけが焚き火と見紛う程弱まっていたのだ。

 

「な、なんだこれ? 何が、起きた?」

 

 わからない。皆目見当がつかない。けれど、

 

「――考えてる場合じゃない!」

 

 弱くなった炎の道を一気駆け。一刀は残る力を振り絞り、外界へ目指し、そして、

 

「か、一刀!? 水じゃ水をかけい!」

 

 抜けた先、外で待ち構えていた管輅たちに水を浴びせられ、倒れこむ。

 ヒリつく肌に染み入る水分、肺に行き渡る新鮮な空気。一刀は猛烈な生の実感を得る。

 と同時に、

 

「ゴホッゴホァ……! じ、じいさんこの子をっ」

「……うむ」

 

 勝ち取った運命を、守り抜いた生命を、抑え切れない達成感を噛み締めていた。

 

 

***

 

 

「ありがとうございます! 本当になんとお礼を言えばいいのか――」

「いいですいいです、お礼なんて」

 

 途切れなく下がる頭に、照れ笑いで、まいったと手をかざす一刀は天幕の中にいる。

 街外れに設けられた避難野営地。

 火傷の処置をと寄ったその場所で、偶然にもあの親子と再会したのだ。

 

「よかったね、君」

 

 恥ずかしいのか、母の胸へ隠れ伏せる少年の髪をそっとひと撫で。

 ちゃんとお礼をいいなさい、と諭す母親をまたも宥め、一刀はしみじみ思う。

 本当によかった、と。

 あの後も遮二無二に作業を続けた一同は、やっと腰を上げた軍の協力もあり、火災を終息へと導く。

 とはいえ、それはこれ以上の延焼の危険性が一先ず去っただけのこと。

 鎮火には至っておらず、風向き次第で再炎上の恐れもある。未だ軍の監視下の元、とても予断を許す状況ではない。

 街は今もなお、夕暮れの空に苦々しい黒煙を吐き続け、被災の爪痕は拡大し続けているのだ。

 現時点でも全焼、半焼の家屋は相当数に上るだろう。なら、最終的な被害はどれ程になるのか。

 それに被害は建物だけとは限らず、内にも外にも様々なモノがあったはずだ。

 値段がつけられない高級品から、値段はつけられない思い出まで。数多くの大切な物が。

 ――出来たことに出来なかったこと、か……。

 一刀は親子に手を振り別れ、天幕を出た。出来なかったことをしかと確かめるために。

 改めて見る。

 野営地に溢れる人々を。

 もちろん、すべてがすべて被災者ではない。善意で集まった者もここにはいる。

 しかし、多くの者が心に、体に、傷を負ったのは疑いようのない事実で。

 やはり充足感にはそれなりの空しさがつき纏っていた。

 と、そこに。

 

「……何を俯いておる?」

 

 声の主は管輅だ。

 彼は一刀が何を考えているのか、おおよそ察しがついたのだろう。

 言葉を繋ぐ。

 

「おぬしは最善を尽くし、よくやったわい」

「……でも、さ」

「やれることをやる。そう言ったのはどこの誰じゃったかのう?」

「……だよな」

 

 たらればを言い出してもキリのないこと。

 少年は救うことが出来たのだ。被害もある程度は抑えられたし、出来ることはやった筈。

 ならば、どんな高望みをしてみても、これが精一杯の現実だ。くよくよしていたって仕方ない。

 一刀は顔を左右に振り、よし、を合図に持ち上げる。

 すると、今度は入れ替わりで管輅がおずおずと視線を下げ、

 

「それに、反省せねばならんのはワシの方じゃ」

 

 

***

 

 

 それはまるで懺悔のように。管輅は言う。 

 

「少しばかり未来が見えるからと、それだけでワシはすべてを救える気になっておった。なんと愚かしいことか……。にもかかわらず、いざとなればあの様じゃ。おぬしが街へと走り去った後、椿に言われてしもうたわ。“本当にこのまま皆を見捨るおつもりですか”とな」

「椿がそんなことを……」

「それでも、ワシはどうしていいかわからんままじゃった。言われるがままに街へ行き、何をすればよいのか……。じゃが、おぬしの言葉を聞いて気がついた。ワシは皆をどこかで見下しておったのだと。力無き者として守ってやらねばならんとな。傲慢にもほどがあろうて」

「傲慢って、じいさんは少し背負いすぎただけだよ。見下してなんか……」

 

 同情は必要ない。管輅はゆっくり首を振る。

 

「やれることがある。皆にはそれだけの力がある。なのに、ワシはすべてやってやらねば、と勝手に思い込んでおったのじゃ」

 

 おそらく、管輅がこうして胸の内を晒すのは久方ぶりだろう。少なくとも、この五年間は一度もなかった筈だ。

 ずっとひとりで抱え込んできた。その勝手な思い込みとやらを。

 それは一体どれだけの重さだったのか。独りよがりな覚悟だったとしても、だ。

 

