【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
ジギスムント1世(強堅帝)
生没年:帝国暦17年~71年
在位年:帝国暦42年~71年(25歳で即位・54歳で崩御)
有史以来、地球そして宇宙には、数限りない国家が建国されたが、その歴史が短命に終わるか、それとも長寿を保つか、その分水嶺は建国者の後継者、いわゆる二代目の統治にあると言っても過言ではない。
国家建設との大事業を遂行できた建国者は、正負どちらの方向であれ、常人離れした、超人的な力量の持ち主である事は論を俟たない。故に、その巨大な力量が失われた後の空白感も、巨大にならざるを得ない。
また、人間の寿命には限りがある以上、建国者一代で国家の支配体制が盤石となる事は、ほぼあり得ない。事実、建国者の死後、その規模に差はあれども、旧勢力による叛乱や内乱等が生じた国家は極めて多い。
この歴史の「法則」からは、ゴールデンバウム朝銀河帝国も逃れる事は出来なかった。周知のように、建国者ルドルフの死後、第2代皇帝たる強堅帝ジギスムント1世が即位するや、帝国領の各地で共和主義勢力による叛乱(同盟の歴史学界では「革命運動」と称する)が勃発した。
しかし、この叛乱は成功する事無く、一説には、叛乱に参加した約5億人の民衆が処刑され、その家族ら100億人以上が農奴階級に落とされたとも云う。
従来、この叛乱が迅速に鎮圧された要因は、新帝ジギスムントの父親、ルドルフの娘婿たる帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムの冷静沈着な指揮に帰せられる事が多い。確かに、同公爵は有能無比な軍人政治家であり、叛乱鎮圧でも陣頭指揮を取っている。だが、公開された新史料によると、叛乱鎮圧に際して、新帝ジギスムントが指導力を発揮し、むしろ父親たる公爵がその手腕を自由に振るえるよう、宮中内外の反シュタウフェン派を抑えていた事が分かってきた。
同盟の歴史学界などでは、ルドルフ大帝の忠実すぎる後継者に過ぎない、父親ノイエ・シュタウフェン公爵の操り人形だった、などと否定的に評価されていたが、ジギスムント1世は父親たる公爵の人格と力量を信頼して、政務を委ねつつも、最終判断は常に自らが行い、決して依存してはいなかった。
公爵死去後、親政を開始すると、先帝ルドルフも憂慮していた領主貴族らの増長を抑えて、帝国領内に秩序と規律を回復させている。
また、旧敵国の支配下にあった星域は、貴族領または自治領として、帝国の支配体制に組み込まれてはいたが、実際は半独立状態の星域も少なくなかった。これは、敵国の討伐戦(拡大戦役)を円滑に進め、敵国の住民を農奴・奴隷として、帝国領の開発に従事させる労働力として確保する、との政治目標を達成するため、現地の有力者を帰順させて、徙民政策に協力させる代わりに、彼らに領主貴族の地位を与えて権益を保証した事、そして帝国への抵抗運動が激しい星域を名目上の自治領とした事、これらに起因する弊害だったが、ジギスムント1世は、硬軟両面の方途を用いて、彼ら領主達を統御したのみならず、名目上の自治領を取り潰し、皇帝直轄領として直接支配するなど、帝国の支配権確立を成功させている。
後世の歴史家の中には、もしルドルフ大帝の後継者がジギスムント1世で無かったならば、銀河帝国は領主貴族の独立傾向を抑えられず、早々に分裂、滅亡していたのではないかと指摘する者もいる。
旧帝国史上、ルドルフ大帝の後継者としてのみ語られる事が多いジギスムント1世だが、優れた歴史家でもあった文華帝エーリッヒ1世は、自著「帝政論-理想の政治とは-」の中で、同帝を専制君主の理想として称揚しており、旧帝国史上、屈指の名君と謳われた晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世も、自らの治世の手本にしていたと云う。
理想的な「二代目」だった同帝の治世が無ければ、旧帝国は500年近い命脈を保つ事は不可能だったかもしれない。本巻ではその実像を明らかにすると共に、ジギスムント1世の統治が後の帝国に与えた影響を考察してみたい。