【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
第1節 旧帝国・同盟での評価
本章では、やや本論を離れるが、建国者ルドルフ大帝の義理の息子、強堅帝ジギスムント1世の父親にして、旧帝国史上初の帝国宰相となった、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムという人物について、これまでの記述を参考にしながら、筆者なりの評伝をまとめてみたい。
さて、建国者ルドルフ大帝から、その後継者ジギスムント1世の治世を通じて、最も重要な役割を果たした臣下は誰か、旧帝国史を僅かでも知る者であるならば、恐らく100人中100人、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムだと答えるだろう。
ともにイデオロギー的史学の影響が強かった旧帝国、同盟の歴史学界では、周知の通り、その評価は正反対だった。旧帝国では、建国者ルドルフ大帝から娘婿に選ばれた、極めて優秀かつ忠良な人物で、息子たるジギスムントに忠誠を尽くした社稷之臣、不敬にも大帝陛下崩御の隙を狙い、騒乱を起こした不逞なる共和主義者どもを鎮圧した軍人政治家として高く評価されていた。
対して同盟では、暴君ルドルフに阿り、その娘婿に成りおおせた狡猾な人物、息子ジギスムントを傀儡として独裁権力を振るい、暴政打倒に身命を賭した共和主義者たちの抵抗運動を冷酷無比に鎮圧、無辜の人民を虐殺した人物だとして、初代社会秩序維持局長ファルストロングや、共和主義者の大規模粛清「血のローラー」を断行した内務尚書クロプシュトックらと並び、民衆弾圧者の巨魁として唾棄、憎悪されていた。
しかし、これまで縷々述べてきたように、公開された新史料に拠ると、ルドルフ崩御後に勃発した共和主義者の蜂起と帝国政府による鎮圧とは、実際は辺境域で余喘を保っていた敵対国家の討滅と、敵国人民を農奴として確保する事を目論んだ、新帝ジギスムントが遂行した一連の戦役―筆者が名付ける所の「拡大戦役」―であり、同盟などで主張されていたように、ノイエ・シュタウフェン公がジギスムントを傀儡として、無辜の共和主義者を理不尽に殺害していった、などという性格のものでは決してなかった。
同公は新帝の政治方針を深く理解していた。或いはその方針は、自身が新帝に提案したのかもしれないが、ノイマン候アルベルトら主戦派の暴走を抑えて、直接戦闘よりも政治交渉を重んじ、無用の殺害や破壊を避けて、敵国人民を農奴として確保するとの戦略(政略)目的を達成していった。それは先帝ルドルフから受け継いだ軍事思想―軍事よりも政治を重んじる-の表れでもあった。
決して人道上の理由ではないが、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムとは、決して民衆弾圧者などではなく、彼らの自由と平等こそ規制したが、むしろ無辜の人民が剥き出しの武力によって陵辱、虐殺される事を防いだ、民衆の庇護者だったとも見なせるだろう。
一方、同公は、攻守連合への遠征事業を利して、自家の一門に属する貴族らに功績を立てさせ、武勲を餌に多くの貴族家を自身の影響下に置き、自家の勢力拡大を図った。
この手法は以降、例えばブラウンシュヴァイク公オットーに代表される大貴族が国政―特に軍事活動―を利用して、自家の権勢拡大を目論む時の常套手段となり、後世、国家内国家だとして、開明派貴族から強く批判された、旧来の門閥貴族の在り方を生み出した人物でもあった。
彼ら門閥貴族が後年、熾烈な権力闘争を繰り広げ、その大渦に無爵位の下級貴族や平民層までも巻き込まれ、理不尽な悲劇を強制された例が枚挙に暇が無い事を考えるならば、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムは、あくまで結果論的な意味で、広義の民衆弾圧者だったとも言える。
本章では上記の様に、旧来のステレオタイプな「ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒム」像から離れて、公開された新史料に基づき、史実上の同公の実像に迫ってみたい。あくまで私見だが、結論から述べると、同公は「創業の時代に生まれた守成の人」と評すべきで、さらに称賛すべきは、同公自身がその事を自覚し、守成の軍人、政治家に撤しきった事だと考えている。以下、特に政治上の業績を中心に、同公の実像を描いてみたい。