「やっと目が覚めたわい。おぬしのおかげでのう。礼を言う」

 

 管輅は終わりに頭を下げ、覗く表情は憑き物が落ちたようにさっぱり。

 やっと綺麗に流れ落ちたのだろう。五年物の頑固なヤツが。

 だから一刀は、上がりかけの頭にぽすり。手刀を落とす。らしくない。ガラじゃないだろう、と。

 呆気に取られる老人に、

 

「はい一本。これで、最初の勝負は俺の勝ちね」

「なっ……、馬鹿者め。ここは敷地外。適用外じゃ」

 

 こんな返し方しか思い浮かばなかった。

 調子が狂うのだ。あの憎まれ口がないと。

 早く、いつもの不敵なじいさんに戻ってほしいだけだった。

 そして、思いは伝わり、二人はわずかに頬を緩ませ、

 

「ヒヨっ子の分際で」

「うっせ、妖怪じじい」

 

 なるほど。確かにこっちの方がしっくりくる。予定調和のいがみ合いがよく馴染む。

 他人行儀はむずかゆく、師弟とも少し違う。そんな二人の距離感だ。

 と、そこに新たな声が。

 

「――にいちゃん、管輅さま!」

 

 向ける視線の中には、地面に手をつき伏せる頭が三つ。あの三人組の姿があった。

 

 

***

 

 

「すいませんでした!!」

 

 察する通り、土下座から上がるのは謝罪の言葉。

 突然の出来事に、二人は顔を見合し、先に言葉を発したのは一刀であった。

 

「俺の分は、椿に謝ってください」

「……にいちゃんもか」

 

 にいちゃんも? と不可解な返事に問い返すと、

 

「いや、ねえちゃんには先に謝ってきたんだ。そしたら、向こうでもにいちゃんに謝れって言われてよ」

「そう、……ですか」

「本当にすまなかった!」

 

 一段と深くなる土下座を見下ろし、一刀は思う。

 どうすべきかを。

 一刀は聖人でもなければ賢人でもない。ありふれた一般人だ。

 彼らに対して怒りも憎しみも感じているし、土下座ひとつで許せる程出来た人間ではない。

 許せるはずがなかった。あの日の椿を思えば。

 想起される記憶に、思わず拳には力が入り、

 

「俺は……」

「収まらねえってなら、気が済むまで殴ってくれて構わねえ! だからこの通りだ!」

「一刀」

 

 管輅も成り行きを注意深く見守る。

 もし、感情に任せて拳が振るわれることがあれば、やはり止めるつもりなのだろう。

 しかし、それは無用な心配。

 この男、無類のお人好しなのだ。

 不意に力は解かれ、

 

「なら、もういいですから」

 

 謝罪をすんなり受け入れて見せる。

 自身もあれだけの怪我を負わされたと言うのに、一言もなく。

 一刀は知っているからだ。

 震える体で、馬鹿な男を責めるどころか、励ましてくれた心優しい人がいたことを。

 暴言を待つ者にとってそれは何よりも堪えることを。

 彼らの誠意が偽りじゃないと見て取れれば、それで十分。

 そこに、椿が彼らを自分に委ねたという意味を足せば、本当に何も言うことはない。

 なぜなら、

 ――それは許してやれという意味だと思うから。

 

「あとは、じいさんに」

 

 男たちは、この借りはいつか必ず返します、と額を地面にこすり付けていた。

 その様子に、これでよかったんだと改めて思う。

 だから、後は管輅だ。

 男たちも言葉に従い管輅を見上げ、だが、発言は先んじて遮られ、

 

「ならばこれで仕舞いじゃ。ワシに謝罪はいらん。お互い様だったんじゃ」

「か、管輅さま……」

 

 彼も同様。

 椿と一刀が許したからには、敢えて付け加えるものなどなし。早く立んか、と彼らの手を引く。

 男たちは立て続けの酷な仕打ちに涙ぐみ、ただただ辞儀を繰り返す。それもすぐに、やめんかと制止がかかるが、なんと今度はそんな様子を見ていた周囲の人々までひとり、二人と加わりだし、管輅に謝罪を始めたではないか。

 そして、輪はどんどん大きくなり、いつしかそこは大謝罪会に。

 予想外の展開に珍しく狼狽する管輅を残して、一刀は輪からこっそり抜け出し、

 

「これで一応、一件落着、かな?」

 

