【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
第1節 親政開始の時期
本章からは、拡大戦役終結後、本格的に親政を開始した、皇帝ジギスムントの治世後半について述べたい。まず、ジギスムントが父親ノイエ・シュタウフェン公の後見を脱して、全てを自分自身で決定する、文字通りの親政を始める事が出来たのはいつからなのか、その点から説き起こしたい。
旧帝国の政治史を専門とする研究者の中では、帝国暦55年、父親である帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムの死去を以て、皇帝ジギスムントの親政が開始されたとする傾向が強いが、筆者はこの説に異論を唱えたい。前述した通り、帝国暦46年に開始されたシリウス戦役に先立ち、皇帝ジギスムントとノイエ・シュタウフェン公は密かに会談、その結果、同公が領袖を務めるシュタウフェン派の実権は、ジギスムントが事実上、掌握する事となった。即ち、この時点において、帝国政界のヘゲモニーは皇帝ジギスムントが握っていた訳で、ノイエ・シュタウフェン公の権力は相対的に低下していた。
だが、この時にジギスムントの親政が開始されたと見る事も正しくはないだろう。その後のシリウス戦役で、総司令官に起用されたヴィンクラー中将が急死すると、後任にノイエ・シュタウフェン公が選ばれている。
これは、同中将死去後、軍人政治家としての同公が持つ権威と経験を凌ぐだけの人物、或いは匹敵すると見なされる人物が当時の帝国には未だ存在しなかった事の証左と言うべきであり、皇帝ジギスムントも、外征中の父親に対して、しばしば政治上の相談を行い、その助言を求めている。帝国暦46年以降の同公は、帝国の政治・軍事の当局者から、助言者へとその立ち位置をシフトし始めていた、そして、同52年に挙行された戦勝記念式典を以て、帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公は事実上引退、政治の実権は皇帝ジギスムントが完全に掌握した、これが筆者の見解である。
一方、この式典にて、ノイエ・シュタウフェン公は、生者としては旧帝国史上初の帝国元帥に叙され、旧攻守連合の中心地だったアムリッツァ星系を領地として下賜された事を根拠として、同公の政治的権力と権威はこの時点が最高潮であり、皇帝ジギスムントは父親によって庇護される存在であったとし、ジギスムントが親政を開始したのも、帝国暦55年に同公が死去した事による、やむを得ない行為だったとする見解もある。
確かに、これ以降も同公は帝国宰相の地位を保ち、その死去後も、同公爵家は帝国最大の権門として隆盛を続けている。しかし、私見ではあるが、この見解は、政治のダイナミズムを理解していないと言わざるを得ない。ある人物が高い地位と権威を持っていたとしても、必ずしも政治権力を保有している訳ではない事は、政治史を紐解けば、その実例は枚挙に暇が無い。旧帝国史に限っても、権臣エックハルトの「出来の悪い操り人形」と揶揄された、喪心帝オトフリート1世という典型例が存在している。
権力を「己の意思を現実化させられる力」もしくは「他者の強制的意思を拒絶できる力」と定義するなら、当時のノイエ・シュタウフェン公の権力は、皇帝ジギスムントに比して、相対的に低下していたと言わざるを得ない。それを端的に示すものが、この戦勝記念式典の席上にて正式発表された、ノイエ・シュタウフェン公爵家の次期当主、即ちノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムの後継者である。筆者は、この後継者人事こそ、同公ヨアヒムがその実質的な権力を喪失した証左だと見ている。以下、節を改めて、その事を解説したい。