【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
初代軍務尚書シュタウフェン公エリアスを事実上の家祖とする同公爵家は、エリアスの孫にして後継者・ヨアヒムに、建国者ルドルフの長女カタリナを妻として迎え、当時の貴族社会では権門中の権門と見なされていた。そのため、二代目当主ヨアヒムの後継者問題は、全貴族が注目する所であった。
何故なら、ヨアヒムと正妻カタリナとの間には、長子たる第2代皇帝ジギスムント、その妹たる長女テレーゼ、この2人しか子供がいなかったからだ。
皇帝に即位した長子ジギスムントが同公爵家を継ぐ事は不可能。嫡子が何らかの事情で、当主の後継者になる事が出来ない場合、一般的には嫡出の娘に婿養子を取らせる、または側室に産ませた庶子を嫡子に立てる、或いは嫡子の孫が存在していれば、その者を後継者に据える、これらの措置が取られる。
同公爵家の場合、同公ヨアヒムが側室に産ませた庶子カスパーは存在したが、先帝ルドルフの血筋である長女テレーゼがいる以上、彼女を差し置いて、庶子を嫡子に据えるなど出来る訳はなかった。他の貴族家から、先帝陛下に不敬であると糾弾される事は目に見えていたからだ。
さらに、夫婦仲が険悪になっていたカタリナが、生さぬ仲のカスパーを嫡子にする事を容認するはずもなかった。ヨアヒムが庶子カスパーに、ランケ男爵家の門地を継がせたのも、日陰者の存在たる事を余儀なくされる我が子に、少しでも名誉を与えたいと願ったからかもしれない。
また、戦勝記念式典が挙行された帝国暦52年の時点で、皇帝ジギスムントは皇后アデルハイドとの間には、長子リヒャルトの他に、次子ルードヴィヒが産まれていたが、未だ少年期を脱しておらず、ルードヴィヒを可愛がっていた皇后アデルハイドの反対もあり、彼が公爵家の後継者となる事も現実的ではなかった。
よって、消去法的に、また同公爵夫人カタリナの意向としても、長女テレーゼに婿養子を取らせる、これ以外の選択肢は存在しなかった。つまり、公爵家の後継者問題に、ほぼ全ての貴族が熱い視線を注いだ理由は、誰がテレーゼの婿になるのか、まさにこの点にこそある。帝国最大の権門、ノイエ・シュタウフェン公爵家の婿養子を自家から出す事が出来れば、それは即ち、帝室と縁続きになる事を意味し、さらに公爵家の権力を用いて、自家を隆盛に導けるからだ。当時の貴族の日記等によると、同公ヨアヒムに、自家の子弟を売り込む者達が引きも切らなかったと云う。
貴族家の後継者は当主がこれを定める、とする貴族法の精神に照らしても、婿養子の選定は当主たるヨアヒムの専権事項だったはずだが、戦勝記念式典で発表された長女テレーゼの婿、即ち同公爵家の後継者は、およそヨアヒムが正気であれば、まず選ぶはずがない人物だったのだ。