 ひとり呟き見守って。ふと、考える。

 予言――。

 それはさぞかし便利な力だろうな、と。

 なにせ、それを参考に行動すればまず失敗はないのだから。

 けれど、時に過剰な便利さは人を不便なものに変えてしまう、とも思う。

 管輅がそうであったように。平原の民がそうであったように。

 彼らは少々予言に頼りすぎた。もしくは、慣れすぎたとも言える。

 力を持つ者は知らず知らず過信するようになり、力を享受する者たちは堕落してしまったのだ。

 ゆえに、両者は忘れてしまう。

 未来なんて本来はままならないもので、思い通りになることの方が稀だという当たり前のことを。

 だから予期せぬ未来に対して、あまりに脆くなってしまった。不便なものに成り下がってしまった。

 疑心暗鬼の確執は長きに渡り、互いを遠ざけることで自身を成立させるという歪な形態を成して。

 ――でも、本当に嫌なら……。

 一刀は思う。

 それはどこかで切欠を求めていたんだろうな、と。

 憎しみの反面。歪でも関係を保ち続けたのは、結局そこに繋がっていたからだと。

 でなければ、説明がつかないのだ。

 人の輪からはもう、謝罪の言葉なんてどこからも聞こえてこないことに。被災の直後だと言うのに人々は笑っていることに――。 

 ――もう大丈夫だよな。

 緩むほほで一刀は思い、だぁが、しかしだ。

 この後すぐに一同は凍りつくことになる。

 それは一刀の背後より静かぁに忍び寄っていた。

 

 

***

 

 

「一刀さま。少しよろしいですか?」

 

 聞こえる声に、一刀は反射的に背筋が伸び、引きつる笑顔。

 如何せん聞き覚えがある。この普段よりワントーンの低い声。

 そろりと振り向けば、

 

「――――」

 

 案の定、半目の椿がこちらに向かって歩いていて。

 ひと目でわかる。理由はわからないが怒っている、と。

 

「な、なんじゃこの気配は……!?」

 

 その威圧感に管輅でも驚きを隠せず、民衆の輪からは各所で悲鳴が上がる。

 大人しい人程、怒るとおっかないの最たる例だ。

 皆、目を疑う。あれは本当に椿なのか? と。

 椿は手が届く距離まで近づくと、

 

「私、可笑しな話を聞いたんです。なんでも、一刀さまが燃える民家に飛び込んだとかなんとか。フフフ、可笑しいですよね?」

「ひぃ!?」

 

 すっと口元を隠す仕草に、上品さより殺気を強く感じるのは何故なのか。

 何かの間違いであってくれと願う中、漂うはただならぬ雰囲気。

 管輅たちは何の合図もなしで、本能的に足並みを揃え、そろりそろりと後ずさっていく。

 標的はこちらではない。巻き込まれて堪るか……! と薄情にも置き去り。

 そして、一刀は硬直のまま、

 ――これは、あの日覗き見た“終焉の微笑”――!!

 

「一刀さま? 無茶はもうしないと約束しましたよね?」

「い、いや! あれは違うんだ! 止むに止まれぬ事情っていうか、とにかく! まず、事情を聞いてほしいんだ。うん、話せばわかる。ね?」

「……なら。言いつつ、なぜ逃げようとなさっているのですか? じっとしていてください。動かないでください。止まりな……、――そこへ直りなさい!」

「す、すいませんでしたァァ――――!」

 

 一喝に、逃げる一刀と追う椿。

 その先には泡を食う一団が。

 

「なぜこっちに逃げてくるんじゃ! 他所へ行かんか馬鹿者!」

「そうだよ!! 俺たちを巻き込むんじゃねえよ! ひとりで逝ってくれ!」

 

 確かに、彼らは多くを失った。過去にも、今も。

 だが、すべてを失ったわけではない。残っていたものだってある。取り戻したものだって、守ったものだってある。

 それに、ちっぽけかもしれないが得たものだって。

 

「逝くってなんだよ! そうだ、借り返すって言ってたよな? よし返せ、今すぐここで! 椿を止めてくれっ!!」

「む、無茶言うんじゃねえよ、にいちゃん! んなもん無理に決まってんだろ!」

「かぁずぅとぉさぁまぁ――!!」

「――ぎゃあアアア!!」

 

 こうして平原の街を襲った火災は、負傷者、四百九十七名。全焼、百六十棟。半焼、七十二棟と、大きな被害出しながらも、奇跡的にひとりの死者も出すことなく終わりを迎える。

 しかし、それは受身のままで得られた奇跡ではなく、立ち向かい、掴み取った奇跡だ。

 それに真の奇跡と言うならば、

 

「……そういえば、天井が焼け落ちたあの時、なんで俺、無事だったんだろう?」

「何をブツブツと、ちゃんと聞いているんですか!!」

「――ひゃい!?」

 

 ちなみに。

 とっ捕まりって地べたに正座の一刀が、説教の業火を鎮火するには……、さらに一時もの時間を要した。




第8話読んでいただきありがとうございます。

平原でのお話はこれでひと段落です。
次回はついにあの人物が。

感想、ご意見お待ちしてます。
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